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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
165/243

謁見


 初めて見るスタンザ帝国の皇宮殿は、丸い屋根と長い回廊、幾つも連なった高い塔が印象的な、エルグランド王国の王宮に勝るとも劣らぬ大きさの建造物だった。……そして、事前情報で聞いていた通り、確かに、とっても、見通しが良い。外からでも分かる、内部構造のスケスケさだ。


「……わたくし、あまり戦には詳しくないけれど。このお城、戦闘にはあまり向いていないのではないかしら? こんなスケスケで分かり易い建物じゃ、敵の侵入を防げないでしょう」

「篭城戦を想定しなきゃ、これほど敵が入りにくい城もそうないよ。ここまで大きくなった国で為政者が心配しなきゃいけないのは、大軍に突然攻め込まれることより、為政者一点狙いの暗殺だろうし。宮殿に不審者が入ったらすぐ分かる構造になってる時点で、短期集中型の暗殺はだいたい防げるからね」

「あなたがこの宮殿で暗殺の仕事するとしたら、どうする?」

「……人が多いエリアは使用人の服をかっぱらって何とかやり過ごすとしても、それだけで奥まで怪しまれず進むのは難しいだろうね。年単位の時間かけて良いなら、普通に使用人の応募受けて潜り込むべきなんだろうけど、このテの〝仕事〟って大概成功報酬制で、それまでに掛かった費用は全部こっちの持ち出しになるんだよなぁ。……そう考えると、割に合わない」

「〝仕事〟が完遂されるまで、無報酬ってこと?」

「長期間の仕事なら圧倒的に、どこかに常駐、誰かに張り付いての情報収集任務が稼げるよ。アレは日給制、週給制が多いし。てかぶっちゃけ、暗殺系は割と手間暇掛かるのに成功報酬渋る奴が多いから、よほど事情が深刻な場合じゃないと受けない。話をよくよく聞いて、これは標的が死ななきゃ事態が良くならないな、依頼主も止むに止まれず依頼してきたんだな、これなら金を出し渋られることもないな、って判断して初めて受ける。……まぁそれでも、依頼主が嘘ついてることが往々にしてあるから、実は俺も父さんもあんまり暗殺系の仕事を完遂したことないんだよね。確か、父さんが病で倒れる前、最後に受けた暗殺依頼もそうだったはず」

「へぇ……」

「……あ、そういや、あの完遂しなかった暗殺依頼について、詳細聞けてないや。確か、どっかの侯爵家だか、その分家だかからの依頼だったはずだけど」

「そういうのって、共有してるの?」

「一応ね。特に嘘つきの依頼人については共有して、必要なら裏社会全体に広めるよう手配してもらって、なるべく騙される人が少なくなるようにはしてる。……あのときは、俺が別の仕事で忙しくしてて、やっと落ち着いたと思ったら父さんが倒れて、話どころじゃなくなったんだよなぁ」

「なら、エルグランドに帰ってから、きちんとお話ししないとね」

「だね」


 ディアナとカイがさすがにヒソヒソ声で話している間に、馬車は緩やかに進み、大きな門を潜って宮殿の敷地へと入っていく。門を潜り抜けた瞬間、何やら空気が変わった気がして、ディアナは少し顔を上げた。


「……何かしら?」

「……ふぅん。簡易なものだけど、一応、許可の無い者はこの敷地内に入れない結界が張ってあるね。俺たちはこの馬車に乗ってるから問題なく入れたみたいだけど」


 カイの言葉に、リタの顔色がやや険しくなる。


「ということは、やはりスタンザ帝国にも霊力者(スピルシア)がいるということですね?」

「だと思うけど、宮殿なんて要所にこんな簡易版しか張れないとなると、そこまで霊力(スピラ)技術が発達しているわけでもなさそう。……まぁ、広範囲には敢えて簡易版しか張ってないって可能性もあるから、油断はできないけど」

「……念のため、『お守り』を用意してきて正解だったわね」


 ディアナの言葉に、カイを除く全員が頷いた。『お守り』作成者本人であるカイだけは、やや苦笑気味に告げる。


「……確かに、あの『お守り』があれば、大抵の攻撃系の霊術(スピリエ)は効かないと思うけど。あくまでも効力は霊術(スピリエ)に対してだけで、フツーの剣とか毒は防げないから、そこは注意してね。あと、『お守り』の効果は一度だけだから、万一発動したらすぐに新しいものと付け替えること」

「だとしても、そういった私どもでは防ぎようのない攻撃に対して防御策があるという事実は心強いですよ。本当に、ありがとうございます」

「お礼なんていいよ。『付与』の呪符を作ってくれたのは父さんで、俺はそれを使って俺の霊力(スピラ)を『お守り』に込めただけだしね。別に、大した手間じゃなかったから」


 カイは謙遜しているが、ミアが言う通り、常人では太刀打ちできないはずの霊術(スピリエ)という攻撃手段に対し、対抗策があるというアドバンテージは大きい。カイの霊力(スピラ)は本人が常々言っているようにあまり融通が利くものではなく、攻撃系、破壊系に特化しているらしいが、それだけに彼が一度己の力を解放すれば、何もせずとも自らを対象とした霊術(スピリエ)を〝破壊〟――つまり、無効化できるらしい。今回のスタンザ帝国訪問にあたり、自衛の手段は一つでも多い方が良かろうと、カイの霊力(スピラ)を『付与』できる呪符をソラが作成してくれた。カイはその呪符を使って大きめのカットグラスビーズに霊力(スピラ)を『付与』し、そのビーズの持ち主を危険な霊術(スピリエ)から守る『お守り』を大量作成してくれたのだ。『お守り』の効果を試してみた『闇』曰く、「百発百中のはずのシリウス様が放った小刀(ナイフ)が、勝手に俺から逸れたんです! 効果は抜群ですよ!」とのことなので、とてつもなく実用性は高い(ちなみにその後、彼は『操縦』を使わないガチの連続投擲でしごかれたそうだ)。


 そんなことを話しているうちに、馬車の速度は緩やかになり、やがて、止まって。

 ――静寂が周囲を包み込んだかと思うと、次の瞬間には華やかなファンファーレが響き渡った。ファンファーレに合わせて、《第十八皇子殿下、御帰宮――!》という声も聞こえてくる。

 カイが、不敵に笑って唇に人差し指を当てた。


「ここから先、エルグランド語は封印ね。――ディーが一仕事終えるまで、『通詞』は発動したままにしとくから」


 心得た様子で、全員が頷く。ディアナも同じく頷き、リタと視線を合わせた。


《お願いね、リタ》

《承知致しました》


 全員が静かに呼吸を整えたところで、タイミング良く、馬車の扉が開けられる。船から降りるときにも使われた覆いが馬車の扉につけるように掲げられ、外の視線を遮った。


(あんな大勢の前で姿を見せた後じゃ、この覆いも無意味甚だしいけれど)


 お国柄、そういうわけにもいかないのだろうな、とディアナは密かに苦笑して立ち上がり、馬車の中から覆いの中へと、その身を移すのであった。



 ***************



 ……ところ変われば、外交儀礼も大きく変わる。それは分かっていたので、何があっても別段驚くつもりはなかったけれど、船旅と馬車移動のダブルコンボで深窓の令嬢なら疲れ切っているところに、休みなくそのまま皇帝陛下との対面を入れられるとは思わなかった。エルグランド王国ではこういう場合、休みなくとはいっても控え部屋で運んできた荷物の整理や着替えなどの服装チェックと、一度座ってお茶を飲むくらいの時間は与えられるものなのに(一国の最高責任者と顔を合わせるのだから、心身ともに落ち着くことは相手への礼儀でもある)、覆いが動くままに合わせて歩いていたら、どんどん宮殿の奥へと導かれてしまった。

 最終的に覆いが外され、覆い役の侍女っぽい方々も無言で下がって、残されたのはスタンザ国使団とエルグランド国使団、そして護衛なのか監視なのか、とにかく武器を持った兵士らしき者たちだけである。――そして、目の前には、いかにも重厚な大扉。これはどう見ても、このまま皇帝陛下とご対面の流れだろう。


《――姫》


 斜め前にいた皇子が振り返り、少し近付いてくる。


《お疲れのところ申し訳ありません。我が国では、皇族が帰宮した際、まずは皇帝陛下へご挨拶申し上げることとなっております。……客人を連れ帰った場合は、その紹介も一緒に行う慣しでして》


(……なるほど)


 さすが、一筋縄ではいかない皇子様だ。エルグランドと大きく異なる風習ゆえ、予め伝えれば一悶着起こりかねないと危惧し、直前まで黙って逃げられなくしたわけか。ここで逃げれば間違いなく、ディアナの方が外交的にも人間的にも無礼者である。

〝客人〟と言いはしたが、本物の客人相手なら、こんな無礼なやり方は普通しない。おそらくスタンザ側には、ディアナたち『エルグランド国使団』は名実ともに人質として、今回のスタンザ国使団の戦利品として認識されているのだ。だからこそこうして、ディアナの意志など確認もされず、モノのように運ばれてきた。

 ――が、さすがに皇子は先ほどの往来での一幕で、ディアナが大人しく〝戦利品〟扱いされてくれるわけがないと飲み込めている。そのため、ディアナの当たりを少しでも和らげるべく、直前の直前ではあったが、こうして一言断りを入れているのだろう。


《左様でございましたか。スタンザ帝国の皇帝陛下にご挨拶申し上げるとなれば、我らとしても最上の装いをせねば無礼に当たると存じておりましたが、このような薄汚れた風情でもお目溢しくださるとは、皇帝陛下は随分と懐深き方なのですね》


 にっこり微笑んで、盛大な嫌味をぶつけてやる。……エルグランド王国では側室筆頭の立場もあり、無闇に客人を怒らせるわけにもいかないと多少の無礼には目を瞑ってやっていたが、実質的にどうであろうと、建前上ディアナは立派なスタンザ帝国の賓客である。少なくともエルグランド王国で、スタンザ国使団とエルグランド王はそのような取り決めを文書できちんと交わしたのだ。であればここできちんとスタンザ帝国の無礼に物申さないことこそ、エルグランド王国の格を落とすこととなる。


《い、いえ、姫。それは……》

《もちろん、それがスタンザ帝国の慣しであると仰るのならば、我らに否やはありませんわ。ですが万が一、わたくしどもの装いに皇帝陛下が御不快な思いをされた際は、エルグランド国使団としてありのままご説明申し上げることをお許し頂きたく存じます。馬車から降りてそのまま、準備を整える時間もなくご挨拶申し上げるのだと予めお伝え頂けましたら、我らとて船上で、もしくは馬車の中で、可能な限りの用意は致しましたもの》


 遠回しに、お前たちの伝達ミスでこうなったのだ、エルグランド国使団に非はないと、はっきり告げておく。孤立無援のこの状況下では、舐められた瞬間が即ち終わりだ。皇子にはもちろんだが、周囲の誰一人にとて、〝捻り潰せる〟とも〝懐柔できる〟とも思ってもらっては困る。せいぜい、この無駄に迫力のある悪人面と、最近はすっかり控え目だった臨戦モード『紅薔薇様』に、怯みまくっていてもらおう。

 ディアナの態度に、沸点の低い兵士たちの何人かがいきり立った。ものすごく安直に、槍先をこちらへ向けてくる。


《おのれ女! 黙って聞いておれば、皇子殿下に対し、不敬な!》

《――控えよ。そなたこそ、誰に向かって口を利いている》


 表情を一瞬で切り替え、冷徹な眼差しとともに、ディアナは冷ややかな怒りと鋭い殺気を兵士たちへと向けた。ありきたりなスタンザ語だけでなく、高貴な身分の者だけが話せる古めかしい語法も完璧に使いこなすディアナに、兵士たちの動きはピタリと止まる。


《我は、エルグランド王国国王陛下の側室筆頭なるぞ。国王陛下より直々に親書を賜り、正式にエルグランド王国国使として、スタンザ帝国へ参った身。我を侮るは即ち、エルグランド王国への侮辱と心得よ》


 ディアナの迫力に気圧されたか、兵士たちの槍先は自然と下がる。兵士たちの戦意喪失を確認し、ディアナは冷ややかな眼差しを皇子へと突き刺した。


《遠路遥々自国へ訪れた客人に対し、暴言と武器を向けるのが、スタンザ帝国式の歓迎ですか?》

《……っ、その者どもを下がらせろ!》


 皇子の号令で我に返ったように、周囲の兵士たちがディアナに槍を向けた兵士を捕らえ、回廊を渡って消えていく。兵士が少なくなった大扉の前で、皇子がディアナに頭を下げた。


《姫、重ね重ね申し訳ありませんでした。もちろん、皇帝陛下への謁見について、事前にお知らせできなかったのは我らの不手際。陛下からご下問あった際は、ありのままお答え頂いて構いません》

《承知致しました》


 もちろん、ディアナのことなど最初から人質としか思っていない皇帝陛下が、その装いに疑問を抱くことなどないと、彼はタカを括っているのだろうけれど。

 ディアナが納得したのを見て、皇子はようやく安堵したようで、扉を開けるよう兵に合図する。少しの間を置いて開いた扉に、彼はまず、サンバだけを連れて入っていった。エルグランド王国の謁見の間と違い、上も下もスッカスカに開いた建物の造りは、中の声をよく通してくれる。……真面目に考察するならば、真夏の昼間ともなると人死にが出かねないほどに気温が上がるというスタンザ帝国において、日常的に使う部屋の気密性を上げるというのは単なる自殺行為だという、それだけの話なのだろうけれど。


《皇帝陛下に、ご挨拶申し上げます。第十八皇子、エクシーガ・アサー・スタンザウム、スタンザ帝国国使団の任を終え、只今帰参致しました》

《……うむ。ご苦労であった》


 聞こえてきた声はそれほど大きくはないが、重厚感のある深い響きだった。長い年月、重い立場を背負ってきた者にしか出せない、奥行きのある声だ。


(……確か、現スタンザ皇帝陛下は、まだ十代の頃に帝位を継いでからずっと、皇帝として国の頂点に君臨していらっしゃるのよね)


 ライアから聞いた話では、現スタンザ帝は政にそれほど興味はなく、後宮の女と戯れることを日々の楽しみとし、七十近くなった今も女漁りに余念のないご老人だという。ただ、代々の夢であったエルグランド王国の侵略にだけ、ずっと執着しているのだと。

 ライアの語るスタンザ皇帝像は母君からの伝聞であり、スタンザの貴族たちの率直な皇帝評でもあるのだろう。確かに彼の軌跡を見れば、在位が長い割に特筆して何かを成し遂げた様子はないが。


(声だけで全て判別できるわけじゃないけど……本当に、単なる色狂いの侵略主義者なのかしら?)


 ディアナがそうして頭を回転させている間にも、中の会話はするすると進む。


《それで、皇子よ。エルグランド王国での滞在は如何であった?》

《は。目にするもの全てが新しく、非常に得難い経験ができたと感じております。此度の機会をお与えくださった皇帝陛下に、深く感謝致します》

《それは何よりだ。エルグランド王国の内情を知るは、今後の我が国にとって欠かせぬこととなろう。続き、励めよ》

《はっ》


 親子の会話としては堅苦しいことこの上なく、どこからどう聞いても皇帝と臣下の距離感だが、まぁ子どもの数的に、こればかりは仕方ないのかもしれない。四十五人も子どもがいれば、一人ひとりへの情はどうしたって薄くなるだろうから。

 その後も二、三の話題を挟み――いよいよ、そのときがやって来た。


《それで――そなたが手紙に記した〝エルグランド王国からの客人〟とやらは、今、どこに?》

《扉の前でお待ち頂いております。お通ししてもよろしいでしょうか?》

《無論だ》

《はっ。――お連れせよ!》


 皇子の声を合図に再び扉が開かれ、ディアナたちの周りを囲んでいたスタンザ国使団と兵士たちが一斉に歩き出す。――縄こそ掛けられていないものの、これはまさしく人質、戦利品献上の様相だ。

 白を基調に金銀で彩られた、歴史と権威溢れるその空間に、ディアナは臆することなく足を踏み入れる。一段高い場所で豪華な椅子に座っている老人が、現スタンザ皇帝だろう。頭の冠、衣装の豪華さからも疑いようがない。彼の周囲、そして広間には他にも豪華に着飾った壮年の男たちが大勢いて、表向きはスタンザ国使団を労うため、本音はエルグランド王国から連行された人質を見物するために集まったのだと、その視線から一瞬で察することができた。


(……人間の野次馬根性は、国が違っても変わらないみたいね)


 周囲の歩みに合わせて皇子の斜め後ろで立ち止まり、ディアナは、そしてディアナに続く『国使団』の面々は、淑やかに礼を執る。

 皇子が、僅かに声を張り上げた。


《ご紹介申し上げます。エルグランド王国貴族、クレスター伯爵家のご令嬢、ディアナ姫にございます》


 あからさまな皇子の紹介に、ディアナは心中だけで苦笑する。スタンザ帝国の地を踏んだ今、もうディアナをエルグランド王の側室として扱わないということか。

 その心意気は買うが……〝好色〟とされている皇帝に女をそんな風に紹介すればどうなるか、色恋沙汰に疎いディアナでも分かる。


《そうか。ディアナ姫、直答を許す。面を上げられよ》

《はい、皇帝陛下》


 流暢なスタンザ語で返答し、姿勢を正したディアナに、広間内がざわりと揺れた。初めて目と目を合わせた玉座の皇帝は、面白い〝モノ〟を見る目でディアナを眺めている。


《此度は、よう参られた。エルグランド王国には宝石のような玉肌の麗しき乙女が大勢いると聞いておったが、真のようじゃな》

《恐れ入ります》

《スタンザ帝国は気に入ったか?》

《空気も、街並みも、民の装いも、何もかもがエルグランド王国とは違い、驚くことばかりです。異国を肌で感じられるこの機会を存分に活かし、学びを深めたいと考えております》

《まるで男のようなことを言うの。母国では女子(おなご)も学問をしたのやもしれんが、ここスタンザでそのようなことをする必要はない。――姫には我が後宮(ハレム)の一室を与えるゆえ、今後は暮らし向きのことは何も案じることなく、ごゆるりと過ごされよ》


 ざわりと、先ほどの比でなく広間内が揺れた。今の言葉は、エルグランド王国から得た戦利品を側室とするという、皇帝の宣言であったからだ。

 礼を執ったままのリタが、カイが、一瞬気配を強張らせるのを、同じく気配だけで止めて。


《陛下の寛大なお言葉に感謝致します。滞在場所をご用意頂けるのは、大層ありがたいのですが……確かスタンザ帝国の後宮(ハレム)は、皇帝陛下の奥様方が住う居城ではございませんでしたか?》

《無論。我が後宮(ハレム)には、我が側室たちが住っておる》

《であれば、誠に失礼ながら、陛下の後宮にお部屋を頂くわけには参りませんわ。エルグランドでもそうですが――スタンザ帝国でも、女人の重婚は大罪であったはずです》


 皇帝相手に堂々と意見を述べるディアナを、スタンザの男たちは呆然と見つめている。

 そんな周囲を警戒するのはリタとカイに任せ、ディアナは真っ直ぐ、皇帝を見据えた。


《此度わたくしは、エルグランド王国国王陛下、ジューク様の側室筆頭として、準王族の身分を以てスタンザ帝国へと参りました。――スタンザ帝国第十八皇子殿下、エクシーガ様が友好の遣いとしてエルグランド王国へいらしたように、同じく王族として、ジューク陛下の妻として参ったのです》

《……ほぅ?》

《わたくしがジューク陛下の妻である以上、スタンザ帝国の後宮に入り、皇帝陛下のお側に侍ることは許されません。両国の法と教義に背くこととなりますゆえ》


 エルグランド王国は、貴族の男の浮気、側室の存在は古いふるーい悪法で認めているが、女の浮気は罪としている。親告罪なので、夫公認の愛人を持つという抜け道はあるが。

 そしてエルグランド王国以上に、女の不貞を厳しく戒めているのがスタンザ帝国だ。正式に婚姻を結んだ女人は、夫以外の男の前で夫の許しなく肌を見せることすら悪とされる。……まぁここにも抜け道はあって、夫が許せば他の男と関係を持っても罪にはならないらしいけれど。

 いずれにせよ、どちらの国の法に従っても、ディアナがエルグランド王国の側室筆頭、準王族の身分でスタンザ帝国入りした以上、スタンザ帝の側室となるのは破戒行為となるのは間違いない。

 ――ディアナの言説を聞いたスタンザ皇帝は、面白そうな表情を崩すことなく、顎に手をやった。


《ふぅむ……どうにも、話が見えんの。エルグランド王はわざわざ、側室筆頭であるそなたを、準王族としてスタンザ帝国へ送ったと申すか?》

《左様にございます、陛下》

何故(なにゆえ)、そのようなことを?》

《それはもちろん、皇帝陛下が第十八皇子殿下にスタンザ国使を任ぜられたように、わたくしにエルグランド王国国使としての大任をお与えくださったからですわ》


 広間が三度、ざわりと揺れた。……この反応を見るに、スタンザ国使団は本国へ『エルグランド王国の貴族令嬢を連れ帰る』と伝達しただけで、それがどういう建前で組織されたものなのか、ごくごく一部にしか知らせていなかったらしい。

 ――少々、腹が立ってきた。馬鹿にするにも、限度がないか。


《ほほぅ? 女人のそなたに、エルグランド王国の国使を任せたと?》

《はい、陛下。此度の国使団は実務レベルの協議を行うわけではなく、スタンザ帝国の人々に幅広くエルグランド王国を知って頂くための、いわば親善国使です。であれば、大切なのは性別よりも身分。わたくしはエルグランド王国貴族の中でも歴史ある家の生まれであり、現在は陛下の側室筆頭の地位に就いております。両国の親善と友好の架け橋となるに、わたくし以上に相応しい者はいまいと、ジューク陛下はわたくしに国使の大任を預けてくださいました》

《ふむ。我が皇族である皇子を送ったように、エルグランド王も釣り合う身分のそなたを送られたということだな?》

《はい。我が国の国王陛下は、スタンザ帝国との友好を、心より望んでいらっしゃいますゆえ》

《しかし、友好のための国使団というのであれば、そなたらの装いはいささか軽装が過ぎるが?》

《ご無礼、平にご容赦くださいませ。わたくしどもとて、偉大なるスタンザ皇帝陛下に謁見申し上げる際は、最上の礼節を執るつもりでございました。しかしながら……スタンザ国使団の皆様方より、皇帝陛下にご挨拶することになったとお伺い致しましたのが、つい先頃、そちらの扉の前でしたもので》

《……ほほぅ?》


 ディアナが話す度周囲のざわめきが大きくなり、ディアナたちを囲んでいるスタンザ国使団の顔色が悪くなっていく。煮え立つような怒りを腹の底に抱えたまま、ディアナは表面だけは終始にこやかに、皇帝陛下を見据え続けた。

 ――どれほど国使団にとって都合の良いことを言い繕ったところで、ディアナが真実を告げれば意味はない。どちらが嘘をついているかなど、それこそディアナたちが持ってきた書簡を見せればはっきりするのだ。なのに、適当な言い繕いがまかり通ると思われていたということは、要するに、スタンザ国使団の連中はディアナを物言わぬお人形だと頭から思い込んでいたということであろう。そりゃ、エルグランド王国での流れを鑑みれば、全部スタンザ国使団の思いのままに進んだわけだから、いい気になるのも仕方ないのかもしれないが。


(最終的に全部あなたたちの思い通りになったからって、私たちがあなたたちの都合通りに動く駒だなんて思わないで。幸か不幸か、スタンザ帝国で私を縛るモノは何もない。――久々に、存分に、思うがまま動いてやるわ)


《皇帝陛下。もしやとは存じますが、スタンザ帝国の皆様方には、わたくしどもが両国の友好のための国使だというお話が、きちんと伝わっていなかったのでしょうか?》

《……ふぅむ。我が国の国使団が、エルグランド王国の貴族令嬢を連れ帰ることになりそうだが、受け入れてもらえるかとは問われたがな》

《まぁ。では実務官の方が、肝心な部分を書き損ねてしまわれたのですね。先ほどの伝達不具合といい、きっと慣れない異国でご無理をされて、大層お疲れなのですわ。しばらく、ゆっくりお休みなさった方がよろしいかと》

《……そのようだな》


 ディアナを囲んでいた国使団のうち、あからさまに侍女たちを馬鹿にし、暴言を連ねていた者たちの顔色が一気に悪くなる。一見優しげなディアナの言葉だが、「こんな〝ミス〟を何度も続ける者を、今後もお使いになるのですか? クビにした方が良いのでは」という遠回しな皮肉であることは流石に飲み込めたようだ。それに皇帝が頷いたということは、自分たちを労ってくれるはずの空間が一瞬で処刑場と化したらしいと、鈍い頭でも何とか理解できたらしい。


《へっ、陛下! どうか、この女の甘言にお惑いなされませんよう!》


 一人が叫んだのが呼水となったのか、次々と官が平伏していく。


《この女は、エルグランドの宮廷でも悪名高い娘です。稀代の悪女としてエルグランドの後宮に君臨し、恐怖政治を敷いているともっぱらの評判なのです!》

《エルグランド王もこの女の色香に騙され、上手いように操られていると! 少し前も、その女の策略によって後宮から多くの側室が追放されたと!》

《この女の口から出る言葉に、実は一つもございませぬ!!》


(わぁ凄い、全方向にケンカ売りまくってる)


 官の中でも特に態度の酷かった四人が、揃って床に這い蹲った。ここまで綺麗に炙り出されてくれると、悪人面もやり甲斐がある。

 さてどう料理してくれようか、とディアナが一瞬考えた、そのとき。


《――黙れ!!》


 斜め前にいた皇子殿下が、満を侍して、見事にキレた。皇子の様子に、命令がなくとも兵士たちが自然と動き、平伏した四人に槍先を向ける。

 場が騒然となる中、皇子は流れるように片膝をついた。


《陛下。このような不届き者を実務官として国使団に同行させたのは、長である私の落ち度にございます。彼らが手柄を得んとして虚偽の報告を続けていたことを見抜けなかったのもまた、私の責。如何様な罰も、お受けしましょう》

《……ふむ。つまり皇子よ、姫のお言葉は全て真実なのだな?》

《はい、陛下。間違いございません。……敢えて一つ、訂正する箇所があるとすれば、姫に国使として正式なご挨拶をして頂く機会を設けなかった件については、官たちだけでなく私も承知しておりました。スタンザ国使団全体の落ち度にございます》

何故(なにゆえ)、そのような真似を?》

《……私自身、帰宮後すぐに、姫と共に挨拶へ参るようにと知らせを受けたのが、船から降りた直後でした。それを姫に告げれば、国使としてのお役目を大切にされている姫は、さぞご気分を害されるだろうと。謁見の刻は限られておりますゆえ、姫には申し訳ないことながら、直前まで伏せさせて頂こうと考えた次第です》

《なるほど。……よく、分かった》


 皇帝陛下は、ゆっくりと立ち上がった。


《改めて――姫よ、よくぞスタンザ帝国へ参られた。本来ならば宮殿の客間にて、賓客としてもてなすべきであろうが、しきたりにより女人が宮殿にて寝起きすることは許されぬ》

《はい、陛下》

《ゆえに此度、例外ではあるが、そなたの居室を後宮(ハレム)の一室に定めよう。無論、側室としてではなく、我が国の賓客としてだ》

《陛下のお心遣いに感謝致します。……一つお伺いしたいのですが》

《申してみよ》

《スタンザ帝国の後宮(ハレム)は、一度足を踏み入れたが最後、滅多なことでは出られぬ場所と聞いております。しかしわたくしは、エルグランド王国の国使。スタンザ帝国の多くの方と言葉を交わし、友好の遣いとなることこそ我が使命なのです。そのお役目を果たすにはどうしても、後宮から頻繁に外出しなければなりません。――外出許可は、頂けるのでしょうか?》


 建前上は賓客だろうが、後宮(ハレム)に閉じ込められるなら、それは人質と同じことだ。譲れない部分へと切り込んだディアナをじっと見つめていた皇帝だが、ふと、何かが緩んだかのように唇の端を上げた。


《そうさな。他の側室の手前、自由に出入り可能とは約束できぬが。そなたを後宮(ハレム)に閉じ込めることも、国使の役目を制限することもしないと、我が名において誓おう》

《――過分なお言葉、誠に恐れ入ります。スタンザ皇帝陛下の寛大なお心に、深く感謝申し上げます》

《いや、なに。面白いものを見せてもらった礼じゃ。――経験上、そなたのような女子(おなご)は閉じ込めて愛でるより、ある程度は放し飼った方が、退屈せん》

《まぁ、陛下。わたくしを飼うとなると、たいそう高くつきますわよ?》

《で、あろうな。エルグランド王は、随分と変わった趣味の男のようじゃ》


 今度こそしっかりと笑い、《後ほど、国使として正式に謁見する機会を設けよう》と言い残し、皇帝はゆっくりと退室していく。自然と礼を執りながら、ディアナは最初の難関を乗り越えたことを、じわじわと実感するのだった。


クレスター家の『悪人面』効果は、どうやら国籍を問わないようです……釣果はまずまずといったところでしょうか?

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― 新着の感想 ―
[良い点] 民衆の次は一気に帝国の頂点に自分の存在、王国の矜持を印象付け帝国国使団の思惑を粉砕したこと、前回に続く爽快さでした。 [気になる点] 結局、後宮に逗留することは避けられなかったようで…
[一言] ふむ…? 皇帝はただの色ボケという訳ではなさそうですね? これは立ち回りしやすくなったのか、逆にしづらくなったか…。 どうなるのかドキドキです。 無事に帰国できますように(´人`)
[一言] いやあ今回は読んでいる方も感情の振り幅が大きかったです。 読者がこれなら、いわんやリタ&カイをや(笑) 凄く楽しかったです。作者様ありがとうございました。
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