閑話その5~クレスター家の昼下がり~
現クレスター伯爵、デュアリス・クレスター。
超極悪非道冷血人間面とは裏腹に、とてもお茶目な人柄の持ち主として、彼をよく知る人間は語る。
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二日連続でシリウスが報告に帰ってきたそのとき、デュアリスは書斎で仕事……ではなく、最近巷で大流行りの物語『風が唄う丘で』(純愛小説)を読んでいるところだった。一番の盛り上がりのシーンを食い入るように読み耽り、目に涙を溜めている、顔だけ見れば冷血魔王。端から見ればとてもシュールな光景であるが、もちろん本人に自覚はない。
『……デュアリス様、読書中申し訳ありませんが』
シリウスの声が多分に皮肉を含んでいたのは、この際仕方がないだろう。突然声を掛けられたデュアリスはびくりとなり、ぱたんと本を閉じると上を見た。
「シリウス、お前なー。俺相手にまで気配を消すなよ」
「お言葉ですが、それほど消していたわけではありませんよ」
言いながらシリウスは部屋に降りる。本に栞を挟んで横に置いたデュアリスは、「まぁ座れ」とソファを勧めた。シリウスが座ったのを見て、彼は横の扉を開ける。
「おぉーい、誰かいないか? お、エリー」
「どうなさいました?」
「シリウスが今帰ったんだ」
「あら、先ほど出かけたばかりではありませんか」
言いながら、隣の部屋を掃除していたエリザベスが入ってきた。シリウスの顔を見て、目を丸くする。
「どうしたのシリウス。……何かあったのね?」
「はい、残念ながら」
「今から話を聞こうと思うんだが、茶を入れてくれるか」
「解りましたわ」
エリザベスは微笑んで部屋を出て行き、デュアリスはシリウスの正面に身体を沈める。少しの沈黙の後、彼は言った。
「詳しい話はエリーが戻って来てから一緒に聞くが、この短時間で帰ってきたということは、緊急の事態だろうな?」
「そうですね。ディアナ様がお手紙に起こす時間すら惜しまれるくらいには」
「ディアナからの使いか?」
「はい。報告が終わりましたら、また戻るつもりです。……どうも色々、気になりますし」
シリウスの表情は、気に入らないことがあるときのそれだ。首を傾げ、デュアリスは問うた。
「何がそんなに気になるんだ?」
「……昨日報告致しました、『牡丹』に雇われている隠密ですが。ディアナ様がお優しいのを良いことに、随分と気安く接しているようですから」
「あー…、まぁ、な。生まれたときからお前たちが身近にいたんじゃ、ディアナにあの手の職業人を警戒しろって言っても無理な話だろ。逆に気を許すのも分かる。……お前の目から見て、どうなんだ?」
「今のところは、ディアナ様に危害を加えようとしたり、悪意を持っている様子は感じられませんが。ディアナ様の本質も、鋭く見抜いているようですし」
「ならやっぱり様子見るしかないなぁ。クレスターに関わりなく裏稼業の仕事をしている少年ともなれば、気にはなるが」
少し身を起こし、デュアリスはシリウスの顔を見た。
「昨日は軽く流したが、どんな奴なんだ?」
「年齢はディアナ様とそう変わらないかと。小柄ではありますが、あの落ち着き振りからして十代後半から二十代前半でしょう」
「それでも若いな」
「髪色は焦げ茶、目の色は……あれは紫紺といいますか。少々変わった色でしたね」
「ほぉ?」
デュアリスは記憶を掘り返した。髪色が茶系統なのはエルグランド王国では珍しくもないが、瞳の色が紫紺というのは気になる。黒が忌避されるお国柄なだけあって、暗めの色を持った人間はよく話題に上るのだ。
「それ、もしかして『黒獅子』の子じゃないか?」
「『黒獅子』殿の?」
「ほら、かなり前に話題になっただろ。『黒獅子』が毛色の変わった子獅子を拾ったって」
「あぁ、そういえば…」
シリウスが合点のいった顔になった。彼も思い出したのだろう。
『黒獅子』とはその名のとおり、黒髪黒目という珍しい色彩を持った、裏稼業の担い手だ。とても有能で立派な人格者だが、とある事情からクレスター家の世話になることを拒んでおり、あまり顔も出さない。クレスター家を恨んでそうなったわけでもなし、デュアリスとしては、何か困っていると聞いたらこっそり助けてやるか、と考えているが、なかなか機会は巡って来ないのだ。
有能だが、『魔』に通じる色を持つものと蔑まれる『黒獅子』。そんな彼が子どもを拾ったと風の噂で聞いたとき、デュアリスは耳を疑った。「おいおい、何を拾ったって?」と思わず問い返したくらいだ。彼の知る『黒獅子』は子どもを拾うような性格ではないし、子育てできるような性格ではもっとない。
――髪色はともかく、目を見てしまっては放っておけない。
よくよく聞けば、拾いものの理由はそれだったらしい。深い紫紺の瞳、そこそこの光で見ればその色彩が黒と違うことは一目瞭然だが、眩しい光の中や暗がりでは黒と一緒くたにされる。まともな社会でつまはじきにされて歪むよりは、いっそ『裏』で有能になってしまった方が、人としては真っ当に生きていられると。
――どうか、我が子と私のことは、分けてお考えください。
たった一度、それを言うためだけに、『黒獅子』がクレスター家を訪ねてきたことがあった。私に恨みもあろう、だがそれを、我が子に被せないで欲しいと。
たった一人の子どもが、孤独だった男をここまで変えた。その事実を、今でもデュアリスは忘れていない。別にお前のことだって恨んでないぞ、と言い添えたが、『黒獅子』は首を横に振り、『我が子』のことだけを頼んで帰っていったのだ。その姿は、『父親』以外の何者でもなかった。
「あの小僧が、『黒獅子』殿の子どもですか……」
「だとしたら、俺たちがそいつを知らないのも納得いくだろ。あの『黒獅子』が、積極的にクレスター家と絡みそうな仕事を選ぶとは思えんし。息子に回すとはもっと思えん。――そういえば最近、『黒獅子』の噂を聞かんな」
「そうですね。もともと我々とは行動範囲の被らない御仁ではありますが」
「『息子』が敢えて後宮に居座っている辺り、何かあるのかもしれんな」
クレスター家と『息子』を関わらせたくない『黒獅子』が、ディアナのいる後宮に『息子』を送り込むなど、有り得ないことである。デュアリスは腕を組んだ。
「その辺も、探ってみるか」
「探らなければならないものが多過ぎますね」
「ん? あぁ、ディアナの件か。もちろんそっちが最優先だけどな」
デュアリスはニヤリと笑う。大魔王のニヤリは、分かっていても相当に怖い。
「『黒獅子』が育てた子なら、そりゃかなり優秀だろうさ。ランドローズに飼われてるなんざ勿体ない。事情さえ分かれば、完全にこっちについてくれる隙が見つかるかもしれないだろ?」
「……一度はディアナ様に刃を向けた相手ですよ」
「もちろん、その件についてはキッチリ締めるが」
クレスター家の男性陣は、ディアナに甘々である。カイがディアナに刃を向けた件については、エドワードも笑顔で吹雪いていた。
が、さすがにデュアリスは当主。娘可愛さだけでは動けない。
「有能な人材が敵方にいるっていうのは、それだけで脅威だからな」
「確かに、あのこわっぱが『黒獅子』殿の子となれば、敵であるのは避けたいところです」
「親父からどこまで受け継いでいるかは未知数だが、少なくとも『ディアナ』を見抜いたということは、人を見る目はばっちり鍛えられたんだろうな」
「状況判断能力もあるかと。『牡丹』に雇われているけれど心情的には『紅薔薇』の味方、と言っていましたから。これで、何故『牡丹』に雇われているのか分かれば……」
「そうだな、『牡丹』に雇われている利点を潰してやれば、もう『牡丹』の味方はしないだろ」
そのためには、『黒獅子』の近況を探る必要があるわけだ。
「人手が足りませんね」
「だな。まぁ『黒獅子』の近況は、裏社会の者たちに聞けばある程度は掴めるだろ」
こちらの人材を回すべきはむしろ、ディアナの周囲だ。シリウスがふっと顔を上げたのを見て、デュアリスも扉を見る。程なくして扉が開かれ、カートを押したエドワードとエリザベスが入ってきた。
「何だエド、お前も来たのか。確か茶会の招待状が来ていただろ?」
「出掛けようとした瞬間にシリウスの気配を感じましたから、行くのは止めました」
「おいおい…」
社交シーズンに開かれる茶会や夜会は、重要な情報収集の場であると同時に貴族の嗜みだ。いくら何でもドタキャンはまずい。
と思ったが、エドワードはしれっと言った。
「クリスも招待されている茶会でしたから。適当にフォローしてくれるでしょう」
「……お前それ、後でクリス嬢に刺されても知らんぞ」
「私の方が強いですから、問題ありません」
実はエドワード、この外見で女性の扱い方は上手くない。社交で適当に相手をするだけなら問題ないが、一人の女性を『女として』大切にするのは苦手だったりする。まぁ、相手にも問題はあるのだが。
「そういうことではないのよ、エドワード」
窘めたのはやはり、母親であるエリザベスだ。人数分のお茶を入れ、エドワードをめっ、と睨む。
「いくらクリスが頼りになるからって、甘えすぎてはいけません。今日のことのお礼はきちんと述べて、埋め合わせは必ずなさい」
「お待ちください母上、私がいつクリスに甘えたと……」
「本人に何一つ言わず、勝手にフォローを期待している、それが甘えでなくて何なのですか」
エリザベスは容赦なく言い切った。
「クリスだって、久しぶりに貴方に逢えるのを楽しみになさっていたはずよ。その会を、あろうことかクリスがいるから大丈夫だと欠席するなんて。埋め合わせの約束をしなければ、もうウチには上げませんからね」
「……エリザベス様を怒らせてしまいましたな、エドワード様」
くつくつ笑ったのはシリウスだ。デュアリスも、苦笑しながら頷いた。現クレスター一家で最も怖いのは誰かと聞かれたら、誰もが間違いなくエリザベスと答えるだろう。
「……すいませんでした」
「私に言ってどうするの」
「まぁ、その辺にしてやれエリー。話が進まん」
デュアリスの号令で、ようやく全員がテーブルを囲む形になった。萎れたエドワードもひとまずソファに座り、シリウスの言葉を待つ姿勢になる。
「じゃあ頼む、シリウス」
――促された彼の口から語られた事態に、家族全員が沈黙したのだった。




