二重隠密からの情報
分かり合ったユーリと侍女たちから、ディアナはその後、ひとしきり説教を受けた。今日のシェイラ救出劇は、途中までは完璧だったが、最後の最後にしんがりを引き受けたことだけは許せなかったらしい。
ディアナ様がいらっしゃるから後宮は平和なのです、や、お一人にするなど不安で仕方ありません、など色々言われたが、総合すれば『心配だから止めてくれ』になる。どうやらディアナの本性を知った彼女らにとって、ディアナは『責任感の強さから、何もかも一人で背負い込んで無茶をしてしまう』ような人に見えるようだ。心配で放っておけない人認定され、ディアナとしては嬉しいやら複雑やら、である。
社交界デビューしてから初めて、ここまで大勢の他人にディアナ本人を知って貰えた。嬉しくないはずはないが、自分がもの凄く良い人扱いされるのは……慣れてなくて、複雑なのだ。どうも居心地悪いというか、ムズムズしてしまう。
そんなふうにしてディアナに初めてのムズムズを与えた侍女陣はといえば、ひとしきり説教を終えた後、何事もなかったかのように仕事に戻っていった。まさにプロ、気持ちの切り替えは超一流である。あんまりすっぱり切り替えられて、逆にディアナの方が唖然となったくらいだ。
「みんな、忙しいのね…」
「今日の騒動で、仕事が滞っていましたからね」
ディアナの周囲には、いつものようにリタだけが残った。どうやらディアナとリタが二人きりになる時間がよくあったのは、侍女たちが気を遣ってくれていたのが三割、残り七割は単純に忙しくて部屋にいる暇もなかったかららしい。クレスター家の使用人が少ないからディアナも失念していたが、普通に考えれば、側室筆頭たる『紅薔薇』に侍女が七人しか派遣されないというのは異例だろう。忙しいのも頷ける。
「しかし、女官長も矛盾しているわよね。わたくしが噂どおりの令嬢だったら、むしろ侍女の少なさに怒りそうなものだけど」
「そこはほら、『クレスター伯爵令嬢』たるディアナ様ですから。実家からわんさか侍女連れて来るとでも、考えていらしたのでは?」
「あら、結果連れて来たのはリタだけだったでしょう? 人員増やそうとか、考えなかったのかしら」
「そういえばそうですね…」
あの侍女たちの優秀さならば、どれほどワガママ高飛車令嬢でも、そつなく面倒見ることはできるだろう。だがそれでも、侍女の数の少なさに令嬢が不満を抱く可能性もある。あまり表には出て来ない女官長だが、一体何を考えているのか。……人の扱い方が、かなり失礼で無茶苦茶なことだけしか分からない。
「女官長の情報は、あまり多くはなかったのよね」
「まずは側室の方々の情報収集を優先させましたから。今日のことで、侍女や女官、女官長についても、調査する危急性が増しましたね…」
「えぇ…」
また『闇』の負担が増える、申し訳ないと思い、ディアナがため息をついた、そのとき。
「何となくなら分かるけど?」
声と共に、突然上から人影が降ってきた。
「へ?」
「ディアナ様、お下がりを!」
普通に驚いたディアナとは違い、一気に緊迫して武器を取り出したのがリタである。気がつけば庇われていて、リタの殺気が本気で放たれていた。
「――何者です。一体、どうやってここまで」
「……っていうかさぁ、クレスター家って、一体どうなってるワケ。超一流の隠密部隊持ちなだけでも有り得ないのに、侍女まで戦えるとか」
「質問に答えなさい!」
「いや、フツーに天井裏通って来ただけだけど」
リタとカイのテンションは、全くもって噛み合っていない。……当たり前である。リタにしてみれば、カイは『闇』の精鋭をかい潜ってここまで来た、恐るべき刺客でしかないのだから。
「ふ、普通に、って…」
「何、特に貴方を警戒する必要なくなったから、ウチの人員情報収集にでも回った?」
「あ、うん多分」
「ディアナ様!?」
リタが驚いてディアナを振り返った。ディアナは笑って進み出る。
「大丈夫、彼は味方よ。……多分」
「ひどっ、最後の一言要らなくない?」
「完全な味方、とも言えないでしょ。現状見たら」
「あー、それはまぁ確かに」
「……どういうことなのです」
心なしか、リタの機嫌が悪い。知らないうちに、知らない人間とディアナが仲良くなっていたのが気に食わないらしい。
一応武器だけは下げながら、視線は雄弁に説明を求めて来る。ディアナは苦笑し、カイを見た。
「……素性は分かるでしょう?」
「『闇』の者でなく、後宮をうろつく隠密となれば、『牡丹』に雇われた者しかいません。ソレがどうして『味方』なのですか」
「あれ、俺モノ扱い?」
「おだまりなさい。ディアナ様がお優しいのを良いことに、随分無礼な振る舞いを」
「無礼って?」
ディアナの首が傾く。リタがくわっ、と目を見開いた。
「言葉遣い、態度、何よりもまず現れ方! 存在全て無礼極まりありません!」
「……うわぁ全否定された」
「うん、ちょっと落ち着きなさいリタ。カイはウチの者ではないし、わたくしに仕える立場の者でもない。わたくしに対し、礼節を弁える必要もないのよ?」
「……ですが!」
「――むしろ、ただ立場や外見だけで壁を作られるより、多少無礼でも素のまま付き合える方が、私は嬉しいわ」
カイをそこまで警戒しなかった理由もそこにあるのかもしれない、とディアナはぼんやり思う。人を見る目は、それなりに養ってきたつもりだ。カイが特に構えることなく、むしろ気楽に自分と接してくれていることは、最初から何となく感じていた。
「……ディアナ様がそこまでおっしゃるのでしたら、それに免じてこの者の無礼、見逃すのも致し方ありませんが。しかし、まさかそれで『味方』にはなりませんよね?」
「それは流石にないわ。まぁ一言で纏めれば、『牡丹』にこのまま雇われているのは先行き不安だから、万一のときにはウチの世話になりたいのですって。で、その見返りに『牡丹』の情報をくれるって約束をしたの」
「……二重隠密ですね。信用できるのですか?」
「信用は、できるできないではなく、するかしないかよ? そして私は、『私』をきちんと見て話をしてくれる人は、信じると決めているの」
迷いのない、ディアナの言葉。リタが頭を抑え、カイが苦笑する。二人の内心は、そう変わらないだろう。
「……いつも思いますが、クレスター家の方々が三百年間生き残って来られたのは、奇跡に近いですよね」
「確かにディアナの顔に惑わされないっていうのはある程度の目安にはなるけど、それだけで人間把握したら危ないよ?」
「二人とも失礼ね。いくらなんでも、それだけで判断してないわ。ちゃんと相手のことも見ているつもりよ」
そんなことより、とディアナは姿勢を正した。
「そんなワケで、貴重な情報をくれる人よ、カイは。……そういえば、さっきも何か言っていたわね」
「あぁ、そうでしたね。女官長の情報、何か分かるのですか?」
「女官長の……というより、後宮の侍女、女官の現状ってヤツ?」
どうやら長話になりそうだ。ディアナはカイにソファを勧め、リタにお茶の用意を頼んだ。ちょうどお湯が切れていたので、厨房まで貰いに行かなければならない。ディアナをカイと二人っきりにしなければならないリタは渋ったが、まさかディアナを出歩かせるワケにもいかず、最終的にはカイを睨みながら部屋を出て行った。
「リタさん……だっけ? 大分俺、嫌われてるねー」
「気にしないで。基本リタは、男の人がそこまで好きじゃないのよ」
「……いやそれ、原因別な気が…」
「え、何か言った?」
問い返せば苦笑いで首を横に降られた。気にはなったが突っ込まず、話を進めることにする。
「それで、後宮の侍女と女官の状況って?」
「俺、基本は『紅薔薇』を探れって言われてるけど、同時にあのお嬢さんの護衛もしろとか無茶なこと言われてるから、普段は適当に『紅薔薇』と『牡丹』をウロチョロしてるんだよね。だから、侍女の数とか雰囲気とかめちゃくちゃ違って、最初かなりビックリしたんだけど」
「……それは驚くわね。それ以前に、分裂しなきゃ遂行不可能な命令、よくこなしてるわね」
「あー、やっぱりそう思う? 自分でも俺スゲーってたまに思うもん」
まぁそれは置いといて、とカイは続けた。
「今後宮の側室様たちって、人数だけで言えば、革新派が多いでしょ? だから勢力は『紅薔薇』に傾いているように見える。けど、侍女と女官は、保守派が圧倒的に多いみたいなんだ」
「そうなの?」
「特に女官はほぼ保守派だねー。ほら、今の王様自体、保守寄りな思想の持ち主でしょ? そのせいか、王宮で働く人間は全体的に保守の色が強い」
「……だけど、そこまではっきりと、保守が席巻しているはずないわ。あまりにあからさまならお父様やお兄様が気付かないわけないし、何より目に見えて革新派を冷遇すれば、この国はこの先立ち行かなくなる。それくらいは、いくらアホボンの陛下でも理解しているはずだもの」
広い国土、豊かな自然に恵まれたエルグランド王国は、その分国力も高く裕福な国だ。しかし国の周囲は険しい山だったり荒野だったりで、実はほんの近年まで、諸外国との交流がほとんどない鎖国的国家だった。長い間変化もなく、悪く言えば進歩もないまま、歴史を重ねて来たのである。
しかし、人間の技術は日々進歩する。エルグランド王国は変わらずとも、荒野を渡り、山を越え、近年になって外国から、多くの人々が訪れるようになった。全く違う文化、見たこともない動植物、驚くほどの技術。彼等がもたらしたものは、良くも悪くもエルグランド王国に大きな変化をもたらしたのである。
外国へと繰り出し、新たな知識や技術、物資を持ち帰る人々は爆発的に増えた。外国との商売を始め、貴族よりよほど裕福な暮らしをする民も出始めた。王宮が秘匿していた技術などよりよほど優れた技術が、民間へと流出する。民の力は強くなり、貴族の権威は落ちる一方になっていった。
このままでは、絶対王制は立ち行かなくなる。危機感を募らせた王宮が取った策が、民間で優れた業績を上げた者に爵位を与え貴族とする、『爵与制度』であった。貴族ともなれば、国への忠誠は必須となる。いくら力があろうとも、国を脅かすようなことはできない。
結果、ここ数十年の間で、エルグランド王国の貴族はみるみる増えた。新興貴族と呼ばれる彼らは今や、王国の経済産業を支えている、その要の存在と言っても良い。彼らを怒らせることは即ち、国が財源を失うに等しいのだ。
――と、それくらいの知識は貴族間では常識である。いくらなんでも、国王がそれを知らないとは思えない。
案の定、カイは頷いた。
「俺もあの王様をちゃんと見たのは数えるほどだけど、仕事で保守を贔屓するなんてことはないよ。だから王宮では、ぱっと見保守が多いようには見えない。……ただ、後宮ではね。王様の監視がない分、人の本音が透けて見えるから」
「……保守派は、そこまで多いの?」
「侍女はまだマシ。ざっと見た感じ、六割保守派、四割革新派かな。けど、女官、何より女官長が、保守の色濃い考え方だよ」
軽い語り口調だが、カイの眼差しは鋭い。どうやら彼は天井裏を走り回っている分、色々な情報を入手できているようだ。
「ディアナ、女官長は、『紅薔薇』にはほとんど来ないでしょ?」
「女官長も、女官もね。本当に、用があるときだけ来るって感じだわ」
「……その分、『牡丹』に入り浸ってる。女官長含む女官たちは、『牡丹派』だと覚悟しておいた方が良い」
女官長が来ないのは『クレスター伯爵令嬢』に怯えているからかと思っていたが、それだけではなかったらしい。
「……ということは、『紅薔薇』に侍女が少ないのも、ささやかな嫌がらせのつもりなのかしら?」
「だろうね。侍女の数に怒ってディアナが何かやらかせば、それをきっかけに『彼女は『紅薔薇様』には相応しくない!』とか言い出す予定だったんじゃないかな。見事に裏目に出たっぽいけど」
「後宮の執務を取り仕切る一団が纏めて敵……か。厳しいものがあるわね」
「もちろん女官さんたちの中には、本音では違う考えの人もいるかもしれない。それ探るのは、そっちに任せるよ」
「えぇ、ありがとう。早速助かったわ」
お礼を言って笑顔を見せれば、カイはくすりと笑う。深い紫紺の瞳が、ディアナを見た。
「なぁに?」
「……いや、何て言うか、ホントにお貴族様らしくないよね、ディアナって」
「え、そう? まぁウチは普通とは違うけど」
「顔は置いといてさ。……あ、カートの音」
「あら、リタ戻って来たのかしら」
超人的な聴覚には驚くべきなのだろうが、『闇』は概ねそうなので、ディアナは特に反応しない。立ち上がって、戸口へ向かった。
「話あらかた終わったけれど、お茶飲んでいくでしょう?」
「良いの?」
「良いも何も、お茶のお客はカイ、貴方なんだから。飲んでいってよね」
ささやかなお礼で申し訳ないけど、という呟きには、無言だが優しい、笑顔が返ってきた。




