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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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それぞれの想い

「本当にこれで大丈夫でしょうか?」


『紅薔薇の間』に帰ってきて最初に、口を開いたのはミアだった。ユーリとルリィの侍女二人も、やや不安げな表情で、ディアナの言葉を待っている。

ディアナはほんの僅か苦笑した。


「ずっとアレで黙らせておくのは無理でしょうね」

「ですが、それでは…」

「とりあえず、園遊会まで乗り切れたらそれで良いわ」

「……は?」


三人の目が点になる。


「わたくし、女官長のことを一切、信用していないの。調査資料見たら分かるもの、彼女がいかに狡猾で、己の利に聡く、面の皮が厚いか」


ディアナの前ですら、彼女は無害な小者の演技を貫き通していたのだ。『紅薔薇様』に怯え、恐怖のあまり滅多に姿を見せない、そんなよくいる貴族を演じきっていた。


「リタやわたくしの目さえ欺いた、その演技力は大したものよ。どれが演技か見抜くより、全部演技だと思っていた方が楽だわ」

「では、今夜のことは……」

「俗な言い方をすれば、弱みを握って脅しただけ。こんなやり方がいつまでも続くわけがないでしょう? わたくしは最初から、園遊会を何とか乗り切るためにだけ、動いたつもりよ」

「ですがディアナ様、おっしゃいましたよね? 近いうちに、女官長を免職に追い込むと」


ユーリがようやく落ち着いたのか、口を挟んだ。

ディアナは頷く。


「えぇ、確かに言ったけれど。それは園遊会後にした方が良いと思うの」

「どうしてです?」

「女官長が行ってきたことは、彼女一人処分すれば済む話ではないわ。彼女に追従し、罪を重ねてきた女官や侍女にも、何らかの罰が必要でしょう」

「それは、そうですが」

「けれど、そんな悠長なことしていたら、園遊会に間に合わない」


口を開いて固まった三人。

ソファにもたれ、ディアナは続ける。


「園遊会の準備をスムーズに進め、当初の目的を果たすためには、今はまだ女官長には居て貰った方が良い。そう思ったのよ」

「では何故、それを事前にお知らせ下さらなかったのです?」

「それは謝らなきゃいけないわね」


あらかじめミアとは、女官長がこう言ってきたらこう返して、こういう流れならこうして、といくつかのパターンを打ち合わせていた。しかしそのミアにすら、ディアナは真意を話してはいなかったのだ。


「謝って頂きたいわけではございませんが」

「貴女たちを信頼していないわけじゃないの。ただ、あの演技上手の女官長に対抗するには、こちらの『本気』を見せつける必要があったのよ」


こっちは本気で怒っているのだと。

本気で女官長を、辞めさせるつもりだと。


そう女官長に思わせるためには、ディアナだけでなく見守る四人の気持ちが重要だった。


「女官長ほどの演者なら、人間観察能力もかなりのものよ。あの場で女官長はほとんどわたくしとしか話していなかったけれど、多分隙を見て、貴女たちの様子からこちらの真意を探ろうとしていたでしょうね」

「まさか……!」

「ルリィ、女官長はあれでも、わたくしたちの倍以上、生きているのよ。甘く見たら足元掬われるわ」


言いながらふと、ディアナは疑問を感じた。今日実際に対決した女官長と、調査して浮かんできた人物像とでは、決定的なところが噛み合わない。確かに世渡り上手で、調子の良いところはあったが。


……何だろう、この妙にちぐはぐな感じ。あれ程狡猾な人間が、いくらクレスター家の持てる力を総動員したとはいえ、こんなに短期間で証拠を揃えさせるような、そんな迂闊なマネをするだろうか?


――まだ、何か見落としている? けれど、一体、何を?


「……ディアナ様?」


名前を呼ばれて、我に返った。


「あ、ごめんなさい。――とにかく、そんな女官長を脅すには、今すぐ辞めさせるくらいの迫力ある空気が必要だったのよ。そのためには貴女たちの『本気』が必要不可欠だった、ということで……あの、怒ってる?」


ふぅ、とため息をついたユーリ。滅多に見せない苦笑を浮かべ、首を横に振った。


「いいえ。少し驚いただけですから。聞き流してくださっても良いものを、ご丁寧に説明してくださるとは……お人がよろしいですね」

「……それ、褒められている気がしないのだけれど」

「褒めておりませんから。侍女に対してまで腰が低いのはどうかと思います」

「クレスター家の人間に威厳とか求めても無駄だからね、ユーリ」


丁々発止のやり取りに、あのー、とおずおず割り込む声がした。ルリィだ。


「話を蒸し返すようで恐縮なのですが、そもそも園遊会を予定どおりに行う必要はあるのですか? 今はまだ招待状出してませんから、時期をずらすことは可能ですよね?」

「可能だけど、後宮内の問題が発覚してから後宮で園遊会を開くことは、現実的に考えて難しいと思うわ。ただでさえ後宮という場所は特殊だから」


答えてくれたのはミアである。女官勤めが長い彼女は、おそらくこの中で誰よりも、王宮のイロハに詳しい。侍女では関われる『公』に限りがある。


「園遊会自体、初めての試みでしょ? 開催前に女官長の不正が発覚したら、おそらくだけど、園遊会は中止になると思う。歴史ある行事とかならともかく、突然降って湧いたような会だもの」

「そうなりますか…」

「外宮はそう判断するでしょうね」


ふむふむ頷くルリィに、ユーリがやや、冷たい視線を向けた。


「ルリィは随分と、ミアさんと仲良くなったようですね?」

「え、それは、ディアナ様に認められてお味方となった方ですから」

「なるほど」


いつも無表情のユーリではあるが、それだけに、彼女の瞳は感情豊かだ。薄碧の瞳に、負の感情と、それを律しようとする葛藤が見え隠れする。

ディアナは首を傾げた。


「ユーリ、ミアに個人的な恨みでも?」

「女官長の右腕だった人を、恨まない人間がいますか?」

「それだけ?」

「どういう意味でしょう?」

「貴女が感情的になるのって、珍しいから」


ユーリは黙り込んだ。ミアが代わりに、恐る恐る口を開く。


「……ユーリさんが仲良くしていた何人かを、いじめ抜いて後宮から追い出しましたから」


合点がいった。ユーリの様子から見ても、それが原因だろう。


「女官長に言われて?」

「はっきりと指示されるわけではありません。女官長が『目障りだ』とか『邪魔』だとか、そう名指しした人を、陰湿な嫌がらせで追い込むんです。途中からは、女官長の言葉がなくても『察して』、行動する女官や侍女ほど可愛がられました」

「あぁ、一時期流行りましたねぇ。私なんてこの髪と目だから、何回難癖付けられたことか」


ルリィがあっさり相槌を打った。あっさり過ぎて、逆に驚く。


「ルリィ、気にしてないの?」

「黒髪黒目に難癖付けられることには慣れていましたから。それに、庇ってくれる友人も居ましたし」


大体、そんなどうでも良い人種に神経割くほど、私優しくないですよ。


にっこり放った一言は強烈だった。ユーリが目をぱちくりとさせ、ミアがやや青ざめる。


「あんなくだらない嫌がらせ合戦に参加する人を、私は同じ人間だと思っていません。私とは完璧に相容れない、全く別の生物だと思っています。よって、気にもなりません」

「……過激ねぇ」

「この外見ですからね。向けられる悪意にいちいち反応していたら、仕事になりませんよ。両親からは、『馬鹿にしてくる奴は羽虫だと思え』と育てられました」

「賢明なご両親だわ」


なるほど、ルリィが竹を割ったような性格になるわけだ。割り切り方が男前過ぎる件は、ひとまず横に置くとして。


「とりあえず、ユーリもルリィもね。ミアはこれから一緒に働いてもらうことになるのだから、恨みつらみ羽虫扱いはともかくとして、仕事に支障が出ないようにお願い」

「もちろんです」

「……承りました」


窓の外を見て、ディアナは息をついた。夜はまだ、明ける気配はない。


「さぁ、明日から忙しくなるわよ。ユーリ、ルリィ、もう休みなさい」

「ディアナ様はどうなさるのです?」

「わたくしはリタを待つわ。二人は朝も早いし」

「……では、お言葉に甘えまして」


一礼して、二人は下がった。

静かになった室内で、ディアナはミアと、視線を合わせる。


「これが、貴女がしてきたことの結果よ」

「……はい」

「ユーリとルリィは、貴女が何故罪を犯してきたのか、その理由を知っているわ。けれどそれでも、貴女を許すことは心情的には難しい」

「そう、ですよね。……理由があるからといって、赦されることではないですし」


ミアは充分に、己の罪深さを自覚している。だから一切、余計なことを言わなかった。――分かっているのだ、彼女も。


「きっと、これから辛くなるでしょう。投げ出すなとは言わないわ。贖罪の方法は、一つではないから」

「……あまり優しくなさらないでください。私は自分に甘いんです」

「そうでしょうね。だからこそ楽に流されてしまったのだから」

「意地悪ですね、ディアナ様」

「――けれど、貴女を弱いひとだとも思わないわ。女官長の右腕とまで呼ばれ、心ある者たちからは嫌われ、それでも尚『自分』を保ち続けた、そんな強さが貴女には確かにあるもの」


目を見開いたミアに、ディアナは強く、頷いた。


「――わたくしは、貴女を信じています」


通り過ぎる静寂。

やがて、ミアが深々と、礼を取った。


「ディアナ様。明日より、こちらに参ります」

「えぇ、お願いするわ。今日はもう、下がって良いから。ゆっくり休んで」

「畏まりまして」


正式な女官の作法を取り、ミアは音もなく部屋を出ていった。王宮の女官に相応しい気品と慎ましさを兼ね備えた、完璧な所作だ。やはり普段は、意識して真面目でない風を装っていたのだろう。


「……ミアさん、大丈夫ですかね」

「おかえり、リタ」


別の扉から入って来たリタは、ずっと室内の様子を窺っていたらしい。遅すぎるとは思っていた。


「何でまた盗み聞き?」

「王宮の方々の話に首を突っ込むのはよろしくなかろうと思いまして。それはともかく、」

「ミアでしょう? わたくしにできるのは、大丈夫だと信じることだけよ」

「……歯痒いですねぇ」

「こればっかりは、ミアが自分の力で、乗り越えなきゃならないもの」


夏からひょっこりやって来たディアナたちは、この件に関しては部外者である。出来ることは少ない。


息を長く吐いてから、ディアナは気持ちを切り換えた。


「――さて、報告を聞きましょうか?」

「園遊会まで、女官長には『闇』の監視が付くことになりました」

「それが無難よね」

「女官長の監視と、シェイラ様、ディアナ様の護衛と。三人態勢ですね」


いささか厳重過ぎる気もする。女官長とシェイラはともかく。


「わたくしを守るくらいなら、ミアとユーリを守って欲しいわ」

「……何故です?」

「実際に外宮まで即座に連絡が取れるのは、この二人だもの。狙われるとすれば、わたくしよりミアとユーリでしょ」

「しかし、実質不可能では? 暗殺者を雇うのは難しいでしょうし、特定の女官や侍女の食事に毒を盛るのだって至難の技です」

「万が一という言葉もあるのよ。追い詰められた人間は、何をしでかすか分からない」

「……それは、否定できませんね」


善処します、とリタは頷いてくれた。ようやく安心して、ディアナはソファに腰を降ろす。


「女官長を追い詰めるのは良いけれど、王宮の女官と侍女のことは心配だったの。特に『紅薔薇』付きの人たちはね。手を出したらカードを切るとは言ったけれど、向こうがヤケになったらそれも通じないし」

「一応、大人しく従う様子ではありましたけれど」

「信用できないわ」

「ですよね」


リタも、女官長の狡猾さと図太さには気付いていたらしい。あっさり同意し、ディアナの前に回り込んできた。


「確認ですけど、女官長には園遊会までお世話になって、その後退場してもらう、ってことで良いんですよね?」

「そ。色々考えたけど、多分それが一番潤滑に事が運ぶと思う」


リタにも何一つ告げてはいなかったが、さすがに物心ついたときからずっと一緒だった彼女には、ディアナの心中などお見通しのようだ。実に話が早い。


「問題は、園遊会までに『外』が女官長の尻尾を掴めるかってことと、彼女の後任を見つけ出せるか、よね」

「そればかりは予想がつきませんからねぇ……まだ三週間ありますし、何とかなるかとは思いますけれど」

「なって欲しいわ、切実に」


深く、深く、ため息をつく。

『紅薔薇様』の苦難は、今後も、尽きることがないようだ。



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