議会、花の戦
メリークリスマス!
夜も明けきって少し時間はズレましたが、私から読者の皆様へ、ささやかながらクリスマスプレゼントです。
後宮に咲く麗しの花々による、しなやかで強かな戦いをどうぞ。
「――さて」
幾度目かの絶句による静寂を作り出したシェイラの後を、こんなときでも完璧な笑顔のライアが引き継いだ。特徴的な彼女の声は、一瞬で衆目を集める力を発揮する。
「シェイラ様のお話の前に、私の口から、後宮側の見解を説明いたします。シェイラ様と同じく私も、ディアナ様の無実を確信する一人ですので」
「……代々王国の秩序を重んじておられる、ストレシア家のそなたが?」
「実家の歴史を、さも私自身のように受け取られるのは心外ですわ。それに今のお言葉は、ディアナ様がまるで、王国の秩序を軽視しているかのように感じられます。正妃の栄誉も受けられぬ、名ばかりの『紅薔薇』と心ない人々の嘲りを受けながら、ディアナ様がどれほど王国と後宮のため、奔走を続けてこられたか。その内実を知る方ならば、間違ってもそのようなことは申せますまい」
……どうやら臨戦態勢を整えているのは、シェイラだけではなかったらしい。ライアがここまではっきりと己の意思を表に出し、怒りを言葉に乗せるのは、ディアナが覚えている限り初めてのことである。
貴族らしい言い回しで、処刑推進組を『黙れ』と一喝したライアは、ヨランダ、レティシアと頷き合い、口を開く。
「昨日未明、私のもとに、とんでもない報せが舞い込みました。後宮にいらっしゃるはずのシェイラ様が、何者かによって拐かされ。その一件を企てた『首謀者』として、ディアナ様が王宮側に捕らえられたというものです」
「しかも、話によれば。ディアナ様を捕らえた騎士は後宮内で剣を抜き、『紅薔薇の間』の侍女、女官の命を質にするかのような振る舞いで、有無を言わせずディアナ様を連れ去ったとか」
「捕らえる際、既に死刑は決定しているかのような口調でもあったと、聞き及んでおります」
ヨランダとレティシアの援護射撃を受け、ライアは厳しい眼差しで、議会をぐるりと見渡した。
「私どもは、王宮よりの通達を受け、国王陛下の無聊をお慰めするべく、後宮へとやって参りました。いわば後宮は、王のためにだけ咲く、王の花園。――その頂点に咲く『紅薔薇』を、そのように暴力的な手段で連れ去ることは、王宮による我ら後宮への侮辱と受け取るに、充分すぎるものにございます」
「違う! そ、そのようなつもりは」
「お黙りなさい、ユーノス王宮騎士小団長。あなたがどのようなつもりであったかなど関係ない。側室筆頭たる紅薔薇様への侮辱、それ則ち後宮全体への侮辱です」
「もちろん、その当代『紅薔薇』の罪が明らかなものならば、わたくしたちがここまで参る筋合いはないでしょう。けれど、ディアナ様がシェイラ様の拐かしを企てるなど、それこそ世界が終わってもあり得ぬこと」
「な……何故、言い切れるのだ!」
「簡単なことです。ディアナ様が側室筆頭として、どれほど側室方の待遇改善と保護に努めていらしたか、ずっと見て参りましたから」
断定したレティシアの後から、『隠れ中立派』にしてシェイラの友人、リディルとナーシャが進み出る。
「アーネスト男爵が長子、リディルと申します」
「クロケット男爵家に名を連ねております、ナーシャにございます」
「私どもは、紅薔薇様がシェイラ様を、後宮の女同士の争いの場から救い出される様を、何度も間近で見て参りました」
「紅薔薇様のお考えを、ご本人様から直接拝聴できるほどの親交があったわけではございません。しかしながら、お言葉を、その振る舞いを拝見すれば、紅薔薇様がいつも側室筆頭として私たちにお心を砕いてくださっていると分かります。……牡丹様とは、何もかもが違いましたから」
突如出てきた、ここにはいない『側室』の名に、向かって右側の議会席がざわりと不穏に動いた。
ランドローズ侯爵が、ぎろりとナーシャを睨む。
「……そなたが申しておるのは、我が娘、リリアーヌのことか」
「はい。紅薔薇様がいらっしゃるまでの後宮で、側室筆頭の地位にあった『牡丹の間』ご側室、リリアーヌ・ランドローズ様にございます」
「クレスターの娘と、我が娘を比較するとは。無礼も大概にせよ」
「何故でしょう? 牡丹様もまた、短い時間ではあっても、側室筆頭でいらっしゃった。同じ立場にあった方を、下の者が見比べることなど、よくあることです」
「己の言葉がクロケット男爵家に連なると知って、そのように生意気なことを申すのか」
ランドローズ侯爵の言葉は実に分かり易い脅しであったが、ディアナも密かに同感だった。
ナーシャはいつも控え目で、こんな風に議会の場で、敵対派閥の頭に喧嘩をふっかけるような娘ではなかったはずなのに。これも打ち合わせかと思ったけれど、レティシアの案じる瞳が見えたから、おそらくナーシャの即興だろう。
あからさまな脅しにナーシャは、どこか吹っ切れたように微笑んだ。
「いいえ。私とクロケット家の連なりなど、書類上だけのもの。私如きの行動一つで揺らぐ男爵家でも、クロケット紡績商でもございません。――それ故に私は、この言葉を告げると決めた」
「何を……」
「紅薔薇様は、牡丹様とは違います。側室の頂点に立つお方が、皆同じように考え、振る舞われるなんて、お思いにならないでください」
牡丹様が壊したものを、紅薔薇様が心を尽くして、修復なさったのです――。
お前たちが言う『紅薔薇の暴挙』は『牡丹様』のことだろうと、遠回しに告げたナーシャに。
黙っていられなくなったらしい、右側の貴族たちが、次々に立ち上がる。
「小娘! ランドローズ候になんたる口を!」
「どこまで無礼なのだ!」
「何をしている、早くこの女をつまみ出せ!」
「クロケット男爵! そなた、娘にどんな教育をしておるのだ!!」
矛先が向いたクロケット男爵は、実に美麗な壮年男性だった。争いごとが苦手そうな柔和で美しい顔立ちの中で、爛々と光る新緑の瞳が彼の全てを物語っている。
「娘への教育ですか? このような場で負けることのない、強い心を持つようにと、心を込めて育てて参りました。友を、尊敬する人を見捨てず、戦う覚悟を決めた娘を、私は父親として誇りに思います」
「――貴様!」
「少し冷静になっては如何ですか? ……それとも貴殿はこの場で、紅薔薇様がいらっしゃるまでの後宮について、私を含む多くの者たちから問い質されたいと?」
「それは今、関係なかろう!」
「どうですかな。娘たちの言葉を聞く限り、まったくの無関係とは言えないようだ。――ナーシャ」
優しく、柔らかに。紛れもない愛情を込めて、クロケット男爵は娘を呼ぶ。
「家のことを気にする必要はない。思うように、動きなさい」
「おとうさま……」
「紡績は何も、この国でしかできないわけではないんだ。この国が我が家を必要ないと言うのなら、河岸を変えれば済む。――国王陛下も、娘への愛情と忠節を秤に掛けよとは、まさか仰せにならないだろう」
毒を以て毒を制すならぬ、脅しを以て脅しを制す、鮮やかすぎる反撃である。現在の王国を正しく把握できている貴族たちが、揃って顔色を変え、一斉にこの国の頂点の反応を窺った。クロケット男爵家はエルグランド王国の紡績業トップ、かの家が独自に開発し、独占している技術も多い。そんな家が国を見限り、他国に移住してしまえば、王国の紡績業が一気に衰退してしまう。『家を潰すぞ』という脅しに、『別に良いよ、移住するから。けど、それで困るのはどっちだろうね?』と返すクロケット男爵は、駆け引きに長けた商人であり、政治家だ。
保守派と革新派の、火花散る対決。それを目の当たりにした王は、皆が注目する中で、ゆったりと言葉を紡ぐ。
「――そうだな、クロケット。秤に掛ける必要はない。娘御への愛情と同じく、王国へも心を傾けてくれるよう、私も王として心を尽くそう」
臣下の忠節を強制するのではなく、夏までの後宮について明言するわけでもなく。
ただ、『これからの自分を見てくれ』と暗に伝えることで、離れそうなクロケット男爵の心を引き留めた。
男爵の瞳に、意外そうな、どこか面白がる光が宿る。そのまま、彼は優雅に一礼した。
「勿体ないお言葉にございます」
「うむ。……睡蓮よ。側室たちに、紅薔薇が心から慕われていることはよく分かった。しかしまさか、それだけがそなたの申す、『後宮側の見解』ではあるまい?」
ここに来てジュークは、肝が据わってきたらしい。話を戻すタイミングもばっちりだ。
ジュークの言葉を受け、ライアは頷く。
「はい。私どもは最初からディアナ様の無実を信じていたと、それをまずはお伝えしたかったのです」
「だが、心証だけでは証明にならぬ」
「無論のことです。シェイラ様の誘拐とディアナ様の捕縛の報せを受け、私たちは速やかに、ディアナ様の無実を証明すべく、調査を開始いたしました」
ライアの言葉を受け、女官服を着た女性が進み出る。後宮組にはお馴染みでも、外宮の貴族たちはおそらく忘れ去っていた存在、シャロン・マグノム女官長だ。
マグノム夫人はまず、ジュークに向かい一礼する。
「陛下。此度の騒ぎにつきまして、お詫び申し上げます。ご側室様が後宮より連れ去られるなど、あってはならぬ重大事。事前にくい止めることができず、誠に申し訳ございません」
「謝罪は必要ない、マグノム女官長。顔を上げてくれ。そなたにとっても、想定外の事態であったろう」
「内宮における責任を担う者として、そのように甘えたことは申せません」
ジュークの言葉に従い顔を上げた彼女は、その厳格な風情をさらに硬質にした瞳で、ジュークと、宰相ヴォルツを同時に見た。
「紅薔薇様の罪状について、私からお集まりの皆様へご説明申し上げることを、お許し頂けますでしょうか」
「もちろんだ。現女官長である夫人以上に、後宮の内実に詳しい者もおらぬだろう」
「感謝いたします、陛下」
マグノム夫人の振る舞いは、所作もその言動もまさに、貴婦人中の貴婦人だった。頭のてっぺんから爪先に至るまで、その動きには一切の無駄がなく。誰を責めるでもなく己の非を素直に認めて謝罪し、自然な流れで国の頂点を立てることで、自らが動きやすい舞台を作る。
美しくたおやかなのに、攻撃される隙を見せない。しなやかに曲がりながら、しかし決して折れることのない強かな『貴婦人』の有り様に、場が一瞬で呑まれたのが分かった。
女官長らしい、足音を立てない歩き方なのに、議会の中央に進み出るマグノム夫人から誰もが目を逸らせない。
「このような場に参り、僭越ながらも発言しますことを、お目零しくださいませ。前マグノム侯爵が妻女、シャロンにございます。現在は内宮にて、女官長の職を拝命いたしております」
「久しくお姿を拝見してはいなかったが、ご健勝のようで何よりだ、マグノム夫人」
「ありがたいお言葉にございます、ユーストル侯爵様。奥様はお元気でいらっしゃいますか?」
「あぁ。娘からの手紙であなたが女官長になられたと知って、あれも会いたがっていた」
「私も久々に、昔お世話になった方々と、お会いしとう存じます」
マグノム夫人の言葉に笑って頷くユーストル侯爵と、同じく朗らかに笑うストレシア侯爵。娘が『名付き』の側室として後宮入りしている二人がマグノム夫人に好意的なこともまた、彼女の議会での発言力を強化していく。
場を完全に染め上げたマグノム夫人は、ここでようやく議会の右側、ディアナを処刑したくて仕方がない方々に向き直った。
「此度の、ご側室シェイラ・カレルド様の誘拐における紅薔薇様の関与につきまして、後宮で調査した結果をご報告いたします。――結論から申し上げれば、そのような痕跡は、後宮からは見つかりませんでした」
「そ、そのようなはずはない!」
「事実にございます。そもそも、外宮の皆様方はどのような根拠があって、紅薔薇様を誘拐事件の主犯と確定なさったのですか」
「何を言う! 実際に悪事に手を染めた三人ともが、『紅薔薇様の権勢を確かなものに』と証言したのだぞ」
「では、その証言以外の、物的証拠は?」
相手陣営の『根拠』にも、マグノム夫人はまるで揺らがない。即座に切り返し、黙らせる。
答えが返ってこないことを確認して、夫人は改めて口を開く。
「もちろん、私どもの調査により、紅薔薇様の関与を示す証拠が見つかる可能性もございました。私どもは紅薔薇様を最初から信じておりましたが、それにより調査が偏向するのは、公正さに欠けます。後宮内の全女官、侍女に対し、紅薔薇様に関する情報は、どのようなものであれ全て報告するようにと通達しました。しかしそれでも、紅薔薇様の関与を示す証拠、証言は見つかりませんでした」
マグノム夫人の言葉に、証言台に立たされたままのハーライ侯爵が顔色を変える。
「馬鹿な……! 後宮では、『紅薔薇派』の側室たちによる暴挙は紅薔薇本人の指示と、言われていたはず」
「えぇ。確かに一時期は、そのような噂もございましたが」
夫人が視線を流した先には、紙束を抱えた女官たちの姿がある。その中の一人が進み出て、夫人に束の一つを差し出した。
「その噂について、後宮が調査した結果がこちらです。噂を聞いた侍女たち一人一人に誰から聞いたのか尋ね、その経路を辿る形で噂のもとを割り出しました。その結果、最初に『紅薔薇様はシェイラ様を邪魔に思っている』と言い出したのが、そちらに座っているタンドール家の私的侍女、ベルであったということが判明したのです」
年が明けてしばらく、ソフィアたちの動きについて後宮で密かに流れていた噂とその絡繰りについては、ディアナも報告を受けている。さもマグノム夫人が調査したかのような印象を受けるが、これを調べてくれたのは主にレティシアだ。しかも、かなり前に。
議会で投げ掛けられるであろう問いを完全に予測し、資料を完璧に揃えて準備万端整えるマグノム夫人には、もう『さすが』以外の言葉が見当たらない。
資料まで揃えられての『調査報告』に、ざわりと議会が揺れる。マグノム夫人は一つ頷いて。
「実行犯本人が蒔いた噂を、根拠にすることはできません。私どもは引き続いて、紅薔薇様ご本人と実行犯との間に接触があったかどうか、調べることにいたしました」
別の女官が差し出してくれた冊子を、マグノム夫人は見えるように開く。
「これは、後宮にて保管されている、側室方の外部とのやり取りを記録したものです。こちらをご覧になれば一目瞭然と思われますが、紅薔薇様は月に一度、多くて二度三度、ご実家にお手紙を出される他は、外部と一切の連絡を取っておられません」
「そんなものは証拠にはならん! そなたを介さず、後宮門を守る騎士に小金を握らせて、やり取りさせれば済むことだ!」
「えぇ。ですがそのためには、紅薔薇様ご本人か、紅薔薇様に近しい者が、何らかの形で王宮騎士に託す必要がございます。国王近衛騎士の皆様方が、年が明けてからの警備記録を片手に、後宮門の警備を担当した騎士様一人ずつに聞き取り調査を行ってくださいましたが、どなたも覚えがないそうです。――ベルと、ライノ・タンドール様との間を取り持った方ならば、何人かいらっしゃいましたが」
「し、しかし……そこのベルとやらは、常の居所が後宮だったはず。ベルならば、手紙を介さずとも紅薔薇の指示を受け、それをライノ宛の手紙に記すことは可能であった」
「私は一言も、ベルとライノ様のやり取りが『手紙』だったとは申し上げていないのですが……そちらの方は随分とお詳しいのですね?」
名前も知らない(おそらくデュアリスとエドワードは把握しているだろうが)処刑推進組の貴族が、マグノム夫人に刺されて押し黙った。これもまた、実に遠回しな『オマエ、喋るとボロが出るだけなんだから、もう黙れよ』という貴族風の忠告である。
「そちらの方が仰いましたように、ライノ様とベルは手紙によってやり取りしておられました。確かに後宮にいたベルならば、紅薔薇様から口頭で指示を受けることも可能です。……が、紅薔薇様は後宮最高位のご側室として、常に数名の侍女と行動をともにすることがほとんど。一方のベルもタンドール伯爵家からソフィア様に付き従い後宮に参った私的侍女として、ソフィア様の側を離れることは稀でした。二人が顔を合わせる機会は紅薔薇様が主催した茶会くらいでしたが、そこでも接触はなかったと、侍女たちの証言は一致しております」
「分かるものか! 裏で繋がっていたのならなおさら、表向きは無関係を装うはず」
「――いいえ。紅薔薇様とベルに、面識はございません。ようやく、それを示す証拠が見つかりました」
突如前触れなく響いたのは、迷いなく強い、男の声。
資料を抱え、議会の入り口に、キース・ハイゼットが堂々と立っていた。
マグノム夫人の横まで進み、キースはジュークに向かって膝をつく。
「突然割り込むような無礼をいたしまして、申し訳ありません」
「良い。――よく、間に合ってくれた」
「とんでもない。遅くなりましたこと、室長に代わり、お詫びいたします」
「何を言うのだ。そなたらに無理難題を押しつけたのは私だ。謝る必要はない」
おそらく、ここに集まった貴族のほとんどは、キースがどこの部署に所属するどんな官吏かすら知らないだろう。
まったく無名の官吏が、国王陛下と確かな信頼関係を見せることに、誰もが驚きを隠せずにいる。
ジュークが力強く頷いた。
「キース・ハイゼットよ。そなたが調査し、得た結果を、ここに集まった者の前で報告せよ」
「御意」
ここに来て、議会がこれまでとは違うどよめきに包まれた。
今まで発言した者たちは皆、事情や思惑は違えど自分から発言を求め、それを王に了承される形だった。
しかし、キースは違う。彼は王の命を受けて何かを調べ、その結果を報告するように、やはり王に命じられた。
即ち、彼は。この局面で初めて現れた、『王の意図を汲んで動く、王の代弁者』なのである。彼の言葉はそのまま、王の意思となる。
眼鏡の奥で、キースの瞳が厳しく光った。
「ハイゼット子爵が嫡男、キースと申します。――陛下のご命令に従い、私たちは、誘拐事件の実行犯を集めたライノ・タンドールとオレグ・マジェンティスについて、調査を行いました」
「そちらの方から、紅薔薇様とベルの無関係を示す証拠が見つかったのですか?」
「はい。確かな物的証拠です」
キースが取り出したのは、なんの変哲もない、一通の書簡だった。
貴族たちに向け、キースは声を張り上げる。
「我々は、タンドール伯とマジェンティス伯の協力を得て、それぞれの屋敷にある、彼らの部屋を調べました」
「なに……?」
「その二人は、何故ここにいないのだ!」
貴族議会は、通達を受けた家に属する者なら誰でも出席可能であり、同時に出席拒否も可能だ。タンドール伯爵は革新派急先鋒、マジェンティス伯爵は安定中立の家であり、今回それぞれの息子が捕らえられているという関係から、通達を受けないなんてことはあり得ない。にもかかわらず、議会に姿を見せないということは。
「お二人は、息子であるライノ殿とオレグ殿の所行に心を痛められ、『どのような処罰も受ける。議会の決定には全面的に従う所存』という伝言を、我らに託されました。実行犯を集め、シェイラ様を拐かしたのは間違いなく、ライノとオレグの二人。その事実を重んじたゆえの、タンドール伯とマジェンティス伯のお心です」
キースはぐるりと、議会を見渡して。
「ですがお二人は同時に、『何故息子がこのような悪事に手を染めたのか、真実を知りたい。その解明のためならば、全面的に協力する』とも仰ってくださいました。屋敷の捜索にも応じていただき、そのおかげで、こちらを押収することが叶ったのです」
宣言し、キースはゆっくりと、書簡を開いていく。
「こちらは、ライノの部屋にあった、オレグからの手紙です。その中にこんな一文がありました。『もしも万が一、我らの所行が明るみに出ても。我らの誰一人、後宮にいるベルですら紅薔薇様と関わりがない中で、紅薔薇様に嫌疑が及ぶことはない。我らはただ、紅薔薇様の権勢を確かなものにし、そなたの妹を苦しめた保守派の者たちを排し、王国を繁栄に導くための捨て石となればそれで良いのだ』――」
静かに紡ぎ出されたオレグの言葉に、ただただ眼差しだけが、瞳も虚ろな彼へと向かう。
ここに来て明かされたオレグの『心』に、彼と目が合って真っ先に謝られたことが、嫌でも思い出された。
(そう、か。だから――)
悪事を働いている自覚はあった。当然だろう。『寵姫』の誘拐なんて、どこから見ても犯罪だ。
けれど、その自分たちの悪事に『紅薔薇』を巻き込むつもりだけは、彼らにはなかったのだ。
オレグ・マジェンティスの動機は、嫡男である兄よりも、王宮での立場を堅固なものにすること。外宮室が導き出した予想は、おそらく外れてはいないだろう。兄を出し抜き跡取りになりたいと、もしかしたら思っていたかもしれない。オレグが野心家であり、ずる賢い一面もあったことは、間違いないようだから。
けれど、きっと。それだけが理由ではなかったのだ。野心のみに動かされ、登り詰めるためなら誰を切り捨てても構わないとは、オレグは思っていなかった。
野心はあった、兄を越えたい気持ちもあった。そして、それと同じくらいに――きっと彼は彼なりに、国と友人を案じていた。そう……信じたい。
(そうじゃなかったら、心が破壊される寸前で、真っ先に謝ったりしないもの……)
どれほど国を案じても、友人の力になりたくても、結果として悪事に手を染めたオレグに、同情はできないけれど。……あなたの本心をあなたの言葉で聞きたかったと、願うくらいは赦されるだろうか。
数百人が一堂に会した空間を、静寂だけが支配する。
誰もがオレグを見る中で、キースは静かに書簡を閉じた。
「ライノとオレグが保管していた書簡は、そう多くはありませんでした。普通、謀を事細かに記した『証拠』を、いつまでも手元に置いてはおかないでしょう。燃やすなり、ちぎって捨てるなり、処分のしようはいくらでもあります。……その中で、数少ないながらも残されていた、それらは。国を憂い、たとえ間違っていても進むしかないのだと、互いの決意を記したものばかりでした」
彼らなりの、戒めのつもりだったのかもしれません――。
落ち着いた、けれど『実行犯』たちを悼むキースの言葉が、議会場に響いて消える。
余韻が収まるその前に、我慢ができなくなったらしい、保守派の貴族が立ち上がった。
「あ……あり得ぬ、あり得ぬ! その者共に、そのような殊勝な考えがあったなど!」
「いいえ。この書簡が、動かぬ証拠です」
「それが、息子を庇いたいタンドールとマジェンティスの偽造でないと言い切れるのか!」
「ライノもオレグも王宮に勤めていた官吏。二人が作成した提案書や指示書は多く保管されております。筆跡鑑定ならすぐにできる。二人はそこそこに親しい間柄で、手紙をやり取りするのも不自然ではありませんでしたから、何通かには民間の運び屋を使った印もありました。日付と店の名前も残っておりましたので、その手紙がいつどこでやり取りされたものなのかも分かります。――ここまで揃っていてなお、偽造を疑いますか?」
立ち上がった彼は、ぐうの音も出ない。黙ったままの彼を、キースは一瞥して。
「私は他にも、気になっていることがあります。オレグからライノへの手紙は、主にこれから先の指示でしたが、時折その方針が唐突に切り替わっていたのです。一通だけ、方針転換の指示を書いた手紙に日付が記されておりましたので、その頃変わったことがなかったかと、マジェンティス家に話を聞いたところ……『見慣れない者とオレグが、密かに言葉を交わしていたところを見た』という証言が得られました」
「それ、は……」
「不自然な方針の変更と、その少し前にオレグが誰かと会っていた事実。証言者の話によるとその人物は、目を引く赤銀の髪をしていたそうですが――」
わざとらしく、キースはここで言葉を切り。ぐるりと議会場を見回して、深々と息を吐いた。
「本当に残念です。もしもそんな珍しい髪をお持ちの方がいらっしゃれば、是非ともお話をお伺いしたかったのですが。状況から見て、オレグもまた、誰かの指示を受けていたことは明白のように思われます。オレグに『指示』を伝えたと思われる赤銀の髪の持ち主を、我々は引き続き、探して参る所存です」
オレグの先に、さらに『誰か』がいたという事実。そしてその者が赤銀という、なかなかにない髪色をしていたという証言に、今度はわずかに左側がざわめいた。蒼白な顔色で、一人の男性が、今にも飛び出したいような素振りを見せている。
ひょっとして、彼がオルティア侯爵だろうか――ノーマードの、父親の。
(あの様子じゃ、侯爵は無関係みたいね……)
この議会の場にノーマードはいない。いずれ男爵位を拝命することが内定済みの彼ではあるが、今はまだ、現オルティア侯爵の子どもという肩書きしかないからだ。息子であっても貴族、議会に参加する権利はあるけれど、議席に限りがある状況ゆえに余程のことがない限り、議会には当主のみが出席する習わしなのである。
ノーマードは、リリアーヌと繋がっている、この一件を企んだ保守派の『核』だ。その存在をほのかにキースが掴んでいると知って、これまで無関係を装って傍聴していた保守派貴族の何人かが僅かに動揺を表に出した。……ほんの一瞬だけ、眉を上下させたランドローズ侯爵も、その中の一人だ。
あからさまに『敵』を挑発したキースだが、深追いは危険だと分かっているらしい。それ以上追求はせず、全体に向けて声を上げる。
「オレグとライノは、確かに『紅薔薇派』のため一計を案じたが、それと紅薔薇様は無関係。そして二人の他にも、この件に関わった『何者か』がいる。――以上が我々の調査で明らかになった内容です」
「うむ。助かった、キース」
「勿体ないお言葉にございます、陛下」
一礼し、キースは抱えていた証拠と資料を、エドワードが引っ張ってきていた移動式カートに乗せた。
そこまでを見届け、マグノム夫人がキースにうっすらと微笑みかける。
「感謝いたします」
「そのような。我らはただ、王命に従ったのみです」
「ですが、これで立証されました。――実行犯であったベル、ライノ殿、オレグ殿とディアナ様に、関わりはなかった。従って、彼女をシェイラ様誘拐事件の『主犯』とし、処刑を願い出たことは誤りであったと」
「ち――違う!」
ハーライ侯爵が、青くなって叫んだ。
「そこの三人と関わりがなかったからといって、紅薔薇が無実である証明にはならない。実行犯のベル……その女の主、タンドール伯爵令嬢ソフィアは、紅薔薇と親しくしていた側室のはずだ。彼女を通じ、指示を出した可能性もある!」
「その可能性も、もちろん考えましたとも」
キースがさり気なく壁際に下がり、マグノム夫人が再び語り出す。
一人の女官が、マグノム夫人の目線を受けて進み出て、また別の紙束を手渡した。
「こちらには、ソフィア様を含む、シェイラ様に危害を加えていた『紅薔薇派』のご側室四名の『星見の宴』終了時からのご様子を、侍女から聞き取って記してあります。部屋担当の侍女だけでなく、お姿を拝見する機会があった者の言葉は全て聞き漏らさぬよう、配慮いたしました」
ぱらぱらと、マグノム夫人は紙束をめくる。
「こちらをご覧になればお分かりでしょうが、ソフィア様は『星見の宴』の終了間際、シェイラ様と諍いを起こし、それを紅薔薇様に仲裁されました。そこからの彼女は、尋常ではない様子で……宴が終わり、部屋に帰ってからずっと、衣服を着替えられることもなく、部屋の中を歩き回ってはベルを呼んでいらしたそうです」
「ほぅ。ベルを?」
「はい。困った部屋付きの王宮侍女が、ベルを探しに後宮内を回ったそうですが、彼女を見つけることはできず。落ち着きのないソフィア様を宥めるべく、ベルを探している間も最低二人は必ず側についていたそうですので、ソフィア様が彼女たちの目を盗んで、ベルに誘拐の指示を出すことは不可能でしょう」
「分かるものか!」
「いいえ、確かです。その証拠に――」
マグノム夫人は、痛ましげに目を伏せた。
「ベルが、シェイラ様拐かしの咎で王宮に捕らえられたと聞いたソフィア様は。『どうして、ベルが』と呆然と呟かれ、そのまま意識を失われたのです。誘拐計画を知り、指示を出していたのだとしたら、そこまで衝撃を受けることはないでしょう」
「え、演技という可能性も」
「ソフィア様にご報告申し上げ、倒れるまでの一部始終を見届けたのは私です。貴族社会からはしばし遠ざかっていた身ではありますが、子どもほどに歳の離れたご令嬢の振る舞いの真贋を見抜けぬほど、鈍った覚えはございません」
マグノム夫人自らが証言者となることで、反論は完全に封殺された。『私を疑うのか』という圧力がこれほどまでに有効な夫人は、まさに昔、有能と名高かった存在なのだろう。
資料を女官に戻し、息を整えてから、彼女は再び語り出す。
「侍女たちの証言とソフィア様のご様子から、シェイラ様誘拐はベルの独断であると判断し、私どもはベルの私物の調査に踏み切りました。私的侍女らしく、持ち物もほとんどない彼女でしたが、引き出しと片側扉が一つずつだけの小さな棚だけ、タンドール家より私物として持ち込んでいたようです。その棚を、念入りに調べましたところ……」
マグノム夫人が次に合図した女官は、マリス前女官長時代から真面目を貫き通した、女官の中でも随一の堅物だ。資料の運び手に選ばれるのも分かるが、彼女は他の女官に比べ、手に持っているものは少なかった。
丁寧に揃えられ、紐でまとめてあるそれらは全て、大切に保管されている手紙に見える。女官からその束を受け取ったマグノム夫人は、ゆっくりと、慎重に、紐をほどいた。
「こちらの手紙が、引き出しの奥の、隠し棚から見つかりました。差出人の名前はありませんでしたが、特徴あるこの筆跡はおそらく、ライノ・タンドール様のものと思われます」
「ライノからの手紙を、ベルは処分せず、保管していたというのか?」
驚いた声での質問はヴォルツからだ。マグノム夫人は振り返り、一つ頷く。
「はい。見つけた者たちも驚いておりました。いくら隠し棚に入れてあるとはいえ、謀を記したものを手元に残しておくのは、万が一のことを考えたら不利にしかなりません」
「その通りだ。なのに、何故……」
「――その答えは、手紙の中にあります」
ライノからベルへの手紙は、オレグとやり取りしていたものとは違い、色付きの可愛らしい紙が使われていて、封筒も華やかだった。その中の一通を、マグノム夫人は迷いなく抜き出す。
「『私たちの計画が成功し、紅薔薇様が名実ともに正妃となって、その権勢が揺るぎのないものになれば。紅薔薇様と近しく、陰日向に支えたソフィアを、きっと紅薔薇様は重用してくださることだろう。そうなれば、タンドール家も安泰。次代を担う私が誰を妻に選んでも、もう文句は言わせない。――紅薔薇様がご正妃に立たれたそのときは、ベル、どうか私の手を取り、この先を共に歩んで欲しい』……綺麗に保管されていた手紙の束の中、これだけは封筒もボロボロで、便箋の端も擦り切れておりました。きっと、何度も何度も取り出しては、読み返していたのでしょう」
ライノからベルへの手紙。そこに記されていた言葉の意味は、よほど鈍い者でなければすぐに分かり……分かるからこそ、これまでとは違った意味を含む視線が、二人に注がれた。
言葉も見つからないまま、ディアナはただ密かに目を伏せる。
(これが、ベルとライノの動機……嫡男と侍女の、秘められた恋)
一般の民が、その功績を認められ爵位を与えられる『爵与制度』が始まって、五十年と少し。昔に比べ、爵位を持たない民と貴族の垣根は低くなっているし、裕福な商家の娘が下級貴族の家に嫁いだなんて報告も、ちらほらされるご時世になっている。慣例として、貴族は貴族同士で婚姻を結ぶものとされてはいるけれど、そもそもエルグランド王国に、貴族と一般民の結婚を禁じた法はない。
しかし、それでもさすがに、伯ほどの爵位が与えられた家の跡取りが、正式に庶民を妻として迎え入れたという事例は、残念ながら存在しないのが現実だ。貴族の婚姻は政略の意味合いが強く、商家の娘を妻とした下級貴族たちも、持参金が魅力的だったことは否定できないはず。結婚したところでなんの利点もない、ただ愛しているだけの庶民――しかも、自家の侍女として勤めていた娘を正式に妻にするとなると、周囲も親戚も、騒がしくなるのは目に見えている。
それでも、ライノは諦めたくなかった。もともと彼は、古い慣例に縛られることを厭う節があったと聞いている。……それはもしかしたら、外国との付き合い方だけでなく、こういう面も含んでいたのだろうか。
ベルを妻にするためには、妻の実家をアテにせずともタンドール家は未来永劫盤石だと、分かるように示す必要がある。そのために彼は、妹の立場に目を付けた。――『紅薔薇派』の一員として積極的に動き、発言力も強いソフィア。彼女が現『紅薔薇』の正妃擁立の立役者となれば、新『正妃』がソフィアと、彼女の実家であるタンドール伯爵家を重んじてくれると信じて。
(保守派への恨みも、もちろんあったと思うけど……それ以上に彼はただ、ベルを堂々と愛したかった。日陰者には、したくなかった)
誰にも見えないように。ディアナは強く、拳を握る。――ライノの気持ちは、立場は違えど、ディアナには痛いほど分かるものだった。
――あれは、ディアナが社交デビューのために、初めて王都に長期滞在した年のことだった。社交デビューする前に、少し王都と貴族の世界に慣れる必要があると、ディアナは早いうちから王都入りして、連日母と叔母、たまに兄からも、社交とは、貴族とはどういうものかについて、レクチャーを受けていたのだ。
人手の足りないクレスター家では、基本的に侍女は何でも仕事を振られる。身内しかいない勉強の場に侍女を置く意味もないため、だいたいいつもディアナの側にいるリタとは、その頃別行動が多かった。もちろん、毎朝毎晩、顔を合わせてはいたけれど。
リタは、とある事情から、なかなか人に心を開けない娘だ。例外はそれこそディアナ含むクレスター関係者くらいで、その他大勢は王侯貴族だろうが路傍の石程度にしか考えていない節すらあった。
けれど。そんなリタが、少しずつ。ディアナの知らないところで、上手く表現はできないが、柔らかくふわふわと笑うようになっていった。勉強に追われてはいても、ディアナにとってリタは、腹心の部下である以上に『ねえさま』と呼びたい家族同然。ある夜、何気なく、『最近楽しそうだけど、何かあったの?』と尋ねると――リタは、みるみるうちに赤くなって。
『浮ついていますか。申し訳ありません』
『謝ることないでしょ? リタが嬉しいなら、わたくしも嬉しいわ』
『いえ……ですが、ごくごく私的なことですので』
『もっと嬉しい! リタが自分のことで楽しそうなのなんて、わたくし初めて見るわ。お父様もお母様も、リタは若いのに、ディアナの世話ばかりさせてしまって申し訳ないって、いつも言ってるのよ?』
『そのような。私は望んで、ディアナ様のお傍におりますのに』
そう言って、リタは『ですが……』とはにかんだように笑った。
『不思議、ですね。彼といると、そういったものも全部含めて、肯定される気がするのです』
『彼?』
『あ、いえ、その! 王都の下町で会った、日雇い仕事をしている者らしいのですが。細かいことを気にしない、さっぱりとした人で』
下町の安売りの店で買い物をしていたリタは、ある日そこで柄の悪い男たちに囲まれた。普通の女性なら恐怖で動けなくなるところだが、残念ながらリタである。怖がっているフリで男たちを人気のない路地裏まで誘導し、軽やかに沈めた。
そこを目撃され……あろうことか、呼吸困難になるほど笑われたのだという。
『女が生意気な、と言われるかと思いきや、『女の子が路地裏に引っ張り込まれるから、危ないと思って駆けつけたけど。いやー、俺なんかぜんぜん必要なかったな!』って笑って。警備兵を呼んで、男たちをお縄にするところまで、全部引き受けてくれたんです』
『そうなんだ! 素敵な人ね』
『えぇ。それからちょくちょく、町で顔を合わせるようになって……』
助けてもらった恩もあり、邪険にするのはさすがに礼儀知らずだと思うけれど、見知らぬ他人を警戒するのはもう本能だ。じりじり距離を測りつつ、しかし頑張って逃げ出さないリタに、男はまた笑ったのだとか。
『俺が怖いなら、そんな風に頑張る必要はない。逃げたきゃ逃げろなんて、言われたことありませんでしたから』
『優しい人なんだ。ね、その人、名前は?』
『アル、というそうです。最初は偶然顔を合わせるだけだったんですけど、そのうちお互いの予定を合わせて会うようになって……』
それはもう、世間一般では立派なデートだ。ディアナは色恋沙汰には疎いが、それくらいの一般常識はある。
そして、年頃の女の子らしく、分からないなりにその手の話は好きだった。
『すごーい! じゃあもう、リタはその人と恋人同士なのね?』
『ま、まさか! 別に好きとか、そういうことを言われたわけでもありませんし……』
『でも、リタは好きなんでしょ?』
ディアナの問いに絶句して、真っ赤になったリタを見れば、答えなんて聞かなくても分かる。ディアナはくすくすと笑った。
『ね、リタ。そんな素敵なひとができたなら、私の世話とか適当にしてくれて良いから。なんならアリバイ工作にも協力するし、昼間だけでなく夜も、その……アルさん? とデートしておいでよ』
『……ディアナ様、意味分かって仰ってます?』
『へ? 仲良くなった恋人は、夜も一緒に過ごすんでしょ? 書斎の恋愛小説に書いてあったけど』
『……もっと小説の行間読んでください。あと先ほどから、ご令嬢言葉が崩れてますよ』
注意されて気付き、思わず口元を抑えたディアナに、リタは。
『ありがとうございます、ディアナ様。私のことでこんなに喜んで頂けるとは、正直思っておりませんでした』
それはそれは幸福そうに、美しく微笑んだのだった。
恋は人を幸せにだけするものだと、今より少し幼かったディアナは、信じて疑わなかった。小説の女主人公たちは、山あり谷ありの困難を乗り越えて、それでも最後には笑っていたから。
けれど、現実は。物語のように、甘くはなくて。
『リタ! どうしたの?』
『ディアナさま……』
ついにとある夜、リタのアリバイ工作に協力して。一夜を恋人と共に過ごし、幸せ満載で帰ってくるはずのリタを待っていたディアナが、目にしたものは。
『どう、して、泣いて……アルさんは?』
『もう、良いのです』
『そんなわけないでしょ! 何されたの? 酷いことをされたから、そんな風に、』
『違います!!』
リタは激しく、頭を振った。
『アルは……いいえ。アル様は、お優しくて。私を大切に、大切にしてくださいました』
『リ、タ……?』
『もう、充分です。私は一生分の幸福を、あの方から頂きました』
『どういうこと? アルさんは、まさか……』
嫌な予感が、胸を埋め尽くしていく。ディアナの問いに、リタは。
『彼の、本当の名は。アルフォード・スウォン。……建国以来続く、スウォン伯爵家のお方でした。私などがお傍にいては、あの方のこれからに、障るだけです』
絶望に堕ちた、真っ暗な瞳で。
ひとはこれほど虚ろに笑えるのかと、心の底からぞっとしたことを覚えている。
このままではリタが壊れてしまうと、必死に家族に助けを求めて。――愕然とした兄から、アルフォードとの関係を聞いた。
『あいつ最近、本気で好きなひとができたって、すごく嬉しそうに……けど、まさか』
『『まさか』じゃないでしょ! 本気で好きならどうして、自分の身分を隠したのよ!』
『たぶん……アルにとって『スウォン』の名は、そこまで重いものじゃなかったんだ』
『……なに、それ』
『あいつは次男坊で、跡継ぎの兄貴はかなり優秀だ。最初から継がないって決まっているものを、付き合う女に……それも、見るからに貴族階級じゃない女性に、わざわざ話すこともないと思ったんだろう』
『そんなの、男の人の勝手だわ! たとえ跡継ぎじゃなくても、家名を背負っている以上、アルフォード様は貴族の方よ。そんな大事なことを隠して、リタの心を奪うだけ奪って。――結局リタを、弄んだだけじゃない!!』
『違う! ディアナ、アルはそんな奴じゃない!』
『どう違うのよ! アルフォード様はスウォン伯爵家の方なんでしょう。リタを娶って、妻にする気があって、言い寄ったの? スウォン伯爵家ほどの古参の家に、貴族位にない娘が嫁ぐことがどれほどの異例か、あのスウォン家の方が知らないとは言わせない。リタが背負う苦労からも、誹謗中傷からも、全部守るつもりで『本気で好き』なら、どうして今、リタはあんなに傷ついてるの!!』
あれほど激昂し、顔も知らない相手をくびり殺したいと思ったのは、自慢ではないが初めてだった。
エドワードの取りなしで、なんとかアルフォードと会って、話を聞いて。彼が悪い人でないことだけは、理解できたけれど。……正直今も、アルフォードを完全に許せているかと問われたら、即座に頷ける自信はない。
リタのことが大切だから。誰よりも幸せになって欲しい、『ねえさま』だから。
想う人に、堂々と想いを返してもらえる場所で。それを誰からも祝福されるところで生きて欲しいと、身勝手ながら願ってしまう。
……当時のクレスター家は、リタ本人の気持ちもあって、結局二人の仲を取り持つお節介には乗り出さなかったけれど。
ふらふらと、座りながら揺れるベルとライノの姿が、あまりにも心に痛い。
二人は本気で、『身分』の壁を越えようとしたのだ。想い合うまま、互いの手を取り合える未来を望んで。
やり方を間違えた二人を、赦すことはできない。けれど、互いを望んだその心だけは、分かる。
恋をするのに、きっと。身分や立場は、関係ないから。
――衆目に向かって話すマグノム夫人の声が、どこか、遠い。
「確かにライノ殿は、紅薔薇様の権勢のために、シェイラ様の誘拐を仕組んだのかもしれません。そしてベルも、悪事と知りつつ協力した。……ですが、二人が紅薔薇様を正妃にと望んだのは、紅薔薇様ご本人とは関係なく。ただ、ソフィア様の立場を利用して、異なる身分の互いが結ばれる障害を、無くしたかっただけなのです」
「……紅薔薇本人に、後ろ盾になってやると持ちかけられた可能性は?」
「ライノ殿の手紙を全て読めば、彼と紅薔薇様に関係はないことは明らかです。ベルは、本当に丁寧に、ライノ殿からの手紙を保管しておりました。……よほど、彼のことを愛していたのでしょう」
ベルの想いが、本来ならば破棄されていたはずの証拠を、本人も無意識のうちに守ったのかもしれない。……ルリィの話では、ベルは本来、誰かの不幸を踏み台に、自らの幸せを望むような娘ではなかったそうだから。
「以上が、誘拐事件に関しまして、後宮側が調査した結果にございます。証拠はここにあり、その全てが、紅薔薇様の無関係を示しております」
凛とした、『最高の貴婦人』の声が、心まで響いて圧倒していく。
いやはや、本気を出した後宮組のポテンシャル恐ろしや。悪魔の証明もなんのその。
さてさて、次回からいよいよ、百合の中の百合が本格始動しますよ。
なお、今話を読んで、それでもアルとリタの馴れ初めや恋人時代を知りたい猛者は、どうぞ感想欄にてその熱い心を私までぶつけてくださいませ。今日で間違いなくアルの株がダダ落ちたな……(; ̄ェ ̄)




