襲撃
堂々と『牡丹派』に喧嘩を売った帰り道。
ディアナはシェイラの部屋までを、最短距離で急いでいた。
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『紅薔薇の間』を使っても良いとは言ったが、あのシェイラが『では遠慮なく』と頷くわけがない。リタとルリィに勧められながらも、固辞して自分の部屋に戻るシェイラが目に浮かぶようだ。
シェイラの部屋は、後宮の中でも奥の片隅にある。『牡丹派』のサロンからは、当たり前に遠い。
人気のない、最短距離となる廊下を、ひたすらシェイラを案じながら走っていたディアナは、だから――。
「!!」
背後で爆発的に膨れ上がった殺気に反応するのが、一瞬遅れた。
ザシュッ!!
振り向くとほぼ同時に、鋭い何かが目の前を一閃する。反射的に後ろへと跳んで間一髪でかわし、受け身を取って廊下を転がり、起き上がりざまに袖の下に仕込んでいた暗器を取り出した。構えて殺気の方を向けば、どうやら天井裏から降りたらしい殺気の主が、そこに自然体で立っている。
ゆっくりと立ち上がりながら、ディアナは隙なく、愛用の武器を構え直した。
「――どこまでも規格外なお嬢様だよねぇ、『紅薔薇様』は」
そんなディアナを見て、襲撃者は面白そうに笑った。その様子はいかにも隙だらけに見えたが、生憎国でも随一の武闘派に幼い頃から囲まれていたディアナは、騙されなかった。少しでも気を抜いたが最後、この世とお別れしなければならないだろう。それくらいに、この襲撃者は――少年は、強い。
ディアナはぴんと、背を張った。
「何のお情け?」
「え、どういう意味?」
「貴方ほどの腕があれば、わたくしなど先ほどの一瞬で充分に、仕留められたはずだわ。わざわざ避けられる速さで攻撃してきて……どういうつもりなの?」
「別に、普通のお姫様なら、あれだって避けられるワケないよ? 常に十割の力で獲物を狩るなんて、ド素人のやることさ」
「――そこまで言い切る『玄人』が、獲物の力を見誤るとも思えないわね」
ディアナは一歩も引かなかった。考えの読めない刺客など、ただ闇雲に襲って来る輩よりよほど危険だ。少年の素性に予想はついても、彼の考えが分からないとなれば、安心などできようはずもない。
「じゃあ逆に聞くけどさ、死にたかったワケ、『紅薔薇様』は?」
「冗談じゃないわ、そんなはずないでしょう」
「なら良いじゃん、そんなに深く考えなくたって。ラッキーくらいに思っとけば」
「……残念ながら、そんなお気楽に考えられる立場にいないのよ」
これが後宮の外で、凄腕の刺客に命を狙われながら相手の気まぐれで助かったなら、ディアナもここまでしつこく追求しない。相手の素性はきっちり調べるが、基本は『何か知らんが助かった』で済ませる。
それができないのは、ここが『後宮』という特殊な場所で、自分が側室筆頭たる『紅薔薇』で、さらに刺客の雇い主がおそらく『牡丹様』だろうと推察できるからだ。この状況で刺客に気まぐれを起こされては、彼の胸先三寸で、今後どう事態が転がるのか予測ができない。
「不確定要素は、少ない方が良いのよ。ただでさえどんなアホやらかすか分からない人がいるんだから」
「あ、それ国王陛下のことでしょ? 良いの、『紅薔薇様』がそんなこと言っちゃって」
「――シーズン始まる少し前から、コソコソわたくしたちを探っていたのは貴方でしょう。今更貴方相手に取り繕って何になるのよ」
「……やっぱ怖いなぁ、クレスター家って」
「分かってるなら、とっとと目的をお話しなさい」
油断せず、ジロリと睨む。並の者なら耐えられないはずの眼光にも、少年はまるで臆さなかった。
「一応言っとくけど、俺だってそう頻繁に覗けてたわけじゃないって。だって怖いもん、アンタんトコの人達」
ちょっとでも近付くと、有り得ない殺気飛ばしてくるんだからさぁ、と彼はぼやく。天井裏の密やかな攻防についてはディアナも報告を受けていたが、だからこそ彼に言い返すのを忘れなかった。
「ウチの者たちが用事で離れなきゃならないときには、遠慮なく張り付いてくれてたんでしょう? 貴方も一人で大変ね。ランドローズのお家に雇われた方は他にも数名いらしたようだけど、標的がウチだと知った瞬間、皆さん逃亡なさったそうだから」
「当たり前だって。俺たちみたいな仕事やってる奴は、クレスター家に睨まれたら生きていけない。残念ながら、ランドローズのお嬢さんも親父さんも、そこんトコ分かってないみたいだけど」
「あら、それならどうして、貴方は逃げなかったの?」
「俺? 俺はもともと、クレスター家と繋がりはないもん。睨まれたら具体的にどうなるのかも知らないから、逃げる理由ないし。逃げた人たちは、みんなそれぞれクレスター家と関わったことあったんでしょ? よく知らないけど」
「……まぁ、そうね。ていうか貴方、何年この世界にいるのか知らないけど、よくこれまでクレスターと全く関わらずに仕事して来られたわね。かなりの奇跡的確率よ、それ?」
「あ、同じこと、逃げる前のオジサンたちにも言われた。でも俺、まだ若いし?」
確かに、この刺客はまだ若い。どうひいき目に見ても、二十歳には届いていないだろう。下手をすれば、十代前半ということも有り得る。それでこの気配とは……一体これまで、どれほどの修羅場をくぐり抜けて来たのか。
「……どれくらい前から、この世界にいるの?」
「さぁねぇ。生まれたときからじゃない? 俺、コレ以外に生き方知らないから」
「じゃあ覚えてないだけで、昔ウチが世話したことがあったかもしれないわね」
「それは有り得るねぇ。……何? だから恩義を感じて手を引けって?」
「恩義を感じる必要はないけど、手は引いて欲しいわ」
「ははっ、正直だなぁ。やっぱり『紅薔薇様』は良いや。『牡丹様』よりずっと楽しい」
目の前の彼は、言葉どおり心底楽しそうに見える。何がしたいのか、そもそもどういうつもりで襲ってきたのか、まるでディアナには分からなかった。
……が、しかし。飄々とした雰囲気の中にある彼の『本音』ならば、ディアナは感じ取れたのである。
「もしかして……リリアーヌ様に仕えてるの、あんまり乗り気じゃない?」
「――俺は仕えてるわけじゃない。雇われてるだけだよ。金で雇われて、貰った分だけの仕事をする。あのお嬢さんとは、それだけの関係」
「じゃあ、報酬が不満?」
「いや? 俺以外みんな逃げちゃったから、仕事増えた分貰える金も増えたよ。役立たずなら切り捨てられただろうけど、俺ってば有能だから」
「自分で言ってたら世話ないわよ。そっか、じゃあ……単純に、雇い主が気に食わないのね?」
ディアナがずばりと切り込めば、返事の変わりに彼は苦笑した。図星だと、認めているようなものだ。
「まぁ、あーいう人達って、俺らにとっちゃ慣れっこなんだけど……」
「人間を使い捨ての道具扱いする奴らなんて、一回死んでから出直せば良いわ」
「……それ、クレスター家のお嬢様が言うと、すげー違和感」
「我が家の顔が、そういうことしそうな人種の筆頭格に見えるってことは分かってるのよ。けど、いくら外見がこうだからって、あんな中身腐りきった品性下劣な奴らと同類にされちゃ、たまんないわ」
怒りのあまり、ディアナの口調がより乱暴になった。既に『令嬢モード』は影も形もない。
クレスター伯爵家が抱える隠密部隊、通称『闇』の始まりは、雇い主に裏切られて行き場のなくなった、裏稼業を生業にする者たちを拾い出したところからだ。諸外国との戦争が終結を迎え、表立った争いがなくなれば、次に繰り広げられるのは裏での闘争。他家の情報を盗み、時には邪魔者を密かに始末する、そのような仕事をする者たちを、身勝手な貴族たちは望んだ。
需要があれば、職は生まれる。裏稼業を担う者は密かに増え、過去には貴族が暗殺者を雇うのは当たり前と言われる時代すらあった。裏の汚れ仕事を担う者たちは貴族たちにとって大抵は使い捨て、都合が悪くなれば何の躊躇いもなく消し去ろうとする。
大人しく消される道を選ぶ者がいた一方で、冗談じゃないと逃げ出す者ももちろんいた。かつての仲間に追い掛けられ、どこにも行く宛がなく、絶望が忍び寄る。そんな裏稼業の者たちに手を差し延べたのが、当時のクレスター伯爵家当主だったのだ。
人間を使い捨てる輩を、クレスター家は伝統的に嫌悪する。当時の当主にとって当たり前の行動だったそれは、助けられた者たちにとってはまさに、地獄に舞い降りた救いの手。彼らは当主にいたく感謝し、後にクレスター家お抱えの隠密部隊として、一つに纏まるようになったのだった。
――と、そんな歴史的背景があり、今ではクレスター家と裏稼業の世界は、密接に関わり合っている。裏世界を生きる者にとっては、『困ったときはクレスター家に頼れ』が不文律となっているほどだ。いくらこれまでクレスター家と関わりがなかったとしても、生まれたときから裏の世界で生きてきた者が、この不文律を知らないとは思えない。
……なるほど、と何となく、ディアナは少年の内心が読めた。
「……ねぇ、貴方もしかして、」
「――お下がりください、ディアナ様!!」
見つけた結論をディアナが述べようとした瞬間、鋭い声と殺気が飛来した。それまで飄々としていた少年が慌てて身構え、自らに振り下ろされた武器を弾き返す。が、予想外に重たい攻撃だったらしく、彼はそのままよろめいた。
「……貴様、よくも『こちら』の世界に身を置きながら、クレスター家のご令嬢に武器を向けるような真似を」
「ちょ、ま、オジサン待った!」
「問答無用!!」
細い暗器で繰り出されているとは到底思えない重い攻撃が、次々と少年を襲う。いくら少年が凄腕でも、クレスター家が誇る『闇』、その今代首領にはさすがに及ばず、攻撃を受け流すので精一杯のようだ。
ディアナは武器を下ろして、久々に間近で見る彼の闘いに見入った。何と言っても彼は、ディアナの父デュアリスの腹心の部下にして、兄エドワード、そしてディアナ自身の武術の師でもあるのだ。彼の闘い様は、いつ見ても流れるように美しく無駄がない。
「って、ちょっと! 見てないで止めてよお嬢様!」
「え? あぁごめん」
押されっぱなしの少年だが、ディアナの様子を確認するくらいの余裕は残していたようだ。軽く笑って、ディアナは声を上げた。
「シリウス、そこまでよ」
「……まだいたぶり足りませぬが」
「大丈夫よ、身に染みて分かったと思うし。クレスター家に仇為せばどうかるか」
言われている張本人は、ようやく攻撃が止んで息も絶え絶えである。シリウスの攻撃は、それだけ容赦なかったようだ。
「……マジ、怖い」
「自業自得だ。クレスター家令嬢、ディアナ様を襲うなど」
「だーから、初めから殺す気なんてなかったってば。いくら命令でも出来ないって、クレスター家を敵に回すようなコト」
「刃を向けただけで、充分万死に価する行為だ。その程度で済んだことを感謝しろ」
「……はいはい」
奇妙な顔で相槌を打った少年は、ディアナの方にくるりと顔を向けた。
「――って、ワケだからさ。気にしなくて良いよ」
「私を殺せと、命じられたのね?」
「あー、だいぶ頭に血ィ昇ってたみたいだからねぇ、あのお嬢ちゃん」
「それで、命令に背いて、貴方これからどうするつもり?」
「さぁ。でも、あのお嬢ちゃんの手駒は、今のところ俺一人だから。隙がなくて手を出せなかったとでも言っとけば、クビにはならないと思うよ」
「……いつまでも続かないでしょう、そんなこと」
いくらリリアーヌの思考回路が残念な出来でも、そんなごまかしが長く通用するとは思えない。人を手駒扱いする分、その働きぶりには敏感なはずだ。
「続かなくても、続くまではやるよ。……大丈夫だって、昔の人みたいに、雇い主に大人しく殺されるようなことにはならないからさ。本気でヤバいと思ったら、ちゃんと逃げるよ」
「……今すぐ逃げようとは、思わないのね?」
「まぁ……ちょっと俺にも、色々事情があってね」
ディアナと同じくらいか、年下か。
飄々とした軽い態度とは裏腹に、彼の目が宿すものは、あまりに深く、複雑だ。ディアナと同じ年頃の少年の瞳にしては、あまりに異質。
「そうね……。逃げる逃げないは貴方の意思だから、私がどうこう言うことじゃないけど」
そんな彼に、ディアナは微笑みかけた。いつもの『紅薔薇』仕様ではなく、ディアナ自身の素の笑みを。
「何かあれば、私は――クレスター家は、いつでも貴方の力になるわ」
「……一応俺、敵方なんだけど?」
「クレスターに仇為すつもりはないのでしょう? なら、『紅薔薇』にとっては敵かもしれないけれど、『クレスター』にとっての敵にはならないわ」
「そんなんで助けちゃうの〜? お人よしだなぁ、『氷炎の薔薇姫』は」
「困った人を助けるのは当たり前よ? ……それに、私の予想が正しければ、リリアーヌ様が貴方をいつまでも『使う』とは思えないし」
密かな本音を口にすると、彼は沈黙した。どうやら彼も、自覚はしているらしい。『殺人』などという犯罪を命じた相手を、正気に戻った『貴族』が放置するはずもないという、当たり前の摂理を。
「……ま、そこら辺は、上手く立ち回るけどさ。どうにもこうにもならなくなったら、頼るかも」
「分かったわ」
と、頷き合ったところで、それまで黙っていたシリウスがツッコミを入れた。
「……お嬢様、要するに、こやつはこのまま野放しですか?」
「だって、本音ではリリアーヌ様に雇われたくなくて、でもお金のために仕方なく、で、しかもクレスターに害は為さない相手よ? 問題ないんじゃない?」
「……後宮内における未知数の輩であることは、確かなのでは……」
「あ、うん、それはまぁそうなんだけど」
主従であり師弟の会話に、少年は大笑いした。
「全く、本当に面白いなぁディアナって!」
「貴様、ディアナ様を呼び捨てに!」
「シリウス、良いって」
この少年の言動にいちいち引っ掛かっていたら、先に進めない。
「心配しなくてもさ、俺だって迷惑分の役にくらい立つよ。……そうだなぁ、たまに『牡丹』側の情報を渡す、でどう?」
「……それ、早い話が二重隠密?」
「そう。正直言えば、俺も『牡丹』側が勝つのって、あんまり良くないと思うし。ディアナなら、俺の情報、超有効活用してくれそうだしさぁ。渡す価値はある相手だよ」
それは願ってもない話だ。ディアナが入手できる後宮内の情報は、『紅薔薇派』と『中立派』のものに限られている。『牡丹派』の内実を得られる利点は大きい。
「……それ、お願いして良いの?」
「ディアナ様! このような怪しい奴を信じるのですか!」
「シリウス、そんなこと言ってたら、私の先祖は貴方の先祖に出会えなかったわよ?」
苦笑気味に返されたディアナの言に、忠実な『闇』は引き下がった。……そう、『クレスター家』は、こういう一族なのだ。
「――交渉成立、だね。よろしく」
「こちらこそ。……あ、そうだ。貴方、お名前は?」
「あ、まだ名乗ってなかったっけ。……カイ、ってみんな呼ぶよ」
少年――カイは、そのときだけ、どこか面映ゆいような年相応の表情を浮かべた。にっこり笑って、ディアナは手を出す。
「じゃあ私もそう呼ぶわね。……よろしく、カイ」
「うん、ディアナ」
視線を合わせて、頷いて。
――未知数の『協力者』の、手を握った。




