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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
128/243

エピローグ


本日、二話同時投稿しております。

最新話からいらした方は、一つ前からご覧くださいませ。


 社交シーズンの終わりに後宮にて勃発した、おそらくは歴史に残るであろう大事件の数々。

 関与した貴族たちの処罰が次々と発表され、未だ取り調べが続く者たちもいる中で、シーズンの終了を告げる王宮夜会は開催された。


 奇妙な緊張感の中、招かれた貴族たちが次々と、爵位の低い者たちから順番に姿を見せる。男爵家と子爵家、そして伯爵家の招待客たちが概ね出揃ったところで、入り口付近がざわめいた。


「クレスター、伯爵……」

「クレスター伯爵家だ。伯爵家の皆様が揃っていらっしゃったぞ」

「……あれほどのことをしておきながら、奴らには恥という概念はないのか」


 好悪入り交じった視線を向けられながらも、現クレスター伯爵デュアリスとその妻エリザベス、そして嫡男エドワードとデュアリスの妹フィオネは、素知らぬ顔で妥当な位置に落ち着いた。

 扇を広げて顔を隠し、フィオネが面白そうにくすくす笑う。


「予想はしていたけれど、こんなあからさまな反応は新鮮ねー」

「法に則って犯罪者たちを裁いただけなのに、ここまで悪評が高まるとは思いませんでしたよ」


 ほとんど無音声でぼそっと答えたのはエドワードだ。夜会の場を楽しんでいる風情を取り繕ってはいるが、その実うんざりしていることは明らかである。

 こちらは心底楽しそうな叔母に、エドワードは胡乱な目を向けた。


「叔母上は呑気で良いですね」

「そりゃね。私は半分部外者だもの。『クレスターが表舞台に出れば悪評が高まる』って昔からの教訓が、実際のところどんな風に作られてきたのか、目の当たりにできて楽しいわ」

「そこは俺も思ってましたけどね。表舞台で正論を堂々と述べただけで、なんで悪評に繋がるのかって」

「だいたい全部、デュアーの顔のせいではないの?」


 こちらも扇で口元を隠し、エリザベスがおっとりと話に加わった。フィオネが苦笑し、エドワードはため息を堪える。

 話題に出された張本人はといえば、少し離れたところでいつもの『クレスター的要監視人物』たちに囲まれていた。実はクレスター家にとって、自分たちをあからさまに嫌ってケンカをふっかけてくる輩より、『悪の帝王』にあやかりたくて持ち上げてくる者の方が油断のならない存在なのだ。前者は話せば分かるかもしれない可能性が残っているけれど、後者はこちらを『悪』と認識しながら、それすらも私利私欲の糧にしようとしてくるのだから。

 お仕事モードに入ったデュアリスを眺めつつ、エドワードは軽く肩を竦めた。


「父上とて、無茶な刑罰のごり押しはしておりませんよ。『紅薔薇の父』の立場を利用すれば、多少の圧をかけて刑を重くすることも可能でしょうけれど、あくまでも『監察局資料室室長』からの『助言』に留めています」

「それは現場にいるから分かることであって、離れた場所から審議の場を見れば、デュアーが彼らと同じ席についているだけで十分な圧力に見えるのよ?」

「先にささっと処分が決定した者も、何人かが自主的に領地を返上したり、財を献上したりしたそうね。それだって事情を知らなければ、『クレスター伯爵が裏で密かに彼らを脅した』って噂を招くし」

「朝から晩まで王宮に籠もってて、いつ奴らを脅しに行く時間があるんですか……」

「だからそれは、ちゃんと見てなきゃ分からないの」


 フィオネの容赦ない指摘に、エドワードは今度こそ、周囲にはバレないようにため息をついた。


 ――クレスター伯爵家がおよそ百五十年ぶりに、王国正史に残る『貴族議会』という場で動いてから。ほとんどの貴族家当主の前で『まともなことしか言わない姿』を見せつけたにもかかわらず、貴族社会の話題は何故か、『クレスター伯爵家を敵に回したら潰される』という元からある噂の強化バージョンだ。

 噂そのものが間違っているわけではないけれど、別にクレスター家は反目する輩をのべつ幕無しに殲滅しているワケではない。それぞれに主張がある以上、意見が対立するのはごく当たり前のことだ。

 クレスター家が動くのは、あくまでも危害を加えられた場合のみ。それも、自領の民が余所の貴族に権力で以て不利益を被ったとき、一族の者が卑怯な手段で命の危機に晒されたときと、大きく分ければその二つしかない。言ってしまえば正当防衛なのに、今回だってそうなのに、どうして『思考回路は全て筒抜け』『即座に消されちゃう』『報復過剰なまさに『悪』』なんてオチになるのか。

 おそらくはエリザベスとフィオネの言うように、『だいたい全部顔のせい』なのだろうけれど、次代の伯爵としてこれだけは物申したいエドワードである。


「父上、議会の場でちゃんと仰ってましたよ。『実害のない噂は放置するが、直接手を出されたら動く』って」

「どうせあの顔の威力で、『口だけの輩ならまぁ見逃してやらんこともないが、実際に我らの悪事を暴こうとする者共を放置すると思うのか』とでも変換されたのではなくて?」

「悪事はあちらが働いていたわけですが……」

「それだって、あの膨大な証拠の山を確認できる立場にいる者なんてほんの一握りなのだから、知らない輩は『クレスターが自分たちの邪魔になる者を追い落とすために、偽の証拠をでっち上げた』と思い込める。さすがにそれは、おめでたい頭の持ち主と言わざるを得ないけれど」

「俺たちだけで完結してるならともかく、証拠の山はヴォルツ様と、何よりジュークが目を通しているわけですからね。証拠の真偽を疑うことは、そのまま王と宰相への反目と受け取られかねない」

「それが分かっているから、表向きは彼らの処分に反対する声が出ないのでしょう。あくまでも陰でひそひそ囁かれるだけ。……もともと、噂とはそういうものだけれど」


 エリザベスが静かに言って、エドワードも頷いた。そういった『陰』の声を聞き逃さないために『クレスター』は似合わない貴族の地位にいるのだから、そこを否定するつもりもない。




 ――と、クレスター家が入場してからずっと騒がしかった広間が、先ほどとはまた違った風にどよめいた。いつの間にか時間は過ぎて、側室たちが姿を見せる頃に差し掛かっていたらしい。

 一人で悪目立ちするのを避け、いつものようにさり気なく広間に滑り込むため、友人たちと一緒に行動していた少女は、目敏い貴族のお歴々にため息をつきたくなるのを頑張って耐えた。


「……申し訳ありません。リディル様、ナーシャ様」

「あら、良いのよ。ここまできたらもういっそ、思い切り目立ってやりましょう?」

「昨日の今日とまでは申せませんが、先週の今週ですものね。シェイラ様、一躍有名人です」

「有名になりたくて、動いたわけではないのですが……」


 誘拐されたところで有り得ない大立ち回りを繰り広げたのも、全速力で後宮に戻ったのも、無我夢中で後宮の頂点の方々に直談判し、共に貴族議会へ乗り込んだのも。全部ぜんぶ、大切なひとたちを喪いたくなかったからだ。


 己を理由にディーを喪う、そんな未来は見たくなかった。

 何より――どこまでも誠実に、自らの過去を背負って立つひとに、ディーや自分の死を背負わせたくはなかったから。


 議会の日から、寝る間も惜しんで働いているらしい彼を想い、彼女の心は揺れ動く。

 後宮に来る暇があったら眠って欲しかったから、女官長を通じてそう伝言して。素直な彼は「分かった」と返事をくれて、本当に今日まで、姿を見てはいない。

 さんざん迷惑をかけて、苦しめて。――それでも彼は、自分を望んでくれるのだろうか。

 むしろ、夏に出逢ってから、今まで。彼が変わることなく自分を想い続け、待ち続けてくれたことこそが、夢のようだと思う。

 もうあのひとは、待つのを止めてしまわれたかもしれないと。そう後ろ向きになりそうな彼女を支えるのは、議会の日を境に顔と声を隠さなくなった、大好きな親友の言葉だ。


『なんでシェイラは、私には恥ずかしいくらい開けっ広げなのに、陛下に対してはそう自信がないの?』


 心中を打ち明けた彼女に、親友は呆れた様子でそう言って。『……友だちと好きなひとは違うもの』と返せば、『そういうものなのかしらね?』ときょとんと小首を傾げて笑った。


『心配しなくても、陛下がシェイラを見限って他に走るとかあり得ないから。今だから言うけど、陛下がマトモに頭使うようになったのだって、シェイラの存在があったからだしね。むしろシェイラに見捨てられたら、あの人立ち直れないんじゃない?』

『……そうかしら? だって陛下にはスウォン団長様がいらっしゃるし、ディーのお兄様だって』

『それこそさっきシェイラが言った、『友だちと好きなひとは違う』でしょ。――大丈夫よ。もし仮に陛下がシェイラを振るなんて馬鹿をやらかしたら、どんな手を使ってでもシェイラを世界一幸せにして、陛下に逃がした魚は特大だったって後悔させてやるから』

『ディーが娶ってくれるなら、それもありかも……』

『うん、あのね? さすがに今の法律では、同性婚は認められてないから』


 冗談を言い合いながら笑って、そうして彼女は親友に、とある『伝言』を託したのだ。






 ――やがて、夜会の開始を告げるファンファーレが響く。


 壮麗な音と共に姿を見せたのは、議会にて国中の貴族の前で仲睦まじさを見せた暫定『国王夫妻』、国王ジュークと側室『紅薔薇』であるディアナ・クレスターだ。

 つい先日、『大罪人』として首をはねられそうになったとは思えないほど、『紅薔薇』の笑みは朗らかで。王と視線を交わして微笑み合うその姿はまさしく、通じ合う男女そのものだった。

 そんな二人の姿を見た年配の貴族からは、「御子の御髪は金色になるか、銀色になるか。楽しみだのう」といった、気の早い言葉も出てくる。


「皆の尽力により、我が国は新たな春を迎えることができる。大地の恵みを民と共に慈しみ、その成果を手に次の秋、また会えることを願って――今日は楽しんで欲しい」


 朗々と響く王の言葉が終わると同時に、緩やかに音楽が奏でられる。『国王夫妻』が広間の中央まで進み、周囲を主だった貴族家当主と妻たちで囲んで、最初の踊りが始まった。


 男女が一組になって踊る円舞曲(ワルツ)は、二人の距離が近く、鳴り響く音に遮られる形で、ひそひそ声ならば会話が聞かれる心配がない。上流貴族らしく迷いのない足取りでステップを踏みながら、『紅薔薇』は王に語りかけた。


「お疲れでしょう?」

「そうだな。本当ならこんなところで踊っている場合ではないのだが。休息も大事だと、クレスター伯から叱られた」

「シーズンを締めくくる夜会ですもの。ある意味、これもお仕事ですわ」

「……『正妃代理』を務めるそなたにとっては、ある意味どころか仕事そのものだろう」


 彼らしい気遣いに、怖い顔とは裏腹にお人好しな少女は、静かに笑って。


「それを申せば、王宮に常駐している時間全部が仕事になってしまいます。別に義務感だけでしているわけではありませんので、わたくしにお気遣いは要りませんよ?」

「そなたへの気遣いを忘れたら、俺はまた、自分勝手で傲慢な昔に逆戻りだ」

「……まぁ、そこを全否定できないのが痛いところですが」


 非常にシビアな会話だが、見ている分には王と『紅薔薇』が踊りの間中時間を惜しんで語り合っているようにしか思えない。王が先の議会の後始末に追われ、後宮へ行く時間も取れないほど忙しいことは周知の事実であり、これはどう見ても『久々に逢った想い合う若い男女が、尽きない言葉を交わす図』である。

 が、ディアナはもちろんのことジュークも、まさか自分たちが周囲にそんな誤解を与えているなんて気付かない。時間を惜しんでいることは事実だが、他人に聞かれず実質二人だけで語る時間が、皮肉にもこのダンスの間しかないだけなのだ。たった数分で必要な会話を終わらせなければならないとなれば、時間が惜しいのも当然であろう。


 王宮の様子、後宮の様子をそれぞれが端的に報告し合い、曲も終盤に差し掛かった頃、ジュークが深々と息を吐き出した。


「こんな大騒動は、できればこれきりにしたいものだな……」

「そのためにはまず、陛下は正妃様をきちんと娶られませんと」

「他人事か?」

「他人事ではありませんよ。わたくしだって、陛下が正妃様を選んでくださらないと、いつまで経っても後宮から出られません。……言っておきますが、『このまま紅薔薇を正妃に』なんて話になったら、わたくし全力で逃げますからね」

「分かったから、そう睨むな。俺だってきちんと、好きな相手を正妃に迎えたい。そなたのことも好ましくは思うが、やはり男女の情は別だからな」


 ふむ、と頷いて、ディアナは最後の確認をする。


「ちなみに、陛下が想われているのはシェイラ様ですよね?」

「当たり前だろう。他に誰がいるのだ」


 間髪入れない答えに満足した。良くも悪くも自分の感情を誤魔化さないジュークは、こういうときに迷いがない。

 内心で親友に(だから言ったのに)と突っ込みつつ、ディアナはゆっくりと口を開く。


「――実は、陛下。そのお方よりわたくし、とある『伝言』をお預かりしておりますの」

「……なに?」

「『夜会の途中、真夜中の鐘が鳴る頃に――』」


 耳元で聞いた言葉が信じられない様子で、ジュークが呆然と立ち尽くした。ちょうど音楽が終わったところだったので不自然ではないが、早く我に返らないと次が始まる。

 ディアナは敢えて、去り際にジュークの足を踏んづけた。びくりと揺れた彼に、『悪女』らしく傲然と笑って。


「確かにお伝えしましたわよ」

「あ、あぁ!」


 先ほどとは打って変わって明るい表情になった王を置いてけぼりに、『濡れ衣なんて気にしない』紅薔薇様を演じるべく、彼女は夜会を泳ぎ出した。






 そして、真夜中を告げる鐘はいつも通り、王都にその音を響かせる。

 宴もたけなわ、いつもどおりに賑わう広間にて、王の姿が見えないことを訝しむ者はおらず。ジュークは一人、広間の喧噪から遠い廊下を進んでいた。

 指定された廊下の角を曲がった先には、少し時代遅れのソファーと、その前に立つ――。


「……シェイラ」


 ずっと、ずっとずっと逢いたかった、ただ一人の存在がいた。

 名を呼ばれ、少女は静かに振り返る。


「陛下。……伝言を、聞いてくださったのですね」

「あぁ。幻聴(ゆめ)では、なかったのだな」

「ゆめ?」

「紅薔薇から、そなたがここで『待っている』と聞かされて。……自分に都合の良い幻聴を聞いたのかと」

「そのような……」


 少女は――シェイラは、緩やかに首を横に振った。


「幻を見るのであれば、私の方でしょう。陛下が私の言葉を聞いてこちらにいらっしゃることこそ、夢なのかもしれません」

「シェイラ……?」

「ずっと、お待たせしてばかりで。自分の気持ちが認められなくて。呆れられて、嫌になってしまわれても仕方がないのに」

「何を言うのだ」


 大きく踏み出したジュークがシェイラの腕を捕らえ、やや強引に引き寄せる。

 息を呑んだシェイラに怯むことなく、ジュークは彼女を抱き締めた。


「こうやってそなたを抱き締める俺も、夢だと思うか?」

「へい、か……」

「嫌になったりしない。嫌われて、見限られるとすれば俺だ。後宮を開いておきながらその存在を無視して、そなたたちの嘆きから遠い場所で、自分がいちばん不幸だという妄想に浸っていた。そんな自分につい最近まで気付かず、呑気にそなたに『好きだ』と言い続けて。――全部知ってなお、そなたへの気持ちを捨てることができない」


 腕の中で、シェイラが驚いたように顔を上げる。至近距離で、ジュークは苦笑した。


「呆れるだろう? 分かっているのだ。そなたら側室を自分勝手に遠ざけ続けた俺に、そなたを求める資格なんて本当はない。俺に子どもがいないと国の存続が危ういと貴族たちは言うが、『王』なんて居なくても『国』は回る。跡継ぎがいないなら、俺が死ぬまでに『王』のいない政治体制を整えれば良い話だ。そうすれば、血眼になって正妃を決める必要なんてなくなる」

「ずっと……そのようなことを、考えていらしたのですか?」

「側室たちを苦しめてきた俺が、どの面下げて『正妃を選ばせろ』なんて言える? それよりは生涯独り身を貫いて、国の仕組みを変えた方がずっと誠実で堅実だ。そうすべきだと頭では分かっているし……民の力が強くなっている現状を見ても、王家と貴族が(まつりごと)を独占するよりもっと、国にとって有益なやり方があるのではないかと思う」


 呆然とするシェイラの髪を、ジュークは優しく撫でて。


「全部知って、そなたが俺より紅薔薇を好きでも当然だと分かって。……本当にそなたの幸せを願うなら、俺よりもっと、」

「――お止めください!」


 鋭い声で、シェイラがジュークの言葉を遮った。驚いて言葉を止めたジュークの腕の中で、シェイラがしがみついてくる。


「私への、意趣返しのつもりですか?」

「意趣、がえし?」

「私が以前、『正妃に相応しいのは紅薔薇様』だなんて言ったから。同じように陛下も、私を他の方と娶せようと?」

「そんなわけがないだろう! ……できるわけないという話をしたいんだ、最後まで聞いてくれ」

「仮定でも聞きたくありません。どうしてそんなに、自虐なさるのです? 陛下はこれから先の人生、全てを国と民に捧げてしまわれるおつもりなのですか?」


 真っ直ぐに言われて、ジュークは静かに笑う。


「シェイラ。王とはそういうものだ」

「否定はいたしません。けれどだからといって、陛下が陛下の……『ジューク様』の幸せまで諦める必要はないはずです」

「さんざん、そなたたちを不幸にした俺が?」

「あまり女を見くびらないでくださいませ。少々の苦労で人生を『不幸』だと捨てるほど、私たちは弱くありません。陛下には確かにさんざん苦労させられたかもしれませんが、それを不幸にするか幸せにするかは、私たちの心持ち一つです。少なくとも私は、たくさんのお友だちと、大切な親友と出会えたこの一年を、不幸だったなんて思えませんわ」


 何かのスイッチが入ったのか、シェイラの言葉は止まらない。目を丸くするジュークを見返し、彼女は言葉を紡ぐ。


「この国をこの先どのように導くのか、それを決められるのは王であるあなた様です。ですけれど、どんな『国』を創られるにせよ、そのために『ジューク様』を殺さないで。――私の大好きな、あなたを」

「……っ、シェイラ、そなた今、何を」

「好き、なのです。私はきっと、ずっと前から、あなたのことが。『王』であるあなたも、その重さに震えながら必死に立とうとしている、ただの『ジューク様』も、私には等しく大切で。……一つあなたを知る度に、知らないうちに好きになっていました」


 背に回していた腕に力が入り。気がついたときには、強く深く、シェイラを抱き込んでいた。

 細い腕が、控えめに、けれども躊躇うことなく、ジュークを抱き返してくれる。


「……いけませんか?」

「え……」

「私が、あなたを……ジューク様を幸せにしたいと思っては、いけませんか? 僭越なのは、分かっています。けれど、こんな風に誰かを愛しく感じて、その気持ちだけで幸せで、もらった分そのひとのことを幸せにしたいなんて、思ったこと無くて」

「シェイラ……」

「捨てたく、ないんです。気持ちを殺すのって、本当に辛くて苦しかったから。同じように苦労するならこれからは、この気持ちを生かして未来を目指す苦労をしたいと、私は……」


 強気だった声が、次第に濡れて萎んでいく。泣いているのだと分かって、ジュークはあやすように髪を撫でた。


「泣くな、シェイラ」

「ですが……やはり、遅かったのかと」

「違う。……違う」


 何度も何度も、頭を振って。そっとシェイラの、濡れた春空の瞳を覗き込んだ。


「信じられないんだ。俺はいつだって、自分勝手な感情をそなたにぶつけることしかしていなかったから」

「そのような。陛下はいつも、お優しくていらっしゃいました」

「……名を呼んでくれ、シェイラ。王でない俺も大切だと、そう思うなら」

「ジューク、さま」

「目指して、くれるのか? 俺と共にある、未来を。――そなたを正妃に望んでも、俺はそなたから怨まれないか?」

「私を隣にと、望んでくださるのですか?」

「ずっと言っていたはずだ。俺が望むのはシェイラ、そなただけだと」


 泣きながら、シェイラは。

 心の底から幸福そうに、それはそれは綺麗に笑った。

 感極まって言葉を返せず、頷くことしかできないシェイラに、ジュークも同じく笑って。


「ありがとう、シェイラ。……愛している」


 ゆっくりと距離を縮め、その可憐な唇に、柔らかな口づけをした――。




 な、ラブシーンが展開されている過疎廊下の壁。その中を通る、隠し通路では。


「うっわ。王様、何だかんだで手が早いねー」

「……王子様がお姫様にキスをしてめでたしめでたしは、物語の定番だけど。ここまでお約束を踏まなくても良いのに」

「あれ、ディー不機嫌?」

「不機嫌っていうか、いたたまれない。他人様の恋愛事情なんて、覗き見るモノじゃないわね」

「上手くまとまるか心配で見届けたいって言ったのはディーでしょ?」

「それはそうなんだけど」


 こちらも同じく夜会をこっそり離脱した側室『紅薔薇』と、後宮だけでなく割とどこにでも神出鬼没な隠密『仔獅子』が、勝手な感想を言い合っていた。

 見た目に反して本気でお人好しな少女は、親友と王のラブシーンをうっかりばっちり目撃してしまったことに、無意味な罪悪感を抱く。覗き穴から目を逸らし、心持ち壁から離れてため息をついた。


「シェイラが陛下に気持ちを伝えられて、それは本当に良かった。良かった、んだけどね?」

「うんうん。最後、一気に空気が変わったからねー」

「自慢じゃないけど、キスシーンとか見るの初めて」

「お芝居見たと思って流しときなよ。良かったじゃん、イロイロあったけど上手く収まって」

「収まりはしたけども。……『それから二人はいつまでも幸せに暮らしました』には、まだ遠いかなと思って」

「あー……そこは、ねぇ。シェイラさんが正妃になるには、まだもうちょい片付ける課題があるから」


 どちらかといえば商人の娘として育てられていたシェイラは、基本的な礼儀作法は何とかなっても、上流階級に通用するだけのハッタリはまだ身につけられていない。正妃になるなら、それに相応しい教育というものが必要になってくるだろう。

 そして、シェイラという『新興貴族家出身の男爵令嬢』が正妃になるという点において、最大の懸念である過激保守派の筆頭、ランドローズ侯爵家のリリアーヌが、後宮にまだ居座っている。……姿を見せない謎の『敵』もきっと、このまま引き下がりはしないはず。

 リリアーヌがいる限り、現『紅薔薇』が――ディアナが後宮から離れることはできない。今の均衡があるのは、ディアナという『非常識な伯爵令嬢』が『紅薔薇』だから。存在も行動も常識外れな彼女なら何をしてもおかしくないから、まだリリアーヌの行動を抑制できているのだ。ディアナが後宮から去れば、いくらマグノム夫人が有能でも、『牡丹派』とその後ろにいる過激保守派を抑えるのは困難だろう。


「約束は……」


 意識せず、うっかり零れた言葉に、零した本人がいちばん驚いた。口を閉ざしても、出てしまった言葉は戻らない。

 狭い隠し通路の中、触れるほど近くにいたカイに、その言葉が聞こえないワケもなくて。

 きょとんと彼が見返してくる。


「約束って……ショウジの町を見に行く、あの約束?」

「……ごめんなさい」

「なんで謝るのさ」

「だって、私。カイをずっと、待たせてる」


 俯くディアナに、カイは困ったように笑って。優しく、手を握ってくれた。


「待ってないよ」

「でも」

「何度も言ってるでしょ。俺はディーの傍で、ディーの全部を守れたらそれで良いの。後宮にいるディーも、いつか後宮から出て広い世界を見に行くディーも、俺がずっと守る。大事なのは『ディー』なんだから、約束を果たすまでにかかる時間とか、気にするわけない」

「カイ……」


 どうしてか泣きたくなって、衝動的にその胸に飛び込んだ。

 一瞬の間を置いて、いつも自分を翻弄するくせにどうしてか安心してしまう腕が、ぎゅっと抱き締めてくれる。


「……ディー?」

「ほんと、物好きなひと。私、そんなに必死に守らないとって思うくらい、危なっかしい?」

「まぁ、安定はしてないよね。けど、ディーを見ててはらはらするのと、俺がディーを守りたいのは、あんまり関係ないよ」

「……どういう意味?」

「たとえばディーがめちゃくちゃ強くて、俺の助けなんか必要なかったとしても、俺はディーを守るだろうってこと」

「どうして……」

「俺が守りたいからに決まってる。……俺にとってディーは、それだけ喪えない存在だから」


 痛いくらいに抱いてくれる腕が、どうしてか心地良い。しがみついて、目を閉じた。


(……特別な『好き』とか、まだよく分からないけど。こうして抱き締めてくれるのは、カイだけが良い。それだけはもう、分かってる)


 ディアナがカイと体温を分け合う中、シェイラがジュークに促され、二人でその場を立ち去るのが壁向こうの気配で分かった。夜会のお開きに特に王は必要ないため、今夜はこのまま後宮へ直行だろうか。

 二人を見送って、ディアナは何となく腕を解き、カイと視線を合わせて笑った。


「……何はともあれ、おめでたいことよね」

「だね。国にとっても俺たちにとっても、大きな一歩なんじゃない?」

「えぇ。先のことを今から心配しても仕方がないし、今夜は素直に祝杯でも上げておきましょうか」

「おー、良いね。俺たちも後宮に戻る?」

「ちょっと時間をずらしてからね」


 未来は明るいと信じる者たちを、冬の月が静かに優しく、見守っていた――。















  † † † † †



 室内灯が一切点っていない、どこかの部屋の中。窓から差し込む月明かりと暖炉で爆ぜる炎が、うっすらとその全貌を照らし出す。

 暖炉の傍らにある丸テーブルにて男が一人、上に置かれた遊技盤(ボード)に駒を並べ、相手の存在しない遊技(ゲーム)に興じていた。


「カレルド商会は壊滅。タンドール伯爵家の滅亡により、伯爵家が支援していた海運産業は衰退せざるを得ないだろう。……盛り返しがないように、金の流れを止める必要があるな」


 コツコツと駒を進めた男は、やや苦い表情で手を止める。


「やはり出てくるか、クロケット紡績商。キール伯爵家より、注意すべきはこちらだ。業績順調の新興貴族家は、弱味が少ない分手強い……」


 相手不在で並べるだけ並べられている駒も、まるでその動きが見えているかのように動かして。彼はふむ、と頷いた。


「『紅薔薇派』の四名が去ったことで、後宮の均衡はまた変わる。タンドールの娘含め、新興貴族でないながらも『紅薔薇派』についたあの四人の影響は大きかった。『牡丹派』も三名の側室を失ったが、基本的にあちらにはリリアーヌ嬢以外、抜きん出た代表者はいないからな。三人の代わりになる娘はいくらでもいる。一方で『紅薔薇派』は、タンドールらの穴埋めをするためにどうしても、後宮内の地位を見直す必要が出て……」


 カツ、コツコツ。男の手によりリズミカルに、駒は盤上で踊って――。

 手を止めた男は、不敵な笑みを浮かべた。


「無い弱味なら、作れば済む。幸いクロケットには、特大の爆弾があるからな」


 恋に溺れた若者は、いつの時代も絶好の駒だ……と、男はくつくつ笑いながら、盤の外に弾かれた駒たちを眺めた。


「ノーマードは残念だったな。もう少し冷静に女を見ていれば、あんなに早死にすることはなかったが。愛する女に殺されたんだから、あれはあれで幸せだっただろう」


 呟きつつ、男は敵陣に置かれた、獅子を象った駒にふと目を留める。この獅子は、ある条件下においてのみとんでもない威力を発揮する駒で、しかし最初の配置から、獅子の条件を発動させるのは凄腕のプレイヤーでも至難の業とされていた。

 ――今。敵陣の『獅子』は、実質つけるのは不可能とすら言われている最強の位置、『姫』の斜め前に敢然と立っている。


 これまでは楽しげに駒を弄んでいた男から余裕が消え、忌々しげに獅子を睨みつけた。


「恋に溺れて身を持ち崩すどころか、恋を知ることで死角をなくす唯一の『駒』か。……真実、お前だけは読み切れなかったよ。まさかあれほどの霊力(スピラ)を隠し持っていたとは。私を欺き通したその手腕だけは褒めてやろう」


『獅子』を動かそうとして、男の手が止まる。排除すら不可能と悟ったかのように、その手はうろうろと盤上を彷徨って。

 今度は(ケース)の中に収められた、新たな駒に手を伸ばした。


「『獅子』を動かせないのなら、『姫』を動かせば良い。どれほど『獅子』が想いを寄せようと、古今東西、姫は王子と結ばれるのが世の理だ」


 ゆっくりと、男の手が『姫』に触れて。


「待っていろ、ディアナ。今度こそ。今度こそお前を、その場所から救い出してやる――」


 薄闇の中、誰も知らない『駒遊び』は続く――。






さてさて。皆様言いたいことは山ほどおありと存じますが、まずはひとまず活動報告へお願いします!


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― 新着の感想 ―
[良い点] まだにねんめがありますがひとまずここで感想を しっかりと物語が練られている作品を久々に見ました。話数がそこまで多いわけではありませんが、文字数はとても多く濃密な物語でした。にねんめも楽しみ…
[一言] 再開お疲れ様です。 待たされすぎて、恋バナと議会裁判の結末以外すっかり忘れてしまい、王家との関係とか昔のいきさつとかいろいろ復習のために読み直しました。 また楽しませてください。
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