閑話その31-2〜反撃〜
お祭り集中更新時、トップバッターを切ったシェイラさん。
ホントに外さないねこのコは……。
思う存分突っ走るが良いさ!
心は限りなく燃えているシェイラではあるが、現実は無情である。突然不思議な力に目覚めることもなければ、超人的な運動神経を発揮して脱出できるなんてこともない。
感情的になることがなかなかないシェイラは、いざ感情が爆発すれば、それに引きずられがちだ。しかし、それが危険だということも、シェイラは既に学んでいた。
(攫われたときだって……ソフィア様の性格をきちんと思い返せば、ベルの嘘も見抜けたはずなのよ)
あの、ディアナ大事なソフィアが。解毒薬を持っていながらディアナに渡すことを躊躇うなんて、そんなことはあるはずがないと。
シェイラの目的は、ただ無事に帰ることだけではない。帰って、大切な親友の危機を救うことなのだ。
そのためには。
(私一人の証言だけじゃ、たぶん不充分だわ。男たちを手引きしたのはベルだし、彼らを集めた『坊ちゃん』もきっと、ベルの知り合いのはず。これじゃ、『紅薔薇派』の犯行としか思われない)
渦中にいたシェイラですら、男が『侯爵』と呟いてようやく、保守派の罠だと気付けたのだ。間接的なシェイラの証言だけじゃ、「伯爵と聞き間違えたんだろう」と言われておしまいなことくらい、想像がつく。
この裏にいるのが保守派の誰かだと、証明するためには。
(決定的な証拠……可能なら、あの男を捕らえるのが確実なんだけど)
残念ながらシェイラに、そんな専門技術はない。誰かに捕らえてもらおうにも……男たちの言葉を信じるなら、ここは街道から外れた辺鄙な場所。王宮から捜索隊が出ていると仮定しても、腹立たしいことだが彼らの言うとおり、育ちの良い貴族な騎士たちでは、道なき道を切り開いて街道の外れまで辿り着けはしないだろう。期待はしない方がいい。
(それなら……私一人で逃げて、助けを呼ぶ?)
悪い奴らがいますと。彼らを捕まえてくださいと。
そう悪くない案だとは思うが、リスクも高い。まず第一に、シェイラが一人で、人のいる場所まで逃げ切れるか。彼らがシェイラ殺害を夜まで引き延ばしたのは、薬が効いて大人しいと思い込んでいるからだ。逃げる素振りを見せれば、それを阻止するためにも、確実に殺そうとするだろう。
更に。幸運の神が微笑んでくれ、無事に人里まで逃げ切ることができたとしても、そこで戦える人を見つけられるかどうか。男たちは、こんな犯罪に手を染めるだけあって荒くれ者の雰囲気だし(実際どんな体格かまでは、見ていないので分からないが)、彼らを捕らえるとなると、それなりに武術の経験がある人でないと難しいだろう。善良な普通の村人に、鋤鍬持って加勢してくれとは、ちょっと言えない。
それに加えて。幸運の神が本気で味方してくれて、実力ある戦士が加勢してくれることになったとしても。シェイラが逃げ切って、加勢を探して戻ってくるまでの間、男たちがこの近辺でじっとしてくれているなんて、そんな都合の良い話はない。シェイラを捕まえられなかった時点で、既に大金を手にしている彼らは、散り散りに逃亡しているはずだ。こればかりは運は関係なく、並の頭を持つ悪党なら当たり前に踏む定石である。『侯爵』とやらと繋がっているあの男だけは、どう出るか分からないけれど。
(ダメね……やっぱり、現実的じゃないわ)
逃げ切れるか否かが既に運頼みな時点で、あまり賢い案とは言えない。せめて少しでも、逃げ切れる確率を上げてからでなくては。
(とりあえず今は、意識を失っているフリを続けて、情報収集よ。ディーも言ってたじゃない、情報は武器だって)
事実、男たちの会話をほんの少し盗み聞いただけで、これほどのことが分かったのだ。もっと聞けば、脱出の機会も見つかるはず。
何でもいい。逃げ切れる確率を少しでも上げて、親友を救うために。
(何で誰も帰ってこないの……!)
さっきまであんなに恐ろしかった誘拐犯たちが、今となっては待ち遠しい。目を閉じ、耳を澄ませて、少しの手掛かりも見落とさないように、シェイラは気を張った。
すきま風の音に混じって、森の中で囀る、鳥たちの声が聞こえてくる。冬は生き物が休む季節とはいえ、他と比べて温暖な王都周辺の土地では、寒さに強い動物たちは元気に活動しているわけで。……少なくともここが、王都からひたすら馬車で走り続けなければならないような、王国の最北でないことは分かる。
(ほら。音だけでも、分かることはあるのよ。……諦めちゃダメ)
シェイラの大切なひとたちが、その背中で教えてくれた。どんなに絶望的な状況でも、最後まで諦めず、足掻き続けることの大切さを。
シェイラに今できることが、耳を澄ませて多くを拾うことならば。それを精一杯すればいい。そうすればきっと、次の一手が見えてくる。
信じて、ふぅ、と息を吐いた、シェイラの耳に。
――微かな、鈴の音が聞こえた気がした。
(え……?)
気のせい、だろうか。いやでも、確かに。風の音とも、鳥の囀りとも違う、高く涼やかな音が。
(でも……どうして、鈴なんて)
もしかして、男たち以外に、この小屋の外に誰かいるのだろうか?
期待して、ますます耳を澄ませたシェイラだが、残念ながら鈴の音は二度と聞こえなかった。代わりに、足音が一人分、だんだんと近付いてくる。
(誰……?)
がちゃりとドアが開く音がして、深いため息が聞こえた。
「薬……使いすぎたか?」
心臓が跳ねた。この、声は。
(『侯爵』と繋がっている、あの人!)
大本命が、真っ先に戻ってきた。シェイラが一人で小屋にいた時間は、正直長かったのか短かったのか判別がつかない。ものすごく長かったような気もするし、逆に一瞬だったようにも思う。
しかし。彼が出て行く前と戻ってきた今とで、シェイラの心構えがまるで違うことは、確かな事実だ。
(どんな小さなことも、聞き逃さないわ!)
気合いを入れて、気を失っているフリを続ける。微動だにしないシェイラに再びため息をついて、男はどこかに腰掛けたらしい。どさりと重たい音がした。
次いで聞こえてきたのは、どこか乾いたカサカサした音。何の音だろうと考える間もわずか、シェイラは閃く。
(これ……紙の音だ)
手に持った紙を、男は開いているのだろう。……確か彼は、シェイラを殺す段取りについて、「夜になったら殺して良いとは言われた」けれど、「念のため確認する」と言って、出て行ったはず。
と、いうことは。
(彼が持っている紙には、『確認』の答えが書いてある……!?)
可能性は高そうである。……が、さすがに音だけでは確証が持てない。
少し悩んだが、シェイラの判断は早かった。
(座った音も、そう近くなかったし。少し目を開けるだけなら、きっと気付かれないわ)
シェイラの視力は悪くない。彼の手に持っているものが何かくらい、視界に入る範囲なら見える。
意を決して、シェイラはそろそろ、そろそろと、薄目を開けた。光を取り入れた眼はすぐに焦点を決め、横たわるシェイラから少し離れた場所に座る、体つきがしっかりしている以外は特に目立つところのない男の姿を映す。男は難しい顔で、――手に持った紙を読んでいた。
「あー……やっぱり。さすがにそこまで馬鹿じゃねぇよなぁ」
呟いた男は、がしがし頭を掻く。
「予定通り殺害、但し『紅薔薇派』の仕業に見せかけて……か。見せかけるも何も、俺も含めてあいつら、タンドール伯爵家の長男に金もらったし。適当にあいつら示す証拠を現場に残して、王宮騎士に発見させれば良いか?」
ぶつぶつ言いながら、彼は手の中の紙を折り畳んで、懐にしまう。確認すべきものを見て、再び目を閉じたシェイラの胸は、激しく高鳴った。
(十中八九、間違いない。あの紙は『侯爵』からの指示だわ。あれを手に入れれば、保守派の関与を示すことができる!)
彼が読み上げた文面には、「『紅薔薇派』の仕業に見せかけて」とあった。わざわざそう指示を出すということは、自分たちは『紅薔薇派』ではなく、そう見せかけることで彼女たちを陥れたい側だと白状しているも同じこと。――あの紙はきっと、ディアナを救う大きな助けになる!
(彼を捕まえることができなくても。あの紙を奪って、逃げ切ることさえできたなら……!)
希望の光が見えてきた。身体は動かないまま、シェイラの頭は高速で回転する。
(焦らないで。明るいうちに逃げたって、すぐに捕まるわ。……夜を、待つのよ)
そう。光の落ちきった、冬の夜なら。夜陰に乗じて、女の足でも逃げ切れる可能性はある。美しい星空を楽しむために、『星見の宴』があったのは新月の夜。シェイラが目覚めたのが宴から何日後か、そこまでは分からないけれど、あの短気な男たちが何日もシェイラを生かしたままにしておくとも考えられないので、まさか一週間も経っている、なんてことはないだろう。……おそらく、月の光はまだ弱く、追跡の助けはしてくれないはずだ。
(日が、落ちたら。彼の隙を見て、懐から紙を奪う)
あの手の動きから察するに、紙が入っているのは、上着の左側の内ポケットだ。父の身支度をよく手伝っていたシェイラは、男物の服の構造も頭に入っている。場所さえ確かなら、そうまごつくこともなく、証拠を抜き取れるはず。
(紙を、奪って。それから、全速力で逃げるのよ)
どうやらこの廃小屋、古すぎて鍵も掛かっていない。シェイラの意識がないと油断している男たちは、見張りすらしているのかしていないのか。とにかく、逃げようと思えば簡単に逃げられることは確かだ。
外に出て、追っ手を撒くために森に入る。暗闇は逃げるシェイラにとっても危険だが、男たちから逃げられさえすれば、後は音を立てないよう慎重に、夜でも明かりを灯す街道を探して歩けば、いつかは人里につけるはず。――男たちがどこまで知っているのか定かではないが、シェイラはこれで、出航する父を見送るため、長旅をしたことが幾度かある。街道が夜も明るいことは、経験から知っているのだ。
(逃げ切って。必ず、帰るわ)
どこに行くのかまるで分からないまま、ただ流されてやって来た、春。理不尽な暴力に耐えるだけの日々を越えて、運命とまみえた、夏。初めての感情を溢れるほどに経験し、惑い、悩みながら、交わす想いを深めた、秋。静かに降る雪の中、己の決意と向き合った、冬。
厭わしくて、苦しくて。地獄のようだったあの場所は、いつの間にかシェイラにとって、行く場所ではなく『帰る』場所になっていた。……それはきっとシェイラが、生涯あそこで生きていくと、生きていきたいと、心を定めたから。
もう、後宮は。その片隅で息を殺して、過ぎていく時間を数えるだけの、無機質な建物じゃない。
大好きなひとと手を取り合い、共に思い出を積み重ねていく――『家』だ。
帰らなければならない。大切なひとを、守るためにも。大好きなひとを、喪わないためにも。
決意を新たにしているシェイラを後押しするかのように、急速に日が沈んでいくのが分かる。先ほどまで外の光を取り込んで明るかった室内はあっという間に薄暗くなり、室内の男が動く音がして、再びぼんやり明るくなった。どうやら、予め用意していたランプに、火をつけたようだ。
やがて外が騒がしくなる。他の男たちも戻ってきたのだろう。小屋の中には誰も入らず、ぱちぱちという音と煙の臭いが流れてくる。……どうやら、夕食を食べようとしているらしい。
「あいつら……目立つ真似は止せって、あれほど言ったのに!」
座っていた男がそう言って、小屋を出ていった。残されたシェイラは、動かず焦る。
(焚き火なんてされたら、光が届いて逃げる方向がばれちゃう!)
ここに来てまさかの障害発生か、と肝が冷えたが、外では焚き火を消したい『侯爵』の手先と、ぱりっと焼けた肉を食べたい男たちが、互いに一歩も引かず言い争っている。最終的には、食事が済んだらすぐに火を消すことで一致し、シェイラはほっと胸をなで下ろした。
(食事が終わって、火が消えてからが、勝負ね)
手先の男は、「お前も食えよ」と誘われ、断れないまま食事タイムに突入したようだ。本来ならシェイラも空腹状態のはずだが、宴から何も食べていないシェイラの身体は、一周回って麻痺しているらしい。特にお腹が空いたとは感じない。
やがて、食べるものを食べた手先の男が、「見張ってないとマズいだろ」とか言って、小屋に戻ってきた。
「あいつらめ……」
再び座り込んだ男は、しばらく無言のまま。外の賑やかさと対照的に、小屋の中は物音一つしない。
その、静けさを破ったのは。――微かに聞こえてきた、男の寝息だった。
シェイラの胸が、飛び跳ねる。
(え……? まさか、お腹いっぱいになって、寝た?)
彼が、シェイラ誘拐から一睡もしていないとしたら。それは充分にあり得る話だ。
かなり気をつけて、そうっと目を開け、様子を窺えば。小屋の中央に置かれた小さいランプの向こうで、こちらに身体を向けて座ったまま、彼は確かに眠っていた。
こんな千載一遇の機会はもう、これを逃したら手に入らない。
迷っている暇は、なかった。
(紙を、奪う――!)
身体を起こし、音を立てないよう慎重に、シェイラは立ち上がる。攫われたのが真夜中で、動きやすい寝着であることを、シェイラは神に感謝した。ドレスとヒールでは目立つし、音を立てずに動くなんて荒技もできない。
抜き足、差し足、忍び足。これほど必死に音を殺すのは、間違いなく、人生初だ。叔父叔母に折檻され、空腹のあまり厨房に忍び込んだときでさえ、こんなに真剣ではなかった。
ランプの明かりを頼りに、男の前まで近付いて。――男の左、シェイラから見て右の内ポケットに、迷うことなく指先を入れる。
確かな紙の感触に、狂喜した、――瞬間。
「――ふぅん? やっぱり、起きてたか」
言葉とともに、差し入れた手首をがしりと掴まれる。全身の血が、音を立てて落ちた。
(――罠!!)
理屈などすっ飛ばした、それは直感だった。力の限り手を振り払えば、最初から本気で捕まえるつもりはなかったらしい男の手があっさりと外れる。反射的に距離を取って、ドアの近くに移動した。
ほの暗い、光を受けて。男の笑みが、不気味に歪む。
「いくら薬を使いすぎたとしても、ほぼ丸一日目が覚めないなんて、おかしいと思ったけど。その様子じゃお嬢さん、かなり前から起きてたな?」
あからさまな挑発に乗るほど、シェイラは愚かではない。ただ黙って、男を睨みつける。――実際、煽りに乗るような心境ではなかった。
(もう少しだったのに……!)
男が眠っていたのが、本当だろうと罠だろうと、こうなってしまったからにはもうどうでもいい。指先に触れるまで近付いたのに、結局紙を手に入れることはできなかった。己の不甲斐なさが、本気で腹立たしい。
「ここにコレがあるって分かってたってことは、俺が音読してたあのとき、既に意識ははっきりしてたってことか。……ったく、アンタのどこが、『権力者に庇護されないと生きていけない、無力で無能なただの小娘』だよ」
その評価は間違っていない。シェイラは正しく、腕力もなければ能力だって大したことのない、ただの小娘だ。……大切な親友を救うための証拠一つ、手に入れられない。
そんな自分が、腹立たしくても、情けなくても。
凛と背筋を伸ばし、シェイラはまっすぐに、目の前の男を睨み据えた。
「あなたの懐にあるものが、私の――私たちにとって大切な方の窮地を救う切り札であることは、既に分かっています。それを、私に寄越しなさい」
「……渡すと思うのか?」
「思わないから隙をついて奪おうとしましたが、失敗したのなら、他の方法を採らねばなりません。ですが、無力な私に残されたのは、直談判のみです」
こんなときに、思う。ディアナなら、どうするだろうかと。
強く、気高く、どんなときも前を向く彼女なら、少なくとも一度失敗したくらいで、すごすご引き下がっていじけることだけはしない。
弱い自分を、嘆く前に。愚かな自分を、怒る前に。
できることは全て、やろうとするはずだ。
瞳から光を失わないシェイラを見て、目の前の男の表情が、わずかに動く。
「……アンタ、すげえよ。侯爵の見る目のなさは相当だ」
「その、『侯爵』の家名も、教えて頂きましょうか」
「知って、どうする? この状況でアンタ、生き延びる気なのか?」
「当然です。私は死なない。――生きて、することがあるのだもの」
くだらない派閥争いのために、多くの人を傷つけた。
全てを守ろうと立ち上がった少女すら、派閥の邪魔としか考えられず。彼女を排除するために、彼女を心から慕う人の心を弄んだ。
挙げ句、よりにもよってシェイラの死を、その決め手にしようとするなんて。
そんなことは、絶対にさせない――!
決意を胸に立つシェイラは、本人無意識だが、内から輝いて見えるほど、美しい。
生まれ育ちは、関係なく。――今この瞬間、シェイラは間違いなく、高貴な存在だった。
敵のはずの男が、その迫力に息を呑み、反射的に後ずさりそうになるほどに。
――しかし。
「その心意気は買うけどな。ひ弱なお嬢ちゃんが荒くれ者に勝つのは、かなり厳しいと思うぜ」
言うが早いか、男は顔を外に向け、声を張り上げる。外で騒ぐ男五人の声量を、負かすほどの大声で。
「おい! 小娘が、目を覚ましたぞ!!」
外が、一瞬静かになり。一呼吸おいて、ドアが開かれる。巨大な体躯に無精ひげの、いかにもな風貌の男が、ドア付近に立つシェイラを確認してにやりといやらしく笑った。
「ほぉ。起きたとこを見れば、まぁそれなりにそそられんこともないな」
「馬鹿なこと言ってないで、騒がれる前に片づけよう」
「何だよ、言ってることが違うな」
シェイラの記憶が正しければ、この声は、短気な男たちの中でも特に短気な、最初にシェイラを殺そうと言い出した男のものだ。他の男たちも彼に一目置いているようで、意見が対立したときの話し合いは主に、彼と手先の男で交わされることが多かった。
逃げようにも、この大男を何とかしなければ。打開策を探すシェイラは無意識に、服の袂に手をやって……固い感触に、はっとなる。
(これ……)
そうだ。たった一つだけ、シェイラが持っているものがあった。
ディーにあげたもので、申し訳ないけれど。窮地を切り抜けるためなら、彼女はきっと怒らない。
シェイラが考えている間も、男たちの会話は続く。
「言っていること? どっか違うか?」
「あれだけ、殺すのは夜になってからって言ってたくせに」
「日は沈んだ。暗さはもう、夜と変わらない」
「けど、どんな田舎の村だって、この時間に寝静まってるなんてことはないぜ?」
「暗ければ、人に見つかる心配も、ほとんどしなくて済むだろ。何より、もう小娘は起きたんだ。騒がれちゃ厄介じゃないか」
「こんな非力なお嬢ちゃんが騒いだところで、どうってことなさそうだけどな」
手先の男が、シェイラをすぐに殺したがる理由は分かる。シェイラは彼の独り言を聞いて、この一件に『侯爵』の指示があると知っているのだ。生かしておけないと考えるのは、至極当然だろう。
しかし。その『侯爵』の指示で、できる限り男自身がシェイラに手を下そうとしないのも、シェイラには読めていた。
つまり。今このとき、生き延びるためシェイラが立ち向かわなければならないのは、戸口を塞ぐ大男のみ。
鼻で笑いながら、完全に油断して、のんびり手を伸ばしてきた大男から、シェイラは目を逸らさない。その手がシェイラの肩に触れる直前、彼女は身を低くして、
――一息に、男の懐に潜り込む!
「お?」
警戒させる隙など、与えない。袂から取り出したディーの簪、その先端部分を、シェイラは全力で、男の喉元に突き刺した。
「が、あ、あああああああああぁぁあ!!」
盛大な悲鳴が上がる。
――遠い昔、まだ幼い子どもだった頃。貴族であると同時に裕福な商家のお嬢さんだったシェイラには、誘拐の恐れがあり。当主自らが外海に乗り出して財を増やしてきたカレルド家を継ぐ娘を、父はただ守られるだけの存在に育てようとはしなかった。
専門の人間を呼び、護身術を学ばせて。いざというとき、自分で自分の身を守れる手段を、父は与えてくれたのだ。
喉元が、急所ということも。
人間の身体は意外と強く、女が全力で男を刺しても死ぬのは稀だから、本当に危ないと思ったら躊躇ってはいけないということも。
全部、幼い頃に教えてもらった、シェイラの財産だ。
この世のものとも思えない喚き声を背景に、シェイラは小屋の外へと飛び出した。成り行きを見守っていたらしい外の男たちが呆気にとられている隙に、全速力で走る。
「何してやがる! とっとと捕まえろ!!」
手先の男の、余裕を失った叫びが追いかけてきた。背後の足音は複数、早く森に逃げ込まなければ――!
「女の足で逃げられると、思ってんのか」
肩に熱を感じたところで、世界が反転した。背中に強烈な衝撃を覚える。じんじんした痛みと肩の重みから、引き倒されて地面に押さえつけられたと知った。
「離して!!」
腕を振り、力の限り暴れる。いっそ簪で目を突けたらと思ったが、凶器は早々に見抜かれたらしく、無情にも弾き飛ばされた。
腕で、足で暴れるシェイラの上に、大きな影が被さった。
「小娘ェ……!」
ぎらぎら光る瞳が映すのは、怒りと憎悪。シェイラの反撃に我を忘れた大男は、その手に抜き身のナイフを握っている。
「この俺を、よくも……。殺してやるぅ!!」
怒りのままに大男が振り上げたナイフは、シェイラに――。




