閑話その30〜奔走する苦労人たち〜
今話はアルフォード視点で、これまで地の文で散々出てきてるのに、登場の機会がなかったとあるお方のお目見え編です。
――隠密少年が、謎の多い父親の助力を受けて、密かにシェイラ救出へ乗り出した頃、王宮では。
「アルフォード。……こんなところにいたのか」
「これは、閣下」
人通りのほとんどない、外宮の中でも閑散とした場所にて、国王近衛騎士団団長アルフォードが、一人の壮年男性に呼び止められていた。相手を認めたアルフォードは、目上の人間に対する正式な礼を取る。
彼の礼を受け取った男性は、苦虫を噛み潰したような表情で首を振った。
「呑気に挨拶などをしている場合か。ずっと探していたのだぞ」
「閣下自ら、私を? 何のご用でしょうか」
「とぼけるな。陛下はどちらにいらっしゃる」
黄土色の髪に茶色の瞳をした凡庸な顔立ち、仕立ては最高級ながらごくありふれた装いと、これといって特徴のない男は、普段はその外見に相応しく、我の強い面々を「まぁまぁ」と宥めて回る調整役だ。波風を嫌い、冒険心のない彼を、『日和見宰相』と揶揄する輩も多い。――それが、鉄壁の外面とも知らずに。
少し考えれば分かることだろう。派閥争いで喧々囂々、あちらを立てればこちらが立たない現王宮で、それでも表向きは恙無く政を回す彼の手腕が、いかほどに優れているか。全く異なる主張が正面衝突している今、為政者の頂点に必要なのは、皆を引っ張るリーダーシップではなく、双方を上手に宥めて深刻な諍いを起こさせない、折衝能力だ。
エルグランド王国現宰相、ヴォルツ・モンドリーア。彼ほど有能な政治家を、アルフォードは知らない。
その有能な宰相は、普段の仕事用のほほん笑顔を、いっそ清々しいほどきっぱりと取り払っていた。
「昨晩後宮よりお戻りになってから、陛下のお姿を見た者はいない。代わりにお前が、平常時なら縁のないような場所をうろついていたと、報告が入っている。陛下のご用事だろう、本人はどちらだ」
「恐れながら閣下、それは陛下のご命令にて、閣下といえどもお話しすることはかないません」
「陛下のご用事は、この非常時においても、優先させるべきことか!」
「……ならば、閣下。僭越ながらお尋ねしますが、こうなった以上、我らの打てる手は、どれだけ残されていると?」
切り返せば、彼はただでさえ苦かった口の中に、更に苦虫を投げ込まれたような顔をした。
「それは……」
「『古の誓約』に基づくならば、ここで『彼ら』が止まる理由はない。一貴族が個人的にケンカを売っただけならともかく、奴らはご丁寧にも、『王宮』の名前で動いてくれやがりましたからね」
「クレスターも『王宮』を相手に動くは必定、か」
「閣下もそれをご存じ故に、デュアリス様に直談判するなんて無駄足を踏まれなかったのでしょう?」
苦い顔の沈黙は肯定だ。デュアリスが、一度決めたことを理由もなしに覆すなんて甘やかす真似をしないことは、アルフォード以上に目の前の御仁が知っている。――彼もまた、『クレスター』の真実を知り、彼らの顔の罠をくぐり抜けて信頼関係を築いた、数少ない猛者なのだから。
クレスター家繋がりで、宰相と王の側近以上の関係にある彼に、アルフォードもため息をついた。
「ディアナ嬢が、シェイラ様の拐かしなど企てるはずがない。彼女を知る人間なら、そんなことは分かり切っています。……しかし、彼女が事件に無関係という、確たる証拠がない」
「関係した証拠もなかろう」
「そこは、ホラ。実行犯たちの、『紅薔薇様を邪魔する『寵姫』に天罰を!』っていう証言がありますから」
「それは動機であって、ディアナが指示した証拠にはならん」
「仕組んだ奴らに、そんな冷静かつ真っ当な意見は通じませんよ」
要は実行犯たちから、今回の件と『紅薔薇』を関連づけるような言質が取れれば良かったのだ。その言葉一つで、保守派の王宮騎士たちは、勝ち誇ったように『紅薔薇の間』へ乗り込んだらしいから。
「悪意をもって罪を捏造し、『クレスター』の人間を陥れる。これがどれほど危険かつ、場合によっては国さえ沈みかねない暴挙か……歴史を学び、先人の忠告を忘れなければ、絶対に踏んではならない轍だと分かるはずなんですけどね」
「それを言えるのは、お前が『スウォン』の人間だからだ。一般の貴族は、百年も二百年も前の教訓を後生大事に抱えてはいない」
「仮に、『アズール内乱』の教訓が薄れたとしても。『クレスター』にケンカを売ったバカの末路くらい、まともな目と耳があれば想像つきませんか?」
確か、ついこの前の春にも、クレスター領ゼフラにちょっかいをかけたアホが、身ぐるみ剥がされて没落した例があったはずだが。悪評はほぼ無視でさらりと流すクレスター家は、直接的な危害を加えられた瞬間、隠している爪だったり牙だったりを惜しまず使って、敵を奈落の底へと叩き落とす。一族の愛情をたっぷり受けて育った末娘を、これほどの罠に嵌めた者たちの行く末は暗い。
他人事ならば「あーあ」の一言で終わらせる自明の理に、宰相やアルフォードがこれほど青くなっているのは、『罠に嵌めた者』が対外的に『王宮全体』となっている、この一点に尽きる。自分たちがクレスター家に牙を剥かれる対象であることももちろんだが、「なるほど、王宮が、『国』がディアナを殺そうとしているわけか。……そんな国、滅ぼしちゃって問題ないよね?」とクレスター家が出ることが何より怖い。その気になれば一国をも滅ぼせる、それだけの潜在能力を秘めている家なのだ、クレスター家は。
額を抑えた宰相は、深々とため息をついた。
「馬鹿がやらかしたことを、今更なかったことにはできん。だから陛下の居場所を聞いているのだ。……こうなっては勅命によって、ディアナの処刑だけでも止めなければ」
「――処刑、ですって?」
耳を疑う言葉が飛び出し、アルフォードは思わず聞き返した。宰相は呆れたように彼を見返す。
「知らなかったのか? 明日正午、王宮前広場にて、前時代の遺物と化したギロチンを持ち出して、やらかすつもりだそうだ」
「……そもそも、使えるんですかね? 最後に使ったの何百年前です。確実に錆びてるでしょう」
「丸一日あれば、刃を研ぐなり新しいものに付け替えるなりして、使用可能な状態にすることは可能、だと。既に王宮騎士が動いているぞ」
「破滅なら一人でしてもらえませんかねぇ、巻き込むなよマジで」
「それを言いたいのは私も同じだ。分かったら陛下の居場所を言え」
いつものほほん宰相閣下が、外面を取り外して焦っている理由が、これで飲み込めた。確かにこの状況ならば、王の一声で処刑回避が、王宮側の取れる数少ない好手の一つかもしれない。
アルフォードは少し悩んで……やはり、首を横に振った。宰相の目が丸くなる。
「アルフォード」
「閣下のお考えは、分かりました。ですが……しばし、お時間を頂けませんか」
対象を、敢えてぼかしたその言葉を、有能な宰相は正しく理解してくれたらしい。平凡な茶色の瞳に、思慮の光が宿る。
「陛下は、何をしていらっしゃるのだ?」
「せめて国を沈めない、消極的な策ではなく。この事態を打開し、好転させて、未来を繋ぐ為、あの方にしかできない戦いを、続けておられます」
肺の底から、息を吐き出し、アルフォードは宰相を見る。
「もちろん、今起こっている件に対しても、直接的な策を考えて指示を出されました。――閣下。どうか王を、最後まで信じては頂けませんでしょうか」
勅命で処刑を取り止めさせることは、ぎりぎりでも何とかなる。消極的な、防戦一方にしかならない『手』は、最後の最後まで取っておくべきだ。
この事態を仕組んだ誰かが、自分たちを――クレスター家の面々も、彼らに協力する自分たちも、それに『敵対』する者たちすらも、全てを盤の上に置いて、駒遊びの差し手のように別次元で楽しんでいることくらい、アルフォードにも分かっている。顔の見えない全ての『黒幕』、それが誰かは知らないが。
これまで目立った動きも取らず、ただ状況に流されることしかできなかった『駒』は、『黒幕』にとって重視している存在ではないはずだ。――それがたとえ、動きによっては盤上の流れを覆す、奇抜な能力を秘めた『駒』であったとしても。
そう。これまで『無能』であったからこそ。
ジュークは、逆転の『妙手』となり得る。……なろうと、している。
「今ここで、なんとかクレスター家の怒りを鎮め、命を繋いだところで、状況が変わらねば結局は同じことの繰り返しです。保守派と革新派の溝は深まり、諸外国との軋轢も生まれて、緩やかに国は衰退していくことでしょう。主張の食い違いから生まれる戦も、もはや仮定の話ではない」
「……あぁ、そうだな」
「いずれ滅びる国ならば、今滅びたところで同じでしょう。少なくともクレスター家が滅ぼしてくれるなら、民への影響は最小限で済みます。……往生際悪く足掻くなら、単なる延命のためではなく、せめて実のある足掻き方をしたいのです」
『アルフォード。……俺はまだ、間に合うだろうか』
『紅薔薇捕縛』の報を聞いたそのときの、ジュークの眼差しを思い出す。
『これが正しいのかどうか、自信はない。結局のところ、どこまでいっても、俺はシェイラのことしか考えていないのではないか。その外側に理屈をつけて、自分を納得させようとしているだけなのかもしれない』
何度も首を横に振って、「それでも」と彼は言った。
『仮に、これが間違いだとしても。俺はもう、自らの無知故に他者を踏みにじり、犠牲にして、その犠牲の上に立つ『王』には、戻りたくない』
ただ静かに、透明な眼差しを、アルフォードに向けて。
『――諦めたくは、ないのだ』
迷いなく、言い切った彼を。……アルフォードは。
「……あの方を、信じたい。あの方が創る未来を、俺は見てみたいのです」
「アルフォード……」
「どれほど、打ちのめされても。膝をついても。あの方は、諦めない。自責に逃げて、立ち止まる道を選ばない。――どうして見捨てられますか。あの方が逃げないのに、あの方を守る俺が、どうして逃げの手を選べます」
「お前は……」
「滅びが迫っていることを、感じ取っていらっしゃらないはずがない。それでもなお、あの方の瞳は未来を見ています。ならば俺にできることは、最後まで信じて、支えることだ。……違いますか」
しばらくの間、宰相は言葉を発さなかった。アルフォードの決意を受け止めるように、彼から視線を逸らさぬまま。
やがて――有能な宰相は、静かに笑う。
「……若い、な」
「は?」
「だが、時代を拓くのはいつも、若者たちの恐れを知らない無謀な行動だ」
貶されているようにも思える言葉には、複雑な響きがあった。アルフォードのような青二才には計り知れないほど、深く混ざり合った数多の思いが溶け合っているような。
言葉の意味を尋ねる前に、宰相は一つ、頷いた。
「陛下と、お前を信じよう。――やりたいように、やってみなさい」
「……感謝します」
「ちなみに、これからどうするつもりだ?」
言われて少し、考える。
「まずは……ディアナ嬢のところへ。知らせを受けてから今まで駆け回っていたので、まだ彼女と話ができていないのです」
「場所は分かるか?」
「はい。それから――会えるかどうかは分かりませんが、エドワードのところへ」
宰相は、軽く瞠目した。
「無駄だと分かっているのにか?」
「いちおう『王宮』側の人間として、謝罪は必要でしょう。ついでに……公私混同ですが、友人の立場を利用して、情に訴えてみようと思います」
「それが無駄だと言っている。どころか、逆効果になりかねないぞ」
「分かっています。けれど、使える手は全部使わないと。少なくとも、俺が直接デュアリス様を攻略するよりは、まだエドの方が難易度は低い」
「……それもそうだな」
頷いて、宰相は息を吐いた。
「私はせいぜい、宰相の立場を利用して、奴らの要請をのらりくらりとかわしておこう。貴族の処刑となれば、宰相と王の承認は絶対必要だ。王は行方不明、宰相も逃げ腰となれば、奴らも思うようには動けまい」
「助かります。――では、俺はこれで」
もう一度、宰相閣下へ礼を取り、アルフォードは足早にその場を後にした。
そして、そんな彼を見送った宰相、ヴォルツ・モンドリーアは――。
「『動く時代は、待ってはくれない』か……。お前が遺した子は、この国を看取る王になるか、導く王になるか。なぁ、オースターよ……」
ここにはいない『友』に語りかけ、踵を返して、己の戦場へと舞い戻るのだった。
役職的に地の文で出て来るのはしゃーなしだったんですが、あまりにも自己主張なさらないお方だったもので、この非常事態になるまで姿を見せられなかった宰相、ヴォルツさんでした。有能なのに影が薄いとか、あらゆる意味で不憫すぎる……。
次回、主人公視点です。




