眠り誘う羊
再び月の国での朝を迎える。
僕は王子と共に朝一で裏通りの酒場に向かった。
日が昇り切っていないのでまだ少し暗い。
酒場の中はまだ少し客がいて、飲んでいる者潰れている者、昨日よりは酒場らしい雰囲気があった。
その店の隅に、マントを被った小柄の男を見つけて近づいていく。
「星の都は鴉の家」
シェズが言うと、男はマントを上げた。
例の情報屋だ。
「おはようございます、旦那方」
痩せ男はニヤリと笑いながら、一枚の紙きれをテーブルの上に置いた。
シェズが手に取り紙を開く。地図だ。下の方に僕達がいる城、そこから北の方に印がつけてある。
「魔軍侵攻の時にも使っていたんでしょう、隠れ家がありました。奴はそこにいますぜ」
「流石だ」
シェズは金色のコインを一枚投げる。
「潜伏期間に用意していたんでしょう、石の巨人を多く隠していました。ご注意を」
オマケの情報を背中越しに返してきた情報屋に、シェズは親指を立てて返した。
僕らは城に戻ると、フレドさんに地図を渡す。
「森の奥で場所は解りにくいですが、距離はそこまでありませんね。途中までは街道に沿っているんで馬車を使えばすぐにいけますな」
「準備を頼む」
王子が言うと、フレドさんは手のひらをそっと中庭に向けた。
流石というべきか、そこには馬車が既に準備されていた。
星都から使っていたものと同じタイプの大型の馬車だ。いつでも出せると言わんばかりに嘶きが聞こえた。
「こっちも準備できてるわよ」
後ろからマリーナさんの声がした。振り向けばエミカがリュックをこちらに向け元気に微笑む。
そして朝倉さんに籠を渡した。
「はい、朝ごはん」
バスケットの中にはサンドイッチが詰め込まれていた。
「みんな……ありがとう」
王子が言った。
「よし、出発だ!」
シェズが威勢よく声を上げると、みんなが拳を掲げた。
王子が一番に馬車の荷台に乗り込む。
僕らも後に続くと、何故かそこにはベルシャがいた。
「おそーい」
「何で乗ってるの……」
「だって魔王様の所に行くんでしょ? 連れてってよ」
「なんて、ずーずーしい……」
エミカが顔をひきつらせながら言った。
「まぁ、下手に足止めされるよりいいさ」
僕は諦めてそれ以上の言及を避けた。
「さっすが勇者、話がわかるー」
僕の隣に席を移動したベルシャは屈託のない笑顔を近づけてくる。
その間にエミカが割り込んで僕とベルシャの体を引き離した。
眉を顰めながら向かいの席に座りなおすベルシャ。
遅れて馬車に乗ってきた朝倉さんは僕の隣に座ると、そっとバスケットを開けた。
「あら、気が利くじゃない」
真っ先に伸びてきたベルシャの指先をエミカの手が遮る。
その横で、朝倉さんが取ってくれたサンドイッチを僕の前に渡してくれる。
それを僕……じゃなくてシェズが行儀悪く口で迎え入れた。
「ん、美味ぇ!」
すかさずマリーナさんが頭をはたいた。
思わずみんなが笑いを零す。
そんな中、一人王子は真剣な瞳で窓の外を見つめていた。
外から馬の嘶く声が聞こえる。
僕も窓の外に視線を移し、ゆっくりと動き出す景色を眺めていた。
馬車から降りた僕達はフレドさんに番を任せ、地図を頼りに森の奥へ入った。
流石に隠れ場所があるというだけあって、道らしきものは無い。
ただし、目印になるものはあるという。
地図に書かれた通りにそれを探していく。
「ねぇ、真島くん。あれかな」
朝倉さんが指さした先に、大きな石があった。
捨てられた像。
地図にはそう書いてあり、確かに石に見えるものには顔と手足らしきものが彫刻されている。
その視線の先に進み、小さな川を越えろと書いてある。
あっちか……。
せせらぎの音が聞こえると、草むらに隠れて小川が見えた。そこにかけられた小さな橋を越えると、また石像が置いてある。
その視線の先を追うと、木々の向こうに白い建物が見えた。
森の中には似つかわしくない小奇麗な屋敷だ。
「あそこか……」
息を飲んで建物に近づいていく。
すると、何か響くような振動と鈍い音が近づいてくるのを感じた。
情報通り、石の巨人だ……。
「一体じゃないわね……」
マリーナさんが様子を伺いながら呟く。
徘徊しているのが2体、屋敷の入口の前に立っているのが1体か。
「バカね。あれじゃ隠れてるのモロバレじゃない」
ニヤニヤしながらベルシャが続く。
「そんじゃ、乗り込むとすっか」
言いながらシェズがエミカの前に手を出した。
「りょーかいしましたっ」
敬礼ポーズと共にリュックから大剣の柄を引き抜く。
その脇に、ひょこっとリスが顔を出していた。
ニコニコと手を振る。朝倉さんだけに向かって。
朝倉さんも笑顔で手を振り返していた。
僕はエミカのリュックをさりげなく閉める。
「よし、行くぞ!」
王子の掛け声とともに僕達は屋敷に向かって走り出した。
石の巨人がこちらに気づく。
「マリーナ、援護頼むぜ」
シェズは言いながら真正面に向かっていく。
近づいてくる石の巨人はゆっくりと拳を振り上げる。
思わず目を背けようとする僕の意思を抑え込んで、シェズは真っ直ぐに走り続ける。
振り下ろされた拳が頭上に影を落とした。
しかしシェズの剣はそれよりも早く巨人の腰を両断していた。
ズドンと重々しい音と共に巨人の上半身が地面に落ちた。
「凄……」
僕が呟く間にもう一度、今度は背後から巨人の倒れる音がした。
見れば氷の精霊が足元の関節を凍らせて動きを止めている所だった。
シェズがすかさず近づいて関節をバラバラにしていく。
「後は門番か」
剣を担いで近づいていくシェズ。
巨人は動かずにじっと立っている。
「これは守る事を厳重に命令されてるから下手な事してもダメよ」
後ろからベルシャが言った。
「そういえば、ベルシャってどうやって魔物操ってるの?」
「さっきあの子がやってた魔法と同じ。魔物を操れる精霊にお願いするの」
ベルシャは石の巨人の前に立つと、ピシッと人差し指を突き立てた。
ただ、少しだけいつもと違うのは、その前に僅かに空間の扉が開いた事だ。
「回れー右っ」
そのまま指を動かすと、石の巨人はその通りに動いた。
「そのまま前進」
重い足音を立てながら、扉の前から巨人が移動する。
ベルシャはフフンと威張る様に胸を張った。無いけど。
「凄い……私にもできるかな……」
「自然精霊と違って、ちゃんと契約しないとダメよ」
そう言ったベルシャの肩の上に、小さな影が乗っていた。
その姿、ちょっと大きめのリスには見覚えが。そうだ、前に聖なる空間で会ったことがある。
「君だったのか」
僕がオーリに話しかけると、きょとんした顔で首を傾げた。
あれ、もしかして忘れられてる……?
オーリは何も言わずにベルシャの髪の毛の中に入り込んだ。
よく見るとうなじの辺りにしがみついているみたいだ。
「ベルシャの能力にはそんな秘密があったのか……」
「それベルシャさんの能力じゃなくて、リスくんの能力じゃないですか」
陰に隠れていたエミカが近づいてきて言った。
「それ言ったら、あんただってそうじゃないのよ荷物持ち」
「むぐぐ……」
呆れ顔のベルシャに、エミカは何も言い返せず口を噤んだ。
「あー、もうどうでもいいわよそんな事」
二人の頭をくしゃくしゃ撫でて、マリーナさんは扉に向かう。
その時、上階から物音がした。
見上げれば、窓の奥に人影が見えた。遠くても解る。輝く頭が。
「ヘルク!」
王子が声を上げると、ヘルクは窓辺から消えた。
僕らは急いで屋敷の入口に向かう。
当然、屋敷の扉には鍵がかかっていたのだが、シェズは剣でいとも簡単に突き破った。
扉の向こうは吹き抜けの広いホールになっていて、二階へ続く階段が両脇にあった。
「くそぅ、貴様らどうしてここが!」
階段の踊り場にヘルクが立っていた。
それを見つけると王子が階段を登っていく。
「ヘルク・ベアゼ。あなたを連れ戻しに来た」
ガチャリガチャリと鎧の音が響く。
ヘルクが階段を一歩、後ろ向きのまま上った。
「誠……」
シェズが小さく呟いて反対側の階段に視線を向ける。
僕は頷いて静かにそちらへ回った。
「ヘルク……なぜ、あなたは王でありながら、国を危険にさらすような真似をする」
王子が少しずつ近づき、それに合わせてヘルクも下がる。
「貴様、そんな説教をするためにわざわざ来たのか!」
ヘルクは声を上げる。
僕らは素早く二階に上ると、吹き抜けに面した廊下を走り、ヘルクの背中側を押さえた。
振り返ったヘルクの額に汗がにじむ。
僕と王子が一歩ずつ追い詰める。
だがヘルクは諦めた表情を見せなかった。
「ミザ!」
ヘルクが叫ぶと、二階の奥からメイド姿のミザさんが歩いてきた。
その姿を見て王子の顔色が変わる。
「やはり……君もいたのか……」
近づいてきたミザさんは手のひらを僕に向ける。
「何か呼び出す気か」
ミザさんはゲートキーパー……何か魔物を召喚するのか……。
僕は剣を構えて身構えた。
次の瞬間、手の平が光ると、そこには枕を抱えたもこもこした何か……羊?が現れた。
「あれは……! シェズ、気を付けて!」
一階からマリーナさんが叫んだ。
羊の体が膨れ上がり、あっという間に部屋中を白く覆う。
「な、なんだこれ……!」
白いものは煙だった。容赦なく気管に入り込み、思わずむせかえる。
瞬間、猛烈に意識が遠くなるのを感じた。
視界がぼやけ、瞼が重くなる……。
気が付くと、僕は手足が金属製の鎖で縛られ、石造りの壁に貼り付けられていた。
キャンドルで照らされた薄暗い部屋には動物の毛皮や頭の剥製が飾られている。
壁にある小さな鉄格子の隙間から光がかすかに差し込んでいた。
地下室か……?
そして……いったい何が起きた……?
僕が隣を見ると、朝倉さんとエミカ、そしてベルシャと王子も同じように壁に貼り付けにされていた。
項垂れる仲間を見て、僕は息をのむ。
目を凝らすと、みんな寝息を立てている。
ただ一人を除いては。
「ようやく起きたわね、勇者」
隣に貼り付けられたベルシャが顔を上げた。
「一体、何が……」
僕が言うと、ベルシャは悔しそうに唇を噛んだ。
「眠りの精霊の力で眠らされてたのよ」
あの羊の煙、魔法だったのか……。
僕は何とか動こうと手を動かす。だけど金属の鎖は食い込み、僕の体温を奪うばかりだ。
「何とか……脱出しないと……」
「簡単に行けばいいんだけどね」
ベルシャは言いながら僕の手に目をやった。
「ゲッ、なんだこれ!」
僕の手首から先がない。
正確には視界から消えていた。両手が空間の穴に入り込んでいるのだ。
よく見るとベルシャの手も同じように消えている。
「アタシ達、空間開くときに手を使うでしょ。こんなので封じられるとは思わなかったわ……」
ベルシャが顔を引きつらせる。
その時、部屋の扉が開く音がする。
「目が覚めたのは二人だけですか」
僕らを捉えた張本人が静かに言った。
「ミザさん、なぜこんな事を……」
僕の問いかけにミザさんは表情を変えずに答えた。
「主の命令に従っているだけですが」
その瞳は真っ直ぐで、僕は逆に目を逸らしてしまう。
「だからといって……」
呻くような声がして、僕は視線を向けた。
ゆっくりと顔を上げた王子が、ミザさんを見る。
「道を外れた主を支える事が本当に正しいことなのか……?」
険しい表情で王子は言った。
ミザさんはそちらを見る事もなく背中を向ける。
「まってくれ、ミザ!」
「しばらく大人しくしていろとヘルク様からの伝言です」
それだけ言うとミザさんは僕達のいる部屋から出ていった。
その背中を見つめて、王子が唇を噛み項垂れる。
「王子……あの人の事を知ってるの?」
「あぁ……」
下を向いたまま王子が言った。
「彼女は昔からこの国に仕えている使用人でしょ? なんでアンタが知ってるのよ」
「小さいころから外交で父上と一緒にこの国にも来ていたからね……」
どこか懐かしむように王子が言う。
「その時は歳が近いからと、よく私につけてくれてね。この国に来る度に良く遊んだものさ……」
「ふーん……なるほどね」
ベルシャは項垂れる王子を見ると、小さくため息をついた。
「初恋の人なんだ?」
王子は黙って首を縦に動かした。
「月の国が魔軍に占拠されたと聞いて真っ先に彼女の事を思い出すくらいにはね」
「それで、あんなに無理をして旅に付いてきたのか……」
僕の言葉に、王子は今度はその首を横に振った。
「私が戦うのはあくまでも国のため、民のため……それが王族たるものの務めだからだ」
ようやく顔を上げた王子は真っ直ぐな眼差しで言った。
「はぁ……典型的なお坊ちゃんの発想ねぇ……綺麗事じゃない、そんなの」
ベルシャが呆れた表情で言った。
「本当……王子は相変わらずだよ……」
僕も一緒にため息をつく。
「だけど国を危険にさらしておいて、それでいて家臣を置いて逃げ出すような王様よりも、僕は好きかな」
「アンタも大概、甘ちゃんよねぇ……」
ベルシャはこっちまで一緒くたにして呆れた目で見ていた。そして一度目を逸らしてから。
「アタシは単純に、あのハゲが嫌ーい」
そう言ってニヤリと笑った。
「おう、珍しく意見が合うじゃねーか」
起きてたのか……。
シェズがベルシャと目を合わせて同じように笑う。
そして僕もそれに合わせる。
不思議と僕は絶望していなかった。それはきっと、今、交わした瞳に諦めが浮かんでいなかったからだ。
さぁ、考えろ。この囚われの状況から脱する方法を!




