激動の社交期間(シーズン)幕開け
新キャラ祭りが続きます!
スタンザ帝国の第十八皇子とやらが後宮に乱入した、その数日後――。
「ディアナ様。お支度、整いましてございます」
「分かりました。ありがとう」
金糸銀糸やきらきら輝くガラス玉で豪華な刺繍を施され、幾重にも生地を重ねてボリュームを出した、まさに〝絢爛豪華〟という形容詞が相応しい真紅の衣装に身を包んだディアナは、久々に完全武装状態の『紅薔薇』となっていた。昨年度の社交期間終わりの夜会以来だから、ほとんど半年ぶりだ。
頭のてっぺんから足先まで隙なく磨き上げられたディアナを見て、王宮侍女全員が感慨深い吐息を漏らす。
「最近忘れかけていましたけれど、ディアナ様はこうして正装されますと、本当に迫力のあるお美しさでいらっしゃいますね」
「えぇ、まさしく美の女神の化身でいらっしゃいます」
「……本物の美の女神に失礼よ、それ。でも、ありがとうね」
ユーリとルリィの賞賛に、ディアナは苦笑寄りの笑顔を返した。正直なところ、本物の絶世の美女リファーニアを知っている身としては、自分の顔は客観的に見て美形ではあっても〝神〟と称される類のモノではないと思ってしまう。
同じようにディアナをまじまじと見つめたリタは、こちらは王宮侍女たちとは対照的に、憂げなため息をつく。
「この迫力に圧されて、スタンザの皇子がすごすご退散してくれたら良いのですけれど」
「迫力云々はともかく、社交の場であまり好意的に受け入れられていないわたくしを見れば、さすがに目が覚めるのではないかしら?」
「それはあくまでも、去年までのディアナ様ですよ。今のディアナ様は、少なくとも、ご息女を後宮に上げていらっしゃる新興貴族の方々からは、それなりの好感を得ているはずです」
「……わたくし個人がどうのというより、あくまでも『紅薔薇』という立場の『クレスター伯爵令嬢』が、という話だけれどね」
――先日、後宮の片隅でうっかりスタンザ帝国の皇子とエンカウントしてから、ディアナは少々想定外の事態に振り回されていた。ディアナへのおべっか、もしくは懐柔策だと思われた〝側室『紅薔薇』への面会申し込み〟が、毎日朝イチでスタンザ帝国親善国使団の代表様から寄せられるようになったのだ。いくら予定より早く着いて暇だからとはいえ、この頻度は異常である。
取り次ぐ立場のマグノム夫人の表情は険しく、また何度申し込まれたところでディアナが「はい」と言えるわけもなく(いくら筆頭といえど、一側室に過ぎない身で異国の国使と個人的な面談などできるわけがない)、いつも適当な理由をつけて無難にお断りしていたのだが……今日の社交期間開始の夜会には、国賓としてスタンザの皇子も招待されている。ディアナがよほど上手く避けるか、相手が避けてくれない限り、おそらく顔を合わせることになるだろう。
「スタンザの国使団は相当やらかしたから、王宮でかなり肩身の狭い思いをしているみたいだし。いくら皇子様といえど、さすがに衆人環視の場で下手なことはできないはず。大丈夫よ」
「エルグランド王国の者なら夜会での空気も読めるでしょうし、夜会でのやらかしが後々まで響くことも理解していますから、大丈夫なのかもしれませんが。スタンザ皇子は一時的に滞在しているだけの異国人で、この国でどんなやらかしをしようとも、国へ逃げ帰れば済む立場なのですよ。エルグランドの貴族たちと同列に考えるのは危険です」
「それは分かるけれど、彼らとて一応は〝親善〟の名目で来国しているのよ。これ以上王宮で敵意を集めるような真似は……」
「もしかしたら、その〝敵意〟を集めてエルグランドの方からスタンザへ攻め込ませるのが目的かもしれないと、先日の話し合いで言われていたではありませんか。万一そうだとしたら、夜会でどんなことを仕掛けてくるか、分かったものではありませんよ」
リタの忠告に、ディアナも眉根を下げて頷いた。――実際、その可能性は決して低くないというのが、識者たちの結論なのだ。
スタンザ一行と後宮で想定外にエンカウントしてから、ディアナは即座に部屋へと戻り、情報収集に取り掛かった。とはいえ、この非常事態に外宮室は既に動いており、ディアナが呼ぶより早く室員の一人であるカシオを派遣して外宮の状態を知らせてくれたし、更にはストレシア侯爵もその日の深夜、秘密裏に後宮を訪れ、『睡蓮の間』にてジュークとディアナを交えて報告と今後の対策を話し合うことができたので、ディアナが積極的に動くまでもなかったのだが。それだけ、関係者全員にとってこの事態が重要かつ異常であることの証明だろう。
話を聞いて分かったのは、スタンザ国使団の常識外れの要求と傍若無人な振る舞いの数々で。それでも国使団の代表が皇族である以上抗議をするにも限界があったところ、向こうにとっても想定外の遭遇であったディアナから痛烈な一撃を食らったという現状らしい。後宮でドレスを着た、明らかに側室な自分にまで尊大な振る舞いをする皇子に、「ケンカを売られた」と端的に判断したディアナであったが、どうやらスタンザの後宮はエルグランドのそれとは少々勝手が違い、侍女や女官であっても決められた衣服はなく、衣装の豪華さや装飾具の華やかさで自らの位をアピールするとのことで。そんな〝後宮〟が常識である国の者たちから見れば、先日遭遇したディアナは、本来なら煌びやかな装いのはずの側室筆頭が侍女の衣装で忍んでいるに等しかったそうだ。……確かにあの日のディアナの装いは普段着で、散策という名の後宮内の見回りが主な目的だったから、『紅薔薇』のドレスといえど装飾が控えめな動き易さ重視で選び、余計な宝飾品の類も一切身につけていなかったけれど。アレで侍女に見えるなら、スタンザの後宮はどれほど綺羅綺羅しいのか、一周回って逆に興味が湧いてしまう。
――まぁともかく、スタンザ側にしてみれば、あんな人気のない場所で二人きりでいる身なりの粗末な娘たちの片方が、よりにもよって側室最高位である『紅薔薇』であるなど、常識外れどころか天地が逆さまになっても〝あり得ない〟レベルの珍事で。ディアナが自己紹介するまで比較的大人しかったことも、彼らの勘違いに拍車をかけたのだろう。その結果が、スタンザ皇子の尊大な物言いだったわけだ。彼らの固定観念のお陰で隙を突けたのは、偶然とはいえ幸いだったが……それ以前の問題として、〝親善国使のはずの彼らが何故、これほどエルグランド王国の反感を買うような振る舞いばかりするのか〟という疑問に関しては、未だにはっきりした意図が見えず、いくつかの予想が上がっているのみで。分からない以上、リタの言う通り、警戒はし過ぎるくらいしてもバチは当たらない。
「スタンザ帝国にしてみれば、エルグランド王国と戦ができる明確な理由が見つかれば万々歳なわけだからね。〝親善〟の名目で無礼千万な振る舞いを繰り返すことでエルグランド王国人の心象を悪くして、相手から攻撃を仕掛けてくれれば〝防衛〟という名の立派な戦の理由になる」
「現実的には、エルグランド人は異国人にどれだけ腹立たしい思いをさせられても、〝拒絶する〟か〝我慢して受け入れる〟の二択になるだけで、〝腹が立ったから相手国を自分たちから攻撃する〟にはなかなかならない訳ですが」
「エルグランド人独特の感性なんて、スタンザ人には理解できないだろうからね。それに、昔ならともかく今のエルグランド王国には、過激な思想が蔓延していることも確かよ。少数でも声の大きい人が『スタンザを滅ぼせ』と言い出したら、扇動される人が現れないとも限らない」
「どちらにせよ、スタンザ帝国側の狙いが分からない現状、やたらディアナ様が誘われていること自体が不気味です。どうか、最大限の警戒をお願い致します」
心配そうなリタの言葉に、微笑んで頷く。ディアナとて本音を言えば不気味だし不安もあるけれど、間違ってもそれを敵方に悟られるわけにはいかない。社交という戦場では、気持ちで押された方が負けるのだ。不安だろうが怖かろうが、そんなモノ無いことにして振る舞うしかない。
「――ディアナ様、よろしいですか。お時間です」
迎えに来てくれたミアに、隙のない『紅薔薇』の笑みを返して。
「ありがとう、ミア。――行きましょうか」
「――ご武運を、ディアナ様」
声を揃えて礼をする侍女たちに見送られ、ディアナは戦場へと一歩、踏み出した。
***************
昨年と同じく大広間の奥にある控え室でジュークと合流し、昨年と同じく招待客が揃ったところで高い場所から〝国王夫妻〟として登場する。違いといえばそれこそ、ジュークとの仲が劇的に良くなっていることくらいだ。昨年は最初のダンスを終えてすぐ別行動を取っていたが、今年はジュークと共にデビュタントの挨拶を受ける程度には、正妃代理らしいことをしている。
エルグランド王国の社交界においては、何事においても爵位が高い者が優先される。デビュタントの挨拶も然り。侯爵家の中でも位の高い古参貴族家の子女から順に、粛々と口上を述べてはジュークの祝福と貴族としての認めの言葉を貰う。デビュタントの背後にはそれぞれの家族も控えているため、家名と顔の照合が実にやり易い。
――古参侯爵家は、全てではないがほとんどが保守派だ。それゆえ、後宮において新興貴族家出身の側室を束ねているディアナに好感情を持っている者はほぼいない。ジュークとともに、何も感じてないような微笑みを浮かべてデビュタントの挨拶に頷くディアナには、隠しているつもりでまるで隠せていない憎悪と嫌悪が注がれる。その度こっそりその発生源を探るのも、一苦労といえば一苦労だ。
疲れを顔に出すようなヘマはしないけれど、流石に気疲れはするなぁ……と感じ始めたとき、不意にぽっかり悪意が途切れた。改めて視線を前に戻すと、見覚えのある艶やかな赤毛の少年が、優雅な仕草で跪いている。
「国王陛下、ならびに紅薔薇様にご挨拶申し上げます。現ユーストル侯爵長男、アベル・ユーストルと申します。今年十五の歳を数え、成人を迎えましたことを、ここに報告致します」
「うむ。――アベル・ユーストル。よくぞ無事成人を迎えてくれた。そなたを我がエルグランド王国の成年貴族として歓迎しよう。今宵は王宮でゆるりと過ごされよ」
「ありがたきお言葉にございます」
大抵のデビュタントの挨拶は、ここで終わる。要するにこれはエルグランド貴族の成人の儀式のようなもので、一種の様式美なのだ。デビュタントが言う言葉も、国王が返す言葉も、ある程度は決まっている。
――しかし。
「陛下。この場にて、紅薔薇様へ直接お言葉を申し上げること、お許し頂けますでしょうか」
少し顔を上げたアベル少年が、やはり既視感のある――姉とよく似たエメラルドの瞳に実直そうな光を宿し、ジュークとディアナを見上げてきた。隣のジュークとちらりと視線を交わし、了承を伝える。
鷹揚に笑って、ジュークが頷いた。
「許そう」
「感謝致します。――紅薔薇様」
「はい、ユーストルの若君」
「ずっと、お目にかかりたいと思っておりました。――姉がいつも、お世話になっております」
「こちらこそ、お姉様には大変お世話になっております」
ディアナの言葉を合図に、アベルの後ろで両親とともに礼を執っていたヨランダが静々と進み出る。
瞳にいつもの不敵な光を宿し、ヨランダは淑やかに微笑んだ。
「わたくしからも、改めて紹介させてくださいませ。ここにおりますアベルは、ユーストル家の嫡男にして、わたくしの弟にございます。デビューしたばかりで貴族社会には不慣れなことも多いかと思いますが、どうぞよしなにお願い致しますわ」
「もちろんですわ。鈴蘭様の弟君ともなれば、わたくしにとっても大切な方ですもの」
「ありがとうございます、紅薔薇様」
にこにこ笑い合うディアナとヨランダの周囲が、不自然にざわめいた。ディアナと同じ側室であるヨランダが「弟をよろしく」と紹介し、「お友だちの弟なら、もちろん大切にしますよ」とディアナが返事をする。その流れそのものはまるでおかしくないけれど、問題はディアナが対外的に『咲き誇る氷炎の薔薇姫』と呼ばれるほど悪名高い令嬢であり、つい先頃の貴族議会で何故かその悪名をさらに轟かせたところにある。――ざっくばらんに言えばディアナは、ユーストル侯爵家ほどの名門古参貴族家の次世代が、公衆の面前で仲良し宣言するような令嬢ではないのだ。
……もちろん、『社交界の花』たるヨランダは、何の考えもなしにこんな無謀な真似はしない。これは彼女と、彼女の一家が予め仕組んだ展開だったりする。
「ユ、ユーストル侯爵殿! ご息女を諌められよ!」
耐えられなくなったらしく、人垣から声が上がった。……あれは確か、ついさっきディアナを敵意たっぷりに睨んでくれた、ベルティア侯爵か。その近くには『牡丹派』側室の一人である、ベルティア侯爵令嬢の姿もある。
挨拶も抜きに不躾な言葉をぶつけられたユーストル侯爵は、視線だけをちらりと動かして相手を確認した後、姿勢を改めた。
「陛下、紅薔薇様。今後とも、娘をどうぞよろしくお願い致します。また、娘と同じく息子も、陛下の臣民としてよろしくお導きくださいませ」
「ユーストル侯……」
「こ、侯爵殿!」
「いやはや、歳を取ると耳が遠くなっていけませんな。私も遠からず、爵位を息子へ譲る日が来ることでしょう。――陛下が担うこの国の未来に、我が子たちもお連れ頂けますでしょうか?」
――それは、代々王宮の権力争いから遠ざかり、中立を貫いてきたユーストル侯爵家が、〝国王側〟についたという宣言だった。衝撃のあまり、デビュタントとその家族が集まり賑やかなはずの場が、水を打ったかのように静まり返る。
不気味な静寂が訪れた空間で、ディアナは――。
(ヨランダ様が仰る『伝統狸芸』は伊達じゃないわね。一石何鳥を狙っていらっしゃるのかしら、ユーストル侯爵様は)
顔には出さず心底感心しつつ、こっそりジュークへ寄り添うことで合図する。ユーストル一家のファインプレーに驚きと感銘を受けていたジュークは、ディアナの合図で我に返ったらしく、演技だけではない喜色を浮かべて頷いた。
「お言葉はありがたいが、まだまだユーストル侯にはお元気でいてもらわねば困る。私が欲しい未来には、そなたも夫人も、鈴蘭もアベルも必要だ。アベルとて、まだまだ父君の背を見て学びたいことも多かろう」
「……勿体ないお言葉にございます、陛下。我らユーストル、今後とも陛下の臣として、力を尽くして参ります」
「あぁ、頼りにしている」
最後にもう一度臣下の礼を執り、ユーストル一家は何事もなかったかのように下がっていく。その堂々とした後ろ姿を見送り、ディアナは内心で拍手を送っていた。
(侯爵様、お見事でした!)
中立派の中でも実は数少ない、権力忌避型の古参貴族家。「事なかれ、日和見主義」と揶揄されることも多いけれど、代々権力から逃げ続けながらも貴族を続けるというのは、口で言うほど簡単なことではない。常に注意深く情勢を見極め、権力中枢から完全に嫌われないよう、同時に気に入られもしないよう絶妙に立ち回り、ほど良い距離を保ち続けなければならないのだ。代々〝それ〟を完璧に遂行し続けてきたユーストル侯爵家の権力均衡感覚は、恐らく王国随一であろう。
そんなユーストル侯爵家が、今、初めて公の場で己の立ち位置を宣言した。保守でも革新でも中立でもない――『国王派』と。それは、極めて大きい意義があり、幾重もの意味を隠し持つ。
最も分かり易いところでは、ユーストル侯爵家の完全なる保守派との決別。最も分かり難いところでは――今後のエルグランド王国の行く末の〝兆し〟だろうか。権力と絶妙な距離を取り続けることで生き残ってきたユーストル侯爵家が、今、このタイミングで国王側についたということは、この先の時代を生き残りたければ国王に従った方が無難だという〝兆し〟に他ならない。また、その宣言の前にヨランダとアベルがディアナと親しく言葉を交わしたことで、宣言こそしていなくても、紅薔薇及びその実家であるクレスター伯爵家がもう既に国王派であることも暗に示している。クレスター伯爵家の悪評に惑わされず、ユーストル侯爵家を「事なかれ中立派」と馬鹿にすることなく、それぞれの家の真実を見極めて今の流れを分析することができれば、この先の時代を生き延びるためのヒントが随所に散りばめられている構造になっているのだ。……それはつまり、今のやり取りから真実を見極めて国王派に近づいてくる者は、敵味方関係なく、見る目と分析能力に秀でた人物であるという証明にもなる。
(ユーストル侯爵閣下は、お父様が「できれば敵に回したくない」と仰っていた方のうちのお一人だものね。無事に味方になって頂けて、本当に良かった。ヨランダ様に、また改めてお礼を言わないと)
先の『里帰り』中に、『名付き』の三人はそれぞれ実家で家族と話し合いを重ね、公にするか否かはともかく、どうかジュークの側について欲しいと説得してくれていたのだ。どんな策を講じるにせよ、自分たちが後宮から脱出するには国王自身が確固たる権力を有する必要があるが、今のジュークの味方はあまりにも少ない。せめて非公式にでも、信頼できる味方が欲しいのだと。
話を聞いたストレシア侯爵、ユーストル侯爵、キール伯爵は、秘密裏にジュークと面会し、直接言葉を交わして、国王側につくことを約束してくれた。そして手始めに、王宮で与えられている役職が実はそれほど重要でない(権力から遠ざかっているわけだから当たり前だが)ユーストル侯爵が先陣を切って、国王派だと宣言してくれることとなったわけだが。
(ただ宣言するだけじゃなく、それを最大限に有効活用なさる辺りまさに、王宮を代々生き抜いてこられた〝ユーストル侯爵家〟の真骨頂ね。柔らかでしなやかなのに決して折れない芯の通ったあの強さ、ヨランダ様にそっくりだわ)
ヨランダも、その弟であるアベルも、ユーストル家の真髄はしっかりと受け継いでいるようだ。ユーストル侯爵夫人はマグノム夫人の友人らしいし、ユーストル一家を味方にできた利点は大きい。
「――国王陛下と紅薔薇様に、ご挨拶申し上げます」
頭の中を目まぐるしく回転させつつ、ユーストル家以降のデビュタント挨拶を微笑んで聞きつつしていたディアナは、ふと耳に飛び込んできた馴染みのある声に、一旦考え事を中断させて意識を前に戻した。先ほどのアベルよりずっと硬い仕草で跪いた少年は、ジュークともディアナとも、非公式に顔馴染みだ。だからこそ、〝ほぼ初対面〟のフリを取り繕うあまり仕草がぎこちなくなっているが、この程度ならデビュタントゆえの緊張として、それほど不自然には映らないだろう。
「前メルトロワ子爵が三男、クロード・メルトロワと申します。この度、父よりメルトロワ子爵位と領地を継ぎましたことを、ここに報告致します。並びに、これまでは三男ゆえご遠慮申し上げておりました社交の場にも参加申し上げる次第です」
「左様か。クロード、爵位継承の儀は恙無く終えることができたか?」
「はい、万事滞りなく。陛下のお心遣いに、深く感謝致します」
「私は大したことはしていない。むしろ、成人済みとはいえ、未婚で社交経験もないそなたに、随分な重荷を背負わせてしまっている。――大変だとは思うが、後見人によく相談して、メルトロワ領の再生に尽力してもらいたい」
「陛下のお言葉を胸に刻み、たゆまぬ努力を重ねて参ります」
「あぁ、期待している」
ジュークはそこで一度言葉を切り、クロードの背後で控えている大柄な男に視線を移した。三十代後半から四十代に見える彼は、周囲の同年代男性よりふた回りほど大きく、肩幅も足腰もがっちりしていて、夜会用の正装がいかにも窮屈そうだ。
彼の王宮での役職は、ズバリ〝外宮室室長〟。キース、そしてクロードの上司である。
しかし、王宮夜会に正装で出席しているからには、クロードの後見人という立場を引き受けているからには、彼も当然エルグランド貴族の一員なわけで――。
「パジェロ伯。王宮での仕事も多い中、新メルトロワ子爵の後見人を引き受けてくれたこと、感謝する。若さゆえ未熟な部分も目立つだろうが、折々に良き方へと導いてやってほしい」
「畏まりました。――なに、もともとクロードは私の部下ですからね。官吏として一人前に育て上げるついでに、貴族としても育てれば良いだけの話です」
「そう言ってもらえるとありがたい」
王宮夜会の場でも飄々といつものペースを崩さない室長は、さすが踏んできた場数が違う。
外宮室室長――その名は、ノートン・パジェロ。現パジェロ伯爵として貴族名簿に名が載っているものの、本人曰くパジェロ領は猫の額ほどの広さしかなく、領地の税収のうち王宮へ納める分を差っ引けば、翌年の領地運営に必要な経費くらいしか残らないそうで、家族を養うため、長年官吏として働いている。パジェロ伯爵家そのものはアズール内乱直後に興った家で、百年を超える歴史があることはあるのだけれど。
そのパジェロ伯――室長に促され、クロードは少し身体を起こし、今度はディアナと向き合った。
「紅薔薇様、ご無沙汰致しております。姉がいつも、お世話になっております」
「ご丁寧な挨拶ありがとうございます、クロード殿。……いえ、もうメルトロワ子爵様とお呼びせねばなりませんね」
「とんでもない。僕……私など、まだまだ半人前にも届かぬ若輩者です。どうか、これまでと同じようにお呼びください」
「お望みであれば。しかしながらクロード殿、子爵位に怯んではなりません。お姉様――ミアのためにも、どうか堂々と〝メルトロワ子爵〟をお名乗りください。人は己に見合った立場に就くのではなく、与えられた立場に相応しくあれるよう、成長していく生き物です。まだまだ半人前であるからこそ、きちんと子爵と名乗り、子爵としての研鑽を積むべきと、わたくしは思いますよ」
前メルトロワ子爵――クロードと、『紅薔薇の間』付き女官ミアの父親は、前女官長の不正をきっかけに数々の悪事が暴かれ、爵位を子どもに譲って謹慎するよう命じられていた。本来であればメルトロワ家そのものが取り潰されてもおかしくなかったのだが、クロードが外宮室にて前女官長の不正調査に多大な貢献をしたこと、ミアがギリギリでディアナたちの味方についたことなどから、家そのものの存続だけは認められたのだ。
このような処分が降った場合、本来なら長男に爵位が継承される。しかしながらメルトロワ家の場合、父親の悪事に長男と次男までもががっつり加担しており、継承権が認められる状態でなかった。その結果、爵位継承なんて最初から頭にもなく、王都で官吏として一生を終える気満々だったクロードに、子爵の地位が回ってきたというわけだ。最初は固辞していたらしいクロードだけれど、外宮室の室員たちとクレスター家、更にはジュークの後押しもあり、子爵位継承とこの社交期間でのデビューが決まった。
とはいえ、クロードは成人して間もなく、未婚で、しかも三男という爵位とは縁遠かった少年だ。いきなり子爵として、領主として立つには無理がある。想定外の事態により未成熟な者が爵位を継ぐこととなった場合、付き合いのある成年貴族に後見を頼むのが貴族社会の慣例ということもあり、室長――ノートンが上司のよしみで後見についてくれた。外宮室としては、室長が後見人として記された以上は、全室員でクロードとメルトロワ子爵家を支えていく心づもりらしく、ミアが大層喜んでいたのはディアナの記憶にも新しい。
――ミアのためにも頑張って欲しいという激励を、クロードは素直に受け止めたようだ。真面目な顔で頷き、「お言葉、胸に刻みます」とこうべを垂れた。最後にノートンともう一度礼をしてから、二人は静かに下がっていく。
待機中のデビュタントは、残り少ない。この挨拶が終われば、しばらくはジュークと別行動の予定だ。スタンザの皇子がディアナに再三面会を申し込んでいることはもちろんジュークも知っているから、ディアナが単独行動することを心配してくれたけれど、夜会の最初から最後まで王の隣を独占できるのは、〝代理〟でない本物の正妃だけに許された特権である。正妃不在ゆえ代理を務めているに過ぎないディアナには、この辺りが限界であろう。
そんなことを考えつつ挨拶を受け、ついにデビュタントも残すところあと一人となった。家族とともに進み出た、デビュタントらしい初々しい正装の少年に、周囲の視線が集中するのが分かる。
表情にも視線にも出さず、ディアナは心中だけで、深々と頷いた。
(あー……、コレはまた、目立ちそうな子が出てきたわね)
「国王陛下と紅薔薇様に、ご挨拶申し上げます。現クロケット男爵長男、ルドルフ・クロケットと申します。昨年成人を迎え、今年より社交の場に参加致しますことを、ここに報告致します」
「そうか。ルドルフ、よくぞ無事、成人を迎えてくれた。デビューを一年見送ったのには、何か理由があるのか?」
「いえ、大したことではありませんが……後ろに控えております姉が、昨年、陛下のご側室の一人として入宮の誉れを受けましたので。姉と家が落ち着くまではと、私のデビューは一年遅らせることと致しました」
「そうだったのか。家族思いなのだな」
ジュークの言葉に微笑みを返すルドルフ少年の姿に、周囲からは一斉に賞賛と感嘆のため息が零れ落ちる。
そんな周囲の反応には臆さず――恐らくは慣れっこなのだろう、ルドルフはそのまま、ディアナにも視線を向けて微笑んでくる。
「紅薔薇様には、姉が大変お世話になっていると伺いました。お気遣い、誠にありがとうございます」
「こちらこそ、ナーシャ様にはいつも助けて頂き、感謝しております。素晴らしいお姉様でいらっしゃいますね」
「過分なお言葉、痛み入ります」
姉が褒められて嬉しいのだろうか、美しく透き通った若草色の瞳がきらきらと輝く。動くたび揺れるサラサラした茶色の髪は艶々光り、大広間の照明を反射した輪っかができていて。抜けるように白い肌、薔薇色に染まる頬、形の良い鼻と唇、ぱっちり二重の瞳が完璧なバランスで配置されたその容貌は、さながら天上から舞い降りた天使の如き美しさだ。それでいて声は低めだから、そのアンバランスさが余計に魅力を引き立てる。
――脳内の貴族図鑑をぱらりと捲り、ディアナはクロケット男爵家について確認した。
(ルドルフ・クロケット――現クロケット男爵の子息で、ナーシャ様とは連れ子同士の再婚で姉弟になったのだったわね。彼は男爵の前妻の忘れ形見で、確かナーシャ様のお母様とは、六年ほど前に再婚なさったとか)
ナーシャの母は平民ではあったが、死に別れた夫が貴族御用達の大店の跡取り息子だったこともあり、貴族社会にも通用する礼儀作法をしっかりと身につけていた。夫亡き後は女手一つでナーシャを育てるため、給金の良い高級飲食店で貴族相手の給仕係として働き、クロケット男爵はそこでナーシャの母を見初めたらしい。生まれたときから貴族だった弟と、ある日突然平民から貴族になった姉という生まれも育ちも違う姉弟だが、今のルドルフや貴族議会での男爵の言動を見る限り、家族仲はそう悪くなさそうだ。
(うーん……?)
以前から何となくあった違和感が、ルドルフの挨拶で再びディアナの胸中を過ぎる。
あくまでも顔には出さず、ルドルフに向ける表情は『紅薔薇』仕様の微笑みのまま、ディアナは少し考えた。
(シェイラから聞いていた話と、どうにも受ける印象が違うのよね……?)
ディアナ、というより側室『紅薔薇』とナーシャは、それほど親しい間柄ではない。ナーシャは『紅薔薇派』の側室ではあるが争いを好まない穏健な性格で、サロンの集まりでも自分から目立とうとはしない、控えめな人だ。
だから、ディアナ自身はナーシャとそう打ち解けて話したことはないのだが……実は彼女、シェイラととても仲が良いのである。シェイラ伝いでナーシャの話をぽつぽつ聞いていたため、ディアナは割と、ナーシャの事情に詳しかった。
(ナーシャ様曰く、『本当の貴族ではないから、家に居づらかった』そうだけれど、男爵様も弟君も、ナーシャ様を邪険にしていらっしゃる様子はないし……ナーシャ様は確かに控えめなお方ではあるけれど、生まれが貴族でないという理由だけでご家族から離れて後宮入りしようとまで思い詰められるほど、気持ちが弱い方でもないような)
ルドルフの後ろで深々と頭を下げているナーシャは、不自然なほど微動だにしない。デビュタントとは思えないほど堂々とした振る舞いの弟とは対照的に、彼女は小さくなっている印象を受ける。
――『紅薔薇』の笑みを浮かべたままのディアナに何を思ったのか、不意にルドルフが小さく笑った。
「紅薔薇様は、姉から聞いていた通りの方ですね。――失礼ながら、私に笑いかけられて、頬を染められなかった若い女性は初めてです」
「大変人目を引くご容貌をしていらっしゃるなと、感銘は受けましたよ。あなたほど美しい少年に微笑まれれば、誰だって悪い気はしないでしょう。――ですが、わたくしは人の見目にあまり興味がありませんので」
「……なるほど。姉が心酔するわけです」
ルドルフの表情は変わらず笑顔だったが、一瞬瞳に宿った鋭い光を、ディアナは見逃さなかった。……何だろう、敵意ではないけれど、決して好感情でもない。
「今後とも姉をよろしくお願い致します」と一礼し、ルドルフは何事もなかったかのように下がっていく。――何はともあれ、これでデビュタントの挨拶は終わった。
一度ジュークとともに国王夫妻の所定席に戻ってから、ディアナは改めて立ち上がる。
「では、陛下。わたくしはしばし、側室方と歓談して参ります」
「分かった。――くれぐれも、気をつけるように」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
深々と礼を執ってから、ディアナは一人、人波へと漕ぎ出した。
すみません、本日ちょっと余裕がなくて、誤字脱字チェックが不十分なままの投稿となっておりますので、お見苦しい部分もあるかと……! 何かございましたら、またご指摘のほど、よろしくお願い致します。




