回想その6〜マグノム夫人の提案〜
今回は、いよいよなお方が本領発揮です!
「まずは、何もご説明申し上げずに突然リファーニア様とお引き合わせし、このような場を設けてしまったことをお詫び申し上げます」
相変わらず真面目なマグノム夫人の第一声に、ディアナは苦笑して首を横に振った。
「いいえ。わたくしがマグノム夫人でも、同じようにしましたわ。相手の本音を聞き出す上で、奇襲は定番中の定番ですもの」
「ディアナ様ならば、事前にお伝えしてもきちんとお話くださるだろうとは思いましたが……リファーニア様が仰ったように、万一友人大事の私情だけが先走っていた場合、それをお諌めする上でも本心をお伺いしたかったのです」
「シャロンを責めないであげてね、ディアナ。決めたのはわたくしよ」
「もとより、リファ小母様のことも夫人のことも、責めるつもりなど欠片もございません。これまでのわたくしは、王国の向こう百年の展望について、きちんと己の考えを述べたことがなかったわけですから、それを知らぬお二人の危惧はもっともですし」
安堵の笑みを浮かべたマグノム夫人が、頷いて続ける。
「ディアナ様。女官長職にある者として、また私個人としましても、シェイラ様を今後正妃候補として推して参ることに、異存はございません。陛下のお心はもとより、シェイラ様ご自身も並外れた非凡さをお持ちでいらっしゃいます。正妃として立たれても、充分にお役目を果たすことができるでしょう。……ただ、」
「はい。〝ただ〟、ですよね」
「左様にございます。ディアナ様もお気付きとは存じますが、先ほどリファーニア様が仰ったように、現在の王国でシェイラ様が〝シェイラ様のまま〟正妃に立たれることは大変難しく、また厳しいであろうことも事実です。教養や立ち居振る舞いなどは今から学んでも充分間に合うでしょうけれど、生まれだけは変えられませぬゆえ」
「最も古参貴族たちの反発が少ない方法は、シェイラ嬢がモンドリーア家の養女となって、モンドリーア公爵令嬢の身分で嫁ぐことだけれど……さっきのディアナの話を聞く限り、それはあまり良い方法ではなさそうね」
「そう、ですね。あらゆる手を尽くして、それでももうどうにもならない場合の最後の手段かと思われます」
「――であればやはり、段階的にシェイラ様のご身分を引き上げていく必要があると、私は考えております」
マグノム夫人の言葉に、ディアナは少し考えて、首を傾けた。
「そのようなことが可能なのでしょうか? 男の方なら、武功を立てたり政に貢献したりすれば、それが認められて王宮での地位や、場合によっては身分や爵位も上がりますけれど……」
「同じではありませんが、似た理屈は使えるかと。シェイラ様は確かに身分低い男爵家から参られたご側室ではあれど、先の貴族議会において、『紅薔薇様』の無実を証明するのに十二分の働きをなさいました。その功を讃え、例外的に〝後宮内〟における身分を引き上げる。――先の話し合いにおいて睡蓮様が仰っていた、『実家は実家、後宮内の序列は序列』として区別する風潮を、今一度取り戻すということです」
「……そういうことですか。リリアーヌ様とマリス前女官長の結託で、実家の身分をそのまま後宮内の序列へスライドさせるのが当たり前のようになってしまっていたけれど、そもそもこの後宮が開設された当初は〝後宮内の序列は別〟という考え方の方が主流だった。一連の事件の審議が終わり、外宮も落ち着いたこのタイミングで仕切り直すというのは、極めて自然な流れでもありますね」
「はい。つまり裏を返せば、シェイラ様のお立場を引き上げることができるのは今しかありません」
「今後また貴族議会くらい大きな事件が起こってシェイラ嬢が活躍できれば、その機会も巡ってくるかもしれないけどね?」
「それは、シェイラの立場が上がるメリット以上に命の危険という最大のデメリットがありますので、わたくしとしては極力回避したいところです」
マグノム夫人も同じ意見のようで、こくりと一つ頷く。
「もちろん、シェイラ様お一人だけを突然引き上げるのは、余計な憶測ばかりを招くこととなるでしょう。……いいえ今回の場合は、真っ当な推測と申し上げるべきかもしれません」
「シェイラと……陛下とシェイラの仲に関しては、今のところ後宮内でも知っているのは一握りでしょう?」
「えぇ。ですが貴族議会前後の流れを鑑みても、その〝一握り〟に牡丹様が含まれていることは確実です。あちら方にその実情が漏れている以上、あからさまなシェイラ様だけの優遇は、絶好の攻撃の的となることでしょう」
「リリアーヌ様は諦められたわけではなくて、今は静かに身を潜めて攻撃の隙を伺っていらっしゃるだけ、ということですか。……かのお方の不気味な沈黙は確かに、諦念よりも強い決意を感じるものですが」
『牡丹の間』側室であるリリアーヌ・ランドローズは、シェイラを正妃にする上での、目に見える最大の難関といっても良い。序列は『紅薔薇』に次ぐ後宮内第二位である『牡丹』、実家は王国建国当初から侯爵位を授けられているランドローズ侯爵家。父親は王宮で政に直接意見できる立場におり、兄たちもそれぞれ内務省の要職に就いている。後ろ盾の強固さでは他の『名付き』を圧倒しており、ディアナがいなければ間違いなく、内務省の後押しによって正妃へと上り詰めていたであろう令嬢だ。
ただ、本人の思想と現在の王国情勢は相入れるものではなく。リリアーヌ本人が気に食わないというディアナの個人的事情はさて置くとしても(身分に胡座をかいて民を自身の所有物のように錯覚し、その生殺与奪権を自分が握っていると勘違いしている〝貴族〟は、ディアナがこの世で最も軽蔑している種類の人間である)、彼女が正妃の椅子に座れば王国には血の雨が降るであろう未来が目に見えるだけに、正妃の座に最も近いが同時に最も正妃にしてはならない人物でもあった。
ちなみに、〝正妃候補〟として後宮入りした貴族令嬢は五人いるわけだが、リリアーヌ以外はそもそも正妃の地位に興味関心が全く、本当にひとっ欠片もないメンツであるため、リリアーヌの正妃擁立さえ阻止できればひとまずはシェイラの〝目に見える壁〟はなくなるという、ハードなんだかイージーなんだか分からない現状だったりする。これで、実は『名付き』の内の誰かがジュークへの秘めたる恋心を抱えている――などとなれば恋愛小説も真っ青な愛憎劇が展開されそうなものだが、いっそ清々しいほど、これはリリアーヌも含めた『名付き』五人全員に当て嵌まらない。そもそも後宮の頂点たる『紅薔薇』からして「恋愛感情ってどういう類のモノですか……?」という体たらくなので、ジューク陛下の後宮に関しては恋だの愛だのが絡んだゴタゴタとは、今のところ無縁である。
ただ。いつの時代もそうだが、貴族の婚姻が恋愛感情だけで纏まることは稀だ。ディアナの生家クレスター伯爵家は非常に珍しい恋愛結婚推奨派だが(クレスター家の場合、当主の悪人面マジックにも怯まず妻として家を切り盛りするため、まずは好きにならないと始まらないという切ない事情もある)、大抵の貴族はその時々の王宮事情を鑑みて、最も家のためになりそうな婚姻相手を選ぶ。そこに心はなく、ぶっちゃけて言えば政略、互いの損得が全て。王家とて例外ではなく、これほどオースターへの好意を隠さないリファーニアとて政略結婚であることは間違いない。
リリアーヌがジュークを人として、男として好いていることはなくとも、〝正妃〟の地位を欲していることは確かだ。正直ディアナにはさっぱり分からないけれど、リリアーヌが正妃として、そしてゆくゆくは国母として、王国女性の頂点に立つことを本気で望んでいるらしいことは、ここ一年の彼女の様子を見てさすがに察している。恋愛関係のゴタゴタがないからといって、リリアーヌを軽く見ることはできない。
「牡丹様の正妃擁立へ向けての動きは、今のところ陛下の『ディアナ様が気になっている』演技で止めることができています。先の貴族議会で牡丹様を推していらした方々が大勢失脚なさったことも大きいでしょう。……しかし、」
「えぇ、分かっています。それはあくまでも一時的なもので、リリアーヌ様を推す動きを完全に阻止できたわけではありません。世の流れは移ろうもの、こちらやあちらに〝何か〟があれば、時流はまた大きく変わる。そういうこと、ですよね?」
「左様です。そして〝こちら側〟としては、シェイラ様を正妃へと一歩進めるための手が相手方の攻撃を誘発する事態だけは避けねばなりません」
「……なかなかに、難しくありませんか?」
シェイラの後宮内での立場を引き上げるだけなら、割とすんなり外宮側にも通る気がする。彼女の功は誰の目にも明らかだし、それを理由に側室としての地位を向上させるというのは自然な流れだ。
しかしながら、ジュークの本命がシェイラだとリリアーヌに見抜かれている現状では、どんな理由があっても、それがどれだけ自然な流れに見えても、〝シェイラの地位向上〟そのものが攻撃対象となる可能性が高い。非常に分かり易い、〝初手から詰んでいる〟実際例といえる。
考え込んだディアナに、マグノム夫人はうっすら微笑んだ。
「はい。ですからここは、古典的な手ではありますが、木の葉を森へ隠そうかと」
「……はい?」
言葉の意味が分からず――いや言われていることは分かるのだが、それがどんな意味合いを持つものなのかも理解はできるのだが、あまりにもスケールの大きな話に固まったディアナの横で、リファーニアが頬に手を当て深々とため息をつく。
「ホント、シャロンって真面目で規律重視なように見えて、いざというときの思い切りに躊躇いがないのだもの。クレスター家にこんな顔をさせるのって、実はとっても難しいのよ?」
「ご冗談を、リファーニア様。私とてさすがに、デュアリス様やエリザベス様の度肝を抜くことはできませぬ。ディアナ様はクレスター一族の中では実に稀な、良心的かつ常識的なお嬢様でいらっしゃいますから、私如きでもどうにか渡り合えるだけのことにございます」
「そうかしら? あなたの数々の逸話には、フィフィも随分驚かされたと言っていたけれど」
「それこそ、フィオネの謙遜が過ぎるだけのことでしょう」
「――ちょっ、いやいや、待ってください!」
しれっと話を続ける年長者二人に置いていかれそうになったディアナは、慌てて声を上げた。慌てるあまり、半分ほど貴族令嬢の皮がずり落ちる。
「『木の葉を森へ隠す』って、それってつまり、後宮全体で大規模な序列の見直しを行うと、そう仰ってます!?」
「さすがはディアナ様、理解がお早くて助かります」
「い……いやいやいや、それはさすがに無茶が過ぎるでしょう!」
側室の序列の見直しとは、単純に「今日からあなたは◯番目の側室です」と通達してハイおしまい、なんて簡単な作業ではないのだ。地位が上がれば待遇が変わり、侍女の数が増えたり国からの補助金が増えたり、分かり易いところでいえば部屋が広くなったりする。シェイラ一人の序列を上げるだけなら、この間の貴族議会前後の事件をきっかけに後宮を去った側室たちの部屋の一つへシェイラが移動すれば済む話だが、それを後宮全体で行うとなると話は全く違う。侍女の配置とて見直さねばならないだろうし、はっきり言って一朝一夕でどうにかなるものではない、一大事業だ。
「部屋を移る側室方が荷物をまとめて引っ越しするだけで結構な手間ですし、『序列の見直し』ということは地位が上がる方ばかりではなく、相対的に見て落ちる方もいらっしゃるわけで。それこそ、今は一旦落ち着いている勢力争いが再燃しかねません」
「仰ること、逐一ごもっともにございます。それらを一律に解決する手段と致しまして……」
「そんな都合良い〝手段〟あります?」
「はい。――この際ですから、側室方には一度、お里帰りをして頂こうかと思いまして」
たっぷり三拍、ディアナはマグノム夫人をじっと見つめて。
それから徐に、リファーニアを振り向いた。
「リファ小母様。申し訳ありませんが、わたくし今日はこれで失礼致します」
「まぁ、どうしたのディアナ?」
「いえ、どうにも疲れているようで……先ほどから、お父様がマグノム夫人に見えます」
「落ち着いて。最初からここにデュアーはいないわ。あなたが話しているのは、見た目も中身もシャロンよ」
「わたくしの知っているマグノム夫人は、こんなお父様みたいな突拍子も無い無茶苦茶なことは仰いません……」
「なら、あなたの知らない一面をシャロンは見せたのね。念のため言っておくけれど、あなたの目の前にいるシャロン・マグノム前侯爵夫人は、若かりし頃のデュアーが『死んでも絶対敵には回したくない』と断言した女性よ。昔から割と、デュアーとは別方向に突拍子もなく無茶苦茶だったわ」
優しいながらもきっぱりと断言され、ディアナの現実逃避は失敗に終わった。
息を大きく吸って、吐き出して。ディアナは改めて、マグノム夫人に向き直る。
「里帰り、と仰いました? 里帰りって、婚家から一度実家に帰る、あの里帰りで合ってます?」
「合っておりますよ。〝里帰り出産〟などが用法例としてよく上がりますね」
「それを、後宮で、〝側室方〟ということは側室全員、一斉に?」
「いきなり四十台以上の馬車を王宮につけるのは大変ですし、荷物の積み込みなどで混雑するでしょうから、順次ではありますが。最終的には全側室方が一度、後宮から出られるようにできればと」
「そうですよね。全員が一旦私物を持って後宮から離れれば、序列の見直しに伴う部屋移動も王宮侍女の配置換えも容易に行えますし、期間にもよりますが部屋が狭くなりそうならちょっとした改修工事を行なって模様替えしたり、何ならマリス前女官長が後宮から売り飛ばしたままになっていた備品類を取り戻して整理し直したりといった、〝側室が居てはできない仕事〟もできますものね。そうやって後宮内の環境を整えれば、序列そのものは下がっても待遇面は以前と変わらないようにできるでしょうから、序列見直しに伴う不満を最低限に抑えられます。『里帰り』そのものも、日頃後宮から出られない皆様方にとって何よりの息抜きとなるでしょうし」
「説明せずともお分かり頂けて、大変ありがたく存じます」
「ですが!」
ここが家なら目の前のテーブルを叩いて立ち上がっているほどの剣幕で、ディアナはマグノム夫人に詰め寄った。
「四十人以上もの側室が一斉に里へ下がるなど、そもそも外宮が、内務省が認めるはずないでしょう!」
「その点につきましては、ご心配なく。過去の記録を調べ、前例を見つけ出しました。三百五十年ほど前になりますが、当時の後宮を改修工事することとなり、その期間中のみ、側室方はご実家へと戻られたそうです。当時のご正妃様は例外として王宮に留まられたそうですが、現在の陛下は未婚でいらっしゃいますので、皆様方のお里帰りが適うかと。外宮へも表向きは、『そもそも側室方の数と部屋数が見合っていない。シーズンオフである今のうちに改修工事を』という名目でお里帰りを提案する予定です」
「あぁ……要するに、〝シェイラの地位向上〟という本当の目的を〝側室の序列見直し〟という建前に隠し、その建前自体も〝改修工事をした結果的に、序列の見直しが必要になった〟と思わせる、二段構えの策というわけですね。確かにそこまですれば、少なくとも大半の外宮の方々は騙せそうです」
「はい。実際、今の後宮は四十人以上の側室方とお世話をする侍女、女官全員が快適に過ごせる構造にはなっておりませんので、口実としては実に妥当なところです。特に侍女と女官たちの部屋については、本当にきちんと業者を入れて改修工事を行い、もう少しプライバシーを確保できるようにしたく」
「……それは確かに、側室が居ては絶対にできないことですね」
夫人の言っていることは、とてもよく分かる。考えを聞けば、確かに『里帰り』が必要であろうことも飲み込める。
だが。
「それにしたって、リスクが高すぎます。リリアーヌ様が黙して機を窺っていらっしゃるこのタイミングで、協力者と容易に連絡が取り合える『里帰り』など。……それに、わたくしが見る限り、『牡丹派』のご側室の中にはリリアーヌ様に面従腹背で、チャンスがあれば『名付き』の座を奪い取り正妃候補へのし上がらんと目論んでいる方も複数いらっしゃるご様子。こんな下世話な想像はあまりしたくありませんが、そんな方々を一度とはいえご実家へお帰ししてしまえば、適当な男性を相手にお子を授かり、『実は里帰り前に陛下からお情けを受けていた』などと言い繕って正妃争いに加わろうとしかねませんよ」
「あら。そんなもの、ジュークが一言『覚えはない』と言い切れば良いだけではなくて?」
「お分かりでしょうに、随分と意地の悪いご質問ですわ、リファ小母様。陛下がそう言って外宮を黙らせることができるのは、政の場で陛下にお味方してくださる方が多数派である場合だけです。現状では、どの派閥も時勢によって容易に陛下を見限り離れていくことでしょう。そのような状況で陛下が『覚えはない』と主張しても、保守派の方々に押し切られてしまうことは目に見えています」
面白そうな顔で、リファーニアは頷いた。
「仮にも生みの親を目の前にして、そこまでずけずけ言えるのはさすがね。そういう容赦のないところ、フィフィにそっくりだわ」
「恐れ入ります。フィフィ叔母様からは、貴族社会を生き抜く上での気概のようなものを教わりましたから」
「令嬢教育とはちょっと違う気もするけれど……でもまぁ、有り体に言えばその通りよね。ジュークはエルグランドとモンドリーアの血を受け継いだ、古参保守の面々にとってはまさに王の中の王のような存在なのだけれど、彼らにとって大切なのはあくまでも〝由緒正しい血を引いた王が玉座に座っていること〟であって、その王本人の意思はどうでも良い。――いいえむしろ、不要のものとすら考えている節すらある」
「えぇ。だからこそ、古参貴族家から側室に上がられたご令嬢が懐妊したが最後、事実を数と権力で捻り潰し、〝胎の中にいるのは陛下のお子〟だと社会的に確定させるでしょう。……そうなれば今の王国情勢では、陛下のお命すら危ぶまれる事態となります」
後宮内にいる限り、やや語弊がある言い方にはなるが、側室たちが勝手に妊娠することはない。後宮内に堂々と入れる男性はジュークと国王近衛騎士団だけで、ジュークはシェイラにしか興味ないだろうし、近衛の仕事はジュークの護衛であるからして、勝手に持ち場を離れて女漁りをするような暇はないだろう。こっそり侵入して天井裏を縄張りにしている男性も複数存在するけれど、遊び相手にわざわざ国王陛下の側室を選ぶような、リスク管理のできないトーシローは誰一人いない。というかクレスター家の『闇』の場合、仮に女性と遊んでうっかり妊娠させてしまったが最後、当主親子と首領からそれぞれ精神と物理の圧で「責任取るよな? もちろん取るよなぁ? 取らないなんて言ったら――分かるよな?」と半殺しの目に遭うことが確定事項なので、そもそも論として女遊び自体が高リスクだ。……『闇』ではない残り一人については分からないけれど、話を聞く限り女遊びにはあまり興味なさそうな感じがする。
そんなわけで、ある意味現後宮は、女性の貞操を守る上で意図せず鉄壁の要塞となっているわけだが。里帰りなんてしてしまったが最後、いつでも男を連れ込み放題、悪い企みも企て放題となってしまいそうだ。
――リファーニアとディアナの会話を黙って聞いていたマグノム夫人は、言葉の応酬がひと段落つくのを待ってから、改めて切り出した。
「ディアナ様がただいま仰ったご懸念につきましては、グレイシー団長とも相談致しまして。団員の皆様方の了承が得られればとはなりますが、そういった怪しい企みを実行へと移す恐れのあるご側室方には、護衛という名の監視として、後宮近衛の団員を里帰りへ同行させるのはどうかという案が出ております」
「まぁ……後宮近衛の皆様を?」
「名目上は高位の側室方の護衛となりますので、牡丹様はもちろんのこと、睡蓮様、鈴蘭様、菫様にもひとまず。こちらのお三方に関してましては、どちらかといえばこの一年への慰労の意が大きい『里帰り』ですので、正しく護衛ですが。他にも、現在〝高位〟とされている側室方には〝護衛〟として後宮近衛をつけようかと」
「う……わあぁ」
『現在〝高位〟とされている側室方』は、当たり前だがほぼ古参貴族家から来た『牡丹派』の令嬢が大半を占めている。何人か、中立派や『紅薔薇派』も入るかもしれないけれど、後宮近衛は二十人ほどなので、ほとんど『牡丹派』を〝護衛〟することになりそうだ。……見た目だけなら立派な高位優遇、『牡丹派』への忖度とすら取られかねない措置であるため、内務省が文句をつける可能性は限りなく低いだろう。
家柄と血筋に重きを置き、優遇されて当然だと踏ん反り返っている古参貴族の自己愛と承認欲求の高さを逆手に取った、マグノム夫人の見事な策略である。真面目一辺倒に見えて、実は意外と柔軟な思考の持ち主である夫人をディアナは尊敬していたが、ここまで緻密に計算して策を組み立てる様を見てしまうと、尊敬を通り越していっそ怖い。若い頃のデュアリスが「敵に回したくない」と言った気持ちがよく分かる。
「後宮近衛騎士が常時〝護衛〟につけば、確かに王室に背くようなことはしづらくなるでしょうね……」
「はい。側室方のことは、後宮から離れても〝ご側室〟として遇し、どなたかと面会された際はきちんと記録に残すようにもしようと考えております。本来ならば〝護衛〟として後宮近衛を、そういった〝公的な補佐官〟として女官を、それぞれ同行できれば良かったのですが……残念ながら、里帰りに合わせて女官たちまで居なくなってしまうと、後宮内で進めるべき仕事が滞ってしまいそうなので、今回は女官のお役目も後宮近衛の皆にお願いできればと」
「……そう、デスカ」
この人は、何段構えで物事を考えているのだろうか。あまり知られてはいないが、後宮内の側室たちは常時、朝起きてから夜眠るまでの大まかな行動を記録されている。侍女や女官と仲良くなれば、そういった公的記録をいじって好きに動くことは可能だが(日頃から好き勝手しているディアナはまさに、もっとも多く記録をいじってもらっている側室の一人であろう)、建前上は記録を調べれば、側室の過去の行動がある程度追尾できることになっているのだ。
側室が罪に問われた際、仕えていた女官や侍女たちが一蓮托生となりかねないのは、この役目ゆえというのが最も大きい。『側室が罪を犯した』のに『その記録がどこにもない』ということは、記録を取っていた女官や侍女もグルだろうという理屈だ。実際は、ディアナのように人がいない隙を見計らって記録に残らないようあちこち出歩く側室もいただろうから、一概に〝グル〟とは言い切れないのだけれど。
その、現在の後宮ではほぼほぼ簡単な日誌と化している『側室の行動記録』を、本来の用途で真面目に使おうとしているわけか。里帰り中でも〝側室〟であることに変わりはないのだから、記録を取るのは当然だと。……『紅薔薇の間』の日誌、ならぬ行動記録など、最近は「朝◯時起床、その後朝食、後宮内散策(好き勝手出歩いているの意訳)、△時昼食、室内にて読書等(読書以外にも色々イロイロしている)、ティータイムにレティシア様方とご歓談、×時ご入浴、その後夕食、ご就寝(就寝前の時間もやっぱり何かしらしている)」というような、括弧の中身を省きまくった箇条書きテンプレだというのに。
ちなみに上記の日誌は、『紅薔薇の間』にて関係者一同が集まった日のもの。国王陛下すら同席したあの会合を、「ティータイムにレティシア様方とご歓談」の一言で片付けたユーリはある意味凄い。複数を示す〝方〟がついているから、嘘は一つもついていないところが最大のミソだ。
――ディアナの表情から、何を言いたいのか概ね察したらしいマグノム夫人が、ここに来て一番の微笑みを見せた。
「グレイシー団長が春の御前試合で大活躍してくださったおかげで、後宮近衛の〝裏切り〟という最も懸念すべきリスクを最小にまで減らすことができました。もともと求心力のあるお方でしたが、〝騎士〟という肩書きそのものを嘲笑われていた彼女たちにとって、国一番の騎士を決める一大試合で団長が上位八番にまで食い込んだことは、面目躍如の最たるものだったのでしょうね。今の団員たちは、グレイシー団長に心酔しきっています。間違っても彼女を裏切り、自分たちを〝騎士〟だと認めようとすらしなかった『牡丹派』の方々に寝返ることはないでしょう」
「わたくしみたいにお願いして記録をいじってもらうことは、彼女たちにはできないということですね……。ものすごーく遠回しにズルを諌められている気がします」
「それは邪推というものですよ。そもそも『紅薔薇様』の大体のご様子は、記録にこそ残っておりませんけれど、ほとんど毎日ミアやユーリから報告を受けています。女官長がリアルタイムで行動を把握しております以上、ディアナ様の〝ズル〟にあまり意味はないでしょう」
「……リファ小母様、わたくしなんだか、大人が信じられなくなってしまいそうです」
「本気を出したシャロンは怖いものねぇ、分かる分かる。わたくしも何度、心を折られそうになったことか」
「随分なことを仰いますね。――それなら私も言わせてもらいますが、いくら勝算があるとはいえども、極めて致死性が高いであろう毒薬まみれの食材を食べるような子、危なっかしくて一瞬でも目を離せるわけがないでしょう。ちゃんと日々の様子から見ておかなければ、いざというときの無茶の兆候は読み取れません。私に逐一報告されるのが嫌なら、まずはその、身体を張った無謀な作戦を平然と実行する癖をなんとかなさい」
初めて真正面から敬語抜きで、恐らく『女官長』ではなく『シャロン』に叱られた。驚くと同時に、それだけ彼女にとって、あの時のディアナの〝無茶〟が衝撃だったのだろうと伝わってくる。
背筋を正して、ディアナはマグノム夫人に頭を下げた。
「……申し訳ございませんでした。『星見の宴』の件では、もう方々から叱られ尽くしたと思っていましたけれど、そういえばマグノム夫人がまだでしたね」
「この期に及んで……まだ『もうしません』とは言いませんか」
「できない約束をするのは不誠実です。……いえ、さすがにわたくしも、今後は可能な限りあんなことにはならないよう立ち回ろうとは思っているのですけれど。それでもたぶん、もうそれしか手がないとなったら、同じことをすると思うので」
「えぇ、……えぇ、分かっていますよ、それがディアナだということは。まったくフィオネも、度胸のある立ち回りを教える前に、貴族社会でいかに自分を守るべきか、その技を教えておいてくれれば良かったものを」
「それは仕方ないわよ。基本的にクレスター家って、あんまり自分を守ること考えないもの。ディアナに関しては言うまでもないし、フィフィもそうだけどエリーだって、あんまり自分を守るタイプじゃないし」
「そうですね。エリザベス様はああ見えて、『攻撃は最大の防御』を地で行く思考をしていらっしゃいますから」
「社交界を上手に渡っていくためにって、十五の少女が積極的に他者の弱みを探って手持ちのカードに加えるのだものねぇ。あんな過激なデビュタントも滅多にいなくてよ」
「娘としては、あまり知りたくありませんでした……」
その『攻撃は最大の防御』精神は、間違いなくそっくりそのままエドワードが受け継いでいる。兄の殴って全部解決させるスタンスは誰から教わったのだろうかとディアナは常々訝しんでいたのだが、そうか、あれは母譲りだったか。……うん、やっぱり知りたくなかった。
――それはともかく。
「自分を惜しんで守って、それで大切な人が苦しむくらいなら、ある程度のリスクは冒しても皆を守る道を選びます。ただ、わたくしがその道を選ぶと悲しませてしまう人が大勢いることも、さすがに理解できたので。これからは、自分も皆も一様に守れるような道を、常に模索していくつもりでおります。……それでお許し願えませんか?」
「その言葉がきちんと実行に移されましたら信じましょう。それまでは、私が日々のあなたに目を光らせておくのは致し方ないことと諦めなさい」
「……はい」
『はい』以外の答えようがない言葉に、ディアナは小さくなりつつ頷いた。
やり取りを見ていたリファーニアが笑う。
「あらあら。天下の『紅薔薇様』も形無しね」
「わたくし如き、そもそも最初からマグノム夫人には敵いませんよ。今のお叱りもそうですが……『里帰り』案も」
「えぇ、本当にね。わたくしも最初、シャロンから相談を持ちかけられたときは驚いたけれど……合理的に考えれば、それが一番だとも思うのよ」
お茶のカップに手を伸ばしながら、リファーニアはゆったりと続ける。
「シャロンには前々から、正妃候補が内定した暁には、前任者として正妃教育に協力して欲しいと頼まれていてね。断る理由はもちろん無かったのだけれど、さすがに内定したご令嬢が新興貴族、しかも潰れかけのお家から参られた方だとは思わなくて。あなたも分かると思うけれど、後宮と藤の宮は塀で区切られていて、通用門には門番がいる。わたくしがご令嬢のもとへ通うにせよ、ご令嬢が通うにせよ、今のままだと秘密裏にとはいかないわ。けれどシェイラ嬢のお立場上、時期が来るまでは、正妃教育を受けていること自体、公になってはまずいでしょう?」
「仰るとおりですね……。抜け道とかはないのでしょうか?」
「リタを通じてシリウス殿にお尋ねしましたところ、後宮と藤の宮を繋ぐ地下通路があるにはあるそうです。ただ、後宮側の出入り口はシェイラ様のお部屋から離れたところに――今は主に『牡丹派』の方々がお住いの一画にあるそうで」
「シェイラがいたら、不自然極まりないですね……」
「ですので、リファーニア様からのご助力を賜るためにも、シェイラ様のお引っ越しが――序列の引き上げが必要なのです」
強いマグノム夫人の視線を受けて。
今までの話をもう一度、頭の中で整理して。
少しの沈黙を数えてから、ディアナは一つ、頷いた。
「お話、大変よく分かりました。マグノム夫人のご発案である以上、通らぬ道理はないようなものですが、念のためわたくしからも『名付き』の皆様方にお伝えし、お考えを伺って参りましょう」
「ありがとうございます、ディアナ様。どうぞよろしくお願い致します」
「わたくしからも、お願いね」
「感謝はわたくしの方こそ必要でしょう。――リファ小母様、マグノム夫人、本当にありがとうございます」
尊敬する女性二人へ微笑んで、ディアナは深々とこうべを垂れるのであった。
書籍8巻の感想を活動報告欄へ書き込んでくださった皆様、誠にありがとうございます!
8巻につきましての諸々を、今夜にでも活動報告欄へupする予定にしております。ご興味がおありの方は、是非ともそちらもご覧くださいませ。
回想は、次回で一旦一区切りです。




