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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
113/243

古の誓約

 ――それは、遠い遠い、昔の話。ときの流れに埋もれながら、けれど確かに存在した、歴史の一欠片。


「あぁっ! もしやあなたが、噂に名高い『森の賢者』様でいらっしゃいますか!? 聞いていたとおり、悪鬼の如きお顔……!」

「ケンカ売りに来たのかてめぇ! 道に迷ってる風だったからわざわざ声掛けてやったのに。とっとと帰れ!」

「も、申し訳ありません。貶したわけではないのです。ただ、あまりに見事な悪鬼でしたので、つい」

「そ、れ、が、ケンカ売ってるってんだよ! 森の奥に引きずってって狼のメシにしてやろうか!」

「それは困ります! 放り出すならせめて、森の外にしてください」

「やっぱり迷子じゃねぇか!」

「ま、迷子ではありません。私はあなたにお会いしたく、訪ねて参ったのです」

「初対面でケンカ売るような馬鹿、相手にしてられっか。帰れ!」

「そ、そんな……。賢者様は大仰な訪問を厭われると小耳に挟んだから、わざわざ一人で、軽装で来たのに……」

「オマエ、その人の話聞かないのはわざとか? 人数とか装備とか関係ねぇよ、てめぇの馬鹿さ加減が気にくわねぇんだ。か、え、れ!!」

「そんなぁ〜。確かに私は馬鹿ですけども……」

「何だ、そこは自覚してるのかよ」

「馬鹿だから、賢者様のお知恵を拝借したく、訪ねて参ったのです。どうもこうも、私の頭では良い考えが思いつかず……」

「あーあ、そりゃー残念だったな。ま、諦めろ」

「私一人が諦めるのは勝手ですが、そうなれば遠くないうちに、我が国は他国に蹂躙され、民は憂き目に遭うことでしょう。私は、できればそんなことにはなってほしくないのです……!」

「――あ?」

「近頃の情勢ときたら、やれどこの国が勢力を増しただの、どこぞの国が滅ぼされただの、そんな心が重くなるようなものばかり。そりゃー私も国の世話係を任されたからには、貧しいよりは富んだ方が良いと思いますし、弱い国より強い国の方が、いざというとき民を守ることができると思いますよ? けれどそれって、わざわざ平和に暮らしている他国を蹂躙してまで、やらなきゃならないことですかねぇ」

「いや、ちょ、おま、」

「幸いウチは湖の畔にあって、水が豊富なおかげか民全員が食べることには困りませんし。みんなのんびりした気質で、上昇志向とかもあんまりないし。今のまま平和に生きていけたら、それで全然構わないんですよ」

「そりゃ……結構なことだな」

「でしょう!? なのに、いくらウチが平和にのんびり生きていきたくても、周りがどんどん戦争状態になってるんです。これまでは幸い、余所の国ともそれなりのお付き合いで何とかやってこれましたけど。いざ攻め込まれたら、ウチののほほん軍隊じゃどうしようもない……!」

「……頭抱えてるトコ悪いが、一つ確認させてもらって良いか」

「なんでしょう?」

「今の話聞くに、オマエ、どっかの国の王なのか?」

「本当に小さな国なので、肩書きは王でも実質は皆の世話役みたいなもんですけどね。いちおう、この近くの湖の畔にある国を統治しております」

「うわぁ……マジかよ。つか、それでよくこの森に一人で来る気になったな? 自慢じゃねーが『迷いの森』だぞ、ここ」

「それでも、そこに賢者様がいらっしゃるのなら、何度迷っても足を運ぶ価値は充分にあります!」

「その賢者ってのいい加減にヤメロ! 実物見てまでそう思うのかオマエ!」

「――何故です? あなたはまさに、無限の知恵を宿した瞳をしていらっしゃる。あなたが賢者でないのなら、この世界に『賢者』はいない」

「……俺にも名前があるんだよ、湖の国王殿。茶でも出すから、寄って行きな」

「あ、はい。ご馳走に――え?」

「何だよ、俺の知恵を借りに来たんじゃないのか? ――茶を飲みながら、今の話、もう一度詳しく聞かせてもらおうじゃねぇの」


  * * *


「……さて、」

「う、うぅ〜……」

「どうしてくれましょうかねぇ、この事態を」

「何か問題があるか? 素晴らしい勝利だったではないか!」

「えぇ、そうですね。見事な、完膚無きまでの、我が軍の大勝利でした」

「嘘みたいだよねぇ。エルグランド王国が、あのアント聖教国破って半島統一とかさ。ジイ様が聞いても絶対信じなかったよ」

「そうですね。少なくとも私たちの代では決着がつかないだろうと、そういう見通しでしたからね」

「で、で、でもさ。負けちゃマズかったんでしょ?」

「そりゃ、アント聖教国に負けちゃ、俺たちの首は飛んでただろうし、民はほとんど奴隷になってただろうし。負けちゃマズかったのは確かだよねー」

「でしょ? だから、ちゃんと、負けない作戦立てろって要求は果たしたよ!」

「だからといって、数段落ちの奇襲作戦ばんばん立てて、聖教国を内側から瓦解させる諜報戦展開して、こんな大勝利治める馬鹿がどこにいますか!!」

「僕だって、まさかこんなキレイに嵌まるなんて思ってなかったもん!」

「戦馬鹿の兄上と手を組んでおきながらそんな言い訳しますかアナタは!」

「はっはっは、そう褒めるな」

「褒めてません、むしろ貶してます、気付け!」

「まぁまぁ兄さん落ち着いて。過ぎたことを今更ぐだぐだ言ってもしょうがないよ」

「はぁ……そうですね。このお馬鹿さんたちの暴走に気付けなかったのは、返す返すも無念ですが。こうなってしまった以上、これからのことを考えなければ」

「ねー。まさかの半島統一だもん。これからどうするよ?」

「戦が終わってしまった以上、これからはその後始末と内政整理に切り替えていかねばなりません。アント聖教国側の領土についても、細かな取り決めが必要でしょうし……」

「兄さん。問題はそれが、この戦にしか能のない兄上にできるかってことだよ」

「む、失敬な。俺だってそれくらい、それくらい……何の話だ?」

「ダメだね」

「ムリですね。そもそも兄上を王にしたのだって、アント聖教国との小競り合いが、あと数十年は続くと予想されていたからです。戦が続く以上、我々の中で最も戦に秀でた兄上が王になるのが当然だった……」

「う……」

「ところがまさか、有能なる『黒衣の軍師殿』の作戦がずばりずばりの大当たりで、数十年どころか十年しないうちに、半島統一なんて快挙を成し遂げちゃったからねぇ〜」

「うぅ……」

「兄上が戦馬鹿だってことは、ウチの国どころか半島全体に広く知れ渡ってる事実ですし。これで国の態勢を整える作業などに突入しようものなら、利権を狙ったゴミ虫がうじゃうじゃ湧いて出るのなんて、もう目に見えてますよね」

「ううぅ〜……!」

「だよねぇ。戦の間は、黒魔術を行使して怪しげな世界と繋がってるって噂の軍師殿が兄上に貼り付いてくれてたから、ゴミ虫どもも寄る隙なかっただろうけど。戦が終わって兄上の居場所が王宮になれば、貴族でもない軍師殿はどっかに消えて思う存分兄上にすり寄れるって、たぶん既に算盤弾いてるよ」

「ヤだからね!」

「突然なんです。まだ何も言ってませんよ?」

「言わなくったって分かるよ。僕に貴族になれって言うんでしょ! 絶対、ぜったい、ぜーったい、やだ!!」

「ふーん。つまり『黒衣の軍師殿』は、戦さえ終わっちゃえば、後はこの国がどうなろうが関係ないってわけだ?」

「そ、それは、」

「これから我々は、実務能力マイナスの国王陛下を抱いて、ボロが出ないように苦心しつつ、ゴミ虫をひたすら追い払いつつ、国家の安寧のために尽力することになるんですけどね。私たち兄弟だけじゃ、手が足りないのなんて火を見るより明らかなんですけどね」

「だ、だって」

「いくら『湖』と『森』の一族が、立場を越えて友情を築き続けてきたって言ってもさぁ。その『湖』が国のてっぺん取っちゃったら、そうそう森の奥を訪ねるわけにもいかないよね。かといって『森』は貴族じゃないから、城まで気軽に来るなんて絶対しないだろうし」

「だけど」

「そもそも、『湖』が国のてっぺん取ったのだって、『森』の知恵がかなりの役割果たしましたよ? そればかりは、えぇ、今に続く『賢者』の誉れですよね」

「……何が言いたいの」

「おや。あなたにしては、察しが悪いですね」

「半島統一しちゃったのは誰のせいなの? 拒否権なんて、あるわけ無いでしょ」

「おっ、横暴……!」

「幸いあなたは、兄上が即位したときから軍師として傍にいて、知名度は充分ですし。叙爵されてもまるで問題ありません」

「あるよ!」

「領地は普通に、今『森の民』が住んでるところで良いよね。実質『賢者』一族が統治してるようなもんだし」

「話聞いてる!?」

「家名は何にしようか。普通に領地の名前から、『クレスター』でいっかな」

「そのまんまの名前ですけどね。語呂も悪くありませんし、良いのでは?」

「ねぇ、ヤダって言ってるの! 年上の話はちゃんと聞こうよ!」

「…………年上ぇ?」


「――考えなしにこんな見事な戦略立てて、半島統一して、内政統治に壊滅的不利な国王おっ立てたアンタに、イヤだのなんだの、ごねる資格があるわけ無いでしょうが。『黒衣の軍師』の抑えが無くなったら、国が五十年保たないことくらい分かり切ってるんです。誰のせいで、しなくても良い苦労をする羽目になったと思ってるんですか。年上なら年上らしく、潔く責任取りなさい!!」




「……あいつらが、済まないな」

「もう、いいよ。実際、君が統治に壊滅的に向いてないのは確かなんだ」

「うーむ。戦場での敵の動きなら、手に取るように分かるのになぁ」

「君と組んで、戦場を駆け回るのは悪くなかった。今度はそれが王宮の中に移るだけだ。……そう、思うことにしたよ」

「それで良いのか、お前は。貴族になれば、煩わしいしきたりと無縁ではいられない。これまでのように気ままに、知識を追い求めることもできなくなるぞ」

「知識を求めるのに、身分や居場所は関係ない。飽くなき探求心と好奇心さえ忘れなければ、僕は――僕らはどこにいたって、『賢者』の末裔として胸を張れる」

「……だが、窮屈だろう」

「そりゃあね。ただの軍師だったときですら、悪魔と交信してるとか、黒魔術の使い手とか、よく分からない設定が山ほどついたんだもん。これで貴族になったら……まぁ、君たちが黒魔術の犠牲になったって言われることは、まず間違いないよね」

「黒魔術だろうが悪魔だろうが、お前の頭脳がこの国を、半島を統一したのは事実だ。誰も文句は言わん」

「文句は言わなくっても、そう思われるだろうってことだよ。……けどね。まずは、それで良いかなって思うんだ」

「――どういう意味だ?」

「僕がそういう気味の悪い、おどろおどろしい存在として、エルグランド王国の宮廷に入れば。腹に一物抱えてる人間は、それなりな反応をするよ。あからさまに逃げたり、悪口言ったり。もしかしたら、僕の黒魔術を悪用しようとする人間だっているかもね」

「お前……貴族たちの『試し絵』になるつもりか」

「君って戦馬鹿だけど、だからこそ『戦い』についての察しは良いから助かるよ。――そう、これは戦の続きさ。内政に関する細々した雑事は、それこそ優秀な君の弟たちに丸投げすれば良い。僕らは新しい王宮で、この国を内側から喰い潰しかねない『敵』を見つけて戦うんだ」

「だが! しかしそれでは、お前の立場が、」

「――アスト」


「だからこそ、今ここで、君に誓ってほしい。僕は伯爵位を貰って、表面上は君の『臣下』になる。けれどそれは、僕たちと、僕たちの子孫の間で、未来永劫問題になることはない。僕らの間にあるのはあくまでも、『湖』と『森』の友情。僕たち『クレスター』は『エルグランド』に忠節を誓わず、ただ、その友情に従って心の赴くまま、友だちを助けるだけだ」


「だから――もしも、遠い未来に。この友情が、喪われるような日が来たら」


「『クレスター』は真っ先に、『エルグランド王国』を見捨てるよ。覚悟しといてね?」



  ***************



 鉄格子の向こう側。蝋燭の炎に照らされて浮かび上がるそのひとは、どこか泣き出しそうにも見えて、けれどその眼差しに迷いはなかった。確信に満ちての最初の問い掛けは――とても、とても優しいもので。

 投げつけられたいくつもの言葉に絶望しそうになりながらも、心のどこかでは信じたくて、信じて、待ち続けたことは間違いではなかったと、やっと思うことができた。

 ディアナを案じる色をした、冬晴れの下凍り付いた湖の瞳に、そっと微笑んで頭を振る。


「何を苦しく思うことがありましょう。『クレスター』の生き様、それそのものが我らの誇り。『悪名』こそが、我らの歩んできた証なのです。――今ならわたくしにも、心の底からそれが分かる」

「……そなたたちの、『生き様』か」


 目の前の彼が、吐いた息は苦かった。


「記録を、文献を。遡れるだけ遡って、『クレスター』を調べた」

「何故今、我が家について調べようと?」

「何故……なのだろうな」


 目の前の王は――ジュークはどこか、遠い眼差しになる。


「自分でも、よく分からない。ただ……」

「ただ?」

「宴で無茶をしたそなたのことが心配で、部屋を訪れたとき。リタという侍女に、本気で怒りをぶつけられた」

「それは……申し訳ありません」


 確かに、ディアナは毒殺騒ぎを『なかった』ことにするために、自分でも無茶と自覚する無茶をやらかしたわけだから、そこに王が乗り込んでは全て台無しになる。リタがキレるのも分かるし、実際キレたところも想像がつくけれど、さすがに国王陛下相手にそれはまずい。

 頭を下げたディアナに、「謝らないでくれ」とジュークが言う。


「あれは、そなたの侍女が正しい。俺は目先のことばかりに囚われて、そなたの心を危うく無にするところだった」

「寛大なお心に感謝いたします」

「寛大など。むしろ寛大なのはそなたたちだろう。――これほど愚かな王を見捨てることなく、いつもひっそりと、道を示してくれる」

「……道を、示す?」


 ジュークは、ゆっくりと頷いた。


「そなたの侍女――リタは、言ってくれた。俺は、物事を一方的な側面からしか判断しようとせず、だからそなたの心に気付けなかったと。……本当に、その通りだ」

「確かに以前の陛下には、短絡的なところがありました。けれどそれは、一元的な見方しかできないよう、強制されていたからです。陛下はそれを自覚し、自らの意志で断ち切ろうと努力されている。誰にでもできることではございませんよ」

「……そう褒められることではない。俺は別に使命感から、そうあろうと努力しているわけではないのだから」

「あら、そうなのですか? ならば……何故?」

「何故、と聞かれても……考えることは、楽しいだろう?」


 思ってもみない言葉に、ディアナは目をぱちくりさせた。


「楽しい、ですか?」

「俺にとって、『答え』は最初から決まっているものだった。政務は大臣たちの言うとおりにするもの、人付き合いも誰かの指示が第一。その世界は迷いがなくて、楽で、『俺』自身がすることなんて何もなくて……薄っぺらい真っ白の紙の上に、黒でくっきり風景が描かれているみたいだった。俺はその白黒(モノクロ)の世界に最初から描かれている道の上を、何も考えず、何も感じず、ただ歩けば良かったんだ」


 言われて、ディアナは想像する。白と黒の二色でできた、一本道の世界。そこをただ歩くだけの、毎日。

 確かに、楽だ。迷う必要もない。

 ……けれど、そんな世界は。


「……つまらない、ですね」

「あぁ。こうして後宮と関わるようになって、誰からも『考えろ』と言われて。最初は訳も分からないまま、ただ腹立たしかったが、言われる度に少しずつ、自分で考えるようになった」


 ――すると、どうだ。

 そう言うジュークの瞳には、少年のような素直な煌めきがあった。


「考えれば考えるほど、世界はあやふやになっていく。はっきりしていたはずの線はぼやけ、歩いていたはずの道もなくなって。――その先には、彩りに満ちた、新しい風景があった」


 これまでジュークが見てきたものは、他人によって押し付けられた、白と黒の『作り物』の世界。

 閉ざされていた目を、塞がれていた耳を、開いて。――縛られていた思考を、解き放って。

 彼は、彼自身が感じる『ありのまま』の世界に感動したのだと、ディアナは飲み込めた。


「あやふやな世界で迷うことは、確かに苦しい。これで良いのかと悩み、決断した後も不安ばかりだ。……けれどな、紅薔薇。俺は今、それすらも楽しいのだ」

「陛下……」

「『答え』しかなかった世界では、そんな風に心動かされることすらなかった。単純な怒り、単純な喜び、単純な悲しみだけが線で描かれる。それは衝動に近く、人の複雑な心の動きとはほど遠い」


 思えば、ジュークがこれほど静かに己を振り返る姿を、ディアナは初めて目にする。瞳の動きだけで続きを促すディアナに、ジュークは苦笑した。


「白黒の世界で、紛い物のような『感情』に振り回されて。あんな世界に二十年以上も安穏と浸かっていたなんて、本当にぞっとする。それなら、どれだけ迷うことが苦しくても、悩むことが辛くても。考えれば考えるほど色が増えて、音が満ちて、手が届かないほど深く、高く、広くなる……今の世界の方がずっと、生きていると実感できるんだ」

「……そう、ですね」


 短い相槌になったが、その分ディアナの声には深い共感があった。

 知れば知るほど鮮やかに、賑やかに。一つ掴んだその先には、掴んだ以上の未知が広がっている――そんな、この世の奥深さ。

 それは、物心つくより前から、ディアナの心を捕らえて離さないものだから。


 ディアナの言葉に一瞬微笑んだジュークは、けれどすぐに、その表情を苦いものにする。

 首を傾げるより先に、ジュークは深々と嘆息した。


「……なのに。あんな白黒の世界には戻りたくないと思っていたのに、俺はまたやらかした」

「えぇと。それは、宴後にわたくしを案じてくださった一件ですか?」

「そう言えば、聞こえは良いがな。そなたの侍女に怒鳴りつけられて、以前の己に引きずられていると気付いて、心底恐怖した。白黒の世界を疑いもせず多くの嘆きを生み、その嘆きを救ってくれた『ディアナ・クレスター』を嫌って蔑み続けた『俺』に……そこまで反射的に思い返したときふと、過ぎったのだ。そもそも俺は何故、出逢う前からそなたを嫌っていたのかと――そう問い掛ける、声が」


 白黒の世界にいた頃の話だ。答えは一つ、決まっている。

『王国の悪を牛耳る、裏社会の帝王』――そう言われる家に生まれ育った、娘だからだ。


「後宮から帰ってきて、考えた。『氷炎の薔薇姫』は単なる噂、俺の白黒世界の『線』に過ぎなかった。――なら、そんな彼女を大切に慈しんでいると傍目にも分かる『悪の帝王』はどうなのだろうかと。そなたほどの心優しい娘を育てる両親が、兄が、噂通りの悪人だろうかと」


 考え出すと、止まらなくなった。そう言って、ジュークは軽く首を傾ける。


「そもそも、クレスター家は代々悪人揃いと言われるが、俺はかの家の調停記録を読んだことがない。最後は無罪判決が出たとしても、それならそれで法の穴を考える教材になるはずだ。実際『教育係』たちは、そのような判例を取り扱っていたからな。敢えてクレスター家だけを避ける理由はない」


 クレスター家の調停記録を教材にできない理由が、他にあるとしたら。……考えられるのは。


「……そもそも、訴えもなく、調停が行われていないのだとしたら。教材にできないとしても、頷ける」

「それで、実際に調べてみようと?」

「あぁ。邪魔されたくなかったから、雲隠れしてな。アルフォードに資料や文献を運んでもらって」

「スウォン団長様なら、陛下の疑問に的確にお答えする資料を探してくださったでしょう」

「さすがに、アルフォードはそこまで甘くない。資料こそ運んでくれたが、そこから知りたいことが書かれているものを探し出すのには、一切協力してくれなかった。『勉強ってのは自分でやるもんだろ?』ってあっさり言われたぞ」

「それ、別に厳しくしているつもりではないと思いますよ。スウォン家の勉学とは、比喩でなく山になっている書物と、ただひたすら幼い頃から向き合うものだと、小耳に挟んだことがあります」

「なるほど。あれはアルフォードの日常だったのだな。ある程度絞って持ってきてくれただけ、甘やかされたと見るべきか」


 くすくすと、ジュークは笑う。

 そして、ふと――真顔になって、ディアナを見た。


「調停局の記録は、もちろん目を通したが。財務省が管理している、クレスター家の資産に関する報告書に、内務省に保管されているクレスター家が王宮に提出している領地運営報告書、それとクレスターの系譜や所領についても調べた」

「資産報告とか系譜はともかく……領地運営報告書は、かなりの数だったのでは?」

「あぁ。だから、クレスター領の中でもっとも新しいゼフラ地域について、主に調べた」


 クレスター領ゼフラ。およそ三十年ほど前にクレスター伯爵家に与えられた領地であり、同時に王国の重要な農耕牧畜地帯でもある。

 生まれる前から領地だった土地なので、ディアナにとっては馴染み深い。が、王国の大多数の貴族は、『王国の穀物庫』と呼ばれるほどの重要な地域がクレスター領であることを知らず、そのせいで去年の春、ちょっとしたすったもんだがあった。

 ディアナは首を傾げて問い掛ける。


「ゼフラを調べて、何か分かりましたか?」

「あぁ。頭が痛くなるほど、色々分かった。……が、まずは最初から、確かめたい」


 ジュークの声が、ぴんと張った。質の変わったその声に、ディアナの背筋も伸びる。

 静かに呼吸を整えて、問い返した。


「最初から、と仰いますと?」

「初代の、クレスター伯。系譜には『ポーラスト』とあった。王家より与えられた家名は『クレスター』、爵位は伯。叙爵は王国歴百二年、『半島統一における、その功績を讃えて』と記されていた」

「えぇ。それが、当家の興りです」

「――それなのに、不思議だな。半島統一戦争史の中で、『ポーラスト』の名は一度も出てこない。統一戦争後すぐに伯ほどの爵位を与えられるくらい、誰からも認められる目覚ましい活躍をしたというのに」


 ジュークの言葉に、ディアナはふわりと、何も読ませない笑みを浮かべた。


 ――エルグランド王国四百年の中で、建国から百年は戦争の歴史だ。一般にはジュークの言うように、『半島統一戦争史』と呼ばれている。

『エルグランド王国』が建った頃。半島は大きく四つの国に分かれていた。


 西の大国、アント聖教国。

 北の勇、ギアルマ帝国。

 南の集合国家、ブラム連合国。

 そして東に、エルグランド王国。


 この四国の中で、エルグランド王国は国土もいちばん小さく、戦闘意欲はずば抜けて低かった。他三国が領土拡大と半島統一を目指して小競り合いを繰り返す中、エルグランド王国は「攻め込まれたら叩きのめすけど自分からは攻めない」をモットーに、貴族から平民まで変な方向で一致団結していたのだ。国境の守りは四国随一であったが、『攻める戦』に関しては、ドがつく素人同然。

 そんな国が、何をどうして半島統一を成し遂げたのか。細かく語ると長くなるので割愛するが、エルグランド王国はブラム連合国とギアルマ帝国を吸収し、最終的にアント聖教国と『五十年戦争』と呼ばれるにらみ合い状態に突入したことを記しておく。――その戦争に決着がついたのが、王国歴百二年なのだ。


 ジュークの言うとおり、戦争が終わってすぐに伯ほどの爵位が与えられた者の活躍が、『半島統一戦争史』に記されていないのは異常だ。もちろんポーラストの働きは、戦争史にきちんと記されている。


「だから、逆に考えた。戦争史に頻繁に登場するのに、戦後の歴史には一切その姿を現さない人物はいないか、と」

「そんな者がおりましたか?」

「あぁ、いたとも。名前すら記されていない、けれども常に王の傍近くに控え、王の信頼厚く、立場を越えた友情を交わしていたと伝えられる――『黒衣の軍師』が」


 静かに、ディアナは目を閉じる。

 ――待っていた。一度は希望が打ち砕かれ、諦めるべきかと思いながら。心の底では諦めきれずに、往生際悪く。

 ずっと、ずっと、待っていた――。


 次に、目を開いたとき。

 ディアナは、その瞳に無限の知恵を宿して、ジュークを真っ直ぐに見据えていた。

 一言一言噛み締めるように、ディアナは言葉を紡ぎ出す。


「その、『黒衣の軍師』が――ポーラストだと?」

「消去法に近いがな。『黒衣の軍師』の功績なら、伯爵位が与えられても不自然ではない。彼の頭脳がなければ、統一戦争はあと五十年続いたと、歴史研究家たちの見解もある」

「それだけでは、確たる証拠とは言えませんよ」

「どうかな。伯爵位を与えられ、ポーラスト・クレスターと呼ばれるようになった彼は、その頃から王宮の嫌われ者だったようだ。昔の調停局の記録には、罪を犯した者たちの、『クレスターのせいだ』『クレスターに騙された』という証言が山積していた。しかし同時にポーラストの潔白は、かなりの割合で王自らが証明しており、それだけでも王とポーラスト、二人の間に確かな絆があったことが窺える」

「調停局は、三百年前の記録も残っているのですね」

「記録としてより、歴史的な資料の趣が強かったが。……注目すべきは、他にもある。ポーラストは悪事を働いた者たちから名前を出されることを一切拒まず、むしろ待ち構えていた節すら見えた。証言を求められた際は、『これこれこういう付き合いはありました』と罪人との関わりは認めた上で、『けれどその罪と私は無関係です』と潔白を訴えている。犯罪と無関係だと示したいなら、わざわざ罪人との関わりなど、証言する必要はないのにだ」


 ちなみにこれは、初代から今に至るまで三百年間、クレスター伯爵家が調停局に証言を求められた際、一貫している姿勢だな――。

 ジュークの追求を、ディアナは微笑んでかわす。


「お付き合いがあったことは事実なのです。それを隠す必要もございません」

「……そなたたちの、その態度が。『悪事は手下にさせ、自分たちは手を汚さない』『罪が暴かれそうになったら実行犯を切り捨てる』という、クレスター家の悪評に一役買ったのだろうな」

「それは否定できませんね」


 個人的には、そんな『トカゲの尻尾』を平気でやらかすと噂の家に、それでもすり寄る者たちがいることが理解できない。自分だけは大丈夫という根拠のない自信があるのか、あるいは破滅待ちなのか。後者なら、にっこり笑って余所を紹介するのだが。


 ジュークは何度目かの深い息を吐いて、そんなディアナを見る。


「ポーラストと、彼の友だったと思われる当時の王、アスト。歴史を文献からもう一度紐解けば、二人がポーラストの――『クレスター』の悪評を利用して、王国の不穏分子をあぶり出していた様子が浮かんでくる。統一したばかりの王国は不安定だったはず、よからぬことや物騒なことを考える輩は、今よりずっと多かっただろう。しかしポーラストが最初に徹底的に王宮で嫌われたことで、彼に対する姿勢から、アスト王は貴族たちの内実を測りやすくなった。その結果、エルグランド王国はアスト王の代で、統治の土台を揺るぎないものにすることができた……」


 歴史上、統一戦争を勝利へと導き、半島全てを統治下に置きながら、極端な暴政に走ることなく後に続く穏やかな治世の礎を築いたアスト王は、文武に優れた賢王中の賢王と名高い。……その『アスト王』が実質三位一体だったことや、『彼ら』を生涯に渡って支え続けた『軍師』がいたことは、当時のイメージ戦略も相まって、限られた家にしか伝えられていない裏話だ。

 ディアナは、ゆるりと笑った。


「我らの祖先ポーラストと、アスト王が手を組んで。不穏分子のあぶり出しのため、わざと『クレスター』を『悪』にしたと?」

「そなたたちは先祖代々、実に悪そうな顔をしているそうだな。実際ポーラストも、魔界と交信しているかのようなおどろおどろしい存在だったと、当時の侍従の言葉が残っていた。……わざと『悪』にしたというより、その顔と存在から周囲が誤解し悪人扱いするのを、敢えて訂正せずそのまま放置したのではないか? 自分の噂を知った本人が、その噂を否定しなければ、周囲の人間は噂が正しいのだと思うだろう」


 外見から来る誤解を、勘違いを、自分たちから否定はしない。

 それを三百年間、代々律儀に繰り返して。

 そうしてできあがったのが、『王国の悪を牛耳る、裏社会の帝王』――。


 蝋燭の燃える音にかき消されるほど、小さく語られたジュークの推論に。

 ディアナもまた、静かに問い返した。


「……何故、我らがわざわざ、そのようなことを?」

「正直な。この推論に行き着いたとき、俺もそう思った。思って……古い時代から新しい時代へ、文献を、記録を、資料を当たった」

「何か見つかりましたか?」

「気が付いたのは、百五十四年前の、調停局の調停記録だ」


 ジュークの瞳に、一瞬だけ、鋭い光が走った。


「調停局に参考人として呼ばれることはしょっちゅうの『クレスター伯爵家』だが、家の者が正式に訴えられた事例となると、三百年間で十にも満たずと、驚くほど少なかった。しかも、その中で調停にまで発展したのは、わずか一つ。……百五十四年前、当時のクレスター伯の長男が『王』に不敬を働いたという、たったそれだけだ」

「……調停の決着については? 記録に残っておりましたでしょうか」

「いいや。何故なら――」


 その、調停中に。

『王国最大の内乱』と今もなお語り継がれる、アズール内乱が勃発したためである。

 内乱はおよそ十年にも及び、全てが終わったそのとき、当時のクレスター伯爵の長男が不敬を働いたという王は、『王』ではなくなっていた。そのため、訴えられたこと、調停が開かれたことまでは記録にあっても、その結末は不明という、異色の調停記録となったのだ。――もっとも、アズール内乱前の王宮は、貴族の腐敗がそれはもう激しく、政敵の足を引っ張りたい者が日夜調停局に訴えを起こしていて、内乱勃発によりその全てがうやむやになったので、これは別にクレスター家だけに限った話ではない。


 しかし、ジュークはそんな結果論には惑わされなかったらしい。ズバリと核心を突いてくる。


「つまり、『クレスター』を処罰しようとした『王』は、内乱によってその座を追われ、王でいられなくなったわけだ。――その後新たに立った王は、以前と変わらず『クレスター伯爵家』を遇している」

「偶然とは、思われなかった?」

「『クレスター』の跡継ぎを、大した理由もなく処刑しようとし、見せしめのために調停を開いて。一週間もかからないだろうと所感に記されていたほど予定調和だった調停の最中に、クレスター領にほど近い土地(アズール)から決起した『反乱軍』が偶然と?」


 ……あの時代の資料はほとんど残っていないというのに、大したものだ。限りある情報を繋ぎ合わせ、検証に検証を重ねて、ジュークは必死に『真実』に近付こうとしている。

 一度だけ首を左右に振って、ジュークは続けた。


「だが、確かにアズール内乱に関しては、確信できるほど深くは探れなかった。だから他の、クレスター家が訴えられた事例についての調査記録にも、一通り目を通したのだ」

「ですが他は、訴えられはしても、調停までは開かれなかったのでしょう?」

「あぁ。――どの事例も、調査の途中で『クレスター』を訴えた相手の罪が明らかになり、調停をするまでもなく家が取り潰されて、調査段階で話が終わっていたからな」


 とんだ藪蛇である。そこまでジュークが調べていたとは予想外だ。アルフォードとキースのサポートは伊達ではない。

 ディアナは肩をすくめてそっぽを向いた。


「それはお気の毒に」

「特に傑作だったのが、三十三年前。そなたの祖父、前クレスター伯が、人身売買の罪で訴えられた一件でな」

「それは、なかなかに新しい事例ですね」

「あぁ、最新の事例だな。おかげで資料も充実していて、いろいろなことが分かった」


 ディアナの祖父、要するにデュアリスの父だ。もうかなりの歳ではあるが、今でも元気で王国中を飛び回っている。――ちなみに、荒くれ者の服装をして槍を担げば、今でも立派に山賊の頭領として通用する、これまた筋金入りの悪人面だ。

 赤ん坊の頃から可愛がってくれている祖父だが、そんな話は初めて聞く。しみじみとディアナは頷いた。


「まぁ、祖父のあの顔なら、普通に子どもを攫って売り飛ばしてそうに見えますからね」

「例によって、その誤解も解かなかったのだろうな。……だから『敵』が調子に乗った」

「訴えられた祖父はどうなったのですか?」

「調停局の調査記録は、途中までは前クレスター伯を人身売買の首謀者と、半ば決めつけた文面だった。しかしあるときを境に、文書の中身ががらっと変わったのだ。――まず、筆跡からな」


 これこれこういう証拠が出てきた、故にクレスター伯はこの件には関わりがない、以上。

 簡潔にもほどがある文章で締められ、前半のネチネチ取り調べは何だったんだとジュークでなくとも突っ込みたくなるその『調査記録』は、裏があると言っているようなもの。

 ジュークはこの三十三年前の訴えについて、充実した資料を利用して、かなり深くまで調べたようだ。


「筆跡が変わったということは、取り調べの担当者が変わったということだろう。前任者はどうなったのかとその名前を調べたら、何故か前クレスター伯の取り調べの途中で、横領や賄賂をもらっての不正が明るみに出て、調停員どころか貴族ですらいられなくなっていた」

「あら」

「……基本的に調停は、訴えた者が訴えを取り下げない限り、何らかの形で続いていく。前クレスター伯が調停を待たず無罪放免となったのだとしたら、彼を訴えた者にも何かがあった可能性が高い。そう思って調べたら、」

「どうなっていました?」

「これが傑作だった。貧しい民に職を斡旋するという名目で、ただ同然の給料しか払わない雇い主に彼らを引き渡し、『斡旋料』として多額の金品を懐に納める。その『慈善事業』で目覚めたらしく、しまいにはものの分別も付かないような幼子まで親から引き離して『保護』、その後希望する者を『里親』として引き合わせ、やはり『謝礼』を受け取るというところにまで手を出していた」

「それ、奴隷斡旋に詐欺、幼児誘拐に人身売買って言いません? どれも我が国の法で、固く禁じられている犯罪だと思いますが」

「最終的にはそれらをブレンドして、大人も子どもも関係なく、船に乗せて外つ国へ『輸出』しようとしていた」

「……外つ国との交易は各々の裁量に任されてはいるものの、『人間』を商品として扱うことだけは初期の段階で強く戒められていたはずです。そんな『商売』に王宮の許可が降りるわけもありませんし、無許可もしくは虚偽の申請で外つ国を巻き込んだ犯罪行為を働こうとしていたのなら、今に勝る重罪だったのでは?」

「さすがだな。その通りだ」


 ジュークははぁ、と息を落とした。


「つまるところ、前クレスター伯の嫌疑は、訴えを起こしたその貴族と、訴えを受けた調停員が組んだ、悪質な罪状捏造だったわけだ。本格的に人身売買で商売をしたかったそ奴にとって、『悪を牛耳る』存在のクレスター家は商売敵。手を組んだ調停員にしても、悪名高いクレスター伯爵の罪を暴いたとなれば、調停局の頂点を極めるのも夢ではない。双方の利益が一致し、証拠をでっち上げて前クレスター伯を訴えたまでは良かったが……」

「聞いているだけでも、見事な自爆ですね。お祖父様の罪を捏造するときに、自分のやってる悪事をそのまま被せちゃった辺り、頭悪過ぎるというか。そんな潔い自己紹介要りませんよ」

「……次々と湧いて出る、前クレスター伯を訴えた貴族の罪。外つ国までも巻き込んだ犯罪計画、言い逃れしようもない証拠の山。最終的には、奴に『職を斡旋』された者たちが立て続けに訴えを起こし、王宮は大変な騒ぎだったそうだ」


 当然、罪に罪を重ねていたその家は、即日取り潰し。主犯である当主は生涯修道院に幽閉、蓄えられていた財は被害者たちの救済に充てられ、犯罪者を貴族として遇していた王家からも充分な謝罪と賠償を行って、ようやく事件は一段落ついた。

 ――そして。


「その家に与えられていた領地も、もちろん王家が回収し、貴族たちに再分配したのだが。その中の一つが、今クレスター領となっているゼフラ地域だ」

「ゼフラが?」


 思わず、素に戻って問い返していた。祖父が訴えられたのは三十三年前、ゼフラがクレスター領になったのもちょうどその頃。確かに時期はぴったり合う。……しかし、まさか。


「ゼフラがウチの領地に加わったのって、まさかの『迷惑料』ですか!?」

「時期と、当時の状況を考えても、まず間違いないだろうな。ゼフラ地域は、『クレスター』への謝罪の印だ」


 あれほど豊かで風光明媚、農耕地としても観光地としても有用性の高い土地が何故『悪』の代名詞たる我が家に、とディアナは密かに疑問だった。「知らない方が精神衛生上賢い」とは言われたが。


「賭けても良いですが。お祖父様、全力で拒否したはずですよ」

「あれほどの豊かな土地を?」

「土地が豊かであればあるほど、管理は大変ですから」


 豊かな土地は、人が多いため治安維持も気を遣うし、交通量も多いから街道整備だってかなりの資金が必要になる。しかも、前任の領主が人身売買の犯罪者だったとくれば、豊かなはずの土地が喰い潰されていることなんて見るまでもなく明らかだ。

 祖父はあの豪快な見た目で、領地運営に関しては、できることから一歩ずつ、冒険よりも地道な積み重ね、努力はコツコツ一日一善、な堅実家。そんな人が、立て直すのに大量の人手と手間がかかる領地を与えられて、歓迎するとは思えない。「だが断る!」と、王もしくは宰相辺りに啖呵を切る祖父の姿が目に浮かぶ。

 ディアナの言葉に、ジュークは苦笑った。


「ゼフラほどの土地を与えられて嫌がる家など、王国中を見回してもクレスター家以外にはなかろうな。さすがにゼフラが奉じられたときの前クレスター伯の反応までは、記録に残っていなかったが……内務省で領地の再分配が決定して、与えられた貴族たちは即日拝領していたのに、クレスター家だけは二週間ほど遅れていた。そなたの言葉を信じるとするなら、前クレスター伯は二週間ごね続けたのか?」

「わたくしも、当時を父から聞かされたわけではありませんので、無責任に肯定はしかねます。……けれど祖父を知る者として、その可能性は非常に高いと言わざるを得ません」


 あの祖父である。ごねるだけでは飽き足らず、王宮から飛び出して大逃走劇を繰り広げたとしても、全然おかしくない。祖父の乗馬技術は一族の中でも随一で、高齢になった今でも、本気を出した祖父を止められるのなんてシリウスくらいなのだ。

 ジュークの笑みが、深くなる。


「王から領地を与えられて、それを二週間とはいえ、ごねて拒否することができる。そなたの祖父と、当時の王だった俺の祖父の間柄。――そしてその関係性を、見てもいないのに積極的に肯定できる、そなた。これだけ揃って、そなたたち『クレスター』と、我ら『エルグランド』の歴史を推察できぬほど、俺の頭は出来が悪いか?」


 そこにあるのは、揺るぎのない、確信の瞳。

 ――二千年の昔から、変わらない。信じるに足る、それは澄んだ『湖』の瞳だった。


 最後の『問い』を、ディアナは発する。


「つまり――陛下が見つけた、『我ら』とは?」


 答えるジュークに、迷いは見当たらない。

 静かに、けれども重い。彼の『答え』は――。


「『クレスター』は、その名を持つより遙か昔から、変わらぬ『エルグランド』の友であった。世代が変わり、時代が変わり、形の上では臣下になろうとも、その友情は変わることなく。『エルグランド』は『クレスター』を信じて心を交わし、『クレスター』は『エルグランド』の心に応えて、王国の不穏分子をその存在で監視する。いざその者たちが王国に仇なそうとしたそのとき、即座に動けるように」


 ――それだけではない。ジュークの言葉は止まらなかった。


「アズール内乱の前後を見ても分かる。内乱当時の王は、民を苦しめ蹂躙し、国を滅ぼしかねない『王』だった。クレスター家が『敢えて』内乱の引き金となったことで、多くの貴族が離反し、内乱軍に参入したことを見ても――そなたたちは、『王』の暴走を抑制する役割も、代々果たしてきたのではないか? 友情を感じることができず、民のためにならない王が立ったそのときは、その行動で『王の資質』を示し、心ある貴族に知らせることができるように」


 その、推論を。『クレスター』の直系で、夏からの『ジューク王』をつぶさに見てきたディアナに直接ぶつけるのは、想像を絶する勇気と覚悟が必要だったことだろう。

 おそらくジュークは。『最悪の結末』すら甘んじて受け止めるつもりで、ディアナに問い掛けているのだ。


 ――三百年前の、『誓約』を。


『誓おう、我が友よ。『エルグランド』と『クレスター』の間にあるものは、その名が示すとおり、『湖の王』と『森の賢者』が交わした友情のみ。どうかその友情のままに、これからも我らを、民のための王であれるよう、支え、見守って欲しい。――もしもエルグランドの子孫が、この誓いを反故にする日が来たならば。どうかそなたたちの手で『エルグランド王国』を滅ぼし、この地に生きる民の幸福を守ってくれ』


『クレスター』に伝わる、統一王アストの言葉。――古の、誓約。


 遡ること二千年以上前。全ての始まりとなった『湖の王』と『森の賢者』の出会いと、二人が交わし、築き上げた友情を。それぞれの子孫は至上のものとして、細々と、けれど確実に、受け継いできた。『エルグランド』と『クレスター』の名は、その名残。


 古代語で、湖は『ルグラン』。王は、『エドル』。韻を踏み、『湖の王』は『エルグラン・ラ・エドル』と呼ばれ――時代が下るごとに言葉は変わり、『エルグランド』が国の名として、王家の家名として残った。

 同じように古代語で、森は『レスト』。賢者は『クレイ』。森の奥深くに棲み、その知識と頭脳で森の民をまとめてきた一族を、人々は敬意を込めて『森の賢者』――『レスター・ラ・クレイ』と呼び、やがてその賢者が棲む森を、『クレ・ラ・レスター』……『クレスター』と呼ぶようになった。それはそのうち、森を含む広い範囲を示す土地の名前になって。

 三百年前、家名と領地として、『賢者』の末裔たるポーラストにそのまま与えられたわけだ。


『湖の王』の末裔であるアストは、『森の賢者』を、その魂を、よく知っていた。知った上で、その凛とした生き様を、なのにどこか不器用で、命を慈しむ優しい心を敬愛していた。

 隷属を好まない誇り高き『森の民』の長である『賢者』を、本当の意味で『臣下』にはできないことも分かっていた。

 それでも、形の上だけでも『臣下』となって、これからも傍にいると言ってくれた友に。自ら『悪』を被ってまでも、支えてくれようとするその心に。

 アストは。同じだけの心で、応えたかったのだろう。


『エルグランド』と『クレスター』の、古の誓約。

 その伝承の細かい部分は、古の名が家名として残されている家を受け継ぐ、選ばれた者しか知らない。

 それでも、歴史を真摯に受け止める者は。自らの眼差しで、『クレスター』を見抜く者は。――彼らがいつだって『王』の傍にいて、その存在で国を支えていると、知っている。

 王国の中で、唯一無二。その立場に囚われることなく王を守り、王を支え、ときに王を見定め、無慈悲な刃を振り下ろす役目すら担う、『クレスター』。

 彼らを知る、極々少数の限られた者は。『賢者』の末裔を、敬意と畏怖を込めて、こう称す。


『王家の試金石』――と。


 ――天窓から吹き込む強い風が、不意に蝋燭の炎を大きく揺らす。ジジッと鳴った大きな音に、ジュークの肩がぴくりと跳ねた。

 ゆっくりと足を動かして鉄格子の前まで進み、ジュークとの距離を縮める。

 こちらをまっすぐ見つめたままのジュークは、ディアナから目を逸らさなかった。

 覚悟の眼差しに、ディアナは微笑む。――試しのための『賢者』の笑みではなく、ディアナ本来の笑顔で。


「よくぞここまで、辿り着かれました」

「俺は……間に合った、のか?」

「ギリギリ……微妙なところですね。とにかくすぐに、家に遣いをやりましょう」


 この牢屋の上には『闇』がいて。ジュークとディアナの会話は、全部聞いてくれていた。

 ジュークの覚悟は。決意と、勇気は。上にいた『闇』にも伝わったはず。


「すぐに、当主に報告を。今代陛下が『湖』と『森』の絆と、『森』が果たしてきた役目に、己が力で到達なさったと」


 気配が掻き消えたことが、『闇』の返事だ。『闇』たちは『誓約』の詳細まで知っているわけではないが、その大枠と本質は知ってくれている。

 唐突なディアナの言葉にも、ジュークは動じなかった。ふと、視線が上を向く。


「誰か……いたのか」

「はい。父が良いと言えば、ご説明いたします」

「クレスター伯は……俺を赦してくれるだろうか」

「陛下は父より、兄を心配した方がよろしいかと。赦す赦さないはともかく、何発か殴られるのは覚悟しといてくださいね」

「……あの、エドワード・クレスターが?」

「見た目女泣かせ系優男ですけど、中にいるのはただの喧嘩っ早い脳筋ですから」

「つくづく、そなたたちは見た目と内側がそぐわんな……」


 ジュークの言葉に、ディアナは笑う。

 最後の最後で大逆転のカードを引き当てた王に、ここから一気に巻き返してみせると、心新たに誓うのだった。






悪『役』令嬢後宮物語。……タイトルに込めたもう一つの意味、お分かり頂けましたでしょうか。

この間からちらほら出てきております『クレスター領ゼフラ』にまつわる去年春のドタバタは、書籍『悪役令嬢後宮物語』第1巻に詳しく載っています(←3巻ついでにこそっと宣伝!)


次回はものすごく久々に、エドワード視点でお届けします。


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[良い点] きもちーー 回収きもちーーー 森?湖?ん?って途中思いましたけど きもちーーー!笑 語彙力0ですみません笑
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