閑話その29〜世界の『影』を渡る者〜
今回は、カイ視点による、この『世界』の補足話です。
キーワードに『ファンタジー』を入れて、まさかここまでこの話が伸びるとは、私がいちばん予想してませんでした。
さて、これからどうするか――。
ひとまず王宮から出て、昼日中の王都を歩くのに不自然でない衣服を纏ったカイは、よく晴れた冬空を見上げて思案した。シェイラの居所を探し、たぶん絶対張ってある幾多の罠を破って彼女を救出し、二人ともに五体満足で王宮まで戻らねばならない。……ディーがやっと口にした『ワガママ』だ、叶えない選択肢はカイにはないが、難易度がかなり高いこともまた事実である。
(シェイラさんの居場所さえ掴めれば、後は何とかなるんだけどなぁ)
肝心の最初で躓けば、かなりの時間ロスになってしまう。一刻の猶予もない中、無駄足はできるだけ踏みたくない。
建物の隙間でいくつか行動計画を組み立てていたカイは、不意に吹いた強い風に髪を抑え、次いで聞こえた羽音に、ほぼ反射で右手を上げた。そのタイミングを見計らったように、小さな物体がぽすんと手の中に落ちてくる。
「リク?」
呟いて上を見れば、遠目にも色鮮やかな尾羽がちらりと映る。『彼』が動いたということは……と手の中に落ちた物体を確認して、カイは息を呑んだ。
それは、正方形の木簡だった。大きさはせいぜい、カイが指で摘まめる程度しかない。――しかし、その木簡全体に複雑な紋様で『陣』が描かれ、なおかつ耳に装着する金具がついている時点で、『それ』の用途は明らかだった。
普段なら使うことを躊躇っただろう『それ』を、カイは迷うことなく右耳に着け……対になるものを持っているだろう相手を思い浮かべた。
――瞬間。
『無事に届いたようだな』
「……やっぱり」
まるで耳元で話しているかのように、鮮明に聞こえる『声』。だが、この路地裏にカイ以外の人影はない。そして、この『声』が自分以外に聞こえていないことも、カイは経験から知っていた。
どうして自分の周りには無茶をする人間しかいないのかと、カイはため息をつきたくなる。
「病人が何をやってるのさ?」
『お前が馬鹿をやらかしてくれたおかげで、俺の回復はすこぶる順調だ。身体を激しく動かすのはまだ止められているが、『遠話』の呪符を作ってお前の接続を受け取るくらいの体力は戻った』
カイが受け取った木簡は、二つ一組で初めてその効力を発揮する、『遠話』の呪符と呼ばれるもの。その名の通り、対になるものを持つ相手と、物理的距離を超えて会話ができる。……とはいえカイは、それを作れる人間も、それを呪符と呼ぶ人間も、今現在話している相手以外に知らなかった。
それ故に、意外でもある。彼はこういった常識外れの手段を多く持つ謎の人ではあるが、同時に自身が常識外れであることもきちんと認識していて、余程のことがなければこんな横紙破りはしない。いつもはカイもうっかり忘れてしまうほど、『普通』の稼業者を装っているのだ。
「それで、いきなり『禁じ手』送りつけてまで、俺に何の用なの――父さん」
謎の多い養い親――『黒獅子のソラ』は、呪符の向こうでくつくつと笑った。
『そう、『禁じ手』だ。少なくとも俺はそう思っていたし、お前にもそう教えてきた。今の世では……それもこの国では、こういった『あり得ない』手を使うことは好ましくない』
「まぁ、こういう手段があることも、普通は知られていないし」
『そう思うだろう? だがな――何故か、この『陣』によく似た紋様が書かれた羊皮紙が、今回の騒ぎの『実行犯』たちの手元から見つかったんだ』
知らされた事実に、カイの紫紺の瞳が鋭く光る。
「『実行犯』って……オレグ・マジェンティス、ライノ・タンドールと、ベルの三人?」
『ノーマード・オルティアもだ。尤も、彼は『闇』の潜入前に羊皮紙を燃やしたらしく、切れ端しか回収できなかったが』
ディアナたちが見つけた『実行犯』たちが、特定されたと同時に不気味に沈黙した理由が、これで飲み込めた。『遠話』の呪符があれば、手紙のやり取りなどせずとも悪巧みを進められるし、誰に目撃される心配もない。クレスター家の『闇』は有能だが、さすがにこういった『常識外』の通信手段は勘定に入っていないだろう。見逃したとて仕方のないことだ。
もっと言えば、手紙ならば悪事の物的証拠として有効でも、謎の模様が描かれた羊皮紙が見つかったところで、彼らの不利になることもない。その紙を通じて、遠くの人間と会話できるなんて、おそらくこの国の上層部は誰一人として知らないだろうから。
「けどさぁ……コレって、誰でも使える類のモノじゃないだろ? 使う人間はそれなりに選別されるって、父さん前に言ってなかった?」
『あぁ、言った。耐性のない人間が多用すれば、精神負荷が超過して廃人になる恐れがある。――羊皮紙の『陣』は俺が組み立てたものに比べ、格段に質が悪いから、尚更な』
たぶん、雑音も酷かったはずだし、互いの声もかろうじて聞き取れる程度だったと思うぞ、とソラは事も無げに言う。
『羊皮紙の実物を見せてもらったが、呪符を多用していたのは、主にベルとライノだな。特にベルからの接触が多かったようだ。あくまで推測だが、ベルとやら、もうまともな思考はほとんど残っていないんじゃないか』
「『実行犯』はあくまで使い捨て、か……」
仕える主を唆して道を踏み外させ、シェイラを苦しめたことで結果ディーを傷つけて、挙げ句ディーの命すら脅かした女に同情の余地はない。が、それと人間を駒扱いする『黒幕』への軽蔑は、また別問題である。
皮肉に笑って、カイはふと、首を傾げた。
「それにしても……不完全とはいえ、『遠話』の呪符を作れる人間が、父さんの他にもいたんだね」
『呪符だけではない。後宮の末姫様や、外で動くクレスター家の方々とその協力者たちを見透かし、出し抜くように策を積み重ねたところから見ても、複数の『常識外れ』が絡んでいることは、まず間違いないだろう』
「……そのうち一人の痕跡は、たぶん掴んでるよ」
毒の染み込んだ肉を食べる、なんて無謀な賭に踏み出したディーを、少し離れた場所から見守っていたカイは、あのときもちろん止めようとした。ディーの覚悟は理解できても、受け入れられないこともある。
――しかし、肉をめがけて放ったカイの針は、あの瞬間。物理法則からは絶対に考えられない動きをして、明後日の方向へと飛んでいったのだ。ディーを守ろうとする行為に対し、それを阻む目的で、あの場に何らかの干渉が為されていたのは、一目瞭然だった。
毒を煽りながら、根性で部屋まで帰り着いたディーを介抱しながら、カイは内心、これまで感じたことのない不快感に支配されていた。他のことならともかく、ディーを守る己を邪魔する輩ほど、カイの神経を逆撫でする存在はない。
ディーの解毒を見届けた後、カイは宴の後片付けもあらかた終わった中庭にとって返し、邪魔者の『残滓』を探した。『探索』は得意ではないが、この借りは必ず、きっちり返す。
カイの口調から何かを察したのか、ソラは呼吸だけで苦笑を伝えてきた。
『まぁ、そちらはお前の判断に任せる』
「言われなくてもそうする。……けど、何だって突然、そういう人たちが出て来たんだろうね?」
『理由はこの際、重要ではない。お前が末姫様の側につくと決めたのなら、彼女の『敵』にそういう者たちがいると認識し、そのつもりで動けば済む話だ』
「そりゃそうなんだけど。ディーがその手の奴らに敵視される理由ってある? だってディーも、」
『言うな』
強い口調で遮られ、カイは息を呑んだ。父の、この言い方は。
「……父さんも、知ってるんだ?」
『そもそも、末姫様について、デュアリス様に進言したのは俺だ。……一目で分かった』
「え、ディーに会ったことあるの?」
『一度、クレスター領にお伺いしたときに、お目に掛かった。――それを言えば、お前の方が末姫様と関わった時間は長かっただろう』
「は?」
『何だ、覚えていないのか? デュアリス様にご挨拶する間、お屋敷の裏の森で待っているように言って、話が済んだ後迎えに行ったら、ふわふわした金髪の女の子とずいぶん仲良くなっていた。あの少女が、末姫様だ』
あっさり言われ、一瞬混乱する。
「……え、何それ、いつの話?」
『確か、お前を拾って四年が過ぎた頃だったか? 末姫様は当時三歳になったばかりと伺ったが、実にしっかりしたお嬢様だった』
カイは首が座る前に捨てられ、ソラに拾われたから、ちょうど四歳くらいの頃か。さすがにそんな昔のことを鮮明には覚えていないが。
(立派なお屋敷の裏にある、馬鹿みたいに広い森。そこで逢った、女の子……?)
――遠い記憶が、蘇る。
『あなた、だあれ?』
森に差し込む日の光に照らされ、全身が輝いているように見えた少女を、当時の自分はどう思ったのだったか。
『きみは……ようせい、なの?』
『ようせい? ちがうわ。わたし、でぃー、なよ』
『ディー?』
『ちがう、でぃー、な!』
『ディー……ナ』
『んーん、ちがうー』
何度かやり取りをし、子どもなりに妥協したのか、少女は「でぃー、でいーよ」と頷いて。
知らない人が気になるのか、しきりにカイのことを聞いてきた。
父の仕事にくっついて、あちこち移動しているのだと話せば、その海のような瞳をさざ波のように輝かせて。
『いろんなところ、いくの? すごい、わたしもいきたい!』
『きみは、この森が家じゃないの?』
名前は教えてもらったが、当時のカイには、森にとけ込む神秘的な少女が人間だとはどうしても思えなかった。森に住んでいる妖精だと、半ば信じていたように思う。
『うん、このもりも、おうちよ? このもりも、だいすき。――でも、ほかのところも、みてみたいの』
『ほかのところ?』
『まちは、いったことがあるわ。たてものがたくさんあって、とってもたのしかった。まちにいって、わたしはまちもだいすきになったわ』
降り注ぐ光の中で、妖精の少女は無垢に笑った。
『『だいすき』がふえるのって、とてもたのしくて、うれしいの。だから、いろんなところにいって、いろんなものをだいすきになりたい!』
――その、笑顔に。心に。言葉に。
訳も分からず、四歳の少年は、強く心を揺さぶられた。
『そう……だね。それは、楽しいね』
『うん!』
『ぼくも……この森を、大好きになりたいな。ねぇ、ディー。この森のこと、教えてくれる?』
『いいよ!』
そうして、年下に見える少女は、年に似合わぬ博識ぶりを披露してくれた。おかげでますます、カイは少女を人外だと信じ込んだわけだが――。
「あれ、ディーか!」
『思い出したのか?』
「思い出したよ。確かに一緒に遊んだね。まさか貴族のお嬢様だとは思わずに」
『かなり上等なお召し物だったと記憶しているが』
「四つのガキに服の上等下等が分かるわけないじゃん。かなりキラキラしてたせいで、森の妖精だと思い込んでた」
言われて思い返せば、少女は森についての知識こそずば抜けていたが、口調は舌っ足らずで途切れ途切れだったし、自分の名前すら、満足に言えていなかった。三歳の少女には、『ディアナ』の発音は難しかったのだろう。『ディア』の発声を努力した結果が、力んで『ディー』にしか聞こえない自己紹介になったわけだ。
太陽の髪に海の瞳をした、森に愛される少女との邂逅は、幼いながらに『特別』の箱に入れる出来事だったらしい。ある程度成長し、妖精はおとぎ話の中にしかいないと悟ってからも、幼少期の神秘体験として、かなり厳重に保管されていた。細かいやり取りなどは断片的にしか思い出せないが、あの少女の心まで照らす笑顔は、しっかりと記憶に焼き付いている。
「そっかぁ、ディーだったのか……。子どもの頃から妖精みたいに可愛かったけど、さらに可愛くなって、美人にもなって、もう女神だよね」
『……惚気ている場合か。その女神様の危機だぞ』
「――え、死なせないよ?」
心も、身体も。彼女の何一つとして、奪わせやしない。
「『敵』がその手の奴らなら、『禁じ手』とか言ってる場合じゃないよね」
『今のところ、計画の陰に隠れて軌道修正する程度の動き方だがな。……目障りなのは、確かだ』
「不完全な『遠話』の呪符の処理は、クレスター家に任せて大丈夫なの?」
『問題ない。――かの家は、この国では数少ない、『伝承』を守る一族だ』
カイは、僅かに目を見開いた。
「『禁じ手』についても、知識があるってこと?」
『だからこそ、『遠話』の可能性を考えつかれたのだよ。俺が事態を知らされたのは、『遠話』の呪符が見つかった後だ』
何となくは把握していたがな、と付け足して、ソラは口調を改めた。
『デュアリス様は――私に、頭を下げられた』
「え……」
『今回の一件において、シェイラ・カレルド嬢の命は、双方にとって『鍵』だ。それを分かっている『敵』は、彼女の救出に対し、最大の備えをしているだろう。おそらくは……あらゆる『手』を使って』
「まぁ、だろうね」
『そう分かっていて、耐性のない『闇』を動かすことはできない。『闇』が動けないと知った末姫様が、頼るとしたらお前だけだ、と』
ディアナの願いを、お前の息子は断らないだろう――。
そう言って、デュアリスはソラに、頭を下げた。
『できる範囲で構わない。お前を手助けしてやって欲しい、とな。本当に、律儀なお方だ』
「ディーのお父さんだもん。本心では、犠牲なんて出したくないって思ってるよね」
『当然のことだ。罪なき命を見捨て、国をみすみす荒らすことは、あの方々の本意ではない』
その証拠に――と、ソラは笑った。
『王都と、その近辺の『裏』の者たちに、一斉伝達をされた。――『仔獅子』に全面協力を願う、とな』
「はぁ?」
『我らの力不足故にできぬことを、『仔獅子』は代わって為そうとしてくれている。『裏』の者たちはどうか、我らに協力するように、彼に力を貸して欲しい。――クレスター家にここまで言われて、動かぬ稼業者はこの国にはおらぬよ』
とんでもない状況に、カイは頼もしさを通り越して頭が痛くなる。
「すごい権力の濫用だね……」
『仕方あるまい。シェイラ嬢の居所は、かなり慎重に隠されている。『探索』が苦手なお前がちまちま探すより、『裏』の方々の協力を仰いだ方が、早いし確実だ』
「そこは否定しないけども」
『分かったら、さっさと頭を下げて、シェイラ嬢を追いかけろ。――こちらの状況が動けば、その都度知らせてやる』
「助かるけど、どうしても必要な情報だけで良いよ。……まだ本調子じゃないんでしょ。無理だけはしないで」
『遠話』の呪符は、繋ぐ方がより消耗する。今はカイから繋いだから、ソラの負担は最小限で済んでいるが、逆となればソラの体調が心配だ。
息子の心遣いを、優しく不器用な父親は鼻で笑い飛ばした。
『心配するな。――あれほど言い聞かせたのに、結果的にクレスター家に迷惑を掛けたお前を叱り飛ばすという役目が、俺にはまだ残っている。言われんでも快癒の障りになるような真似はせん』
怖い父親の発言を、快癒しないと叱り飛ばせないと判断する程度には成長を認めてもらえてるのかな、と何とか前向きに解釈し。
「はーい。――じゃあね」
久しぶりの会話を切り上げると、彼はまず目星をつけた場所へ向かうため、軽やかに裏路地を後にしたのだった。
今回ので、いくつか伏線は回収できましたかね?
なんか殺伐とした説明回になってしまったので、番外編の方に小話も同時投稿しています。
カイとディアナの幼少期エピソード、詳しくご覧になりたい方は、どうぞ。




