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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
158/243

外宮室の午後

大変遅くなりまして、申し訳ありません。


「おい! 内務省有志からの陳述書とやらのまとめは終わったのか!?」

「無茶言わないでくださいよ! まとめてもまとめても、次から次へと新しいものが積まれていくこの状況で終わるわけないじゃないですか!」

「内務省も、同じ意見の人の陳述書はまとめてから降ろしてくれたら良いんですけどね……」

「あの人たちがそんな気遣いできるわけないじゃないですか。その点、やっぱり外務省は仕事が丁寧ですね」

「……丁寧で隙がないからこそ、今回のような場合は厄介とも言えるぞ?」

「確かに」


 ――外宮室は殺気立っていた。執政における事務系の仕事を『誰にでもできる単純作業シリーズ』として降ろされるのはいつものことだが、スタンザ帝国のスパイ軍団……もとい国使団を迎え入れてからこっち、その手の仕事が倍増しているのだ。国賓の応接は内務省の、予定調節や外交活動における補佐は外務省の役目なのだが、何しろ〝国賓〟を迎え入れるのが三百年ぶりなので、ただでさえ仕事ができない内務省はほとんど役に立っていない。結果として、スタンザ国使団関連のあれこれはほとんど外務省が被ることとなったわけだが、王宮における客人接待のノウハウが外務省にあるはずもなく、普段から雑用係として三省の仕事全体を把握している外宮室が裏から助力する形で、どうにかこうにか回している。

 それだけでも充分にふざけんな案件だったのに――。


「エルグランド王室の〝誰か〟をスタンザ帝国へ招待したい……ねぇ。本来、こんな申し出は陛下がきっぱりとお断りすりゃ良さそうなもんだけどな」


 高速で書類を捌いていた外宮室室員の一人、古株であるオリオンがそう呟けば、その隣で使えない内務省からわんさか降りてくる〝陳述書〟の内容をまとめていた、同じく古株室員のカシオが長いため息を吐いた。ため息を吐きつつ、一切作業の手が止まらないところはさすがだ。


「陛下とて、お断りできるならとうの昔になさってますよ。この辺りがスタンザ国使団の抜け目ないところですよね。陛下だけでなく、主要な重臣たちがある程度揃っている会談の場で、ほとんど藪から棒にこの〝申し出〟をしてきたわけですから。……彼らの標的が正規の王族だけに限定されていればお断り以外の選択肢はありませんでしたけれど、側室方という選択肢を示されてしまったのが一番の痛手でしたね」

「側室だって、ほぼ王家の一員みたいなもんだろ?」

「それはそうですけど、あくまでも『限りなく王家に近い』というだけで正式な王族に数えられるわけではありませんし。誰か一人、居てもいなくても大して変わらない側室を一人スタンザへ送るだけで国の安寧が保たれるなら、って空気になってしまったら、陛下一人が強硬に反対なさったところで、結局は数の暴力に押し切られちゃいますよ」


 現後宮には、四十人以上もの側室がいる。数が多ければ多いほど、一人一人の扱いが軽くなるのは世の常だ。スタンザの後宮(ハレム)はエルグランドのそれ以上に規模が大きく統制された場所らしいが、そういうものが身近にあるせいか、彼らはそういった人間の心理をよく理解していた。

 ――古株二人のあけすけな会話に、情報共有ついでに外宮室の仕事を手伝いに来ていたエドワードは苦笑して。


「ま、それでもジュークはよく踏ん張ってるけどな。スタンザ側の真の目的が明らかになった以上、どう足掻いたって誰もスタンザへは送れないんだから」

「ですよね。――まぁ、その結果、外宮室が陳述書で溢れ返っているわけですが」


 現在、外宮室の貴重な空きスペースを占有しかねない勢いで雪崩れ込んできている陳述書のほとんどは、このオブラートに包んでいるようで全く包まれていない『人質寄越せ』案件についての意見だ。以前、タンドール伯爵家のライノが頻繁に利用していた、この半分廃れていた制度は、皮肉にも彼の死がきっかけで万人に広く知られるようになった。成人貴族であれば、誰でも政に対して意見できる――そんな制度が知られてしまったら、特にこんな有事の際には、使われない方がおかしい。

 陳述書の書き方は様々だが、主な意見としては三つに大別できる。一つは「スタンザの要求なんか聞くな、即座に交易も取り止めろ」という強硬的意見、もう一つは「スタンザとの交易はともかく、いくらご側室とはいえ人身御供を差し出すような真似はいかがなものか」という、正論だが理想が過ぎるもの。

 そして、最後にして日に日に数が増え、今や圧倒的大多数となった意見が――。


「あー……やっぱ内務省からの陳述は、『スタンザ帝国の歩み寄りを無に帰さぬためにも、側室のどなたかに国使として、短期でスタンザ帝国を訪問して頂くべき』って意見が圧倒的ですね」


 内務省の陳述書をひとまずまとめ終えたカシオが、凝った肩をグルグル回して呟く。周囲でその他の場所から降りてきた陳述書の整理をしていた室員たちも、次々と暗い表情で頷いた。


「外務省もです」

「財務省も……他に比べれば陳述書の数も、〝賛成〟意見も少なくはありますが」

「……おかしいですよ、これ」


 書類の仕分けと分配、最終的な意見数の計算などを担当していた最年少室員クロードが、厳しい表情で口を開く。


「スタンザが『人質寄越せ』と言い出してから、まだ一週間も経っていません。最初に彼らがこんなふざけたことを言ってきたときは、『ふざけんな、即座に断れ』って意見が大半だったのに。いくら〝側室〟って選択肢を示されたとはいえ、それだけで王宮内の意見が、こんな短期間で変遷するなんて、どう考えても不自然です」

「……スタンザの連中が王宮に居座るようになってからこっち、そういう〝早過ぎる世論の形成〟が目立つよな」

「それだけ、彼らが人心を操る術に長けているということでしょうか……」


 最初はスタンザ帝国に大反発していたエルグランド王宮が、今や「別に側室の一人くらい、スタンザへくれてやっても良いではないか」にまで変化しているのだ。ディアナがスタンザとの矢面に立つことになったのだって、もとを正せば王宮内にそういった空気が蔓延したからで――。


「……いや、〝これ〟は違う」


 静かに呟いたエドワードに、室員全員の視線が刺さったのが分かった。全員の手を止めてしまったことを察し、少し笑う。


「せっかくだし、休憩にしようぜ。お前たち全員、昼飯も食わずに仕事に明け暮れてたろ。母上から、簡単につまめるものを預かってきてるから」

「……それは、ありがたいですが。エドワード、〝違う〟とは?」

「……休憩がてら、話すよ。キースには前に話したが、その様子じゃお前たちに、細かい部分までは伝わってなさそうだからな」


 エドワードの言葉で、クロードと、切り良いところまで仕事が進んでいたらしい数人が、給湯室に引っ込んで人数分のお茶を淹れ、戻ってくる。休憩スペースにエリザベスが持たせてくれたバスケットの中を広げ、各々が好きなものを皿に取るビュッフェスタイルでの全体休憩となった。外宮室の休憩スペースは狭いので、全員が集まることはできないためだ。

 その、中心となる休憩スペースには、エドワードとオリオン、カシオが座ることになって。


「なんか悪いな。ソファー使わせてもらって」

「外宮室にエドワードの机はありませんからね。この間、キースさんが『そろそろ本格的に部屋を模様替えして、エドの机を置くべきでしょうか』って呟いてましたけど」

「……いや俺、将来は父上の仕事を引き継いで資料室の室長になる予定だから、さすがに外宮室と兼任はできないぞ?」

「別に、室員で無い者の机を置いてはいけないなんて決まりはありませんし。エドのことですから、将来どのような立場になろうと、王宮で入り浸るのが外宮室(ここ)になるのは目に見えています」

「……まぁ俺も、日がな一日資料室に居座ろうとは思わんが。あそこ、埃っぽいし」

「埃っぽいのは、デュアリス様がきちんと仕事(そうじ)されていないからでしょ?」

「〝奥〟の方はさすがに、定期的に整理してるっぽいけどな。父上もそうだが俺も、あまり掃除は得意じゃない」

「そもそも、クレスター家にあの仕事が代々受け継がれてるって時点でねぇ……」

「ま、立場上止むを得ず、ってやつだ」


 エドワードとカシオの会話に、お茶を渡しに来たクロードがきょとんと首を傾げた。つい先頃、思わぬ運命の悪戯によって子爵位を継承した彼だが、気心の知れた先輩たちに囲まれた外宮室での彼は、まだまだあどけない子どものようだ。


「資料室……って、よく先輩方が行ってる、監察局の資料室ですよね? 主に貴族の領地運営についての報告書や、王宮主導の政策、事業についての資料なんかが保管されているっていう……」

「そうだぜ。そういやクロードは行ったことなかったな」

「当たり前ですよ、オリオン。あんな魔窟に新人を入れられますか。下手をすると、資料で埋まる」

「あー……比喩でなく、物理的に埋まるからな」

「てか、その辺の文句は棚を増設させる予算下ろさない財務省に言えよ」

「まぁ確かに……それで、クロード。何か分からないことでも?」


 外宮室の室員たちは、歳の離れた新人、クロードを実に大切にしている。彼らの職務は過酷の一言に尽きるが、それは彼らのせいではなく、彼らに仕事を回して恥じない三省(主に内務省)のせい。室員同士の人間関係は極めて良好で、どれほど忙しい中でも新人(クロード)を思いやり、育てようとする姿勢を忘れない。

 先輩の穏やかな水向けに、素直なクロードはこくんと一つ、頷いて。


「お話を聞くに、資料室室長の仕事って、ほとんど掃除と整理に限定されているんですよね? そんなの、わざわざ世襲で引き継ぐ必要あるのかな、って思って」

「あー……」


 やはり、クロードは実に勘の鋭い少年だ。本人は無自覚だが、この資質を磨いて伸ばせば、稀代の官吏にも、領主にもなれるだろう。

 クロードと同じ疑問を持った室員は何人かいたようで、答えを求める視線がエドワードやカシオたちに向いている。カシオとオリオンが困ったようにエドワードを見るのを、軽く笑って受け止めた。


「お前らも律儀だな。今更、外宮室に隠し事なんざする必要性ないんだから、別に話しておいても良かったんだぞ?」

「まぁ……それはそうでしょうけれど。事はクレスター家だけの話ではありませんし」

「監察局の現局長、超怖いからなぁ。あのデュアリス様を『掃除しろ』の五文字で呼び出すことができるのなんざ、ホーネット局長くらいだ」

「そりゃ、父上を悪ガキ時代から知ってるお方だぞ。頭が上がらなくて当然だろ」

「ですから、我々が勝手にどこまで話して良いのか……私たち三人は偶然知ってしまいましたけれど、少なくとも現王宮において、彼らの真の役目を知る者は圧倒的少数派のはずですし」

「それはそうだが、マーチス小父さんも別に、外宮室(おまえら)に知られることを脅威とは捉えてねぇよ。小父さんが外宮室を脅威に感じていたら、まず〝偶然〟知られるなんてヘマは間違っても起こさない。あの人はそういう人だ」

「その時点で充分怖いです」


 古株二人とエドワードの会話に、新人は目を丸くさせて。


「……お話から察するに、監察局には何か、特殊なお役目があるということですか? 俺が知っている監察局の仕事内容は確か『王国の実態把握調査』で、その実は単なる記録係のようなもので、だから局員も少ないしほぼ閑職扱いなんだって聞きましたけど」

「あー、だな。表向きは間違ってねぇよ。〝監察局の局員〟ってはっきり肩書きがついてる官吏は少ないし、王宮での存在感も薄いからな」

「表向き……」

「――クロード。監察局は、覆面官吏がほとんどなんだ。去年俺たちが、お前のメルトロワ領を調べたとき、どうしてあんなに早く、具体的に、情報をまとめられたと思う?」

「そ、れは……クレスター家が、王国全土に情報網を持っているからじゃないんですか?」

「裏の情報網で遠地の雰囲気は掴めても、具体的な様子や税収なんかは分からない。自領ならまだしも、他領なら尚更」

「たし、かに……では、まさか」

「あぁ。監察局の仕事は、本当に『王国の実態把握調査』なんだよ。多くの覆面官吏が常時王国全土に散らばって、全ての王族、貴族領の〝実態〟を調査し続けている。――民への非道を、即座に王へと知らせるためにな」


 エルグランド王国は――その前身となる『湖の都市国家群』時代から、為政者による民への非道を厳しく戒めてきた。それはエルグランド家の気質によるものでもあったけれど、それ以上に彼らの知恵袋となった『森の賢者』が、「強圧的、強権的な支配は、長い目で見れば結局のところ為政者側の不利となる」と冷静な助言をしたのが大きい。力で民を抑えつけるより、慈悲と慈愛で民を守り、その生活を豊かにすることで彼らの支持を得た方が、〝王家〟を長く続けることができると。

 しかし、(ルグラン)の一族はともかく、『湖の王国』に降った国の王たち全てが民に慈悲深かったわけではない。むしろ、そんな国は少数だった。

 だから、当時の王と賢者は、都市国家群に加わりたいと申し出た国の王たちに、『三つの約束事』を課したのだ。


 ひとつ、奴隷制度は即座に廃止すること。

 ひとつ、自ら他国へ攻め入ることを禁ず。戦は防衛戦に留めること。

 ひとつ、民に自らの生を自由に生きる権利を認めること。


 ――この『三つの約束事』を守る限りは、貴国の自治を認め、『湖の都市国家群』の一員として歓迎しよう。

 だがもしも、貴国がこの約束事を反故にした際は、我が国は『湖の都市国家群』の盟主として、その自治権を剥奪する。場合によっては、そなたら王家の粛清も辞さない。


 当時は、半島全土に国が立ち、群雄割拠入り乱れていた戦国時代。今ののほほんとした平和な世界からは想像もつかないが、あのお人好しな(ルグラン)の一族がそこまで厳しくあらねばならぬほど、緊迫していたのだ。

 とはいえ、自治を認めた他国の内情を、遠く離れた場所から密かに探るにも限界がある。彼らがきちんと『三つの約束事』を守っているか、民に非道を強いてはいないか――。


「それを探るために創設されたのが、王直属の内偵機関である、『監察局』ってわけだ」


 エドワードの説明に、クロードは驚きのあまりか、あんぐりと口を大きく開けた。


「じゃ、じゃあ、監察局ってめちゃくちゃ歴史古いんですか?」

「そんじょそこらの貴族家より古いぞ? 創られてからもう、千五百年は経ってるはずだ」

「ええええぇ……」

「監察局の覆面監察官は、基本的に、その素性を生涯秘して生きる。ひょっとしたら、今まさに非道を行っている貴族の配下に紛れ込んでいるかもしれないし、町中で呼び込みやってる店主がそうかもしれない。身分も、性別すらも関係なく、本人に覆面監察官としての適性があるかどうかが全てだ」

「だとしたら、実は監察局の規模って、〝局〟なのが間違ってる程度には大きいのでは……」

「さぁな。覆面監察官がどれだけ居るのか、全てを把握しているのは時の局長と、クレスター伯爵だけだ。そもそもの言い出しっぺってこともあって、クレスター家は貴族になる前から、監察局の管理運営を代々引き継いでる。膨大な秘匿情報と人員を捌く技術職だからな、世襲にしてガキの頃からそのノウハウ積んどかないと、さすがに厳しいんだよ」


 始まった当時ならともかく、今の監察局が扱っている情報は半島全土だ。貴族家も年々増えているし、領地運営だけでなく異国交易なども内偵し、その情報を精査、管理、保管しなければならないとなると、子ども時分からその分野についての研鑽を深めておかねば、時間が足りない。


「でも、それならどうして、民に非道を行った貴族はすぐに処罰されないんですか? 監察局の方が陛下へ進言申し上げれば……」

「あぁ。監察局にはその権限があるし、場合によっては王宮の官の不正だって暴ける。今それをしていないのは、マーチス小父さん――監察局の現局長、マーチス・ホーネット殿と宰相閣下の判断によるものだ」

「それは……」

「今、ジュークに、無闇矢鱈と貴族を処罰させるわけにはいかないだろ? そんなことをしたら、いつアイツの身に危険が及ぶか分からない。……だから今のところ、監察局の真の役目は、ジュークには秘されているんだよ。とはいえアイツのことだから、もううっすら気付いているかもしれないけどな。王宮に、貴族たちが自ら提出した領地運営報告書とは別に、人口やある程度の税率なんかがまとまった公的な記録書があるって時点で、勘の良い奴なら『誰がこれを調べたのか?』ってなるだろ。それがときに、貴族側の記載と食い違っているなら、尚更」


 監察局の役目は、時の王が真実を欲した際、それをすぐさま王の手元へ届けることだ。常に無音で、ときに存在すら嘲られながら、それでも自分たちは真実を密かに刻み続ける。

 ――全ては民と、民の安寧を望む王のため。不正や圧政を決して見逃さず、その証拠を固めておく。いざ王が動く際、何者も王を阻めないように。

 表の歴史書に名が記されることは決してないが、彼らは確かに歴史の節目節目で王と民を守り続けてきた、紛れもない功労者だ。


 エドワードの説明を聞いたクロード含む室員たちは、深々と、何度も首肯した。


「なんというか……クレスター家ですね」

「前々から、クレスター家が代々資料室の室長やってるのは、何か裏があるんじゃないかって気はしてたんですよねぇ。明かされた〝裏〟は想定外のスケールでしたけど」

「マジでスゲー。なんていうか、貴族専門の隠密って感じ」

「あっ、確かに。それもあってクレスター家と親和性高いのか」

「……誰一人引きもせず、疑わないどころか納得して終わりなのが、いかにも外宮室だよ」

「いや、じゅーぶん驚いてますけどね? けど、こんなことで引いてたら仕事になりませんし」


 頼もしい限りである。エドワードは苦笑しつつ、お茶で喉を潤した。――おそらく、今後もクレスター家と連携していくであろう外宮室が監察局に好意的なのは、次代を担う者として単純にありがたい。

 監察局についての説明がひと段落したところで、カシオが真面目な顔を向けてきた。


「――それで、エドワード。先ほど言っていた〝違う〟の真意をお伺いしても?」

「……あぁ、そうだったな。これ、ちょっと監察局の話とも被ってくるんだが」


 手に持っていたサンドイッチを食べ終えてから、エドワードは改めて室員全員を見渡す。


「さっき、オリオンが〝早過ぎる世論形成〟について言及したとき、カシオはそれをスタンザの連中がしたことだって、そう判断しただろ?」

「……はい」

「もちろんそれは真実の一端だろうし、奴らの人心掌握術が優れているのは確かだ。けど――それだけじゃない」


 スタンザ帝国の国使団がやって来てからの……正確には、今年の社交期間(シーズン)が始まってからの王宮の動きは、明らかに去年までのそれとは違う。一見それは、スタンザの国使団という異分子が入り込んだことによるものとも思えるけれど。


「スタンザの連中が狙いを定めた相手を調べると、な。あまりに効率が良過ぎるし、都合も良過ぎるんだよ。……保守派にとって」

「エドワード……」


 今回、スタンザ国使団が親睦を深めた相手は、主に革新派だ。しかし、革新派とて一枚岩ではない。中には野心や悪意に満ちた者もいる。

 なのに。それなのに、だ。


「今回、ジュークや宰相閣下が、王宮の声を毅然と拒絶できないのはどうしてだと思う? 

数の暴力だけじゃない。スタンザを擁護し、彼らの力になろうとしている勢力が、革新派の中でも強い力を持ち、自身の商売だけじゃなく領地運営にも成功して、民からも慕われている――そんな、ジュークにとって〝味方にできたら心強い〟存在だからだ」

「そう、ですね」

「けどよ、それって本当なのか? 領地運営とかはあくまでも貴族の自己申告で……って、」

「……そうか。彼らが貴族として優れた素質を持っていることは、監察室の内偵調査からも明らかになっているのですね」

「そういうことだ。彼らは皆、悪意で動いていない。むしろ心からエルグランドとスタンザの友好を願い、両国が親睦を深めることで未来が明るくなることを願っている。側室をスタンザへ送る件だって、『友好の使者として迎え入れる』というスタンザの言葉を信じて」

「……お人好しというか、平和ボケが過ぎるだろうと、個人的には思いますが」

「ところが実際、そうでもない。他の側室なら話は別だろうが……スタンザ皇子の目的であるディアナを差し出せば、彼は確かにディアナを大切に扱い、友好の使者としてスタンザへと迎え入れるだろうから。まぁ、返す気はゼロだろうけどな」


 全員の表情がこの上なく曇る。オリオンが、いつも快活な彼には珍しく、憂いに満ちた瞳で息を吐いた。


「嬢ちゃんを選んだ辺り、見る目はある男なんだろうなぁ……」

「だからって、やり方が無茶苦茶です。認められませんよ」

「ディアナ様もスタンザの皇子殿下を想っていらっしゃるならともかく、そうではないようですし」

「……ディアナの気持ちはともかく、スタンザの言葉に嘘はないわけだ。となればますます、革新派の彼らがスタンザ国使団を疑うことはなくなる。そうして善意から王とスタンザの仲立ちを続けて、周りの保守派は彼らの熱意に流されたことにして消極的な賛成に回り――これで送り出した側室に、スタンザ帝国との間に問題が勃発すれば、さぁ誰の責任になる?」


 エドワードの問い掛けに、カシオの、オリオンの、室員たちの顔色が青くなっていく。

 クロードが、大きく喘ぎながら口を開いた。


「まさか……それが、真の狙いですか?」

「俺の勘だけどな。ここ最近の王宮を見ていて、そんな思惑を感じる。――ここまでの仕込みはスタンザ国使団には無理だし、そもそもそんなことをする利点(メリット)もない。せっかく繋いだエルグランドとのツテを自らご破算にするようなモノだからな。この流れで得をするのは、革新派の台頭を目障りに思っている、エルグランド王宮の保守派だけだ」


 しかも。


「そうして革新派の有力者たちの力を削ぐと同時にジュークの味方を減らし、スタンザ帝国との仲を悪化させて自由交易を見直す。更に後宮まで巻き込むことで、どう足掻いたって頂点である『紅薔薇(ディアナ)』が動かなければならない状況を作った。動きさえすりゃ、攻撃の隙なんていくらでも作れるからな。一石二鳥どころか四鳥かそれ以上、そしてその全てが保守派に有利な展開と来てる。――スタンザ国使団の裏に、保守派か、彼らに力を持たせたい〝何者か〟がいるのは間違いないだろう」

「そんな……!」

「……問題は、それが誰なのかってことだ。去年までの奴らと、あまりに手際が違い過ぎる。巧みな世論形成誘導といい、ここまでできるということは、首謀者は既に王宮内か、最低でも王都にはいるはずだが」

「……貴族ではない可能性もある、と?」

「分からん。だからこそ、あらゆる可能性を検証する必要がある」

「しかし、貴族ではない人が保守派に協力する理由なんて……」

「…………あるんだよ、それが」


 以前キースに話して絶句され、「とても信じられませんが、エドワードがその顔で嘘を言っているとは思えませんね」とよく分からない信じ方をされた話を、エドワードは淡々と繰り返す。


 古の伝承記に記された霊力者(スピルシア)たちの物語と、ディアナに受け継がれた『森の姫』の力について。

 そして――何故か現代に生き残っている霊力者たちが王宮の保守派と手を組み、彼らの勢力拡大に協力していること。

 そんな連中にとって、国王側についた〝奇跡〟の具現者であるディアナは、邪魔この上ない存在だろうと――。


 息を呑んだカシオが、何度かオリオンと視線を交わしてから、改めてエドワードを見る。


「では……もしかしたら、スタンザ皇子が姫様に惚れ込み、欲するようになったところから、彼らの〝仕込み〟かもしれないということですか?」

「あぁ。だとしたら、この流れは一石五鳥になるな。ジュークの味方を減らし、革新派の力を削いで、スタンザとの関係を悪化させ、後宮に波風立たせて――ディアナをエルグランド王国から、永遠に追放する」

「そ、んな……そんなこと!」


 クロードが、泣きそうな顔で、何度も首を横に振る。


「ダメです! そんなの、絶対に駄目です! ディアナ様を……姉の恩人を、そんな辛い目には遭わせられません!!」

「クロード……」

「姉、だけじゃない。ディアナ様がいてくださったから、俺はアベルや、ルドルフとも会えたんです。学院に通っていない俺は、同年代の友人を作ることなんて、最初から諦めていたのに……ディアナ様はそれすらも拾って、俺の掌に乗せてくださった。メルトロワ家だって、ディアナ様が救ってくださったようなものです。なのに……」

「……もちろん分かってますよ、クロード」


 カシオが立ち上がり、優しくクロードの肩を叩いて。


「こうなっては、派閥の違いなんてごちゃごちゃ考えていられません。この際、敵の敵は味方論法で、鎖国政策を訴える方と一時的に手を組むことも考えるべきでしょう」

「時間もねぇしな。大事な嬢ちゃんを守るためだ」


 カシオとオリオンの号令に、室員全員が力強く頷いた――、


 瞬間。


「…………すみません、皆。先を越されました」


 がちゃり、と扉が開いて。

 ゆっくりと入って来たパジェロ室長とキースは、これまでエドワードが見たこともないほど青い顔で、蹌踉とした歩き方をしていた。精神的にもタフなこの二人が、これほど打ちのめされている様を見るのは、エドワードでも初めてで。


「何があった、キース?」


 彼が座るのを待って問いかけると、キースはゆるゆると、首を横に振る。


「役立たずと責めて頂いて構いません、エド。……まさか内務省が、あのような搦手を使ってくるとは」

「搦手?」

「連日の直訴は、(フェイク)だ。奴ら、陛下と閣下の動きを止めている隙に後宮管理の権限を行使して、――エルグランド国使団の代表として相応しい側室の選定を、後宮内で行うように通達しやがった!!」


 室長が吠え、机をドン!! と拳で叩いた。ドサドサと書類が雪崩れ落ちたが、それを咎める声はもちろん、一つも上がらない。


「馬鹿な!!」


 真っ先に立ち上がったのはカシオである。


「あり得ない! 王の決定も待たずに、そんな! 越権行為じゃないですか!!」

「いいえ、カシオ……『もし仮に、エルグランド国使団が結成されることになったとしたら』という仮定の話に基づいての通達であったと言い訳されたら、こちらには為す術がありません。むしろ、内務省が後宮の意思を尊重したゆえのことであったと居直られてしまうでしょう」

「だとしても、陛下の決定を待ってねぇことに違いはないだろ!」

「えぇ、オリオン。ですがそれも、現在の王宮の情勢を鑑み、どちらに転んでも準備を滞りなく進めるためであったと言われたら、越権行為と咎め立てするのは難しい。スタンザ国使団の帰国予定日は迫り、けれど王は『スタンザへ国使団を派遣するべき』という声を抑え込めずにいる。エルグランド側の不手際で帰国時期をずらすことになるよりは、どうなってもスタンザの予定を狂わせることがないように動いたまでと言われたら……」

「……筋が通ってるだけに、反論はし辛い、か。国使団を派遣しなくなったらなったで、選ばれた側室が国を出ずに済んで良かった、ってなるだけだもんな」


 冷静に話しつつ、エドワードは煮えたぎる腹の底を押さえるため、拳を強く握り締めた。


(誰だ……誰が裏にいる!?)


 この手際の良さは、内務省にはあり得ない。間違いなく、彼らを動かした〝誰か〟がいるはずだ。


「……ですがこれで、エルグランド王国が代表に側室を立て、スタンザへ国使団を派遣するのは、ほぼ既成事実化するでしょう。陛下がいくら反対なさっても、『後宮では既に国使団長の選定まで始まっているのに』となぁなぁで準備が進んでしまう。これ以上の反対はそれこそ、陛下と閣下のお立場を危うくします」


 力なく言って、キースは真っ直ぐ、エドワードを見た。


「内務省の思惑に気付けなかったのは、我々の落ち度です。思えば、年度末の貴族議会で、我々が陛下と手を結んでいることは秘密でも何でもなくなっていた。この無駄な陳述書も、内務省が我々に降ろしていたどうでも良い仕事の数々も、全てはこの動きを邪魔されないための足止めだったのでしょう。……彼らが私たちを見る目を変えていたのに、いつまでも雑用係の立場を利用できると思っていた私の認識が甘かったのです」

「……それを言うなら、俺だって同じだ。キース、自分を責めるのは後にしろ。父上とディアナに連絡して、今後の対策を立てるぞ」

「今後、って……」


 キースは、頭が良い。そして、スタンザ皇子が真に何を望んでいるのか知っていて、その全てをディアナが理解していることも分かっている。

 そんな彼ならば――。


「ですが、エド。この上、ディアナ様をお守りする策は、今の私には……」

「あのな、キース。お前らがディアナを守ろうとしてくれてることはありがたいし、俺もできればアイツを守りたいが――残念ながら俺の妹はいつだって、ただ守られるだけの立場に甘んじてはくれない」


 そう。エドワードにだって分かっている。

 事態がここまで動いてしまった以上、ディアナはきっと。


「敵さんに上手く動かれてしまったのは痛いが、この流れが食い止められないなら、それすらも利用して逆転への奇貨に変えるしかない。ここは敢えて思惑に乗って、連中の目論み全部、ぶっ壊してやろうぜ」


 午後の日差し差し込む外宮室で、エドワードは高らかに、そう宣言するのであった。


遅くなった割に、それほど盛り上がることもない説明&繋ぎの回で申し訳ありません。

以前感想欄で「王直属の密偵とか居ないのか」と突っ込まれて、「そういや監察局の説明ノータッチだったな」と気付いたお馬鹿さんな筆者はこちらです← まぁ、今のジュークと監察局の関係は、王と密偵というにはちょっと違う気がしなくもないですが……

次回はディアナ視点に戻ります。久々なキャラも登場しますので、お楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[良い点] クレスターが王国全体にわたる「貴族専門の隠密」の網を張り巡らせている、という事実はそれだけで安心感があるでしょうか。 国王も真の目的を知らされていない情報網を牛耳っているとか、大統領もアン…
[一言] お兄様が出てきたのに… (*´-`)ショボン。 でも。 こんなことを言ってしまうと 不謹慎かもしれませんが ディーが愛され過ぎてて 嬉しいがすぎる感も否めず(*´꒳`*) 久々な方は 誰…
[良い点] 勘違いも行き過ぎるとやばいですね!!! あの、1年目の最後に出てきた人が裏に居るのかなって思いました! そして、何故ディアナを王子とくっ付けたいのか疑問です! [気になる点] 連れて行った…
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