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19 【過去】セオドアの想い

「ありました」


 こともなげにそう言うと、少女はスカートの裾を持ち上げて軽く駆け出した。


(あった? 本当に?)


 女の子なのに意外と足が速い彼女の後を追うと、庭園の一角にある木を目指している。


「あそこです。あの木の、枝に引っかけてあります、メガネ」

「えっ」

「うーん、跳んでも手は届かないかな……。でも、何とかなると思います。ちょっと待っていていただけますか?」


 言いながらピンク髪少女はなぜか靴を脱ぐ。

 下が芝生だから良いようなものの、彼女はいったい何をしようとしているのか?

 混乱している間に、さらに靴下を脱ごうとして……。


「まさかその格好で登る気か?」

「わぁぁ!?」


 背後からかけられた声にビックリして少女は声をあげた。

 彼女とともに振り返る。ぼんやりした私の裸眼の視界でも間違えようなくわかる、シルヴァ兄上がいた。


「お……王太子殿下!?」

「すぐそこで君の義姉に会って伝言を伝えられた。一体何があった」

「あ……それは……」


 木の下から覗いて舌打ちをしたシルヴァ兄上は、軽く助走をつけて高く跳躍し、枝に引っ掛かっていたものを取った。

 すごい、と呟いて少女がパチパチ拍手をする。

 取った眼鏡を私にかけながら、兄上は「誰にやられた?」と尋ねる。


「あ……その……」


 兄の顔がはっきり見えたとたん、また、喉が絞まるように言葉が出なくなった。

 女官たちの、護衛たちの、言葉が頭の中にあふれる。


 その時、とん、と、後ろから背中を柔らかく押された。


「大丈夫です。兄君を信じてください」


 なぜかわからないが、不思議と少女の声には安心感を与えられた。

 消えたいぐらい恥ずかしくてたまらなかった事実だけど、ええいという気持ちで「すみません。実は、女官たちの嫌がらせで……」と告白したのだった。


「これまでもあったのか?」

「は、はい。その……続いていました」

「そうか……よく言ってくれた。今日中に対処する」

「あの……すみません兄上。ちゃんと従わせられなくて」

「いや、テオは悪くない。気づいてやれなくてすまなかった」


 ぽん、と、兄上が私の頭に手を置いたとき、じわっと涙があふれそうになったのを必死でこらえた。


「それと、ありがとうメリディアナ。君がテオの眼鏡を見つけてくれたんだな」

「はい! この間、魔力感知魔法を習ったのでちょうど良かったです」


「あ……そ、そうだ。眼鏡を見つけてくれてありがとう、ええと、メリ……」


 私がお礼を言いながら振り向いて、初めてそのピンク髪の少女の顔をはっきりと見た時、心臓が止まるかと思った。

 ピンクの髪を夕日に染めながらニコッと笑む少女は、生まれてから今まで会った誰よりも飛び抜けて可愛らしく、神の奇跡としか言いようがないほど美しかった。


     ***


 その日のうちに、私の周りの女官も従者も護衛も家庭教師も、総入れかえになった。


 兄上いわく、仕えている者たちが主に対して辛辣な態度に出るというのは、意外とよくあることらしい。

 たとえば、何かの鬱憤をぶつけるため。本来自分より上の身分の人間を精神的支配し優位に立つ快感に溺れてしまったため。

 あるいは、別の権力者に気に入られるため。


 今回で言えば、私を攻撃することで、シルヴァ兄上を支持している権力者の覚えをめでたくするためだったのではないか……と。


 そういうことを喜びそうな権力者というと……私は一人しか思い浮かばなかったのだけど、さすがにその名を口に出すことはできなかった。

 兄上にとって大切な婚約者であり私とルークにとっても姉のような女性の、その父親なのだから。


 ただ……眼鏡の事件以降、私の環境が快適になっただけでなく、兄上とも少し関係が改善した。

 歳を重ねるごとに兄上の公務が増え、なかなか会うことさえ難しくなっていたのだけど、私たち弟のことをこまめに気にかけて、会う時間を作ってくださるようになった。


      ***


 ────翌年。


「駄目だ」

「どうして駄目なのですか。私は王位継承権など要りません。兄上を支えたいのです」

「おまえの身はおまえのものではない。国のものだ」

「要らないと言っても、私たちはあなたに王位継承権を保持しておいてもらわないと困るの。あなたはシルヴァの予備(スペア)の役目を果たさないとならないのよ。それが王子の務めです」

「国王になるのは兄上一人でしょう。それに、私やルークを王に祭り上げようとする不届き者だっているのだから、むしろ王位継承権を持つ王子など少ない方が良いのではないですか」


 国王陛下(ちちうえ)は頭をかきむしり、王妃陛下(ははうえ)はハァと大きなため息をつく。


「どうしてわかってくれないの……」


 私はそんなにおかしいことを言っているだろうか?


「メリディアナ・オーリウィックと侯爵の意思だけでも聞いては駄目ですか?

 彼女はとても優秀です。同年代の貴族の子どもたちより学力がずっと高いし外国語もできます。

 何より、医療体制や国民の健康など、私以上にこの国をどうしたいというヴィジョンが明確にある女性です。

 そもそも、他の国なら、王家と姻戚関係にない侯爵家や伯爵家の令嬢令息が王妃や王配になるのも普通でしょう。

 だいたい父上と母上も、お祖父様も曾祖父(ひいおじい)様もかなり近い血縁との結婚ではないですか。他国では、血が濃くなりすぎた王家が特定の病に苦しんだという例もございます。少しは制度を見直……」


「話にならん!」


 国王陛下は荒々しく声を張り上げて、そのまま立ち上がり部屋をでていく。

 王妃陛下は「本当にもう……少しは頭を冷やしなさい!」と言い捨てて国王陛下を追っていく。


 ため息をついた私は、王宮の一角にある図書館に足を向けた。今の護衛は離れることなくついてくる。それが当たり前だと言わんばかりに。


 私としては、そんなにおかしいことを言っているつもりはない。

 ウィール公爵の娘とか、両親が勧めてくる他の王族のやたら幼い娘などと比べれば、婚約者候補にメリディアナ・オーリウィックを検討してほしいというのはかなり真っ当な話だと思うのだが。

 それに彼女の義父のオーリウィック侯爵は、権力を牛耳って我が世の春を謳歌しようというタイプではない。

 メリディアナが王子妃になっても、きっと王家と良い関係を築けるだろう。


(……やっぱり、何度考えても駄目な理由がわからない)


 暗い気持ちになりながら、王宮図書館にたどり着いた。

 街中にある図書館とは違って、重要資料の保管が主な目的なので、普段ほとんど人の姿はない場所なのだが、今日は違った。

 机に山盛りに本を置いたピンク髪の少女が、侍女とともに勉強している。


 彼女の姿を見ただけで跳ねる心臓を何とか抑える。


「や、やぁ。メリディアナ嬢」


 ノートから顔を上げた彼女は、にこりと微笑んで椅子から立ち上がり、去年とは見違えるようなきれいな所作で(カーテシー)をした。


「こんにちは、セオドア殿下。ご機嫌いかがですか」

「う、うむ。おかげさまでこの通りだ。また勉強に来ていたのか?」

「はい、ここの資料は本当に充実しているので。先日お借りした本、とても参考になっています。ありがとうございました」


 話しているだけで夢心地になりそうな自分をどうにか抑え、表情を引き締める。

 会うたびに綺麗になる気がする。

 ただ、たぶん、彼女が私に対して気を許しているのは、私への好意からじゃない。

 ────私が、シルヴァ兄上の弟だからだ。


「今日もセオドア殿下も勉強していかれますか?」


 言いながら机の上の本を寄せようとしたメリディアナを「い、いや、今日は違うのだ」と制止した。


「も、もうすぐ闘技場で、兄上の剣術の試合があるのだが……み、見に行かないか!?」


 一瞬で、一番星のようにパアアッと明るく輝く笑顔。

 さっきまでの、すっかり貴族社会に馴染んだような上品な笑みとは、残酷なまでに全然違う。


「ありがとうございます! 見させていただきたいです」


 恋する女の子の声と表情だ。アナスタシアも時々兄上の前でこんな顔をするから、わかる。

 勘違いの余地さえない。

 彼女が好きなのはシルヴァ兄上だ。


「ああ、本を片付けたらバルコニーに行こう。騎士団の者たちもいるはずだから」


 息が止まりそうで胸がキリキリ痛い。

 それでもこの顔が見たくて、少しでも話したくてたまらなかった。



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