波乱のお茶会
前回に誤字報告をくださった皆様方、ありがとうございます!
今回もストックが無い中、キャラが動くまま勢いだけで書いたので、仮にもプロにあるまじき雑な文章になっております……。
お忙しいところ恐縮ですが、誤字脱字を発見されました際は、ご一報頂けますと助かります。
――天窓から差し込む秋晴れの光が、室内を美麗に輝かせている。
後宮の最上階、これまでディアナたち側室が足を踏み入れたことがない正妃のエリアにひっそりと設けられていたその部屋にて、そのお茶会は静かに幕を開けた。
「今日はよく来てくれた、エクシーガ殿」
「こちらこそ、お招き頂き光栄の極みにございます。ジューク陛下、紅薔薇様には、ご機嫌麗しく」
室内にいるのは、ごく少数。その中でもテーブルについているのはたったの四名という、規模だけならば最小の茶会である。外面だけは和やかにジュークと皇子が挨拶を交わし、二人の視線はさり気なく同じ丸テーブルに座っているディアナへと向く。
ジュークの振りを正確に受けとめ、ディアナはこちらも完全な外面だけで微笑み、口を開いた。
「ようこそおいでくださいました、皇子殿下。本日はお日柄もよく、まさに茶会日和と言えましょう。この茶会が両国の親善の場となりますことを、後宮にお部屋を頂戴しております一人として、心より嬉しく思いますわ」
よほど勘の鈍いものでなければ即座に感じ取れるであろう、〝ザ・建前〟に満ちたディアナの挨拶。もちろん全てわざとで、ジュークとも念入りに打ち合わせした上での振る舞いだ。今回の茶会におけるディアナはあくまでも口実なのだから、最低限の役割だけ果たせば良い。『紅薔薇』も『ディアナ』も、今回に限っては無用の長物である。
そんなディアナに、通訳兼エルグランド貴族の代表者として茶会に同席しているヴォルツ・モンドリーア宰相閣下が柔らかく語りかけてくる。
「此度の茶会におきましては、恐れ多くも紅薔薇様にご準備をお任せすることとなり……大変なお手間を取らせてしまいましたこと、誠に申し訳ございません」
「詮無いことですわ、宰相閣下。わたくしが後宮に住まう側室であり、気軽に王宮へ足を運ぶわけにはいかない以上、わたくしを交えての茶会が後宮で開かれることとなるのは自明の理。であれば、そのご用意も後宮側で行うべきでしょう。労いのお言葉であれば、わたくしよりも女官長と女官、侍女たちへお願い致します」
「確かに、仰るとおりですな。――マグノム夫人。急なことであったにも拘らず、これほど見事な室礼を整えてくださったこと、感謝致します」
「私からも、感謝を述べさせてくれ。皆、よくやってくれた」
「……勿体無いお言葉にございます。陛下と宰相閣下のお言葉は、皆の励みとなることでしょう」
座るディアナの斜め後ろに控えるマグノム夫人が、抑揚のない静かな声で返答した。同時に、壁際に控えるミアとユーリ、リタが揃って一礼する。今回の茶会は何がどう転ぶか分からないため、室内に控える人数を極力少なくしているのだ。本来なら王宮侍女だけで人員を賄うべきだろうけれど、馴染んだ侍女がいる方がディアナの緊張も和らぐだろうというマグノム夫人の気遣いによって、リタも室内組に加わっている。
そして、この後宮組の空気は、さり気なく冷たい。初対面の人には「お役目に忠実な感じなのかな?」で流され、しかし自分たちをよく知るジュークやヴォルツにはしっかりと伝わる、絶妙の加減で冷たい。この茶会に関しては、マグノム夫人と『紅薔薇の間』の面々のみならず、事情を知る後宮組は残らず反対しているわけだから、ある意味では当然だが。無言でここまで圧を掛けられるのは、さすがの一言である。
(心なしか、わたくしにまで圧が来てる気がする……)
……軽やかな秋の日差しとは対照的に、部屋の空気は何となく重い。
そんな中、扉の向こうから「失礼致します」と楚々とした声が掛けられ、『紅薔薇の間』の残りの侍女二人、アイナとロザリーがカートを押して入ってきた。カートの上には絶妙な加減で蒸らされたお茶が入ったポットが四つ乗せられており、二人はそれを一つずつ、ジュークから時計回りにエクシーガ、ヴォルツ、そしてディアナへ置いていく。
二人がカートを転がして部屋を出たタイミングで、それぞれの背後に控えていたアルフォード、エクシーガの従者らしき男、キース、マグノム夫人が動き、テーブルに置かれたカップにしずしずとお茶を注いだ。ちなみに、ヴォルツの従者役を急遽キースが務めているのは、この茶会が開催されることになった経緯を詳細に知り、かつスタンザ語が堪能な者がストレシア侯爵の他はキースしか居なかったという事情によるものだ。ストレシア侯爵はさすがに、従者として茶会のサーブを務めるには身分が高すぎるということで、キースに白羽の矢が立った。
正式な茶会では、お茶を一口飲んでから会話を始めるのが絶対の作法だ。この場で最も身分が低いディアナがまずはカップを口に運び、次いで各々がお茶を飲んでいく。今日のお茶はレティシアの実家、キール伯爵領特産の茶葉にディアナがいくつかハーブをブレンドした、今日のための特別製だ。
――お茶をゆっくりと味わった様子のエクシーガが、カップを静かに皿へと戻し、ゆったりとした笑みを浮かべる。
「素晴らしい。こちらのお国はお茶の文化が発展していると伺っておりましたが、今日のお茶は一段と深みのある味わいですね。それなのに、後味はすっきりとしている」
「……確かに、あまり飲んだことがない味だな。紅薔薇、これはそなたが?」
「はい、陛下。スタンザの皇子殿下をお招きしての茶会ですので、僭越ながらハーブブレンドしたお茶をご用意致しました」
「なんと」
目を丸くした皇子は、再びカップを持ち上げ、しかしお茶は飲まずにその香りを確かめて、こちらを向いた。
「では、お茶にマァリの香りが漂っているのは、勘違いではないのですね?」
「スタンザでは、庶民から皇族まで幅広く親しまれている草花と拝聴したことがございますので……少々、香り付けに使用しております」
「なんと細やかなお心遣いを……」
琥珀の瞳を潤ませての言葉に、ディアナはただ曖昧な笑みを返す。
ジュークが演技ではない疑問の瞳を向けてくる。
「マァリとは、植物の名か?」
「はい、陛下。スタンザ帝国のような雨の少ない土地でも逞しく根を張って育つ、乾燥に強い植物です。年に一度、雨季の頃に色鮮やかな紫紺の花を咲かせるそうで……」
「お詳しいのですね」
「好きなのです、草花が」
「しかし――」
さらりと流したつもりだが、皇子は更に食いついてくる。
「マァリの花は、熱を加えると香りが飛んでしまいます。なのにこの暖かいお茶からは、マァリ独特の華やかで爽やかな香りがしっかりと立ち上っている。いったい、どのような魔法を使われたのでしょう?」
「……魔法など」
会話を切り上げたいが、皇子の様子を見るに曖昧な返答では納得してもらえなさそうだ。ディアナはちらりとジュークへ視線を流し、了承を得てから視線を皇子へと戻す。
「それほど大したことはしておりませんよ。ただ、マァリの花を砂糖漬けにして、茶葉にお湯を注いだ後、仕上げにポットへ数枚落としただけです」
「砂糖漬け……」
「はい。殿下が仰る通り、マァリの花は熱を加えても、乾燥させても、香りがほとんど残りませんから。フレッシュの状態で砂糖漬けにしてしばらく寝かせることで、熱を通しても香りを楽しむことができるようになりました」
「それは……あなたが見つけられたのか?」
「……マァリと似た性質を持つ花の調理法を応用しただけですわ。特別なことは、何も」
正確にはいつもの如く〝マァリが教えてくれた〟のだが、ここでそれを皇子に告げるのはただの馬鹿である。熱に弱い成分を〝活かす〟のに、塩漬け、砂糖漬けはポピュラーな方法の一つではあるから、この返答も間違ってはいない。
これで会話は一区切りしたはず――ともう一度お茶を飲んでいると、何故か正面の皇子は感極まった様子で、こちらに身を乗り出してくる。
「……あなたは、本当に素晴らしい方だ。返す返すも、初めてお会いした日の己の愚かさが悔やまれてなりません。エルグランド王国の次期正妃殿下への非礼という意味だけではなく、あなたのような優秀で慈悲深い、尊敬すべき女性に対し、あの日の私は余りにも無礼が過ぎました。お許し頂けるとは思いませんが、今一度、お詫びさせてください」
「その件でしたら、わたくしへの謝罪は不要ですと、以前も申し上げたはずです。両国における慣習の違いが生んだ不幸な偶然であることは聞き及んでおりますし、わたくしは気にしておりませんから」
「ですが……我々の言動がエルグランド王国を蔑ろにするものであったことには、ご立腹でいらっしゃる」
「そちらのお話はむしろ、わたくしではなく陛下となさるべきでしょう。わたくしはあくまでも一側室、政に関与できる立場にありません」
「ご謙遜を。あなたがいずれご正妃となられることはほとんど内定しているも同然と、伺っておりますよ」
「……仮にそうであったとしても、今のわたくしが側室であることに違いはございません」
……話の流れが、何だかおかしい。今日の茶会のメインはあくまでもジュークとの会談と睨んでいたが、先ほどから皇子の視線はディアナに固定されっぱなしだ。ジュークの方など見向きもせず、ただディアナとばかり会話を続けたがっているように見える。
いや、建前としてはこれで正解なのだ。今日の茶会は『スタンザの皇子が公的な場で紅薔薇へ謝罪したがっている』体で開かれたのだから、ディアナとの話がメインになるのは別段おかしいことではない。
……おかしいことでは、ないのだが。
(わたくしと話して、スタンザ側に何か利点ある……?)
側室筆頭『紅薔薇』を懐柔できれば、確かに大きな成果かもしれない。しかし、それはあくまでも、他の王族と繋ぎが取れない場合の話だろう。この場には王国の頂点たるジュークも、『第二の王家』の当主であるモンドリーア公爵も揃っているのだ。このメンツで敢えてディアナを攻略する意図が、イマイチ掴み切れない。
「――スタンザ国使団の非礼の数々に関しては、ジューク陛下にも深くお詫び申し上げました。謝罪一つで許されることでもありませんが、全てはエルグランド王国のことを深く知ろうともせず、安易に帝国の傘下へ降るだろうと考えていた我らの浅慮が招いたこと。国へ戻った暁には、皇帝陛下へエルグランド王国の併合は見送られるよう、進言申し上げる次第です。貴国とは、末永い友好を築いて参りたい。そう、心から思います」
「そのお言葉が現実のものとなることを、王国に住まう一臣民として願っておりますわ」
「はい。故に、姫ともこれを機に、より親しくお話しできればと思うのですが……」
「お気持ちは大変ありがたいのですが……」
……どうも真面目に、雲行きが怪しい。今日の茶会、スタンザ側はまさか本当に、ジュークもヴォルツもすっ飛ばして、ディアナに狙いを定めてきたのか。だとすれば、その目的はどこにある。
ジュークも同じことを考えたようで、さり気なくカップを皿に置くことで、皇子の言葉を一旦止めた。
「エクシーガ殿。そのお言葉は如何なる意味であろう?」
「意味、とは?」
「紅薔薇は、私の側室である。エルグランド王の側室に対して〝親しく〟とは、些か軽はずみではないか?」
「これは、失礼を致しました。私はただ、エルグランド王国の次期正妃でいらっしゃる紅薔薇の君とも、王族同士の友好を深められたらと願っているだけなのですが……」
「そのお心はありがたく受け取ろう。――いずれ、我が国に正妃が誕生した暁には是非、新たな王族の誕生を祝ってもらいたい」
「えぇ、もちろんです」
にこやかにジュークと言葉を交わす皇子はさすがにもの慣れているが、第三者として見てみると、彼がいかにも社交辞令的に受け答えていることがよく分かる。……ディアナと話しているときとは明らかに、会話にかける熱量が違うように見えるのだ。
「それで、陛下。紅薔薇の君の正妃擁立はいつ頃をお考えでいらっしゃるのでしょう? その際は是非また、帝国を代表してお祝い申し上げたく存じます」
「まだはっきり決まってはいないが……時期が来ればもちろんお知らせしよう」
「ですがそれでは、紅薔薇の君も落ち着かぬことでしょう。ご自身のお立場がいつまでも側室のままでは、後宮の掌握とて困難なはず」
「それは……」
「紅薔薇の君は、貴国に古くから仕える伯爵家をご実家に持ち、現後宮においては側室筆頭のお立場を恙無く務めておいでの、正妃とするに何ら瑕疵のない優れたお方であると聞き及んでおります。事実、私の目から見ても、姫は民に慈愛深く、国を守る気概をお持ちであるだけでなく、あらゆる分野の学びを深めていらっしゃる、まさに正妃の器でいらっしゃると感じました。そのようなお方をいつまでも側室に留めておく方が、却って国に混乱を招くのではありませんか?」
(うわぁ……どっかでカイが「ほーら言った通りじゃん」って顔をしてる様が目に浮かぶ)
今使っているサロンは、正妃が少数の客を招いて茶会を開く際に使うための場所らしく、ディアナにとってはほぼほぼ初見(準備などを含めても数回しか足を運んでいない)だが、どうせこの部屋にも中を覗き見できる隠し部屋なり通路なりはあって、カイ(とおそらくシリウス)はそこで一部始終を見守っているのだ。今日に至るまで不機嫌なカイではあるが、いざとなればその不機嫌も気配も綺麗に消して忍べる辺り、やはり玄人の隠密である。
そして、そのカイが再三言っていたことが、「ディーが寵姫って言われてるのに正妃が決まっていない状況そのものが不自然で、王サマの権が弱まってなきゃあり得ないことなんだから、今更ディーが茶会を受けた程度じゃ誤魔化せない。よって、スタンザ皇子の要求を聞いてやる意味はない」という理屈で。それをまんま突かれてしまったわけだから、「それ見たことか」と言われても文句は言えない。
「……僭越ながら」
言葉に詰まったジュークに、ヴォルツが助け舟を出した。ちなみに、この会話の流れは予めシミュレーションしていたものの一つだ。カイがあまりにも「あの建前でディーが正妃になっていないのは不自然」と繰り返すものだから、念のため意見の一つとしてジュークへ伝え、突っ込まれた場合の対応を考えてもらっておいた。
「殿下の疑問はご尤もにございますが、このお話は陛下と紅薔薇様のお口から説明されるのは、当事者でいらっしゃる分難しいでしょう。私からお話ししますこと、ご容赦頂けますでしょうか?」
「もちろん、構わぬが」
「寛大なお心に感謝致します。……実は、誠にお恥ずかしいことながら、殿下のように紅薔薇様をご正妃に相応しいと考えている我が国の貴族は、全体から見ればそれほど多くはないというのが現状なのです」
「……ふむ?」
「もちろん、その理由はまるで根拠のないものがほとんどですが――、失礼ですがそちらの、殿下の従者でいらっしゃる方……」
「サンバが、何か?」
「サンバ殿、と仰るのですね。サンバ殿は本日、初めて紅薔薇様のご尊顔を拝されたかと思うのですが」
「……サンバ、お答えせよ」
王子に振られ、これまで皇子の後ろで影のように控えていた従者が進み出た。
「は」
「お前は、紅薔薇の君のお顔を拝見するのは初めてだな?」
「左様にございます」
「単刀直入にお尋ねしますが、紅薔薇様にどのような印象を持たれましたか?」
「それは……」
「どうした、お答えせよ」
「は。恐れながら、大変ご聡明な姫君でいらっしゃると感じた次第です」
「紅薔薇様のお顔については、どのように?」
「……とても、お美しい方だと」
全力で忖度された回答が、地味にじわじわ来る。思わずディアナはくすりと笑っていた。
「気を遣われることはありませんわ。『美人だけど、悪そう』――言われ過ぎて慣れっこですもの」
「な……!」
「サンバ。そなた本当に、そのような失礼なことを考えたのか?」
「殿下、どうかサンバ殿を責められませぬよう。サンバ殿が抱かれた印象は、我が国の貴族たちが紅薔薇様へ抱いているものでもあるのです。……持って生まれた身体的な特徴ではありますが、紅薔薇様はそのご容姿ゆえに、謂れのない偏見の目に晒されてお過ごしでした。殿下のように紅薔薇様の本質に気付く者は少なく、我が国の貴族の多くは紅薔薇様を冷血非情の悪女だと思い込んでいる。そのため、紅薔薇様の正妃擁立に反対する者は、殿下が考えていらっしゃる以上に多いのです」
「そのような反対、陛下の一言で黙らせれば良かろう」
「それが、紅薔薇様のお優しいところでしてな。王の婚姻は臣民一体となって祝うべき慶事なのだから、全員は難しいとしても、可能な限り多くの貴族たちから理解を得たいと、そう願っていらっしゃるのです。陛下もそんな紅薔薇様の意を汲み、水面下で正妃擁立に向けて動いておいででして……それゆえ、まだ時期は見通せないのです」
「本当に……あなたはどこまで清いお心をお持ちなのか……」
ヴォルツの絶妙な言い回しに、皇子はひとまず納得してくれたようだ。ちなみに、この会話もヴォルツらしい罠満載で、「ディアナの正妃擁立が難しい事情」と「可能な限り多くの貴族の支持を集める方向で、正妃擁立を水面下で進めている」と本当のことを繋げて語っているが、一言も「ディアナを正妃として擁立する」とは明言していない。今後エルグランド王国の正妃擁立がどのように転ぼうと、「騙したな!」とスタンザ側が付け入ることはできないだろう。さすがは『折衝交渉の魔術師』、舌先三寸を操らせたら、ヴォルツの右に出る者は居ない。
しかし、それはそれとして……スタンザの皇子がディアナのことを無駄に高く買っているのは、どうやら疑いようのない現実のようだ。正直ディアナとしては、ここまで綺羅綺羅しく語ってもらえるほど、彼に何か言った覚えは無いのだけれど。
「……エルグランド王は、お幸せでいらっしゃいますね」
会話の途切れたテーブルで、不意に皇子が半ば独り言のように呟く。
「これほどまでにご聡明で慈悲深く、国と民を思い遣るお心に満ちて、かつ王を深く愛する女性になど、出逢おうと思ってもなかなか出逢えるものではありません。――賢妃に愛された国は栄え、王は真の幸福を得る。昔から、我が国ではそのように言われております。紅薔薇の君はまさに、エルグランド王国とジューク陛下にとって、最上の宝なのでしょう」
「……まさか」
それは、ほとんど無意識だった。気付けばディアナは、否定の言葉を音にして響かせてしまっていて――驚いた様子のジュークに視線だけで謝ってから、ディアナは真っ直ぐ、皇子を見据える。
「わたくしが、国と陛下の宝? まさか、本気で仰ってはおりませんでしょう?」
「姫……?」
「スタンザ帝国の概念は存じませんが、我が国の宝は、いつの時代も民です。この国に生きる一人ひとりの民こそが、王国にとってかけがえのない宝なのです。正妃は王とともに国を背負う者であって、間違っても国の宝と持ち上げられるために存在しているのではございません」
皇子と従者が、揃って目を丸くする。堰を切ったように溢れる言葉を、冷静な自分が客観的に分析していた。――どうやら、皇子の意図がまるで分からないこの茶会に、自分は相当のストレスを感じていたらしい、と。
「スタンザ帝国の方々が考える国の栄えとは、具体的に何を示すのでしょう? 領土の広さですか? 皇族や特権階級の権勢でしょうか? ――それとも、軍事技術の進歩でしょうか?」
「紅薔薇……!?」
「我が国は、そのような栄えは求めておりません。有史以来、エルグランド王家の方々が願い、目指してきたものはたった一つだけ。――王国に住まう全ての民が、今日の幸福が明日も続くと信じられる、そんな〝世界〟です」
……あぁ、そうか。ディアナはたぶん、もうずっと前から。スタンザの皇子と、初めて会ったときから。
言葉だって通じる、同じ人間のはずなのに。互いの求める〝世界〟が決定的に食い違っている現実に、歯痒い絶望を感じていたのだ。
違っていることは、悪いことではない。けれど、違っていることを互いに認め合わなければ、歩み寄ることも、妥協点を探ることもできない。
スタンザ帝国は、現時点では仮想敵国だ。けれど、ずっとそのままとは限らない。
かつて、群雄割拠の時代にあった半島において、専守防衛を貫いていたエルグランド王国がミラクルな半島統一を成し遂げたのだって、仮想敵国だった相手と歩み寄る努力を怠らなかったから。別に半島を統一したかったわけじゃないけれど、自国の民と、相手国の民の幸福を願い、可能な限り平和な妥協点を探って探って探って、そうして信念を貫いた先に、奇跡のような戦のない時代が待っていた。
そんな奇跡を奪おうとするスタンザ帝国が、ディアナは単純に許せない。けれど、それはディアナの正義で、信念だ。スタンザにはスタンザの正義が、信念がある。
それを詳らかにしてくれるなら、まだ分かろうとする努力ができるのに。この期に及んでもまだ、スタンザの〝友好〟は上滑りだと、肌で感じてしまったから。それなのに、ディアナを称賛する言葉だけは何故か本心だと察せてしまうから。
――クレスターの真実を見極められる目と心があるのなら、違う〝世界〟だって見つめられるはずなのに、と八つ当たりにも似た苛立ちを募らせてしまうのだ。
「全ての民が今日という日に幸福を覚え、その幸福が明日も続くと疑う余地なく信じて眠る。そして、彼らが信じた通りの明日が訪れる。……夢物語に過ぎなかったその〝世界〟を、歴代の国王陛下は諦めることなく追い求め続け、ジューク陛下も未だ不十分だと、追う努力を続けていらっしゃいます。民の幸福こそ、エルグランド王国の栄え。それを脅かす者は、いかなる建前と美辞麗句で取り繕おうと、等しく我が国の敵です」
「姫……我らは……」
「仮に、スタンザ帝国が我が国を併合なさったとして。この地に生きる全ての民の幸福を守り育んでくださいますか? 同じスタンザの民として差別することなく、自由に生きる権利をくださいますか? ……接待の官吏たちを奴隷のように扱ったと、それが併合した国の民に対する〝当たり前〟だったというお話を聞く限り、わたくしには民の苦境しか想像できませんが」
「ひめ……」
「わたくしは、宝になどなりたくはございません。宝と崇められ、ちやほやされ、守るべき大切なものすら見えなくなるような、そんな称賛は必要ない。――もしもそれがスタンザ帝国における栄誉で、それゆえわたくしにお気遣いくださっているのであれば、不要ですとこの場にてはっきり申し上げます」
皇子の表情が、恐怖にも似た驚愕に染まり、固まっている。……ここまで言い切ってから、ディアナはしみじみ、自分にお人形は無理だったなと自省した。
「……陛下、申し訳ありません。出過ぎた真似を致しました」
「いや……このような忌憚ない意見が交わせればと思ったからこそ、少人数での茶会にしたのだ。とはいえ、そなたの言葉はさすがに直截が過ぎるが」
「もともと、周りくどい言い回しは苦手なのです……」
「そうだった、な。いかに普段のそなたが対貴族用の巨大な化けの皮を被っているか、改めて実感したぞ」
「巨大ではあっても厚みはそれほどないので、ちょっとしたことですぐ剥がれるのが難点ですね……もっと精進せねば」
「……陛下、紅薔薇様。反省会は後にしましょう」
額を押さえ、ヴォルツが発言した。「どうするんだこの空気」という彼の心中がひしひしと伝わってきて、ディアナとしてはひたすらに申し訳なさしかない。
「大変失礼を致しました、宰相閣下。殿方のお話に割って入るなど、淑女にあるまじきことを」
「えぇ。控えて頂きたかったですが、紅薔薇様には無理な相談でしたね。――こうなったからには、我々も実務的なお話に切り替えましょう。エクシーガ殿下、よろしいでしょうか?」
「な……実務的、だと?」
「はい。紅薔薇様のお言葉は、陛下も仰った通り直截が過ぎますが、我が国の基本的な姿勢であることは確かです。その理屈から申し上げれば、いくら国使団の皆様方が親善外交にお心を尽くされようとも、本国の意見が何一つ翻っておられない以上、あなた方を信じることも受け入れることも出来ようはずがないことは、お分かり頂けるかと」
状況に応じて柔軟に話を転がしていくヴォルツは、まさに有能な政治家の見本そのもので、さくさく話を進めていく。
「あなた方の仰る〝親善外交〟を本物としたいのであれば、少なくとも一度本国へお帰りになり、『未来永劫エルグランド王国は侵略しない』という証を持ってきて頂く必要があります。それが無い現時点では、あなた方は侵略者の斥候に過ぎない。自由な行動がある程度制限されることは、甘受してください」
「……なるほど。我らは受け入れられていたわけではなく、泳がされていたのだな」
「とはいえ、これまでのスタンザ国使団の動きを見る限り、あなた方はただ紅薔薇様への執り成しを願っているだけに見えましたが。本日の殿下のご様子からも、紅薔薇様に正式な謝罪をしたいというお気持ちは本心のようだ。……そのお気持ちは、受け取られては如何ですかな?」
突然振られ、ディアナは困惑しつつ返答する。
「ですから、何度も申し上げますが、わたくしに謝罪されても困ります。あのとき、皇子殿下が見下し蔑ろにされたのは、わたくしを通したエルグランド王国全体なのですから。本当に申し訳なく思われるのであれば、わたくしへの謝罪ではなく王国に対して誠意ある姿勢を見せられるのが筋でしょう」
「……そなた、完全に化けの皮を外したな」
「遠回しに言っても伝わらないようなので、直截に言うしかないかなと思いまして」
「――諦めろ、エクシーガ皇子。そなたが紅薔薇をどのように見ているのかは知らんが、こうなった紅薔薇は決して曲がらん。そなたが行動で示さぬ限り、そなたの心を信じることも、そなたの謝意を受け入れることもないぞ」
「……姫は、とても厳しい一面もお持ちなのですね」
はぁ、と大きな息を吐き出して――皇子は唐突に、肩の力をがくりと抜いた。
「我々では、決して辿り着けぬ思想です。――民の幸福こそが国の栄え、など」
「そうだろうな。世界の中ではエルグランドの方が異端だろうという話は、折に触れ耳に入る」
「スタンザ帝国では、自ら降った国の特権階級に、これまでと変わらぬ待遇を約束しています。大陸ではスタンザより大きな国は存在せず、ゆえに他国はスタンザよりも貧しい。スタンザに降った方が豊かな暮らしができる。そう説いて国を内側から切り崩して参りましたが……同じ論法を駆使するとなれば、エルグランド全土の国民にこれまでと同じかそれ以上の待遇を確約する必要があるわけですね」
「あぁ。スタンザ帝室がエルグランド王室以上に民を幸福にしてくれるのであれば、私は王位などいつでも明け渡す。私は民の幸福の礎となりたいのであって、王位そのものに執着はないからな。……力不足であった無念と後悔は残るであろうが、私一人のそのような感情、民の幸福の前には些末なことだ」
「そして、スタンザがその約束を守らない、あるいは武力で以って強制的に領土を侵すようなことがあれば――」
「当然、我らは民の幸福を守るため、死力を尽くして戦うだろう。エルグランド王国は伝統的に戦を嫌い、平和を尊ぶ文化が根付いているが、ゆえにそれを破壊する存在に対しては全力で抵抗する。王侯貴族から民まで、一丸となって」
「……分からないのですよ」
「……なに?」
皇子の言葉は、これまでになく本心に聞こえた。対応しているジュークもそれが分かるからか、声には深みと重みがある。
全員が注目する中、皇子の吐露は続く。
「私は、平和というものを知りません。戦をしている国こそ正常で、そうして領土が広がることが国力の証であり、国の栄えだと。国の栄えのために民が尽力することは当然で、男は働いて税を納め、兵役をこなし、妻子を養い、女は強い男に嫁いで強い子を産むことが栄誉なのだと。……そのような価値観の中で生まれ育ちましたから」
「……あぁ。スタンザ帝国がそういった国だという話は、聞いたことがある」
「ですから、私は平和を尊ぶエルグランド王国が分からない。戦のない世を望む気持ちが分からない。戦をしなければ土地は増えません。労働力とて増えない。安穏と生きることが幸福ですか? それでどうして栄えていると言えるのでしょう?」
「何を以て幸福とするか、栄えとするか……確かに難しい問題ではある。人間とは厄介な生き物だからな。幸福を確かに手にしても、それがあって当たり前のモノになれば、それだけでは満足できずにより大きな幸福を求める。しかし、そうして一人が欲望のままに己の幸福だけを追求すれば、気付かぬうちに周囲を不幸にしてしまうこともあるからな。指標とするには曖昧で、危ういことは否定しない」
「それでも、エルグランド王室は求め続けている。何故です?」
「さぁ……おそらく、単純に好きだからだろう」
ジュークは少しだけ王の仮面を外し、『ジューク』の顔をして、笑った。
「生まれ育ち、性別、年齢、全てがまちまちな者たちが、それぞれ理由は違っていても、同じ場所に集って笑い合っている。……好きなんだ、そんな光景が。彼らが笑っているのならその笑顔を守りたいと思うし、泣いているのなら涙の訳を取り除いてやりたい。そうして一人でも笑って日々を過ごせる者が増えたら――嬉しいと、単純に思う」
それは……ジュークと、彼に連なるエルグランド王たちが変わらず抱く、民への無償の愛情だ。
彼らが民へと向ける愛情が無性に愛おしくて、いつの時代も真っ直ぐ過ぎるくらいに真っ直ぐ民を思う彼らを支えたくて助けたくて、だからクレスターは二千年以上の長きに渡ってエルグランドとの絆を繋ぎ続けてきた。
「分かりません。私には……」
「無理に理解する必要はない。ただ、そんな世界もあるのだと、世の中には平和を尊ぶ変わり者の王もいるのだと、その現実を否定しないでいてくれたら、それで良い」
ジュークの微笑みは柔らかい。彼の言葉に、ディアナもゆっくりと頷いた。
「――殿下の誠実なお言葉が聞けただけで、わたくしは充分です。エルグランド王国を知ろうとしてくださったこと、スタンザ帝国を伝えようとしてくださったこと。上辺だけの〝友好〟より、ずっとずっと、意義のあることですから」
「ジューク陛下、紅薔薇の君……」
皇子は、まるで憑物が落ちたかのような晴れ晴れとした顔で、ジュークとディアナを交互に見つめてくる。
「国による価値観の違いなど、これまで考えたこともありませんでした。異国を学ぶ者でありながら、私もまだまだ未熟です。この機会を無駄にせぬよう、エルグランド王国の思想について、もっともっと深く学ばせてください」
「あぁ、もちろんだ。私もスタンザ帝国の考え方に学ぶところは多いだろう。この交流を通じて、互いに研鑽を積むとしよう」
ジュークの返答に皇子は大きく頷いて――ディアナにキラキラした視線を向けてくる。
この眼差しには、覚えがある。学びの楽しさ、面白さを知り、〝もっと〟を掴みたがる探求者の瞳だ。
「紅薔薇の君。学ぶ中で疑問点が見つかれば、ご質問に伺ってもよろしいでしょうか?」
……純粋な学びを、知識を求めるこの類の視線に、『賢者』の一族はとても弱い。ちらりとジュークを見ると、やや困った様子で頷いた。
「……互いの文化や思想の違いを学ぶことは、両国の友好にとっても必要なことだろう。紅薔薇も忙しい身ゆえ頻繁には難しいが、面会要請は後宮側へ通すよう伝えておく」
「感謝致します、陛下」
「断る流れでもないから許可したが、頻度はそちらで調節してくれ」と視線で訴えてくるジュークに、瞳だけで苦笑いつつ了承を返す。確かに、「ここから始まる真の友好!」のような状況で皇子の学びの意欲を挫くのは、全方位的によろしくない。こちら側に人員の余裕があれば皇子に教師役をつければ済むが、教師役ができそうなストレシア侯爵もキースも、常に一人分以上の仕事を抱えているオーバーワーカーだ。ある意味言い出しっぺのようなものでもあるし、この場合はディアナが一番適任だろう。
(……そういえば、皇子殿下が無駄にわたくしを持ち上げていたのって、やっぱりスタンザ式社交辞令ってことで良いのかしらね?)
心中だけで疑問を呟き、ディアナは目の前で続くジュークと皇子のやり取りに耳を傾けながら、今後に思いを馳せるのであった。
つくづく思うんですが、ディアナさんって貴族も政治家も向いてねぇな……そもそもクレスター家は裏でちまちま策を練る担当で、表舞台で政を動かすのはまた別の方々の役割だから、ディアナさんというよりクレスター家が政治向いてないんでしょうね。
先週に続いて後書きの場で恐縮ですが、コミカライズ版『悪役令嬢後宮物語2』、電子、紙書籍ともに絶賛発売中です! 昨日何となくebooksのサイトを見たところ、少女マンガランキング2位にランクインしていて3度見しました、ありがとうございます!!
小説のテンポを上手くマンガに落とし込んでくださっておりますので、小説派の皆様も、お目に留まった際は是非ともご覧くださいませ〜!




