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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
177/243

開いた〝蓋〟〜ディアナ side〜

連続更新、最終日となります。

どうぞ、よろしくお願い致します。


 ……本当は、分かっていた。ずっと前から、気付いていた。


『カイ〝で〟良いんじゃない。カイが、良いの。カイが、良かったの』


 たったひとりの温もりを、ただそのひとだけを欲するその〝想い〟が、何なのか。


『ただ会って話をするだけで、ここまであなたに心配かけるような相手と、個人的に親しくなりたいなんて、まず思うわけがないから! 私が〝紅薔薇〟じゃなかったら、とっくの昔に面会なんて断ってる!!』


 私が『紅薔薇』じゃなかったら――自分で放ったその言葉に、あれほど心の深い部分を揺らされたのは何故なのか。


『……皇子殿下も、こわい。あのひとが私へ向ける想いは、まるで鋭利に尖って残酷なまでに美しい氷柱のよう。恐ろしいのに、その透き通った美しさには、感嘆せずにはいられない』


 エクシーガの心に対峙するのが、どうしてあれほど怖かったのか。


 そして――。


『ディーが望む限り、俺はディーの傍にいるよ』

『一年以上も国の中枢に近い場所にいて、自分のことそっちのけで国や民のためにって駆け回ってる女の子をずっと見つめて、その娘が笑顔でいられるにはどうすれば良いのか考えてたら――』

『俺がディーを気にかけるのも、ディーのことばっかり考えるのも、俺がそうしたいから勝手にしてるだけだし』


 あのひとが、言葉で、態度で、〝共に居る〟と示してくれる度、言葉にできない安堵に包まれていた、その理由も。

 ……本当は、分かっていた。言葉にすれば、たった一言で説明できることを。


 ――一度、恋に落ちてしまえば。ただただひたすらに、相手のことが欲しくて堪らなくなる。相手の心など斟酌する余裕もなく、その存在に身も心も溺れ、同じ時間を、笑顔を、涙を……他などまるで目に入らず、ただそのひとだけが欲しくなるものだ――


 先ほど聞いたエクシーガの言葉が、ぐるぐる、ぐるぐると、頭の中を回る。


 他の人の温もりなんて要らない。――欲しいのはたったひとりだけだから。

〝立場〟が制してくれなければ――『紅薔薇』でなければきっと、もっと早くに身勝手な感情を抑えきれず、想いのままに手を伸ばしてしまっていた。

 まっすぐで真剣な情に向き合えば――いやでもその〝情〟の姿形を知って、己の中にも同じものがあることを、自覚せざるを得なくなる。


 ――情の深いあのひとが、優しさから、厚意から、傍に居てくれるうちは……同じときを、共にできる。一緒に居続けることが、できる。


 そうだ。……分かっていた、全部。


 ――いつか、行こうよ。『ショウジ』と、それを使った家と、その町並みを見に。想像もできないなら、実際に見た方が早いでしょ?


 あの日、星空の下で交わした約束が。いつの間にか、『ショウジ』を見に行きたい、知らない世界を見たいという望みだけではなく。


 ――行こう、一緒に。


 あのひとと……カイと〝一緒に〟と誓ったからこそ、これほど特別なものとなっていたことに。

 あの約束がある限り。あの約束を果たす、そのときまでは。

 カイは傍にいてくれる。……一緒に、居てくれると。


(こんなの――!)


 気付きたく、なかった。

 気付いては、いけなかった。

 だから、〝蓋〟を閉じたのだ。――この〝想い〟を、封じたのだ。


(私は、カイを……!)


 気付いてしまったら……この〝想い〟の正体を明らかにしてしまったらきっと、カイのことを離せなくなる。そう分かっていたから、逃げた。

 カイにはカイの人生がある。ディアナと出会うまで、彼は自由な稼業人だった。……否、今も彼は自由だ。彼は自由意志で、ディアナの傍にいてくれるだけだ。

 何者にも縛られないひとだから……いつか、ディアナの傍にいるよりもっと魅力的なことに出会ったら、ディアナから離れる自由が、カイにはある。

 そのとき、泣いて縋ってしまわないように――優しい彼が後ろ髪引かれないように、恋しい気持ちは封じておかなければならなかった。


 それなのに――!


(相手の心を、斟酌できない、って。ただひたすら、欲しくなる、って。制御なんかできない、って。そんな風に言われたら……はっきりと言葉にされてしまったら、もう、どう足掻いたって、逃げられない――)


 これが、恋、なのか。

 これほどまでに身勝手で、傲慢で、凶暴な想いが、恋だというのか。

 たった一人をどこまでも欲する、その感情そのものは混じり気なく純粋だけれど――……。


(純度の高い欲望なんて、猛毒と変わらない……)


 父のように、理性的な人間なら良かった。……それならきっと、相手の想いを何より尊重する、優しい恋ができた。

 兄のように、意志の強い人間なら良かった。……それならきっと、傲慢な己を制し、大切なひとの幸福のために生きる、穏やかな恋ができた。

 いつだって我儘で、その我儘を甘受されて生きてきたディアナは、欲しいものを我慢するのに慣れていない。――気付いてしまったら最後、欲さずにはいられない。


(ダメ、なのに)


 自分でも気付いていなかった望みを見つけて、掌に乗せてくれたひと。

 いつだって、ディアナの一番欲しい言葉を、当たり前にくれるひと。

 ――カイの存在に、与えてくれたものに、どれだけ助けられたか分からない。言い尽くせないほど、救われてきた。

 恋心だとか、そんなもの以前に、カイはディアナの恩人だ。……大事な、ひとだ。

 カイはディアナの幸せをいつも願ってくれるけれど、カイこそ絶対に、幸福にならなければいけないひとなのだ。

 彼の幸福の邪魔だけは、してはならない。……自由な彼を、縛ってはならない。


(なのに――!!)


 たった五日、顔が見られないだけで、この有り様だ。寂しくて寂しくて堪らない。

 それでも、〝蓋〟が閉じたままならまだ、耐えられた。〝想い〟の正体から、逃げ続けていられた。

 ――閉じた、ままなら。


(こんな、こんな〝想い〟が恋なら。私は――!!)


 完全に開いてしまった〝箱〟を心中に抱いたまま、ディアナはただ、駆けた。



 ***************



 ――どのように馬を走らせ、いつ馬から降りたのか、細かいことは覚えていない。


「リタ!!」

「ディアナ様!?」


 荒れ狂う心中のまま、気付けばディアナはラーズの皇子宮、その与えられた部屋へと駆け戻り、一人で室内を整頓していたリタへと飛びついていた。

 不意を突かれたらしいリタは後ろへよろめきつつも、さすがの反射神経でくるりと身体を反転させてディアナの勢いを殺し、そのまま身体を支えてくれる。


「ディアナ様……どうなさいました?」

「リタ……」

「……まさか、皇子殿下に無体なことを強いられましたか?」

「ちが……リタ……!」


 混乱する頭ではろくな言葉も浮かばず、ディアナはただリタの名を……誰よりも信頼し、頼りになる人の名を繰り返すことしかできない。

 リタにしがみつき、こみ上げるものを堪えるように震えていると――不意にリタが両手を動かし、そっと、けれど確かな強さで、ディアナの背を抱き締めてくれた。


「落ち着いて。大丈夫だから。――ディアナ」

「リタ……ねえさま」

「あなたに何があったとしても、私がいるわ。私は絶対に、何があっても、あなたの味方よ」

「ねえさま……」

「もしも、あなたがあなたを許せないなら、私があなたを許すわ。……立ち上がれないほど絶望したとしても、必ず支えて、一緒にいるわ。だから、大丈夫よ」


 ……まるで、ディアナの心情を読み取ったかのようなリタの言葉に、堪えようとしていたものは容易く溢れていく。両の目から滴が零れ、ディアナは一つ、しゃくり上げた。


「分かって、たの。ダメだって、分かって、気付いて、いたの」

「ディアナ……」

「わたしは、すっごく、我儘だから。気付いちゃったら、我慢なんかできなくなるって、分かってた」

「……何を、我慢できなくなるの?」

「……欲しい、って、思うことを」


 言葉にして、ついに、立っていられなくなった。膝が砕けて座り込むと、リタは絶妙の力加減で支え、痛みがないよう床へと下ろしてくれる。

 リタにしがみ付いたまま、ディアナは彼女の顔を覗き込む。


「ねぇ、リタも同じだった? ……アル様のこと、欲しいって、思った?」

「え――」

「相手の気持ちとか、事情とか。そんなもの全部お構いなしに……ただただ、欲しくなったり、した?」


 リタの目が、驚愕に見開かれる。

 しばらくの間を置いて――彼女は、ゆっくりと頷いた。


「えぇ、そう……ね。欲しいと、思ったわ」

「そう、なんだ。やっぱり……」

「好きになったら……恋を、したらね。一緒の時間を過ごしたくなるし、逢えたときは嬉しいし――逢えないときは、ずっと心のどこかが寂しいものよ」


 肯定されて、涙が溢れる。ぶんぶん首を横に振って、ディアナはリタへ訴えた。


「だめ。そんなの、ダメ」

「どうして?」

「だって、そんなの。あのひとをずっと、縛っちゃう」

「縛るのは、ダメなの?」

「だめに、決まってる。誰かを自分のものにして、自由を奪って縛るなんて、勝手だもの。傲慢、だもの」

「……そうかしら?」

「……この気持ちは、あのひとを不幸にしかねないって分かってたから、絶対に、気付きたくなかった、のに」

「気付いて、しまったのね?」

「殿下が……仰ったの。相手の心を考える余裕もなく、その存在に身も心も溺れ、ただそのひとだけが欲しくなるのが、〝恋〟だって」


 はっきり言葉にすると、もうダメだった。迸る感情のままリタにしがみつき、涙声で告げる。


「ずっとずっと、欲しかったの。いつからかなんて、覚えてない。気付いたときにはもう、カイが欲しかった」

「ディアナ……」

「カイの温もりだけが特別になって、触れる体温が嬉しくて……もっと欲しい、って思ったとき、ダメだと思った。これ以上知っちゃったら、離れられなくなる、って」

「離れられないのは、ダメ?」

「ダメ」

「……どうして?」

「……カイが、とても優しいひと、だから」

「……」

「こんな気持ちをカイが知れば、あの情の深い、優しいひとは、私を見捨てられなくなる。……この先の未来で、私の傍にいるよりやりたいことができても、私のことが気になって、望む道へ進めなくなるかもしれない」

「あぁ……」

「そんなとき、本当なら、彼の望みを察して、背中を押すのが私の役目なのに……離れられなくなっちゃったら、逆に彼の優しさに甘えて、縋って、自由を奪ってしまう。カイを、縛ってしまう」


 ……言葉にするほど、怖くなる。それは想像に過ぎないけれど、驚くほどにリアルな未来だ。

 我儘な己を、誰よりも自覚しているからこそ。この凶悪な〝恋心〟が彼を縛る未来が目に見えて――絶望する。


「……知りたく、なかった」

「……ディアナ」

「カイには、望むまま生きて、望むままの幸福を、未来を、掴んで欲しいのに。大切なひとだから――大好きなひと、だから」

「えぇ……そうですね」

「それなのに……もしかしたらいずれ訪れるかもしれない、カイが自分自身の幸福のために、私と離れる選択をする日が、想像だけでも耐えられないなんて。寂しくて堪らない、なんて」

「…………」

「こんなにも凶暴に欲しがって、大好きなひとの幸せを一番に願えなくなるのが〝恋〟なら……知りたく、なかった。一生知らずに、生きていたかった――!」


〝側室筆頭〟という立場すら、いつの間にか自身を縛る檻から、この想いを制し、カイの自由を縛らないための安全弁となっていた。

 いつか『紅薔薇』の役目をシェイラへと渡し、何者でもないただの〝ディアナ〟となってカイと交わした約束を果たしたいのに――それが彼との〝おしまい〟であることに、言いようのない寂しさを覚えていた。


 両親のような、優しい恋に憧れた。兄とクリスのような、穏やかな恋がしたかった。

 けれど――恋を優しく、穏やかなものにするにはきっと、もっと人間ができていなければダメなのだ。ディアナでは、あらゆるものが足りていないのだ。


 絶望に泣くディアナの背を、リタが優しく、さすってくれる。


「確かに……ディアナ様の仰る通り、恋心には、身勝手で凶暴な側面もございます。でなければ、痴情の縺れによる揉め事など、そもそも存在しないでしょう」

「そう、よね……」

「ですが――」


 ここで、不意に言葉を切って。リタがふと、ディアナを支えつつ、身体を起こした。


「これはあくまでも、私の持論ですけれど。――お互いの身勝手が、奇跡の一致を果たすのであれば。特に、その想いに問題などないのではありませんか?」

「リタ……?」

「求める心は、相手の事情など斟酌してはくれませんが……求める〝相手〟が存在する時点で、恋心は一人のものではないのです。ディアナ様の想いが本当に身勝手なものかどうかは、お相手に尋ねてみなければ分かりませんよ?」


 ディアナに語りかけながら、リタの視線はディアナのさらに先――バルコニーへと向いている。

 まだ働かない頭で、ディアナはリタの視線を追い、振り返って――。


「――!!」


 茫然自失の体で立ち竦むカイの姿を認めた瞬間、思考の全てが弾け飛ぶ。

 真っ白になった頭で、ディアナはただ、硬直していた――。


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― 新着の感想 ―
主人公は幼稚園児?
[一言] ディアナの気持ちがささって、この回をバスの中で読んでいたのに、うるっと来てしまいました。素敵なお話をありがとうございます。
[良い点] ここ一番、ディアナが最も不安に陥っているとき「姉」(これがディアナにとっての本来の彼女か)に戻って支えるリタがものすごくかっこいい。 カイの登場、というたたみかけるような展開に拍手。 茫…
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