「花見はどこを見るものなのか」
天井は満開の桜、明るい午後
グロスでぷるぷるしている唇が、桜の色だ。
そう気がついた瞬間、鉄の視線は美優の唇から離れなくなった。
まわりにはレジャーシートを敷いた親子連れや、昼日中から酒を飲む集団がてんこ盛り……ってか、自分も宴席の中である。
野球の試合の後に流れてきた公園に、コンビニで買ったビールと乾きものだけのお手軽花見。
美優は女の子同士の話に夢中になっているし、自分もまた車を買おうかなんて相談をしていて、隣同士に座っているわけでもない。
それなのに、美優の唇が気になって仕方がない。
ああクソ、あのままふたりで帰っちまえば良かった。
今頃そう思ったって、あとの祭り。
ちらちらと美優を見ながら、何か口実を作って連れて帰ろうと思うのみである。
親父から電話でも、掛かって来れば良いのに。
柔らかな桜色が、午後の日差しの中で形を変える。
車を買う相談なんて、上の空だ。
きっとあの唇は、今舐めたら甘くて良い香りがするだろう。
マツダでもニッサンでも知るか!
手洗いに立つ振りをして、リョウに電話した。
「五分後に電話してこい。すぐ切っていいから、とにかく鳴らせ」
理由も言わずに命令して、席に戻った。
律儀に着信したスマートフォンに短い返事をして、鉄は立ち上がって周りを見た。
「悪い、ばあちゃんが具合悪いってから、帰るわ。みー、帰るぞ」
「え? おばあちゃん、朝は元気だったのに」
驚く美優に仕度させて、一緒に宴席を離れた。
歩き出して桜の樹の下を通り抜けるとき、かすかな風に花びらがひとひら舞い、美優の唇にはりつく。
それを見たら、我慢なんてできない。
美優の手を曳いて、早足でずんずん歩いた。
「おい、ばあちゃんがって、嘘だろ?」
「嘘だろうねえ。美優ちゃんばっかり見てたし」
「バレてると思わないのかね、あんなんで」
「春だねえ、テツの頭の中が」
「満開で羨ましいこっちゃ」
残された宴席の声は、鉄には聞こえない。




