表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
134/243

回想その5〜リファーニア王太后〜

本日、2019年12月12日、書籍版『悪役令嬢後宮物語』完結編となる8巻が発売されます!

先月発売の7巻と合わせ、なろうとはまったく違うルートを辿った書籍版だけのオリジナル仕様となっておりますので、なろう派の皆様方も、よろしければお手に取ってご覧くださいませ。

……本音を申し上げますと、作者的にとてもお気に入りの話が書けましたので、是非とも読んで頂ければ嬉しく思います!!


一方『にねんめ』では、サブタイトルの通り、新キャタクターが登場しますよ。


『紅薔薇の間』にて、密かに重大な密談が交わされてから、しばらく。

 決まった通り、後宮組の皆と協力して新興貴族家出身の側室一人一人から入宮までの事情を聞いて回る日々を過ごしていたディアナは、草月(くさづき)に入ってすぐの頃、マグノム夫人からの訪問を受けた。

 女官長である夫人が『紅薔薇の間』を訪れることは珍しくないが、その日の訪問は先触れがギリギリかつ、普段のように主室(メインルーム)へ繋がる正面の扉からではなく侍女用のドアからで。それだけで、これが公式の訪問ではなく内密のことだと悟る。


「このような朝早くに、不躾な訪問をお許し下さいませ」

「大丈夫よ。マグノム夫人がこっそりいらっしゃったということは、何か公にできないご事情があるのでしょう?」

「それほど深刻なことではないのですが……公にできないという意味では、その通りですね」


 少し苦笑してから、マグノム夫人は背後に控えていたミアを振り返る。


「恐れ入りますが、ディアナ様。朝食がお済みになってからで結構ですので、女官服にお召し替えをお願いできますでしょうか? 準備の方はミアが整えてくれていますゆえ」

「女官服? 別に構わないけれど……侍女服ではダメなの?」

「これから参る場所は、侍女の数が極端に少ないのです。全員が顔見知りですので、見知らぬ侍女は記憶に残る可能性があります。その点女官は、私と行動を共にしていれば、問題なく『女官長のお付き』だと認識されて特に注目されることもないでしょうから」

「そういうことね。分かったわ」


 侍女服なら何度も着たことがあるし、なんなら一人で完璧な着脱が可能だからミアの手を煩わせずに済むなと思っただけで、別に女官服を着るのが嫌なわけではない。言われた通り食事を終え、ディアナはミアと共に一度私室(プライベートルーム)へ引っ込んで、用意を整えた。隠密行動時には欠かせない茶色の鬘も装着して、変装も完了だ。


「こんな感じでどうかしら?」

「……さすがでございますね。フィオネも変装術の達人でしたが、ディアナ様もよく鍛えられておいでです」

「まだまだわたくしなんて、叔母様の足元にも及ばないけれど……マグノム夫人にそう言って頂けるのであれば、この〝女官〟がわたくしだと気付かれることはなさそうね」

「えぇ。――では、ご案内を」

「はい、お願いします」


 ちなみに、ここに至ってもまだ、マグノム夫人はこれからどこへ行くのか、具体的な場所を口にしない。どうやら相当慎重に秘さねばならないところのようだ。

 マグノム夫人が付いているからか、ディアナが着替えている間に何か取り決めがあったのか、リタを含めた『紅薔薇の間』の侍女たちが付いてくる気配もなく、ディアナは夫人に促されるまま『紅薔薇の間』を出て、後宮内をしずしずと歩き出す。女官ともなると姿勢から歩き方まで細かい作法があるものだが、〝変装とは服を変えるだけでなく、装いから立ち居振る舞いまで全てを変化させるものである〟と叩き込まれて育ってきたディアナは、問題なく女官の動きをトレースすることができた。

 後宮内を歩く間、何度かマグノム夫人が呼び止められ、ときには書類を渡されたり、重要備品の扱いについて尋ねられた結果預かることになったりするたび、顔を伏せて自然にマグノム夫人からそれらを受け取り、小脇に抱えて移動を続ける。やがて人気のない廊下まで来たところで、前を歩く夫人が呆れたような感心したような表情でこちらを振り返ってきた。


「女官の服を着てくださいとお願いはしましたが、服を着ている間女官になりきってほしいと申した覚えはございませんよ」

「そうは仰いますが、マグノム夫人のお付きとして控えております以上、付き人がするべき仕事をしないのは不自然で、却って悪目立ちしてしまうのではありませんか?」

「言葉遣いまで……どこまでも徹底していらっしゃいますね」

「……この際ですから申し上げますが、側室筆頭という立場上致し方ないとは申せ、マグノム夫人ほどのお方にあのような砕けた話し方をするのは、相当に不遜な行いだといつも思っているのです。わたくし個人の心情としては、むしろ今の方がしっくり来ますよ」


 フィオネのツテで女官長職を引き受けてくれたマグノム夫人だが、娘時代は非常に有能な女官として呼び声高く、マグノム侯爵家への輿入れが決まった際も女官として王宮に留まって欲しいと要望されたほど、優れた貴婦人なのだ。どうせそのうち貴族籍から離れるのだからと、付け焼き刃のご令嬢演技で行き当たりばったりに貴族社会の海をあっぷあっぷしているディアナとは、そもそもの土台からして違う。そんな相手に、いくら側室筆頭だからとタメ口を利いている現状は、はっきり言って心臓に悪い。

 ディアナの本音に苦笑しつつ、マグノム夫人はディアナが持っていた書類等を受け取り、適当な場所に隠しながら言う。


「そのようなこと、お気になさる必要はありませんのに。ディアナ様がお立場に見合った方でなければ、そもそも私は女官長の職になど、就いてはおりませんでしたよ」

「それはそれ、これはこれです。……正直、後宮なんてものがなければ、ごく普通にフィフィ叔母様のツテでご紹介頂いて、様々な教えを請いたかったと思うくらい、マグノム夫人をご尊敬申し上げているのですから」

「それは大変に光栄なお言葉ですが、私は貴族社会から遠ざかって久しかった身。いくらフィオネの紹介でも、あの頃の私が個人的に貴族のご令嬢とお話する機会を設けたかは、怪しいところだったと思いますよ。女官長のお話を頂いたときも……今だから申しますが、八割方断るつもりでおりましたから」

「そう……だったのですか? それなのに、何故?」

「さぁ……。かつて私が直面したより遥かに厳しい現実の中で、苦悩しながらも諦めることなく歩み続ける、美しい魂に触れたから――とでも言っておきましょうか」


 滅多に見ない、柔らかな微笑みを浮かべたマグノム夫人に見つめられ、不覚にも言葉を失って赤面させられてしまう。普段、身内以外の年配女性から手放しの称賛を受ける機会がほぼないだけに、マグノム夫人の言葉は嬉しい以上に気恥ずかしいものだった。

 顔を伏せたディアナに、マグノム夫人の優しい言葉が降ってくる。


「あなたは本当に、自分のことを知りませんね。どんな逆境の中でも己を見失うことなく、人を愛し命を愛し、世界を愛し抜いている。あなたの置かれた状況を鑑みれば、いとも容易く誰かを恨み、世界を呪えるというのに、決してそちらは選ばない。……そんな祝福された魂を前に、己の卑屈に閉じ籠り続けるのは難しいですよ」

「褒めすぎです……わたくしはそんな、大層な人間じゃありません。もしもわたくしの姿が夫人からそのように見えているのだとしたら、それはわたくしをそのように育て、世界が美しいものだということを信じさせてくれた、家族とクレスターの皆のおかげです」

「もちろん、あなたを育てたご両親や兄上、領民の心映えが素晴らしいことはもちろんですが。どれほど素晴らしい教育を受けても、人は歪むときは歪みます。あなた自身の素養を、自身の魂の美しさを、あなたが否定してはなりません」


 ……似たようなことを以前、カイにも言われたなと思い返す。そうは言ってもコレは性格的なもので、そんな急に自分自身を全肯定できるような図々しさを身につけられる気はしないけれど。


「……ありがとう、ございます。夫人にそう仰って頂けるに足る人間であれるよう、これからも精進して参ります」


 誰かが自分を好意的に思ってくれている、その心はきちんと受け取らねばと思えるようになった。

 微笑んで頷いたマグノム夫人は、どうやら品物を一式隠し終えたようで、ゆっくりと姿勢を戻す。


「さて――では、参りましょうか」

「はい。……えぇと、どちらへ?」

「この塀を越えた、その先へ」

「……えぇ?」


 夫人が指し示した方向に、流石のディアナも度肝を抜かれ、目を丸くした。後宮の南西端の塀、その先にある建物といえば――。


「藤の宮、ですか? ……いやでもまさか、」

「既にお訪ねすることは知らせてあります。先様は大変なお喜びで、首を長くしてお待ちですよ」

「い、いやいやいや……マズいでしょう、本物の正妃ならともかく、暫定的に『紅薔薇の間』を頂戴しているとはいえ、一側室に過ぎないわたくしなどが」

「えぇ。ですからこうして、非公式に」

「うわぁ……」


 しれっと言われ、頭が痛くなった。……なるほど、だからギリギリまで目的地を言わず、悪目立ちを極力避ける装いを必須としていたわけか。確かに、〝ここ〟は〝ディアナ〟としても〝紅薔薇〟としても、公式的には絶対に足を踏み入れられない場所だ。

 とはいえ、既に訪問を知らせ、目前まで来ている状況で回れ右するのは、そちらの方が礼節を欠いた振る舞いになってしまう。相変わらず、真面目なようで策士なマグノム夫人を、このときばかりは少々恨みがましい目で、ディアナは見てしまった。


「……念のためお尋ねしますが、〝わたくし〟の訪問を知っていらっしゃるのは、〝かのお方〟だけでいらっしゃいますよね?」

「〝かのお方〟と、彼女が信頼するごく一部の侍女たちだけでしょう」

「そこまでして、わたくしをお招きになるとは……」

「むしろ、よくここまで我慢されたと、私は感動しておりますよ。最初に就任の挨拶を致しました頃から、折に触れて『まだ会えないのか』とやんわり圧をかけられておりましたから」


 ……最後に会ったときから軽く数年は経過しているが、どうやら〝彼女〟は相変わらずらしい。個人的には、あのようなお方がよく一つの宮に引き籠って居られるものだなと、いっそ感心すらしてしまう。

 ――もっとも、そんな素の〝彼女〟を知っている者は、この王国では本当にごくごく少数に限られているのだけれど。


「……分かりました。ご挨拶致しましょう」


 腹を括って背筋を伸ばし、ディアナは塀の向こう側へと視線を向けた。


「ジューク陛下の御生母様――リファーニア王太后様に」



 ***************



 エルグランド王国の王宮は大きく『外宮』と『内宮』とに分けられ、前者は行政機関、後者は王家の私的空間として区別されている。ディアナたち側室が住まう『後宮』ももちろん『内宮』に含まれるわけだが、『内宮』には他にもいくつかの『宮』があり、それぞれが別の役割を担っていた。

 主に王太子の住まいとして使用される『春の宮』と、王太子以外の王子王女が住まう『花の宮』。

 そして――先代王の正妃であった王太后の終の住処となる、『藤の宮』だ。


「まぁまぁまぁ! よく来てくれたわ、ディアナ!」


 マグノム夫人に連れられて『藤の宮』を訪れ、主室(メインルーム)へ通してもらったディアナは、王族への正式な礼を取るより先に、待ち構えていたらしい人物にぎゅうっと抱き付かれてしまった。半ば予想していた展開とはいえ、相変わらずなその人に、ディアナは思わず軽く笑ってしまう。


「王太后様。突然そのように抱き付かれては、ディアナ様はお話もできませんよ」

「あら、そうね。ごめんなさいディアナ、苦しかった?」

「いいえ……大事ありません」


 マグノム夫人のお陰でひとまず離れることができたディアナは、改めて姿勢を整え、王族への礼を執る。


「――大変ご無沙汰いたしております、リファーニア王太后様。変わらずご息災のようで、嬉しゅう存じます」

「……もう! ディアナこそ変わらないわね。非公式の場で、そんな礼を執ることないでしょうに。いつものように〝リファ小母様〟で良いのよ?」

「いやさすがに……クレスター領内ならともかく、王宮でそれは危なすぎませんか?」

「後宮ならね。どこで誰が見ているか分からないし、用心に越したことはないけれど。ここは藤の宮で、わたくしを裏切る不心得者など最初から入れてすらいない。この中でまで、気を張ることはないわ」


 ……まぁ確かに、豪胆なようで用心深さは天下一品なこの人が平然と素に戻っているところから見ても、藤の宮の安全と機密性は高水準といえそうだ。素直に頷いて、ディアナは肩の力を抜いた。


「では、改めまして。――お久しぶりです、リファ小母様。昨年夏からこれほど近くにおりましたのに、無沙汰をお許しくださいませ」

「本当よ。ディアナなら後宮の壁なんて何の障害にもならないのだから、いつ乗り越えてこっそり会いに来てくれるか、楽しみにしていたのに」

「……無理無茶無謀と常識破りがお家芸とはいえ、さすがにそこまでの破天荒はできませんわ。藤の宮は安全でも、後宮内のどこに人目があるか、分かりませんし」

「結局、そこよねぇ。わたくし一人しか居ないときですら人目ばかり多かったのに、今は側室が四十人以上いるのでしょう? 人で溢れかえって、落ち着かないことでしょうね」


 頬に手を当て、やれやれと言わんばかりにため息をつく様は、ざっくばらんな話口調とは裏腹にとても繊細で優美だ。白く滑らかな肌からは、とても二十歳越えの息子がいるとは感じさせない。というかそもそもこの人の美貌の前には、子どもを産んだという現実すら霞んでしまう。同じ人間であることを忘れかねないほど、完成された〝美〟の持ち主なのだ。

 リファーニア・モンド・エルグランド――宰相ヴォルツの御妹君で、『第二の王家』モンドリーア公爵家から王家へと嫁いだ、間違いなく現王国で最も高貴な血とルーツを持つ女性である。


 外見はまるで女神の彫刻の如く、顔の造形から体つき、まつ毛の一本一本に至るまで整った、ある意味人間離れした美貌の持ち主。そこにいるだけで光り輝くような美しさを宿した彼女を見るたびにディアナは、同父同母兄であるヴォルツを思い返して遺伝子の神秘に打ち震えてしまう。ディアナもエドワードとはあまり似ていないが、この兄妹ほどではない。

 ただ、外見が女神のようだからといって、中身まで女神のように荘厳で粛然としているのかといえば、これまた見た通り、そんなことはまるでないわけで。


「まぁ、立ち話もなんだから、かけてちょうだいな。シャロンもどうぞ、座って?」

「ありがとうございます」

「お気遣いはありがたいですが……女官長の職にある者として、王太后様や紅薔薇様と同席するわけには参りません」

「もう! さっきから言っているでしょう。これはあくまでも非公式の場で、ディアナもあなたもわたくしのお客様なの。きちんとおもてなしさせてちょうだい」


 ……性格はどちらかといえば、どこの町にも一人はいる、お節介で世話焼き気質なご婦人、だったりする。ある意味、夫のオースター前王よりエルグランド家らしい気質の持ち主だ。

 リファーニアに促され……というより、彼女の勢いに押し切られる形でソファーへと腰を下ろしたディアナとマグノム夫人の前に、間を置かずして茶器と菓子類が運ばれてくる。

 ウキウキとティーポットを持ち、お茶をカップに注ぐリファーニアに、マグノム夫人がやや冷たい目を向けた。


「このような午前中から甘いお菓子を召し上がられては、お身体に悪うございますよ」

「もう、良いじゃない。わたくしだって流石に毎日、朝から甘味を食べてはいないわ。今日はあなたたちを招いているから、特別よ」

「ならよろしいのですけれど……」

「――さ、できた! ディアナ、冷めないうちにどうぞ?」

「ありがとうございます、小母様。……あ、美味しい。オリジナルブレンドですね。小母様のご考案でいらっしゃいますか?」

「そうなのよ。宮に引き籠もっていると、こういうインドアな趣味に没頭するしかなくてね。この二年でお菓子のレシピは三倍くらいになったし、ハーブティのオリジナルブレンドも豊富になったし、新しい模様編みや編み図も山ほど溜まったわ」

「まぁ。後ほど、拝見しても?」

「もちろんよ。ハーブティのブレンドに関しては、わたくしもディアナの意見を聞きたかったの。味はともかく、詳しい効能はやっぱり専門家に見てもらわなきゃね」

「こちらのブレンドは、大変よくできていると思います。……意識の覚醒と気分の高揚を緩やかに促進する効能がありますから、特に午前中に飲むにはぴったりのお茶かと。目覚めの一杯にも良さそうですね」

「本当!? これは新作の中でも一番の自信作なの。お墨付きをもらえて嬉しいわ!」


 完成された美貌の持ち主が、表情どころか全身で喜びを表現している様は、それだけで周囲が光り輝いているかのような錯覚を覚えてしまう。これが単なる天然なら、本人無自覚のまま傾城の美女と成り果てそうなものだが、彼女は己の魅力を十二分に知った上で、相手を見てその対応を完璧に切り替えていた。己の見た目とそれが周囲に与える影響を熟知し、それら全てを駆使して嘗ての社交界を牽引していた――彼女こそ、デュアリス世代における『社交界の三花』、その頂点とも称された人物なのである。王家に嫁いでからもその手腕は如何なく発揮され、オースター王の施政を内宮から支え続けた。

 ある意味、前時代の象徴ともいえるすごい人ではあるのだが、彼女は基本的に、心を許した相手にはこんな感じだ。ディアナはリファーニアの親友であるエリザベスの娘なので、子どもの頃に初めて会ったときも〝お母様のお友だちのリファ小母様〟として紹介され、そのように接してきた。オースターもそうだが、彼らがこの国の頂点たる国王と正妃であることを知ったのは、ある程度大きくなってからだったりする。

 オリジナルハーブティのお墨付きをもらったことで、もともと良かった機嫌が更に良くなったリファーニアは、にこにこ笑いながら焼き菓子を手に取った。


「それにしても、本当に久しぶりだわ。エリーやデュアーとも、オースの喪明け以来会えていなくてね。二人は変わりない?」

「はい、お陰さまで。……わたくしの入宮に関しては何かと心労を与えてしまっているようで、そこだけは申し訳なく思っております」

「あら。親が子を心配するのは当たり前よ。あなたが悪いことをしているならともかく、己の良心に恥じることがないなら、堂々としていなさいな」

「……その理屈で申せば、リファ小母様こそ、ジューク陛下のことはご心配でしょう」


 ちょっと覚悟してディアナが踏み込めば、リファーニアはきょとんとしてからクスリと笑う。


「あの小さかったディアナが、母としてのわたくしを心配するほど大きくなるなんてね。わたくしも歳を取るわけだわ」

「何を仰いますやら。幼い頃、初めてクレスターでお会いしたときから、まるで変わらぬお美しさを維持していらっしゃいますのに」

「そりゃ、見た目はね。ジュークに正妃がいない現状、隠居した身とはいえ一応は王国女性の頂点に立つ者がみすぼらしいヨボヨボした身なりじゃ、それだけで国の格を下げてしまうわ。それなりにお金と手間暇かけて、外見は取り繕っているつもりよ」

「何というか……さすがです、小母様」


 普通の女性なら、たとえ陰でどんな努力をしていようとも、その美貌を賞賛されたら「そんなことありません」と謙遜しそうなものだが、リファーニアはそれをしない。女性が美を維持するためにはお金と努力が必要なのだと、はっきり言う。王家に嫁いだ当時、リファーニアを持ち上げるために自身の妻を貶し、「いやまったく、妻も少しはお妃様を見倣ってほしいものです」と公衆の面前で言った貴族に対し、「わたくしが美しいのは当たり前です。正妃として陛下の隣で見劣りしないよう、それだけのお金をかけて頂いているのですから。……それで、あなた様はご夫人のために、いかほど金子をお使いなのでしょう?」と返して黙らせたという逸話は有名だ。

 女神のような美貌に慈愛を乗せて、リファーニアは微笑む。


「……ジュークのことでは、たくさん辛い思いをさせてしまったわね」

「小母様……」

「もちろん母として、ジュークのことは心配だったわよ? 内務省に狡猾に動かれ、あの子の教育に口を挟めない態勢が整ってしまっていたときは、無力な己を責めもした。――でも、それでもわたくしは、あの子を信じる道を選んだから。滅多に会えずとも、会えたときは何よりも真っ先に、オースとわたくしの身体を案じてくれる、オースに似て優しく育ったあの子をね」

「……オース小父様は、陛下のお優しさを『リファに似た』と仰っておいででしたよ」

「まぁ。わたくしはオースほど優しくないわ。何を言っているのかしら、あのひとは」


 ジュークがオースターとリファーニアを〝理想の夫婦〟と崇めている理由がよくわかる。ディアナの周囲の大人たちは、両親を含めて仲睦まじい家庭を築いている人ばかりだが、幼い頃から王宮で利害関係に塗れた男女の乾いた関係を目の当たりにしてきたジュークにしてみれば、自身の父母が愛情と信頼で結ばれた夫婦であることは、絶対にして至高の光だったことだろう。何を譲ることになってもその光だけは失えないと、躍起になったであろうことは想像に難くない。


「心配はしていたけれど、ジュークのことは信じていたから。だから、王宮がどのように動こうと、覚悟していたより辛くはなかったの。……だけど、さすがにね。あなたが『紅薔薇の間』に入ることになったと知らされたときは……たぶん生まれて初めて本気で、お兄様に抗議したわ」

「小母様、それは……」

「この状況をあらゆる方面から打開できるのは、ディアナとクレスター家しかいない。そんなことは言われるまでもなく分かっていたし、それが最善だと理解もしていた。でも、だけど……!」


 ふわりと立ち上がり、リファーニアはディアナの隣に腰掛けて、柔らかく抱き締めてくる。


「……ごめんなさいね、ディアナ。本当に、ごめんなさい」

「リファ、小母様。もう、それは、」

「辛かったでしょう。――『(ルグラン)』と『(レスト)』の誓約を知らず、クレスターを誤解し続けているあの子の側で、何も言えずに平気な顔で居続けるのは」


 目頭が、熱くなる。泣きそうになる自分をごまかすため、ディアナは何度も首をぶんぶん横に振った。


「いいえ、いいえ。わたくしこそ、勅命を口実にギリギリの横紙破りをしたようなものです。ポーラスト様に知られたら、きっと怒られます」

「何を言うの。親思いで兄思いの心優しい娘よと誉れに思いこそすれ、怒るなんてあり得ないわ。……どれほど辛い思いをして誓約を繋いだところで、いずれ貴族籍を離れるあなたの手に残るものなど、何一つありはしないのに。本当、どこまで他人(ひと)に心を砕けば気が済むのかしらね」

「そんなお綺麗な理屈じゃありません。遙か悠久の昔より繋いできた〝奇跡〟が、わたくしの目の前で途切れるところを見たくなかった。お父様とオース小父様に憧れ続けていたお兄様が、それを手にできず苦しむ様など耐えられなかった。……全部全部、単なる自己満足です」


 そうだ。結局のところディアナは、己が目にしたくないものを、耐えられない現実を回避するために動いたようなもの。皆が言うような、〝他者のための自己献身〟なんて綺麗なモノでは決してない。いつだって根本には〝自分が嫌だから〟という単純かつ明快な理屈が鎮座している、究極の自己中だ。

 ディアナの言葉にリファーニアと、正面のマグノム夫人が苦笑した。


「あなたの〝自己満足〟に救われた人は数え切れないというのに……まったく、そういうところ本当に頑固ね。自分を曲げないその感じ、若い頃のエリーにそっくりだわ」

「えぇ、本当に。情の深さはデュアリス様に、己を通す頑強さはエリザベス様に、よく似ておいでです。ディアナ様はまさしく、お二人の愛娘でいらっしゃいますね」

「……あまり聞いたことはありませんでしたが、マグノム夫人もわたくしの両親と親交があったのですか?」

「これでも若い頃は王宮勤めでしたゆえ。オースター殿下の婚約者でいらしたリファーニア様が、こっそりエリザベス様やフィオネを王宮へ招き入れるのを、しょっちゅう手伝わされたものです」

「わぁー……」

「だって、王宮って息がつまるばっかりで退屈だったのだもの。今はうるさく言われなくなったけれど、若い頃は何をするにも『正妃となる方がされることではありません』の一点張りで。たまには友だち呼んで遊ばなきゃ、やってられないわ」


 正直なところ、ディアナもその意見にほぼほぼ同意ではあったが、それを頻繁に手伝わされていたというマグノム夫人には、さすがに同情を禁じ得ない。それだけリファーニアに信頼されていたということだろうけれど。


「――そうそう。その『正妃』のことなのだけれどね、ディアナ」


 ふと思い出したように、軽く。しかしながらおそらく、リファーニアは最初からこの話がしたくてディアナを招いたのだろうと分かるトーンで、彼女は改めて切り出した。


「ジュークに意中のご令嬢がいて、この度目出度くその()と結ばれた、というところまでは、シャロンとお兄様から聞かされているのだけれど。……あの子は本当に、そのご令嬢を正妃にするつもりでいるの?」

「陛下だけではありませんよ。シェイラを正妃にとは、牡丹様を除いた『名付き』の総意でもあります」

「聞いた話では、その娘は新興男爵家の出身で、実の父母はすでに亡く、貴族社会のしきたりや礼儀をまるで知らぬ叔父叔母の養女となっていて、爵位もその叔父が継いでいるそうね?」

「えぇ、まぁ……」

「――そんな娘が古参の者たちから正妃として認められるなんて、よほどの奇跡が起こらなければあり得ないというところまで理解した上で、あなたたちは彼女を正妃にと望んでいるのね?」


 凛とした光を瞳に宿し、誤魔化しなど一切ないまっすぐな声で、リファーニアは切り込んでくる。天上の美貌を持つリファーニアが一度このような厳しさと強さを見せれば、大抵の人は女神の貫禄に傅いてしまうことだろう。

 ――しかし。


「はい。全て承知の上で、わたくしはシェイラの正妃擁立を望んでおります」

「それは、どうして?」

「小母様……いいえ、リファーニア王太后様。わたくしは思うのです。この先きっと、生まれや周囲がその人を決定づけるような、そんな時代は終わると」


 リファーニアの誠実を前に、ディアナも同じく、自身の誠意で以って応える。


「確かにシェイラの生まれは新興男爵家で、現在の養父母はお世辞にも褒められた人間ではありません。しかし、それとシェイラ本人の資質は、まるで別の問題です。生まれがどうあれ、養父母がどのような人間であれ、人は自身の才覚と努力で、いくらでも望む未来への道を切り開ける。――この先きっと、そんな時代が訪れます」

「あら、まぁ。であれば、今のような身分制度は無用の長物と成り果てるわね?」

「忌憚ない意見を申し上げれば、はい、その通りです。今はまだ、政に携わるのは貴族のみに限定されておりますが、民の力がこれほど増している中で、いつまでも貴族が為政者の特権を振りかざしていては、国は内側から腐って崩れていくことでしょう。……そう遠くない未来、それこそわたくしたちの子や孫の世代には、王族と貴族が民を支配する時代は終わり、民自身が国の行く末を決める時代がやって来るであろうと、わたくしは見ています」


 それは、ディアナがこれまでクレスター家の一員として、民に混じって国を肌で感じ取る中で自然と見えるようになっていった、緩やかな時代の流れであった。おそらく口に出していないだけで、デュアリスもエドワードも同じように感じているはずだ。クレスターに流れる『賢者』の血は、一の事象から百を、時には千や万までもを見通す。父や兄には及ばないけれど、ディアナの中も確かに『賢者の慧眼』は受け継がれていた。


「これらはいわば、抗えない大きな時代のうねりのようなものです。仮に王家や貴族が強硬に民を抑圧してその力を削ごうとしたところで、動き出した〝時代〟を止めることはできない。……であれば、わたくしはせめて、その大いなるうねりの中で王家が、貴族が、これまでとは違う形で未来へと繋がっていく道を探りたいと、そう考えております」

「……そういうことね。そのために敢えて、〝何もない〟ご令嬢を正妃にしようと?」

「シェイラ本人が嫌がればもちろん、他の方策を考えねばなりませんでしたが。幸い陛下と彼女は思いを通じ合わせ、生涯を共にすることを望んでおいでです。――二人の希望を叶えることが、新たな時代の象徴となるのであれば、願ってもないことでしょう」


 身分に沿った生き方ではなく、生まれ育ちより本人自身が重視され、望んで努力すれば何にでもなれる時代がやってくる。農家に生まれた子でも、畑を受け継ぐ以外の選択肢が無限に広がる時代となるのだ。

 そうなれば、おそらく。『王の長男に生まれれば自動的に次の王となる』という価値観が普遍化している王家から、民の心は離れていく。自分たちも同じように生きているはずなのに、何故国の行く末を決めるのが王と貴族たちだけなのだという不満も出て来るだろう。リファーニアが言ったように、身分制度は形骸化どころか、無用の長物と成り果てる。

 必要のなくなった古いものは、捨てられるのが世の定め。……このまま安穏と変化に無頓着なままでは、王家は、貴族は、民から捨てられるしかない。

 それを、避けるには。


「少なくとも王家は、新たな時代を肯定していると。身分や育ち、親兄弟がどうであろうと、その人自身が人品骨柄優れ、その立場を担うに相応しいのであれば、喜んで受け入れると。――そう人民へ広く示すのに、シェイラの正妃擁立ほど効果的な手はありません」

「古い時代の価値観の象徴として切り捨てられる前に、王家そのものが新たな時代の象徴として、積極的に変化を受け入れていくということね。逆に言えば、それしか『エルグランド家』を繋ぐ手段はない、と」

「はい。――ですので身も蓋もない意見を申しますと、頭がカッチコチに凝り固まった、このままだと百年以内には間違いなく淘汰されてしまうであろう方々の反対意見に、耳を貸す余裕がそもそもないのです。エルグランド王家はおそらく、まさに今、この先の時代へ適合できるかどうかの分かれ道にいる。古参の方々が仰る伝統も大切なものですが、わたくしはそれよりも、ジューク陛下とシェイラが、そしてその子どもたちが、幸福な生涯を全うしてくれる方を大切にしたいと、そう思います」


 正直なところ、クレスター家だけなら何とでもなる。もともと貴族に名を連ねていること自体が冗談のような家だし、当主も次代も、それが最も合理的だと判断すれば一切の躊躇いなく貴族籍を返上して平民に戻るだろう。平民に戻ったところで、食い扶持に困って野垂れ死ぬような可愛げとは無縁の一族だ。

 しかしながら、仮にも三百年以上貴族を続けたわけだから、その間にできたしがらみというモノは当然あるわけで。エルグランド家はもちろんのこと、スウォンやモンドリーア、ディアナ個人でいえばストレシア家、ユーストル家、キール家のことだって見捨てられない。いずれ貴族ではなくなるとしても、なんらかの形で後世へと続いていって欲しいと思う。

 だからこそ、大きなうねりが目に見える形となる前に、王家と貴族の生き残り策を模索しているわけで――。


「……よく、分かったわ。あなたがシェイラ・カレルド嬢を正妃に推し進めていると聞いて、あり得ないとは分かっていたけれど、『親友がそう望んだから、周囲の反対を力づくで黙らせてでも叶える』って方向へ行きかけていたらどうしようかと思っていたの。シャロンから聞いた話じゃ、そこまで冷静さを失っているようでもなかったから、余計な心配だとは思いつつも、ね」

「ご心配、ありがとうございます。もちろん、一番はシェイラとジューク陛下の幸せを願ってのことですよ。ですが、それとは別の意味で……大きな時代の流れはここ数年ずっと感じて、どうすればできるだけ穏便な方法で変革の時代を乗り越えられるのか、折に触れて考えておりましたから。シェイラがジューク陛下を想っていると、正妃になりたいと言ってくれた際に、ぱぁっと展望が拓けたような感覚でしたね」

「そうだったの」

「そこまで考えておいでとは……皆様もご存知ないのでは?」

「どうでしょう。わたくしのようにはっきりと言語化できるか否かは置いておいて、王国に吹く新たな風は、皆様感じ取っておられると思いますよ。この風を感じ取れる方なら、遅かれ早かれわたくしと同じ結論へ辿り着きます」


 クレスター家の『賢者の慧眼』がときとして〝未来を見通す〟などと言われるのも、このせいではないかと思っている。要するに『賢者』の力とは、普通なら百の事象を集めなければ辿り着けない結論に一で到達できる、究極の早分かり能力なのだ。代々の一族が、『賢者の慧眼』で見通したり発見したり開発したりしたアレコレを、世間に出さず屋敷の地下室にて眠らせているのも同じ理屈で、「どうせあと数年か数十年すれば、同じことを考えた奴が世間に広めるだろうから」ということらしい。実際、屋敷の地下に眠っている過去の文献には、当時としては画期的だろうけれど現代では当たり前な知識や技術が散見している。知識欲は有り余っているけれど、得た知識でどうこうなろうという俗世の欲とは無縁な一族ゆえに、ただただ知恵と知識だけが無駄に積もっていく状態が長年続いているようだ。


 ――ディアナの本心が分かったからか、リファーニアとマグノム夫人の表情が改まる。視線を合わせて頷いた二人は、もう一度ディアナを真っ直ぐに見つめてきた。


「あなたの考えが聞けて良かった。これで、心置きなくこれからの話ができるわ」

「今後の後宮と、正妃擁立までの流れにつきまして、リファーニア様と私で考えましたことをご説明申し上げてもよろしいでしょうか?」

「もちろん。拝聴いたします」


 尊敬する貴婦人二人を前に、ディアナも姿勢を正して向き直った――。


リファーニアさんは、主に思い出話でちょこちょこ出てきていただけの方だったので、作者の私もどんな人か詳しくは知らず、勝手に儚げな深窓の令嬢風を想像していたのですが……イメージぶち壊しにもほどがある、書きながら超絶ぶんすか振り回されました。まぁよくよく考えれば、あのエリザベスさん&フィオネさんと友だちやってる時点で、深窓の令嬢は好意的解釈が過ぎたな……。

『にねんめ』も新キャラわんさか登場予定ですので、どうぞお楽しみに!


そしてくどいようですが、書籍8巻、よろしくお願い致します!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] イメージとしてはヴィクトリア朝末期のイギリスかな? エルグランド家は徐々に王権を縮小して象徴王家に、政治も二院制とかに移行するんでしょうね。 百年後のクレスター家は歴史ある実業家として有名に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ