皇子は荊棘の檻を知る
間に、合った……!
今週ちょっとバタバタしていて執筆時間がほとんど取れなかったので、マジで落ちるのではとヒヤヒヤしておりましたが、どうにか書き上げました!
というわけで、やっぱり推敲不十分です。というか、このお話は過去話も含めて誤字脱字誤用に溢れておりますので、気になった方は誤字脱字報告にてお知らせ頂けると凄く助かります。読者の皆様のお優しさに助けられている系作家ですね……いつもありがとうございます!
夜も更け、室内灯も消えた、真夜中。
エルグランド王宮の与えられた客室、その寝台にて、エクシーガは眠れぬ時間を過ごしていた。
目を閉じ、眠ろうとする度に、昼間の光景が脳裏を過ぎって睡魔を遠のかせる。
(何だ。なんなのだ、あれは――)
昼間、紅薔薇の姫に案内されて訪れた中庭。回廊の外れにあり、人通りも少なく、決して広くもないその場所で。
まるで人目を避けるかのように語り合っていた男女は、互いに心が通い合っている、幸福な恋人同士に見えた。……そのようなことは、あり得ないのに。
(あのときの、姫は)
エクシーガとほぼ同時にその光景を見てしまった紅薔薇の姫は、一瞬――ほんの一瞬ではあったが、表情が凍りついていて。けれど次の瞬間には、明るい笑みを浮かべてその二人へと近付いていた。
「陛下、シェイラ様」――と、親しげに二人を呼びながら。
……彼女の出現に、見るからに焦りの様相を浮かべていた二人を思い起こし、腹の底で〝何か〟が深く煮え滾る。
(あの、二人は。エルグランド王は……!)
王と、王と語り合っていた娘と言葉を交わす紅薔薇の姫は、最初から最後まで朗らかで穏やかな笑みを絶やさなかった。「このような場所でお会いするとは奇遇ですね」と自ら投げかけることで言い訳の余地を与え、「政務の間、少し時間ができたので、そなたと皇子の茶会に加わろうと後宮を訪れたところで、一人でいるカレルド嬢を見かけてな。何をしているのかと、尋ねているところだった」などという、苦しいにも程がある王の言い分に怒ることもなく、「まぁ、そうだったのですね。シェイラ様、突然陛下に話し掛けられて、驚いたのではありませんか?」と、娘を……王の寵愛を競う相手を気遣う余裕すら見せて。
それ、どころか。
「殿下。せっかくの機会ですので、ご紹介申し上げてもよろしいでしょうか?」
共にいたエクシーガが気まずくならないようにだろう、初対面同士の自分と側室を引き合わせ、シェイラ・カレルドという名の彼女を和やかに持ち上げてみせたのだ。「とてもご聡明で、かつ努力を惜しまれない、素晴らしいご令嬢です」と。
(何故、だ。何故、姫は――!)
あれほど明るく、慈愛に満ちて、笑えるのか。……愛する男の心を奪った、憎くて堪らないはずの女へ、何故。
紅薔薇の姫に声を掛けられる前の二人の距離は、表情は、どう見ても互いに恋い慕う男女のそれだった。あからさまな触れ合いこそなかったけれど、王が娘を見つめる瞳には、確かな恋情の炎が点っていて。娘も信頼と敬愛、そして深い愛情を乗せて、王の言葉に応えていた。
あの様子を見れば、誰だって理解するだろう。――エルグランド王が、真に愛する相手は誰なのかということを。
なのに。エクシーガと同じ光景を見て、凍りついていた……深く傷ついたはずの、彼女は。
「あら、シェイラ様。こちらのルーンは、とても珍しい色をしていますよ」
「まぁ、本当ですね。新種でしょうか?」
「交配の過程で、偶然発露したのかもしれません。ルーンは絹糸をとても綺麗に染めることができますから、この色の花弁を人工的に大量育成できるようになれば、また染色の幅が広がりますね」
「それはとても素晴らしいことです。近いうち、ナーシャ様にお話ししてみましょう」
苦悩の様子などちらりとも見せず、娘との会話を楽しんでいる風情ですらあったのだ。
(分かっている。姫は、そういうお方だ。常に民を、王を……自分以外の誰かを思いやり、その幸福のために力を尽くされる。そんな姫だからこそ、私は――)
胸の内で、閉ざされていた〝蓋〟が、音を立てて開いていく。無意識のうちに自制し、深い深い場所へ押し込めていたはずの〝それ〟。スタンザ帝国とエルグランド王国の友好を願うなら、この先良好な関係を築くなら、決してあってはならないはずの感情――、
だった。
(姫が。紅薔薇の君が真に愛されていないなら、私が己を押し殺す必要など、何処にもないではないか)
そうだ。本当は、ずっと。
恐らく、初めて彼女を見た、あの瞬間から。
(私は、彼女が、欲しかった。身体だけでなく……心まで、全て)
聡明で慈愛深い彼女に焦がれ、そんな彼女の愛を得ている王に、身が捩れるほどの妬心を抱き。
けれど、そんな感情を認めてしまったら……王の寵姫、次期正妃に懸想しているなどと見破られてしまったら、個人同士の諍いでは収まらない。どう足掻いても国同士の問題に、スタンザ側の瑕疵へと繋がってしまうから。男としての妬心を、王族としての羨望へと掏り替えて――素晴らしい正妃を得たエルグランド王を羨んでいるだけなのだと、自分自身を誤魔化した。
そうやって、無意識のうちに抑圧し、閉ざしてきた〝蓋〟が――エルグランド王の真実を得た今、いとも容易く開かれてしまう。
(私が自身を抑えていたのは、姫が心より王を愛し、王もまた姫を寵愛していると、そう思っていたからだ。愛しい男に深く愛され、姫が幸福を得ていると信じればこそ、このような想いは不毛だと割り切ることができていた。……だがまさか、その大前提が覆されようとは)
エルグランド王が彼女を『紅薔薇』として重用し、信頼を置いていることは間違いない。おそらく、人としては好ましく思っていることだろうし、情も抱いているだろう。
だが――それは決して、彼女を一人の女として愛する情ではない。
(シェイラ、とかいうあの側室を見る王を知らねば、私も気付けなかっただろうが……)
エルグランド王は、そもそも情の深い男だ。だからこそ、紅薔薇の姫へと注ぐ情に溢れた眼差しを男の愛と疑わなかったし、二人の仲を信じ込んでいた。
しかし……シェイラを見る王の目を見れば、その違いはあまりにも顕著。王は一度とて姫へ、あれほどの熱を帯びた瞳を向けてはいない。
最初から。ジューク王の心は、紅薔薇の姫には無かったのだ。
(それでは……紅薔薇の姫は、否、ディアナ嬢は、どうなる――?)
彼女がエルグランド王国の次期正妃となるのは、ほぼ決定事項だと聞いた。おそらく、それは真実だろう。能力も人柄も、彼女ほど正妃として相応しい女人は滅多に居ない。エルグランド王が彼女を『紅薔薇』として重じているのも、将来的に正妃とすることを見越しているからに違いない。
正妃としての重責と、国内貴族たちの中傷を、あの優しい少女へ押し付けて。愛する女は側室として囲い、隠し、守って。……それがあの男の魂胆だというのか。
愛する男からの愛情は返されず、しかしその愛ゆえに、与えられた責務を投げ出すこともできずに――!
(そのような……それではあまりにも、ディアナ姫が不憫ではないか!)
睡魔など、とうの昔に消え去った。むくりと起き上がると、エクシーガは室内靴に足を入れ、マッチを擦って卓上ランプに火を灯す。
室内の空気が動いたことを察したのだろう。間を置かず、隣室からサンバが姿を見せた。
「殿下」
「サンバか」
「……眠れませんか」
「あぁ。……お前も、私と同じか」
昼間の一幕は、エクシーガと行動を共にしていたサンバも、当然目撃している。得た情報量が多過ぎて、敢えて話題に出さないまま夜を迎えたが――。
「……殿下はやはり、気にかかっておいでですよね。昼間の、エルグランド王と側室君のことが」
「当然だ。……参考までに聞くが、お前は王と側室を見て、どう思った?」
「あのお二人を見て、男女の仲を確信しない者は居ないでしょう。距離感もですが、何よりお二人の間に流れていた空気は、恋仲特有のものです」
「そう、だな」
他者の人間関係に聡いサンバが断言するのだ。やはり、王が真に愛しているのはあの側室ということで間違いは無いのだろう。
エクシーガの様子に、サンバは表情を有能な補佐官のものへと切り替える。
「殿下がお気になさるだろうと思い、あれからシェイラ・カレルド男爵令嬢について、少し調べたのですが。王が彼女を寵愛しているという噂は、以前も何度か出回ったことがあるものだそうで」
「……ほう?」
「ですが、その噂が本格的に広まる前に、後宮内外で様々な騒ぎが起こって貴族たちの興味はそちらへ移り、いつの間にか立ち消えていたようですね」
「……ディアナ姫の采配か」
「おそらくは」
彼女なら。とてつもなく有能で誰よりも心優しいあの姫君ならば、愛する王とその恋人を守るため、それくらいの手腕は発揮してみせるだろう。王に正妃も世継ぎも居ない現状では、王が側室を寵愛している現実は権力抗争の種にしかならず、下手をすれば側室本人の命すら脅かされない。
国も、王も――真の寵姫も。全てを守るため、彼女は自らを盾としているのだ。
「何故、そこまでできる……! 普通は恨むだろう、憎むだろう!」
「私には、姫の内心まで推し量ることはできませんが……少なくとも昼間の紅薔薇様からは、ご寵姫様を恨んだり、憎んだりするお気持ちは感じられませんでした。それどころか、とても好意的に彼女の存在を受け入れていらっしゃる」
「……本心だと、思うか?」
「さて……紅薔薇様は高貴な女人らしく、心の内を隠す術に長けておいでです。故に、ご寵姫様への好意が見せかけだけなのか、それとも真のものなのか、見分けはつきません。ただ――」
「ただ?」
「ご寵姫様を恨みに思うことも、憎むこともなさっておられないのは、間違いないかと」
……そう。エクシーガも、それは薄々察していた。彼女はシェイラという寵姫を憎んではいない。愛する男の心を奪った、女を。
「……そのような女性が、実在しているとはな」
「スタンザの後宮では、考えられぬことですね」
「それぞれの皇帝陛下の御代で、また後宮の空気も変わるというが……少なくとも、現帝陛下の治世下では、決して見られぬ存在だろう」
スタンザ帝国の現皇帝――エクシーガの父は、稀代の好色家と言われている。齢六十を軽く過ぎた今でも精力は衰えず、後宮には絶えず若い側室が入り、寵愛を受けていた。
しかし、次々と女が補充されるからか、皇帝の寵愛は長続きしない。更に、一度飽きても気まぐれに思い出して再び寵愛することもままあるため、後宮の側室たちの争いは常に過酷で熾烈なものとなっている。それらの争いを皇帝が厭い、官にきちんと管理させていればまだマシなのだろうが、寵愛を競う女たちは華やかで美しく、派手好きの皇帝がそんな美々しい後宮を好んでいることもあり、ほとんど野放し状態だ。側室が、皇子皇女が何人死のうが、皇帝がその事実に心を痛めることもない。……過去に五人の皇妃が相次いで不審な死を遂げてから、それ以上は新たな皇妃を迎えず、側室を皇妃にすることもしないと宣言したことくらいだろうか。彼が後宮の有り様に関わったのは。
(もしも……ディアナ姫のような方が皇妃か、高位の側室でいらしたなら。母上は虐げられることもなく、今もお元気でいらしたのだろうか)
エクシーガは母を知らないが、母を知り、その境遇を不憫に思って密かに手助けしていた者たちから話を聞いたことがある。……ただただ美しく、控えめで気の優しい、淑やかな娘だったと。皇帝の寵愛など望んだこともなく、権力にも興味はなく、最期の最後まで家族と、腹の中の子の未来を案じるような、温かな心根の持ち主だったと。――だからこそ、スタンザ帝国の後宮では生き延びる術がなかったのだ、と。
話でしか知らない母と、エクシーガが目の当たりにした姫の姿は重なる。母は愛してもいない男の子を産まされ、姫は愛する男に愛されないという違いはあるが、両者とも過酷な現実の中で誰を恨むこともなく、他者を思い遣って自身を擦り減らしているのは同じだ。
「何とか……お救いすることはできないだろうか」
呟きは、ほとんど無意識に。サンバに向けてというよりは、自問の如く零れ落ちた。サンバが少しだけ目を大きくする。
「それは……紅薔薇様を、ということですか?」
「……あぁ、そうだ。今のままでは、あまりに姫が不憫で見ていられぬ」
「……エルグランド王は、紅薔薇様に男女の情こそ抱いては居ないようですが、人としての親愛の情はお持ちでしょう。愛する男に人として好かれ、望まれているこの状況は、一概に不憫とも言えませんよ」
「サンバ、お前らしくもない。それは要するにエルグランド王が、姫の愛情を良いように利用しているということではないか。あれほど聡明で愛情深い方が、その現実を理解していらっしゃらないと、私は思えない。……現実を直視すれば心が耐えられないから、見ないフリをしておられるだけだ」
エクシーガの言葉を静かに受け止めたサンバは、数拍の沈黙を数えてから――。
「……殿下がそう言い出されることを、私は危惧しておりました」
大きな息を一つ、深々と吐き出した。
「そのご様子では、殿下もご自身のお心に気付かれたのですね」
「私の心、だと?」
「殿下は、紅薔薇様に――いずれはエルグランド王国のご正妃様となられるお方に、男としての情を抱いていらっしゃる。人としての親愛ではなく、男としての恋情を」
断言するサンバに返す言葉を見つけられず、エクシーガは目を逸らした。先ほど開いたばかりの〝蓋〟は、そこから溢れ出した感情は、既に誤魔化せるものではないけれど……一人で開き直って認めるだけならまだしも、誰かに想いの丈を打ち明けられるほど、図太くはいられない。
何故なら。
「エルグランド王が愛していようが愛していまいが、紅薔薇様が未来の正妃殿下でいらっしゃることは揺るがないでしょう。エルグランド王の婚姻に恋情は関係ありません。スタンザの皇妃選びと同じく、政略と本人の適性が全てです。長くエルグランド王家を支えた名門古参貴族家の直系姫であり、聡明かつ有能、国と民を思い遣る慈愛の心深く、更には正妃殿下代理としての実績も申し分ない紅薔薇様を、エルグランド王が手離すとは到底思えませんが……それでもなお、殿下はかの姫への想いを自覚されたのですね?」
そう。サンバが言う通り、どれほどエルグランド王が非情であったとしても、彼女が正妃代理であり、未来のエルグランド正妃である現実は変わらないのだ。……ただ、信頼と愛情で結ばれていると思っていた未来の国王夫妻が、実際は片方の愛情をもう片方がひたすらに搾取する間柄であったというだけで。
けれど、それは所詮、他所の王家の話。夫婦のあり方など人それぞれなのだから、互いが納得しているのなら、他人が口出しできる問題では――。
(……納得、しているのなら?)
「――サンバ」
エクシーガは改めて、深い憂いに満ちている側近へと声を掛けた。静かにこちらを見る彼を、真正面から見返して。
「お前の言う通りだ。王族の婚姻に愛情は関係なく、家柄と適性で全てが決まる。エルグランド王が彼女を愛していなかったとしても、生涯彼女の傍で彼女以外の女を愛し続けたとしても、そこから彼女が逃れる術はない。……ディアナ姫が、正式に正妃となった後ならば」
「殿下……しかしそれは、紅薔薇様もお覚悟されてのこと。拝察した限り紅薔薇様は、現状を正しく理解された上で、その全てを受け入れていらっしゃるようでしたが」
「そうだな。エルグランド王国しか知らず、王以外を愛することを赦されない環境に置かれては、そうあることしかできないのだろう」
目の前の側近を強く見据え、エクシーガは言葉を紡ぐ。
「例えば姫が、世界はより広いことに気付かれたのなら。エルグランド王国だけが世界の全てではなく、他にも姫を受け入れ慈しむ土地があると実感されたなら。男はエルグランド王だけでなく――姫を心から愛する者が他にもいると知り、その者を想われるようになったとしたら。形だけの〝正妃〟に、生涯女としての歓びを与えられぬ生に、執着されると思うか?」
「……聡明で博識な、かの姫君ならば。他の人生の可能性を見出された時点で、少なくともエルグランド王への愛情に縛られて生涯を過ごされることの虚しさは自覚なさるでしょうね」
「そうだ。あの頭脳明晰な姫君が、強いられている未来の理不尽さを知らぬはずもない。ただ、他の道を知らぬゆえ、……知っていたとしても実現の可能性の低さゆえ、考えないようにしていらっしゃるだけだろう」
「……殿下、何をお考えなのです?」
滅多にない深刻な表情のサンバは、おそらくエクシーガの考えを八割方読み取っているだろう。だからこそ、この顔なのだ。
信頼する側近へ、エクシーガは告げる。――自身の策略と、決意を。
「姫が他の生をご存知ないのなら。知っていても諦めておいでなら、ご提示申し上げれば良いだけだ。エルグランド王国とはまるで違う、スタンザ帝国の存在を。――エルグランド王に固執せずとも、姫を愛する男が此処に居ることを」
「それで、紅薔薇様のお心が直ぐに動くと?」
「直ぐには難しいだろうな。だが、エルグランド王と引き離し、スタンザ帝国を間近にお見せすることができれば、知的好奇心旺盛な姫のこと、いずれはお心も解れよう。お傍で愛を囁き続ければきっと、愛情を返さぬ男を愛し続けることの不毛さを悟ってくださる」
「……本気なのですね」
「このまま手をこまねいて見ていては、姫をお救いすることは叶わなくなる。姫がまだかろうじて側室でいらっしゃる、今が千載一遇の好機なのだ」
私事で冷静さを失っているという批判は、甘んじて受けよう。それでもエクシーガは、彼女――ディアナがこのまま、王と国に利用され尽くして朽ちていく未来を許容することはできないのだ。
(狡猾な卑怯者が上手く世を渡り、優しく愛情深い人が犠牲となる世界など、あまりにも虚しいではないか)
エクシーガはあくまで学者であって為政者ではないが……曲がりなりにも皇族として、使える権力が僅かでもこの手にあるのなら、目の前の理不尽一つくらい、砕いてみせる。
――部屋を移動し、執務机に腰を落ち着けて、エクシーガは紙と筆記具を取り出した。
「サンバ。帰国の準備は進んでいるのか?」
「……はい、殿下。ご指示の通りにスタンザ本国と連絡を取り、帰国の許可を得ております」
今回のエルグランド訪問を真の親善外交へと方針転換した時点で、皇帝へ直接の状況説明を行う必要性も鑑みて、予定を早めて帰国する旨をスタンザ帝国上層部へ伝えるよう、指示を出してあった。事務方の官吏たちは忠実に命を実行し、本国の許可を取り付けたようだ。初期の失策もかなり取り返せたことだし、ここらが引き際であろう。
「皇帝陛下の許諾を得たのならば、後はエルグランド側との交渉を残すのみだな」
「本来であれば、厄介な客である我らが『帰りたい』と言ったところでエルグランド側が拒否する理由はありませんから、交渉など必要ないはずでしたが」
「少し時間がかかることは想定しておかねばならんが……これも絡め手でいくべきだろう。直接ディアナ姫を指名するのではなく、な」
「謝罪とはわけが違います。上手く動いてくれるでしょうか?」
「……この際、手段は選んでおられぬ。姫には敵も多いと聞いた。方法次第では、利用できる」
「なるほど。承知致しました」
「……もう反対しないのか?」
返答が滑らかになったサンバへ尋ねると、彼は分かり易く苦笑して。
「殿下のご意志の強さは、よく存じ上げております。こうなった以上、私の反対如きでお考えを曲げられることはないでしょう。……それに、個人的な意見を申し上げますならば」
「……個人的な、意見?」
「何も、あのように難易度の高い女性を選ばれずとも、とは思いますが。紅薔薇様ご本人は、大変に素晴らしいお方です。殿下の妃として召されるに、最上の女人と心得ますゆえ」
「……そう、か」
サンバは、エクシーガが最も信頼する男だ。付き合いこそそう長くはないが、その密度は濃い。そんな彼に気持ちを肯定してもらえたこと、味方となってもらえたことは、考えていた以上にエクシーガの精神を安定させた。
「私は皇帝陛下へ嘆願の書を認めよう。――エルグランド王国からの客人を、スタンザ帝国へと迎え入れて頂きたい、とな」
「承知致しました。直通で速やかに宮廷へと届くよう、手配しておきます」
「あぁ、頼む。……エルグランド側への交渉の詳細については、夜が明けたら改めて高官たちも交えて協議しよう」
「朝までに、一応の叩き台は作っておきますよ。殿下が紅薔薇様を慕われ、それゆえにスタンザへとお迎えしようとなさっていることは、今はまだ秘しておいたほうが無難でしょうから。詳細をぼかしつつ、高官方を巻き込めるよう、策を立ててみます」
「助かる。いつも済まないな、サンバ。――ありがとう」
「お礼など、畏れ多いことです。……私は殿下に〝光〟を頂いた身。殿下に尽くすのは、当然ですよ」
はにかんだように微笑んで部屋を出て行くサンバを見送り、エクシーガは改めて机に向かい、紙に筆記具を走らせる。
(必ず、お救いしてみせる。残酷な世界の糸を、私が断ち切るのだ――!!)
……東の空が白むまで、もう少し。
サブタイトルを『 エ ク ス ト リ ー ム 勘 違 い 』にするべきじゃないかと、割と真面目に悩んだ今話でした。
次回はディアナ視点に戻ります。ジュークとシェイラに石投げるのはもうちょっと待ってあげてください!




