新たな〝未来〟の幕開け
久々のディアナ視点です。
――時は、〝側室会議〟の夜まで巻き戻る。ディアナが自室でカイと話していた頃、エルグランド王都にあるクレスター伯爵邸では。
「あー……やっぱ、そういう展開になったか。じゃあもう、ディアナが出るのは確定みたいなもんだな」
「あの子の性格ではね……皇子殿下の目論見を知った上で、それでも他の誰かに危険を押し付けるなんてことはできないでしょう」
昼間の〝側室会議〟の顛末をシリウスから聞かされたデュアリスとエリザベスが、難しい顔で唸っていた。
両親とともに話を聞いたエドワードも、同意を込めて一つ頷く。
「こういうときに逃げないディアナが誇らしくもあり、厄介でもあり……ですね」
「だな。――しかし、ディアナが逃げずに立ち向かうなら、それをフォローするのが俺たちの役目だ。あの子が万全の態勢で挑んで、守りたいものを全て守り、無事にこの国へと帰って来られるようにな」
「はい、父上」
「まずは何から取り掛かりましょうか、デュアー?」
エリザベスに聞かれたデュアリスは、しばしの間熟考して。
「取り敢えずエリーは、フィフィと協力して『エルグランド国使団』の用意を頼む。どうせ王宮の奴ら、ディアナを飾り立てるのに金なんざ出さないだろうからな」
「あらあら。『クレスター』にその手の嫌がらせは無意味だって、いい加減気付いても良さそうなモノなのにねぇ」
「ま、王宮の金で気を遣って準備するより、ディアナの私物として好き勝手使える備品にしといた方が、向こうじゃ何かと便利でしょう。俺たちがどれだけ金を使ってディアナを飾り立てたところで、どうせまた『クレスター家が金に飽かせて~』といつもの悪評が立つだけです」
「スタンザへのハッタリを考えりゃ、どれだけ派手にしたってやりすぎにはならんからな。幸い、ウチのディアナは絢爛豪華な服装と装飾が全力で似合うわけだし、ここは一つ思いっきりやってくれ」
「分かったわ。任せて」
エリザベスに『国使団』の世話を振ったデュアリスは、次いでエドワードに視線を移す。
「エド。ここから先の社交はこっちに任せて、お前はガントギアへ行ってくれ」
「承知致しました。……で、何を優先的に作りましょうか?」
「向こうの人手も限界あるだろうから、あんまり無茶は言えんが。最優先で、まずは船――今、開発を急がせている快速船を完成させろ。後は武器だな。荒事を想定したくはないが、万一の場合を考えて、スタンザより二段階か三段階程度進んだ火薬武器が欲しい」
「快速船に関しては、スタンザ国使団が来国することになった時点で、最悪の可能性を考えて大急ぎで開発を進めていましたからね。後は実用試験と、実際にそれを動かせる腕のある水夫の選定を残すのみとなっていたはずです。火薬武器開発も同じく……お誂え向きに、ついこの間ディアナが森でスタンザの最新火薬武器を手に入れてくれたお陰で、性能比較も容易にできるようになりましたよ」
「本人の前では言えんが、アレで今のスタンザの技術レベルが概ね分かったことを考えれば、かなり助かったな」
「絶対に言わないでくださいよ。あの無茶が役立ったなんて分かれば、ディアナが今後ますます自重しなくなるのなんて目に見えてます」
「だよなぁ。……せめて、自分のことも守りつつ無茶をしてくれれば良いんだが。今のディアナの無茶はどこか捨て身で、黙って見守るのがなかなかに厄介だ」
デュアリスはいつだって、子どもたちの自由を尊重し、信頼し、手を離して見守ってくれる。口出し手出しする方がよほど楽だろうに、決して己の思いは押し付けずに。
悩みの渦中にいるときは、分からないけれど。後から思い返したとき、自分は確かに父の深い愛に守られていたと知る。デュアリスの愛情はまるで、目には見えない空気のようだ。……なければ生きてすらいけないのに、普段はあることも意識できない。
今も。ディアナが全力で己の道を邁進できるよう、ディアナの知らないところで、デュアリスは動き続けている。
「ディアナをスタンザへ送ろうと画策した〝誰か〟については、俺とマーチスで調べておく。王宮のことはこっちで何とかするから、お前はガントギアに集中してくれ」
「分かりました。――良い機会ですから、色々勉強させてもらいますよ」
――そうして、エドワードは翌日、クレスター領ガントギア特別地域へと発ち。
エリザベスとフィオネは、最低限の社交をこなしつつ、短い時間で完璧以上の『エルグランド国使団』を仕上げるべく、駆け回り。
デュアリスは密かに王宮へと詰め、事態の推移とそれを主に煽動している人物は誰かを注視しつつ、調べ物を続け。
更に。
「……なるほど。末姫様の〝運命〟は、やはりそう簡単に逃してくれはしないようですね」
一家が王都へ出るのに合わせ、同行してくれたソラも。
「末姫様がスタンザ帝国へ赴かれるとなれば、カイもどうにかしてついて行くでしょう。――ならば、どのような事態に陥っても切り抜けられるよう、あれが使える呪符を用意しておきます」
クレスター家では対処不可能な霊術方面のサポートを引き受け、更にカイが戻ってくるまで、後宮の留守番までも二つ返事で受けてくれたのだ。スタンザの『エルグランド国使団』とエルグランドの後宮、黒獅子親子がこの二点を『遠話』で繋いでくれたことで、いざというときも迅速に動くことができるようになった。
そう。まさに――。
「スタンザ側が、一度手に入れた〝人質〟を簡単に返してくれる可能性は低いと思ったから、大急ぎで快速船を完成させてはいたけどな? まさかお前が『聖女』とか言われて、無理やりスタンザ皇妃にされそうになるとか、誰が想像するよ。おかげで、処女航海の船にかなりの負担かけることになったわ。操船引き受けてくれた方々の腕が良くなきゃ詰んでたとこだ」
久々に会った兄に、予想はついていたが全力で怒られる。実際、ディアナの想定が甘かったことは確かなので、反論できずに肩を落とした。
「ごめんなさい……。まさか、スタンザ帝国で『森の姫』の霊力が『聖女』として崇められてるなんて思わなくて」
「霊術は誰にでも使えるもんじゃないからな。モノによっちゃ人間離れした〝奇跡〟が扱える分、宗教との親和性も高い。お前も自分の特異性を理解したなら、これからはもうちょいそっち方面にも興味を広げる努力をしろ」
「はい。……お手数をお掛け致しました」
「さっきも言ったが、謝るのは俺じゃなく、父上と母上にだ。あと、礼もな。父上と母上にはもちろんだが、ここまで操船してくれた水夫の皆様方にも、ちゃんと御礼しろよ」
「それは、もちろん。……でも、よくこんな短期間で、最新の快速船を動かせるだけの腕をお持ちの水夫さんたちを見つけられたわね?」
「俺たちだけじゃ無理だったよ。レティシア嬢の口添えで、キール伯爵様がご紹介くださった」
「レティが?」
「スタンザ帝国がそう簡単にディアナを手放すわけがない。ならば、こちらから迎えに行くしかないが、そのためには腕の良い水夫が絶対に必要になるから――ってな。ずっと、ご自身の得意分野でお前を救う一助となれるよう、動かれていたらしい」
引っ込み思案なようでいて、ときに思いもよらない根回しの良さと大胆さを発揮する。レティシアらしい〝援護〟に、ディアナは胸が温かくなった。
「そっ、か。じゃあ、レティにもお礼しなきゃ」
「そうしろ」
一つ頷いて、ようやくエドワードはありのままの、知らない人には少し胡散臭くも見える笑みを浮かべる。
「何はともあれ――頑張ったな、ディアナ」
「……えぇ、お兄様。皆のお陰で、頑張れたわ」
頷いたところで、扉向こうから慣れ親しんだ気配が近付いてきた。待つほどもなく扉が開き、ミアを先頭にユーリ、ルリィ、アイナ、ロザリーが次々と室内へ飛び込んでくる。
「ディアナ様!」
「ディアナ様……良かった、ご無事で」
ようやく合流を果たした仲間たちの手を、ディアナはしっかりと握った。
「あなたたちも……無事で良かった。わたくしの考えが甘かったせいで、苦労をかけてごめんなさい」
「何を今更。ディアナ様がここ一番で抜けていらっしゃるのなんて、今に始まった話じゃありませんよ」
「えぇ、まったく。今回はまだ、ご自身を守るために動かれた方では?」
ミアとユーリの辛辣な言葉に、残り三人もうんうん頷く。相変わらずな彼女たちに、ディアナは脱力して笑った。
そんな自分たちを間近で見ていたエクシーガが、苦笑しつつ口を開く。
「……よろしいのですか? 一人、足りていないようですが」
「足りてないどころか、〝あれ〟のことだからどうせ、最初からずっとこの部屋のどっかに潜んで話聞いてるだろ。……の割に、『通詞』が発動してないっぽいけどな」
「――途中までは発動させてたって。エドワードさんがいきなりエルグランド語で話し出すから、慌てて切ったんじゃん。ああいう打ち合わせにないことしないでよね、心臓に悪い」
文句とともに、どこからともなくカイが降ってくる。いつもの黒装束、顔も覆って目元だけを出している、ほぼ完全な隠密スタイルだ。
――エルグランド勢はもとよりこの場に残ったスタンザ帝国の面々も、カイの登場に一切驚かなかった。エクシーガとブラッドも……バルルーン翁と、皇帝陛下もだ。
かつん、と軽い杖の音とともに、皇帝陛下が立ち上がる。
《……これで、この度の功労者が揃ったか》
《そうなりますかね。――カイ、通訳が面倒だ。『通詞』使え」
前半の受け答えをスタンザ語で、カイヘの指示をエルグランド語で出すエドワードは、完全に二言語をマスターしたようだ。……ガントギア特別地域で作業の指示を出しつつ、語学学習しつつ、更にシリウスに繋いでもらいながらソラから手ほどきを受け、簡単な霊術と呪符の扱い方を会得した兄は、相も変わらず化け物じみている。
――カイが『通詞』を発動させたのを確認したエドワードは、再び纏う雰囲気をがらりと変え、杖をついて近づいてきた皇帝に向かって、他国の王族に対する正式な礼を執った。
「――ご挨拶が遅くなりまして、誠にご無礼を致しました。エルグランド王国貴族、クレスター伯爵が長子、エドワード・クレスターと申します。この度は、妹が大変お世話になりました」
「面を上げられよ、クレスターの若君。余に礼は必要ない」
静かに言葉を紡いだ皇帝陛下は、エドワードが姿勢を正すのを待って。
「礼をせねばならぬのは、我々じゃ。――エルグランド王国にとって決して喪えぬ至上の宝であろう妹君を、今、このときにスタンザ帝国へ送り出してくださったこと、幾重にも御礼申し上げる」
実感を込め、深々と、頭を下げた。――人払いを済ませた、関係者しかいない非公式の場とはいえ、スタンザ帝国の皇帝がいちエルグランド貴族に過ぎないエドワードに向かって、神への拝礼にも近い深さの礼をしたのだ。
若い世代のエクシーガ、ブラッドが素直に驚愕を表情に乗せる中、こちらも杖をついてやって来たバルルーン翁が穏やかに微笑む。
「まこと、陛下の仰せのとおり。姫君はスタンザ帝国にとって、混迷の中差し込んだ一条の光。……エルグランド王国の皆様方が望まれたことではなく、我々の身勝手さゆえに大変なご苦労をお掛けしたがの」
「……それを謝罪せねばならないのは、バルルーンではなく私だ。――クレスター殿、改めて申し訳なかった」
三人から頭を下げられたエドワードは、むしろ困惑してディアナを振り返った。
「いえ、苦労したのは私よりも妹なので、私に礼も謝罪も必要ありませんが……てかディアナ、お前何したんだ? 皇妃ルート一直線って聞いてたから、こっちはかなり急いで来たんだが」
「いえ、特に何も……皇帝陛下の病の治療に当たる中で、奥の方々や御典医の皆様方とお話は致しましたし、昨晩に目覚められた皇帝陛下ともお話申し上げましたが、取り立てて特別なことはしておりません」
「……本当か、リタ?」
「まぁ、ディアナ様としては、特別なことはしていらっしゃらないと思いますよ。単に、いつもの無自覚天然人たらしを発動させて、奥の方々を懐柔なさっただけですから。おかげで二日目くらいから見張りがつかなくなって、カイとのやり取りも気を遣わずできるようになって、かなり楽でしたね。ディアナ様を皇妃にと目論んでいる方々には、奥の皆様方が適当に言い繕ってくださっていたみたいで、こっちが情報操作する手間も省けましたし。帰る前にきちんとお礼をしなければ」
「あー、どおりで二日目くらいから廊下の見張りがいないなぁって思った。アレ、人手不足とかじゃなくて、単純にこっちに気を遣ってくれてたんだ。――お医者さんモードのディーはクレスターの悪評が霞んで消える程度には神々しいから、懐柔されるのもわかるけどね」
……何だろう。褒められているはずなのに、まるで褒められている気がしない。普通に話しただけなのに、〝無自覚天然人たらし〟とは酷い言われようである。
――と、いうか。
「人たらし云々を言うなら、私よりもカイでしょう? イフターヌの港からこの『朝議の間』まで、お兄様たちをどうやって妨害なしに通したの?」
「残念でした。それもディーが無自覚に八割方仕込んでたよ。――ね、ブラッドさん」
さらりと答え、カイは軽やかに笑った。
――皇帝陛下が倒れ、ディアナが覚醒したての霊力で彼の生命を現世に留め、皇宮殿の奥へと軟禁されてから。ディアナとリタを除く『エルグランド国使団』の面々は速やかに後宮へと戻され、与えられた部屋へと押し込まれた。
これまでとは違い、近くであからさまな見張りの視線を感じる中、カイは呆れて呟く。
「……てか、さ。どれだけ近くで見張ったところで、スタンザ後宮にエルグランド語できる人が居ないんじゃ、さして見張りの意味ないよね」
「ですよね。こっちがどれだけ大声で話したところで、あちらにその内容が筒抜ける心配はないわけですから」
情報収集の達人、ルリィも同じく呆れ顔だ。他も考えていることは同じらしく、「逆に大丈夫かスタンザ帝国」と顔が語っている。『エルグランド国使団』の動きを完全に止めたいのなら、エルグランド語もろくに理解できていない女性ばかりの後宮に閉じ込めるのではなく、最低でもエルグランド語が理解できる者を近くに置いて監視させねばならないはずだが、あちら側にその発想はないらしい。
「……ここに来て、ディアナ様が仰っていた〝切り札〟が生きましたね。後宮で敢えてスタンザ側の動きに応戦せず、ただ受け流し続けることで、こちら側を無力と侮らせる。そうすればいざ有事の際に、向こうは我々を何もできぬ無能だと油断し、身柄の拘束といった強硬手段は取らないだろう――と。まさに、読み通りです」
「怖いよねぇ、クレスター家。お人好し臨界突破のディーですら、読みにハズレがほとんどないんだもん。こんなのが世代を越えて守護してる国なんて、俺なら頼まれても敵に回したくないよ」
「えぇ、本当に。――それで、これからどうしましょうか?」
「取り敢えず、俺は父さんに連絡して、エルグランドから迎えに来てもらうようにするから。俺の声が紛れるように、そっちで適当に話しといてもらえる?」
――そうして、カイからソラへ、ソラからエルグランドへ、国使団の状況はほぼタイムラグなく伝わり。ちょうどエドワードが、キール伯爵から紹介された水夫たちに最新の快速船を引き渡し、操作などを一通り確認し終えたタイミングだったのもあって、即日、迎えに行くことが決定した。もともとデュアリスが、「どうせスタンザ帝国はディアナを帰したがらないだろう」と踏んで、密かにヴォルツやジュークと迎えの段取りを整えていたため、保守派も革新派も反対のしようがなかったらしい。この段階では皇妃云々の話はまだ影も形もなく、少し海が荒れ気味だったのもあって「万一帰って来られないと困るから、スタンザへ連絡してこちらからも迎えを出そう」という体にしたそうだが、それがスタンザの言い訳とぴったりハマったのは偶然である。
エドワードがガントギア特別地域から船を出したタイミングで、カイたち『エルグランド国使団』も帰国に向けて準備を進めた。荷造りはもちろんのこと、スタンザ帝国で何があったのか、ディアナが何を成し遂げたのかといった細かい記録作業や、〝お世話〟になった人々への返礼準備など、するべきことは意外と多い。ミア、ユーリを筆頭に王宮組が細々と動いてくれたお陰で、カイもその動きに紛れて頻繁に後宮を抜け出し、イフターヌの街へ降りることができた。――もちろん、エルグランド船がイフターヌの港へ着いてから、誰に邪魔されることなく皇宮殿へと辿り着く下準備のためだ。
真っ先にカイが頼ったのは、こちらの事情を粗方知っているブラッド。そして、ブラッドを伝手に、アルシオレーネの父親であるテバラン博士。
さらに――。
「港から皇宮殿まで、皇都警備隊の動きはブラッドさんに抑えてもらうとしても、大通りが人で溢れてちゃどうしようもないからね。賭けではあったけど、サージャさんに事の次第を話して、協力をお願いしたんだ」
「サージャさんに……?」
「うん。ディーが『伝説の聖女』と同じ力を持ってるって分かったら、逆にスタンザへ居て欲しいって願われる可能性もあったから、賭けではあったけどね。ただ、実際にサージャさんを見た王宮組の人たち曰く、ディーの気持ちを無視してまで自分たちの救いを求めるような子には見えないって話だったし」
「えぇ、そうね。私もそう思う。……それで、サージャさんが協力してくれたのね?」
「大まかな経緯を話したら、『何てことを』って逆に青ざめてたよ。ディーが本物の『伝説の聖女』なら、その意志を無視して非道を強いれば、スタンザに災いと破滅をもたらすことになる、って。――なんでもサージャさんの母方の一族は、遠い昔にスタンザ帝国に滅ぼされた国で、代々巫女の役割を継いでたんだって。だからサージャさんのお母さんは各地の神話とかにも詳しくて、色々教えてくれてたらしいんだけど、どうやら『聖女』の伝承はこっちの大陸でも国によって伝わり方が微妙に違ってたみたいだね。サージャさんの国では『聖女』は不可侵の象徴、人が我欲で求めてはならぬ神聖な存在で、破った者はもれなく神の裁きによって滅びを迎える、って言い伝えみたいだよ」
「へぇ……そこまで大袈裟に語られるのもどうかと思うけど、もしも『聖女』と『森の姫』が同一の存在だったとしたら、『聖女』を狙った時点で『賢者』による排除対象にはなったでしょうから、サージャさんの国に伝わってた方がまだ真実には掠っているのかしらね?」
ディアナの相槌に、カイは笑いつつ頷いて。
「かもね。けど、サージャさんが躊躇わずに協力してくれたのは『聖女』云々あんまり関係なくて、『ディアナ様が望むなら、お国へお返しして差し上げなければ』って気持ちが断然強かったからだよ。……貧民層の人たちは、もともと別の国の人で、スタンザ帝国の横暴にずっと搾取され続けてきたわけだから、ディーが同じように囚われるのを他人事とは思えなかったんじゃないかな」
「そ、う……」
「サージャさんが、あの界隈の貧民街の人たちに話を通してくれて、貧民街の人たちが北区の住民を上手に言い包めて大通りを空けさせて。テバラン博士が大学紋の入った馬車を用意してくれて、ブラッドさんが皇都警備隊を抑えてくれて、そのお陰で止められることなく皇宮殿まで一直線だったってワケ。建前としては『エルグランドから来た高明な学者が、イフターヌ大学の仲介で皇宮殿に招待される』って感じ。これなら止める理由もないから、皇都警備隊も動きようがないし。――ね? ほとんどディーが自分で繋いだ縁で、俺は話を通しただけだから、どう考えても人たらしは俺よりディーの方だよ」
……言われてみれば、そうかもしれないが。別に、いざというとき助けてもらおうという打算でサージャと縁を繋いだわけではないので、やはり〝人たらし〟と言われるのは納得し難い。
唇を尖らせつつ、ディアナはカイに残った疑問を投げる。
「皇宮殿まではそれで何とかなったとして、その先は?」
「中まで入ればこっちのもんでしょ? 仮に衛兵さんに止められたとしても、エドワードさんの障害になるわけないし。適当にいなしてここまで来たんじゃないの?」
「……いや。マジな話、道案内されるくらいの勢いでここまで来たぞ?」
三者三様、頭上に疑問符が浮かんだが、何となくディアナには答えが見えつつあった。
ずっと静かに自分たちの会話を聞いていた皇帝陛下を振り返る。
「陛下……でいらっしゃいますか? お助けくださったのは」
「……さて、どうかな。余がこの国でできることは、本当のところ、それほど多くはない。皇宮殿の者たちがエルグランドの使者殿を受け入れたとて、それはおそらく、〝余〟の命によるものではなかろうよ」
「陛下……」
呆然とした表情で、エクシーガが皇帝を呼ぶ。……無理もない。おそらく、今エクシーガの前にいる皇帝陛下は、これまで彼が見知った〝皇帝〟とは何もかもが違うだろうから。
そんなエクシーガへ、皇帝陛下は苦く笑った。
「エクシーガ。できればそなたには、皇宮殿の闇に関わることなく、自由な道を歩んで欲しかったが……やはりそなたはアイシスの子じゃな。己の信念を曲げず、困難に怯むことがない――その眼差しは、よう似ておる」
「……っ、母、を、憶えて」
「忘れぬよ。……忘れられる、ものか。生涯で唯一、心の底から愛した女を」
エクシーガの切れ長の目が、限界まで見開かれた。息を呑み、ただ皇帝を凝視する彼からは、言葉にすら出せない深い驚愕が見て取れる。
目を伏せる皇帝に、バルルーン翁が短く嘆息した。
「……そんなことではないかと、思っておりましたよ」
「余の心中はそれほど透けておったか?」
「いいえ。ですが儂とて、伊達に長くお仕えしていたわけではありませんからな。兄を通していた分、陛下のすぐ側においでの方々よりも、冷静に事態が見えていた部分もあるでしょう」
「……そう、か」
「とはいえ、儂も確信を持ったのは、随分と後になってからでしたがの。陛下が皇妃殿下をお迎えすることを強く拒絶されるようになったのは、アイシス様と五番目の皇妃殿下を続けて亡くされてから。お二人のどちらかを想われていたがゆえであろうとは、兄と話しておったのですが。――エクシーガ殿下に対する陛下のお振る舞いを見て、もしや、と」
バルルーン翁の言葉に、エクシーガが再び動き出した。顔をバルルーン翁に向け、疑問を口にする。
「陛下が、私に……? 覚えがないが、何かなさっていたのか?」
「逆です。あまりにも、陛下はエクシーガ殿下に無関心が過ぎました。御生母様の身分が低い皇子殿下ゆえと、周囲は不自然に感じなかったようですが、若かりし頃の陛下を僅かでも知っている身としては、違和感がありましてな」
「バルルーン、そなた……」
「どういう、ことだ?」
皇帝陛下と、エクシーガ皇子。
二人の皇族の視線を受けたバルルーン翁は、どこか昔を懐かしむように目を細める。
「儂には……陛下が必死で、エクシーガ皇子を視界に映さぬようにしていらっしゃるように見えました。心を殺し、ひたすらに、無関心を装って」
「それはつまり、どういうことなのだ?」
「……」
「愛して、いるから――では、ありませんか?」
バルルーン翁の口からでは、言いづらいだろう。余計なお節介かとは思ったが、ディアナは横から口を挟んだ。
全員の視線が注目する中、切なく微笑んで。
「身分低い御生母様からお生まれになった幼い皇子殿下を、皇帝陛下が特別にご寵愛すれば、妬み嫉みからどんな仕打ちを受けるか分かりません。ですが、皇帝陛下はきっと、そう痛いほど理解してなお、殿下を愛さずにはいられなかった。一度視界に留めてしまえば、自身の理性では止められないほど深く、殿下を愛していらしたのです。だからこそ無関心を装い、殿下を視界に映さず距離を取ることで、皇帝の寵愛を狙う者たちの醜い嫉妬心から殿下を守ろうとされた。――ご自身の愛情が、巡り巡って殿下を苦しめかねないと危惧されたからこそ、離れる道を選ばれたのでは?」
エクシーガが息を深く吸い込んで、無言のまま皇帝を見る。目を伏せたままの皇帝は、僅かに震える手で、ぐっと杖を握り直した。
「……余、ではない。クシーを思うなら何もしてくれるなと、アイシスがそう言った」
「母、が」
「そなたの母は、な。吹けば飛ぶような可憐で儚げな見目ながら、その芯は誰よりも強く、賢明でしたたかな女子であったよ。……アイシスに出逢わなければ、余は今でも、本当の意味で〝女〟を知らずに過ごしていた」
「陛下……」
「女が、自らの意志で、自らの力だけで、強く気高く立てること。大切なものを守るため、勇猛果敢に闘うこと。……己の命尽きた先までも、永遠に深く人を愛すること。――全て、アイシスが余に教えてくれたことだ」
何か言いたくて、でも言葉が見つからない様子で黙ってしまったエクシーガは、突如として見知らぬ土地へ迷い込んだ幼子のようだ。
ディアナは微笑して、皇帝陛下の方を向く。
「素晴らしいお方なのですね。エクシーガ殿下の御生母君――アイシス様は」
「そうさな。アイシスが余に与えたものは多い。……真の愛も、愛する女との間に子ができる幸福も、父親の誇りも。全て、アイシスが与えてくれた」
「……であれば、離れることでしか殿下を守れぬ日々は、お辛いことでしたでしょう」
「致し方ない。それが〝皇帝〟で……シスと交した、最期の約束であったからな」
ふっ、とため息混じりに笑い。
皇帝陛下は、おもむろにカイを振り仰いだ。
「幕裏から、見ておった。エクシーガが斬られそうになったあのとき、救ってくれたのはそなたじゃな?」
「……見えたんだ?」
「はっきりと、ではなかったが。上の方から何かが飛んできたと思ったら、あれが剣を取り落としていた。……方向からして、扉前にいらしたエルグランドの方々ではなかろう」
確信を抱いて見つめられたカイは、数拍の間、沈黙して。
「……まぁ、救ったといえばそうなるのかもしれないけど」
「そう、か。そうか――」
皇帝は、先程エドワードに下げたよりも深く、カイに向かって頭を下げる。
「感謝する。エクシーガを、我が息子を、よくぞお救いくだされた――!」
「……気持ちは分かったから、顔を上げてよ。病み上がりのお年寄りに頭を下げられるのは座りが悪いし、俺としては別に感謝されるほどのことしたわけでもないからさ」
カイは本気で困っているらしく、滅多にない様子でウロウロと視線を彷徨わせている。
バルルーン翁が進み出て皇帝陛下を支え、面白そうにカイを見た。
「ほほう。謙虚な御仁じゃの」
「いや、謙虚とかじゃなくて。そこの皇子サマはディーにとっても知らない相手じゃないし、あの場面で斬られちゃったら絶対気に病むだろうって思って介入しただけ。正直、俺個人としては皇子サマがどうなろうがマジでどうでも良いから、感謝されると本気で座りが悪いよ。――そういうわけだから、お礼ならディーに言って。ディーが居なきゃ、あの面倒な場面で割って入ろうなんて思わなかったからさ」
「……そこで私に振られても困るんだけど。あなたがしたことなのに、どうして私がお礼を言われるの?」
「俺が動くのはいつだってディーのためなんだから、〝ディーのお陰〟って結論になるのは少しも変じゃないよ?」
「そういうの屁理屈って言わない?」
「言わない言わない」
「……もう面倒だから、お前ら二人揃って礼を言われとけ。それなら問題ない」
呆れ顔のエドワードにすっぱり切られ、何となく納得させられてしまう。
そんな自分たちを見て、皇帝とバルルーン翁が声を立てて笑った。
「いやはや、似合いのお二人であるな」
「ほっほ、まことに。〝星〟の導きには描かれぬお二人ではありますが……だからこそ、先が楽しみに思えます」
「……ディー、このお爺さんたちに俺たちのこと、話した?」
「話してないけど……隠してもないから、普通にバレてる気はしてた」
「まぁ、隠せそうにない人たちだもんね。隠す努力するだけ無駄か」
「えぇ。それに、私のことは話してないけど、皇帝陛下にジューク陛下とシェイラのことはお伝えしたわ。お話を伺って、どうやら利害は一致しそうな感じだったから」
「利害?」
エドワードの問いに、皇帝陛下が静かに頷いて。
「左様。詳しくは、ディアナ姫にお伝えしたが……今後、エルグランド王国とは末長い友好関係を維持できればと考えておる」
「侵略だとか戦だとか、そういう物騒な話は抜きに、対等な国同士としてお付き合いを、ということでしょうか?」
「随分はっきりと仰る使者殿じゃ」
「私はもともと、正式な政の場で口八丁を駆使する立場にないもので。曖昧な表現で煙に巻くのは、また別の者の仕事なのですよ」
穏やかに話しながら、エドワードはさすがの胆力で、一国の皇帝相手に堂々と渡り合っている。曖昧な言葉は自分には通用しないから、明確に要点を述べよと遠回しながらはっきりと皇帝陛下に突きつける度胸は、単純に凄い。
エドワードとしばらくの間、無言で視線を交わした皇帝陛下は、やがてゆるゆると笑った。
「侵略、も何も。エルグランド王国と戦って勝てるなど、最初から考えておらんよ。戦となったが最後、こちらが属国化する未来はあれど、そちらが屈する未来はなかろうて。対等な付き合いとは、むしろこちらから願い出ねばならんことじゃ」
「……ほぉ、意外なお言葉です」
「今回の件を通し、エルグランド王国の誠はよう分かった。――余はもう永くないが、余の子、孫、曾孫と世代を越えて、貴国とは友好関係を築いて参りたい」
皇帝陛下の言葉を聞き終えたエドワードは、目上の者に対する正式なエルグランドの礼をして。
「――皇帝陛下のお言葉、確かに拝聴仕りました。間違いなく我が国の王、ジューク陛下にお伝えしますこと、お約束申し上げます」
〝使者〟として皇帝陛下の言葉を受けたことを表明した。
エドワードの返事に、皇帝は安堵したように大きく頷く。
「ありがたい。ぜひ、お伝え願う。……余は、少し疲れた。休むとしよう」
「陛下」
「エクシーガ、バルルーン。後のことは、そなたらに任せる。エルグランド王国の方々が無事に我が国を出国できるよう、よしなに取り計らうように」
静かに命じ、皇帝陛下は幕の横についていた紐を引いた。奥に通じるそれを引けば鈴が鳴り、すぐに侍従がやって来る。
侍従を待つまでの、僅かの間。エクシーガが、進み出た。
「陛下。いえ……、父上」
「……何だ」
「此度の後始末が落ち着きましたら――母との想い出話をお伺いしても、よろしいでしょうか」
「――……あぁ」
言葉少なに頷いた皇帝陛下。
けれど確かに、その瞳は、アイシスとエクシーガへの、溢れんばかりの愛情に満ちていて。
「ありがとうございます、父上」
「礼を述べるは、余の方じゃ。……クシー、よくぞここまで、生き延びてくれた」
彼が情深い、温かな人であることを、教えてくれる。
やって来た侍従に支えられ、皇帝陛下がゆっくりと退出するのを見送って、ディアナは静かに息を吐いた。
「……遠く、離れて。自らは決して触れないことで、相手を守る。そんな〝愛〟も、あるのね」
「凄いよねぇ。俺は絶対、真似できないよ。大切な相手を自分の手で守ることもできないなんて、改めて、高い身分になんかなるもんじゃないって思っちゃった」
「ま、お前はそうだろうな」
エドワードが呆れつつ頷く。
ブラッドと何やら言葉を交わしていたエクシーガが、自分たちの会話が途切れるのを待って近づいてきた。
「クレスター殿。ひとまず、皇宮殿の奥にお部屋をご用意致しました。船の用意もあることでしょうから、今夜はこちらでおもてなしさせてください」
「ありがとうございます。食糧や燃料補給の都合もありますから、今晩はこちらに留まって、明日の朝、出立しようと考えていました。お言葉に甘えて、お世話になります」
帰国に向けての段取りが組まれ始めたことで、ようやく帰れるらしいと、ディアナはほっと胸を撫で下ろすのであった――。
ぶっちゃけますと、スタンザ編の新キャラの中で私が一番好きなのは、紛れもなく皇帝陛下です。
スタンザ編を書き始めるまで、彼がこんなお方だとはまるで知らなかったのですが、内情を明かされれば明かされるほど、「めちゃくちゃ格好良い小父様じゃないですか……!」となりました。
皇帝陛下とアイシスさんのラブロマンスとか超書きたいけど、本筋には関係ないから、書くならスピンオフ扱いになるんですかね。でも、いつか書きたい。
さて。長かったスタンザ編も、いよいよ来週で幕引きです。
ディアナたちの旅の終わりを、どうか見届けてあげてください。




