回想その4〜終わりと始まり〜
今回、無駄に長いです。
理由は簡単、話を途中で切るのが面倒になったから!
2万字超となりますが、よろしくお付き合いくださいませ。
「――さて、そこで先ほどシェイラが言っていた、『保守派だの革新派だののいがみ合い』についてになるわけですが」
表向き、いっそ呑気とも思えるほどの緩さで異国との貿易及び、人、技術、文化の流出入を推進しているかに見えていたエルグランド王国が、実はその交易相手たちから侵略対象国として狙われていた、というショッキングな現実が明らかになったところで、ディアナは再び話を現後宮へと戻す。
「正直な話、急激な国際化が内政にある程度深刻な影響をもたらすであろうことは、当時から予測されていたことではありました。キース様が仰ったように、エルグランド王国は根本的には異なる文化に寛容な国民性であるけれど、半島が統一されて以来、いわゆる〝他国〟とのお付き合いは二百年以上に渡って途絶えてきた。それがいきなり解禁となったのですから、特に王国独自の文化の重要性を訴えてきた一部の方々から反発されるのは、ある種の必然でしたでしょう」
「けどぶっちゃけた話、当時のエルグランド王国には、国内の重要貴族全てに事の次第を説明して、納得してもらえるだけの時間が残されていなかった。何せ、制限貿易を十年続けたことで、スタンザ帝国は意気揚々と『これほど我が国との貿易を拒絶するということは、エルグランド王国はスタンザに対し、害意があるに違いない。彼の国は敵国である』って認定して攻めてくる寸前だったんだ。とにもかくにも、まずスタンザの動きを止めることが先決だった」
「国内がまとまりきらぬままの、自由貿易全面解禁です。国防面でのメリットはともかく、国内がどのように変わっていくのか……良い方向ばかりではないだろうと覚悟はされていたものの、およそ八十年が経過した今となってみれば、致し方ないにせよ厳しい状態であるといえます」
クレスター兄妹の息のあった解説に、周囲からは無言の首肯が返ってくる。八十年前から続く内政の混乱が巡りに巡り、結果として今の後宮の諸問題があるのだから、ここにいる誰もがその『厳しい状態』を実感している当事者だ。
ライアが深々と息を吐き出し、口を開く。
「実際、自由貿易や人の行き来が容易になったことで、この八十年の間に、エルグランド王国の産業、文化レベルが著しく向上したのは確かよ。それだけを見れば、確かにこの国は大きく発展したわ」
「問題は、その裏側で民の分断が――より具体的に言えば、古参の貴族と一般の民の心理的乖離が進んでしまった、ということではない?」
自らも古参、それも名のある大貴族の家に生まれたヨランダが言うことで、その内容により深みが生まれる。
同意を込め、ディアナは一つ大きく頷いた。
「今、後宮と外宮で起こっている派閥争い――保守派と革新派の対立も、突き詰めれば要因はそこに集約されるでしょう。国を開き、国際化を緩やかに後押しすることで、それ以前とは比べものにならないほど、民自身の経済力、生産力、技術力が高まった。もはや貴族の保護など必要とせず、大きな商家ともなれば、その家の主人一族は働かずとも莫大な収入が入り、貧乏貴族よりよほど豪勢な暮らしができるようにすらなりました」
「その言い方だとむしろ、貴族と民の距離は近くなった気がするけれど……」
「距離というより、いわゆる身分制度の形骸化よね。シェイラも知ってると思うけど、およそ百年前まで、この国の身分制度は今よりずっと固定化されたものだった。王族、貴族、そして一般の民衆。貴族はその中で更に六つの位に分けられ、人は死ぬまで、その身分に沿った生き方をするのが普通だったわ。王族が国を治め、貴族たちが支配層として王家を支えて民の暮らしが良くなるよう政を行い、民は税を納めることでそんな貴族を支える。身分制度に則った支配、被支配の関係性で、貴族と民はある意味、ちょうど良い距離感を保ってきたとも考えられる」
「……そういう話は、聞いたことがあるわ」
「えぇ。でも、八十年前の貿易解禁以来、〝貴族に何かしてもらわなくても、自分の力で自分の暮らしを良くできる〟民が急増したのよ。貴族の支配を必要とせず、むしろ枷と感じるようになれば、身分制度は成り立たなくなる。形として残ってはいても、『貴族』という身分の意味が消失してしまうわ」
ディアナとシェイラのやり取りに、レティシアが何度もこくこく頷いている。
「だからこそ、古参貴族も今までと同じではやっていけない。領地運営はもとより、王宮での立ち居振る舞いや民との関わりなど、全てにおいて新たな時代に順応していかなければならない……父は常々、そう申しております」
「わたくしもそう思うわ、レティ。――けれど残念ながら、キール伯爵様のように柔軟な思考を持つ古参貴族の方は多くない。希少種と言っても良いくらいよ。古参貴族のほとんどは、自らの持つ身分が形骸化しつつあることに気付かず、自らの血筋と歴史だけを頼みに、支配層という立場に固執し続けている。貴族がそうして、自分たちの既得権益に拘れば拘るほど、自らの力で新たな時代を切り開き、力を得てきた民たちの心は離れていく。――それがヨランダさんの仰った、貴族と民の心理的乖離となった」
「それをどうにか食い止めるために始まったのが、今に至るまで論争の的となっている、『爵与制度』というわけです」
話しすぎて喉が渇き、一旦言葉を止めてお茶のカップに手を伸ばしたディアナの解説を引き継ぎ、歴史研究の大家であるスウォン家の生まれであるアルフォードが発言した。国王を常に警護する騎士の花形職、国王近衛騎士団の団長という立場の彼だが、実際剣の腕は王国の騎士たちの中で文句無しのナンバーワンでもあるわけだが、実家が実家なので歴史を語らせたら彼の右に出る者はそうそういない。
「『爵与制度』が施行されたことで、保守派と革新派の争いがいよいよ本格化したと考えることもできるわけですが、むしろこの制度は古参の貴族たちを守るためのものでもあった。功績のあった民を新たに貴族として叙爵し、貴族の身分と地位を与える。それはつまり、形骸化しかけていた貴族という身分に『実』を取り戻し、『貴族』そのものの社会的価値を上げる側面もあったわけですから」
「同時に、功績のあった民を貴族として新たに迎え入れることで、乖離しつつあった貴族と民の心理的距離を近づける思惑もあったわけだが……そっちはどちらかといえば、より悪化したかもな」
「クレスター家でも、読み切れないことがありましたか」
「キース、お前何か誤解してないか? 別に俺たちは、未来を何もかも見通せるような特殊能力持ちじゃない。ただ単純に、無駄に回る頭を持ってるってだけだ。何千人何万人の、世代を超えた心の動きなんて、完璧に予測できるわけがない」
人の心は、難しい。必ずしも理屈だけで割り切れるものでもなく、分かっていてもどうにもならない感情というものがあるからだ。……それはある意味、知識と知恵を何より尊ぶ『賢者』の末裔クレスター家と、最も相性の悪い類のモノかもしれない。
「『爵与制度』が本格運用されて、五十年と少し。現在の王宮では、新興貴族の伝統軽視な振る舞いや重要文化財の破壊行為、領地運営の不手際なんかが目立ってきて批判され、どちらかといえば保守派がやや優勢な印象を受けるけど、ちょっと前までは革新派がノリに乗ってて、保守派は息をするのもやっとだった。ちょっと前というか、俺たちが生まれるより前の話だけどな。そんな風に、時勢も、人の心も、その時々で移り変わる。完璧な予測は不可能というより、そもそも予測するだけ時間の無駄なんだよ。その時々の移り変わりに合わせて、臨機応変に対処していくしかない」
「なるほど。クレスター伯爵家がいつの時代も中立の立場を貫いているのは、それが大きな理由というわけですね?」
「それだけじゃないけど、そういう理由もあるな」
「……しかし、時代によって変わる人々の思惑や政の潮流などを見極め、臨機応変に対応することが大切なのだとしたら、やはりこのような『後宮』を作ったのは悪手だった。おそらくは……最悪に近い部類の、悪手だ」
話が現代に戻ってきてから、ずっと黙って飛び交う言葉に耳を傾けていたジュークが、重々しく言葉を紡いだ。エドワードとキースが掛け合いを中断し、ジュークを見る。
「男であれ女であれ、人が多く集まれば集まるほど、当たり前だが揉め事は増える。後宮などという狭い場所に、ルーツも違えば現在属する派閥も違う、多種多様な令嬢を迎え入れればどうなるか……何も考えず、ただ内務省の提案に乗った私は、つくづく愚かしいな」
「……後宮で勃発した派閥争いについては、後ほど改めて話すこととしまして。現在の後宮が、ただただ内務省と陛下の我欲を満たすためだけのもので、政を混乱させ、民を苦しめるものでしかなかったとしたら、宰相閣下やアルフォード様が命を賭して阻止されたはずです。ヴォルツ小父様やアルフォード様が黙認されたということは、去年春の時点で後宮を開くメリットは確かにあったということでしょう?」
「まぁ……ざっくり言えば、そういうことだな」
苦笑しつつ、アルフォードはゆったりと頷く。
「前にも言ったかもしれないが、現在の王国情勢では、いくらジュークが未婚で世継ぎがいないとはいっても、一足飛びに正妃を決めるのは危険だ。保守派と革新派の勢力均衡が圧倒的に偏っているなら話はまた別だが、さっきエドが言った通り、今は保守派がやや優勢って程度で双方のパワーバランスはほぼ同程度にある。そんな中で正妃を決めてしまえば、今の均衡が急激に崩れて争いが表面化しかねない。王宮の中でだけ喧々諤々やってくれるなら良いんだが、ここ二十年ほどで一気に台頭した双方の〝過激派〟は、戦も辞さずという強硬姿勢だからな。諸外国から侵略の機会を虎視眈眈と狙われてる現状、ド派手な内戦は彼らに願っても無い口実を与えることにしかならない。ジュークの正妃は、内政的にも国防的にも、今すぐ決めるわけにはいかなかったんだよ」
「……そんなに戦がしたいなら、それこそ貴族籍を捨ててスタンザへ移住なさればよろしいのだわ。あちらには兵役の義務があるのだから、最前線で戦の醍醐味が味わえますよ、きっと」
ディアナの強烈な皮肉に、エドワードが苦笑した。軽率に〝戦〟を持ち出す輩は武力で相手を殴りたいだけで、別に自分が最前線に立ちたいわけではないと言いたいのだろうが、もちろんディアナはそんなこと分かった上で皮肉っている。
アルフォードも同じように軽く笑ってから、表情を真面目なものへと切り替えた。
「閣下も俺も、史上類を見ない規模の後宮がどんな風に転ぶか、見通せていたわけじゃない。だが、ジュークも安易に政略だけで正妃を決めることには難色を示していたし、ならばいっそ時間稼ぎの意味でも、内務省の案に乗ってみようという結論に至ったわけだ。……ただまぁ、『名付き』の側室方の選定まではどうにか食い込めたが、その後の側室内示に関しては、内務省が勝手に候補を上げて書類を作って、閣下を通さず直でジュークまで持っていってたせいで、側室数がどえらく膨れ上がったんだがな」
「側室内示は『王の勅命によってのみ定められる』って王室典範にも書かれている通り、宰相閣下や重臣の審議を必要としない、王室の私事とされているからな。その粗をピンポイントで突かれた、ってワケだ」
「……お三方は『名付き』として最も早い側室内示を受けていたわけですから、当然入宮もかなり初期でされましたよね? 開設当初の後宮は、どのような雰囲気だったのでしょう?」
話がようやく後宮そのものへと戻ってきたところで、ディアナはライア、ヨランダ、レティシアに話を振った。去年の春に後宮が開設されてから夏までのことは、ディアナも断片的にしか知らされていない。ディアナが入宮した時点では、リリアーヌを初めとする過激保守派の側室たちが革新派や新興貴族の側室を冷遇し、時に直接的な危害まで加えていたという問題が深刻化しており、その点ばかりにかかりきりになってしまったけれど、そもそもどういった流れでそんな事態となったのか。こればかりは当事者から聞くしかない。
ディアナの問いに『名付き』の三人は視線を交わし合い、まずはライアが背筋を伸ばして切り出した。
「さっきレティシアも言っていたけれど、開設当初の後宮は、今のように側室の出身で安易な序列付けがされていたわけではなかったわ。もちろん、私たち『名付き』とそれ以外の方々とで立場の違いがあったことは確かだけれど、逆に言えばそれくらいしか〝違い〟はなかった」
「開設した後宮にまず入宮したのは、リリアーヌ様を含めたわたくしたち『名付き』の四人。次いでほぼ間を空けず、ご令嬢を側室に上げたいと希望されたお家の方々がいらしたわね。そのほとんどはリリアーヌ様のご実家、ランドローズ家と近しい家のご令嬢方だったけれど、少数ではあれど革新派のお家からも入宮されていた。……確か、ソフィア様もこの頃の入宮ではなかったかしら」
「えぇ、そうでした。ですが、ソフィア様はもちろんのこと、リリアーヌ様とて後宮開設当初は今のような方ではありませんでしたわ。私にはあまり打ち解けてはくださらなかったけれど、『名付き』同士で茶会を開けば、ライアさんやヨランダさんには可愛らしい笑みを向けておいででしたもの」
「『名付き』の茶会といえば、わたくしの入宮翌日に開いてくださったような?」
「えぇ。リリアーヌ様のなさり様が目に余るようなものになるまでは、月に一、二度ではありましたが、『名付き』だけの茶会を開いていたのです。大体は、ライアさんやヨランダさんの発案で」
「そうだったのですね。さすがのお気遣いだわ、見習わなきゃ」
『名付き』同士のいがみ合いはそのまま後宮全体の不和にも繋がるため、ライアとヨランダで定期的にその辺りのバランスを取っていたわけか。さすがは『社交界の花』、ソフトパワーを操らせたら天下一品だ。
その『社交界の花』二人は、ディアナの心からの賞賛にも浮かない顔で、曖昧に頷く。
「後宮の開設当初は……ね。それで充分、後宮内の調和は保たれていたのよ。『名付き』でない側室方にはキール伯爵家より爵位が上のご実家を持つ方々もいらっしゃったけれど、だからといって彼女たちが実家の身分をひけらかし、レティを蔑ろにするようなこともなかった。実家は実家、後宮内の序列は序列として、分けて考えている方がほとんどだったと思うわ」
「おかしくなりだしたのは、そうね……後宮開設からひと月ほどが経過して、いわゆる古参のお家のご令嬢だけでなく、『爵与制度』によって貴族となったお家からも、側室としてご令嬢がいらっしゃるようになった頃、くらいかしら。それでも最初のうちは、あからさまな嫌がらせなどはなかったし、せいぜい廊下で会ったときによそよそしい程度のぎこちなさだったのだけれど。一度悪くなり出すと、後は坂道を転がるように側室方の関係が悪化していって……」
「側室同士の順位付けが激しくなっていったのも、この頃からですね。私は仮にも『菫』の名を頂戴していましたからまだマシでしたけれど、それでもご実家の爵位やその歴史、現在の王宮でのお立場などがそのままスライドされ、新興貴族の中でも特にご実家のお力が強くない方々が、あからさまに冷遇されるようになったのです。その動きの中心となっていたリリアーヌ様を、ライアさんとヨランダさんがやんわりと諌められることもありましたが……」
「『側室の数が大幅に増加した以上、はっきりした秩序を示さねば、後宮内の規律は乱れるばかりになってしまうでしょう。ご実家の〝格〟によって側室方を順位付けするのは、むしろ妥当だと考えますわ』ときっぱり言われてしまうとね……。正論といえば正論だったし」
「ライアもわたくしも、側室方の序列をはっきりさせることそのものに異を唱えたわけではなく、〝位が上の者は、下の者を理不尽に虐げても良い〟となりつつあった現状への苦言だったのだけれどね。それだって、『上に立つ者は、下の者を管理する責任がございます』と反論されておしまいだったわ」
「そのとき、悟ったの。あぁ、これはもう、私たちが何を言っても響かないところまで来ているな、とね」
苦い顔の二人を前に、レティシアが何度も首を横に振る。
「それでも、お二方は密かに動いておいででした。マリス前女官長に現状の改善を要望してみたり、ご実家宛に状況を知らせ、外宮側からの働きかけを促してみたり……私もお父様宛に手紙を出して、懸念を伝えてはみたのですけれど」
「――就任後、女官長の執務室を調べましたところ、戸棚の奥からかなりの数の封書が見つかりました。日付の多くは初夏から夏頃にかけてで、内容を拝見しましたところ、主に新興貴族家出身のご側室方が、ご実家宛に後宮の現状を記したものでした。睡蓮様、鈴蘭様、菫様の御文もその中に」
「……やっぱり、マリス前女官長が握り潰していたのですね」
「そんな気はしていたから、今更驚かないけれど」
マグノム夫人の説明に、レティシアとヨランダが苦笑する。ディアナも難しい顔で頷いた。
「マリス前女官長は、女官や侍女の実家に応じて待遇をあからさまに変えていた、いわば悪例の先駆者ですからね。同じようなことをリリアーヌ様が始められたとしても、むしろそれこそが当然と批判を握り潰したであろうことは、想像に難くありません」
「……ということはもしかして、外宮側で一番最初に後宮の現状を詳しく知ったの、もしかしてウチ――だったりするのか?」
エドワードの言葉にハッとする。マグノム夫人を振り仰ぐと、彼女は分かり難いがやや困ったように微笑みつつ、けれどしっかりと首肯した。
「牡丹様方のご側室のお家を除けば、後宮の現状を具に把握された最初のご実家は、クレスター伯爵家でしたでしょうね」
「わあぉ……」
「ディアナが入宮しなけりゃ、外宮側に後宮の正確な情報が伝わらなかった、あるいは伝わったとしてももっと遅かった、ってことですか……。ウチは基本、表の政には不干渉の立場なんだがなぁ」
「後宮は建前上、ギリギリ王家の〝私〟に分類されるからな。側室同士のパワーバランスがモロに外宮の政に響くとはいえ、それでも一応〝私〟だ。――クレスター家が関わっても、協定違反にはならない」
重々しい口調で、アルフォードが切り出した。後宮開設からディアナ入宮までの〝外宮側〟の流れを知る彼の言に、全員が耳を傾ける。
「閣下はもちろんだが俺も、側室方の数が増えるほど後宮の様子がおかしくなっていっていることは察していた。基本は男子禁制の後宮だが、その出入り口を警護しているのは王宮騎士団で、国王近衛の団員とは顔馴染みも多い。そこから話を洩れ聞くこともできるし、閣下は側室方のご実家から相談を受ける件数が日に日に増えていると実感されていた。それらを統合すれば、後宮の側室方の間で保守と革新の対立が深まっているらしいという構図は薄ぼんやりと見えてくる。ただ、夏以前は俺も実際に後宮へ入れたわけじゃないし、状況を直で見て把握しなければ、次の手が打てなかった。――そこに飛び込んできたのが、デュアリス様を取り巻いている……と思い込んでいる連中からの、『国王陛下の側室に、クレスター伯のご令嬢を推薦する』という文書だったわけだ」
いくら巷で『王国の悪を牛耳る、裏社会の帝王』と噂されていようが、クレスター家は現状、叙爵から三百年以上を誇る立派な古参貴族の一員だ。一般にはあまり知られていないが、実は王家とモンドリーア公爵家に次いで領地を多く持つ、国内屈指の大貴族でもある。――その伯爵家の令嬢が側室として推挙されたとなれば、さすがにごく普通の側室のときのように、王家の〝私〟としてそのまま王へ上げて如何を問うだけでは済まされない。宰相、重臣たちが集まっての審議が必要となる。
「閣下としては、千載一遇の好機だったんだろうな。外から後宮の詳しい状態が把握できないこの現状を何とかできるとしたら、もう正直な話、常識だとか貴族の理だとか、そういう一切をぶった斬れるクレスター家しかあり得ない。ディアナ嬢が側室として後宮へ入るとなれば、最低でも『闇』を通じて外とのホットラインは確立できる。それで少しでも後宮内の様子が分かれば、外宮側でも対策を立てられる、ってな」
「それもあるが、それだけじゃ無いだろ。『闇』の直通ラインが欲しいだけなら、何もディアナを『紅薔薇』なんて立場にする必要はない。強権的なランドローズ嬢が側室筆頭って状況を手っ取り早く食い止めて、後宮内の勢力均衡を一旦ゼロに戻す。そのためには、〝何でもアリ〟なディアナが一番都合が良かったってことじゃないのか?」
「……まぁ、わたくしがクレスター伯爵令嬢である以上、分不相応な『紅薔薇』を与えられようが、その地位を利用して何をしようが、『王国の悪を牛耳る、裏社会の帝王』の娘だから――で済まされますからね。確かに、外宮側がそういう状況であったなら、わたくしを側室に、という〝お父様のお友だち〟からの申し出は渡りに船だったことでしょう」
苦笑しながら相槌を打つと、それまで侍女らしく黙って控えていたリタが、我慢できない様子で細く息を吐き出した。
「それならそれで、ディアナ様の側室内示の際、一言あって然るべきだったのでは? 公式的には無理でも、せめて宰相様やアルフォード様から個人的に、現状説明とディアナ様にお願いしたいことなどのお伝えがあっても良かったでしょう。私が覚えている限り、ディアナ様の側室内示は、ある日突然前触れなく、現状の説明も何一つなく、ただただ無機質に側室内示が降りた旨と入宮の日時が記された紙切れ一枚が届いただけでしたが。……あぁ、入宮にあたって用意すべき物品類のリストがもう一枚、添付されていましたか」
「まさか。本当なの、ディー?」
この辺りの経緯をよく知らないシェイラが、驚愕の声を上げる。ディアナはむしろ感心して、リタを振り仰いだ。
「よく覚えているわね、リタ。わたくしは正直、通達にキレたお母様がお父様の頭に花瓶をぶつけようとしていたことしか覚えてないわ。途中から、これは一息入れないとどうにもならないなと思ってお茶を淹れに厨房へ行ったし」
「……あのときのエリザベス様は、本当に恐ろしかったです」
「父上の命もここまでかと、割と真剣に心配したよな」
「真面目な話、当主が命を落としたくらいで勅命が撤回されることはほぼ無いから、仮にお母様がお父様の頭をかち割っても、わたくしの入宮を阻止するのは不可能だったのでしょうけれど」
「だよなー。我が家の評判的に、『王宮の横暴に命を以って抗議する』みたいなリアクション芸も効果薄いだろうし」
「それが使えたら、とっくに歴代の何人かが〝死んだフリ作戦〟決行してるわよ」
「つくづく損な顔してるよな、俺たちって」
「……あの、ディー。エドワード様も、論点がズレております」
気が抜けたようなシェイラだが、その表情はやはり固い。その固さのまま、彼女はアルフォードの方を向く。
「騎士団長様。私もリタに同意致します。当時の外宮はいわば、後宮に対し打つ手が見出せない状況をどうにか打開するため、ディーに……クレスター伯のご令嬢に『後宮へお越し願いたい』と頭を下げるお立場だったはず。にも拘らず、その方法が事務的な勅命書一枚とは、あまりに礼を逸した振る舞いではございませんか?」
「いえ……シェイラ様。お言葉はごもっともながら、これは宰相閣下のお気遣いだったのです」
大きな体を小さくさせつつ、アルフォードが控えめに反論した。
「クレスター家の人々が、大なり小なり情に深く、頼まれたら断れないお人好し揃いなのは周知の事実。非公式とはいえ後宮の現状を説明して助力を請うてしまえば、彼らは決して断らないでしょう。――それは即ち、彼らの退路を最初から絶ってしまうに等しい所業です」
「……つまり宰相閣下は、敢えてそっけない事務手続きだけでディーを後宮へと迎え入れ、クレスター家に後宮の〝ありのまま〟をご覧頂くことで、判断の全てをクレスター家の皆様へ委ねられたということですか? もしも一切の手を引くとご一家が決断された際、王宮に気兼ねせず済むようにと」
「閣下はそう仰いました。『クレスターは本来、表の政に立ち入る家では無い。ここがギリギリの落としどころであろう』と」
「そう、ですか……。そう考えれば確かに、それもお気遣いなの、かも……」
〈よっく言うよ。これだから、口が上手いお貴族サマは信用ならない〉
シェイラが納得して引きかけた瞬間、上からこれまでにないほどくっきりした音を成して、カイの声が落ちてきた。同時に、天井裏から深く重い圧がかかる。
戦闘職のエドワード、アルフォード、クリスの三人はもとより、戦闘になどまるで縁のない『名付き』の三人までもが目を丸くして天井を見上げる中、カイの言葉は続いていく。
〈それを〝気遣い〟って言っていいのは、ディアナのことを個人的に何一つ知らない奴だけだろ。アルフォードさんもだけど、宰相さんだってディアナのことを〝クレスター伯爵令嬢〟って記号じゃなく、〝ディアナ〟として知っていたはずだよね。――なら、分かっていたはずだ。事前に説明しようがしまいが、後宮の現状を知れば、ディアナは絶対に『側室筆頭』の地位を投げ出さない、って〉
「カイ……」
〈ディアナが投げ出さない以上、クレスター家の人たちがディアナの意思を無視して勝手に〝手を引く〟わけがない。さっきアルフォードさんは、ディアナが後宮に入ることで『最低でも外とのホットラインが確立できる』って言ってたけど、それが本音だったとは言わせないよ。アンタも宰相さんも思ってたはずだ。〝ディアナなら、『紅薔薇の間』を与えれば、側室筆頭として後宮の現状改善に取り組んでくれるはずだ〟ってね〉
アルフォードが息を飲んで押し黙る。その場凌ぎの、口先だけの否定を許さない空気が、カイの言葉には満ちていた。
〈アンタたちがディアナに密かな期待を寄せたことを、批判はしない。ディアナを知っていれば、そう考えるのはむしろ当然だと思うしね。――けど、そうやってディアナに何も言わず重圧を背負わせたことを、〝気遣い〟なんてお綺麗な詭弁で誤魔化すな。どんな風に言い繕ったって、この国がたった一人の女の子に、本来踏むべき手順を何一つ踏まず、行く末を丸投げた現実は変わらない。今のアンタたちがするべきは言い訳じゃなく、これまでのディアナの献身に対しての感謝と、あまりにも横暴かつ身勝手だった過去への謝罪じゃないのか?〉
「……カイ、もう良いから」
〈良くない。これだけは絶対に、譲れない〉
軽快な口調ながら、カイの声音はとてつもなく重い。どうやら本気で怒っているらしいと察し、ディアナは途方にくれて天井を見つめた。
その間にも、カイの言葉は止まらず響く。
〈〝もしもクレスター家が一切の手を引くと決断した際、王宮に気兼ねせず済むように〟? 白々しい建前っていうんじゃないの、そういうのって。アンタたちは、ディアナの献身を暗黙のうちに確信してた。その献身に頼り切っている自分たちを正当化するために、〝いつでも逃げて良かったのに〟って言い訳が欲しかっただけだ。……そんなことを言われたら、何一つとして返されるものがない中、ただただその身を捧げ続けてきたディアナの思いは、本当に行き場を失ってしまう。ディアナのこれまでを薄っぺらにするような〝気遣い〟なんて、石ころほどの値打ちもないね〉
そこにあったのは、ただどこまでもディアナのことを案じて想うがゆえの、まっさらな怒りだった。ディアナのこれまでをずっと見守り、かつ王国に一切の義理立てがないカイだけしか言えない真理に、ディアナはもとより全員が言葉を失う。
重苦しい空気の中、最初に声を発したのは――。
「……済まなかった。外宮の不手際は全て、王たる私が不甲斐なく、未熟ゆえに起きたことだ。そなたの批判は当然のことだが、それ以上アルフォードを責めるのは勘弁してやってくれ。言い足りないのであれば、その先は私に頼みたい」
真摯な瞳の、ジュークだった。天井裏のカイとは視線が合うはずもないが、真っ直ぐに天井を見上げる彼の眼差しに、カイから発されていた重圧が微かに緩む。
次いで、こちらはどちらかといえば呆れ寄りの、シリウスの声がした。
〈我々からでは言いづらいことを、代わりに言ってくれたことには礼を言う。だが、そろそろその無駄な圧を引っ込めろ。先ほどから話が横道に逸れてばかりで、一向に前へ進まん。今日の集まりの主題はそこではなかろう?〉
「そういえば、そうね。そもそも知りたかったのは、リリアーヌ様の行き過ぎた排他主義がどの辺りから始まったのかについて――だったわ」
ディアナがシリウスに同意したことで、上からの圧は完全に消えた。ホッとしたように肩の力を抜く『名付き』の三人とシェイラに視線だけで謝意を示してから、ディアナはそもそもの議題に立ち返る。
「ライアさん、ヨランダさん、レティの話をまとめると……後宮開設当初のリリアーヌ様は、革新派にやや否定的なスタンスは取りつつも、目立った行動を起こすことはなかった。強硬的な側室の序列付け、あからさまな冷遇や暴力行為が目立つようになったのは、新興貴族のご令嬢が多く入宮されるようになってから――ということで、間違いはございませんか?」
「えぇ、その通りよ」
「最初の頃は、いくら革新派嫌いとはいえ、あそこまで極端なことをする方には見えなかったのだけれどね……」
「私もそう思います。革新派嫌いではあっても、世間話程度なら私とも交わしてくださる程度には、無難に過ごそうとされていたように感じましたもの」
「……それ、引っかかります」
三人の言葉を聞いて、ポツリと疑問を落としたのはシェイラだ。全員が何となく彼女に視線を向ける中、どこか独り言のようにシェイラは続ける。
「ソフィア様のときもそうでした。行動が過激化しかねない部分は確かに見受けられたものの、『まさかここまで』と思っていらした方の行いが、気付いたときには誰にも止められないほどエスカレートしている。けれど、『元々、そういうところはあったから』と特に気にも留めずに流されてしまう。……似ている気がします」
「えぇ。……えぇ、そうね」
深く、深く頷いて。ディアナは全員をぐるりと見回した。
「冬頃のソフィア様の暴走から始まった一連の事件の裏に、正体不明の何者かの影があったことは、既に皆様にもお話ししたかと思います。あの事件では、実行犯として選ばれた三人……ノーマード・オルティア殿も含めれば四人の方が、原因不明の変死を遂げました。彼らの死を無駄にしないためにも、二度と同じことがあってはなりません」
厳しい表情に決意を乗せて、各々が無言で首肯する。ディアナは、大きく息を吸い込んだ。
「シェイラの指摘に関しては、わたくしも気になっているところです。もともと革新派に否定的なお立場だったリリアーヌ様ならば、ちょっとしたことがきっかけで過激な行為へ打って出ることもあるかもしれない。――ですが、もしもそれがリリアーヌ様ご自身で決められたことではなく、裏にいる何者かが煽動しているのであれば、話は大きく変わってきます」
「……我らが真に対峙するべきは過激派ではなく、その陰にいる者であるということか」
「左様です、陛下。――いいえ、もしかしたら、保守にせよ革新にせよ、極端に攻撃的で強硬な主張を崩さない方々の裏側には、別の〝誰か〟の思惑があるのかもしれません」
「現在エルグランド王国で繰り広げられている〝派閥争い〟そのものが、誰かの思惑によって故意に引き起こされたものかもしれない、ってことか?」
「えぇ、お兄様。……穿ち過ぎだと思う?」
「いや。……王国の現状を総合的に見るに、あらゆる可能性を視野に入れておくべきだろう。でなければおそらく、この王国を遊戯盤扱いしている〝誰か〟を出し抜くことは難しい」
『賢者』の末裔であるエドワードの言には、不思議な説得力がある。
ゆったりと微笑んで、ライアが口を開いた。
「――では、現状の我々がまずするべきことは、リリアーヌ様の身辺を探ること、かしら?」
「いいえ、ライア。ソフィア様のときもそうだったけれど、わたくしたちが下手に動くと、却って動きを隠されてしまうかもしれないわ」
「ですが、ヨランダさん。リリアーヌ様の動きを見張る以外に、できることがあるでしょうか?」
「……あるかもしれないわ、レティ」
ゆっくり、ゆっくりと。
考えをまとめながら、ディアナは言葉を紡いでいく。
「リリアーヌ様が過激な言動を取られるようになった〝表向きのきっかけ〟は、新興貴族のお家から、大勢のご側室がいらしたことでしょう? ……実は、ずっと気になっていたの。新興貴族を同じ貴族として認めていない保守の方々が中心となっている内務省が、どうしてわざわざ新興貴族家から側室を募ったのか」
『名付き』三人の目が見開かれる。一つ頷いて、ディアナはシェイラの方を向いた。
「……確か、シェイラが後宮へ入ったのは、側室として入宮すれば結構な額の補助金が支払われるから、だったわよね?」
「え、えぇ……〝支度金〟という名目でね。お金を頂いていたのは我が家だけじゃないわ。リディル様も確か、支度金目的で側室になることを決めた、と仰っていたはずよ」
「あぁ、アーネスト男爵家は子沢山でいらっしゃるから、なかなかにやりくりが厳しいのよね。ご家族思いのリディル様は素晴らしいご令嬢でいらっしゃるけれど……それはそれとして、やっぱりおかしいわ。あの内務省がわざわざお金を渡してまで、傾きかけている新興貴族家から側室を集めるなんて」
「……確か表向きは、ジュークの好みも分からんし、多種多様なご令嬢を集めておけば一人くらいはお気に入りができるんじゃないか、って話だったよな?」
「そんな感じだった。まぁ実際、そうやって集まったご側室の中からシェイラ様を見初められたのだから、内務省の言うこともまったくの的外れじゃなかったなー、って思った記憶がある」
「……えぇ。まったくの的外れではないからこそ、普段の内務省の言動からは不自然に見えても、『そんなこともあるか』と納得させられてしまった。――似ていませんか? 少々の違和感を煙に巻く、この絶妙な流れ」
天井裏から、くつくつと、静かな笑い声が降ってくる。――有能な隠密はさすが、話の理解が早かった。
〈なるほど? リリアーヌさんを暴走させるにしても、表向きのきっかけがないと怪しまれる。手っ取り早いのは、彼女が嫌いな新興貴族を大量に後宮へと送り込むこと。それができるのは内務省――早い話、内務省の動きを操れるような〝誰か〟が、敵さんのお仲間にいるんじゃないか、ってこと?〉
「そういうこと。もちろん確実じゃないけれど……その〝誰か〟を密かに探る程度なら、ここにいる皆で協力すれば可能だと、そう思うのです」
もう一度、全員をぐるりと見まわして。
ディアナは〝自分たちにもできること〟を提案する。
「わたくしたち後宮組で手分けをして、特に新興貴族や革新派のお家からいらした側室方の、入宮のきっかけをまとめて参ります。もしも内務省からの働きかけがあったのであれば、その人物も含めて調べましょう。情報が出揃ったら、まとめたものをクレスター家へ渡し、外宮室とも共有致しますわ。新興貴族家に対して入宮の斡旋を行った中心人物と、当時の内務省の動きを合わせて洗い直せば、新たな事実が浮かび上がってくるはずです」
「そうね。これ以上派閥争いを激化させないためにも、この辺でその〝大元〟を叩いておくことは必要だと思うわ」
ヨランダがすぐさま同意してくれた。最近知ったことだが、いつもたおやかで穏やかな笑みを崩さない、見た目だけなら完璧なお淑やかほわわん系美女のヨランダには、実は意外と好戦的な一面がある。こういう場面では特に、彼女の思い切りの良さが皆の背を押すことが多い。
今回も御多分に漏れず、ヨランダの同意に続くように、次々と集った面々が賛同の声を上げた。
「それなら、私たちでもお役に立てますね」
「新興貴族家出身の側室方でしたら、リディル様やナーシャ様と協力して、私も話を聞いて回ることができます」
「情報さえ共有して頂ければ、外宮側の調査はお任せを。内務省は特に外宮室へ雑用を回してくることが多いので、その分深くまで潜ることができますゆえ」
「連中を見張ってこっそり交友関係を探るだけなら、国王近衛も力になれる。前回の貴族議会騒動で、それなりに目端の利く王宮騎士とも繋がれたしな。協力し合えば、割と広範囲をカバーできそうだ」
「で、王宮の外、民間との関わりについては、俺たちクレスター家の担当ってところか。……仲間が増えるって良いもんだな」
「去年は本当に大変でしたものね……」
後宮と外宮に跨る調査を、実質『闇』込みのクレスター家だけで完遂したようなものだ。振り返るまでもなく、全員が相当な無茶をやらかしていた。それを思えば、調べる内容がどれほどややこしくなろうとも、協力できる仲間がいるというだけで、問題へ向かう心持ちからしてまるで違っていられる。
ディアナがエドワードと頷き合うのを見ていたジュークが、アイスブルーの瞳に真剣な光を宿し、集った面々に頭を下げた。
「苦労をかけるが、皆、よろしく頼む。……現段階で私にできることは、内務省を警戒させないよう、適度に〝操り人形〟のフリをしつつ立ち回ること、くらいだろうからな」
「それもまた、重要なお役目ですよ」
「貴族議会でジュークがそれなりに頭を回すようになった、って気付いてる奴は気付いてるからな。折に触れ、閣下や父上で目くらましをかけてはいるが、今はまだ完全に連中と袂を分かつのは危険だ。外宮側の完全な『ジューク王』の味方は、あまりに少ない。特に〝文〟の味方がな」
「完全な陛下のお味方は……現状、ヴォルツ小父様と外宮室の皆様くらいでしょうか」
「ウチは人材の素晴らしさと三省のあらゆる部署へ食い込める機動力だけが取り柄で、政を動かす上で必須となる〝権力〟はゼロに等しいですからね。宰相閣下もどちらかといえば折衝能力に特化しておいでですので、無理に強権を振りかざしてしまうと外宮のパワーバランスが一気に崩壊しかねない。ここはやはり、それなりに強い権力を持つどこかの部署をまるごと味方へ引き入れたいところです」
「心情的には王に味方したいけど、属する組織の都合上表立っては言えない……って方々も多そうな印象だからな、今の外宮は。そういう方へ個々にアプローチかけて、内側からジューク派に染めてもらうのが早いんだろうが――」
「問題は、個々へちんたらアプローチをかけていられるほど、外宮室にも国王近衛にも人的、時間的余裕がないということですよ」
「そこなんだよなぁ……。ウチと密かに付き合いのある方にも、声をかけてはみるが」
「クレスター家と深いお付き合いがある方は、大抵権力からは適度に遠ざかって、外宮の派閥争いに巻き込まれないよう、慎重に立ち回っておいでの方が多いですからね。仮に陛下のお味方となってくださっても、キース様の仰る『それなりに強い権力を持つ』という条件には当て嵌まりませんし」
「内務省の調査と並行して、ジュークの味方探しも進めないとな。味方が増えなきゃ、満足にやりたいこともできないだろうし」
「それ以前にまず、陛下の御身が危険でしょう。何をするにもまずは、命あっての物種です」
現在ジュークを『王』として担ぎ上げている面々の多くは、ジュークを自分たちに都合の良い、従順な存在として育て上げた一派に連なっている。要するに彼らはジューク自身がこの国をどのように導きたいかなんてことには欠片も興味なく、ただ自分たちのやりたいことに許可の判子をくれるお人形が欲しかっただけなのだ。即位してから、ジュークが彼らに対し強硬に反発したのは〝正妃を勝手に決められる〟という一点のみで、それ以外に関しては概ねイエスマンだったため、少しくらいの想定外になら目を瞑っていてやろうということらしい。
ジュークが自らの身体に仕掛けられた〝操り糸〟に気付き、それらを断ち切るべく密かに動いていることが彼らにバレたら、都合の悪くなった〝お人形〟がどうなるかなど、考えるのも恐ろしい。後宮なんてモノが存在している現状、下手をすれば側室の一人を適当に孕ませ、ジュークの子と言い繕って王位継承権を持たせ、用済みとなった古い〝お人形〟を〝処分〟して新品と取り替える、なんて卑劣を平然と行いかねないのだ。――ジュークの命を守るためにも、今はまだ、〝王〟として主体的に動くべきではない。
ディアナの言に、主に男性陣が深々と頷く中、やや眉を顰めたのはライアだ。
「でも、ディアナ。いつまでもそう悠長にしてはいられないわよ。『紅薔薇』を隠れ蓑に後宮最大の問題から逃げ回るのにも、いつかは限界が来る。こればかりは陛下の勅命が必要なのだから、限界が来る前にある程度は外宮を掌握しておいて頂かなければ」
「結局、一番の問題点はそこなんですよね……。陛下とわたくしの演技力にもよりますが、体感的に保ってあと一、二年かなという気はしています」
「タイムリミットは、再来年の春ということね。それまでになんとかなるかしら?」
「こればっかりは、私どもがお手伝いできることってほぼほぼ無いですからね……せいぜいお父様に、陛下のお味方になってくださいとお願いするくらいで」
「それこそ、先ほどエドワード様が仰った、『心情的には味方したいけれど』という話じゃない? キール家はどうか分からないけれど、ユーストル家が表立って王家の側に立つことは、まぁお父様の代ではあり得ないわね」
『名付き』四人が深々とため息をつく中、イマイチ話に乗り切れていないのがシェイラだ。首を傾げて問うてくる。
「あの……先ほどから、何のお話を……?」
「ん? あぁ、シェイラの正妃擁立までのタイムリミットの話」
「は、い!?」
自身の立場を重々承知しているシェイラが、大声を出して目立つことは滅多にない。
ないが、さすがにここまではっきり言われると驚いたようで、シェイラにしては大きな声で、目を丸くした。
「そこまで話が飛ぶの!?」
「いやむしろ、この後宮の最終的な着地点そこでしょう。この話し合いだってとどのつまりは、いかに国を混乱させず、諸外国にも付け入らせずに、〝シェイラ正妃〟を誕生させるかっていうテーマなんだから」
「ええぇ……?」
「シェイラを正妃にするための障害をはっきりさせて、それを取り除く方策を考える。わたくしは最初からそのつもりだったわよ?」
「ディーってば……そういうところホント、ブレないわね」
「ブレる必要も要因もないし。……正直なところ、今までの話は全部、シェイラ以外の誰が正妃になるとしても、クリアしなきゃいけない問題なわけだけど」
「シェイラ様個人の正妃教育に関しては、後宮で密かに進めれば良いわよね。教師が逐一招かれるとなると悪目立ちだけれど、幸い今の後宮にはマグノム夫人もいらっしゃるわけだから、教える側に不足はないもの」
「……教師となってくださるお方については、他にも心当たりがございます。一度私の方からお願いして、ご了承を頂けるようであれば、皆様にもお伝えいたしましょう」
マグノム夫人は最初からそのつもりだったようで、言葉に一切の迷いがない。感謝を込めて頷いてから、ディアナはふむ、と考える。
「今はまだ『貴族議会』の印象が強いし、陛下も外宮で『正妃どうしようかなー』の演技を続けてくださっているし、わたくしとそれなりに仲良くしているアピールもできているから、しばらくは内務省からの『正妃を早く決めろ』って圧力はかからないと思うけれど……時間が経てば喉元の熱さを忘れるのが人間って生き物ですからね」
「しっかし改めて考えるとこの作戦、ディアナが『クレスター伯爵令嬢』じゃなかったら、割と初手で詰んでるよな。三百年の歴史がある古参伯爵家の令嬢が『紅薔薇の間』なんかに入ったら、よほどのことがない限りはそのまま正妃に収まるのが普通だろ」
「我が家の悪評に助けられた感はかなりあります。いくらなんでも『王国の悪を牛耳る、裏社会の帝王』の娘を正妃にするのはマズいという、ある意味当たり前の良識が働いてくれたみたいですから」
正妃を安易に決められない現状、最も効果的な時間稼ぎの方法は、正妃とするには問題がある娘に王が心惹かれている、という状態を演出することだ。その点ディアナは悪評がカンストしているクレスター伯爵家の令嬢で、本人について回る噂も悪いものばかりと、間違っても正妃にはできないうってつけの人材であった。そのためディアナは昨年末からジュークと示し合わせ、名付けて『紅薔薇と仲良し、正妃はどうしよっかなー』作戦を決行中なのである。実は目立つのがそれほど好きではないディアナが、わざわざ顔を晒してジュークとともに御前試合を観戦したのも、その作戦の一環だったというわけで。
「まぁ、そんな感じで外宮の様子を見ながら、時間稼ぎは折に触れ続けるとして……問題は、シェイラ様以外のご側室方の処遇です」
「今回の後宮が『世継ぎを誕生させる場』としての側面もある以上、今までのように正妃が決まりました、ハイ解散ってわけにはいかないかしらね」
「難しいでしょうね。もしかしたら、わたくしたち『名付き』はそうやって出られるかもしれないけれど……他の方々は」
「そもそも、出たい方ばかりじゃないでしょうし。望まずいらっしゃった方はともかく、自ら志願して後宮へ参られた方々は、ご正妃が誰に決まっても側室として残られることを希望されるのではありませんか?」
「……ですが、陛下は側室を持たれるおつもりは無いのですよね?」
「そうだな。ここだけの話だが……もしも私とシェイラとの間に子ができなかったとしても、側室を持つつもりはない。子ができないときは、それがエルグランド王室の宿命だと受け止めて、私の代で王政を終わらせる方法を考えるつもりだ」
静かだが重いジュークの言葉には、それだけの覚悟が込められていた。シェイラが潤んだ瞳でジュークを見つめ、ジュークはそんなシェイラの手をそっと握る。
未来の国王夫婦は、順調にその絆を深めている。その様子を皆が暖かく見守る中、ディアナも微笑んで頷いた。
「であれば、側室として残りたいとご希望の方も、そうでは無い方も、皆に納得して頂ける後宮縮小の方策も考えねばなりませんね」
「そうね。これはひとまず、各々が持ち帰って考えましょう」
「この手の策は、アイディアが多ければ多いほど深まりますし」
ヨランダとレティシアの言に、それぞれが頷いて。
話をまとめるべく、ディアナはゆっくりと立ち上がった。
「では、この先まずわたくしたち後宮組がすることは、新興貴族家からご側室としていらした方々への聞き取り調査。それをまとめたものをクレスター家、外宮室と共有し、外宮室と国王近衛で王宮内の、クレスター家で王宮外の、内務省の中でも新興貴族家出身の側室の入宮を推し進めた方々の動きや交友関係を調査し、〝黒幕〟に繋がる手がかりを探す。同時に外宮にて、陛下の味方作りを進め……後宮では、シェイラの正妃教育を行う。――以上でよろしいでしょうか?」
「良いと思うわ」
「まとめてみると、案外忙しくなりそうね」
「時間が区切られている分、目的意識がはっきりして、却って良いかもしれません」
『名付き』の三人がしっかりと頷いてくれる。シェイラも立ち上がり、三人とマグノム夫人に頭を下げた。
「お手数をお掛けしますが、陛下の隣に立つに相応しい者となれるよう、よろしくお導きくださいませ」
「大丈夫よ、シェイラ様。そのやる気さえあれば、大抵のことは何とかなるわ」
「私からも頼む、鈴蘭」
「承りました、陛下」
微笑んで、ヨランダはキースを始めとする外宮組を見回した。
「皆様もどうぞ、お気をつけて」
「お気遣いに感謝致します、鈴蘭様。この程度でしたら、通常業務プラスアルファくらいの手間で何とかなりますので、どうぞご安心を」
「外宮室の連中の潜入術は、もうそろそろ玄人の域だからなー……国王近衛の連中にも見習わせないと」
「近衛は近衛で、派手な制服がちょうど良い目眩しになって良いんじゃないか? ……ウチも忙しくなりそうだ、頼んだぞシリウス」
〈御意。皆の当番を、今一度見直すことに致しましょう〉
最後に、ジュークが立ち上がって。
「皆、どうか頼む。この国をより良い未来へと導くためには、そなたたちの力がどうしても必要だ。――私とともに、新たな時代を切り開いてほしい」
その言葉で集会はお開きとなり――。
それは同時に、新たな始まりを告げる、鬨の声となったのだった。
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書籍版の7巻と8巻は、なろう版からルート分岐した書籍オリジナル、『書籍でしか読めないお話』となっておりますので、気になる方は是非、そちらもお手に取って頂ければ、大変嬉しく思います!




