31 【過去】ルークと二人の兄
***
(ああもう、マクシーナめ……)
……王子として生まれたせいだろう、16歳の成人以降、酒をやたらと飲まされる。
慣れていないせいなのか何なのか、俺は酒に弱い。
その場ではどうにかしのいでも、だいたい後で嘔吐して寝込んだ。
美貌を鼻にかけたとある貴族の夫人が、俺を酔い潰して関係をもとうとしてきたことがあった。
なぜか女絡みになると護衛が役に立たない。たぶん、見逃せとか国王から指示されているんだろう。
そんなだから、正直、不信感がある。
その時は連れ込まれたベッドの上で気持ち悪さと苦しさが極限に達して嘔吐したら、女はドン引きして逃げていった。
吐いたもので窒息しそうになりながら、ベッドの上を這うこともできず、たまたま呼び鈴の紐にかろうじて指先が届いたから医師が駆けつけてくれた。
指が届かなかったら、たぶん俺はそのまま死んでいた。
きっと女は、人を殺すかもなんて欠片も考えずに気軽に刹那の欲に従ったんだろう。
それから俺は、酒には死ぬほど注意して、それでもどうしても立場上飲まざるを得ないから、手にするグラスはその日に一杯だけ、それも半分は残すと決めていた。
────父からです。
今夜、そう言ってマクシーナが渡してきた酒。
正直一口も飲みたくなかったのだけど、宰相からの酒だと言われれば、その場の手前、口にしなければならなかった。
すぐには特に体調も悪くならなかったんだが、今になってすさまじい苦しさに襲われて、飲んだことを後悔している。
(……マクシーナのやつ、腹いせに毒でも、盛ってきたのか……)
テオやメリディアナが何か叫んでいるけど、聞こえない。
目の前が真っ暗になって、そのまま俺は意識を失った。
***
王族や貴族は、基本的に男子に対しては厳しく教育する。
次男や三男も、長男の『予備』であることを求められる。
三男の俺も、シルヴァほどではないにしろ幼い頃からかなりの量の学問をこなすことを求められたし、言うことを聞かなければ家庭教師は暴力を惜しまなかった。
俗に『体罰』という言い方をするが、要は暴力だ。
彼らは王子相手だろうと暴力を振るう。
なぜなら彼らが気にしているのは俺ではなく、俺の両親の評価だ。
俺が不出来なところを見せれば自分が罰せられるから。
俺が何か間違えるたび、半ば恐怖に顔をひきつらせながら家庭教師は俺の手に固い鞭を振り下ろしていた。
シルヴァは王太子なので、幼い頃から俺たちと完全に引き離されていた。
だから俺の近くで俺に優しくしてくれたのは、テオ……次兄のセオドアだけだった。
テオは、俺よりもずっと出来がよかったのに、シルヴァと比べられては駄目だとか努力不足だとか言われ、その優しさゆえに周囲には馬鹿にされていた。
それでも俺に優しくしてくれる一つ上の兄を、俺は、とても強い人だと思った。
五歳になってもずっとテオにべったりの俺を見て、両親は思うところがあったらしい。
何か催しがあるたびに、同年代の貴族の家の女の子たちをけしかけて、俺にまとわりつかせるようにしたのだ。
その中に、マクシーナがいた。
同じ王族の娘でも幼い頃から出来の良かったアナスタシアは、早々に王太子の婚約者候補最有力と見なされていた。
当時、父親のドラウン公爵が宰相になったことも影響していたらしい。
一方、次期宰相の座を狙っていたウィール公爵はそれを悔しく思っていた。
そのため俺の妃候補としてマクシーナをねじ込んできたようだ。
それは五歳の俺にとって地獄の始まりだった。
他の女の子たちは少なくとも、俺が王子だということでそれなりに節度をもって接してくれていた。
マクシーナは違った。
声が大きい者が勝つ、という父親ウィール公爵の信条をそのまま受け継いだかのように、他の女の子を押し退けて俺にべったりとくっつく。
大人が来れば、すかさず大声で仲良しアピールする。
他の女の子と俺が話せば、『マナー教育』と称してよってたかってその子をいじめる。
恐かった。
けれど子どもの俺は、それを大人たちに言語化して伝えられなかった。
俺はマクシーナの姿を見れば逃げ出すようになった。
なのにウィール公爵夫人とマクシーナはそれを自分たちに都合のいいように解釈して、俺とマクシーナが大の仲良しで、マクシーナの顔を見ると照れ隠しで俺が逃げてしまうかのように大人たちの間に広めた。
俺の知らない間に、国王夫妻の中では俺とマクシーナが仲が良いことになっていて、愕然とした。
そんなことはない、大嫌いだといくら言っても、王妃はあらあらと微笑ましそうに笑った。
言葉が通じなすぎて、知らない間に母親が絵本にでてくる化物と入れ替わってしまったんじゃないかと恐かった。
今にして思えば、両親はそう思いこみたかったんだろう。
マクシーナが王族だったから。
とりあえずマクシーナとくっつけられれば、俺は王位継承権を保持した予備のままだから都合が良かったんだろう。
それから少しして、シルヴァが俺たちの状況に少しずつ気づき始めたらしかった。
たまに俺たちに声をかけてきたり、国王に言って家庭教師を変えさせたり、体罰は子どもの脳を萎縮させて逆効果だから禁止すべきと言ったり、子どもなりの苦言を呈したりするようになった。
マクシーナがやってきた時にさりげなく俺と引き剥がしてくれたりもした。
助かった時もあったけど、なぜか長兄に対しては心が冷めていた。
シルヴァの行動が今まで俺たちの状況に気づかなかった償いのように見えてしまったし……シルヴァが出来すぎるせいでテオや俺がまるで出来損ない、努力不足のように言われるのは変わらなかったから。
お手本とされているのに、全力で走っても差が開くばかりで永遠に追いつけない。シルヴァに憧れているテオは、いつも苦しそうだった。
────11歳の春、そんな俺の人生に異物が入ってきた。
テオが恋をしたのだ。
メリディアナ・オーリウィック。
名門侯爵家の養女。
父親は侯爵の弟で、母親はどこの誰かわからないらしい。
まっすぐで艶々な、珍しいピンク色の髪をしたその女の子は、確かにとびきり可愛かった。
人間のなかに天使が混じっているようで、女の子がたくさん集まっている中でも思わず目がいってしまう。
そんな子だった。
彼女を遠くから見て頬を染める兄を見たとき、確かにあれだけ可愛い子なら気持ちは理解できるという思いと、寂しさと、何となく恋愛に現を抜かす兄を見たくない気持ちとで複雑だった。
(でも、王族じゃないから、結婚はきっとできない……愛人にするとしても、侯爵家じゃ逆に身分が高すぎるし)
たぶん絶対に、絶対に叶わない恋。
やめちゃえよ、と言えなかったのは、それでもテオがうらやましかったからだ。
俺と女の子の関わりはといえば、嫌いな女からどうやって逃げるか考えることばかり。
あんな天使みたいな女の子に本気で恋をして、いつもその子のことを考えてしまうようなテオの毎日はうらやましくて、でも、決して邪魔してはいけない、とてもはかなくて尊いものだと思えて。
そんな風にテオを介してだけ認識していて、きっと一生ろくに話すこともなく関わることもないだろうと思っていた。
……なのに。
十四歳の初夏。
俺が誘拐犯に殺されそうになったところを助けたのは、メリディアナ・オーリウィックその人だった。
***




