表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
109/243

閑話その31-3〜大切なひとのために〜


シェイラ視点は、ひとまずこれでおしまいです。

ラスト、別視点で補足あり。


 ドガァン!!!!



(………………あら?)


 刺さらなかった。痛みも、衝撃も、何一つシェイラを襲うことはなかった。

 ナイフを振り上げた瞬間、ものすごい音とともに、大男の身体が真横に吹っ飛んだからだ。……常識から考えて、あり得ない動きである。


「まに、あったー……。ちょ、ホント心臓に悪い」


 そして、大男が消えた空間には。ついさっきまでは間違いなくいなかったと断言できる新たな人物が、当たり前のような態度で、飄々と立っていた。

 寝ているシェイラを、その人物はちらりと見る。


「大丈夫? 起きられる?」

「あ……はい」

「そう。さすがに寝転んだままは危ないから、起きて、できるなら立っといてね」


 ……状況から考えて、この少年(に見える。さすがにシェイラより十も上には見えない)が大男を蹴り飛ばすなりして助けてくれたことは確かだが。態度も言葉も、危機を救ってくれる通りすがりのヒーローとはほど遠い。

 大男は吹っ飛ばされて戻ってこないけれど、この場にはまだ、手先の男を含めて五人も残っている。危機を脱したとは言えないはずだが、シェイラは本能で悟った。


(たぶん、この人堅気じゃない……)


 ちょっと腕っ節が強いだけの誘拐犯たちとは、醸し出す気配からして違う。『そういうこと』が専門の、平和な世界で生きている限りは縁のない種類の職種の人。

 商人の娘で貴族の端くれのシェイラは、『そういうこと』専門の人がいることは、知識としては知っていた。もちろん、平々凡々に生きてきた彼女は、実際にお目に掛かるのは今日が初めてだ。


 シェイラが、助けてくれたはずの人にビビりつつ、痛む身体を起こして立ち上がっている間、誘拐犯たちはぎゃんぎゃん騒いでいた。


「てめぇ……何しやがる!」

「邪魔すんな! その小娘は俺たちの獲物だ!」

「小童が。ふざけんなよ!」

「おい! ここは誰にも見つからねぇ穴場じゃなかったのかよ!」


 彼が、その雑音を、まるで聞いていないことは態度で分かる。

 果たして――シェイラが立ち上がったことを確かめた彼は、ごくごく普通の、何の気負いもない声で。


「俺さぁ。今、めちゃくちゃ機嫌悪いんだよね。――向かってくるなら、消すよ?」


 流れる血液が瞬間冷凍されたと錯覚するほど、ぞっと凍える『何か』を放ち、その場を圧倒した。

 荒事には無縁のシェイラですら、感じ取れたのだ。多少腕に覚えがある男たちが感じた恐怖は、シェイラの比ではなかっただろう。喚いていた男たちは、口を開けたまま、言葉を失い。


「う、わああああぁ!!」


 数拍後、まるで合わせたかのように、一斉に逃げ出した。

 ――走り出す男たちを見て、シェイラも我に返っていた。考える間もなく、叫ぶ。


「ダメです! 一番奥の、茶色の上着の男! あの人だけは逃がさないで!!」


 突拍子もないシェイラの叫びにも、彼は動じなかった。彼の手が動いたとほぼ同時に、森の中に逃げ込もうとしていた手先の男がバランスを崩して倒れる。シェイラの目の前から、彼の姿がふっと掻き消えたかと思えば、手先の男を拘束した彼が戻ってきて。……焚き火はまだ燃えていて、廃小屋周辺は明るいはずなのに、シェイラには少年がどう動いて何をしたのか、全く見えなかった。


「コイツで良いんだよね?」

「あ……はい。ありがとう、ございます」


 礼を言って、シェイラは、手先の男の左胸内ポケットに手を伸ばす。指先に触れた紙を、今度こそしっかり摘まんで引き抜いた。焚き火に近付いて、内容を確認すれば。


『王は、紅薔薇処刑について、その罪を公にする必要があると、臨時の議会を召集されることとなった。時刻は、明日午前十時。ついてはその席で、紅薔薇による寵姫殺害を問いただす。予定通り夜が更けたら、シェイラ・カレルドを殺害せよ。但し、彼女の死は、誰が見ても『紅薔薇派』が仕組んだことと、思わせねばならん。具体的な工作は、お前に一任する』


 シェイラの目が、極限まで見開かれた。予想通り『侯爵』の関与を示すこの紙、しかしシェイラが言葉を失ったのは、指示の部分ではない。


「なに……これ。『紅薔薇処刑』って」

「何、もなにも。シェイラさんが連れ去られたのは『紅薔薇様』の企み、ってことになってるんだから、処刑も自然な流れじゃない? 現に今、『紅薔薇様』は王宮の地下牢にいるし」


 全身の血液が、沸騰した。


「ふざけないで!! ディーが私を誘拐して、殺すように指示した、ですって? 『紅薔薇派』を、ソフィア様を暴走させて、ディーを苦しめたことだけでも赦せないのに。全てを守るために、毒すら躊躇いなく飲んじゃうようなディーが、人殺しなんてするわけないじゃない! そんな優しい、気高いひとを――私の、親友を! 卑怯な策略で、『保守派の邪魔だから』なんて理由で、殺すつもりなの!?」


 甘かった。シェイラはぎり、と奥歯を噛みしめる。

『紅薔薇派』暴走の責任を、頭のディアナに被せて、彼女から『紅薔薇』の椅子を奪う、なんて。保守派が企てていたのは、そんな生ぬるい策じゃなかった。

 もっと、直接的に。確実に。邪魔者を文字通り『消す』ために、彼らは動いていたのだ。


(私が、みすみすベルに騙されて、連れ去られたりしたから――!)


 どうしてあのとき、自分はもっと警戒しなかったのか。愚かな自分に、怒りを通り越して吐き気がしてくる。

 血液の流れが止まるほど、強く紙を握りしめたシェイラの背後で、ふっと空気の抜ける音が響いた。

 振り返れば、誘拐犯が可愛く思える謎の少年が、苦笑と困惑を足して二で割ったような表情で、シェイラを眺めている。……そういえば意識していなかったが、先程のシェイラの問いに答えたのは、手先の男ではなく彼の声だ。


「……なんですか?」

「いや? やっぱり気付いてたんだと思って。『ディー』の正体」


 その一言で、謎が解けた。――彼は、もしかして。


「あなたは、ディーの……『紅薔薇様』の、配下なのですか?」

「ディーの絶対的味方なのは否定しないけど、配下じゃないね。俺は俺の意志で、ディーの傍にいる。それだけの存在だよ」

「では……あなたが、私を助けてくださったのは」


 くすりと、彼は物騒に笑った。


「残念。そこで、『ならどうしてディーを助けないの!』とか言われたら、問答無用で見限れたのに」

「私の安否が分からない状況で、ディーが無闇に動けないことくらい、想像がつきます。あなたが本当に、ディーの『絶対的味方』なら、目先の危険に囚われてディーを死ぬまで後悔させるような手は打たないはず。……ディーのために、私を助けに来てくれた。そうなのですね?」


 無言の微笑が、何より雄弁な肯定だった。シェイラの肩から、力が抜ける。


「お礼を申し上げるのは、もうしばし待って頂けますか」

「ディーのためにしたことだから、お礼とか別に要らないけど。――戻るんでしょ?」

「『帰る』んです。……きっと、心配して、待っているはずだから」


 大切なひとたちのためにも。帰って、――壊さなければならない。権勢を得ることしか考えていない、真の悪人どもの企てを。

 ディアナを、処刑? そんなことは、絶対にさせない。


「……なんか、俺が聞かされてたのと、大分いろいろ違ってるな」


 ふと、存在をすっかり忘れていた、『侯爵』の手先が口を開いた。捕らえていた彼も忘れていたらしく、「あ」と声を上げる。


「なんかいろいろ聞かれちゃったねー。面倒だし、埋めようか」

「あんたらの三角関係なんて、死ぬほど興味ねぇよ。だいたい、『寵姫』と『裏社会の凄腕』が『紅薔薇』を取り合ってるなんて、どこの誰が信じるんだ」

「……今の、そういう話だった?」

「違う気がします……」


 非常に不本意だ。そもそも、ディアナは取り合えるような存在ではない。

 唇を尖らせたシェイラに、男は苦笑する。


「そうむくれるなよ、お妃さん。アンタは見事、勝ったんだからさ」

「私が勝ったわけでは……『お妃』?」

「まぁ、シェイラさんは王様の側室さんだし、『お妃』だよね」

「この国で正式な『(きさき)』の称号を与えられるのは、正妃様ただお一人です」

「いずれなるんでしょ? なら別に、今から呼ばれてても問題ないんじゃない」


 突っ込むべき点は多々あるが、とりあえず問題しかないことは確かだ。心なしか頭痛がしてきたが、目の前の男たちに貴族の常識を持ち出しては話が進まないことは、シェイラにも分かる。

 ため息をついて、手先の男の方を向いた。――彼にはまだ、聞きたいことがあったのだ。


「勝ったわけではありませんが、私は生き延びられそうです。あなたが指示を仰いでいた『侯爵』の家名を、教えて頂けますね?」

「……わりーな。俺はどうしたって、アレを裏切れねぇんだよ」

「敬ってるようには見えないけど。人質でも取られてるの?」


 少年の言葉に、男は苦く笑った。


「コレだから嫌なんだよ、本物の稼業者は。こっちが隠したいことまで、見抜きやがる」

「いや、見抜くも何も、お約束だから。――病気の妹、とか?」

「病気だったのは母親だ。治療のための借金がかさんで、俺たち兄妹は生涯あの家に縛られてる。俺は侯爵の奴隷、妹は次期侯爵の……ま、玩具(おもちゃ)だな」

「あー、なるほど。アンタが外で裏切れば、屋敷にいる妹が……ってパターンなんだ?」

「『裏』にはこんな話、ごろごろ転がってるか?」

「俺たちというか、貴族相手に商売すれば、そんな話掃いて捨てるほど出てくるよね。ここまでゲスいのはなかなかないけど」


 ……なんだろう。とてつもなく重い話のはずなのに、少年の言葉の調子が徹頭徹尾軽すぎて、大したことない気がしてくるのは。

 シェイラが内心首を捻っている前で、少年は男を解放した。


「アンタ、運が良かったね。俺をここに寄越したコはさ、そういう人間を放っておけないお人好しなんだよ」

「……さっきの話から察するに、『紅薔薇』が?」

「どうせクレスター伯の令嬢の命狙った時点で、その『侯爵』の命運尽きてるし。明日家から出たら、もう帰って来られないよ。家主不在の隙に妹連れて、どっか逃げたら?」

「だが、証文が……」

「この国で、親の病気の治療費が子ども二人の生涯の給金超えるなんて、あるわけないじゃん。悪徳高利貸しと『侯爵』が組んだ詐欺だよ、詐欺。証文を調べれば違法だってすぐ分かる。何なら俺からクレスター家に耳打ちしとくけど?」

「……逃げられる、のか。本当に?」

「信じるか信じないかは、自分で決めて。アンタの決断にまで、俺は関われない」


 手のひらで顔を覆い、男は小刻みに震え出した。……これは、泣いている、わけではなく。


「く、くくく……っ」


 笑っている。小刻みに震えて、誘拐犯だったはずの男が、笑っている。


「小僧……。お前、心底俺のこと、どうでもいいと思ってるだろう」

「言うまでもなく、どうでもいいよ。アンタが侯爵に操立てて死のうが、沈む泥船見限って妹と逃避行しようが、妹見捨てて侯爵裏切ろうが、俺に関係ないし」

「真理だな。なのに慣れないお節介を申し出たのは、どうでもよくない『紅薔薇』のためか?」

「……ここでアンタを見捨てたら、あのコは確実に、気に病むからね」


 俺一人ならどうとでもするけど、今シェイラさんいるし、と続けた彼は……とことん面倒そうだった。


「あんまり時間ないから、とっとと決めて欲しいんだけど。『侯爵』に忠義を尽くしたいなら、ここで殺してあげるよ?」

「あのクソムカつくハゲのために、誰が死ぬか。妹連れて逃げるよ。――あの屋敷は、俺たちと似たような境遇の『使用人』で溢れてる。お前にツテがあるなら、証文の件、頼みたい」

「ん、分かった。言っとく」

「つくづくどうでもよさそうだな。……あぁ、そうだ」


 小屋の中で対峙したときとは別人のような顔になった男が、シェイラの方を向く。ポケットをごそごそ探り、小さな白い布包みを取り出した。


「ほら、お妃さん。勇敢なアンタに餞別だ。上手く使えば、その紙以上に決定的な証拠になる……かもな?」

「え……」


 証拠、と聞いて反射的に受け取ってしまう。男は笑った。


「それが何か、どう使うのかは、小僧が知っているはずだ。王都に戻るまでに、教えてもらいな」

「ま、想像はつくけど。普通に三回で良いの?」

「……お前、マジで名のある凄腕だな?」

「詮索するなら消すよ? 俺今、機嫌悪いし」

「さっきも言ったろ。興味ねぇよ。単なる確認だ」


 首を横に振って、男は空を見上げた。


「議会は十時からだったか。お妃さん連れて戻るなら、結構ギリだな」

「誰かさんたちが、ご丁寧にこんな奥まで逃げてくれたからね」

「それは俺のせいじゃねぇよ。ここを使えって言ったのは『侯爵』だ。穴場で、絶対に見つからないからってな」

「……ふーん?」


 薄く笑って、少年は肩を竦める。


「逃げるなら、早く逃げれば? 俺たちと一緒にいるの見られたらまずくない?」

「そもそも逃げるの邪魔したのお前だろうが。……まぁいい。お言葉に甘えて、俺は消える。後は任せたぜ」


 シェイラに黙礼し、今度こそ男は、森の中に消えていった。何となく見送って、ふと呟く。


「妹さんと、無事に逃げ切れるでしょうか……」

「大丈夫じゃない? あの人、馬鹿じゃなさそうだし」


 答えた彼は、本気で興味がなさそうだ。照れ隠しでもなんでもなく、男が生きようが死のうがどうでもいいらしい。


 手の内の紙と、謎の白包みを見つめ。紙を折り畳んで、無くさないよう袂にしまう。……ただの寝間着に、どうしてこんな収納機能が備わっているのかと、最初に袖を通したときは疑問だったが、こういうときのためだろうか。簪も、この袂のおかげで持ってくることができたわけだし。

 そこまで考えて、思い出した。


「そうだ、簪!」

「簪?」

「ディーにあげたプレゼントなんですけど、落ちたの拾って、ここまで持ってきて。さっきあの辺に……」


 説明しながら、簪が飛ばされただろう辺りに駆け寄る。広間の端で光が届きづらいが、あれを落としたまま帰ることはできない。

 必死に目を凝らして探していると、少し離れた場所にいた少年が、屈んで何かを拾い上げるのが分かった。


「これ?」

「え……と、それです!」


 間違いない。細長い棒の先端に、揺れる飾りがついた、『雪の月』の簪だ。

 拾った彼は、しげしげとそれを眺めている。


「女の人の装飾品にはあんまり詳しくないんだけど、これって簪なの? なんか細くない?」

「変わった形でしょう? ずっと東の方の国では、簪はこんな形をしているそうです」

「へぇ、そうなんだ。確かにディーに似合いそう」

「似合ってましたよ。……じっくり見て、そう言えなかったのが残念です」

「帰ってから直接渡して、そう言えば? この辺とかちょっと錆びてるけど、これくらいなら修理に出せば綺麗になるだろうし」


 はい、と手渡されて見てみると、確かに棒の部分がぽつぽつと錆びている。そう目立つものではないので、言われるまで気付かなかった。

 せっかくのディーへのプレゼントが、とシェイラの気持ちは盛り下がった。


「私が、男たちへの反撃に使ったりしたからでしょうか……」

「え、何? まさかそんなので戦ったりしたの?」

「戦う、と言えるようなものでは。ただ、小屋から逃げ出すために、これで男の喉を突いたんです」

「わぁ、意外」


 虫も殺せないようなお嬢さんに見えるのに、と少年は笑って、首を横に振った。


「その錆とシェイラさんの攻撃は関係ないよ。喉を突いたってことは、使ったの先端でしょ? 錆が飛んでるのは棒のトコで、むしろ先端はぴかぴかしてるし」

「でも、それならどうして錆びたりなんか……」

「その簪っていつ落ちたの?」

「それは……ディーが私を助けようと、膳をひっくり返したときだと」


 言いながら、シェイラははっと思い出した。――銀製品が、高貴な人々の間で重宝される、理由の一つを。

 思わずのように少年を見ると、彼は意味深に微笑んでいた。


「見たところ新品の銀簪が、そんな不自然な錆び方してるのは。……そういう、理由だろうね」

「じゃあ、やっぱり……」


 宴の、恐怖が蘇る。シェイラ自身が命を狙われた、その恐ろしさではなくて。


「ディーは……無事、なの?」


 目の前で、絶対に失いたくないひとが、自ら死地に赴く瞬間を止められなかった恐怖が。

 簪を持ったまま立ち尽くすシェイラに、緊張感の欠片もない声が降ってくる。


「無事か無事じゃないかで言えば、処刑待ちで地下牢に放り込まれてる状態だから、無事ではないけど。生きてるか死んでるかなら、毒も抜けて元気だったよ」

「それはつまり、あまり強い毒ではなかったと……?」

「いーや。単にディーが、規格外のお嬢様ってだけ。シェイラさんが食べてたらアウトだったんじゃないかな」


 堅気じゃない職種の人に言われると、本当にそうだったんだろうなと思えてくる。普通ならお陀仏の毒でも生き延びるディアナについて、いろいろ突っ込みたいことがないではないが、とりあえず生きているなら、ひとまずは良い。

 シェイラが納得したことが伝わったのだろう。少年が静かに笑む。


「ところで、ここでの用事がもうないなら、急いで王宮に戻るべきだと思うんだけど?」

「もちろんです。帰って――ディーの処刑なんて、ふざけたことを止めさせなくちゃ」

「じゃあ、火の始末をして、出発しようか。シェイラさん、足元照らす明かりとか持ってる?」

「いえ、私は……。男たちが持っていたのが、あの小屋の中にありましたけど」

「なら、それ借りようか。俺、焚き火消しとくから、取ってきてもらえる?」


 もちろん、シェイラに否やはない。大事な簪もしっかり袂に入れて、シェイラは小屋へ小走りに駆け込んだ。ランプの油は充分だったらしく、誰もいなくなった小屋の中を、律儀に照らしてくれている。


(はやく、……早く、帰らなくちゃ)


 愚かな自分に憤るのは、無力な自分を嘆くのは、全部終わったその後だ。

 ……今、自分を責めて、立ち上がれなくなるくらいなら。


(ディーの罪を明らかにするため、貴族議会を開くなんて。ディーが私を傷つけるなんてあり得ないことすら分からないなら、私今度こそ、陛下のこと許さないんだから!)


 八つ当たりとは百も承知で、シェイラは。確実に自分を待っているだろう男に、理不尽な怒りをぶつけるのだった。





  † † † † †



『ところで、ここでの用事がもうないなら、急いで王宮に戻るべきだと思うんだけど?』

『もちろんです。帰って――ディーの処刑なんて、ふざけたことを止めさせなくちゃ』


(何故だ……何故だなぜだナゼだ!!)


『決してあり得ないはずだった光景』を『視』ながら、『彼女』は激情に震えていた。


『寵姫』がこの窮地を切り抜け、生き延びることも。

 あまつさえ、『紅薔薇』を救う重要な欠片(ピース)を手に入れ、王宮へと帰還することも。


 全て――あり得ない『未来』、だったのだ。


(『寵姫』はここで死に、『紅薔薇』は無力な己に絶望して後宮を、国を去る。……あの方が『視た』のは、その『未来』だ。――それ以外は、あり得ない!)


 今、王国が乗っている、歴史の流れ。それはいずれ、この国に『破滅』をもたらす、まさに滅びの濁流だ。

 破滅を避け、栄えある自国を望んで、何が悪い。

 そんなことも分からぬ愚か者など、生きている価値はない。


『彼女』たちは、長い時間を掛けて、慎重に、気付かれないように、その手をじわじわと、王国の中枢へと食い込ませていった。

 調子に乗っていた革新派を、弱らせて。保守派の勢力が増すよう、策を積み重ね。――ジューク王を、即位させて。

 やっと、ようやく、ここまでやって来た……のに。


(おのれ……『紅薔薇』。ディアナ・クレスター!!)


 彼女が。王宮には関わらない『クレスター』の分際で『紅薔薇』として立ったことで、全てが狂い出した。


 後宮に集められた、愚か者の末裔たちの先頭に立って。保守派と堂々渡り合い、その存在感を強めていった。ランドローズの娘はディアナ・クレスターと張り合うには役者不足、気がつけば後宮は革新派の色が強くなり。

 愚かにも王が、側室の家族限定とはいえ、ディアナが仕切る後宮を、園遊会という場を開いて見せつけてしまったのだ。


(ディアナ・クレスターは、我らの障害。……排除すべき、邪魔者だ)


 あの園遊会で、ディアナの命運は、決したも同じだった……はずなのだ。


 後宮内で、旅先で。

 直接的に何度命を狙っても、彼女は死ななかった。前提条件として凄腕の稼業者たちに常時守られているディアナは、そもそも殺せる機会が少ない。数少ない隙を逃さぬよう、必死に『時』を『読』んで、彼女が本当に一人のときに仕掛けても、謀ったように邪魔が入る。


『殺せないなら――ご退場願おう。『我ら』の造り上げた、この舞台から』


 そうして、策の上に策を重ね、確実な『未来』を『予知』した、この戦に。

 ……『負け』など、あるはずがなかった。


 クレスター家は強敵だ。しかし、彼らにも弱点はある。

 身内を何よりも大切に、第一に考える彼らは、いざディアナに命の危機が迫れば、彼女を優先に動く。――たとえ、彼女以上に死にそうな『寵姫』がいても、だ。

 家族が己を救うため、大切な友人の『寵姫』を見殺しにしたとなれば。ディアナの心はずたずたに切り裂かれ、どれだけ王宮から請われたとしても、『紅薔薇』として立ち続けはしないだろう。

『寵姫』を殺し、『紅薔薇』を排除する。それこそが、『彼女』たちの真の狙いだった。王宮の保守派たちは『紅薔薇』を本気で処刑するつもりらしいが、こんな幾重にも張り巡らされた罠によって無実の罪を着せられた『クレスター』を殺せると思っているのなら、実に頭が悪い。


 保守派のおめでたい妄想はともかくとして、『彼女』たちの思惑通りに、事は運んでいた。


『星見の宴』にて、シェイラを救おうとディアナが立ち回り、最終的に毒で動けなくなるのも。

 ディアナが動けないその間に、シェイラを後宮から連れ出すのも。

 その罪をディアナに被せて、クレスター家の照準を王宮の保守派に向けさせるのも。

 全部、全部――計画通り。


 今回の『策』は失敗できない。普段は表に出ない『彼女』たちには珍しく、実行中も積極的に絡んだ。

 予想以上に早く、『クレスター』たちが『駒』の絡繰りに気がついたときは、顔を合わせずとも計画を進めることができる道具を提供し。

 毒殺も誘拐も、邪魔が入らないよう、『結界』を張って念入りに備えもした。

 これほど用心して。成功のため、尽力して。


(なのに……何故!)


 計画の肝、『寵姫』の殺害が頓挫する!


(いいや……。本当は、分かっている)


 降臨祭の礼拝で一人はぐれたディアナを殺そうとした、そのときも。

 クレスター家ですら手出しできない状況を、その心と行動で動かしたのも。

 ――まさに今、『寵姫』の危機に駆けつけたのも。


(肝心要の部分に、いつも綻びを入れる――)


 お前は、誰だ。




「――そう言うアンタは、どこの誰?」


 びくり、と身体が震えた。『紅薔薇』に肩入れする流しの稼業者、有能ではあってもそれ以上には見えなかった男。

 ――カイ、と呼ばれていた、まだ少年の域を脱しきれていない、彼が。


「やっと、捕らえた。……アンタだよね。俺がディーを守るのを、何度も邪魔してくれた、ムカつく奴」


 決して見えない、気付かれるはずのない、距離と障害を超越して。


「コソコソちょろちょろ、目障りなんだよ」


 その伸ばした腕で、『彼女』の『核』を握っていた。


(馬鹿な……!!)


 思わず、座っていた椅子から立ち上がる。彼の所在は相変わらず『寵姫』を監禁していた廃小屋の前、一方の『彼女』はそこから遠く離れた半島の端にいるのだ。その距離を超えて、声がすぐ側に聞こえる錯覚を起こすほど直接的に……いや。


(そもそも……『何者でもない』人間が、『核』を掴むなど……!)

「ふぅん? まだそんな甘いこと考えてるんだ?」


 ぞくり。背筋に何かが這う。『核』を握られていては、思考回路など筒抜け。知識として知ってはいても、『彼女』はこれまで、そんな経験をしたことがなかった。


「『常識外れ』がアンタたちだけだなんて、まさか思ってないだろ? この国は確かに、この手の『力』は分かるように動いてはいないけど。……『時間』に干渉できるからって、人より上にいる気になってるから、ちょっと頭使えば分かりそうなことも見逃すんだよ」


 ぎり、と幻聴が聞こえた。形を持たない『核』が強く握られたところで、音が聞こえることもなければ痛みを感じることもない、……はずなのに。


(あ……アアァァッ!)


 暑い、寒い、熱い、冷たい。苦痛の幻覚が一斉に襲いかかる。声すら出せず、彼女はのたうち回った。


(嘘だ……、こんな、こんな!)

「俺はね。アンタたちみたいに、自分とは違う『他人』を見下して、遥か高みに立っている気になって、自分では関わろうとせずに人間を『駒』扱いする――卑怯な小心者が、この世でいちばん嫌いなんだ」

(アアアアアアァァ!!)


 迫ってくる。本能で分かる。

 ――おわりの、ときが。


「次からは、ちまちま裏で策をこねくり回すなら、敵陣営に『何』がいるのかくらい、もっとちゃんと調べてからにしなよね。調べて――『獅子』の牙に噛み砕かれる、覚悟をしてから来な」


 あぁ、でも、もう無理か。

 ……聞こえてくる声は、ここまでくると、いっそ優しげで。

『彼女』が最期に、聞いたのは――。


「アンタに、『次』はないもんね」


 一切の慈悲のない、『仔獅子』の声と。


 ――自らの『核』が砕かれる、乾いた音だった。







次回より、やっと、ようやく、『彼』視点!

ここまで本当に長かった……!


ちなみに番外編の方に、この二人の帰路道中もこそっと載っています。

興味がおありの方は、ぜひそちらもご覧くださいませ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ