表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
136/243

回想その7〜そして現在へ〜

長かった回想編も、ようやく終わりです。

これで一応、プロローグと繋がる、はず……


 予想もしていなかった藤の宮の訪問で、相変わらずなリファーニアのパワーと本気モードマグノム夫人の底知れなさを味わってから、数日後。

 いつものように『名付き』の三人と蔦庭で茶会を開いたディアナは、ちょうど良い機会だからとマグノム夫人から持ちかけられた『里帰り』案を説明することにした。

 時折質問を挟みつつも熱心に聞いていた三人は、話が進むにつれ口数が少なくなり、ついには唖然とした表情を隠そうともせず沈黙する。……レティシアはともかく、ライアとヨランダにまでこんな顔をさせるとは、やはりマグノム夫人は凄い。


「……というわけで近々、側室全員の『里帰り』について、内務省と本格調整に入られる見通しとのことです」

「……常々只者ではいらっしゃらないと思ってはいたけれど、考えていた以上にとんでもないお方だったわね、マグノム夫人」

「シェイラ様の序列をどう引き上げていくかについては、正妃教育がひと段落したあたりで出てくる課題だと思っていたのに。まさか貴族議会の功労を理由に序列を引き上げ、それをカモフラージュするために後宮全体を巻き込んだ一大事業へ発展させるなんて」

「これ……又聞きの私たちですら度肝を抜かれたのですから、実際に聞かされたディアナはもっと驚いたのでは? 大丈夫ですか?」

「お気遣いありがとう、レティ。何度か現実逃避してみたけど逃げ切れなくて、ちょっぴり大人が怖くなったけど、わたくしは大丈夫」

「ご実家が非常識の見本市みたいなディアナですら逃げたくなるほどの迫力だったのね……お疲れ様」

「正直、父の無茶苦茶とタメ張れるレベルの無茶苦茶だと思いましたね……。ありがとうございます、ヨランダさん」


 友人たちの労いの言葉に感謝してから、ディアナは本題を切り出す。


「マグノム夫人のお話を聞く限り、確かに『里帰り』は有効な案です。一番の目的であるシェイラの地位向上を自然な形で行える上、それに伴い部屋を移動すれば、王太后様からの教育すら受けることが可能になる。また、新序列に見合うものへ後宮を改築し、室内環境や侍女の質を上げれば、側室方からの不満も最小限で抑えられるでしょう」

「となると、期間は最低ひと月ほど必要になるかしらね?」

「内務省との調整にどれだけかかるかにもよりますが、マグノム夫人の希望としては、できれば来月、水月(みずつき)の頭から再来月……空月(そらづき)の半ばくらいまでを目安としたいそうで」

「改修工事と侍女、女官の再教育に費やす期間を考えれば、妥当なところね」

「ひと月半ですか……私は里帰りしても普通に仕事をするだけなので暇を持て余すことはありませんが、他の方々はどうなのでしょう? シーズンオフですから、領地に戻られる方も多いでしょうし」

「私はおそらく王都に留まることになるでしょうね。父の仕事の関係上、もう何年も領地には帰っていないわ。……領地へ帰ると煩い方々のお相手もしなきゃならないし」

「ライアが戻らないのなら、わたくしも王都に残るわ。一人で帰ってもつまらないもの」

「そういえば、ストレシア侯爵家とユーストル侯爵家の本領はお隣同士でしたね」

「ディアナはどうするの?」

「たぶんですが、クレスターの本領へ帰ることになるかと。シーズンオフなので、家族も皆一度は家に帰るはずですし」

「ということは、この中で一番の長距離を移動するのはレティね」

「マミア大河を超えなきゃだものね、キール伯爵家の本領は」

「造船と操船の技術が発達したので、昔よりは速くなったのですけどね」


 この会話だけを抜き出せば、長期休暇前の寮生のようだ。もっともエルグランド王国には、貴族階級の娘が共同生活を行う全寮式の学園というものは存在しないが。〝学び舎〟というものは近年ようやく民の間に普及してきたが、貴族女性は伝統的に母親や家庭教師から学ぶものとされており、皆で一堂に会して同じ教えを受けるという発想そのものが、なかなか出てこないらしい。

『里帰り』中のそれぞれの所在地が判明したところで、ふとレティシアが遠い目になった。少し何かを考えたようで、彼女は表情を真剣なものへ変える。


「あの……里帰りの件で、少し心配なことがあるのですけれど」

「あら、なぁに? 『牡丹派』の方々には、後宮近衛の皆様方がついてくださるのでしょう?」

「えぇ、ですから、後宮内の争いとはまた別の心配事といいますか……もしかして、側室方の中には、家にも領地にも帰りたくない方がいらっしゃるのではないかな、と」


 ライアとヨランダが軽く目を見開き、そのままディアナを見る。

 視線を受けて、頷いた。


「そうなのです。他ならないシェイラが、おそらく『里帰り』に負担を覚える筆頭でしょう。シェイラ以外にも何名か、折り合いの悪い家族と距離を置きたいという理由で側室志願した方がいらしたように記憶しております」

「そういう方向けの救済策は、何か用意していらっしゃるのかしら?」

「マグノム夫人曰く、『あくまでも表向きは後宮改装工事のため、一時的にご退宮願いたいという形にするつもりですので、実家以外に行き場所がある方はそちらでの滞在をご申告頂ければ大丈夫です』とのことです。実家と折り合いが悪いというご側室方は概ね把握しておりますので、一人ひとり個別にヒアリングして、『里帰り』中の滞在先をご用意できればと思うのですが……」

「行き場所がある方はそれで良いでしょうけれど、シェイラ様は確か、あのどうしようもない叔父君と叔母君を除けば、天涯孤独の身の上ではなかった?」

「えぇ。シェイラはあれで社交的な性格ですから、ご近所に仲の良いお友だちの一人や二人はいると思いますけれど。……あの叔父君のことを考えれば、すぐ接触できる場所にシェイラを長期滞在させるのは不安が大きいですよね」


 シェイラの叔父と直接言葉を交わしたのは一度だけだが、その一度で充分、能力も志もないくせに欲望だけは人一倍で、シェイラが寵姫となれば自動的に自分も出世できると疑っていない、頭空っぽな底の浅い人間であることは飲み込めている。仮にシェイラがカレルド家への『里帰り』を拒否し、親切な知人が期間中の滞在を快く受け入れてくれたとしても、王都にいる限りは探し出されてしまうだろう。接触したが最後、どんなミラクルな思考回路を披露して、シェイラを振り回すか分からない。それはシェイラにとって負担にこそなれど、骨休めには決してならないはずだ。

 ふぅ、と息を吐き出して、ディアナは独り言ちる。


「『里帰り』中の滞在先がどこでも良いならそれこそ、当家でシェイラを引き受けるのですけれど。クレスターの領民たちは余所者貴族に敏感ですから、見慣れない馬車が走っているだけで警戒して、わたくしたちまで知らせてくれます。シェイラとて、いつ叔父君とすれ違うか分からない場所で息を潜めて過ごすより、遠いクレスターの地でのんびり過ごした方が落ち着けるでしょうし」

「……良いんじゃない?」

「何がです?」

「だから、シェイラ様の滞在先。クレスター家で良いと思うけれど」


 普通のトーンで返してきたヨランダに、ライアも頷く。


「そうね。ヨランダや私のように友人目的で王都に残るというならともかく、シェイラ様の場合はそうではないだろうし。それくらいならいっそ、仲の良いディアナとひと月半一緒にいられたほうが、シェイラ様も嬉しいのではないかしら」

「ええぇ……『里帰り』でそんなのアリですか?」

「アリだと思いますよ? あくまで名目上『里帰り』となっているだけで、実際のところは『後宮改築改革中邪魔だから、ひとまず出て行け』ということでしょう? それなら理屈上は、どこで過ごしても構わないはずです」

「レティまで……」


 もちろんディアナとて本音を言えば、親友のシェイラをクレスターへ招待したい気持ちはある。すごくある。ディアナにとってクレスター地帯は、土地もそこに住まう人々も、彼らが織り成す日々の暮らしも、全てが愛おしくて大切でたまらないものだ。それを大好きなシェイラに見せて、大いに自慢したい気持ちが無いわけもない。

 しかし。


「『里帰り』中の滞在先は、公的記録に残るのでしょう? 悪評高い『クレスター伯爵家』に滞在したご令嬢などという噂が広まれば、シェイラのこれからに差し障ります」

「あら、そんな記録(モノ)、例によって例のごとく、嘘のない範囲で適当にごまかしてしまえば良いのよ。それこそ、『知人宅』とか」

「間違ってないわね。もしも万が一『具体的にどこなんだ!』と突っ込まれたら、『本人様のご希望により、関係者以外への周知は控えることとなっております』とでも言って貰えば良い。マグノム夫人なら、そういうあしらいはお得意でしょう」

「しかし……いくらなんでもシェイラだけ特別扱いするわけには」

「特別扱いじゃなくなれば良いの? それなら……ご実家以外に行き場が無い方が他にもいらしたら、わたくしたち三人でそれぞれお引き受けするというのはどう?」


 ヨランダから飛び出てきた、思いもよらぬ提案。

 ぽかんとするディアナの前で、ライアとレティシアがそれぞれ頷く。


「良いわね、それ。私たちは王都に留まるわけだから、あまり遠出したくない方々の滞在先にならなれそうだわ」

「なんのお構いもできませんが……暖かいベッドとお食事程度なら、我が家でもご提供できます。王都以外での滞在をご希望の方は、キール家の屋敷をご利用頂ければ」

「……よろしいのですか? お三方こそ、長くご家族と離れ、慣れない場所でご苦労されてきたわけですから、大変お疲れでしょう。『里帰り』中すら気を抜かず『名付き』で居続けねばならぬのは、お辛いのでは?」

「実際にお世話をするのは侍女たちでしょうし、わたくしたちの負担は少ないと思うわよ? クレスター家は稀な例外として、一般の貴族家はお客様がひと月単位で長滞在されるなんてよくあることだから、家の者たちも慣れているわ」

「えぇ、そうね。王都の屋敷だって無駄に広くて部屋数も多いから、却ってお客様がいらした方が、無駄な広さが無駄じゃなくなって良いだろうし」

「私は本当に、領地へ戻ったら仕事があるでしょうから……お客様のおもてなしはそれこそ家の者任せになってしまうでしょうけれど、キール家に仕える者たちは自然な気遣いの得手な有能揃いですから、不自由だけはしないはずです」


 ……さすが、有能な三人を育てたお家なだけはある。実家へ帰りたくない側室の行き場についてはディアナも密かに考えていたところだったから、正直な話、三人の申し出はとてもありがたかった。


「では、あくまでもヒアリングの結果次第ではありますが……どうしても滞在先が見つからない方がいらした場合は、お願いしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんよ。いつでも言って」

「家にも伝えておくわね。ユーストル家の者の口は固いから、安心してちょうだい」

「父も喜びます。貴族令嬢としての交友関係が狭い私のことを、いつも心配していましたから」


 頼もしい友人たちと一緒にディアナも笑い、蔦庭は和やかな空気に包まれた――。



 ***************



「それにしても、先ほどの戦闘には圧倒されました。痛いほどの緊迫感といいますか……」

「あぁ、全くだ。達人同士の戦闘とは、ああも空気から違うものなのだな」

「……別に、空気を変えてるつもりはないけど。攻撃を入れる隙が見当たらないから、真剣に探してるだけで」

「お前ほどの奴が〝真剣に〟隙を探してるってだけで、結構な大事なんじゃないのか?」

「よく言うよ。エドワードさんこそ、こうして寛いでいる瞬間すら全く隙を見せないくせに」

「俺たちみたいな本職にとっちゃ当たり前のことだろ。今更何言ってんだお前」

「……お前の本職はあくまでもクレスターの次期当主であって、裏稼業人じゃないぞ。そもそも跡取り息子の立場と現場職掛け持ちするとか、普通に考えておかしいからな?」

「アルフォード、それこそ〝今更〟というやつではないのか? 少なくともエドワードはうまく両立しているように見える」

「よく分かってるじゃないか、ジューク。そうそう、ウチの人間にとっちゃ、いくつも仕事掛け持つのはむしろ普通だ」

「クレスターの普通と書いて〝非常識〟って読むいつものやつだけどね、それ」


 敷布に腰を下ろし、和気藹々と語り合う面々を、ディアナは皿の上に焼き菓子類を並べながら穏やかに見守る。大皿二枚の用意が整ったところで立ち上がろうとして、両横から同時に奪われた。


「こちらをお渡しすればよろしいですか?」

「そのような端で給仕などせず、ディアナ様も皆様とご歓談ください」


 右はソラ、左はシリウス。さすがに酸いも甘いも噛み分けた大人たちは、場の空気の読み方と気遣いは天下一品だ。ソラに黙礼を返し、ディアナはシリウスに微笑んだ。


「それがね……何と言えば良いのかしら。こうして皆がクレスターの地で笑っている光景を見ることができただけで、嬉しくて。見ているだけで、とっても幸せなの」

「左様ですか。……えぇ、誠に。まるで、三十年前へと戻ったかのようです」

「三十年前?」

「当時はまだ若君でいらしたデュアリス様と、恋人となられたばかりのエリザベス様。そこへ今の陛下のように、視察ついでに足を伸ばされたオースター殿下が加わられて。こっそり一緒にリファーニア様もいらっしゃって。皆様が集まっているところに、フィオネ様が手製の菓子を持ってこられて……身分に頓着しないデュアリス様とオースター殿下でしたから、畏れ多いことながら、私も同席致しました」

「そうだったの。――本当ね、よく似てる」


 ジュークがデュアリスに連れられてクレスター地帯を訪れたのは、昨日のことだ。エルグランド王国では、毎年この時期にひと月ほどかけて、王と、場合によっては王太子も一緒に、王国の主要な土地を視察して回る。ジュークに代替わりしてからは、王宮の慌ただしさもあって途絶えていた慣例だが、今年めでたく復活した。

 恐らく三十年前は、その視察にリファーニアがこっそり同行したのだろう。リファーニアの行動力なら、容易に実行へ移しそうだ。……それでいくと今回は、リファーニアほどの無茶は押し通していない。


 ――マグノム夫人が天才的な交渉の手腕を発揮し、内務省に側室たちの『里帰り』を認めさせてから、後宮は俄かに慌ただしくなった。四十人以上いる側室全員が、私物をまとめて一度後宮から離れなければならないのだ。実家への連絡、荷造り、退宮の順序決めなどなど、するべきことは山ほどあった。

 ディアナと『名付き』の三人は、その慌ただしさの合間を縫って、実家と折り合いの悪い側室一人ずつと面談し。『里帰り』中の滞在先は確保できているのか、実家に戻る以外の選択肢がないのなら、良ければ自分たちの家に来ないかと話を持ちかけた。――もちろん、ディアナは真っ先にシェイラとだ。

『里帰り』が正式に決まってすぐは表情が晴れなかったシェイラだが、それはやはり、叔父叔母が暮らすカレルド邸へ……シェイラの父が主人であった頃とは、内装から何から全て変わってしまった実家へ戻りたくないがゆえの苦悩だったらしい。『里帰り』だからといって必ずしも実家へ戻らねばならないという決まりはないとの説明を受けてはいたものの、ひと月以上も長滞在させてくれる知人のアテはシェイラにはなかった。いっそ誰かからお金を借りて宿にでも……と考えていた矢先の、「里帰り中に泊まれるところはある? 良かったら、クレスターで一緒に過ごさない?」とディアナに持ちかけられたのだという。

 自身の身分に引け目を感じているシェイラは一度は遠慮したものの、後宮から離れた場所で、親友のディアナと期間限定とはいえ一緒に過ごす計画は、実のところ魅力的に感じていたようだ。ディアナが重ねて「遠慮しないで」と言ったこともあり、最終的にはシェイラのクレスター滞在が決定した。記録はヨランダの言う通り『知人宅』と誤魔化し、ディアナがクレスターへと戻った数日後、シェイラも少ない荷物とともにクレスター地帯の屋敷へ身を寄せたのである。シェイラと同じように実家へ帰りづらい事情のある側室たちのうち、行き場のない数人をライア、ヨランダ、レティシアがそれぞれ引き受けてくれ、ディアナはもちろんマグノム夫人も安心していた。


 そうやってシェイラがやって来て。昨日、ジュークがアルフォードだけを連れてやって来て――。


「ディー! このお菓子、とっても美味しいわ」

「あぁ、実に美味い。クレスター家は仕えている者まで有能なのだな」


 シリウスが言うところの、『三十年前の風景』が再現されたわけだ。

 親友とその恋人に屈託なく笑いかけられ、ディアナも穏やかに微笑みを返す。


「良かった、シェフも喜ぶわ。その焼き菓子、彼のオリジナルレシピなのよ」

「そうなの? 凄いのね」

「てか、ディアナもこっちで一緒に食べたら? なんで一人だけそんな端っこにいるわけ?」

「お菓子取り分けてたら端っこになっただけで、別に意図してたわけじゃないんだけどね」


 シリウスに続いてカイにまで促されたら、行かないわけにもいかぬだろう。頷いて、ディアナは立ち上がる。

 ちなみにこの自由な隠密は、ディアナが後宮から退出する日(退宮の順番は『名付き』から順に序列が上の方から、と妥当なところに決まったので、早い話が『里帰り』初日)、王都を抜けた辺りでしれっと一行に加わった。ディアナの護衛についた後宮近衛は、こちらも『側室筆頭』を守るには実に妥当である、後宮近衛騎士団団長――クリスであったため、彼の合流は何の問題もなく受け入れられ、共にクレスターまでやって来たというわけだ。……まぁ、彼が同行した理由はディアナ云々よりクレスターの地で療養中の父親を心配してのことだろうから、ディアナも特には突っ込まなかったのだけれど。

 社交期間(シーズン)終了の夜会まで、王都のクレスター邸にて病気療養を続けていたソラは、昨シーズンが終わってエリザベスがクレスター地帯へ引き上げるのに合わせて、療養場所をクレスター本領の屋敷へと移していた。いつもなら一家全員揃って領地へ戻るのだが、今回は貴族議会の後始末が山ほどあったため、デュアリスとエドワードは止むを得ず王都に留まることとなったのだ。となれば、いつもデュアリスがシーズンオフ中に行っている領地運営関連の仕事は、妻であるエリザベスが代理で進めるしかない。そのため、一足先にエリザベスだけがクレスターへ戻ることとなり、ソラはそちらに同行したのである。


 そんな感じで、エリザベスとソラがまず、クレスターへと帰り。続いて、王都での父の手伝いにそこそこの目処がついたエドワードが戻り(もっとも彼の場合、帰ってすぐに『闇』の仕事の手伝いを始めるため、ほぼほぼ屋敷にはいないわけだが)。

 それから数ヶ月遅れで、『里帰り』することとなったディアナが、シェイラとリタ、クリス、カイ、そしてずっと後宮でローテーションを組みながら護衛し続けてくれていた『闇』たち(『里帰り』の際は、ごく普通の従者の服装で馬車を引き、いかにも「後宮初めて見たー」なリアクションをしつつ出迎えてくれた、芸達者組)を引き連れて帰って。

 ――最後に昨日、クレスター領『ガントギア特別地域』へ視察に赴いた王をこっそり出迎えて案内と説明を行ったデュアリスが、その足でジュークとアルフォードを連れてクレスター地帯へと帰還を果たして、これでやっと家族全員と客人たちが一堂に会することができたわけだ。今日は領内の用事でデュアリスとエリザベスは同席できず、若い世代を裏稼業世界の重鎮二人が見守る図となっている。


「ほら、ディーも座って」

「ディアナ様、こちらシェフが腕によりをかけて作った、ディアナ様が一番お好きなお菓子ですよ」

「へぇ、ディアナ、こういうのが好きなんだ?」

「シェフが作ったこの焼き菓子はね、どんなお茶にも合うの。甘いんだけど、甘すぎなくて。カイも、甘いもの苦手じゃないなら食べてみて」

「ありがと、もらうー」

「カイさん、甘いものお好きなんですか?」

「好きでも嫌いでもないよ? そもそも俺、食べ物の好き嫌い、特にない。食えれば何でも良いから」

「……それは逆に、腕自慢のシェフが泣くのではないか?」

「美味いか不味いか判断するくらいの舌はあるって。……うん、美味しい。確かに甘いんだけど、あと引かないスッキリした甘さって感じ」


 ジュークとカイがこうして顔を合わせて話をしている様を見ると、どこか不思議な気持ちになる。後宮内でカイが姿を見せるのは、ディアナが一人で部屋にいるときか、他に人がいるとしてもリタやシェイラくらいで。春に『紅薔薇の間』で集まったときも、結局彼は天井裏参加だった。おそらく後宮では、いちおう不法侵入者である身の最低限の礼儀として、カイなりに気を遣っていたのだろう。

 ジュークとアルフォードは昨日クレスターに到着して初めてカイの顔を見たことになるわけだが、二人とも、あの飄々とした口調で言いにくいことをズバズバ言う男が、あれほど年若く美麗な青年だとは思わなかったようだ。改めて挨拶を交わしつつ、密かに驚いた様子で彼を観察していた。

 カイとしては、ひとまず同じ家の客人同士として挨拶した後は、適当に距離を取っていれば良いか程度に考えていたようだが。間の悪いことに夕食時、エドワードがカイを相手に武術の話題で盛り上がったことで、彼が戦闘職としてもかなりの腕利きだと知られてしまい。


「よく考えたら俺、本気になったお前がどの程度の腕前か、ちゃんと見たことなかったな

ー」

「そうでしたか。ならばここは一つ、久しぶりに息子に稽古をつけることとしましょう」

「やった! ソラ殿、見学しても良いでしょうか?」

「はい、もちろんです」

「あ、俺も俺も! 騎士団長として是非とも拝見したい!」

「そうだな。俺も見たい」


 ……と、稽古をつけられる本人の意思を一切無視した流れで、この物騒なピクニックがあれよあれよという間に決定したわけだ。ソラがにっこり笑って「稽古をつける」と言った瞬間にぴしりと固まり、その後のやり取りを固まったまま傍観していたカイは、話が全部まとまって食事が終わり、晩餐室を出る間際に一言、「終わった……」と呟いていた。何がどう「終わった」のかディアナにはさっぱり分からなかったけれど、どうやらカイは父親の表情から、ソラが〝本気〟の稽古をつけるつもりであることを察していたらしい。


 大勢の見物人――ジュークたち以外にも、草原の茂みや木の上で若い『闇』の面々がこっそり見学していたから、見えていないだけで結構な人数だった――の前で、超強い相手にも果敢に挑んだカイへの労いを込めて、ディアナは新しいポットにブレンドしたばかりのハーブを入れ、お湯を注いだ。

 シェフ渾身の焼き菓子を食べ終えたカイは、ちょっと首を傾げてお湯を注ぐディアナを見る。


「新しいお茶? ……良い香りだね」

「レティの領地特産のお茶とはちょっと違うけど、クレスターの森で採れるハーブをブレンドしたハーブティよ。今朝、シャールの一番花が咲いたから」

「シャール……って、毎年夏に花を咲かせる、あのシャール? あれって確か、種に毒がなかったっけ? 抽出が超めんどいから、滅多に使わないけど」

「死体に分かりやすい毒反応が残らないから、暗殺向きの毒よね。調合次第では眼精疲労によく効く目薬になったりとか……まぁそれはともかく。シャールは毎年新しい花を咲かせるんだけど、その年の一番最初に咲く花には、極めて強い疲労回復効果があるの。肉体だけじゃなく、精神疲労の回復にも効果的なのよ。香りだけでも心身の興奮を和らげるから、よく調合する安眠茶には、シャールの一番花をドライハーブにして入れてる」


 カイが目を見開いた。ジュークも驚いたようで、少し身を乗り出してくる。


「シャールのそんな効能、見たことも聞いたこともないぞ」

「そうだと思いますよ。植物図鑑にも載っていませんし」

「なら、その効能は……そなたが?」

「はい。まぁ、見つけたのは偶然みたいなものでしたが」


 仕事で疲れた父親のため、何かできることはないかと森の中を探していたら、たまたま一番花が咲いたばかりだったシャールが呼んでくれた。それだけの話だ。

 シャール曰く、蕾に蓄えた人間に有用なその成分は、太陽の光を浴び過ぎると変質して、自分たちの栄養となってしまう。だから、疲労回復の効能を求めるのであれば、季節の初めに咲いた一番花を摘み取るのが良い……とのことらしい。実際、一番花以外のシャールからも同じ成分を抽出できないことはないのだが、種から有毒成分を抽出する以上に複雑で神経を使う作業を要求されるため、それくらいなら一番花だけを摘み取って陽に当たらないよう注意しながら薬やハーブティの調合をした方が楽なのである。

 抽出の終わったハーブティを、そっとカップに注ぐ。キール領特産のお茶とは違う、黄色とオレンジのちょうど中間のような色の液体が、カップの中で緩やかに波打った。


「はい、できた。どうぞ、カイ」

「ありがと。……あぁ、うん、これは美味しい」

「でしょう? さっきのお菓子とも合うのよ」

「分かる分かる。――ありがとう、ディアナ」


 上っ面ではない、本心から溢れたと分かる笑みを向けられ、ディアナの胸は不思議と弾む。お菓子とハーブティへだけではなく、ソラとの〝稽古〟に緊張していたカイを気遣って朝早くからブレンドに励んでいたことまで含めてのお礼であり、それをカイが喜んでくれていると伝わってきたから、だろうか。歯に衣着せないように見えて、カイは実のところ、いつだって口にする言葉を慎重に吟味している。……例えば、ディアナを呼ぶ『名』一つ取っても。

 カイの笑みにディアナも自然と微笑んで、ソラ用にもう一杯、シャールのハーブティを淹れる。

 やり取りを見ていたジュークが、感心した様子で頷いた。


「エドワードから聞いてはいたが、そなたたちは実に仲が良いのだな」

「カイとわたくしですか? そうですね、ありがたいことに。わたくしがあんまりワガママですから、怒られることも多いですけれど」

「まさか、そなたが?」

「本当ですよ? つい昨日も怒られました」

「あれはディアナが悪いでしょ」

「こればっかりはカイさんに同感。あれはディーが悪いわ」

「分かってるってば。……もう、カイもシェイラも厳しいんだから。あの程度、クレスターの者たちなら慣れっこで、いちいち怒ったりしないのに」

「僭越ながら申し上げますが、ディアナ様。慣れっこなのではなく、ご注進申し上げても無駄だと達観しているだけです。昨日の一件では、一般の方の感覚というものを今一度思い起こすことができましたので、私としてはありがたかったですね」

「リタまで……」


 もっとも頼りになるはずの三人から一斉に詰められ、ディアナはしょんぼり肩を落とした。

 事情を知らない組が首を傾げる。


「シェイラがそこまで怒るとは余程だと思うが……何をしたのだ、紅薔薇?」

「ディアナ嬢のことだからなー、まーた何か無茶したんだろ?」

「……ほーうディアナ、留守番組の奴らから何も聞いてないが、口止めしたか? てことは、バレたら俺にも怒られることをやらかしたわけだな?」

「陛下もアルフォード様も、質問の仕方がさり気なくひどいです……。あとお兄様、別に言うほどのことじゃないから誰も言わなかっただけで、別にわたくしが口止めしたわけじゃありません」

「いえ、末姫様。昨日の一件に関してはおそらく、『闇』の皆様は自発的に口を噤んだのではないかと……報告したら、エドのお説教が始まることは目に見えておりましたので。既にシェイラ様と愚息から散々絞られた末姫様を見ておりましたから、時間差でエドのお説教まで受けるのはさすがにお可哀相だと、彼らは思ったのではないでしょうか?」

「……」


 すごく分かり易く、行間にて「それだけのことやらかしたんだ、反省しろ」とソラにまで言われてしまった。エドワードの目がきらんと光り、ディアナはさっとお湯用のポットを持つ。


「あっ、もうお湯がない! ちょっと追加しに屋敷へ行ってきます!」

「こら待てディアナ、逃げるな!」

「逃げてません決して逃げてません!」


 履きやすい靴で来ていて助かった。自分でも驚くほどのスピードで、ディアナは敷布の上から戦線離脱する。

 これ以上エドワードの尻尾を踏まないようにと、ディアナは小走り寄りの早歩きで、とっとこ屋敷へ駆け戻るのであった。


次回、エドワード視点で続きます。


そしてしつこいようですが、こちらのWeb版とは違うルートを辿った書籍版『悪役令嬢後宮物語』、最終巻となる8巻が発売中です! 7・8巻とまるっと書き下ろした、買わなきゃ読めない仕様のお話となっておりますので、ご興味がおありの方は書籍版もどうぞよろしくお願い致します。

また、書籍をご購入くださった読者様へ向けた活動報告も投稿しておりますので、お時間ある方はそちらもご一読頂けますと幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ソラのセリフで、エドと呼び捨てになっていました。ディアナのことは末姫様と呼んでいるので、敬称をつける方が自然ではないでしょうか?
[気になる点] 最近説明回が多すぎて話が流れないので読むのがつらいです。ストーリー展開で推測できることもあるので同じ説明を2つのパートでやらず実行した後に状況説明を入れるみたいな感じでテンポ早くしてほ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ