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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
いちねんめ
101/243

卑劣な罠

久々のディアナ視点。長いです。


 ――ゆっくりと、意識が浮上していく。呼吸できることが嬉しくて、手足が動くことが楽しくて、それこそが光のようだった。

 そうっと、目を開けると。橙色の燭台の下、盥で布巾を洗う、リタの姿が目に入る。

 ぼんやりと、彼女を眺め。振り返ったリタと、目が合った。

 ほっとしたように、リタは笑う。


「お目覚めですか、ディアナ様。具合は、いかがです?」

「……まだ、ちょっとぼうっとするかも。今度の毒は頑固なのね」

「……ディアナ、さま?」

「なぁに、リタ姉様」


 リタは、大きく目を見開いた。次いで、苦笑する。


「まだ、寝ぼけていらっしゃいます?」

「え?」

「ここがどちらか、思い出せませんか?」


 どこ、とは。いつも通り、クレスターの屋敷ではないのか。

 そう考え、室内を見回して。見慣れているけど、見慣れない、部屋を確認して。

 徐々に、意識がはっきりしてくる。


 そうか。ここは、王都の、王宮で。

 自分は、側室の勅命を受け、後宮に入ることになった。

 何故か『紅薔薇様』と呼ばれるようになり、派閥問題とか、諸々あって。

 本当に、この短い時間に、いろいろなことがあって――。


 倒れる直前のことまでしっかり思い出してから、ディアナは笑って、体を起こした。すかさず、リタが支えてくれる。


「まさか、後宮まで来て、中毒症状と闘うことになるとは思わなかったわ」

「そうみたいですねぇ。『姉様』なんて、久々に呼ばれましたよ」

「ある程度育ってからは、あなたが嫌がったからじゃない。わたくしは今でも、そう呼びたいのに」

「止めてください、畏れ多い」


 さくっと言われ、むぅ、と拗ねてみる。兄はいたが姉は居なかったディアナにとって、リタとの出会いはまさに僥倖だった。幼さ故の無邪気さとわがままで、「これからずっと一緒にいてくれるの? じゃあリタ、ディアナのねえさまになって!」と懇願し、ままごとのように『リタ姉様』と呼んだ日々。幼い頃の幸福な思い出は、今でも心の中で輝いている。

 一族に生まれた者の常として、毒に身体を馴らす課程で、どうしても中毒症状に苦しむ夜は来る。そんなとき、リタはいつも傍にいてくれた。

 昔と同じように、リタは微笑んで、ディアナの頭を撫でてくれる。


「よく、耐え抜きましたね」

「耐えたは、耐えたけれど。あれはさすがに、解毒薬なしで回復するのは難しかったはずだわ。……リタ、ちゃんと聞き取って、伝えてくれたのね」


 ダンドロの根と、ペッラの蕾。春告げ蜂の針。

 幼い頃、リタに叱られながら、クレスターの森で遊び回って知った、動植物の思わぬ効能。図鑑片手に調べ、関連の本を読み漁って、世間一般で知られている薬効と自分の発見を照らし合わせ。新事実を発見しては記録していく、その過程が楽しくなるまでに、時間はかからなかった。ある程度成長してから、あれは遊びというより研究の域だったなぁと気付いたが、まぁ楽しかったから何でも良い。

 呆れながらも、ディアナの遊びに付き合ってくれて。新発見があれば、真っ先に報告した相手。

 そんなリタなら、最低限の情報だけで、最高の解毒薬の調合を指示してくれると、ディアナは最初から確信していた。

 もし、リタが一緒に居なければ。あんな危険な賭、とてもではないが決断できなかっただろう。いくら毒に耐性はあっても、耐性がない毒でもだいたいは分析できても、死んでしまっては意味がない。

 感謝と信頼を込めて微笑んだディアナに、リタは何故か、複雑な顔をした。


「……まぁ、確かにお伝えはしましたが。私の手柄のように言われると、違う気が」

「どういうこと?」

「目の前でディアナ様がお倒れになって、私も混乱したんです。……そうしたら」


 忍ぶことが信条のはずの、隠密が。

『紅薔薇の間』の侍女と女官を前に、堂々と姿を現したのだと。

 水を受け取りつつ報告を受けて、ディアナは目を見開いた。


「カイが?」

「はい」

「……何考えてるの?」

「えぇと……そう思われるのも分かりますが、結果的に奴が仕切ってくれたおかげで、速やかに事が進みましたので」

「それは、そうなんだろうけど」


 お前は不法侵入者だという自覚を持て、と声を大にして言いたい。

 リタは困ったように笑った。


「幸い、皆さん何となく、ディアナ様がそういった人種の方々とお付き合いがあることを、察してくださっていたみたいでして。彼がディアナ様のために動く存在であるなら、騒ぐ必要はないと黙認する方向です」

「心が広すぎる……」


 侍女たちはともかく、女官のミアはそれで良いのか。しかし、それを言い出せば、女官長のマグノム夫人はフィオネの知己で、クレスター家の事情もある程度は分かってくれているはずで、『闇』が後宮をうろちょろしているのも知っていると思われるので、今更かもしれない。警備の頭、クリスに至っては、未来のクレスター伯爵夫人なので、それこそ今更だ。

 王宮組への突っ込みは放棄して、ディアナは無茶やらかした隠密について尋ねることにした。


「で、肝心のカイはどこ?」

「解毒薬が届いて、効くところを見届けてから、『気になることがあるから』と立ち去りました。ディアナ様が目覚められた今も来ないということは……この部屋の近くにはいないのでしょうね」

「そ、っか……」


 裏返せば、自分が最も無防備で、危険な状態だったとき、彼はずっとついていてくれたことになる。過保護な彼に苦笑して、ディアナは頭を振った。


「お礼を言うのは、もう少しお預けね」

「心配なさらずとも、ディアナ様が目覚められたと知れば、駆けつけて参りますよ」

「そうかしら?」

「あれも、一種の『溺愛』というやつでしょうからねぇ……」


 心なしか、リタが遠い目になっている。自分が倒れている間に何があったのか、『できあい』とはどういう意味か、聞いてみたいが聞くのが何故か怖い。


「ところで、今はいつ?」


 迷った結果、ディアナは話を変えてみた。

 優秀な侍女は、即座に答えてくれる。


「宴の翌日、あと一時間ほどで日の出ですよ」

「そう。……どうなるかと冷や冷やしたけれど、何とかなったわね」


 毒肉を呷ったディアナが昏倒した事実は、この部屋の侍女と女官しか知らない。徹底している彼女たちのことだ。細かい現状は、マグノム夫人にすら伝えていないだろう。知らなければ、揺さぶられても答えられない。

 体調不良で一足先に部屋に戻ったディアナが、一晩静かに休むのは当たり前で、今元気になっておけば、『毒』の疑いも晴らせる。……運はどうやら、ディアナに味方した。


「体を拭いて、略装に着替えましょうか。わたくしが元気だと分かれば、訪ねたい人も多いはず。――わたくしも、話したい人が大勢居るし」

「日が昇って、皆様が動き始めるまで、まだ時間はございますよ。ゆっくりお湯に浸かられては?」

「こんな時間に? 迷惑ではないかしら」

「マグノム夫人が、『紅薔薇様のご用事は、昼夜問わずお受けするように』と命じられたそうですので。たまにはよろしいかと」


 申し訳ない限りだが、中毒症状との闘いで、確かに身体はべたついている。風邪ならぶり返す可能性があるので入浴は避けるが、完全に毒が抜けて健康状態の今、湯に浸かれるなら確かにありがたい。

 ディアナは、マグノム夫人の厚意に甘えることにした。


「じゃあ、お願い。……そういえば、みんなは?」

「ディアナ様の容態が落ち着かれたので、交代でお休みに。今は、ユーリさんが控えてくださっています」

「そう。皆にも、お礼を言わないとね」

「怒られること、覚悟なさってくださいよ」

「はぁい」


 最善手を取った結果とはいえ、今回かなり無茶をした自覚はある。関係者一同から雷を落とされることくらいは、覚悟しておく必要があるだろう。


 湯が沸くのを待って浴室に入り、髪と身体を洗って、ゆっくりと浴槽に浸かる。貴族のお嬢様は大抵、風呂の中まで侍女に世話をされるらしいが、ディアナにその習慣はない。幼い頃は母と、自分で自分のことができるようになってからは、のんびり一人風呂が定番だ。

 夜に長湯をすれば侍女たちに心配されるが、今はある意味回復も兼ねているので、ディアナは久しぶりに長風呂するつもりだった。いいお湯だなぁ、給湯室の方々ありがとう、なんて呑気なことを思いつつぼうっとしていたわけだが。


(あれ。……なんか、騒がしい?)


 かなり、遠いが。おそらくは『紅薔薇の間』内で、何か騒ぎが起こっている。距離感から考えて……主室(メインルーム)か。


(招かれざる客、って可能性が高いわよね)


 どうやら、のんびり湯にも浸かれないらしい。今度は何の騒ぎなのか。

 浴槽を出て、外に置いてあるタオルで身体を拭いて、下着をつけ終えたところで、外からおずおずとしたルリィの声が聞こえてきた。


「あ、あの、ディアナ様。ずいぶんと早いお上がりですが……」

「あんな騒ぎが聞こえて、呑気にお風呂に入れると思う?」

「いえ、本当に、大したことではございませんので」

「――ルリィ? あなたがここまで来て、そうしてわたくしを足止めしようとしている時点で、『大したこと』なのは確定ではないかしら」


 殊更優しい声を心掛けたが、ルリィは深々とため息をついた。


「分かっておいでなら、大人しく足止めされていてください」

「内容によるわ。お客様がどなたで、どのようなご用事なのか、聞いてから判断します」

「それを聞けば、ディアナ様は間違いなく乗り込まれると、リタが判断しました。よって我ら侍女の責務は、ディアナ様とあの者共を引き合わせないことです」

「……そうすることによって、あなたたちに危険はないの?」


 扉向こうの侍女の、応えはない。どう答えようが見抜かれると、分かったからこその沈黙だろう。

 この瞬間、ディアナの行動は定まった。


「着替えます。ルリィ、略装を」

「いけません、ディアナ様!」

「あなたが着替えを手伝ってくれないなら、わたくしはこの姿で客の前に出るわ」

「――ディアナ様!!」

「扉を押さえても無駄よ。浴槽の換気口は、部屋の外と繋がっている。普段のドレスならともかく、今の姿なら、わたくしでも通り抜けることができるもの」

「貴族のご令嬢が、そんなことをなさるおつもりですか」

「するわ。わたくしは貴族であると同時に、『それに囚われるな』と教わった。ここに閉じこめられて、自らの身の安全と引き替えに、あなたたちの命を散らせるくらいなら、わたくしは全てを守る道を最後まで探す」


 それが、ディアナの、クレスター家の、選んできた道だ。

 尊い血筋の者は、生き延びねばならない。何故ならその肩に、何千何万の命を背負っているから。

 彼らを守ることが、数多の命を守ることと同義だから。だから貴人はその命を尊ばれるのだ。――貴人を守る者たちに。

 彼らに守られる者は。自分たちは。その理屈に甘んじて、自らの命を最優先にしてはいけない。自分たちが優先すべきは、あくまでも『民』。民を守るため、いついかなるときも全力を尽くし。民も自らも守る、最善手を取り続けなければならないのだ。

 それがどれほど難しく、ときにあらゆる苦しみを、嘆きを、抱くことになるか。父を、祖父を、先祖たちの足跡を垣間見たディアナは、知っている。


 ――だって、できるわけがないのだ。今のように、平穏無事な時代なら、いざ知らず。

 戦乱の、時代に。敵味方入り乱れ、戦い続けた歴史の中で。

『全てを守る』なんて、できたわけがない。

 ある程度平和な時代が訪れた、父の頃でさえ。父が絶望する、どうしようもない『別れ』があった。


 耳の奥で響く、水の音。全てが流される、光景。「助けて」と叫ぶ、声。

 ……ディアナだって、掲げた理想を、遂行できたわけじゃない。


 それでも。何度、心を折られても。

 諦めては、いけない。諦める、わけにはいかなかった。

 自分たちは、彼らに守られ、彼らを守る、その立場を選んだのだから。

 歯を食い縛り。傷ついて苦しんで絶望しても。

 大好きな場所を、そこで生きる人々を、見守る道を愛しているのだから――。


「ルリィ。扉を開けて」

「ディアナ様……」

「無茶をしないと、約束することはできない。けれど、これだけは、約束するわ。――何があっても、どんなことになっても。最後の最後まで、わたくしは、わたくしが生きることを諦めない」


 今のディアナは、ただの『クレスター伯爵令嬢』ではない。側室筆頭『紅薔薇』として、多くの側室の未来を左右する存在だ。己の立場を考えて、簡単に死ぬことは得策ではない。

 そして、それ以上に。


「自分の命を盾にして、それでもわたくしを守ろうとしてくれている、あなたたちに報いるために。――絶対に死ねない。そうでしょう?」


 この優しい人たちを、泣かせて。生涯の後悔に落とすような残酷な真似は、絶対にできない。


(……それに)


『――いつか、行こうよ。『ショウジ』と、それを使った家と、その町並みを見に』


 忘れられない、手放したくない、『未来』の約束があるから。


「……こんなところで、死んでなんてやらないわ」


 静かな、ディアナの声に、何を思ったのか。

 しばしの沈黙の後、ルリィの言葉が聞こえてくる。


「今のお言葉は、本当ですね?」

「当たり前よ」

「……分かりました。皆には、叱られるでしょうけれど」

「わたくしがわがままを言ったと、伝えてくれたら良いわ」

「ディアナ様の覚悟に負けたと、謝ります」


 扉が開く。略装を用意してくれているルリィに笑って、ディアナはドレスを着た。

 ついでにさらりと、状況を聞いておく。


「私たちにも、詳しいことは。ただ、突然王宮騎士が、先触れもせずに部屋に乗り込んできたのです。ユーリさんはもちろん、ミアさんもとんでもない剣幕で」

「訪問の理由は?」

「――『紅薔薇』の捕縛に参った。神妙にせよ」


 感情を消してルリィが告げた言葉は、王宮騎士の第一声だろう。王宮騎士とはその名の通り、王宮の警備に当たる武官で、少数精鋭の国王近衛と違い、かなりの人数がいる。基本的には貴族の子弟がなるが、近年、身分と教育がしっかりしていれば平民にも門戸が開かれるようになった。それ故、(まつりごと)の場と同じように、派閥争いも勃発している――と、これは王宮騎士団に勧誘されながらかるーく蹴り飛ばしたエドワードの言だが。


「……ねぇ、ルリィ」


 少し考えて、ディアナは尋ねる。


「『捕縛に参った!』とか抜かした奴ら、どの派閥か分かる?」

「あの高飛車な『オレ貴族!』な奴らは、十中八九保守派でしょうね」

「そうよねぇ。革新派が、『紅薔薇』のわたくしのところに上から目線で乗り込んで来るわけないし」


(……これって、もしかしなくても、まずい?)


 牢に入れられることそのものは、別にまったく構わない。貴人用の牢だ、衣食住もとりあえず保証されているだろう。

 問題は、牢に入れた『紅薔薇』を、保守派がどうしたいかだ。彼らが考えている筋書きによっては。


(――国が、沈む)


 ぞ、っと血の気が引く。状況は、限りなく最悪だ。ディアナにとってではなく……王国にとって。


「わたくしの罪は、何かしらね」

「ディアナ様?」

「保守派も、何の根拠もなしに、わたくしを捕縛しようとはしないでしょう。『紅薔薇派』全体の危機は、とりあえず昨日、乗り越えたわけだし」

「ひょっとしたら、今話しているかもしれません。私はリタに頼まれて、早い段階でディアナ様の足止めに参ったので、詳しい内容は知らないのです」

「じゃあ、とっとと説明してもらいましょうか。理不尽な理由なら、蹴り飛ばしてお帰り願わないと」


 後宮での傲岸不遜な振る舞い、とかいちゃもんつけられたら、てめえらの頭の娘を見てから出直しやがれ、と怒鳴りつけてやる。……もちろん、言葉はもうちょっと選んで。

 寝室を抜け、私室(プライベートルーム)まで進んだところで足を止め、ひとまず主室(メインルーム)の様子を窺う。――双方抑えることを止めた声は、既にばっちり響いていた。


「ですから! その件と、紅薔薇様には、何の関係もございません!」

「それは貴様が判断することではない。我々の仕事だ!」

「無実の方に縄を掛けることが、王宮騎士団の仕事というわけですか。――誇り高きエルグランドの騎士が、堕ちたものですね」

「貴様!」

「ミアさん!!」


 鞘から剣が抜かれるときの、独特の音。リタが僅かな殺気を放つ。

 一触即発の主室に、これ以上の傍観は危険だった。


「止めよ!!」


 滅多に出さない、『本気』の声。

 隣のルリィが息を呑む間に、ディアナは主室へと躍り出ていた。


「ここをどこと心得る。歴代の偉大な『紅薔薇様』のご足跡を、貴殿は己が刃で汚されるおつもりか!」


 基本的に男性優位な貴族社会で、女性が名前も知らない男性を敬語抜きに怒鳴りつけるなんて、それだけで珍事だ。

 私室への入り口を死守する立ち位置にいる侍女たちを、ディアナは目線だけで黙らせた。我が物顔で部屋の中にいる騎士たちを数え、内心舌打ちしたくなる。


(これは、全員引っ立てるつもりで来たわね)


 少なくとも、騎士の数が、ディアナを含めた『紅薔薇の間』の女たちより多いのは確実だ。

 先頭の、代表と思われる剣を抜いた騎士を見据え、ディアナは堂々と歩を進める。

 ――最初に我に返ったのは、ミアだった。


「いけません紅薔薇様、お下がりを!」

「控えなさい、ミア。この者たちは、わたくしに用があるのでしょう」

「下らぬ戯れ言でございます。紅薔薇様のお耳に入れることではありません」

「……あなたがそう言うなら、そうなのでしょうね。けれど、女に侮辱された如きで剣を抜くような殿方の前に、あなたを置いておくわけにはいかないわ」


 ミアの瞳に、涙が浮かぶ。よほど怖かっただろうに、それでも彼女は彼女の持てる力を尽くして、ディアナを守ろうとしてくれたのだ。


「もう、充分よ。……ありがとう」

「紅薔薇様……!」


 よろめいたミアを、リタに任せ。

 未だ剣を抜いたままの男に、ディアナは本気の怒気を叩きつけた。


「わたくしの女官を泣かせた罪は、重うございますよ」

「き、さま、」

「――身の程を弁えよ。わたくしは、側室筆頭『紅薔薇』。貴殿らは階級章から見て、それほどの高位ではないようだが、誰の赦しを得てわたくしのことを『貴様』と呼んでいる?」


 この際だ。せいぜい挑発させてもらおう。

 呼ばれ方など正直どうでも良いが、抜き身の剣を片手に話す礼儀知らず相手に、礼を尽くす必要性をまるで感じない。


「剣を抜いて力無き者を従わせようなど、己の言に筋がないと、白状したも同じこと。王国騎士の剣は、外敵の蹂躙から主君とか弱き民を守る、その誓約を誇りにしているのでは? 誇りが地に落ちたと揶揄され剣を抜くならば、その剣と騎士の証を陛下に返上し、ならず者の衣服を身に纏ってからにされると良い」


 実に久し振りに、貴族らしい遠回しなイヤミを放ってみる。分かり易く翻訳すれば、『脅して言うこと聞かせようとか、アンタそれでも騎士? ならず者のやり方なんですけど。もういっそ、騎士やめれば?』からの、『そう言われたくなければ剣収めろ、とっとと』になる。

 相手は保守派っぽいし、これで通じるだろうというディアナの予想は正しかった。顔を赤くしてぶるぶる震えていた目の前の男は、結局反論できず、剣を鞘に収めたのだ。

 ほっとした仲間たちに、目線だけで微笑んで。ディアナは再び、招かれざる客の方を向いた。


「――それで。改めて、お伺いしましょうか。王宮騎士の皆様が、こんな時間に、わざわざ何のご用です?」


 今度は直接的にイヤミを言ってみる。

 ディアナが言葉を、ごく普通の令嬢風に戻したからか、目の前の男にも余裕が生まれてきたようだ。


「我々は、貴殿らの捕縛に参った。神妙に、ご同行願おう」

「……これだから、殿方には困ったものですわ」

「何?」

「ご自分の立場になって、考えてみてくださいませ。明け方突然自室に踏み込まれ、『捕縛に参った』と言われて、『はい、かしこまりました』と頷く気になりますか? 捕縛なさるならなさるで、どのような罪で、どちらの方の指示なのかくらい、説明なさるのが筋かと存じます」


 ただでさえ小賢しい言い分なのに、これをそれなりに着飾った略装で、湯上がりつやつやお肌で、睡眠ばっちりな切れ目で、呆れたように笑う唇で、『ふぅ、やれやれ』な内心を隠しもしない態度で――早い話、武装モード『氷炎の薔薇姫』に上から目線で言われては、無駄にプライドの高い男は『爆発する』以外の選択ができない。もちろん、わざとだ。


「ふざけるな! のうのうと悪事を働いておきながら、いけしゃあしゃあと!」

「ですから、それはいったい、どのような悪事です?」

「己のしでかしたことは、罪ではないと申すか!」

「……そうですね。罪になるようなことをした覚えはございません」


 本当に覚えがないので、ディアナとしては首を傾げるしかできない。むしろ昨日のディアナは、自分で言うのも何だが、王の宴で誰も死なせず、騒ぎも起こさせずと、勲等賞をもらっても良かったのではなかろうか。もちろん、ディアナ一人の手柄ではないけれど。

 事情を知っているらしい、侍女たちとミアの様子も気にかかる。特にリタの視線は、ディアナの暴走を警戒しているときのもので。


(わたくしが、取り乱しかねない、何かがあったの?)


 そう思った、そのとき。


「王の寵姫を、後宮から攫っておきながら。それすら悪ではないと、貴様は言うのか!!」


 落とされた、最大級の爆弾に、ディアナの頭は文字通り真っ白になった。


(……シェイラ、が?)


 後宮から、いなくなった――?


『最悪』一歩手前の状況の中、それでもディアナはぐっと、足と腹に力を入れた。

 間違うな。見誤るな。――有事のときこそ、冷静であれ。

 数少ない、相手の言葉から。裏の裏まで、つかみ取れ――!


「……まぁ。それは、とてもおかしなお話ですわね?」


 ゆっくりと、微笑みすら、浮かべて。

 ディアナは、目の前の――ある程度の事情は理解した上でこの件に絡んでいる、王宮騎士の男を、射抜いた。


「陛下の寵姫は、僭越ながら、わたくしだと思っていたのだけれど。礼拝にもご一緒して、主日を共に致しましたし。お渡りにならないときも、いつも細やかなお手紙をくださるわ」

「そ、それは……!」

「騎士様? 騎士様の仰る『寵姫』とは、どちらのお方なのかしら。――騎士様は何故、その方を『寵姫』と思われたのか、わたくしに教えては頂けません?」


 後宮でひたすら、ごたごたはしていたが。ジュークは外宮向けに、『紅薔薇と仲良し、正妃はどうしよっかなー』作戦を今も実行中である。外宮室経由でジュークの様子を聞く限りでは、腐っても王族、演技力はなかなかのもので、外宮の空気は『王が選ぶのは紅薔薇になるのか……』というものに偏りつつあった。

 そんな中。顔と階級章を見ても、ディアナが名前を思い出せない程度の、貴族のプライドだけで保守派の末端にぶら下がっているのだろうと思われる騎士が、シェイラのことを『寵姫』と呼んだ。シェイラは確かに一時期、それこそ社交シーズン始まってすぐくらいのときに、『陛下のご寵姫か!?』と騒がれはしたものの、それ以降、表向き王との交流がなかったため、すぐにその噂は立ち消えている。……その陰で、クレスター家の社交諜報組が暗躍していたことは、もちろんの蛇足であるが。

 この状況で、シェイラを『寵姫』と呼んだ男が、事情を理解していないなんてことはあり得ない。


 優しいだの、お人好しだの、最近言われることがとみに増えたディアナではあるが。

 少なくとも彼女は、『敵』と断定した相手に対し、一切の容赦も油断もしない。

 ふわり。『咲き誇る氷炎の薔薇姫』に相応しい、笑みを浮かべて。


「騎士様――?」


 艶やかな棘を、食い込ませる――!


「……っ、証言だ! 証言が、あったのだ!!」


 目の前の男が、突如、喚いた。


「これは、全て、『紅薔薇』のためだと。『紅薔薇』を思うが故、やったことだと。実行犯が、そう証言した!」

「まぁ。その実行犯とは、どこのどなた?」

「ベルとかいう、侍女だ!」


 驚きつつも、冷静に状況を分析する。


 ベルが、シェイラを後宮から連れ去り。

 その後、王宮騎士に捕らえられ、尋問を受けた。

 そこで、「これは紅薔薇様のために行ったこと」と証言した。

 だから、王宮騎士として、『紅薔薇』の捕縛に踏み切った――。


 聞くべきことは、三つだ。ディアナは正面から、『敵』を睨む。


「それで。その連れ去られた方の行方は、掴めているのですか?」

「な……!?」

「答えなさい。『王宮騎士団』は、連れ去られたという『寵姫』の行方を捜査しているのか、否か!」


 ディアナの迫力に押された男は、目を泳がせ、怒鳴り返す。


「だっ、誰が、黒幕などに内情を教えるか!」


(追跡はしていない……!)


 これで、この『誘拐』劇が、保守派の思惑を多分に含んだものだと推測できる。

 シェイラの身の安全は……限りなく最悪に近いと、言わざるを得ない。


(ごめんなさい、シェイラ。私があなたの目の前で、無茶なことしたから……)


 最善手を、選択したつもりだった。

 けれどその最善手すら、敵によって絡め取られ、次の一手の布石にされる。


(これは盤上遊技(ボードゲーム)じゃないって、何回言わせれば気が済むの……!)


 怒りに煮える心を、意志の力で抑えつける。――まだ、するべき質問は残っているのだから。


「さきほどのお話だけでは、わたくしがあなた方に従う理由がございません。侍女の証言から察するに、それはその者が、『わたくしのため』と勝手に行ったことなのでしょう?」

「貴様ならそう言うだろうと、上の方々は予測しておられた。――既に後宮内外で、この件に関わった者たちの捕縛は完了している。その全てが革新派、『紅薔薇派』の隆盛を強固なものにするため、動いたのだ。奴らは口を割らないが、その仕掛け人が貴様であることは、状況から見て明らかな事実!」

「……参考までに、どちらの方が捕縛されたのか、教えて頂いても?」

「手駒の行く末は、さすがに気になるか? ライノ・タンドールとオレグ・マジェンティス、後宮内部の実行犯としてベルだ」


 ……つまり、ノーマードはまだ、自由の身というわけだ。まぁ、彼まで辿り着けば、リリアーヌとの関係が表沙汰になりかねず、保守派に見事な反撃(カウンター)が決まるから、可能ならオレグまででディアナに罪を着せたいのだろう。

 ちなみに、こうまで堂々と王宮騎士が乗り込んできた以上、余程の反撃材料がなければ捕縛を回避するのは難しいだろうと、ディアナはあらかじめ覚悟している。ので、捕縛に抗ったのはあくまでも質問の前振りだ。おそらく、ランドローズ侯爵に近い保守派の一味が、外宮にてもう既に、ディアナの捕縛を正式に命じる調書を作成済みのはず。ここまでした以上、ディアナを追い詰めるのに中途半端な手は打たないと思われる。


(……何かしら。もう、いろいろと、詰んでいる気がしてきたわ)


 主に、この、エルグランド王国が。


「……最後に、一つ。あなた方は、捕らえたわたくしを、どのように処罰なさるおつもり?」


 尋ねたディアナの背後で、リタが息を呑んだ。他の誰にも分からないだろう、この質問の真意は。


「毒婦め。ついに、観念したか?」

「質問に答えなさい」

「いい気になっていられるのも、今のうちだ。後宮に無為な派閥争いを起こして王国を乱し、伯爵家の娘でありながら序列を無視した振る舞いを繰り返し、挙げ句気に入らない者を力で排除しようと企んだ、貴様のような悪女が。――楽に死ねると、思わぬことだな」


 明らかに、自分に酔っている、目の前の馬鹿を冷めた目で見ながら。

 内心で、ディアナは瞑目し、天を仰いでいた。


(詰んだ――)


 明らかに、害意を持って。策を弄して。

『王宮』として『クレスター』の名を持つ者の命を刈り取ろうとする行為が、この『エルグランド王国』にとって、どれほど危険か。……目の前の馬鹿はもちろん、現ランドローズ侯爵も知らないらしいことが、これではっきりした。


(無理もないけど。前回は、百五十年前だったし)


 その時代を直接知る者がいなくなり。直接知る者から伝え聞いた者も、もう残り少なくなっている。

 時代の教訓が薄れる頃、繰り返し起こる、この手の騒ぎ。『当事者』になるとは、まさか思っていなかったけれど。

『前回』と今で、大きく違うことを一つ、挙げるなら。


 ――王が、変わろうと努力している、その一点に尽きる。


(お願い、お父様。……まだ、決めてしまわないで)


 おそらく聞き入れられないであろう願いを、心中に落とし。

 ディアナは――すぅっと、目を細めた。


「最後の、忠告です。――覚悟は、できているのですね?」

「……何?」

「この国で語られている、『クレスター』の逸話。その全てを慎重に吟味した上で、それでもわたくしを殺めるため、動くのですね?」

「脅すつもりか。無駄だぞ!」

「その目を開き、その耳と心を繋げて、よくお聞きなさい。あなたも保守派に連なる貴族なら、『アズール内乱』を生き延びた血筋のはず。あなたのお祖父様は、『クレスター』について、何一つ教えてはくださらなかった?」

「何が言いたい!!」

「企てた者は、もちろんですが。ここで、実際にわたくしの捕縛に動いたあなた方が、見逃されることはないでしょう。――今、このとき、踏みとどまって思い直せば。わたくしから、口添えすることができます」


 敵味方関係なく、基本的に人の死が苦手なディアナは、割と本気で踏みとどまらせようとしている。

 繰り返すが、自分が牢に入るのは、この際どうでも良い。――最終的に殺すつもりで、この人たちが、『ディアナ・クレスター』を牢に入れようと動いていることが、何より問題なのだ。


 何か、思いつく人はいないか――と、数拍の間を、数えて。


「――えぇい、やかましい! ごちゃごちゃと言い逃れをしても、貴様の運命は変わらん。――縄を持て!!」


 ……単細胞な頭の持ち主に、心の底から同情した。こんなのが先頭にいては、従う者たちも落ち着かないことだろう。

 壁際にいた騎士が、わたわたと荷物から縄を取り出そうとするのを、ディアナはきつい一睨みで、声すら出さずに止めてみせた。殺気を放てばもっと簡単だが、こいつら如きにそれほどの芸当、見せてやるのももったいない。


「縄などかけずとも結構。――全てを喪う、その覚悟があるのなら。あなた方の行動を、わたくしが咎める理由など、ありはしません」


 たぶん自分は、歴代の『クレスター』の中でも、ダントツに温情をかける方だと思うが。

 ここまで言われて、ただの噂からの推測であっても、『あれ、クレスター家を敵に回すって、もしかしたらヤバいのかも』くらい思いつかない頭の持ち主たちを、これ以上憐れむのは時間の無駄だ。


 王国に出回っている、数多の噂を。何故クレスター家が、流されるがまま放置しているのか。

 ……少しは、考えてみればいいのに。


「リタ、筆記具を」

「はい、ディアナ様」


 藪から棒な主従の会話に、王宮騎士たちが色めき立つ。

 腕を掴まれそうになり、ディアナは反射的に、彼の後ろに回っていた。


「な!?」

「騒ぐことではございませんわ。どうせ、この部屋もお調べになるのでしょう? 男の方に見られては恥ずかしいものを片付ける場所を、記すだけです」


 言っている間に、リタが筆記具を持ってきてくれる。さらさらと、言った通りの内容を箇条書きにして、ディアナはリタに紙を手渡した。


「お願いね、リタ」

「――かしこまりました、ディアナ様」

「待て、この部屋の者は全員、」


 言い切る前に。

 今度こそ、ディアナは殺気を爆発させた。

 この部屋に、油断して突っ立っている、ぼんくらな男共など。その気になればディアナは、いとも簡単に全滅させることができるのだ。


「この部屋の、『紅薔薇派』の頭たる、わたくし自らが。愚かなそなたらの策中に、敢えてかかってやろうと譲歩しているのです。……この上何かを望むなら、五体満足でいられなくなること、覚悟して頂きましょう」


 ただでさえ、シェイラを取られている。

 これ以上は、誰一人、指一本触れさせない。


「……それとも、『紅薔薇の間』の者たちがわたくしを裏切り、このような愚かなことに荷担した、確たる証拠がございまして?」


 ディアナに関しても、物的証拠はないはずだ。それを突かれれば、彼らが手柄にしたい『紅薔薇捕縛』すら難しくなる。

 ここで、全員捕縛にこだわり、泥沼になるか。大人しく『紅薔薇』だけで満足するか。

 さぁ、選べ――。


「……侍女たちに関しては、調書が不十分だ。沙汰は、追って下す」


 馬鹿なりに弾いた算盤は、目の前の分かり易い手柄に軍配が上がったらしい。内心ほっとしつつ、手を伸ばしてきた男を一瞥した。


「捕らえようとなさらずとも、わたくしは逃げたり致しません。側室筆頭に対し、最低限の礼儀も弁えぬ者が小団長の地位にいると、王宮騎士団の名誉を汚したいなら、好きにすればよろしいけれど」


 貴人の捕縛は、留置場まで、黙ってつき従うのが普通だ。この歳で小団長の、目の前の馬鹿は、おそらく子爵か男爵位。伯爵令嬢のディアナに許可なく触れることは、身分上も許されない。


(というか、触られることがこんなに嫌なのって、どうしてかしらね?)


 先程から、こいつの手が伸びる度に、理屈より本能が拒絶する。いや、理屈上もあり得ないが。


「……逃げないと、誓うなら。もちろん、側室筆頭に相応しくお連れする」

「先程から何度、わたくしは『逃げない』と申しました?」

「――よかろう」


 馬鹿の合図で、騎士たちがディアナを取り囲む。

 堪えきれなくなったのだろう。ミアが、悲鳴を上げた。


「ディアナ様!」

「大丈夫よ、ミア。みんなも、心配しないで」


 こうなってしまった以上、案じるべきはむしろ、国そのものである。

 ディアナは人の隙間から、仲間たちに笑いかけた。


「申し訳ないけれど、紙に書いたこと、お願いね」

「ディアナ様……!」


 もう一度、大きく頷いて。

『滅び』の序章へと、ディアナは一歩、踏み出した。


さてさて、伏線はそろそろ出揃いましたかね?

どう転がって落ちていくのか……楽しんで頂けますように。


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