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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
111/243

閑話その32-2〜目指す『王』〜

ここから、ログアウト中の王様のターン始まります。


 毒を飲めば、普通人間は死ぬ。

 その『普通』はディアナにも当てはまると思ったから、ジュークの頭は真っ白になった。


 国のため、後宮の側室たちのため、どれほど誤解され、報いられることがなくとも、その身を捧げ続けてくれた、この国で今最も讃えられるべき少女。

 その尊い存在が、誰からの感謝も受けることなく、命までもを国に捧げて死んでいく。

 ――なんだ、それは。


 ディアナの献身は『犠牲』と同意義だと、彼女が毒の肉を口にした瞬間、ジュークは悟っていた。

 ジュークはディアナに、助けられてきたのではない。ジュークという『王』は、側室『紅薔薇』となった気高い心を持つ少女(ディアナ)をずっと、犠牲にし続けてきたのだ。

 たった一人を犠牲に、見せかけだけの平和に満足して。――これのどこが、『王』だというのか。


 死なせるわけにはいかない。そう意気込んで、彼女の部屋を訪ねて。


『どこまで馬鹿なんですか、あなたは』


 言葉に遠慮がないにもほどがある、ディアナの私的侍女――リタに、痛烈な一撃をくらった。

 クレスター家からディアナに仕え、後宮までともにやって来たリタは、誰よりも近くでディアナの奮闘を見守ってきた存在だ。その分、ジュークへの怒りも深い。

 ディアナの傍近くにいる者にとって、ジュークは憎悪と怒りの対象でしかないだろう。分かっていたから、最初から反論するつもりなんてなかった。


 なのに。どんな言葉も、受け入れるつもりだったのに。

 リタの言葉は、この状況であってすらなお、ジュークをただ責めるだけのものではなかった。

 ジュークの至らぬ点を指摘し、『考えろ』と諭してくれる。


『いつもいつも無茶ばかりして、自分のことより他人のことばかり考えて、どんな苦労も『だってみんなの笑顔が見たいから』の一言で片付けるあの方を、ご家族、ご友人、後宮に入ってからはここにいる皆様――どれだけの人が心配して、案じて、誰よりも幸せになって頂きたいと思っているか』


 ディアナへの思いやりに満ちた、その言葉に。


『心配して、騒いで、医者を手配することが、思いやりですか? それをしない私たちは、責められるべき不忠者ですか? そうして一方的にしか物事を見ようとしないから、ディアナ様の『真実』に気付くのにこれほどの時間を要したと、この期に及んで、まだ分からないのですか!!』


 愚かなジュークを抉りながらも、抉るだけではない賢明さに。

 ――さすがはアルフォードが想う娘だと、半ば麻痺した頭で感心した。


 人目に付かないよう、遠回りして王宮へと帰りながら、ジュークはこれまでになく自らの頭が動き、靄のかかっていた領域に風が吹き込んでいるのを感じる。今年の春、即位した頃、父の死、王太子時代と、記憶の世界を一瞬で遡って。


(そうだ。……俺が生まれてから、一度だって)


 おかしいではないか。もしも、『彼ら』の噂が本当なら。

 どうして、議題に上らない。どうして誰も、訴えない?


 漠然と、感じてはいた。ディアナの『悪女』が単なる噂なら、もしかしたら――と。

 完全に言い切るには、『彼ら』の顔は悪人風過ぎたけれど。考えてみれば、ジュークは一度だって、ディアナ以外のかの一族と、直接話をしたことはない。……つい先頃の年迎えの夜会で当主と顔を合わせはしたが、あれは会話に入らないだろう。

 きちんと話もせず、噂と見た目の迫力だけで、『真実』を推し量ろうとするなんて。

 まるきり、愚かだと気付きもしなかった頃と、変わらないではないか。


 それは、一種の天啓に近いのかもしれなかった。

 気がつけばジュークは、『真実』を確かめたくて仕方がなくなっていたのだ。


「疲れたろ。今日はもう休んだらどうだ?」

「そうしたい気持ちもあるが……」


 慣れ親しんだ自室に戻り、信頼する側近と二人きりになって。

 少し考えて、ジュークは決めた。――今しかない、と。

 ジュークが確かめたいことが、公になれば。今ジュークが『それ』を知ろうとしていると、貴族たちに広まれば。面倒なことになるのは、目に見えている。

 頼れるのは、アルフォードだけだった。


「誰にも邪魔をされない部屋を一つ、確保してくれ。そしてその部屋に、運んで欲しいものがある」

「おやすいご用だ。何を運ぶ?」

「後で、細かく指示を出す。……それから、これがいちばん、頼みたいことだが」


 決意を胸に、アルフォードを見据える。


「たとえ、何が起ころうと。俺が良いと言うまで、誰にもその部屋を知らせるな。用があるときは、お前が来てくれ」

「……って、おい。行方不明になる気か?」

「お前が居所を知ってるんだから、本当の意味で行方不明にはならない。ただ、邪魔をされたくないだけだ」


 無茶なことを要求している自覚はある。いくらアルフォードが側近でも、こんな我が儘と紙一重の『頼み』を聞き入れてくれるか。

 祈るような心地でアルフォードを見つめると、彼はふ、と笑って頭を垂れた。


「承知いたしました、陛下――」


 受け入れてくれた側近に感謝する。アルフォードはさっそく動き、人通りのない王宮の一画にある部屋を、まさかの外宮室の名前を借りて確保してくれた。


「キースたちに迷惑ではないか?」

「別に構わないって言ってた。俺の個人名でも近衛の名前を使っても、いざ探されたら割とすぐにばれるからな。王と外宮室が繋がっていることは宰相閣下ですら知らないし、あいつらはその仕事の性質上、しょっちゅう部屋が足りなくなってあちこち臨時に借りるから、まず怪しまれない」

「部屋が足りなくなるほどの仕事が、外宮室には回されているのだな……」


 三省を総合的観点から補佐する『外宮室』という機関の存在を、実のところジュークは、マリス前女官長の事件があるまで、よくは知らなかった。割と最近できた組織だという事情もあるが、彼らに王に進言する権限がなく、直接関わることがなかったからという理由が最も大きい。王宮の組織図すらきちんと把握できていなかったくせに、これでよく政務ができていたものだと呆れるしかない。


(いや……できていないのだろう、な)


 王まで上がってくる、諸々の確認や了承を求める紙切れに、ただ言われるまま判を押す。即位して約二年、これまでのジュークがしてきたのはそういう『作業』だ。自分の目の前にある紙に書かれていることが何を意味し、許可を出すことで国がどう動くのか。説明に訪れた者の言葉を聞いただけで理解した気になって、一度自分の頭に取り入れ、じっくり考える課程がすっぽ抜けていた。これではとても、『政務』とはいえない。


(だからこそ、俺は。考えなければ)


 決意も新たに、部屋の中にぽつねんと置かれている、古びた大きい机に向かう。申し訳程度に添えてある椅子は、お世辞にも座り心地が良さそうとは言えないが、そんな贅沢を言うつもりはジュークにはない。


「それで、ジューク。俺はこの部屋に、何を持ってきたらいい?」


 さらりと問い掛けてくるアルフォードを、じっと見つめ。

 静かに、欲するものを口にする。


「――王宮に保管されている、クレスター家に関する資料、全てを」


 アルフォードの目が、無言のまま大きく見開かれた。反発されるかと、密かにジュークは危ぶむ。

 が、しかし。少しの間を置いて返された言葉は、ジュークの予想を斜めに外れていた。


「どの辺が欲しい? あの家はあれで、三百年続く旧家だ。保管されている領地運営報告書だけでも、この部屋が半分埋まるぞ」

「そ、そうなのか?」

「いまどき、領地の細かい運営状況を地方ごとにきっちりまとめて、王宮に提出する家なんて少数派だけどな。クレスター家はその筆頭だし、その分報告書もかさむ。よほどの変事がない限り、各家からの報告書は三十五年保管する決まりだから……」


 毎年の地方ごと、かける三十五年分の領地運営報告書が、この部屋に溢れかえることになるわけだ。


「中央とは関わりの薄い家だから、『クレスター』の名前で提出されてる書類は、それこそ領地に関する報告書くらいだけど。調停局の記録にも名前はしょっちゅう出てくるし、内務省の国土管理部にある資料だって、探せばいくらでも見つかる。あの家、実は王家とモンドリーア公爵家に次いで、領地面積広いから」

「侯爵家の面々を差し置いてか!?」

「調べれば分かる話だから最初に断っとくが、どの領地も別に、クレスター家から欲しがったわけじゃないからな? 歴代の当主が『ふざけんな誰が要るかそんなもん!』って拒否するのを、王宮側があの手この手で何とか引き受けてもらってるんだよ」


 初めて聞く話の総攻撃に、既にジュークの中の何かは振り切れ気味だ。

 そして、クレスター家の逸話云々以前に。


「アルフォード……随分と、詳しいんだな?」


 側近の意外な一面に、驚きが隠せないジュークである。

 問われたアルフォードは、軽く笑った。


「俺は剣の方が得手だから、騎士の道に進んだが。スウォンの家に生まれた以上、歴史に関する人並み以上の知識はある」

「あぁ……そうか。スウォンといえば、歴史研究の第一人者を代々輩出してきた家だったな」

「あの家じゃむしろ、騎士やってる俺が異端だ。――とはいえ、俺もスウォンの人間だからな。歴史のことなら、それなりに教えられるぞ?」

「ありがとう、助かる」


 頷いて、ジュークはしばし、考えた。


 貴族たちが毎年、領地運営についての報告書を王宮に上げていることは、ジュークも知っていた。しかしそれらは内務省が集めて内容を確認した後、特に問題がなければ中の数字だけが抜き出されて、王まで上がってくるのは総括報告だけ。どの貴族がどこの土地をどんな工夫で治め、報告書をどのように書いているか、そんな細かいことまでは知らないし、知ろうともしていなかった。

 そもそも。この広大なエルグランド王国の土地が、どんな配分で貴族たちに与えられているか。そこからしてあやふやなことに、ジュークは気付く。


(……よし)


 情けない自分に落ち込むのは後回しだ。ジュークはぐっと、顔を上げる。


「アルフォード。クレスター伯爵領の中で、最も新しく与えられたのはどこだ?」

「確か……ゼフラ地方だったな。三十年くらい前か」

「では、そのゼフラ地方についての詳細と、その土地がクレスター家に与えられた経緯(いきさつ)を知りたい」

「了解。その辺の資料を集めてくる」

「あと、調停局にあるクレスター家関連の記録は、なるべく多く目を通したい。俺が知る限り、調停局でクレスター家が訴えられた事例はなかったと思うが……」


 調停局の役割はいくつかあるが、主なものは貴族間での諍いの調停だ。貴族の罪や処罰の決定も、余程のことがない限りは調停局が担当する。調停局の裁量を越える事例としては、分かり易いものでマリス前女官長の不祥事が挙げられるだろう。

 あれほど悪名高い一族が、調停局の世話になったことがないなんて、どう考えても不自然だ。――噂が、真実ならば。

 アルフォードも、真面目な顔で頷いた。


「クレスター家や一族の者が訴えられた例は、歴史を遡っても驚くほど少ない。ただ、調停局が行った調査の中で、クレスター家についての証言が山ほど記録されているんだ。それ、全部見たいか?」

「優先させたいのはもちろん、クレスター家やその一族が訴えられた件だが。……そんなことがあったんだな」

「正式な記録にある中で一番新しいのは、百五十四年前だ」

「それは新しいと言わないだろう!」


 こればかりは、知らない自分を責める気にはなれない。百五十年以上昔のことなど、はっきり近世史の世界である。歴史の授業で教わりはしても、その時代の記録まで紐解いて調べるなんて、勉強熱心を通り越したただの物好きでしかない。


「ちなみに、訴えられはしたものの、本格的な調停までいかずに記録に残らなかった事例なら、約七十年前と三十年前の二回、あったはずだ。そっちも見るか?」

「それでも、たった三回か……」

「まぁ、証言集も含めれば、資料は十倍を越えて膨れ上がる」

「無理のない範囲で運んでくれ」

「分かった。他に欲しいものは?」

「内務省が記録している、クレスター家の系譜も用意してほしい。ゼフラ以外のクレスター領についても、大まかなところを知りたい」

「分かった。まずはそれくらいだな。調べていく中でまた欲しいものが出てきたら、その都度声を掛けてくれ」


 すんなり頷いて協力姿勢のアルフォード。ありがたいが、不思議でもある。


「どうして突然クレスター家のことを? とか、聞かないんだな」

「まぁ、紅薔薇様の本心に触れて、彼女だけじゃなくあの家そのものに疑問を持つ気持ちは分からなくもないからな」

「仕事も放ってこんな私的な調べ物をするな! って怒らないのか?」

「行方不明になってまですることかよ、とは思うが……今はそう立て込んだ案件があるわけでもないし。何より、(おまえ)が必要だと決めたことに、臣下(おれ)が横槍を入れるのは違うだろ」


 その言葉は本心ではあるが、全てではない。そう感じ取れる程度には、ジュークはアルフォードと深く付き合ってきた。資料を探すため退室したアルフォードを見送って、ジュークは静かに目を閉じる。


(おそらく、アルフォードは知っているんだろうな)


 ジュークが閃き、調べて、確信を得ようとしていることを。アルフォードは――『スウォン』の血を継ぐ彼はきっと、最初から知っていたのかもしれない。

『歴史を学び、調べ、編纂し、紡ぐ』――エルグランド王国の誕生と同時に貴族位を与えられたスウォン家は、王国が名を持つ前からその役目を受け継いできた、『(いにしえ)の一族』の末裔だ。

 スウォン――古代語で、『(うた)』。


(父上……俺は、本当に愚かです。あなたの教えを何一つ、実にすることができていない)


 エルグランド王家もまた、王国が名を持つより以前からその役目を継ぐ、『古の一族』だ。『古の一族』には、一族だけの口伝がある。紙には決して記されず、親から子へ、子から孫へと、途切れることなく言い継がれてきたものが。


 古き時代の言の葉と、そこに込められた意味――。


 父が、忙しい合間を縫って、『教育係』たちの目すら盗んで、家族の時間を後回しにしてまでも、ジュークに伝えようとしていたこと。「これは私たちだけの秘密だ。他の誰にも言ってはいけないよ」と何度も念押しし、教えてくれたことが……ただの、『言葉』であるはずがなかったのに。

 アルフォードが改めて『スウォン』の名を出すまで、そんな簡単なことにすら、思い至ることができなかった。


「待たせたな、ジューク。日が昇ったら面倒なことになるから、ひとまず内務省から資料を掻っ払ってきた。

今から調停局の記録も持ってくるからなー」

「ありがとう、アルフォード。助かるが、あまり無理はするなよ?」

「何の。騎士は体力が勝負だ。この程度どうってことねぇよ」


 こうして尽くしてくれる側近のことも、ジュークは分かっていなかったのだ。本当なら、彼が傍についてくれたそのときに、言葉を交わして分かり合う努力をすべきだったのに。

 アルフォードへの絶大な感謝と、苦い悔恨を胸に抱きながら、ジュークは資料に手を乗せた。


 知らなければならなかったのに、知らずにいたことが多すぎる。

 ここに来て、ようやく。ジュークは『何か』を掴もうとしていた。



  ***************



 調べものに没頭している間に、気付けば時間は飛ぶように過ぎていた。

 窓の外が白み始め、太陽の先触れを告げる頃――あちこちに足を運び、資料を揃えてくれていたアルフォードが、何故か手ぶらの、険しい顔でやってくる。


「ジューク。落ち着いて、聞いてくれ」


 その顔色と、声音から。何か尋常でないことが起こったと感じ取れる。

 ジュークは開いていた冊子を閉じ、アルフォードと目を合わせた。


「どうかしたのか?」

「シェイラ様が何者かによって王宮外に連れ出された。手引きをした侍女が紅薔薇様の名を出したため、王宮騎士団が紅薔薇様の捕縛に踏み切ったそうだ」


 とんでもない事態に、一瞬頭がついていかない。

 思わず立ち上がって怒鳴りそうになったジュークは、目の前のアルフォードを見て、はっと我に返る。


 淡々と報告をするアルフォードの表情は、ぱっと見には落ち着いていて。

 けれど。よくよく見れば――。


「アルフォード。そんなに強く拳を握るな。いざというとき剣が握りづらくなるんじゃないか?」


 信頼する、国王近衛騎士団団長の、手は。色がなくなるほど固く握り締められ、よくよく見れば小刻みに震えている。ジュークに指摘され、はっとしたようにその手から力は抜けたが。その分、彼の表情の変化は劇的だった。

 いつも優しく、温かな森色の瞳に、苛烈な稲妻が走る。


「どこのどいつだ、こんな卑怯なことを……!」

「シェイラが攫われ、その首謀者が紅薔薇、か」

「まさか、信じてるのか!?」

「あり得ない」


 アルフォードが目に見えて感情的になってくれた分落ち着けただけで、ジュークとてしっかり動揺している。

 それでも、どれだけ衝撃的な知らせであったとしても。


「紅薔薇が、シェイラを拐かす? あの、全てを守るために、己の命すら楯にする娘が? ――天地が逆さになろうとも、あり得ないことだ」


 第一、とジュークは苦い思いを表情に上らせる。


「紅薔薇は昨日の毒で、夜通し寝込んでいたはずではないか? それなのにシェイラの誘拐を企てるなんて、できるはずがない」

「お前がそこを分かっていてくれて、本当に助かる」


 アルフォードの顔色は、滅多に見ないほど悪い。もちろん、この事態がただならぬものであることは、ジュークとて理解できているが。

 特に。


(シェイラ。無事、なのか――)


 宴で見た、シェイラは。遠目に見ても、これまでとはどこかが違っていた。

『紅薔薇派』の側室たちに囲まれ、膳を食べるよう、強要されていたときも。そこに怯えや不安は見えず、そんな彼女たち相手に引こうとしない強さすらあった。


 出逢いは、ありふれていたように思う。後宮の片隅でひっそりと暮らす末席の側室と、そこに偶然通りかかった王。朝の透き通る光の中、小鳥たちと戯れ、優しい微笑みを浮かべる少女に、ジュークは一瞬で心奪われた。

 真っ直ぐに、自分を見る眼差しに。彼が『王』だと知ってなお、目を見て言葉を伝えようとする心に。

 惹かれて、落ちるのは早かった。

 シェイラは、ジュークに媚びない。『王』の寵愛を利用することなど、考えすらしない。むしろ遠慮がちで慎ましやか。

 そんな空気に癒されたくて、出逢って毎日、彼女の部屋へ通い詰めた。


 関わっていく中で、シェイラも少しずつ、変わってきた。最初の頃の、戸惑いとともにジュークを受け入れるだけの姿勢から、徐々に自らの意見をぶつけてくれるようになり。控えめながら聡明なその姿に驚かされたのは、一度や二度ではない。

 そんなシェイラを嬉しく思うと同時に、感情を出すようになったからこそ顕著に見える、シェイラの不安と自信のなさに、ジュークは釈然としない気持ちを抱いた。

 シェイラはもっと、自分に自信を持って良いと、自省するようになったからこそジュークは思っていた。謙遜でも何でもなく、おそらくシェイラはジュークより賢い。『王より優れた者はいない』というのも『教育係』たちの口癖であったが、そんなものは単なる思い込みに過ぎないと、今のジュークは分かっている。人の優劣に立場は関係なく、要は本人の資質と努力の問題だ。

 シェイラが自らの資質を磨いて、より高みに昇ることを、ジュークは歓迎こそすれ嫌がったりしないと断言できる。これも聞きかじりだが、男の中にはどうしても女を下に見て、自分より劣っていないと安心できない輩が居るらしい。ジュークにはどうしても理解できない心理だ。結果論ではあるが、女の方がジュークより劣っていたとしたら、後宮は荒れに荒れて荒れ狂い、この国の終焉は目の前だった。優れた女性たちが、ジュークの知らないところで支えてくれていたから、この国はまだ何とか形を保っているのだ。

 シェイラがどのように変わろうと、ジュークの気持ちは深まりこそすれ、離れはしない。恋に落ちたのは初めてのジュークだが、だからこそ、恋が理屈でないことはよく分かる。正直、シェイラの瞳が自分を映して、同じ時間を共有できるだけで、胸が幸福感に満ちるのだ。ありきたりな言葉だが、シェイラがいてくれればそれだけで、ジュークの人生は幸福だろうと思う。


 ――そう、思っていたから。昨晩の宴では、これまでにない強さに満ちたシェイラを見て、心配以上に頼もしさと、よりいっそうの愛おしさを感じたのに。


(こんなに簡単に、喪われてしまうもの、なのか……?)


 弱気が過ぎり、ジュークはそれを、必死で振り払った。

 諦めるには、何もかもが早すぎる。自分たちはまだ、何も知らず、何もしていない。


 強い瞳で、ジュークは。目の前のアルフォードを見た。


「情報が足りない。細かいところをまず、聞かせてくれ」

「何が知りたい?」

「まず、シェイラ誘拐の手引きをしたという侍女。それは誰だ?」

「だいたいの想像はつくと思うが……」

「――ベルとかいう、タンドール家の私的侍女、だな?」


 ベルが、現タンドール伯爵の長男、ライノと共謀して、何も知らないソフィアを洗脳し、煽動しているという報告は、ジュークもディアナから受けていた。そのライノもオレグ・マジェンティスに操られ、オレグも更にノーマード・オルティアに煽られているという、二重三重の構図だ。

 アルフォードは、瞳に稲妻を走らせたまま、深く首肯した。


「ベルは、シェイラ様を王宮の外まで連れ出す手引きをした後、挙動不審なところを王宮騎士に発見されて尋問され、シェイラ様誘拐について自白したそうだ。後宮外の協力者として、ライノ・タンドールとオレグ・マジェンティスも、既に王宮騎士が捕縛したらしい」

「ノーマードはどうした?」

「今のところ、王宮騎士が捕らえているのは、ベル、ライノ、オレグの三人だな」


 最近自分の愚かさに嫌気がさしているジュークではあるが、それでも彼は基本的に有能だ。物事の理解も早いし、要領も悪くない。考えることさえ覚えれば、状況から論理的に推測を立てることもできる。

 アイスブルーの瞳が、厳しい光を放った。


「――保守派の陰謀か」

「何故そう思う?」

「紅薔薇の調べでは、ノーマードは牡丹と繋がっているのだろう? つまり彼を捕らえれば、牡丹との繋がりが明るみになる危険がある。ベルの他に捕らえられたライノとオレグは、常日頃から主義主張がはっきりしていて、誰が見ても革新派と分かる者だ。その二人が捕らえられ、ノーマードが見逃されている状況から、保守派が紅薔薇と革新派を狙って仕掛けた罠だと考えられる」


 ジュークの言葉を最後まで聞いてから、アルフォードも大きく頷いた。


「俺も同感だ。知らせを持ってきてくれた奴は、家こそ保守派だが、金にも腹の足しにもならない『誇り』と『血筋』にうんざりしててな。ただ、それを敢えて表には出さず、密かに騎士団の保守派の動きを探ってくれてるんだ。――そいつの耳に一番に入った、って点で、俺も保守派の自作自演を疑ってる」

「シェイラの誘拐も、保守派が関与していると?」

「だろうよ。普通、側室の誘拐なんて報が入ったら、まず軍に連絡して捜索隊を依頼するだろ? 誘拐された側室の安否確認の前に、不確かな侍女の妄言だけを根拠に『紅薔薇捕縛』に踏み切るなんて、暴挙もいいところだ」

「……つまり、シェイラの捜索は、どこもしていないんだな?」

「軍も動いてないし、そもそも王宮騎士団自体、張り切って動いてるのは保守派だとよ。普段はぐうたらの代名詞みたいな奴らなのにな」

「紅薔薇を捕縛したのも、保守派か」

「騎士団の保守派の中でも、上から言われたままにしか動けない、無能と名高い馬鹿が率いる一団らしい」

「俺が言う筋合いではないが……そんな馬鹿がよく、一団を率いる立場になれたものだな?」

「ひたすら騎士団に居座って賄賂積んでりゃ、どんな間抜けでも小団長くらいにはなれる」


 アルフォードの言葉は容赦がない。つまりこの王宮にはそんな『間抜け』が一定数いるわけか、と心に留めて、ジュークは机の上で指を組んだ。

 誘拐されたシェイラは、安否すら不明。後宮にて誰より頼りになる『紅薔薇』ディアナは、今。


「保守派は……紅薔薇を捕らえて、どうするつもりなのだろうな」

「俺も、そこがいちばん気に掛かってる」

「ありもしない罪をでっち上げて、身柄を拘束したんだ。中途半端なことはすまい。王宮追放か、一家諸共追い落とす策か……」


 アルフォードの顔色が、一瞬で青くなった。先程調べていた『記録』から、ある推論を立てていたジュークは、アルフォードの態度でそれがあながち外れていないことを知る。


「アルフォード、一つだけ、お前の考えを聞かせてくれ」

「何だ?」

「――クレスター家は、動くと思うか」


 ジュークの言葉に、アルフォードは静かに目を閉じて。

 額に手を当て、うなだれた。

 弱々しい声が、漏れる。


「……確実に、動くだろうな」

「そうか……」


 彼らの『怒り』が、どこまで及ぶか。アルフォードには想像がついているようだが、ジュークはまだ確信できない。もし――仮に、彼らが『王』まで鉄槌を下したとしても、自分で言うのも虚しいが、自業自得だと思ってしまう。


(それでも……)


 疑いなく『王』を信じていた頃には、ジュークはもう、戻れない。愚かな王なら必要ない、その想いは今も、ジュークの胸にくすぶっている。

 それでも、今はジュークが王で。王にしか押せない御璽があって。王にしか下せない決定もある。

 この手にある、『王』の権で。救えるものも守れるものもあるはずだと、今は信じて、進むしかないのだ。


(いっそ、全て滅ぼして欲しいと――思うことこそ、傲慢だろう)


 ディアナが、守ってきたものを。シェイラが、望んできたものを。

 そしてきっと、彼女たちに力を貸してくれていた、全ての人が目指すものを。

 ――投げ出すことは、赦されない。


 ジュークは静かに、立ち上がった。


「アルフォード。後宮近衛の、グレイシー団長に連絡を。二手に分かれ、片方は秘密裏に、シェイラの捜索をするように」

「後宮近衛を動かすのか?」

「国王近衛にも、数名は動いてもらいたいが。万一近衛を動かしたことが明るみに出たとき、側室を守る立場の後宮近衛ならば、シェイラの誘拐を知って捜索したとしても、非難の対象にはならない」

「しかし、それでは人手が……」

「そうだな。だから、国王近衛には、通常勤務の体を取って王宮を探り、内からシェイラの居所の手掛かりを探ってほしい。もちろんシェイラの居所だけではなく、王宮に広く散り、この件に関わっている者たちを、なるべく多く見つけ出せ。――できるか?」


 アルフォードの顔が、国王近衛騎士団を束ねる団長のものになる。音を立てず、しかし力強く、彼はその場に膝をついた。


「我らは陛下に仕え、剣となり盾となる存在。必ずや、陛下のお役に立ちましょう」

「気持ちはありがたいが、くれぐれも気をつけてくれ。俺は――私はこれ以上、誰かを犠牲に玉座に居座るつもりはない」


 それは、遠回しながら、ジュークを王に戴き続けたいのならば死ぬなという命令だった。アルフォードも生粋の貴族、その真意が掴めないほど鈍くはない。無言で深々と頭を下げる。


「承りました」

「私の所在については、引き続き他言無用で」


 念を押すまでもなく、アルフォードは分かっているのだろう。静かに頷く。

 立ち上がった彼に、ジュークは思わず、素に戻って問い掛けていた。


「アルフォード。……俺はまだ、間に合うだろうか」


 最後の、最後まで。足掻き続けようとは、思っている。そうでなければ、愚かな自分をそれでも信じて、ずっとずっと待っていてくれた彼女たちに、合わせる顔がないから。

 けれど。やっと、自ら考えることを覚えたばかりの、自分には。


「自信が、ないのだ」

「ジューク……」

「これが正しいのかどうか、自信はない。結局のところ、どこまでいっても、俺はシェイラのことしか考えていないのではないか。その外側に理屈をつけて、自分を納得させようとしているだけなのかもしれない」


 シェイラが死ねば、保守派の謀略は完成する。そう考えたから、シェイラを救うことが第一だと、それが優先すべきことだと、結論づけた。

 けれど、それが本当に正しいのか。正しいとしても、後宮近衛と国王近衛の動かして探るこのやり方が、本当に最善なのか。――もし、間に合わなかったら。


 不安は、尽きない。気を抜けば、悪いことばかり、想像してしまう。

 こみ上げてくる不吉を、必死に首を横に振ることで追い払って。


「俺は、正しい道を、切り拓いているだろうか」


 ジュークの問いに、信頼する側近は、ただ凪いだ眼差しを向けた。


「誰かに、間違いだと言われたら。お前は立ち止まるのか」

「それは……」


 言われて、考える。

 たとえばこの状況で、優先すべきはディアナと助言されたら。それもある種の真実ではあろう。シェイラとディアナでは、立場が違う。――背負うものも、違う。

 シェイラを見捨て、保守派からディアナを庇って。――ディアナを守ることで、クレスター家の怒りを鎮める。

 それが『正解』だと囁く悪魔も、確かにジュークの中に存在している。


 けれど、それは。これまでのディアナの犠牲が、形を変えてシェイラに移るだけだ。

 客観的に考えて。今、この状況で最も命が脅かされているのは、間違いなくシェイラである。

 ならば――。


「それでも――仮に、これが間違いだとしても。俺はもう、自らの無知故に他者を踏みにじり、犠牲にして、その犠牲の上に立つ王には、戻りたくない」


 そう。これが、ジュークの偽らざる、本音。

 もしも、今。この世に『王』が必要なら。

 ジュークが求めるのは――。


「人の上に立って、痛みを与える王ではなく。全ての人民の下で、その命を、暮らしを、幸福を支え、守る。俺が欲しいのは……望むのは、そういう、王だ」


 そんな王になれる、自信はない。自分の愚かさを、至らなさを思い知るたび、ほど遠いと思う。

 けれど、なりたいのだ。人は、支え合わなければ生きていけない。後宮の側室たちと関わるほどに、支えられている己を、ジュークは実感してしまったから。

 全ての人を支えられるような、そんな『土台』になりたいと。

 今、自分が瀬戸際にいることは、分かっている。『夢』を見ている場合ではないと分かっていて、それでも。


「目指す王に、なりたいと思う。――諦めたくは、ないのだ」


 ゆっくりと、ジュークの言葉を受け止めて。アルフォードが口を開く。


「ジューク。お前が今進む道が、どこに繋がっているか。それはきっと、今を生きる誰にも、本当のところは分からないんだろうと思う」

「あぁ……そう、だな」

「けどな」


 そのとき、ジュークは見た。アルフォードの顔に浮かぶ、不思議な微笑みを。

 ――覚悟を決めてひとを信じ抜く者の、煌めきを。


「俺は。そんなお前が創る国を、この国に生きる一人の民として、ジューク王に仕える臣として――お前の友として……見てみたい」


 こらえ、きれない。視界が――歪む。

 耐えられずに下を向いたジュークに、優しいアルフォードの声が聞こえてくる。


「俺は、しばらくこの部屋を空けるから。近衛を動かして、情報が素早く集まる態勢構築してから、戻ってくる」

「あぁ……頼んだ」


 扉が閉まる、音がして。

 頬を伝う熱い滴を、季節外れの雨だと言い聞かせ、ジュークは机に戻る。


 ――心のままに振る舞うのは、全てが終わった、その後だ。






ログイン目指して頑張れ、ジューク!


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