歯車が動くその前に〜それぞれの思い〜
今回で、説明回はひと段落です。
ポットに新しいお湯を入れて戻ってきたディアナは、やっぱりと言うか予定調和と言うべきか、一瞬でエドワードに捕獲されて青空の下でのお説教を受けることとなった。昨日のディアナの行動について淡々と振り返り、どこがどういう理由でどう危険だったのかを言い募るエドワードは、先ほどまでの苦悩を微塵も見せず過保護な兄に徹している。この兄妹のことをよく知るクリスとシリウスが「こうなると長くなるから」と撤収を提案し、ひとまず客人たちはシリウスに案内されて屋敷へと戻り――。
「少々お話ししたいことがあるのですが、お時間頂戴できますでしょうか?」
何となく予想はついていたが、屋敷へ戻って各々の部屋へ解散となったところで、カイはシェイラに呼び止められた。ジュークとアルフォードの姿が無いことを確認してから頷く。
「分かった。ここじゃなんだし、裏庭にでも行く?」
「お任せします」
答えるシェイラの表情は固い。彼女が言いたいことは概ね見当がついていたから、カイも余計なことは言わず、無言で場所を裏庭へと移した。
伯爵家の屋敷には不釣り合いな可愛らしいサイズの裏庭には、いかにも少女趣味なベンチがある。その前で足を止め、「座れば?」と促したところで。
「単刀直入にお伺いします。カイさんは、ディーの霊力とやらについて、いつからご存知だったのですか?」
座りもしなければ前置きも抜きで、シェイラが要件だけをぶん投げてきた。春空の瞳には激しい憤りと焦燥が瞬き、まるで晴天を裂く雷光のようにも見える。
シェイラの苛立ちはカイにも理解できるところだったから、こちらも無駄なワンクッションは省くことにして。
「ひょっとしたら、って思ったのは早かったよ。確か、園遊会の前くらいだったかな。父さんから聞いたと思うけど、ある程度の修練を積んだ霊力者なら、他者の霊力と核を感じ取ることができるから。とはいえ、俺は実のところ、他人のそういうのを細部まで見抜くのは苦手でね。何となくは分かるけど、はっきり分析するのは超疲れるから、結構長い間『ひょっとしたら』のまま放置してた」
「……やはり、あなたも霊力者なのですね」
「俺の場合、俺を拾ってくれた父さんがたまたま霊力者で、俺自身にも素質があった、ってだけの話だけど。この国で生きる分には必要のない力とはいえ、生まれ持っているものを有効活用できないのも勿体ないからね。父さんから、一通りの使い方は教わったよ」
「つまり黒獅子様とあなたは、現状この王国でクレスター家に協力してくださっている、たった二人の霊力者というわけですか」
「あ、その辺まで話進んだんだね。――まぁ俺も、この国の霊力者たちがどういう集団なのか知らないから、はっきり断言はできないけど。クレスターの……というより、ディーの完全な味方は、今のところ俺たち親子くらいじゃないかな?」
「そう、ですか。やはり……」
頷いて何か考えるように俯いたシェイラは、そう待つこともなくもう一度顔を上げる。
「では、ディーの霊力について確信を得たのは?」
「それは、はっきり覚えてる。――降臨祭のときだった」
ミスト神殿へと向かう馬車が襲撃され、ディアナが一行からはぐれたあのとき。――襲撃の現場に間に合わず、逃げてしまったディアナの気配を辿ろうとして……それほど遠くないはずの彼女をまるで捕捉できないことに気付き、身体の内側を鷲掴みにされたかのような恐怖を味わった。普段はともかく、きちんと『探索』を使っているカイから逃れることなど不可能に近いのに、探れど探れど、どこにもディアナが見当たらなくて。
諦め悪く必死に深く『探索』して、ようやく気付いたのだ。――カイの周囲に広がっている『森』が、そこに生きる数多の『命』が、ディアナの気配を隠していることに。
「自分以外の生命に影響を及ぼして操れる……そんな特異な芸当ができるのは、霊力者でしかあり得ないからね。あのとき確信したよ。ディーの霊力と、その希少性に」
「気付いて……それでも、黙っていたのは」
「この国じゃ霊力や霊力者の存在は公になってないし、何よりディー自身が自分の力に全くの無頓着だったから。わざわざ教えて身構えさせたり、無駄に張り切らせたりする必要も無いかなって」
「……あくまでも、ディーを守るために、ですか?」
「他に何の理由がある? 『森の姫』の奇跡の力……だっけ。これほどディーらしくて、ディーが持つには最悪が過ぎる力もないよね」
ただでさえ、他人のために自身を削ることを惜しまない娘だ。持てる力総てを尽くして、いつだって最善を目指そうとする。その姿はこの上なく美しくて惹かれるけれど、同時にひどく危うくも見えて。
そんなディアナが『他者に〝命〟を与える力』なんてものにまで覚醒めてしまったら、あっという間に限界を越えるまで与え尽くしてしまうだろうことなんて、カイやシェイラでなくても容易に想像できる。
カイの言葉を聞いたシェイラは、静かに一度、深呼吸して。
「……正直なところ、私はあなたを好ましくは思えません。有能な方であることは承知していますし、人としても男性としても上等な部類に入るのだろうということも分かりますが、それでもです」
「褒めるか貶すか、どっちかにしてくれない? 反応に困るんだけど」
「元より、反応して頂きたいわけではありませんから。あなたはいつだってディーのことだけが大切で、ディーのためなら世界を破壊することすら厭わない。……ある意味一番、ディーの傍にいるには危うい方です」
「俺がディーのために世界を壊して、壊れた世界を救おうとディーが霊力を覚醒させるんじゃないか、って?」
「……あり得ないと、言い切れますか?」
「――前も言ったけど、俺にとって何より優先させるべきはディーの幸福だ。それを害する行為は、誰の、どんなモノだろうと赦すつもりはない。……それは俺自身でも、同じことだよ」
「そうですか。ひとまず信じますが、あなたのお言葉はあくまでも〝状況次第〟でしょうから、慢心はしないでおきます」
「お気遣いどうも」
……こういう切り込み方をしてくるから、カイはシェイラを油断ならない存在だと、ある意味で一目置いている。シェイラがカイを好意的には見られないように、カイもシェイラのことを間違っても好きにはなれないが、彼女の鋭さ、話の早さ、何よりメンタルの強さは賞賛に値すると、これでも評価しているのだ。
おそらく――自分たちは、ある一点において、とてもよく似ている。時に相手すら押し潰しかねないほどの、重く激しい情の抱き方が、鏡に映したかのようにそっくりだ。
無自覚ならまだしも、自分たちは虚しいほど冷静に、重く激しい情の危うさまで自覚してしまっていて。だからこそ、同じような情を抱える〝同類〟の匂いを嗅ぎ分けることもできるし、その危険性を誰よりも理解できてしまうのだ。
(……そもそも最初から、気に食わなかったんだよね)
シェイラは見た目儚げだが、その内実は相当にタフだ。弱くなるのは自身の気持ちや行き先に迷いがあるときだけで、それさえなければ前だけを見て邁進できる強さがある。物事の見方は合理的で、周囲の噂や感情に流される刹那的、感覚的視野狭窄とは無縁。唯一恋愛においては卑屈が過ぎたようだが、それも王の熱烈な愛情表現によって克服しつつある。
最初から。それこそ、ディアナが『ディー』として声だけで接していた頃から、カイから見たシェイラはディアナが心身を尽くして守らねばならないほど、か弱い存在ではなかった。そんな娘がディアナを〝親友〟と慕い、恋愛とは別ベクトルとはいえ、相当に一途な情を向けている。……あらゆる意味で、面白いわけがない。
「……何です? 随分と物騒なお顔ですね」
「べっつにー? シェイラさんが男だったら、マジでヤバかったなーって思ってるだけ」
「私の性別が男でしたら、そもそもあなたの出る幕はありませんよ。――誰と闘うことになっても、絶対に、ディーの〝一番近く〟は譲りません」
「……これだから好きになれないんだよ、シェイラさんのこと。大人しく王サマのことだけ想っといてくれれば良いのに」
「陛下を想う心と、ディーへの感情はまた別です。私はカイさんほど〝大切〟の棚が狭くありませんから、恋情と友情を同居させることだって可能なのですよ」
「へーへー器用で良かったね。俺に言わせりゃ、恋情だろうが友情だろうが、シェイラさんみたいな人がディーをそこまで深く想ってるってだけで面白くない。どうでも良いやつなら蹴散らせば済むけど、シェイラさんはマジでディーを支えて守れるだけの器を持ってる人だもん。……頼りにはなるんだろうけどさ、やっぱムカつく」
「あなたこそ、他人を褒めながら貶すのは止してください。カイさんの独占欲なんて、私の知ったことじゃありませんよ」
ズバリと言われ、〝面白くない〟気持ちが更に加速する。……そう、結局のところ、シェイラを気に食わない自分自身の心情と向き合うと、最後には己の狭量さへと行き着いてしまうから、それもあって余計にシェイラのことが好きになれないのだと、カイとて理解はできているのだ。
いつか、ディアナがあらゆるしがらみから解き放たれ、自分の進みたい道を自由に選べるようになった、そのとき。シェイラへの友情を一番に選んで、自分の意思で彼女の傍に留まりはしないかと。あり得ないと冷静な自分は言うけれど、シェイラの器の強さと情の深さが分かってしまうからこそ、そんな杞憂を抱いてしまう。
――内心の苛立ちを吐き出すように、はぁ、と息を吐き出して。
ふと視線を感じて気配を探ると、二階の一部屋に〝二つ〟、見知ったモノを探知した。……そういえば、〝彼〟に充てがわれた客間から、この裏庭は丸見えだったか。
「……話、めちゃくちゃ変わるんだけどさぁ」
「唐突ですね。何でしょう?」
「シェイラさんと王サマって、ちゃんと仲、進展してるの?」
「はぁ!??」
シェイラの目が丸くなり、同時に顔が赤くなる。その瞳に一瞬過ぎった艶に大体を察して、カイはちょっとやさぐれたくなった。
「あーもういい、そこそこ理解した。てかマジで、恋愛関係充実してるんだったら、俺のことなんか放っておいて欲しいよね」
「理解って、私まだ何も言ってませんけど!?」
「言わなくっても反応で分かるって。シェイラさんが幸せならディーも嬉しいだろうから、別にどんどんイチャついてくれて良いよ? あの王サマ、素直が過ぎるから王サマとしては不安要素多いけど、恋愛方面では疑いの余地無くて良いよね~」
「……もしかして、私の反応で楽しんでます?」
「まさか。純然たる本音だよ。ああいう人に愛されたら、ひたすら優しい気持ちで恋心を育めるだろうから、シェイラさんみたいなタイプにはお似合いなんじゃない? ……俺たちみたいなのって、相手によっては容易く歪むから」
「あなたという人は……本当、歯に衣着せませんね」
深く、深く、息を吐き出して。
シェイラはようやく、背後のベンチへ静かに座った。
「……正直なところを申しますと、私は少し、怖いです」
「怖い? 何が?」
「あなたが仰った、……陛下の、お優しさが」
「……あぁ、そういうこと」
シェイラとの会話は、〝同類〟なだけに話の遅延が極端に少ない。言葉を尽くさなくても、一言二言でかなり深くまで理解できてしまう。
ちらりと、一瞬〝上〟を見て。カイは少しだけ、微笑んだ。
「……信じても、良いんじゃない? あの人の心は確かに柔らかいけど、脆くはないよ」
「それは……分かっている、つもりですが」
「――まぁこればっかりは、一緒の時間を重ねる中で信じていくしかないか」
シェイラは、自身の情の重さをきちんと自覚している。だからこそ〝恋心〟という、ただでさえ歯止めの効かない感情がどこまで重くなるのか不安なのだろう。あまりに重すぎる情は、相手を押し潰してしまいかねないから。
ジュークの優しさがシェイラの想いを加速させ、重くなった情をジュークへと向ける。それが延々と続けば、いつか自身の想いがジュークの負担となる日が来るのではないか。負担となって放り出してくれるならまだしも、優しいジュークはシェイラの情を無碍にせず受け止め続けるだろうから……押して、潰して、その優しさそのものを歪ませてしまったら。
――シェイラの不安を、恐怖を代弁すれば、大方こんなところになるのだろうか。ぶっちゃけカイに言わせれば、ジュークはジュークでシェイラとは別方向に強メンタルの持ち主なので、シェイラの情がどれほど重かろうが潰れるどころか大喜びで浸る未来しか見えないが、それをシェイラに言ったところで無意味だろう。他人に言われた程度で払拭できる恐怖なら、そもそも悩みはしないのだ。
「別に怖くても不安でも良いけど、ちゃんと王サマと仲良くはしといてね。じゃないと、ディーがそっちに気を取られて、また自発的に余計な仕事増やしかねないから」
「結局、カイさんが行き着くところはディーなのですよね。分かってはいましたけれども」
「逆に、ディーのこと以外の何を考えろって? 父さんも元気になったし、これから先はディーの幸せを実現させることだけに全力を注げるよね」
「……私が言うのも何ですが、カイさんはもう少し、ご自身の〝大切〟の棚を増設させる努力をすべきでは?」
「えー、俺の棚ってそんなに狭い?」
「ちょっと真面目に、ディーへ忠告したくなってきました……」
どんな話をしていても最終的にディアナへと落ち着く寵姫と隠密の会話は、あまり友好的でないながらも続いていく――。
■ ■ ■ ■ ■
窓から見える裏庭には、初夏の花々が品良く咲き誇っていて。
そんな花々が観賞しやすい位置に置かれたベンチに座ったシェイラは、普段ジュークには見せない様々な表情を、ディアナが誰より信頼している隠密へと向けていた。
怒った顔、戸惑った顔、不安そうな顔に……赤面や苦しそうな表情まで、多彩に。
明日の予定を擦り合せるためジュークの部屋を訪れて、ついうっかり裏庭にいる二人を見つけてしまったアルフォードが、ジュークの隣で分かり易く動揺している。アルフォードが窓から裏庭を見下ろして挙動不審になったことから、ジュークも裏庭の二人に気付いたのだ。二人の声は小さく、話している内容までは聞こえないが、シェイラの様子がいつもと違うことくらいは分かる。
「……なぁ、アルフォード」
「なっ、何だ!?」
「……俺はやはり、頼りないのだろうか」
「は?」
「少なくともシェイラにとっての俺はまだ、悩みを打ち明けられるくらい頼れる男ではないと……」
「ま、待て待て! 何の話だ?」
「何って……シェイラはカイに、何か悩み事を相談しているのではないのか?」
少なくともシェイラの表情は、正負で判断すれば〝負〟寄りのものが多い。ああいう顔の人間は、世間一般的には〝何か悩み事を抱えている〟と解釈されることが多いのではないかと思うのだが。
ジュークの言葉を聞いたアルフォードは、見るからに安心した様子で、長々と息を吐き出した。
「ああぁ良かった……俺はてっきり、シェイラ様が不実を働いているとか言って怒り出すかと……」
「不実? シェイラが? ……アレはどう見ても、秘めた男女の密会現場とは程遠いだろう」
「……あっさり言うけど、見たことあるのか?」
「そなた、王宮がどれだけ、〝そういう〟使われ方をされているか知らないのか? 子どもの頃から、男女の密会現場など見慣れている」
「いやそれ、王宮の本来の使い方じゃないからな? 仮にも王太子が〝見慣れる〟レベルで頻繁に起こって良いコトでもないからな?」
「そうらしいな。俺はこれまで、夫婦仲が良い貴族家は稀な例外で、どこの家でも夫婦ともに愛人を囲っているのが普通だと思っていたが、クレスター伯と夫人は大層仲睦まじい」
「デュアリス様とエリザベス様ほど仲良いご夫婦も珍しくはあるが……どちらにせよ、愛人を囲うのが普通ってことはねぇよ」
「……改めて、俺の育ってきた環境がいかに偏っていたか、実感するな」
アルフォードに応えつつ、もう一度裏庭の二人に目を向ける。先ほど一瞬カイと視線が合ったと感じたのは、やはり気のせいでは無かったらしい。シェイラと話しつつ、時折カイの視線は不規則に上向く。ジュークにはそれが、「疚しいコトは何一つないから安心しなよ」という、カイからの無言の合図に思えた。
「……アレが密会だとしたら、随分と気を遣ってくれるものだ」
「何か言ったか?」
「何でもない。それよりアルフォード、先ほどの答えを聞かせてくれないか? ……やはり俺は頼りないのだろうか。いや、頼れる男にほど遠いことは、自分でも分かっているつもりだが」
「あー……」
アルフォードは一度言葉を切って下を覗き込み、何度か首を捻ってから視線を戻してくる。
「お前が頼りになるならない以前に、そもそもお前にお前関連の相談はできないだろ」
「俺関連の相談?」
「シェイラ様がカイに何かしらの相談をするとしたら、同じ男性目線でのアドバイス的な感じで、恋愛関連の悩みになるんじゃないのか? 結論が出てからの話し合いならともかく、悩んでいる最中に『あなたとの関係で悩んでます』って張本人には言えない、というか普通言わない」
「あぁ……なるほど」
アルフォードの説明に合点がいく。最近のシェイラとの関係はすこぶる順調だったので失念していたけれど、自分もシェイラとの関係が滞っていた頃は、愚痴混じりにディアナへ相談したことがあった。確かに、あの相談をシェイラ本人にできるとは思えない。
頷いたジュークに、アルフォードはもう一度首を捻って。
「あと考えられるのは、ディアナ嬢関連でのアレコレとか……それだって、ディアナ嬢付きのカイに聞いた方が早い話もありそうだからなぁ」
「それもあり得るな。しかし、実際のところ、あの二人の関係性はどうなっているのだ?」
「え? あの二人って……ディアナ嬢とカイ?」
「あぁ。エドワードも紅薔薇も、『協力者兼、親しい友人』というようなことを言っていたが……それだけに見えるか?」
「そう聞くということは……お前の目には、それだけには見えないと?」
「……正直なところ、分からん。カイが紅薔薇をとても大切に思っていることは分かるし、それは紅薔薇も同じだ。『協力者兼、親しい友人』と言われたら、そうなのだろうとは思うが」
「……何が、引っかかってる?」
「なに、大したことではないし、俺の気のせいかもしれないが。――たまに、本当に時折だが、カイと共にいる紅薔薇が『紅薔薇』に見えないときがあってな」
先ほど、カイにお茶を淹れていたときのディアナもそうだ。彼女の砕けた表情や口調は、後宮でシェイラや『名付き』たちを通してかなり見慣れたはずなのに、そういったときともまた違う顔に見えて。思わず「仲が良いのだな」と口を挟んでしまったけれど、それに答えるディアナは、もういつもの『紅薔薇』だった。
「……仮に、もし。ディアナ嬢とカイの仲が『友人』ではない他のモノだったら、お前はどうするんだ?」
不意に。静かだけれど不思議と重い響きで、アルフォードが尋ねてきた。少し驚いて顔を上げると、思いの外真剣な表情のアルフォードと視線がぶつかる。
問われた内容を咀嚼して、飲み込んで。ジュークは軽く、苦笑した。
「……謝らねばならんな」
「誰に?」
「紅薔薇に……カイ。エドワードに、クレスター夫妻。他にも……いかんな、謝らねばならん相手が多過ぎる」
「どう、謝るんだ?」
「それは、もちろん。『今すぐに後宮を去って良いと言えない、力不足の王で済まない』と」
考えただけで情けなかった言葉だが、実際に音にするとその情けなさがより際立つ。苦笑いから〝笑い〟が消えて、ただただ苦い顔で、ジュークは一つ息を落とした。
「今、紅薔薇に後宮を去られたら、この国は立ち行かん。情けないことこの上ないが……彼女なしで外宮の過激保守派の猛攻を凌げるかと問われたら、無理だ。紅薔薇とカイが実際のところどういう関係性であったとしても、今はまだ、俺は『紅薔薇』としてのディアナ・クレスターを失えない」
「じゃあ……不実を咎めるつもりはないんだな?」
「不実?」
一瞬何を言われたのか分からず首を傾げてしまったが、すぐに意味を理解して目を見開く。
「不実とはまさか、紅薔薇が〝側室〟だという理由で俺以外の男への想いを咎めるという意味か!? 俺自身が紅薔薇を愛せもしないのに、一方的に貞節を求めるなど、外道以下の振る舞いではないか!」
「いやそうだぞ!? 普通はそうなんだけどな!? 忘れてるようだから言うけど、お前は王で、彼女は側室で、王室の常識的には、側室ってのは王から愛されようが愛されまいが王だけに貞節を誓う存在だろ!」
「そんな〝王室の常識〟など、くしゃくしゃに丸めて屑篭に捨ててくれる!!」
反射で怒鳴ってしまった後で、アルフォードは世間一般の常識を説いただけだと痛感して、ジュークはすぐに項垂れた。
「いや……悪かった。それもこれも、俺が『後宮』などというものを認めたせいだな」
「ジューク……」
「とにかく、紅薔薇とカイの関係がどうであろうと、俺は一切の咎め立てをするつもりはない。いや、紅薔薇に限らず、シェイラ以外の側室全員にそれは言える。それだけ承知しておいてくれ」
「分かった」
頷いた後で、アルフォードは少し笑う。
「しっかし、『くしゃくしゃに丸めて屑篭に捨てる』ねぇ……お前の口からまさか、そんな俗なフレーズが聞ける日が来るなんてな」
「あ……済まなかった、ついカッとなって」
「謝ることねぇよ、明らかにエドの影響だなって可笑しかっただけだ」
言われて、気付く。常識を鼻で笑って蹴飛ばすスタイルのエドワードは、何かといえば「そんな通説、とっととゴミにして捨てちまえ」と口にしては有言実行で〝通説〟を破る。そんな彼のおかげか、自分でも知らないうちに随分と〝常識〟や〝慣例〟への圧迫感が薄くなっていたらしい。
アルフォードも同意のようで、笑って何度も頷いている。
「伝統を大切にするのも良いけど、それがお前の進みたい道を妨げるんじゃ意味がないからな。あの非常識な見た目詐欺師も、たまには良い仕事をする」
「……前から思っていたが、アルフォードは割とエドワードに酷いな?」
「お前、俺がどれだけアイツに振り回されてきたと思ってるんだ? これくらい言ってもバチは当たらんと思うぞ」
アルフォードの吐露に、ジュークは声を立てて笑った――。
エドワードと、ディアナ。
カイと、シェイラ。
ジュークと、アルフォード。
それぞれの、お説教だったり言い合いだったり会話だったりが和やかに続いていたそのとき、クレスター領内に危急を告げる速馬が駆け込んできたことに、気付いた者はまだ誰もいなかった。
『スタンザ帝王より、親書届く。
〝来たる夏、帝国皇子を代表とする親善国使団を、エルグランド王国へ遣わす〟
とのこと――』
王宮で留守を任されていたキースの走り書きがクレスター領伯爵家邸宅へと届けられるそのときが、束の間の平和の終わりを告げる、新たな始まりとなることを――。
来週からいよいよ、お話が大きく動きます!




