束の間の休息
瞼の上に朝日が降り注ぐ。窓が開いているのか涼しげな風が入ってくる。
一晩寝た事、なによりも朝倉さんの治療魔法のおかげで、僕は気持ちよく目覚める事が出来た。
「あ、マコちゃん起きた?」
目が覚めると大きな瞳がこちらを覗いていた。
「うぇっ!?」
慌てて飛び起きるとベッドの周りにズラリとメイドさんが並んでいた。
「おはようございます勇者様!」
整列したメイドさん達はペコリと頭を下げた。綺麗に並んだ動きが美しい……。
……えーと、なんでこんな事になったんだっけか……。
「さぁさぁ着替えましょう勇者様」
「やっぱりドレスの方が良い、マコちゃん?」
「いいよ、自分でやるから!」
うう、なんでこんなことになってんだか……。
丁重にお世話されて身支度を整えた僕は、そのままメイドたちに囲まれて城の応接間にやってきた。
「おはよう誠君」
「よく眠れましたかな?」
すでに部屋には王子とフレドさんがいた。
城主が消えた事、なによりも魔神を封じ込めた事で、僕達は月の城に残された人達から手厚い歓迎を受ける事になった。
もっとも、僕達が魔神と戦っている間にフレドさんが丁重に根回しをしていたのが大きいらしいんだけど……詳しくは聞かないでおこう。
フレドさんが城の使用人に指示を出しているのを横目に、僕は椅子に腰を掛ける。
「はいはーい勇者様、お飲み物は何にいたしますかー?」
「朝食はスクランブルエッグでいいですか?」
「えー、マコちゃんは目玉焼きだよねー?」
……落ち着かない。
見れば王子の周りにもメイドさんたちがいるけれど、それに自然と対応しているのは流石、本物と言ったところか。
「朝から元気ですね、お二人とも……」
急に声がして僕はつい背筋を伸ばした。
ジトーっとした目でエミカが見ていた。
「お、おはよう……」
「おはようございます」
「お、おはよう……真島くん」
扉の脇で、遠慮がちにこちらを覗きながら朝倉さんは頭を下げた。
見慣れた制服姿。
離れていたのは、ほんの一日の筈なのに、なぜだかとても懐かしく感じる。
朝倉さんはエミカに手を引かれて、僕達のいるテーブルへとやってきた。
「聖女様も座って座ってー」
メイドさんたちに囲まれて、朝倉さんが困った様子を見せる。
「聖女様はお紅茶ですか?」
「卵はどうしますー」
「いえ、あの……その……」
苦笑いと共に助けを求める視線を投げてくる。
僕も乾いた笑いで返す。
「朝はオレンジジュースでしょ。卵は半熟のスクランブル。あ、ベーコンはもちろんカリッカリにね」
テーブルに一人、いつの間にか増えていた。
堂々と朝食のメニューを指定すると、ふわりと赤い髪をかきあげる。
「ベルシャ!」
「ぐっもーにーん♪」
軽快に挨拶するベルシャ。
「あなたまだいたんですか……」
またしても不機嫌を露わにしてエミカが言った。
「アタシの部屋、まだこの城にあるんだけど?」
出されたオレンジジュースを飲みながら、ベルシャは言った。
「それに、あんたこそホイホイ戻ってきておいて、人をそんな目で見れる立場なの? んー?」
「ぐぬぬ、まおー様に置いて行かれたくせに!」
エミカの言葉にベルシャも口ごもる。
そしてお互い眉間にしわを寄せてにらみ合った。
「ああ、もう喧嘩しないで二人とも……」
朝倉さんが間に入ってなだめる。
はぁ……頭痛くなってきた。
「で、アンタ達、これからどうするつもりか決めてるの?」
そう。まずはそれを話すところからだ。
なんでベルシャが切り出すのかはあれだけど……。
僕は席に座った全員の顔を見る。
「それについてですが……」
エミカが立ち上がった。
「わたくしたちが目指すのはまおー様の所、それは変わりません」
エミカは地図を広げると、今いるポイントを指さした。
聖都から魔王城へ向かう道のり着けられた印。気が付けば大分飛ばして目的地に近づいている。
次のポイントを抜けた先が最後の目的地……という事になる。
エミカの指先は最後に待つ魔王の城に止まる。
「ここに……シェズ様とマリーナ様の体があります」
僕と朝倉さんは顔を見合わせた。
「本当なの? エミカちゃん」
朝倉さんの言葉にエミカは首を縦に振った。
「そもそもわたくしがまおー様に協力していたのは、そこにシェズ様達の体があったからです」
……なんだ、やっぱり裏切っていたわけじゃないんだ。
僕はそんなことを思い、ため息を零す。
すると、別のニュアンスを含んだため息をベルシャが零した。
「でもさ。今アンタが裏切ったんなら、その体が無事なんて保障は無いんじゃないの?」
その指摘に僕は言葉を失った。
確かにシェズ達の体を人質にしていたのなら……エミカの行動は時期尚早だったのではないか。
エミカは今度は首を横に振る。
「それはありません。一つはまおー様にとってもお二人の体が必要な事。そして……」
瞳がベルシャの方を向く。
「意外とそういう事をしない人……なんですよね、まおー様って」
エミカが言うと、ベルシャは視線を逸らした。
その自信がどこから来るのか。
しかし、昨日の戦いでエミカに手を出さなかった事や、それまでの行動からも信憑性は高い、そんな気がしてくる。
「本当に悪い奴なのかな、魔王って……」
僕が呟くと朝倉さんも頷いて見せた。
「私も、そんなに悪い人じゃないように思う……」
「ま、そこはあんまり深く考えなくてもいいんじゃねーか」
いつの間に起きたのかシェズが言った。
僕はまた変な事をしないように気を引き締める。
「とりあえず、魔王にリベンジするって目的が第一だからな。魔王の所に行こうぜ」
ガタリと立ち上がった体を、落ち着けと僕はもう一度腰を下ろす。
「一番の目的は僕らの身体を元に戻すのと、元の世界に帰ることだからな」
「一番二つあるよ……真島くん……」
朝倉さんは乾いた笑いを零した。
「どっちにしても目的地は変わらないんだ。とっとと行こうぜ」
再び立ち上がりそうになるのを僕は押さえる。
……うーん、シェズの行動力が強くなっている気がする……。
戦っている時なら頼りになるんだけどなぁ……。
「皆さま、朝食の準備が出来ましたー」
メイドさん達が料理を運んできた。
はぁ……。とりあえずご飯を……。
「腹が減っては戦は出来ねーしな」
思いっきり体の感覚が無くなるのを感じた。
目の料理が口の中に入るのを、ただただ見ている感覚。
なんかこれ……ちょっと切ない。
「結構美味いな」
……今までシェズはこんな気持ちだったのか……。
少しは我慢しようか……。
食事を終え、応接間を出てため息をつく。
「うぅ……お腹重い……」
「シェズ様、凄い勢いで食べてましたからね」
そして本人は散々食べた後はとっとと体を渡して来た。
全く……。
そしてため息の理由はもう一つ。
僕が立ち止まると、背後についてくる足音も止まった。
「いかがなされました勇者様?」
まだ僕らの後をついてくるメイドさん達。
落ち着かないなぁ……。
「あのさぁ、僕の事は構わなくていいから……」
「なに遠慮してるんですか勇者様ー」
「そーだよ、幾らでもお世話しちゃうよー」
気が付けば取り囲まれ、腕を掴まれたり背中に抱き付かれたり……。
「うわわわ……」
「ウフフ。マコちゃんかーわいいー」
遠くからベルシャが言った。
そしてその隣で朝倉さんがこっちを見ていたと思うと、目を逸らして速足で進んでいく。
「あ、朝倉さん!」
追いかけようとするものの、柔らかい壁が自由を奪う。
「おお、お前随分とデカいな」
「やだもー勇者様ってばー♪」
って何やってんだよ、シェズ!?
油断すると体の自由を奪われる。
視線の先で僕の右手が柔らかそうな膨らみを揉んでいた。
「やめろって!」
意識してコントロールしてないと本当に勝手をする。
僕は体の自由を取り戻すと、手のひらに弾力が返ってきた。
「やぁん……勇者様だいたん♡」
ツインテールの美少女か頬を上気させながら言った。
「うわああああああっ、ごめんなさい!」
慌てて手を放してブンブン振り回す。
「勇者様、次はわたしもいいよ」
すかさず別の子が迫ってきた。なんなのこの状況!?
助けを求めようと隣にいるエミカを見れば、つめたーい眼差しが突き刺さる。
「はいはい、いつまでも遊んでんじゃないわよ」
パンパンと手を叩きながら、ベルシャが声を上げた。メイド達はピタッと動きを止めて廊下の両脇に寄る。
「あんた達、とっとと掃除にでも行きなさい。あ、アタシの部屋は片付けちゃっていいわよ」
ベルシャが言うとメイド達は一礼して散開した。
「はぁ……」
どっと疲れて肩を落とす僕の前に、ベルシャの呆れた顔が近づいてくる。
「だらしないわねぇ、あんなからかわれて」
「うるさいなぁ……」
とはいえそれ以上は何も言い返せないわけで。
ふぅと溜息をついたベルシャは歩いていくメイド達の背中を見ながら言った。
「なんだかんだで雇い主がいなくなって不安なのよ、あの子達」
「その事なのだが……」
遅れて部屋から出てきた王子が急に話しかけてきた。
「少し、ここに留まる時間をくれないだろうか」
「どうしたの急に……」
僕が尋ねると王子は窓の外に目をやった。
「ヘルクの事が気にかかるんだ。彼はまだ諦めていない、そんな気がする」
真剣な顔つきで王子は言った。
言われてみればそうだ。
彼が呼び覚まそうとしていた魔神はまだ同じ場所にいる。
そして呼び出すための鍵であるゲートキーパーも……。
「確かに警戒の必要はあるな」
「なら街に行こうぜ」
そういうとシェズは自分で歩き出した。
「はわわ、待ってください!」
エミカが慌てて追いかけてくる。
急に身体の感覚が無くなるというのも、まだ慣れないな……。
城下町に出たシェズは裏通りへと入っていく。
静かな街だ。大通りでも人通りは少なく、今歩いている道も僕たち以外には誰もいない。
「こんな所に何が……」
僕が呟くと、エミカは何か察したように遠くの建物を指さした。
酒場……あぁ。
店の中に入ると、そこもやはり客はいなかった。
よく考えたらまだ朝だしな……。営業もしていないのだろう。
それでも店主らしき人物がカウンターに座っていた。
白い髪と髭で顔は良く解らないが、確かにこちらを見る。
「朝から酒かい?」
エミカが近づいて笑みを向ける。
「星の都は鴉の家」
その言葉を聞くと店主は小さく笑いを零し、ゆっくりと立ち上がると店の奥に消えていった。
少し間をあけて戻ってきた店主の背後にはマントを頭から被った小柄な人物が続く。
「久しぶりですね、旦那」
マントを上げると、その顔は聖都で出会った痩せた男だった。
「ここに来てたのか」
「そっちこそ。オルトロックに向かったと聞いてましたけど、随分と早い到着ですね」
「まぁ色々あってな……それより、この国の王の事を知りたいんだが……」
「ヘルク・ベアゼの事ですかい?」
痩せ男は懐から手帳を取り出すとパラパラと捲った。
「魔軍に取り入って何か企てていたらしいですが、隠れるのが得意みたいであまり情報はないですね」
「そいつが昨日ここから逃げ出した。行方を追いたい」
「なるほど……城の方で何か起きてるみたいでしたが、旦那達でしたか」
「奴がどこに消えたのか、解らないか?」
王子が言うと、痩せ男は首を横に振った。
「今はまだ何も」
「どれくらいでいけそうだ?」
シェズが店主に何か合図をすると、カウンターにグラスと酒瓶が乗せられた。
エミカがささっと氷を入れ、グラスにお酒を注いでいく。
「3日もあれば余裕でしょうが……」
「おい、アルフォンス。どれだけ出す?」
王子は腰に下げた金貨の入った袋をテーブルに放り投げる。
ジャラリと重そうな音がした。
「明日の朝までには、なんとかしましょう」
痩せ男は素早く金貨の入った袋を懐に収めると、注がれた酒を一気に飲み干した。
「頼むぞ」
王子はそれだけ言うと、酒場を出た。
僕たちも慌てて追いかける。
「どうしたんだろう、今日の王子……なんかおかしいよね……」
「可笑しいのはいつもなんですけどね……」
エミカの言葉に苦笑しつつ、僕らは城まで戻ってきた。
「おかえりなさい勇者様」
戻るなりメイドさん達の畏まった挨拶が出迎えてくれる。
「代わってやろうか?」
シェズがニヤニヤしながら言うので僕は首を横に振る。
そんな僕の横をすり抜けて王子が前に進んだ。
「王子様もおかえりなさいませー」
集まってくるメイドさん達一人一人に視線を向けながら、王子は黙って進んでいく。
「おかえりなさいませ王子」
フレドさんが隣に並んで歩き出した。
「明日出発する。それまでに準備をするぞ」
「畏まりました」
城の中に消えていく二人を見送って、僕はエミカと顔を見合わせる。
「僕達はどうしよう」
「そうですね……予定外に一日開いたわけですし……」
少し悩んだエミカは、何かを思いついたようにポンと手を合わせた。
そしてニヤリと笑ってこちらを見る。
「誠様、お買い物をお願いしていいですか?」
「別に良いけど……」
僕が答えると、すぐさま後ろから声が上がった。
「お買い物でしたら私たちが……」
「そうそう。買い物なんてこの子に任せてー」
「勇者様はあたしと遊びましょ」
「あー、もうあなた達はいちいちいちいち……」
エミカが頭を抱えながら言った。
「お買い物は誠様に行ってもらいます!」
言いながらメイドさん達を手で追い払う動作をする。
「さ、誠様」
エミカがパンと背中を叩いた。
僕がきょとんとしていると、エミカはまた溜息を零す。
「桜様を迎えに行きますよ」
今度は強く、背中を叩かれた。
ちょっと痛い。痛い。
エミカが急かす様に手を引き、城の中を駆け回る。
探していた朝倉さんは、城の中庭の花壇の縁に腰を掛けていた。
マリーナさんと何か話をしているようだ。
「桜様ーっ」
エミカが声をかけると、朝倉さんはそっと顔を上げた。
「どうしたのエミカちゃん……」
一歩進んだ僕と朝倉さんの視線が合った。
「あ、真島くん……」
朝倉さんは再び視線を下に向ける。
……なんか、今朝から様子がおかしい気がする。
僕が歩みを止めると、エミカがこっちを睨んできた。
そして朝倉さんの手を取ると、立ち上がらせ、そのまま後ろに回り込む。
「ほら、とっとと、買い物に、行ってきてください!」
エミカは朝倉さんの背中を強く押した。
バランスを崩す朝倉さんが僕の前に近づいてくるのを、慌てて受け止める。
「だ、大丈夫?」
「う、うん……」
僕の目の前に朝倉さんの顔があって、僕の心臓が思わず高鳴る。
慌てて引き離そうとする前に、エミカが叫んだ。
「シェズ様、お願いしますっ」
その言葉に一瞬の間の後。
「あー、そういう事か」
シェズは呆れたような顔をした後、ニヤリと笑うと……。
あっという間に僕の体を奪い取った。
そして朝倉さんの体を軽々と抱えると、そのまま走り出す。
「しぇ、シェズくん!?」
顔を真っ赤にしたまま朝倉さんがしがみつく。
「いってらっしゃいませー」
遠くになっていくエミカが大きく手を振っていた。




