43 【過去】シルヴァの絶望
***
────十五歳の秋。
俺が廃嫡と王室籍剥奪を言い渡された日。
同時に婚約解消も告げられた。
魔法が使えない俺が王太子であることの正当性を問う者はこれまでもいた。
治世に魔法を使うわけではない。
が、魔法を使えることこそ神から人の上に立つ資格を与えられた証明であるかのように考える人間は多かった。その筆頭は宗教勢力だ。
だからこそ俺は、人の何倍も努力して、力を身に付けて、自分が王にふさわしいことを皆に実績で示さねばならないのだと思ってきた。
それが、宰相交代に伴い、彼らの思想を国王陛下が受け入れるとは……俺を立太子した国王陛下ご自身がそんな選択をするなんて、思ってもみなかった。
廃嫡のみならず、王子の身分すら奪われる。
何者でもなくなってしまう。
これまで重ねてきた努力も、皆と紡いできた信頼関係も、何もかも無駄だったと言わぬばかりに、文字通りすべてを同時に失う。
それを告げられた直後は、あまりのことに、悪い夢でも見ているようで頭の中が真っ白になり、現実味がなく、うなずくほかなかった。
ずっとついてくれていた護衛たちは、その場で解任された。婚約者のはずのアナスタシアとは話すことさえできなかった。
一切の公務から排除されることが告げられ、王宮の中にある王太子のための部屋をすべて明け渡し、そして、俺が王太子である証を何もかも国に還すよう求められた。
俺の所有物は本来すべて国のものと言わんばかりに、人から贈られ大切にしていた私物さえ金目のものと目をつけられると国庫への『返還』をせよと迫られた。
その日のうちに俺は、学園の寮に入ることが決定した。
護衛がいない、従者もいない。一人で運べる程度の荷物しか持ってこられず、蔵書もほぼすべて諦めなければならなかった。
隙間風の入る寒い小さな部屋の中、夜を迎えれば、本当に一人きりになった。
人生で初めての一人きり。
足がはみ出そうな寝台の上で身体を丸め、壁の薄さを気にしながら、声を殺して泣いた。
王宮や離宮にあった私物や財産は、国庫に『返還』されるか処分された。
俺につけられていた先生方の多くも解雇されることになった。
厩舎にいた大事な愛馬たちもいなくなって、どこへ連れていかれたのか知る術もなかった。
それでも……弟たちに無様な姿は見せられないと思った。
学園に籍が残っていて良かった。
小さくても寝泊まりの場所があり、食事も与えられる。
いずれにせよ、俺が国王夫妻の間に産まれた男子である事実は変わらない。
授業外の王太子教育も騎士団との鍛練もなくなったが、それでも学校で教育を受けられるのはありがたいことだ。いままでと同じように授業に出て、勉学には励まなくては。
それに公務からの排除を一方的に決定されたけれど、きちんと引き継ぎをしなければ後任の者たちも関係者も困るはずだ。
やるべきことを数えて、目の前のやることに集中しようとした。
学園の先生方は変わらず指導すると約束してくださった。同じクラスには廃嫡に怒ってくれた学友もいた。
弟たちを支えることができるなら、俺はまだがんばれる。そう信じていた。
だが、立場が変わったという事実は日に日に悪い形で俺の身に影響を及ぼすことになる。
護衛はいなくなった一方で見張りは付き、弟たちとの一切の接触を禁じられ、授業以外はほぼ部屋にこもることを余儀なくされた。
友人とも学園の教室内以外での会話は許されず、当然両親にも会えない。
睡眠を削って作った引き継ぎ書も受け取ってはもらえず、後任者たちとは話すことすら許されなかった。
また、ウィール公爵の派閥の生徒たちから、執拗に誹謗中傷が撒かれた。
目にする新聞も、魔法が使えないにもかかわらず成人直前まで王太子の座にしがみついた無能だとして、俺を苛烈に攻撃する論調に変わっていった。
公務で俺を支えてくれていた貴族や官僚の多くが閑職に回されていくのも新聞で知った。
学園の中でも、俺を庇った者は針の筵に座らされることとなり、いじめの標的となった。
さらには俺自身が、命を狙われた。
見張りが付いているというのに立て続けに二度、毒を盛られた。医者にもかかることができず、一人、底冷えのする部屋の中でろくに眠れずに苦しんだ。
寝込んでいるうちに、十六歳の誕生日は終わっていた。
……もうこの国は、俺に消えて欲しいんだ。
冬季休暇、俺以外には誰も生徒がいない寮で雪の降る外を見つめ、その事実を、認めたくなかった事実を、ゆっくりと飲み込んだ。
国のためにがんばって生きてきた、何より国を優先して生きてきた過去が、現在の自分の胸を刺す。
不要に、いやむしろ国の邪魔になったおまえは、いまなぜ生きているのかと。
(学業だけでも……がんばっている姿を見せればきっと、父上と母上も)
廃嫡から一度も会っていない。きっともう会いたいとも思わないのだろう。
(テオとルークにとって、恥ずかしくない兄でなければ)
弟たちにも一度も会えない。アナスタシアにも。手紙も書けない、届くこともない。
時間が重なるにつれ、彼らが本当は俺のことをどう思っていたのか、それもわからなくなってきた。
兄だと思っていたのか、それとも目の上のたんこぶと思っていたのか。魔法の使えない婚約者など恥ずかしかったのか。
(……とにかく今を耐えて、いつか、支えてくれる人に恩返しを)
味方になってくれている人々が、ウィール公爵側からの圧力で傷つけられても、俺は守ることもできない。そうして味方だった人が離れていくのを、グチャグチャな気持ちで見送った。
最悪な冬をどうにか耐え忍んで、春が近づく。
その頃、かたくなに俺を『殿下』と呼び続けて、廃嫡なんて絶対撤回させると一人気勢を吐いていたオーリウィック侯爵の長男アバクスが、殴られたような痣や傷を顔に負って登校してくるようになった。
何があったと聞いても、いえ別に大したことはありませんと話をそらされた。
俺には見えないところでどんな目にあわされているのか、いや、あわされてきたのか。
…………なんで、おまえは生きている?
一人になるたび、時間が少しでもあくたび、頭の中でもう一人の自分に責められるようになった。
監視役たちには、自然とこちらが一人病んで壊れていく姿を冷静に観察されているようで。
いっそ狂ってしまえば楽なのかとも思った。
最後の糸が切れたのは、ある時、教室での勉強中に万年筆が机から転がり落ちた時だった。
なぜかそのとき俺の近くにいた監視役は……誰かに命じられたのか、不意に浮かんだ悪意だったのか、それを、わざと踏み折った。
亡くなった恩師からの、形見分けの万年筆を。
見上げた顔は明らかに、笑っていた。
気がつけば、五、六人いた監視役が、みな気を失って転がっていた。
万年筆を踏み折った奴は白目を剥き、その鼻から血をたらし歯は折れているようだ。
俺は握った拳や自分の服が、血だらけになっていることに気がついた。すこし拳は痛むが他は痛くない。すべて、返り血だ。
皆、十六の俺よりも身長体格は遥かに上回る相手だった。鍛練を半年も受けず引きこもっていたのに、身体に叩き込まれたものは抜けなかったらしい。
いくら格闘術を修めていても、自分のような立場の人間は身分が下の者に暴力を振るってはいけない。それは俺の中で当然のことだった。
なのに、その禁を犯したことで、ゆっくりと、心のたがが外れていく。
折られた万年筆を握りしめる。雪降る夜に強盗に殺されてしまった、大好きだった先生。
ふと、あの先生の家に行きたくなった。
たまには息抜きも必要だと誘ってくださった、本を借りることを口実に遊びに行っていた、あの先生の家に。
────ちょうど、あの子に出会った季節。
『……そういうわけでして……これから先、私の身にもしものことが起きてあの子が一人ぼっちになってしまいましたら……どうかあの子のことをよろしくお願いします』
亡き恩師と交わしたたったひとつの約束は、もう守れそうにない。
どうしようもない悲しみを抱えたまま、俺は寮を飛び出した。
***
しばらく体調不良で更新が止まっていてすみません。更新再開します。




