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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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閑話その7~影の苦労~


クレスター家お抱え隠密集団、通称『闇』。


黒衣装束を身に纏い、天井裏や床下などに潜んで怪しげな会話を盗み聞きしたり、深夜に人知れず敵と戦ったり、不可思議な術を使って人心を惑わしたりする、特殊な仕事を日々こなしている、裏稼業の専門家たちだ。

もちろんそんな派手な任務だけではなく、どこにでもいるような町人や商人に扮して諜報活動を行ったり、王宮の役人に成り済まして貴族の悪事の証拠を入手したりと、地味で堅実な仕事もこなす。『闇』はいつでも天井裏に潜んでいるとは限らない。


――ただし、後宮という特殊なところにおいては、必然的に潜伏場所は限られてしまうのだが。






********************


後宮にて、『闇』とディアナの間を取り次いでいるのは、基本的にリタだ。


『……と、いうわけなのですが』

「なるほど、よく分かった。しかし、ご自身より女官と侍女を優先なさるとは、ディアナ様らしいな」

『全くです』


女官長との対決の翌朝、後宮の片隅、使用人棟の裏で、『闇』とリタとの定時連絡が行われていた。何もないときは朝昼晩、事が起これば臨機応変に。要するに適当だ。

今朝の連絡当番はシリウス。昨晩の女官長戦からずっと詰めていて、この後次の当番が来たら交代の予定だ。『闇』の首領であるシリウスは、ディアナが入宮してからこっち、主に後宮にいることが多い。


「女官長には必ず一人張り付けて、悪巧みをしたら分かるようにはしているが。念には念を入れて、女官と侍女の行動範囲にも一人置いておくか」

『しかしそれでは、人員不足になりませんか? 四人態勢など、あまりに…』


『闇』の内実に詳しいリタならば、当然そこを心配するだろう。その解決策がリタを激怒させることも自明の理だったが、言わないわけにはいかない。


「……デュアリス様に了承を頂いて、しばし、ディアナ様の護衛を外すしかあるまいな」


案の定、リタは爆発した。


『何を考えているのです、シリウス様! ディアナ様をお守りせず、一体誰を守るというのですか!』

「分かっているから、そう怒るな。良いか、リタ。我々はあくまでも、クレスター家の方々のご意思を尊重し、動かねばならん。それがときに、主の身を危険に晒すことになったとしてもだ」

『知りません!』

「聞け! もしも万が一、この件で女官や侍女に危害が及んだらどうなると思う」


問い掛けには、無言が返ってきた。リタの心中を察し、見えないけれどもシリウスは頷く。


「ディアナ様は消沈されるだろう。危険を予測できていたのに守れなかったと、協力を要請したために巻き込んでしまったと」


クレスター家の人間は、性格は当然に皆それぞればらばらだが、代々共通点がある。落ち込んだときの、たちの悪さだ。


あの外見のおかげで精神力はそこそこ鍛えられ、彼らは滅多にへこたれない。典型的な、『反省はしても後悔はしない!』タイプである。終わったことを悔やんでも仕方がない、しっかり反省して次に活かそう、とまぁ実にたくましい。

が、例外もある。自らの内に入れた人間が、不可抗力以外で命を落としたとき。最悪なのはまさに、自分が関わっている案件に巻き込まれたような形で、親しい者が死亡したときだ。

そんなとき、あの一族は一気に落ちる。それはもう、この世の終わりが来た方がましだという勢いで落ちる。めそめそしくしくうじうじ、カビが生えてずどーんとかいう効果音がついて、ついでにオドロ雲を背負って、部屋の角で生きた屍と化す。


――仕えている者からしてみれば、何を置いても避けなければならない事態だ。


「ディアナ様はまだ本格的に、権謀術数渦巻くあのドロドロした王宮の中で、人の生き死にに関わった経験がおありでない。初めての死人が、ご自分を見抜いてくれ、気心知れた侍女になどなってみろ。園遊会どころではないぞ」

『確かにディアナ様ならば、悲しまれるでしょうし落ち込まれもするでしょうけれど。本当にそこまで致命的なのですか?』

「致命的だ」


自信を持って断言した。クレスター家のたちの悪さならば、誰よりもよく知っていると自負している。


「あのデュアリス様ですら、初めてご友人を亡くされたときは、完全回復なさるまでに三月かかったのだぞ。その間どれだけ我々が肝を冷やしたと思う」

『……噂では、聞いていますけど』

「とにかく、使いモノにならなくなる。第一、あの顔でひたすらめそめそされてみろ。落差が激しい以前の問題で、どう接して良いか分からん」


あのときは最終的に、『シリウスは絶対、俺より先に死ぬなよぅ〜』『分かりました、お約束しますから』という、主と隠密が交わすには明らかに間違っている会話で立ち直らせた。この一族は一体どうやって戦乱の世を生き抜いたのか、当時は本気で悩んだシリウスである。


「園遊会を無事成功させるためには、ディアナ様と親しい人物の安全は絶対確保だ。なぁに、多少我々が目を離したところで、あの一族は簡単には死なん」

『……シリウス様はいつも豪胆ですよね』

「お前がディアナ様に対して過保護過ぎるのだ。無理もないがな」


リタにとって、ディアナは唯一絶対の主。彼女はクレスター家の使用人の中でも異質で、『家』ではなく『ディアナ』に忠誠を誓う。そのためしばしば、周りが見えなくなるのだ。


『私はそれでも、ディアナ様を第一に、お守りします』

「そうだろうな、お前なら。好きにしろ、侍女たちのことは、こちらで何とかする」


はい、と声が返ってきた。明らかにほっとしている。聞こえないように笑ってから、シリウスは声を切り替えた。


「『闇』はしばらく、ディアナ様から離れる。お前はそれを頭に置いて、これから行動してくれ」

『承りました』

「それではな」


別れの言葉を告げて、シリウスはその場から離れた。今の彼は潜入任務中なので、最初から隠密用通路(とこちらが勝手に名付けているだけで、実際は床下やら天井裏やら壁の間の隠し通路やら、とにかく人目につかず移動できる空間)の中だ。リタは建物のすぐ傍にいたので、今の様子を誰かが見たとしても、侍女が一人で休憩している、そんな風にしか見えなかっただろう。


音もなく天井裏を抜け、隠し通路に降り立って隠し部屋をいくつか通過したところで、もう慣れ親しんでしまった気配を感じた。向こうも気がついたのか、ひょっこり角から顔を覗かせる。


「あ、やっぱりシリウスさん」

「何をしてるんだお前は」


カイである。


「今は休憩しつつ情報収集。『紅薔薇』陣営に好意的なひととそうじゃないひと、できるだけはっきりさせといた方が良いでしょ」

「……そんなもの、我々とてしている」

「そりゃそうだけどさ。そっちは役割分担とか色々ある分、やっぱり広く浅くは拾いにくいじゃない。俺ならその点、機動力あるし」


この少年、いまいち考えていることが見抜けない。『牡丹』に雇われている割には『紅薔薇』に好意的で、最初の出会いでディアナに攻撃したことを除けば別に害はなく、むしろ『牡丹』側の情報を流してくれる有益な存在だ。何故未だに『牡丹』に雇われ続けているのか、ここまで来ると疑問に思う。


「良い機会ゆえ、聞いておきたいのだが。お前はいつまで『牡丹』に居座るつもりだ?」

「んー? そーだなぁ、ここまで来たら、居座れるだけ居座ってみようか」


あっけらかんと言ってくれるものである。シリウスは眉をひそめた。


「『牡丹』に居座っている限り、我々はお前を、完全に信頼することはできんぞ」

「それは別に良いよ。当たり前だし」

「こちらとしては、お前の腕が『牡丹』に在り続けることは惜しい。できればすぐにでも寝返って欲しいものだがな」

「もう大方、寝返ってるようなモンだけど」


からからと笑いながら、カイはまぜっ返してきた。シリウスはため息をつく。


「分かっているなら、とっとと寝返れ」

「いや、正直俺もさ。そっちのお嬢様と顔合わせたすぐ後は、いっそ完璧に寝返った方が良いかな、とも思ったわけだよ。けどさ……俺が『牡丹』に雇われているからこそ、拾える情報もあるわけだろ?」


ふっ、と、その瞬間だけ。

カイは真顔になり、シリウスを見上げてきた。


「今はまだ、『牡丹』にいた方が、そっちの役に立てるかなと。お宅のお嬢様は見た目と違って、結構いじっぱりの無茶しいみたいだから。警戒されずに敵の動きを探れる立場は、必須だと思うんだけど」


カイの人間観察能力に、シリウスは内心舌を巻いた。ディアナの性格を実に小気味よく、かつ的確に言い当てている。普段は冷静沈着なのに、ここぞというところで無茶をする、クレスター家のおてんば末姫には、昔から苦労させられたものだ。

と、それはともかく。


「……つまりお前は、ディアナ様のために、『牡丹』に留まっていると?」

「最初は違ったんだけどねぇ……だんだんほだされてきたっていうか、あのお嬢様、なんか見てると放っとけないんだよねー」


面白かったり、ハラハラしたり、まぁ飽きないね、と笑うカイ。どうやらディアナのことを、かなり気に入ったらしい。


昨夜(ゆうべ)だってさ、アレかなり危険なカケだったよね。女官長を追い詰めるにしたって、もっと別のやり方はあったハズだよ。本人が出て来て直接対決する必要なんかなかったのに、律儀にというか、わざわざ姿見せて温情までかけて」

「仕方がない。それがクレスター家の方々だ。あの程度でやきもきしていては、この先心臓がいくつあっても足らんぞ」

「マジで? どんだけ懐深いの、クレスター家って」

「残念なことに、その懐の深さはあの顔のせいで、あまり知られていないがな」


苦笑すると、カイは肩をすくめた。


「どんな悪人であっても、直接話して本心を確かめたいとか、思いそうではあるけど。相手を選べと突っ込みたいのは俺だけじゃないよね?」

「……驚いたな。そこまで分かっているのか」


なんだかんだで、女官長と対決したディアナの本音はそこにあるのだろう。本人ですら自覚しているかどうか怪しいところを、この少年はずばり見抜いている。


――ふと、思った。この少年、カイならば、信じられる。

『闇』の首領としては信用することができなくとも、シリウス個人としてならば、信頼できると。


「……これは、独り言だが」

「ん?」

「園遊会まで、ディアナ様の警護は手薄になる。気にかけてくれると、嬉しい」

「そう来たか……。――分かった」


詳しいことを話さずとも、彼は事情をあらかた察してくれたらしい。真面目な顔になり、頷いた。




園遊会準備が本格的に始まった、その日。

舞台の裏側でも、表の人々を補佐するべく、様々な人間が走り始めるのであった。



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