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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
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閑話その2-2 ~困惑~


引き続き、シェイラ視点です。




――と、それだけで終われば、心温まる一幕で話は済んだのだが。


『シェイラ』

『いらっしゃいませ、陛下』


あの、朝日の中での出会いから。国王ジュークはほぼ毎日、シェイラの部屋へ通うようになった。僅かな供だけを連れて夜も更けた頃にひっそりと訪れ、明け方シェイラと一緒に小鳥と戯れてから帰って行く。


初めて国王が訪れた日――出会った日の夜は、心臓が止まるほど驚いたシェイラであった。国王陛下が自分のような末席の側室の部屋に現れるなど、聞いたこともない。ましてや、これまで全く音沙汰なかった国王が。


有り得ない事態に慄いたシェイラ。しかし国王は、とても優しかった。寝台に横たえられ、これから何が始まるのかと恐怖したシェイラを見て、彼は言ったのだ。『そなたの気持ちが落ち着くまで、私は待とう』と。


夜更けに訪れた国王と何気ない話をして、同じ寝台で眠り、明け方渡り廊下の陰で別れる。どんな気まぐれかと思ったその日が、次の日も、そのまた翌日もと続けば、いくら世間知らずのシェイラでもおかしいと思う。

十日も経った頃、意を決して、彼女は尋ねた。


『……陛下は何故、私の部屋へ来てくださるのです?』


身分低い、不遇の側室を憐れんでいるだけ。そんな答えを予想していたシェイラはだから、返された言葉が信じられなかった。


『私が来たいからに決まっている。シェイラ以外と、時を共にしたいとは思わん』


シェイラは決して、頭の働きの鈍い娘ではない。国王の言葉が、単なる同情の息を越えていることはすぐに分かった。いや、同情どころか。


『……それは、何の気まぐれでしょう?』

『気まぐれ? そなたは私の心を疑うのか?』

『信じられるはずがございません! これまで全く、後宮においでにならなかった陛下が、突然そのような!』

『そなたがいると分かっていたら、私はもっと早く、』

『お止めください!』


シェイラは叫んだ。押し黙った国王を、彼女は見据える。


『――陛下。私は、身分低い、男爵家の娘にございます。陛下はきっと、小鳥と戯れるしか慰めのない側室を、憐れんでいらっしゃるだけですわ』

『……そのようなことは、』

『でなければ陛下ともあろうお方が、私の部屋になど、いらっしゃるはずがございません』


シェイラがそう断言するには、それだけの理由があった。


保守貴族の勢力に圧力をかけられている新興貴族の令嬢たちは、互いに情報をやり取りすることで我が身を守っている。シェイラほど己の意思を無視して後宮に放り込まれた娘はいないものの、新興貴族、爵位の低い家の娘ということで、後宮での扱いが酷い令嬢は、何もシェイラ一人ではないのだ。

もちろんシェイラも例に漏れず、その情報の恩恵を受けている者の一人だ。そしてシェイラは、国王が密かに訪れるようになったのと同じ日に、とある情報を入手していた。


『昨日『紅薔薇の間』にクレスター伯爵令嬢様がお入りになり、早々に陛下のご寵愛を受けた。そしてその華やかな美貌と才覚で、『牡丹』を圧倒した』

『『紅薔薇様』の下に纏まればもしや、『牡丹』の方々と対抗できるやも――!』


侯爵家より低い身分の家出身でありながら、最高位となる『紅薔薇の間』を与えられた、美貌も才覚も抜きん出た姫君。加えて陛下の寵姫でもある『クレスター伯爵令嬢』は、たった十日で新興貴族や斬新な事業を進める家から来た側室たちをまとめ上げ、荒れていた後宮に平穏をもたらした。新興貴族出身だからとて侮られることもなくなり、あちこちで頻発していた一方的なイジメも、影を潜めたようである。


――あぁ、そのように優秀なお方なら、陛下の寵愛を受けても当然だわ。


シェイラは素直にそう思えた。『クレスター伯爵家』といえば、世情に疎いシェイラの耳にも入るほど、悪名高い一家ではある。令嬢自身もあまり良い噂を聞かないが、少なくとも彼女のおかげで、後宮が住み良い場所になったのは事実なのだ。悪名云々は抜きにして、有能なお方なのだろう。


――そんな人がいるにも関わらず、国王がシェイラに、想いを寄せる訳がない。同情の気持ちを恋情と履き違えられては、逆にシェイラが迷惑だ。優しさに心が揺れ、情が移る前に気付けて良かった。


『……どうか、目を覚ましてくださいませ』


頭を下げたシェイラに、国王は――。


『分かった。今は、これ以上言わぬ』

『陛下……?』

『だがシェイラ。私を拒まないでくれ。これまでのように迎え入れ、話をし、見送って欲しいのだ』


それでも尚、関わりを絶とうとはしなかった。

国の頭たる人物にそこまで言われては、拒めない。それからも国王はシェイラの部屋を訪れ続け、時には砕けた表情や仕草も見せてくれるようになった。


一時の気まぐれだと、分かっている。『紅薔薇様』が後宮を治めるのに忙しく、その間の暇潰しなのかもしれない。それでも、そんな時間が一月以上続き、嫌でも距離が縮まれば、情が沸かない方がおかしいだろう。優しく、物静かな国王に、シェイラは戸惑いつつも傾いていった。




そして。側室となって初めての、夜会の日を迎えた。


『これだけは』と、例の客から持たされたドレスの中から、瞳の色と同じ空色のものを纏い、シェイラは夜会へと繰り出した。側室、として呼ばれ会場入りした後は、広間の隅の方で、同じ境遇の側室たちと交流しながら夜会の開始を待つ。


それほど待つまでもなく、国王入場のファンファーレは鳴り響いた。


深紅のカーテンの向こうから、国王は威風堂々と姿を現す。――隣に、穏やかに微笑む壮麗な美女を連れて。


『ほら、あのお方が『紅薔薇様』よ』

『陛下とお並びになると、本当にお似合い……』


一緒に見ていた二人の側室が、ため息混じりに感嘆の声を漏らす。彼女らのいる場所からは、あまりに遠い――国王と『紅薔薇様』の姿を見て。


シェイラの目にも、二人はお似合いに見えた。『紅薔薇様』は慈しみ深い眼差しを国王に注いでいて、どれだけ国王のことを想っているのか、この距離でも伝わってくる。国王は、真面目な彼らしい凛とした顔つきだが、それでも隣をちらちらと気にかけているのが分かった。


――やはり私は、陛下の一時の気まぐれ、ただ同情した相手でしかなかったのね。


分かっていた。分かっていたことではあった。それでも、心のどこかが急速に萎んでいくのを、シェイラは確かに感じる。たった一月と少しの間に、思った以上に国王は、シェイラの中で大きな存在となっていたのだ。


……どうせ見捨てる相手なら、あんなに優しくなさらないで欲しいわ。


内心呟き、始まった夜会の流れに身を任せ、シェイラは隅の方に居続けた。末端の側室たちは大概が隅要員、交流には困らない。


想定外の出来事が起こったのは、夜会が始まってしばらく経った頃だった。


『そういえばシェイラ様は、まだ『紅薔薇様』にご挨拶していらっしゃいませんのね?』

『え、えぇ…』


『紅薔薇様』に庇護して貰っている立場の側室としては、挨拶するのが当然だとは、シェイラも承知しているが。国王が密かに通って来ている、という秘密を持つシェイラは、気まずくて挨拶に行く気になれなかった。ともすれば『紅薔薇様』の前で、土下座したい心境にすら駆られる。


『そのうち、と思っているうちに、時が過ぎてしまって』

『そうだったの。なら、この夜会は絶好の機会ね!』

『あ、噂をすれば』


顔見知りの側室の視線が向かう先には、『紅薔薇様』――クレスター伯爵令嬢の姿があった。華やかに微笑みながら優雅に彼女は歩き、段々とこちらへ近付いてくる。


『ほら、あのお方よ』

『貴女もご挨拶なさいな』

『え、で、ですが……』


突然のこと過ぎて、心の準備ができていない。あわあわしているうちに、『紅薔薇様』がこちらを向いた。側室仲間が、すかさず声をかける。


『あ、あの、ディアナ様!』

『あら、ごきげんよう。お久しぶりね』

『は、はい……ご無沙汰致しております』


仲間二人は深々頭を下げた。いくら『紅薔薇様』にとはいえ、そこまで畏まる必要があるのかしら……とシェイラが思っていると、一人がおずおずと頭を上げ、恐る恐る続ける。


『ディアナ様。紹介申し上げたい方が、いるのですが』

『そうなの? もしかして、そちらのお方?』

『はい! 私たちと同じ、新興貴族の家から、後宮に参ったご令嬢なのです』

『まぁ。お名前は、何とおっしゃるの?』


『紅薔薇様』の視線がシェイラを向く。シェイラは覚悟を決めた。


『…………お初にお目にかかります。シェイラ・カレルドと申します』

『ご丁寧に。わたくしは、ディアナ・クレスターですわ。カレルド……というと、カレルド男爵家のご令嬢でいらっしゃる?』

『――はい』


さすがは『紅薔薇様』。貴族の名前が、全て記憶されているとしか思えない。……ただ、カレルド男爵家の『お家騒動』は知らないのだろう。

それでも、家名を覚えてくださっていただけ充分だ。シェイラははっきり、頷いた。


そう思っていたから、だから、その後の会話に、度肝を抜かれたのだ。


『そう……。お父様のこと、遅まきながら、お悔やみ申し上げますわ』

『え……?』

『あら、シェイラ様は、亡くなられた前男爵様の、ご息女なのではないの?』


彼女が記憶しているのは、単なる家名だけではなかった。家の事情、側室たちの細かな素性に至るまで『紅薔薇様』は把握している。それが当然だろうとばかりの空気にシェイラたちは圧倒されたが、シェイラ本人は何とか持ち直した。


『……はい、そのとおりです。現カレルド男爵は、私の叔父です』

『お父様のこと、気を落とさず……と言っても、難しいでしょうけれど』

『いえ……、お気遣い、ありがとうございます』


……何だか、世間の噂とは違うお方みたい。シェイラはまじまじと、『紅薔薇様』を見つめた。


『クレスター伯爵令嬢』といえば、とにかく悪い噂の方が多い。後宮ではその限りでもないが、とにかく『牡丹派』からは酷い言われようらしいし、一歩後宮の外に出れば、良い噂など一つも聞かない。

だが、現実の彼女はどうだろう。蒼の瞳は切れ長、唇は弧を描いて紅く、その顔立ちは確かに悪いことをしていそうに見えるが、少なくともシェイラには親切で、気遣いの言葉をかけてくれた。その様子からは、そこまで悪い人だとは思えない。


他の側室を気遣い、穏やかに話す『紅薔薇様』は、まさに側室筆頭に相応しかった。もしかしたらこの方を苦しめているのかもしれないと思うと、シェイラは申し訳なさで、胸が締め付けられる。


『――それではね。皆様、夜会を楽しんでくださいな』


最後まで麗しく『紅薔薇様』は笑って、シェイラたちに背を向けた。


『良かったわね、シェイラ様』

『『紅薔薇様』、シェイラ様のお家のこともご存知でしたわね。さすがですわ』

『……本当ですね。素晴らしいお方です』


頷いたシェイラに満足し、仲間二人はその場を離れた。『紅薔薇様』とお話したと、他の人たちに話しに行ったのだろう。


――有り得ないことが起こったのは、そのすぐ後。


『――シェイラ』

『……え、』


これまで見たこともない、険しい顔をして。


国王ジュークが、シェイラの前に立っていたのである――。




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