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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
186/243

覚醒め

いつもコメントありがとうございます!!


《陛下……!》


 呼ばれた、医術者と思わしき男たちが駆けつけたそのとき、大広間は混乱の坩堝にあった。倒れ伏した皇帝陛下の周囲には、宴に出席していた皇族(年齢から見て、皇子たちだろう)や側近たちが群がり、その外側をその他の出席者たちが取り囲んでいる。――少し前まで広間の中央にいたブラッドは、この異常事態に素早くアルシオレーネを目立たない壁際へと避難させていた。初対面時から思っていたが、彼は空気を読んで立ち回るのが実に上手い。

 駆けつけた医術者たちは、わたわたしながら人混みを潜り抜け、皇帝へと近づいていく。


《陛下――》

《おぉ、来たか!》

《遅いぞ!》

《――何をしていた! すぐに、陛下をお助けせよ!!》


 一際大きな声で命じた男は、皇帝陛下を除けば大広間の中で最も煌びやかで派手な衣服を身に纏っていた。服装や外見年齢から察するに、おそらく彼が、この国の第一皇子だろう。

 叱責された医術者たちは、青ざめながらもテキパキと動き、皇帝の診察を始める。衣服を緩め、脈拍、呼吸、胸の音の確認など、大まかな内容はエルグランドの医療と変わらないようだ。

 この診断で、皇帝陛下を動かしても問題ないと分かれば、場所を寝室へと変えて本格的な治療が開始されるのだろう。――通常ならば。


《……!!》


 果たして、ディアナの予想通り。

 主に皇帝陛下の触診を行なっていた、おそらくは主治医であろう初老の男性が、絶望の色を瞳に乗せて固まった。僅かに震えた手は、それ以上皇帝に触れることはなく、ゆっくりと引かれる。

 取り囲んでいた者たちが、ざわりと揺れた。


《何をしている! 早く、陛下の治療に取り掛かるのだ!》

《第一、皇子殿下……しかし、》

《貴様は、国一番の名医という評判を買われ、宮殿(しろ)へ上がったのであろう。スタンザ一の名医であるということは、即ち世界で最も優れた医者であることに他ならぬ。貴様に治せぬ病などないはずだ!!》


 ……こんな論理の欠片もない三段論法は初めて聞いた。スタンザの第一皇子は確か四十代半ばのはずだが、道理を知らぬ頑迷な子どもの如き言い分である。生母の身分は申し分なく、ほとんど病をしない健康な身体、正妃と側室を幾人も持ち、後継も豊富な彼が皇太子宣下されていない理由は諸説あったが、本人を見れば納得するしかない。


《殿下……どうか、私の話を、》

《黙れ! 貴様如きが私に意見するつもりか!!》

《あ……》

《貴様がするべきはただ一つ、陛下をすぐさまお助けすることだ! ここで陛下のお命を救えぬは大罪――即刻死罪であると心得よ!!》


 第一皇子の宣言に、主治医だけでなく、彼についてきた医術者たちも顔色を真っ白にする。……主治医の口からはっきりした言葉は得られなくても、彼らとて専門家(プロ)だ。ざっとした視診と、何より主治医の様子から、皇帝陛下の命が風前の灯であることは察しがついているのだろう。

 もう助からない命を救え、できなければ死罪――それは彼らにとって、皇帝の命と自分たちの命が紐付けられ、死刑が確定したに等しい宣告といえる。


《第一皇子殿下!!》


 恐怖が場を支配しようとした瞬間、ディアナにとって馴染みのある声が空気を裂いた。後ろの方でずっと成り行きを見守っていたエクシーガが、どうやら黙っていられなくなったらしい。


《殿下。かような仰りようでは、主治医殿も萎縮されてしまいます》

《何を言う。陛下の主治医たる者、己が命をかけて陛下の救命に取り組むは、当然のことではないか》

《物事には、程度というものがございます。……このように深刻な状況下で、処置に当たる人間を無闇に追い詰めては、最高の施術など望むべくもないでしょう》

《何を馬鹿な》

《恐怖による支配は、決して良い結果をもたらしません。専門家に対しては、なおのことです。――僭越ながらお願い申し上げます。主治医殿のお言葉を、まずはお聞きください》


 第一皇子と、第十八皇子(エクシーガ)。同じ皇子身分ではあれど、母親の身分や生育環境から、両者の立場には天と地の開きがあったはず。

 しかし、今。態度としてはあくまでも遜りながら、堂々とした立ち居振る舞いで第一皇子に意見するエクシーガは、皇族として決して見劣りしていない。むしろ、落ち着いた態度、理路整然とした話し運び、主治医を思い遣る器の大きさなどで、明らかに第一皇子を圧倒していた。

 ぐ、と第一皇子が黙らされたタイミングで、主治医がガバリと平伏する。


《畏れながら、申し上げます。――国一番の名医の誉を受けながら、誠に申し訳なきことながら……今の私の医術では、皇帝陛下をお救いすること、叶いません》

《な――何を言う!》

《どのような病もたちどころに治癒させる医者など、この世には存在しないのです。……少なくとも、今の時代、人間が施せる医術には限界がございます》

《貴様!!》

《――陛下をお救いできぬことは、私の罪! この咎は、責めは、どうか私一人に負わせてくださりませ。……弟子たちには、関わりなきこと》

《先生……!》


 主治医の陳情に、第一皇子の気配が剣呑になっていく。……もはや誰も倒れた皇帝陛下のことは気にかけず、第一皇子の言動ばかりが注視されていて。


(……駄目。このままでは)


 皇帝陛下に刃を突き刺そうとしていた死の神が、思わぬ獲物の追加にほくそ笑んでいるのが分かる。――もう、猶予は、ない。


 深く、深く、息を吸う。感じるのは、エルグランドのものとはまるで違う、乾いた砂と風の気配に満ちた、スタンザの空気。

 それでも。ディアナの足が地面と繋がっている限り……この霊力(スピラ)が使えなくなることは、ない。

 気配がどれほど違えども――……〝大地〟が〝生命〟を育み、与えてくれることに、違いはないのだから。


(大丈夫。――できる)


 確信を手に、立ち上がろうとした、


 そのとき。


「ディー」


 背後から、強い力で腕を引かれる。振り返ると、険しい表情のカイがディアナの腕を取り、その後ろから青ざめた顔でリタがこちらを凝視していた。


「カ、イ」

「ディー……何する気?」

「……分かるでしょう?」


 カイならば……今、ディアナの身に〝何〟が起こったのかなど、一目瞭然であるはずだ。

 そして、リタも。霊力(スピラ)を察することはできずとも、この場面でディアナがどう動くかなんて、火を見るより明らかのはず。

 ……ディアナの返答に、腕を掴むカイの力が強くなった。


「分かってるよね? ここで、ディーが〝それ〟を使うことが、何を意味するか。――どんな結果を、導くか」

「分かってる。……全部、分かってる、つもりよ」

「……〝人間〟(サイド)のゴタゴタは、俺たちでどうにかできるかもしれない。でも――」

「そっちも、分かってる」


『森の姫』が操る霊力(スピラ)にはいくつかの効果があるが……生命の〝声を聴く〟、〝育む〟だけならともかく、〝与える〟となると代償を捧げるのは避けられない。

 ディアナの〝核〟――魂の芯とも呼ぶべき〝それ〟を削らねば、他者に生命を〝与える〟ことは、どう足掻いてもできないのだ。


(カイは、それを案じてる。……歴代の『森の姫』が、奇跡の代償に短命の〝運命(さだめ)〟から逃れられなかったことを、きっともう、このひとは知っているだろうから)


 ディアナの中の霊力(スピラ)が完全に覚醒(めざめ)た今――歴代と同じ〝運命(さだめ)〟はきっと、ディアナの身にも降りかかる。ここで一歩を踏み出すことは、その幕開けに他ならない。

 ――でも。


「それでも、私はどうしたって、目の前の〝生命〟を素通りはできない。――救える生命を前に、自分を守る道は、選べない」

「ディー……」

「――大丈夫」


 確信を持って、ディアナは応える。――絶望ではなく希望を、確かに信じて。

 カイと、後ろのリタが、少しだけ表情を動かした。


「歴代の『姫』と、私は違うわ。――違うから、大丈夫」

「ディアナ、さま」

「彼女たちは、『姫』である以外の生き方を知らなかった。『森』に庇護され、『姫』として生きることが当たり前で……〝総て〟だった」

「それ、って……」

「私は、『姫』になりたいんじゃないわ。大切なもののために――絶対に譲れない〝未来〟のために、この霊力(スピラ)を使いたいの。私が〝私〟であり続けるために……未来までずっと生きるために、使うの」

「ディー……」


 緩んだカイの手から腕をずらし、そのまま手を握り返す。

 真っ直ぐな希望と深い想いを胸に、ディアナはカイとリタを見つめた。


「お願い、信じて。私はもう、自分自身の幸福も、未来も、何一つだって諦めたりしない。――あなたが、あなたたちが、それを私に教えてくれたでしょう?」

「ディアナ様……」


 リタが涙ぐみ――カイは、繋がれたディアナの手を、強く引いた。

 とん、と軽い衝撃を覚えたと同時に、一瞬だけ、熱い腕に抱かれる。


「うん。――信じる」


 人々の注目は第一皇子に向いているとはいえ、用心深いカイは抱擁を長くは続けなかった。腕を解き、指だけを密かに絡めて微笑む。


「今のディーなら、絶対に大丈夫。――霊力(スピラ)に自分を振り回されるんじゃなく、自分のために〝使う〟んだって、気付けたディーなら」

「カイ……」

「忘れないで。霊力(スピラ)そのものに、意思も意味もない。〝使う〟人間次第で、どんな霊力(スピラ)も色を変える。……絶対不変の〝運命(さだめ)〟なんて、存在しないよ」

「――えぇ」


 自分を想ってくれる、カイの言葉が力になる。……静かに見守り続けてくれている、リタの、仲間たちの心が支えになる。

 ――皆の想いを胸に、ディアナは一歩、踏み出した。


《……この私の命を、拒絶するとは。覚悟はできているのだろうな》


 その間にも――第一皇子の周囲は、ますます剣呑な雰囲気に包まれていて。

 皇族が護衛用に許されている剣を、彼はついに、すらりと抜いた。

 エクシーガが、声を張り上げる。


《兄上! 父上の一大事に、何をなさるおつもりです!》

《黙れ! 貴様如き下賤の生まれの者に、兄などと呼ばれる筋合いはない!!》


 激昂した第一皇子が剣を振り上げた、その刹那。


《――お控えなさいませ》


 凛と、矢のような声を放つ。……ディアナの存在を完全に忘れていたらしい招待客たちが、我に返ったように次々と振り返った。

 タイミングを逃さず歩き出すと、ディアナの迫力に気圧されてか野次馬たちは後退り、結果として倒れている皇帝陛下まで、一直線の道ができる。

 せっかく開けてくれたものを、通らないのは申し訳ない。ありがたく、堂々と、ディアナは歩を進めて。


《皇帝陛下のご容態を、拝見致します》

《な、に?》

《わたくしが医術をかじった身であることは、エクシーガ殿下がよくご存知でしょう。――時間がありません、場所を空けて頂けますか》


 貴族的言い回しすら取り去った「退け」に圧倒されたらしい第一皇子が、剣を下ろして三歩後ろに下がったのを、にっこりと見つめる。


《ご英断に感謝します》


 盛大な皮肉をぶつけ、横たわる皇帝陛下の真横に膝をついた。

 いつもの、通常診察をしている余裕は――ない。


(倒れる前の、陛下のご様子からして……)


 皇帝陛下の胸の上辺りに手をかざし、霊力(スピラ)で肉体の状態を感じ取る。――思った通り、胸の内、全身に血液を巡らせる役割を担う心の臓が、半ば機能を失いかけていた。


(今の医術では、救えぬ病。人が人自身の力でこの病に立ち向かうには、あと数百年の技術進歩を待つ必要がある。でも――!)


 その不可能を可能にする力が、今のディアナには、ある。

 かざした手を、一度引き。自身の胸に当てて目を閉じ、静かに、深く、息を吸う。

 この霊力(スピラ)の……いいや、生命を〝与える〟霊術(スピリエ)の使い方は、分かる。理屈ではなく本能が、教えてくれている。


《姫……?》


 何かを察したエクシーガが、心配そうに呼びかけてきたのを合図に、ディアナはゆっくりと目を開けた。

 そのまま、両手で静かに、倒れている皇帝陛下の手を取る。両手で支え上げた皇帝陛下の手に、そっと、己の額をつけた。


(皇帝陛下……あなたにはまだ、やらねばならぬことがあるはずです。どうか――生きて)


 ふわり――。

 祈りとともに、己の内から〝何か〟が湧き上がる。どこか温かくて、懐かしくて……不安定なのに落ち着いていて、とてつもなく脆いのにどうしてか強い、不思議な感覚がディアナの全身を駆け巡り、包み込み――溢れ出て、繋がれた手から皇帝陛下へと流れ込んでいく。

 皇帝陛下へと流れ込んだ〝それ〟を、ディアナは彼の全身へと行き渡らせ――病に冒された心の臓まで、届けた。


(大丈夫。あなたの生命はまだ、途絶えてはいない。死の神の刃が、今、あなたを貫くことはない――!)


 決めていた。たとえそれが、天の定めに逆らうことであろうとも。

 もう、二度と。己の目の前で、誰の生命も奪わせないと。

 無念のうちに生命が途切れるあんな〝音〟、たった一度で充分すぎるくらいだったのに。自身の不見識に無自覚だったことで、〝二度目〟を聞く羽目になったのだ。……救えたかもしれない生命を、取り溢したのだ。

 過ちへの後悔、無力であった己への怒り……それはきっと、この先一生、ディアナの内から消えることはない。薄くなっても、消えはしない。

 それでも。それらがあるから自分を、生きていることを引け目に思うことだけは間違いだと、言葉ではなく態度で、心で、皆がディアナに教えてくれた。

 過ちても、泥に塗れても、……幾たび、絶望しても。〝生命〟は決して、無価値にはならないと。


 目の前で消えゆく生命を取り溢したくないというのは、究極のところ、ディアナの勝手な自己満足に過ぎないのかもしれない。

 けれど、真に己の内にあるものと向き合い、〝それでも〟ありのまま生きていきたいと願う今のディアナだからこそ、後悔と過去の贖罪ゆえにではなく、まっさらな心で〝生命〟に触れることができる。……生きて欲しいと、心の底から願うことができる。

 己の生命を肯定できるからこそ――この世の総ての生命を、その弥栄を、祈ることができるのだ。


(生きて――!!)


 瞳を閉じた、世界の向こうで。

 深い祈りが、満ちていく――。



  ■ ■ ■ ■ ■




(これは……想定以上、かな)


 伝承にのみ語られているという、『森の姫』の〝奇跡〟。死に足かけた生命を現世へと留まらせ、甦らせる――数多存在する霊力者(スピルシア)の中でも異質で、特殊な力だ。

 完全に覚醒しきってはいなかった状態ですら、薬草の調合や通常の治療を通して、知らず知らずのうちに〝与え〟続けていたディアナだ。完全覚醒すれば、その霊力(スピラ)は計り知れないものであろうと、予想はしていた。

 だが――。


「ディアナ、様……」


 リタが、恍惚と不安の入り混じった声音でディアナの名を呟く。……その瞳に、緑の光を映して。

 カイにはもちろん視えている、強い霊術(スピリエ)を発動したとき稀に見られる、ほのかな発光。本来なら霊力者(スピルシア)にしか感じ取れないはずの光が、ごく普通の人間にも分かるほど、穏やかでありながらも神々しく、ディアナの周囲に満ちていた。

 リタは、〝核〟こそエルグランド王国あるあるな特殊構造をしているが、内にある霊力(スピラ)そのものは人並で、霊術(スピリエ)を扱える水準には達していない。いわゆる、〝普通〟の人間だ。そのリタが光を視認できているということは、この大広間にいる人間ほぼ全員が、ディアナの特異性を目の当たりにしたと判断して、まず間違いないだろう。

 穏やかで、神々しい……見ているだけで安らぐ、緑の光。『森の姫』が〝生命を与える〟霊術(スピリエ)を発動させた、その証を。


「……」


 光の発露は、長いようで、おそらく実際には短かった。光が消えると同時にディアナは瞳を開き、皇帝の首筋に指を当てる。

 真剣なその横顔に、ふと、安堵が浮かんで。


「御殿医様――陛下のご容態を、今一度診て頂けますか。峠は越されたかと思うのですが」

「は――」


 声を掛けられて我に返ったらしい医者が、ディアナの対面へと進み出る。カイにはよく分からないが、手を取ったり目を見たり、診察と思わしき工程を進めるほどに、彼の表情は驚愕へと染まっていった。


「こ、れは……!」

「……どうした。陛下のご容態は、如何様にあらせられるのか」


 おそらく、この大広間の中で最もディアナの非常識に耐性があるであろう第十八皇子が、医者に説明を促す。彼が動き出したことで、(見るからにバカ殿で他人事ながら今後のスタンザ帝国が可哀想にすら思える)第一皇子も再起動した。


「い、異国の女などが! 陛下に何をしたのだ! 妙な毒でも盛ったか!!」

「お静まりを!!」


 ピシャリとバカ殿を諫めたのは、意外にも医者であった。瞳を潤ませながら、彼は――。


「……神の御業に、偉大なる御慈悲に、深く御礼申し上げます。我が国の皇帝陛下の御命は、あなた様により、お救い申されました」


 深々と、粛々と、ディアナに拝礼した。

 いきなり地面に額を擦り付けて礼をされたディアナは、驚くより先に戸惑い、目を瞬かせている。


「神の使徒であらせられるあなた様に対し、我が国が働きました度重なる無礼……私の謝罪などで許されるものではないことは重々承知いたしておりますが、どうか一人のスタンザ民として、お詫びを述べることをお許しくださいませ」

「え……ぇと」


 ディアナが戸惑う中、大広間の空気が徐々に変わっていく。

 側近の一人が、言葉を発した。


「救われた、と申したか? 皇帝陛下の御病が払われたと?」

「神の御業にございます。人の身では決してなし得ぬ奇跡……神の使徒であらせられる聖女様が、今、この世に御降臨あそばされたのです」

「おぉ……!!」


 皇帝の周りを囲んでいた人々が、次々と膝を折っていく。突然大人数から一斉に拝まれる状態に陥ったディアナは、ここに来て「何やら想定外の方向でマズい事態になりつつある」と察したらしい。大慌てで立ち上がった。


「あの! 誤解です。確かにちょっと特殊なことはしましたけれども、別に神様は関係ありません。わたくしは海を渡って貴国へ参ったエルグランド王国の国使であって、空から降りてきた神の遣いなどでは決してございませんので」

「は……」

「お願いですから、拝礼などお止めくださいませ。わたくしは貴国の神々とは何の関係もない身、左様なお振る舞いは皆様の神への背信行為でしょう」

「いえ! 聖女様を崇めぬことこそ、神への侮辱にございます」


 ……何を言ったところで、大広間の空気が変わることはなさそうだ。カイはこっそり周囲を見回し、この状況で逆に拝礼していない人物を確認した。上段の皇子二人を含めた皇族たちは、さすがに拝礼まではいかず、立ちっぱなしか膝つき程度で――それ以外となると。


(……へぇ、やっぱり見込みあるよね)


 大広間の隅に避難していた、ブラッドとアルシオレーネ。つい一瞬前に結ばれた二人は、拝礼することも膝を折ることもなく、ただただ心配そうな表情で、拝まれているディアナを見つめていた。……他にも、いつの間に端へ移動したのか、杖をついたバルルーンの隠居もディアナを案じる様相で事態の推移を見守っている。

 他にも数人いた、ディアナを拝んでいない人物の顔を覚えてから、カイは再び視線をそっとディアナへ戻す。

 聡い彼女は、どうやらこの場で神だの聖女だのに物言いをつけたところで無駄でしかないと、頭を切り替えたらしかった。


「――そのお話は、また改めてに致しましょう。今は取り急ぎ、皇帝陛下の治療をしなければ。今は落ち着いていらっしゃいますが、この病は予断を許しません。心の臓が常の動きを取り戻し、皇帝陛下の意識が戻られるまで、注意深く経過を見守っていく必要があります。投薬も行った方がよろしいかと」

「――は。聖女様の仰せの通りに致します」

「どうか、皇帝陛下をお救いくださりませ」


 ますます深く頭を下げるスタンザの人々に、ディアナは一つ、嘆息して。


「すぐに、皇帝陛下を寝所へとお連れしてください。追って投薬の指示を出しますので」

「はっ」

「聖女様もどうぞ、皇帝陛下のお傍へ。ご案内申し上げます」


(――あ、これ、マズい流れだ)


 エルグランド側にとっては極め付けにありがたくない方向へ、事態がどんどん転がり出している。周囲の喧騒に紛れ、カイはこそっとリタへ耳打ちした。


「……この国の人たちにとって、神の遣いらしい〝聖女〟って、かなり特別な存在っぽいね」

「みたいですね……エルグランドに比べ、スタンザは宗教色が濃いとは聞いていましたが、まさかこれほどとは」

「目の前であんなの見ちゃったら、気持ち分からなくはないけどさぁ……これ、帰してもらえない流れじゃない?」

「……あなたにも、そう見えますか」

「超見える。たぶん、裏の方でばらけて状況を窺ってる王宮組の人たちも、おんなじこと思ってる。――何よりディー本人が、見るからに『ヤバイ』って顔してるよ」

「イフターヌの視察で神殿もご覧になったはずですが……ディアナ様は宗教関連に興味がゼロなので、伝説や信仰の度合いを調べようという方向へ頭がいかなかったのでしょうね」

「そっち調べたところで、ディーが蒔きたい〝種〟にはあんまり掠らないんじゃ、興味が向くわけないよ。……他人のことばっか優先させて、いざってときに自分の首を絞めるクセ、変わんないねぇ」


 そして、そんなディアナだからこそ愛しくて、守り続けると誓う自分も……きっとずっと、この先一生、変わることはない。

 ――スタンザの宗教における〝聖女〟とやらがどういう位置づけにあるのかなど、カイが知るわけもないが。……大広間を包む異様な熱気を見れば、現世に顕現した聖女(ディアナ)を、スタンザ人たちが手放してくれるはずがないことだけは明らかだ。ディアナの身分や立場など、もはや気にも留められていない。

 このままでは……ディアナの第一目標である、「全員が心身ともに無事で、エルグランド王国の王宮へ帰り着くこと」が果たせなくなってしまう。


(――そんな〝未来〟は、認めない)


 強い意志を固めた、そのとき。


「分かりました。しばし、お待ちを。――リタ、カリン」


 逃げ出せないよう、周囲を固められつつあったディアナが、名を呼んでくれた。リタと二人で頷き、人混みを縫ってディアナの前へ進み出る。

『通詞』の呪符がバレないよう、言葉を交わすのはリタに任せて。


「ディアナ様、お呼びでしょうか」

「二人とも。わたくしはこれより、皇帝陛下の治療に当たります。リタは、わたくしの補佐を。――カリン、あなたには、薬草の運搬をお願いします」


 それは――ディアナがこの短時間で弾き出した、事態打開へ向けての一手。

 これより先、おそらくディアナは、皇帝の寝所から出してもらえなくなる。治療を請われるという建前で、スタンザが彼女を〝手に入れる〟段取りを整えるまで、軟禁状態を強いられるだろう。仲間たちと引き離され、互いを質に、身動きが取れなくなる。

 しかし。その〝内〟と〝外〟を繋ぐ存在が、あらゆる危機を潜り抜ける、その道の玄人(プロ)ならば。引き離されても質とはならず、身動き取れないフリをして、逆にあらゆる手が打てるようになる。

 カイを堂々と、誰が見ても不自然ではないように、最も動ける自由なポジションへとディアナは置いた。……人に頼ること、誰かに負担をかけることは苦手な彼女が、この重大な局面における〝鍵〟を、カイへと渡したのだ。

 信頼し、大切なものを背負った背中ごと全部、預ける――どこまでも深い愛情がなければ、きっとディアナは、そこまで踏み込めない。

 これほどの想いを向けられたことが嬉しく、何より誇らしくて。万が一にも応えられないなんてことがあってはならないと、背筋が伸びる。


「――はい」


 ディアナの瞳を貫いて、言葉とともにカイは想いを返した。――必ず、誓いを果たしてみせると。

 緊張していたディアナの表情が、カイの返答にふっと緩む。柔らかく、ゆっくりと、彼女は微笑んだ。


「では、カリン。まずはリッサウと、ペッラの鉢植えを運んできてください。――その後必要なものは、追って指示をします」

「はい」

「リタ。必要な道具類を書き出しますので、奥の方々に伝達を」

「承知致しました」

「――聖女様、お早く」


 ディアナがやり取りしている間に、皇帝は運ばれていったらしい。侍従らしき者たちが、焦れた様子で呼んでくる。

 そんな彼らに、ディアナは「只今、参ります」とだけ、返して。


「カリン。――後のことは、頼みましたよ」


 一点の曇りなく澄み切った蒼海の瞳に、ただ揺るがぬ信頼を乗せて告げ、踵を返して歩き出す。

 その背を見送りながら、ふつふつと胸の奥が滾り出すのを、カイは確かに感じていた。


(ここまでディーに託されて、応えられないなんてことになったら……男が廃るよね)


 賽は今、投げられた。ディアナの自由を奪い、〝運命〟へと収束させようとする、見えざる腕が駒を動かす。

 ……仮にそれが運命で、世界における〝正解〟なのだとしても。ディアナが笑っていられない未来が〝正〟なら、喜んで、世界の行く末を〝誤〟へと導こう。


 さぁ――打ち破れ。


そんなわけで、覚醒編でした。

私は子どもの頃からファンタジーが大好きで、自分でもファンタジーいっぱいなお話を書くのが夢だったのですが、実際に書いてみると設定魔ゆえの弊害というか、ファンタジーに辿り着くまでの前段階が長すぎて、自分でも遠い目になりますねぇ……もっと物語構成のスキルを高めねば。


次回からしばらく、ディアナ視点はお休みです。

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― 新着の感想 ―
[一言] いつも楽しく読ませてもらっています。 ディアナに幸あれ!
[気になる点] どう考えてもそうなるとしか思えないのに自らのエゴで行い命を捻じ曲げて聖女認定で状況悪化させる、意味が分からない。さすがとこれ以上嫌いになりたくないので外します、今まで楽しませていただき…
[良い点] よりにもよってこのタイミングで覚醒、で聖女爆誕ですか。 帝国の皇族貴族が揃って跪く様は痛快ではあるけれど。 捕虜、側室、聖女、と言葉は変えても結局帝国で便利に使おうという感覚は変わらない。…
感想一覧
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