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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
138/243

黒の仔獅子と森の姫

新年最初の本編更新ですが、物語の展開はそんな空気一切読まない感じで進みます!


 お湯用のポットを持って逃げた(本人は否定するだろうけれど、あれはまごうことなき逃亡である)ディアナを追ったカイは、彼女の気配を探り、屋敷の厨房付近にその存在を感じ取った。逃げる口実ではあったけれど、お湯がもう残り少ないのも事実だったのだろう。

 厨房にはディアナ以外の気配がなかったため、カイは特に姿を隠すこともせず、そのまま入ってディアナへ近づく。カイを見たディアナは、一瞬表情を固くした後ため息をついた。


「……言っておくけれど、本当にあの程度のことは、クレスターじゃ日常茶飯事なのよ。お兄様は心配性だから、細かいところを知ったらもしかしたら怒るかもだけど」

「密猟者までは日常茶飯事かもしれないけど、持ってる武器は日常茶飯事じゃなかったでしょ。俺、昨日初めてスタンザの最新火薬武器ってやつの実物見たけど、マジで超危ないじゃんアレ」

「危ないことは危ないけど……引き金引く前に捕らえて身動き取れなくさせれば大丈夫かな、って思って。あと、以前見たやつに比べて威力は上がってるみたいだけど、その分狙いをつけるのが難しい構造だったから、仮に引き金引いたとしても当たるかどうかは五分五分だったわ」

「それは武器を調べて分かったことであって、詳細知らないまま乗り込んだディーが無謀だったことは変わらないから。エドワードさんのお説教は甘んじて受けることだね」

「う~……カイのいじわる」

「こればっかりは、無茶したディーの自業自得。やらかすなら、怒られることも承知の上でやらかしなよ」


 ……本当は、カイが恐怖を覚えた部分は他にある。以前、降臨祭で暗殺者たちに襲われたディアナが森に隠れた際も、探し出すのに相当苦労をしたけれど。この〝クレスターの森〟に入ったが最後、ディアナの気配を捕捉するのは、不可能レベルで困難になるのだ。

 馴染んだはずの大切な存在を、一瞬で見失ってしまう。それだけでも怖いのに、ようやく駆けつけることができたとき、事態は既に収束していて。――蔦植物が密猟者を絡めつけて捕らえ、その周囲には森に住む鳥や獣たちが集まっていた。まるでディアナを守るため、〝森〟が意思を持って蠢いているかのような光景に、否が応でもカイの胸は騒いでしまったのだ。


(ディーの『霊力(スピラ)』は……俺たちが思ってるよりずっと、高まってる)


 それこそ、何かのきっかけ一つで、〝命〟を与える奇跡の力まで目覚めかねないほどに。

 そして目覚めてしまったが最後、きっとディアナはその力を惜しまず使い、救いの手を差し伸べ続けるのだろう。

 ……それはきっと、終わりのない過酷な運命の幕開けにしかならない。


 ――カイが内心の葛藤を押し殺している前では、新しいお湯を沸かしているディアナが、火加減を強めるためか薪を竃に投げ入れている。

 炎の加減を見つつ、彼女ははあぁ、と深いため息をついた。


「ほんっとに皆、過保護なんだから。お兄様だけでもちょっと保護の度合いが過ぎるくらいだったのに、カイと、まさかシェイラまで加わるなんて」

「それだけディーのことが大切ってことだよ。他の人は知らないけど、俺はどうでもいい人相手に、ここまでムキにならないからね」

「それは……分かってる、つもりだけど」


 頬を染めて俯くディアナは、愛らしい。誰がなんと言おうと、ディアナ以上に可愛い人はいないと、カイは自信を持って断言できる。

 不意に、ディアナがそっと上目遣いで見上げてきて、不覚にも心臓がドクンと一つ大きな音を立てた。


「ディー?」

「……それ」

「ん?」

「あなたが私を呼ぶ、その呼び名。ホント、器用に切り替えるなぁと思って」

「……あぁ、そのこと」


 カイにとって、ディアナはずっと『ディー』だった。始まりこそ、ディアナが自分の正体を隠すため、シェイラに名乗った短縮名ではあったけれど、それはそう経たないうち、後宮内でディアナが完全に『紅薔薇』の仮面を外しているときの〝名〟となって。

 本当は表情豊かで、感情の揺れ幅も大きくて。ただ優しくてお人好しで、なのに頑固で意地っ張りな、そんな女の子だと分かってしまったから。

 ……もうずっと、今となっては後宮で『紅薔薇様』をしているときですら、カイにはディアナが『ディー』にしか見えない。


 たったひとりの、特別な……誰より愛しい女の子にしか、もう、思えない。


 ――けれど、そんな己の感情が明るみに出れば、ディアナを窮地へと追い込みかねないことも、分かっているから。


「俺は別にディーの配下じゃないから、敬語も敬称も使う必要ないとは思ってるけどね。さすがに、シェイラさん以外は誰も使っていない呼び名を王サマの前で使って、変に勘ぐられても困るし。……あの人、思ってたよりはずっと、頭切れるみたいだから」

「勘ぐられたところで、やましいことなんか何にもないけどね」

「そもそも、勘ぐられることすら不名誉でしょ、ディーにとっちゃ」


 割と忘れられがちだが、今のディアナは〝側室〟――建前上は、王の妻である。間違っても敵方にディアナへの気持ちを悟らせるようなヘマはしないけれど、この手の話はどこでどんな風にねじれ曲がってディアナの瑕疵になるか分からない。ディアナ本人のカイへの感情は清々しいほどに親愛だけれど、カイがそうではない以上、万一『紅薔薇の不義』なんて噂が立とうものなら、ある程度の真実味をもって語られてしまうだろう。

 避けねばならない。……そんな事態は、絶対に。

 ディアナの邪魔にだけは、絶対、死んでも、なるわけにはいかない。


 そんな決意を込めた言葉にディアナは、何故かとても驚いたようで、目を大きくさせてこちらを見返してきた。


「……どしたの?」

「ううん……ちょっと想定外のこと言われて、びっくりしただけ」

「想定外? どの辺が?」

「カイが今言ったことって要するに、本当は深い仲じゃない男性との関係を深いって誤解されることが不名誉だって話でしょ? その程度の噂なら、自慢じゃないけどデビュタントの年から、耳にタコができるほど立てられてきたから」


 あっさり言われ、今度はカイの目が丸くなる。……そういえば、すっかり忘れていたけれど、貴族社会におけるディアナの評判は『咲き誇る氷炎の薔薇姫』――他人の不幸を何より悦び、弄んでは飽きたらポイと捨てる、とんでもない悪女、だったか。


「……よくもまぁ、そこまで実物とかけ離れた噂が立ったものだよね。ディーと火遊びとか、一番縁遠いのに」

「ホントよね。何するか程度は一応貴族女性の嗜みとして知ってはいるけど、正直あんなコト、よく知らない人とできる神経の方が信じられない。普通のダンスで身体を接触させるのすら、下手したら相手の下心がミエミエで気持ち悪くなるのに」

「あー……分かるんだ、そういうの?」

「何となくだけどね。そりゃ、デビュタントの頃から、同い年の子たちより身体は育ってたけど。だからって何でイコール〝進んでる〟になるのか、もうさっぱり分からなくて」


 ……その辺はおそらく、男同士の猥談でお馴染みな、『女の胸は揉めば育つ』的なアレによるものだろう。発育が良い、つまりは男に育てられているからだ、という下衆な思考が働いたのであろうことは、同じ男ゆえに何となく察しがつく。ちなみにアレは完全なる俗説で、実際は男が適当に揉んだところで、女性の胸が育つことはないらしい。


(お貴族様だの何だのって踏ん反り返ってても、根本的には男なんてみんな似たようなもんだねぇ……)


 心中だけで冷笑しつつ、カイはディアナの手から薪を抜き取り火にくべて、火かき棒でかまどの火を調節した。


「……そういう噂立てられて、辛くなかった?」

「……まぁ一応デビュタント前に、フィフィ叔母様とお兄様から、どういう方向性かはさておき悪い噂は立つだろうって言われてたからね。最初はあんまり悪い風にばっかり言われるから拗ねて、もう社交しない、ってダダこねたこともあったけど。それすら予想されてたみたいで、あっさりいなされたわ」

「さっすがクレスター家……」

「正直後宮に入るまでは、貴族社会で自分の理解者探すの、八割方諦めてたかも。何を言ったところで悪いようにしか受け取られないし、それならもういっそ期待しない方がマシだってね。……今から思うと、デビュタントの頃からずっと拗ねてたの。諦めずに向き合えば、あの頃からライアさんやヨランダさんが私のことちゃんと見てくれてたって気付けたはずだもの。なのに私、後宮に入るまで、お二人がにこやかなのは上辺だけだって思い込んでた。『社交界の花』って呼ばれている方々だから、私みたいな評判の悪い令嬢にも親切にするしかないんだな、って」

「……無理もないと思うよ、そんな悪意にばかり晒されてたんだから」

「ううん、それは違う。……違うって、後宮に入って、ようやく分かった。他者から悪意ばかり投げつけられるからって、私も悪意で以って他者と接して良いことにはならない。拗ねて、自分の殻に引き籠って、誰かがくれる親切まで蔑ろにして良い道理なんて、どこにもなかったわ」

「ディー……」


 こういうときに、実感する。ディアナの魂の眩さを。その――汚泥の中でも凛と揺るがぬ、美しさを。

 どれほど傷つけられても、苦しめられても、ディアナは他者を恨まない。傷ついた分だけ、苦しんだ分だけ、どこまでも他者に優しくあろうとする。

 何度裏切られようと、悪意をぶつけられようと。その裏切りで、悪意で、心を決して歪ませない。どこまでも真っ直ぐに、清廉に、世界を信じ続けようとする。


 それを感じ取る度、また深く、底の見えない想いの淵へと堕ちて……守りたいと、ただ、そればかりを想うのだ。


 ――ぱちり、と大きく火の粉が爆ぜて、カイはハッと我に返った。


(これだから……うっかり〝ディー〟なんて呼んだ日には、どこまで想いが漏れるのか分かんないんだよ)


 割と方々から驚かれるが、カイはディアナ以外にここまで想いを募らせたことはないのだ。初めて生まれた感情に、これでも戸惑うことばかりなのである。

 鍋を覗き込んでいるディアナは、「もうちょっとかしらね」と呑気に呟いていた。

 苦笑しつつ、もう一度かまどの中を適当に混ぜて火を強くする。


「そういえば……話逸れたけど、ディーは俺に『ディー』って呼ばれるの、もしかして嫌だったりするの?」

「今更すぎない、その質問? 嫌だったらとっくの昔に止めてるわよ」

「だよねー。俺もそう思ったんだけど、なんかディーが俺の呼び方、気にしてるみたいだったから」

「……どちらかと、いえばだけど。カイには『ディアナ』って呼ばれる方が、なんかしっくり来なくって。どこか他人行儀な感じがするというか」


 思わず振り返り、ディアナの顔を見る。少し座りが悪いような、言葉通り〝しっくり来ていない〟顔で、ディアナは首を傾げた。


「他人行儀も何も、もともと他人なのに何言ってるんだって話ではあるんだけども。……たぶん私、自分で思ってたよりずっと、カイに『ディー』って呼ばれるの好きなのかも。昔から、お父様とお母様が愛称で呼び合ってるの、憧れてたし」


 そこまで言ってから、ディアナはハッとして、カイを見る。


「やっ、えっと、別に恋人関係とかに憧れてたわけじゃなくて! ただ単に、親しい人同士で特別な名前を呼び合うのが良いなぁって思ってたというか!」

「そんな焦らなくても分かってるって。まぁ俺の場合、名前が短すぎて愛称つけるまでもないからアレだけどさ。俺もディーのことは、普通に名前で呼ぶよりディーって呼んでたいから、気に入ってくれてるなら良かった」

「そ……っか」


 うっすら頬を染めるディアナに、愛おしさが溢れ出す。

 立ち上がり、抱き締めたくなるのを自重して、そっと手を握った。控えめながら握り返してくれるディアナに、柔らかく微笑んで。


「これも今更だけどさ。俺、結構遠慮なしにディーに触っちゃってるけど、嫌じゃない? 男と触れ合うの、あんまり好きじゃないってさっき言ってたし」

「どうして? それはあくまでも下心ミエミエの輩だけで、カイと触れ合って嫌な気分になったことなんか、一度もないけど」

「……そうなの? 何も感じない?」

「何も……ってことは、ないかな」


 言いながら、ディアナは一歩こちらに近づいて、そっとカイの胸に頭を預けてくる。立ちくらみでもしたのかとほとんど反射で背に手を回すと、ディアナが笑った気配がした。


「うん、やっぱり。カイからは、とても温かくて、優しくて……心地良くなる思いしか、感じない。嫌になる要素なんて、一欠片もないわ」

「まったく……」


 こちらが必死に自制しているときに限って、ディアナは無意識のうちに、その境界をさくっと踏み越えてくれる。

 握っていた手を引いて、背に回した腕にほんの少しだけ力を込め、カイはディアナを抱き締めた。


「ホント、敵わないなぁディーには」

「……よく言うわ。あなたに負けっぱなしなのは、いつだって私の方なのに」

「それこそ無自覚の勝利ってやつだよ、ディー。俺はいつだって、ディーにだけは勝てない」

「裏稼業の世界でその名を知られた『仔獅子』が、そんな簡単に敗北宣言しちゃって良いの?」

「こればっかりは世の真理ってヤツだから、仕方ないよね」


 いつの世も、恋愛とはより深く惚れた方の負けなのだ。この先ディアナがカイを男として好きになる日が来たとしても、カイがディアナを想うほどではないだろう。正直、今の自分を客観的に見ると、一歩間違えば犯罪者なレベルでディアナに執着しているなと感じる。自分の中にこんな〝熱〟が存在するなど、それこそ一年前までは想像すらしていなかった。


(想いを言葉にできる日が来るのか……そんなことは、分かんないけど)


 それでも、ディアナを一番近くで守るこの立ち位置だけは、この先一生、誰にも譲ることはできない。……この先ディアナがどうなろうとも、どんな出逢いがあったとしても。


(何があろうと、俺はディーを守る。それだけは、揺るがない)


 決意を込めて、カイはもう一度だけ、と心中で呟き、抱き締める腕に力を込めた――。



  ■ ■ ■ ■ ■



(……私の傍にいてくれるひとは、みんなみんな、優しすぎる)


 カイの温もりに包まれたまま、ディアナは静かに目を閉じた。

 意識を向ければ、鼓膜を震わせる音とは別の、もう一つの〝声〟が聴こえてくる。


[ディアナ、戻らないの?]

[ディアナ、あっちでディアナのこと話してるよ?]

[エドったら、難しい顔しちゃって。そんな心配しなくても、ディアナは全部分かってるのにね]

[ちゃんと言ってあげたら? ディアナにはボクたちがいるから大丈夫だって]

[ねぇディアナってば……]


(ありがと、みんな。お湯が沸いたら戻るから)


 静かに答え、ディアナは意識を戻して思考に沈んだ。

 ――クレスターの森はお喋りだ。代々の『森の姫』を擁してきた土地柄ゆえか、もともとなのかは分からないけれど、ここの皆は人間が思うよりずっと様々なことを話し、人間にも興味を持っている。余所の土地には、人間に無関心で人間の言葉を解しない〝命〟も多いけれど、ここの皆はある程度、人が話していることを理解できていた。……古くより生きる、それこそ樹齢数千年の大樹ともなると、人間以上に人間のことを知り、歴史を知り――過去の霊力者(スピルシア)たちのことを、知っているほどに。


(お父様は、私を守るために『スピリエル伝承記』の続きを隠したけれど……さすがのお父様も、クレスターの皆がこれほど〝人間〟の歴史に精通しているとは思わなかったのね)


 ディアナがその気になれば。本気で、〝過去〟を知りたいと望めば。

 クレスターの森は、悠久の昔からそこにある〝命〟たちは、ディアナの思いに、願いに応えてくれる。遠い遠い昔、最初に〝森〟へと招かれた『始まりの巫女姫』の時代から、歴代の『姫』と〝森〟がどのような絆を結んで生きてきたのか――。


〝はじまり〟から〝おわり〟までの、全てを。


「……ディー?」


 黙り込んだディアナを、戸惑いがちにカイが呼ぶ。

 額を預けたまま、ディアナは緩やかに、首を横に振った。


「……もう、少しだけ。もう少しだけ、このまま居させて」


 まだ、戻るわけにはいかない。外ではまだ、ディアナの大切な人たちが、ディアナを守ろうと必死で対策を講じてくれているのだ。

 その思いを、痛いほどに感じながら。……皆の優しい思いの全てを無に帰そうとしている自分が、どの面を下げて戻ることができる。

 緩みつつあったカイの腕に、再び力が込められた。


「それは……俺は、構わないけど。どうしたの、ディー」

「なんでも、ない。大したことじゃないの。……ごめんね、カイ」

「ディーが謝ることなんて、何一つないでしょ」

「ううん。……本当に、ごめんなさい」


 歴代の『姫』たちの身に降りかかった、過酷な運命。どれほど『迷いの森』に守られていても、『森の民』たちがどれほど堅固に守っても、運命は彼女たちを逃さなかった。……見逃しては、くれなかった。


(〝命〟を与える、奇跡の力。……けれど世の(ことわり)として、人の身に過ぎたる力の行使には、必ず〝代償〟が必要となる)


 歴代の〝姫〟は、幸福だったろうと思う。〝森〟に愛され、『森の民』たちに愛されて。……できることなら穏やかに、その生を全うしたかっただろう。

 けれど、彼女たちの多くは短命で。その原因を代々調べ続けていた『賢者』たちは、あるとき残酷な真実を知る。


『森の姫』が他者に〝命〟を与えるとき、使われるのは『霊力(スピラ)』ではなく。

 ――魂の根幹そのものである、『核』なのだということを。


(己の魂で以って、〝命〟を与える奇跡を行使する者……それが、『森の姫』)


 使っても休めば回復する『霊力』とは違い、『核』は基本的に、壊れてしまえば戻らない。誰かに〝命〟を与えるたび、『姫』の『核』は少しずつ削られて……やがて、『霊力』を貯めておけないほどに脆くなり、魂を保つことができなくなって、死を迎えることとなるのだ。

 それを知った過去の『賢者』たちは、『森の姫』の力の行使を最低限に抑えることで、なんとか彼女たちの命を永らえさせようとした。けれど、いつの時代もどうしてか、運命は理不尽に彼女たちを〝呼んで〟。


 あるときは、伝染病で滅びかけた国を。

 あるときは、勢い止まらぬ炎によって燃やされ尽くした山々を。

 あるときは、大旱魃によってやせ細った大地を。


 ……『姫』たちはいつも、自らの意思で救ってきた。


(きっと……この力が完全に覚醒(めざ)めれば、私も)


〝呼ばれる〟のだろう。……何がしかの、運命に。


『姫』の真実は、代々の『賢者』が口伝で繋いできた、禁断の秘事であるという。未だ嘗て、『森の姫』以外に『核』を削る『霊術(スピリエ)』を行使する者はいない。真実が明るみに出れば、ますます『姫』は霊力者の中でも特異な存在として好奇の目に晒され、その身を狙われることだろう。それを案じた『賢者』たちの判断だ。

 しかし、紙に残さない〝口伝〟は途切れるのも容易く。最後の『姫』が死去してから軽く二百五十年は経過した今、『姫』の真実はデュアリスの知るところでは無くなっている。そもそも、霊力者の存在すら伝承の中のお伽噺とされている時代に、『森の姫』の逸話が生き残っているだけでも大したものだと……昔語りをしてくれたクレスターの大樹は、感心したように〝言って〟いたけれど。


(けれど、たぶん……お父様もお兄様も、何かは察してる)


 口伝こそ途絶えていても、歴代の『森の姫』が辿った運命は、文献として残されているのだ。それを読めば、彼女たちが短命であったことなどすぐに分かる。理屈こそ不明でも、力が完全に覚醒すればディアナも同じ運命を辿るであろうことなど、二人ならば容易に予想できるはずだ。

 だからこそ、デュアリスは『スピリエル伝承記』をディアナから隠した。今の時代に存在するには、あらゆる意味で危険極まりない『力』が、目覚めることがないようにと。

 ……そして今、『森の姫』の文献を読み込んだエドワードもデュアリスと同じ判断を下し、次期『賢者』として以上に〝兄〟として、当代の『森の姫』よりも〝ディアナ〟を守ろうと、必死になってくれている。


 ――……今、優しい腕で、ディアナを包んでくれているひとも。


(何でもない話で、私の気を紛らわせてまで。……大切に、本当に〝私〟を、大切に想ってくれてる)


 誰もがきっと、思い、願ってくれているのだ。

「これ以上、ディアナの力が覚醒(めざ)めることがないように。〝命〟を与える力をディアナが使う未来が、訪れることがないように」――と。


(……ごめん、なさい。みんなの願いを、私は裏切る)


 クレスターへ『里帰り』して、落ち着いた頃に昔馴染みの大樹と〝話〟をして。

 ……全ての真実を知った夜に、誓ったこと。


(私に、〝命〟を与える力があるのなら。……その力を使えるようになって、もう二度と、私の目の前で、誰の命も奪わせない)


 誰かの命が無念のうちに途絶えていく残酷な音は、もうこれ以上聞きたくない。

 轟々と逆巻く、水の音も。大切な人に別れの言葉も言えず、壊された魂が朽ち果てる音色も。

 もう、充分だ。もう、たくさんだ。

 ……たった一度で充分だった後悔を、二度も、三度までも繰り返してなるものか。


 自分を守って、誰かを見捨てて。そんな風に生きていくことは、ディアナには到底できそうもない。大好きな世界を自分自身で汚すような真似、できようはずがないのだから。

 だから、ディアナは。全部知らないフリをして、自分の力に無自覚なままを装って、……自然と力が〝目覚めてしまった〟ことにして。


『森の姫』の力を、必ず手に入れると誓ったのだ。




「――ディー」


 不意に腕が解かれ、見た目よりずっと大きくて骨ばっているカイの掌が、ディアナの頬に添えられた。

 自然な流れで上向かされ、静謐な光を宿したカイの瞳と、至近距離で見つめ合う。

 無言のまま、ただ火が爆ぜる音だけが響く厨房で、しばしカイはディアナをじっと見つめて。


「気付いてる? 意外と頑固なディーは、本当に自分が悪いって思わないと、素直に謝ったりしないんだよ」

「なに、それ。悪口?」

「残念、単なる事実。……どうして、謝ったりしたの?」

「別に……カイも言ってたけど、私って本当にワガママだから。誰が何と言おうと、自分のやりたいこと、絶対曲げないし。たまに自分でも嫌になるけど、それでも譲れないのよね」


 皆の優しい思いを裏切って、ディアナは自ら、残酷な運命の扉を叩く。

 そんな自分はきっと、この世界の誰よりも欲深で、自分勝手だ。


 ディアナの言葉を静かに受け止めたカイは、……ゆっくり、ゆっくりと、笑って。


「……分かった」


 一言、そう呟くと、こつりと額を合わせてきた。


「ディーがワガママなことなんて、今に始まった話じゃないしね。誰が何言ったって、こうと決めたら絶対譲らないのも知ってる」

「カイ……」

「やりたいように、好きなようにやりなよ。もしもそれがディーにとって危険なことだとしても、……命すら縮めかねない、最悪の選択だったとしても。ディーに降りかかる災禍は全部、俺が粉々に砕くから」

「……っ」


 この、ひとは。

 いったい、どこまで、見通して。


「俺の誓いは、死ぬまで変わらない。何が起こっても、どんなことになっても。ディーが望みを全て叶えて幸せになれるように、俺がディーの全てを守る。身体も――心も、全部」

「どう、して……カイは、どうしてそんなに、優しいの。優しく、あれるの?」

「どうしてって……ホントにディーは、自分のこと分かってないね」


 カイの吐息が、唇に触れる。柔らかな温もりが降り積もるように、彼の言葉はディアナの中へと注がれた。


「俺もそうだけど、みんながディーを大切に思って守ろうとするのは、ディーがいつでも同じように、皆を守ろうとしてきたからだよ。ディーはいつだって、優しい願いで、真っ直ぐな眼差しで、温かな真心で、誰かのために頑張ることを惜しまない。そうやって与えてきたものが、みんなの思いになってディーまで返ってきてるだけ。不思議なことなんて、何一つない」

「……私、みんなに、与えてた?」

「現在進行形で、ずっと与えてるよ。……これ以上何をあげる気なの、ってくらいね」

「カイ……、私、」

「――言わなくていいよ」


 するりと、カイの指がディアナの髪を撫でて。


「ディーを守ると誓った日から、覚悟はずっとできてる。――大丈夫。ディーが〝そっち〟を選ぶなら、俺はディー自身からすらも、必ず〝ディー〟を守ってみせるよ」

「カ、イ……っ」

「だから、ディーは悩まなくていい。――謝らなくて、いい。行きたい道を堂々と進んで、いつもディーらしく笑ってて。それが、俺の望みだから」


 ……そう、だった。この世界でたったひとり、ディアナが自分でも気付いていなかった最奥の望みを見抜いて、掌へと乗せてくれたひと。それがこの、カイなのだ。

 自分でも分かっていなかったことですら、カイは易々と見抜いたのだから。隠そうとしたところで、ディアナが自覚して抱いた誓いを、彼が見通さぬはずがないではないか。


 受け止めて、肯定されたことで、思っていた以上の安堵に包まれる。

 声を出せば泣いてしまいそうで、ディアナは一歩離れてから、無言で一つ、頷いた。

 ディアナから視線を逸らさないカイも、同じように頷いて。


「ま、ディーらしいっちゃらしいかな。追いかけてきて良かったよ、逆に腹を括れたし」


 敢えて軽い調子で、茶化すようにそんなことを言ってくれる。

 触れ合ったままの手に力を込め、こちらを見つめる美しい紫紺の瞳に、ディアナもようやく微笑むことができた。


「……前々から思ってたけど、カイって私を甘やかすのが上手よね」

「そうかな? 甘やかしてるつもりはないけど、ディーがそう感じるんならそうなのかも」

「普段はお兄様以上に口煩いのに……これが噂に聞く飴と鞭ってやつ?」

「その口煩いエドワードさんが待ってるよ。――お湯も沸いたし、そろそろ戻ろっか?」

「……私は森に行ってくるから、カイ、お湯持ってってくれない?」

「残念でした、そこは甘やかさないから。……逃亡場所に森を選択するあたり、本気で嫌なんだね、エドワードさんのお説教」

「とにかく長いし理詰めで反論封じてくるから、割と苦手……」


 軽口を叩き合いながら、この穏やかな時間の幸福を、ディアナは胸に刻み込んだ。


いやホント申し訳ありません……。普通に話を進めていただけなんですが、相変わらずウチのキャラたちは予想の遥か斜め上を横切ってくれます。比較的優等生なこの二人すらこの状況で、一体『にねんめ』はどうなるのかと、作者も割とスリリングな心境で描き進めております。

「年明け早々こんなモノ見せやがって!」と思われた方は、元日に投稿しました番外編の方の小噺でどうぞお口直しを……あちらはシリアス度数ゼロの、ほのぼのきゃわわなお話ですので!


そんなこんなで落ち着かない感じですが、2020年もどうぞ宜しくお願い申し上げます!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] シリアスなはずのにイチャついてる印象が強すぎてw 今の王様なら薄々気付いてるんじゃないかなー。 自分に相手いると人の恋愛にもさとくなるし。 [一言] やっぱり命かぁぁぁ!!
[一言] え、今回シリアスだったの? いつものイチャつきだと思ってたwww
[良い点] 正月休みも終わるしシリアスもいいぞ [気になる点] あいだにおっぱいが入っててイイ感じに気が抜けましたw [一言] やっぱり命が代償なのね・・・
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