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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
243/243

予定調和の大団円


「……ナットラー元王宮騎士への謝罪と被害補填は、後々考えねばなりませんが。今はひとまず、次の証言者の話を伺いましょう」


 ジャンの証言によって場が重い空気に包まれつつある中、敢えて空気を振り払うべく、ディアナは淡々と進言した。正直なところ、今〝証言者〟たちが語っている〝真相〟は、二十年前以上にクレスター家が辿り着いていたものであり、それが今更衆人環視の中、王の御前で披露されているということは、この舞台自体、デュアリス仕込みの茶番である可能性が高い。ジャンに対する罪悪感に足踏みするより、今は場面を次へ進めるべきだろう。


「そう、ですね。紅薔薇様の仰る通りです。――ナットラー殿、ありがとうございました」

「とんでもございません。こちらこそ、こうして名誉挽回の機会を頂戴できましたこと、厚く御礼申し上げます」


 とてつもなく丁寧に一礼し、ジャンはスッと下がっていった。

 代わりに進み出たのは、ジャンの隣にいた、いかにも堅気でない風情の、オーギムと紹介された男である。


「……国王陛下に、拝謁いたします。ワタシの名は、オーギムと申します。姓は、ございません」

「その名は確か……調書にあった、襲撃実行犯と同じだな」

「はっ、ハイ。ワタシは、畏れ多くもあのとき、王宮へ忍び込み、そちらの侍女殿を襲った、当人です」


 マリアンヌを指してのオーギムの言葉に、マリアンヌ当人も「……間違いございません。この男です」と言い添えた。

 ジュークとキースは一度目線を交わし、次もキースが過去の調書を持って、オーギムと向かい合う。


「この度、証言者として名乗り出たということは、調書にあるあなたの証言は、真実を語っていないということですか?」

「そうっす……いえ、あの、ハイ、そうです」

「……話しやすい言葉で構いませんよ。外宮室には平民官吏も多く勤めていますので、変に言葉を気にする必要はありません」

「マジですか? あの、フケーザイとかいうのになりません?」

「〝不敬罪〟ですね。陛下に対し、意図的によほど侮蔑的な言葉を使わない限りは該当しませんから、大丈夫です」


 どうやらオーギムは、王宮のど真ん中、王様もいる場で話すことに、とてつもなく緊張していたらしい。キースに楽な言葉を許され、ほっとした様子で肩の力を抜いた。


「では改めてお尋ねします。オーギム殿、当時の調書によりますと、あなたはジャン・ナットラー王宮騎士に雇われ、王太子殿下を襲撃すべく彼の手引きで侵入したが、室内に残っていた侍女に邪魔されたため、暴行を加えた、とされていますが。その内容と、実際の状況とで、異なっている部分を教えてください」

「……ほぼ全部違いますねー。ていうか、あの事件の記録って、そうなってたんですか?」

「そう記録されていることすらご存知なかった? あなたを取り調べ、そう証言を得たと書かれておりますが」

「そもそも、取り調べられた記憶がねーです。そちらの侍女殿を襲って、そこのさっきからうーうー唸ってる偉そうな人に捕まって、騎士さんたちに牢屋まで連れて行かれてからは、ずっと牢屋の中にいて誰とも話しませんでした。ようやく牢屋から出されたと思ったら、どっかの監獄に入ることが決まったって言われて、そのまま馬車に乗せられ、お城から離れたんで……」

「あー……貴族が平民を取り調べる際に、よく聞く話ではありますね」

「事情聴取の完全な捏造ですか」


 思わず漏れた感想に、キースが苦々しく乗っかった。事情聴取の捏造は、バレればかなり重い処分となる不祥事だけれど、貴族と違い平民は聴取記録を気軽に読める立場でないため、取り調べた風だけ装って、自分たちの信じる〝真相〟に合わせた証言を創作する事案が、昔から後を絶たないらしい。

 ディアナがそんな裏事情を知っているのは、例によって例の如く、雑用係だった頃の外宮室の愚痴を、デュアリスやエドワードから聞き齧っていたからだ。調停局や内務省は、平民からの「自分はそんなこと言ってないのに、貴族が勝手に言ったことにしてきた!」というクレームを、ポイと丸めて外宮室へ投げていたのである。


「……あなたの発言権が不当に奪われたことを謝罪します。その上でもう一度、お伺いさせてください。こちらの記録内容と、あなたが実際に経験した状況とで、違うところはどこですか?」

「えーと……まず、〝ジャン・ナットラーに雇われた〟ってとこが違います。俺に王都の酒場で声をかけてきたのは、そこに寝っ転がってピィピィ鳴いてる、なんとかって男爵……ジュン男爵様? でした」

「つまり、あなたはナットラー殿ではなく、ロガン準男爵に雇われたのですね? 雇い文句は何でしたか?」

「さっき、ジャンさんって人が言ってたのと、ほぼ一緒ですね。『厄介な侍女に痛い目を見せて、行動を改めさせたい。襲撃役を引き受けてほしい。王宮に忍び込むからそれなりの罪にはなるだろうが、死刑や終身刑のような重い罪には問われないようにするし、全て終わったら保釈金を積んですぐ自由の身にしてやるし、謝礼もたっぷり払う』って感じでした」

「なかなか旨すぎる話のように聞こえますが、変だとは思いませんでした?」

「当時は……今もですけど、そこまで頭もよくねーし、ものを深く考える性分でもなかったので。ちっと王宮へ忍び込んで女襲って、犯人にはなるけど、そんなに時間かけずシャバに出られて金が手に入るなら、楽な仕事じゃねぇかって思っちまいましてね。いやマジでアホすぎるだろって、今なら当時の俺に言ってやれるんですが」

「そう言えるようになった分、あなたも成長されたということですよ」


 キースの端的な労いの言葉に、オーギムは軽く頭を掻いて。


「だから、俺を雇ったのはえーと……ロガン? ジュン男爵? って人ですし、王宮に忍び込むときは確かにジャンさんが案内してくれましたけど、俺を馬車に忍び込ませて王宮の庭に隠したジュン男爵サマは、ジャンさんを『案内役』としか言ってませんでした。部屋に入ってからだって、俺は『女を襲え。だが、あくまでも痛い目を見せて怖がらせるだけだから、傷が残るような怪我はさせるな。すぐに人が駆けつける手配はしてあるので、捕えられたら下手に暴れず、大人しくしているように』って言われてたんで、その通りにしてました。同じ部屋に赤ん坊……王太子殿下がいたことなんざ、言われて初めて知ったくらいです」

「……あなたの証言は、目撃者だった王宮騎士の手記とも一致していますね」

「私の記憶とも、相違ないと存じます」


 キースの言葉と〝被害者〟の肯定を受け、野次馬たちの冷たい眼差しは徐々に、ロガン準男爵へと集まっていく。


「ぁ……違う、ちがう、私じゃない!!」


 自身に刺さる視線が、間違っても好意的なものでないことは、さすがの彼も感じ取れたのだろう。青くなって震え出し、拘束されながらも必死に、首を横にブンブン振っている。


「私は、私はただ、シュラザード侯爵閣下から、言われた通りにした、だけだ! 上手く事を運べば、内務省の重要部署へ、推薦してやると言われて! ――だ、だいたい、没落伯爵家の娘ごときが、シュラザード侯爵家ほどの素晴らしい家柄から望まれて喜ばぬなど、不遜であろう! 私は、世の中があるべき姿に収まるよう、少しだけ手を貸したに過ぎぬ!!」

「あなたの言う〝素晴らしい家柄〟であるところのシュラザード侯爵家は、現当主の当主責務不履行と、嬰児殺害教唆及び未遂ならびに、奥方に対する殺害未遂という罪状が重なり、今や風前の灯ですが……それはともかく、〝王太子襲撃事件〟改め〝トランボーノ侍女襲撃事件〟はシュラザード侯爵の指示によるものだと、認めるのですね?」

「は……風前……? え、指示……??」

「当時、あの襲撃事件は、前述した通り、ナットラー元騎士が王太子を狙ってオーギム氏を雇って起こした事件とされていました。調書にロガン準男爵の名はなく、シュラザード侯爵は助けを求める声に応じ、勇敢にも暴漢を捕らえて侍女を守った英雄のような内容でしたが……このままですとあなたは、シュラザード侯爵に恩を着せるべく、ナットラー元騎士を脅してオーギム氏を王宮へ入れる手引きをさせ、侯爵夫人を襲わせた張本人になりますよ?」

「違うと言っているだろう! あれは、マリアンヌをどうしても手に入れたかった侯爵が起こした、自作自演だ! 私は侯爵に言われた通り動いただけで、計画など何も知らない!!」


 ……世の中、何より怖いのは、有能な敵より無能な味方とは、よく言ったものである。ロガン準男爵もすり寄る相手を間違えたけれど、それ以上にシュラザード侯爵が、使う人間の選別をしくじっている感がすごい。まぁ、少しでも賢ければ、いくら出世したくても当代シュラザード侯爵には近づかないだろうし、どれだけイエスマンな手駒が欲しい悪党でも、危機意識が少しでもあれば、ここまで頭カラカラなロガン準男爵は使わないだろうから、結局は破れ鍋に綴じ蓋か。

 何はともあれ、売った自覚もなく親分を力一杯売り飛ばしたロガン準男爵は、これで自らの潔白を証明できたとばかりに、何故かドヤ顔している。……侯爵の動機を知った上で指示に従い、王宮に不審者を通す手筈を整え、実際に襲撃事件を起こす要となったのだから、どう考えても無罪放免にはならないのに、それが理解できているかどうかも怪しい。


(王宮で言いがかりをつけられたマグノム夫人だけど、頭の足りないロガン準男爵が気の毒になって、訴え出ないことにした……っていうのは、表向きの辻褄合わせだろうけれど。ここまで本気で〝足りてない〟と、信憑性もマシマシね)


 今日、初めてロガン準男爵をまじまじと見た(クレスター家と社交の範囲は被らないし、付き合いだってもちろんないから、実質今日が初対面のようなものである)ディアナですら、思わず可哀想になるほど、彼は貴族として独り立ちするには、何もかもが不充分だ。彼の実家は確か、マグノム夫人の生家と同じ、古参中立の侯爵家だったと記憶しているが、婿入り先を探すこともなく王宮に勤めさせたということは、そもそも当主適性がないと判断しての処遇だったのかもしれない。


 ――それはともかく。


「なるほど。ロガン準男爵は何も知らず、ただシュラザード侯爵の指示通り、動いただけなのですね?」

「そうだ!」

「ナットラー元騎士の妹御――ユクシム女官に薬を与え、『今後もこの薬が欲しければ、自分たちに協力しろ』と脅したのも、シュラザード侯爵の指示で?」

「そうだ!」

「事件後、『事件を収めるには〝襲撃犯〟を通した〝主犯〟が必要だ。黙って罪を被ってくれたら家族の安全と妹の治療は約束する』とナットラー騎士に持ちかけ、彼を〝主犯〟に仕立てたのも、もちろんシュラザード侯爵の指示ですね?」

「そうだと言っている!」


 ロガン準男爵を切り崩したキースは、ここぞとばかりに彼から、「シュラザード侯爵の指示」という証言を引き出している。本来ならばこれは、当時密かに調査を依頼されたクレスター家がしなければならないことだったが、ここまで踏み込まなかった理由は、二つ。


 一つは、シュラザード侯爵の子を宿し、次代を産み育てる覚悟を固めたマリアンヌが、これ以上の醜聞を望まなかったから。

 そして、もう一つは。


「――全て、その男の言い逃れだ。私は指示など出していない。何もかも、私に阿ろうとした、その男がしたことだろう。私は、何も、知らない」


 ……このように、シュラザード侯爵が知らぬ存ぜぬを貫いてしまえば、泥沼に陥る可能性が高かったから、である。その辺りの事情はうっすらと、当時調査に加わっていたシリウスから聞いた。


 抑揚のない声で否定を繰り返すシュラザード侯爵は、不気味をそろそろ通り越して、この世のモノではない気配を醸し出しつつある。実際、一定まで追い詰められると、突然それまでの焦りから解き放たれたかのように大人しくなり、感情のない声で抗弁し出す彼は、控えめに見て〝心〟があるようには見えない。


(基本的に、今、大ホール内で霊術(スピリエ)は使えないはずだけど、一部例外はあるって話だったし……これ、もしかして、その〝一部例外〟状態かしら?)


 逆に、何の霊術(スピリエ)の影響下にも無い状態で〝コレ〟なのだとしたら、その方がシンプルにめちゃくちゃ怖いのだけれど。

 侯爵の雰囲気に眉を顰めたキースも、心情的にはディアナと似たり寄ったりらしいが、能吏である彼はさすが、それを表に出すことはしない。否定するシュラザード侯爵に、大きく一つ、頷いた。


「シュラザード侯は、今のお話全て、ロガン準男爵の言い逃れだと仰るのですね?」

「そうだ」

「違う!!」

「ロガン準男爵、お静かに。――それではここで、最後の証言者にご登場願いましょう」


 キースがそう告げたことで、野次馬たちはやっと、この場には〝三人〟の証言者が呼ばれたことを思い出したようだ。〝主犯〟の身代わりとなったナットラー元騎士と、〝実行犯〟であったオーギムと、そして。


「ユクシム女官、お待たせいたしました」

「それほどでもございません。お勤め、お疲れ様にございます」

「お気遣い、ありがとうございます」


 官同士のよくある挨拶が交わされた後、キースはそのまま本題へと入る。


「さっそくですが、ユクシム女官。先ほどのナットラー元騎士の証言で、『祖父母と妹がロガン準男爵の邸へ連れ去られ、実質的な監禁状態に置かれた』という話が出て参りました。あなたは当時、まだ五つの幼子であったと伺っておりますが、当時のことは記憶にありますか?」

「ございます」


 ユクシム女官の即答に、野次馬たちがざわりと揺れた。「詳しくお願いします」と促され、彼女はいつもゆるく結んでいる唇をうっすらと開く。


「兄の証言にありました通り、幼い頃の私は、お世辞にも身体が丈夫とは申せませんでした。季節の変わり目には必ずといって良いほど高熱を出し、それ以外の季節も、少し無理をすれば寝込んでしまうような虚弱体質だったのです。幼子が私のような虚弱体質であることは珍しくなく、滋養のある食べ物をしっかりと食べ、規則正しい生活を続けることで徐々に健康体へ育っていくと、大人になってからお医者様に教わりました。しかし、ナットラー家は裕福とはいえず、満足な食事もままならないとなれば、私の体質が改善するのも難しかったのでしょう」

「それで、病弱なまま、お育ちになったと」

「そのようです。活動的な遊びをすればすぐに寝ついてしまう幼子の遊びなど、読書かお絵描き、たまにお人形遊びくらいでしょう。私もそのように、日々をぼんやり、寝台の上で過ごしていたことを覚えています」


 そんなある日――、と、ユクシム女官はやや声のトーンを上げて。


「これまで見たことがないほど立派な身なりのお医者様が、私の部屋へやってきました。お医者様は私を丁寧に診察して、『我慢することも多かっただろうに、強い子だね』と褒めてくださったのです。そして、『この薬を毎日飲めば、一年後にはお外を歩けるようになるし、五年後には他の子と一緒に遊べるようになるよ』と、お薬を頂いたのです。『ただ、身体に合うか合わないかはあるし、量も調整する必要があるから、定期的な診察は必要になる。今日はひとまず一週間分渡すので、また経過を教えて欲しい』と祖父母に言って帰られたそのお医者様は、『診療代は前払いでもう頂いているから』と、お金は受け取れなかったと聞きました」

「その薬は、効いたのですか?」

「祖父母の話によりますと、とてもよく効いたそうです。そのお薬を飲み始めて三日後、普段なら高熱を出すような寒い日があったらしいのですが、生まれて初めて、寝台の中とはいえ、熱を出すことなく一日を過ごせた、と」


 そう言って、ユクシム女官はため息を吐いた。


「祖父母は、それですっかり、ロガン準男爵を信用してしまいました。これも後から聞いた話ですが、ロガン準男爵は〝兄の知り合い〟を名乗り、『仕事で兄にとても助けられた。恩返しをしたいと思っていたところ、彼には病弱な妹さんがいるが、平騎士の給料では医者に見せることもままならないと聞いた。良い医者を知っているので、ぜひ紹介したく思い、失礼ながら尋ねさせてもらった』と祖父母の懐に入り込んだそうです。そうして紹介された医者が立派な人物で、よく効く薬を処方してくれたとなれば、信用しない方が難しかったでしょう」

「詐欺師の常套手段ではありますね……」

「その通りです。そうして一週間が過ぎた頃、ロガン準男爵は再び我が家を訪ねてきて、『医者が、妹さんの容態を見ながら、薬の処方をその場で行いたいと言っている。ご足労をさせるが、私が案内する邸へしばらく逗留頂けないか。もちろん、兄には予め断っておく』と言ってきたのです。彼を信用していた祖父母は二つ返事で頷き、荷物をまとめ、私を連れて、ロガン準男爵に案内された邸へと入りました」

「ナットラー元騎士が仰っていた、〝ロガン準男爵の邸〟ですか」

「はい。――そう思っていました、当時は」


 意味深な、ユクシム女官の言い回し。

 誰かがごくりと唾を飲む音が聞こえそうなほど、奇妙な緊張が場を満たしていく。


「当時はロガン準男爵の邸だと思っていた……ということは、実際は違ったわけですね?」

「幼い頃は〝立派な豪邸〟だとしか思っていませんでしたが、王宮へ働きに出るようになって貴族の世情を知った今思えば、あのとき招かれた邸は明らかに、準男爵が王都に構える規模のものではありませんでした。正面玄関前の庭は広々としていて、馬車を乗り付けられるほどのスペースがあり、邸の構えも立派で部屋数も多く、使用人の数も豊富。私と祖父母は内扉で繋がっている続きの間を客室として与えられましたが、そもそも続きの部屋を客室として常に誂えているのは、お身内の家族を丸ごと〝客人〟として迎え入れられるような、格の高いお家だけです。あの規模の王都邸をお持ちなのは、最低でも伯爵位にある方でしょう」

「確かに。説得力のあるお言葉です」


 頷いて、キースは視線をロガン準男爵へ移した。


「当時、あなたがナットラーご一家を〝案内〟したのは、ご自宅でしたか?」

「いいや。シュラザード侯爵が、『人質は己の手の内で管理する』と仰ったので、シュラザード邸まで連れて行った。……私の邸は狭いし、使用人の数も少ないから、人を囲うには向いていない。閣下も、私に任せて、ナットラーに逃げられるのを危ぶまれたのだろう」

「それは、実際、感じました。ロガン準男爵邸は、貴族としての体裁が整うギリギリの規模です。使用人も必要最低限ですし、あれではとても、長期間、複数人を監禁しておくことは不可能でしょう」

「ロガン準男爵邸がそのようなお宅であるならば、やはり当時、私たちがしばらく滞在していたお邸は、別の方のものでしょう」


 ユクシム女官の断言を、シュラザード侯爵は鼻で笑う。


「だったら、どうした。ロガンが親しくしている者など、他にもいるだろう。其奴の証言だけで、私の邸とは決めつけられないはずだ」

「……あくまでも、〝トランボーノ侍女襲撃事件〟の主犯はロガン準男爵で、シュラザード侯爵閣下は無関係だと?」

「その通りだ」

「仮にロガン準男爵を〝主犯〟とすると、他にも矛盾は出てきます。当時は今以上に収入も少なかった彼が、どうやってユクシム女官の治療費を捻出したのか。オーギム氏は実際、事件からしばらく経った頃、遠縁を名乗る方が保釈金を積んだことで釈放されたそうですが、その額もロガン準男爵個人では、到底用意できないものでした。少なくとも、彼の〝裏〟に金払いの良い何者かが存在していたのは、間違いないでしょう」

「――だとしても、私ではない。私を罪に問いたいのであれば、しっかりした証拠を出せ」


 二十年以上前の事件だ。当時をより詳細に証言できるであろう、ジャンとユクシム女官の祖父母は、既にこの世を去っている。まだ幼かったユクシム女官の記憶だけでは、真実まで辿り着くのは不可能だという自信があるからこそ、シュラザード侯爵……ないし、彼を操っている〝誰か〟は強硬に無実を主張し続けているのかもしれない。

 ――事実、クレスター家は当時、真相を明らかにできる証人は確保できたが、泥試合に突入した場合、一発で侯爵を黙らせるだけの手札(カード)がなかった。それもあって、かつマリアンヌが引いたことで、この〝真相〟は二十年間、眠り続けていたわけだが。


(……どれだけ長い時間、眠らせたって。当時を色濃く記憶して、その理不尽に今なお苦しんでいる人がいる限り、眠らせたままにはできないのよ)


 ――さぁ、目覚めの瞬間(とき)だ。


「証拠なら、ございます」


 このときばかりは力強い足音を立て、ユクシム女官は大きく一歩、シュラザード侯爵へ近寄った。


「どれほどの期間、あの〝立派な豪邸〟にいたのか、細かいところは覚えていません。ですけれど、幼心にも『早くお家に帰りたい』と思うほど、長期間だったことは確かです。――それほど長い時間を、いくら広いとはいえ、邸内だけで過ごすとなれば、幼子が飽きるのは当然のこと。連日『家に帰りたい』と泣く幼児に根負けしたのか、あのとき、私一人なら、使用人に監視されながらではありましたが、ある程度の行動の自由が保障されたのです」

「自由、ですか?」

「邸内は一部の部屋を除いて入ることを許され、裏庭と中庭でなら、遊ぶこともできました。とはいえ、病弱でしたから、あの頃の私の遊びはもっぱら、邸のあちこちでお絵描きすることでしたが」

「お絵描き……」

「はい。庭で見かけた珍しい家具や、棚に飾ってある宝飾品の類など、好きだと思ったものをせっせとスケッチしていたようです。どうやらその頃の私は、そういったお絵描き遊びに熱中していたようですね」


 そう言って、ユクシム女官が懐から取り出したのは――。


「子どもは絵を描くことが楽しいだけで、描き上げたものに興味はありません。幼い頃の私もその例に漏れず、描いたものは片端から祖父母へ『あげる』と渡していたようで……描いたことすら忘れておりましたが、律儀な性格の二人は、孫のお絵描きを後生大事に取っておいてくれたのです。――その中に、〝これ〟がありました」

「〝これ〟は……!」

「不死鳥が描かれた盾の前で、二本の剣がクロスしている――シュラザード侯爵家の家紋です」


 それは、幼子が模写したものゆえ拙いが、ユクシム女官の観察力の高さがよく分かる、家紋の特徴が顕著に描かれたスケッチ画であった。

 クレスター家もそうだが、大抵の古参貴族家の場合、家族皆が集まる場所――食堂や居間といった空間には、その家の象徴である家紋が目立つ位置に掲げられている。ナットラー男爵家は貴族家とはいえ騎士の家柄で、そういった習慣もなかったとなれば、幼かったユクシム女官の目には、家紋が目新しい、スケッチしがいのある対象に見えたとしても不思議ではない。


「家紋など、図録を見ればいつでも書ける。証拠になどならぬ」

「そう仰るだろうと思いましたが、証拠はこの紙の〝裏〟にもあるのです」


 シュラザード侯爵の抗弁をさらりと受け流し、ユクシム女官は家紋を描いている紙を裏返す。

 裏面は白でなく、何やら文字が書かれていた。


「えぇと……〝チェーフィス精肉店からのお知らせ。◯月限定で、最高級熟成肉販売いたします〟――どうやら、お店の宣伝紙のようですね。お値段等々の後に、〝お得意様のシュラザード侯爵様には、優先的に上級部位をご用意いたします〟とも書かれています」

「長逗留となり、家から持ってきた紙は全て使ってしまって『お絵描きができない』とゴネる私に、使用人の方々が『要らない裏紙で良ければ』と提供してくださったうちの一枚がそちらです。チェーフィス精肉店は今でもあるお店ですし、当時から勤めていらっしゃる古株の店員も多いでしょうから、聞き取りをすれば、この宣伝紙をシュラザード侯爵家へ渡したのがいつか、はっきりと分かるでしょう。その紙に私がシュラザード侯爵家の家紋を描いていることと合わせ、私がその時期、シュラザード侯爵邸にいた、確かな物的証拠となるはずです」

「そしてそれは即ち、〝トランボーノ侍女襲撃事件〟において〝主犯〟の濡れ衣を被せられたナットラー元騎士の脅迫に、シュラザード侯爵も加担していた証明でもありますね。――つまり、貴族社会でシュラザード侯とトランボーノ侍女を縁付かせたきっかけと語られていた〝事件〟は、そもそもそうなるべくシュラザード侯爵が仕組んでいた、という仮説の立証ともなります」


 キースのまとめに、シュラザード侯爵はついに反応しなくなった。俯いて、何やらぶつぶつ呟いている。「違う」「間違いだ」「証拠ではない」……もう、反論の余地すら見つからなくなったらしい。

 野次馬たちの心情は、シュラザード侯爵への憤りと、マリアンヌへの同情で、八割方は埋め尽くされている。残りの二割はロガン準男爵への呆れであったり、〝主犯〟とされたナットラー元騎士への憐れみだったりで、シュラザード侯爵側に立つ人が現れる気配はなさそうだ。

 ざっと周囲を、確認し。行けそうだという意味でジュークへ首肯すると、彼は目だけで頷き返し。

 そして、大きく手を広げた。


「当時、侯爵夫人が侍女を辞さざるを得なかったのは、〝事件〟を受けてシュラザード侯への支持が集まり、貴族たちが王太后への反発心を抱いたためと聞いている。それさえなければ、夫人は今でも王太后の片腕として、この王宮で辣腕を奮ってくれていただろう」

「……もったいないお言葉にございます、陛下」

「夫人の望みを砕き、婚姻を結ぶ遠因となった〝事件〟が、それを狙って引き起こされたものであると証明された以上、シュラザード侯爵夫妻の婚姻そのものが、欺瞞であると言わざるを得ない。夫人の希望である離縁は当然のこと、侯爵の罪を広く知らしめ、そなたの婚姻関係事実を抹消するよう、計らおう」


 ジュークの決断に、小さくはない驚愕の声が広がった。婚姻関係事実の抹消とは要するに、書類上、シュラザード侯爵夫妻の結婚を〝なかったこと〟にするという措置だ。マリアンヌは結婚前のトランボーノ姓に戻り、通常の離婚であれば一度目の結婚を誰と、どれくらいの期間続けられたかが名鑑に記載されるところ、特例でそれらが免除される。書類上は、一度も結婚したことがない、未婚の令嬢扱いとなるわけだ。

 配偶者がよほど王国にとって重大な罪を犯し、かつ自身も配偶者の被害者であった場合など、よほどのレアケースでのみ認められる措置なので、長い王国の歴史でも滅多にあることではない。ちなみにだが、未婚扱いとなるのはもちろん被害者側だけで、罪人の罪科は全て記録される。……とはいえ、この措置が取られる時点で貴族籍が剥奪され、家が潰されることはほぼ確なので、離婚歴が記載されようがされまいが、再婚は到底望めない身となるが。


 ――ジュークが〝王〟として出した裁定に、マリアンヌは無言で深々と頭を下げ、シュラザード侯爵はガタガタと震え出す。国王がシュラザード侯爵夫妻の離婚を認めた瞬間、アント聖教を信仰する彼は地獄行きが確定したわけだから、怯えるのも無理はない。


「み――認めぬ! 私は、認めぬ!!」

「シュラザード侯爵とロガン準男爵を牢へ。早急に取り調べの態勢を整え、二人の余罪を明らかにし、刑を執行するように。詳細は調停局と詰めよ」

「わっ、私も!?」

「承知いたしました」


 喚く二人を、王宮騎士たちとエドワードが颯爽と引っ立て、大ホールから去っていった。徐々にフェードアウトしていく彼らの声が聞こえなくなるのを待って、ジュークが周囲を大きく見回す。


「……皆、大義であった。華やかな『年迎えの夜会』で突如このような騒ぎとなったにも拘らず、動じることなく対応してくれたこと、礼を言う。事後処理があるため、私たちは一度奥へ参るが、皆は引き続き楽しんでほしい」


 断罪劇の幕引きを告げるジュークの言葉を受け、野次馬たちは一斉に、恭しく礼を執るのであった。


断罪劇、これにて終幕。次回からは、裏事情あれそれと後始末編に移ります。

それにしても、一昔前に大流行した〝パーティー会場でのド派手な断罪劇〟をやってみましたけれど、めちゃくちゃ事前準備大変ですし、大勢の前でやるから上手くいかなかったら悲惨ですし、何より野次馬の皆様が協力的じゃないととんとん拍子に進みようがないしで、これが見せ場になってる〝乙女ゲーム〟は整合性取るの大変そうですね。

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