第一章<34>
めっちゃ間あきました。
活動報告も書きます。
白蓮が奴の腹に飛び込んでから一体どれくらいの時間が経っただろうか。蘇芳は幾千、幾万の剣戟を繰り返す中、時というものを忘れかけていた。
しかし突飛なことを思い付く奴だ。こと戦闘に関しては常識というものが通用しない。
面白い。
蘇芳は自分が笑っていることに気付いた。憎き白蓮。だが、尊敬もしていたかもしれない。常に斜め上を行く、あの馬鹿な男を。
奴の強さを知ったのは幼少の頃、他流派の交流試合の時だ。
普段表に出てこない飛燕と剣を交えることのできる数少ない機会だ。当時、棘王流の正当後継者としてその才覚を発揮していた俺は、初めて仮面を付けたその子供を見た。
あれが噂の白蓮。齢十にも満たないあの子供が、大の大人の首を刈り取ったらしい。
鬼神の子、剣の申し子などと呼ばれたあの子供と俺は試合をする。真剣ではないが、それでも奴を倒せば俺の名もさらに上がる。
そして、俺は滅多打ちにされた。
圧倒的だった。
九つか十は下であろう子供に、俺はボコボコにされたのだ。剣先すら触れられなかった。ただされるがままになっていた。
「……もう終わり?」
あれほどの屈辱はそうない。手加減していたのだ。化物め。そう思った瞬間、悟ってしまった。
俺は、人間なのだと。白蓮が鬼ならば、俺は人間なのだ。
人が鬼に勝てるわけがない。恥ずかしかった。後ろめたかった。安いプライドだと今でも思う。しかし剣の腕が存在証明となる棘王流に俺は泥を塗ったのだ。
父に顔向けできなかった。
しかし現実は違った。
「飛燕相手なら仕方ない。気にするな」
父は。尊敬すべき師父はそう言ったのだ。
これが極王だと? 俺が学んできた剣は、二番手に甘んじていられる程度のものなのか。俺は、こんな奴らに天才と言われていたのか。それを俺は誇っていたのか。
ふざけるな。
ふざけるな!
だから俺は、今ここにいる。
人間でも化物を殺す生業がある。ダンジョンメイカー。遠い俺の国でもその噂は聞いた。竜を狩り、鬼を断つ猛者が集うというかの国の名を。
人間でも奴に勝てる。鬼を断てるのだ。
俺は、それを証明したい。
「総代!」
「おおおっ!」
蒼樹に言われるまでもない。わかっている。
横薙ぎに木をなぎ倒しながら遅い来る触手を迎え撃つ。幾度繰り返したか。今となってはどうでもいい。
俺は、今剣を振るっている。力の限り。
己の限界を超えようとしているのだ。
滴る汗など気にも留めない。肺は潰れそうなほどで、心臓は鼓動をまるで死に急ぐように打ち鳴らしている。
これが戦いだ。
辛く、苦しく、そして清々しい。
人という殻を打ち破ろうとする。
「あああああッッ……!!」
力任せでは勝てない。
剣の基本は、引く動作だ。刃物は当てるのではない。刃先を当てた後、引くのだ。
もし、この空気を、大気を斬ったらどうなるのだろう。ふとそう思った。いや、違う。これは閃きだ。俺は出来ると思っている。
大気の壁。邪魔だ。こいつが邪魔だ。これではあの化物に届かない。斬り裂く。化物ごと、この目の前の不可視の壁を。
風を断つのだ。
「ぬぅぉおあああああッッッ!!」
濁流か、あるいは清澄かもしれない。いずれにせよ、目障りで仕方のない不可視の流れを断ち切った。渦巻く。まだか。まだだな。もう一撃だ。
渾身だ。
目の前が光った。錯覚か。わからん。爆発でも起こったような、そんな一瞬の煌めき。
これが壁の向こうか。
ああ、清々しい。
快感が身体中を駆け巡る。女を抱こうとも味わえぬ悦び。剣が生み出す恍惚だ。
天を仰ぎ蠢く触手が吹き飛んだ。
汚らわしい体液が驟雨のように降り注ぐ。それすらどうでもよくなるほどに、俺は今とても清々しい。
これが白蓮の見ていた世界か。
「総代……!」
空が見える。汚い空だ。
この声は……蒼樹か。
なんと情けない面をしている。覗き込む顔はぐしゃぐしゃだ。単に俺の目の前が霞んだいるだけかもしれん。だけど、お前のそれは泣きかけの顔だということくらいわかる。俺は、弱い女は嫌いだ。
「総代、しっかりしてください……!」
「ふ……ふははははははははは!」
弱いのは、俺か。
まさかあの一撃で倒れるとは。これが鬼の境地だ。白蓮の世界だ。だが届いた。微かだが届いたのだ、俺は。
空が闇に覆われる。いや、あれは化物の触手か。いかんな。蒼樹、逃げろ。お前まで死ぬことはない。
声にはならなかった。ただ、この女は側にいた。愚かな女だ。愛おしいほどに。
「……なに抱き合ってんだ、お前ら」
空は気付けば朝日に染まり、静寂の中に佇んでいた。まるで何もなかったかのように。
まあ、それもそうか。
視界が鮮明さを取り戻す。現金なことだ。息を吐くと、喉が痛かった。掠れた声が溢れる。
「……気を遣えばどうだ」
「や。むしろ邪魔するね」
「やったのか」
「自分の目で見たらどうだ? なんなら手でも貸してやろうか」
「貴様の手など、要らん」
ああ、本当に憎々しいな。
こっちがようやく追い付いた思ったら、また上を歩いている。目の上のたんこぶとはこいつのことか。
まあ今回くらいはいいだろう。ボロ雑巾のような姿を見ていたらそう思えた。
◇
ラディアント・アストラル・キングダムパレス、宮殿内。魔光の間と呼ばれるこの場にいる者は一人しかいない。何人も入ることの出来ない神聖にして堕落の間。
彼女はただ楽しいことだけを探している。その時が来るまで、ここは悦楽の世界を楽しむべきだろう。
ガコンと、重い扉が開かれた。黒い平服に身を包んだ美麗な男が入ってきた。
「麗しの女王陛下、ご報告が……」
言い終える前に、男の頭が弾け飛んだ。
男はしかし構わず前に出る。その程度で死ぬような存在ではないのだ。
「……陛下、さすがの私でも痛いのですよ」
「暇じゃ」
「ですから、ご報告を」
「つまらん事なら聞かんぞ」
「避暑地にされておられました花園の番と、その花が死にました」
「あの変態と悪趣味な失敗作か」
「花をコギトとするなど無意味だとは思いましたが。養分吸収……つまり食欲のみが残ったあれはしかし凶暴なものでした」
「死んたらならいいではないかの。寿命か?」
「いえ、裸蟲の仕業です」
「…………ほう?」
どうやら、彼女にも関心が生まれたらしい。当然だ。地を這いずるだけの裸蟲が、ヒトを斃したのだ。普通ならありえない。
ダンジョンメイカーなどという戯れ者の中に、そんな者が紛れているとは。時たま現れるが、しかしどこまでも行っても脆弱な裸蟲。寿命もあれば、隙を見せ死ぬ者がほとんどだ。これもその類か。
「名前はなんという?」
「協会から情報を寄せましたところ、『ユキト』と名乗っております。もっとも、素性の知れない者が集うので、本名かはわかりませんが。ランクはSです。裸蟲の中でも有能な部類です」
「ほう……のう、ブレラよ」
「はい、なんでしょう陛下」
「そいつは、あれに勝てると思うか?」
「……お答えしかねます。しかし、ありえないでしょう。我々でも恐れる存在です」
「だが、裸蟲は稀に面白い」
ヒトにもあれにも属さない、元来我らの家畜となる存在。ままごとの様な争いを続け、繁栄と滅亡を繰り返す。
その繰り返しの中に、彼女は愉しみを見出していた。稀に現れる、特異的な裸蟲。だからこそ期待する。そいつはどんな面白いことになるのだろう。
「陛下、なにかお考えで?」
「いつか会ってみたいの、そいつに」
「珍しい。帰還後、ここへ呼びつけますか?」
「要らん」
「では、直接?」
「む……それはそれで面倒じゃの。まあ、もう少し様子を見ようかの」
それまでに死ねばその程度。また新たな愉しみを見つければいい。
その時が来るまで。
「……『ユキト』か」
しばし頭の片隅に留めておこう、その名を。
◇
「ユキ坊! 無事だったか!」
戻ってくると、アルグが近寄ってきた。がしがしと頭を撫でられる。暑苦しい。離れろっつーの。……まあ、いいけどさ。
「や、アルグ。もう歩けんのか。よかったよ」
「そう言うお前さんはボロボロ……服はよ?」
「替えなんかあるわけないだろ」
胃液か何かだろうが、奴の腹の中でユキトの服は溶かされていた。身体に関しては火傷のような腫れがあったけれど、なんともない。
身体の抵抗力を上げる術がなければ、さすがにこの服みたく今頃はドロドロになっていたろうが。飛燕の気功刃式様々である。
「ユフィちゃんがいなくてよかったなァ。襲われてたぜィ?」
アルグはうははと笑う。無理して笑うことはないのに。僕の前では強がる。僕がまだガキだってことか。
「本当に……よく帰ってきたね」
「サルファ、無事で何よりだ」
「こちらのセリフだよ。今回は君のおかげだ」
「ユキトぉ……お前、マジで俺信じてたぜぇ~お前が生きてるって〜」
「泣くなよシモン。僕はそう簡単にくたばらないから」
約束だからな。
そう簡単に破るわけにはいかない。僕が守れる数少ないものだ。
「てか、俺はいいんだ。それよりシエルは……」
「嬢ちゃんか。応急措置はとってあるが……」
「ここは王都に近い。何とかなるとは思うよ」
サルファが肩に手を置いた。
「うん。僕らも戻ろう。アルグも診てもらわないとな」
「そうだなァ……」
「アルグ……その」
「言わんでいい。俺ァ自業自得だ。お前さんが気に病む必要はねェよ」
にっと笑う。そんな簡単なものじゃないと思うんだけどな。
ギルド一つ束ねる男が片腕を失ったのだ。支えるべき腕を。僕にも責任がある。だけどそれに見合うだけの償いが出来るだろうか。
「君は心配しなくていい。彼一人がギルドを支えているわけじゃないんだ」
「僕じゃ力にはなれないか……」
「そんなことはない。君は良き友だ。それだけで君は支えになっているよ」
「救われるよ」
本当に。
どれだけ剣に覚えがあっても、それは結局己のためでしかない。誰かのためと言い聞かせ、それでも守りたいものをことごとく零してきたのだから、この剣はどこまで行っても殺し以外には使えないと思っていた。
支えてもらってるのは僕の方だ。気付いた時にはいつも失っている。恩を返すことも出来ないでいる。
本当に僕は良き友でいられているだろうか。
サルファが嘘を吐くことはないだろう。だから、これは自分自身の問題だ。ただ自分が自分を信じられないだけだ。
「暗い顔すんな、ユキ坊。お前さんは十分やったんだ」
「ああ……」
いつだって彼らは優しい。
だから余計に自分が信じられなくなる。そうやって理由を他人に押し付けるくらい、僕は弱い。
アルグはそんなユキトを見て苦笑を漏らした。
「そうだなァ。お前さんがそんなに気にするってなら、今度うちに来い」
「え……?」
「うちで飯食って、飲みながら話し相手になってくれりゃそれでいい。お前さんはどう思ってるかは知らんがな、案外それだけで俺は嬉しいんだぜィ?」
ユキトにはアルグの真意はわからなかったけれど、それが償いとなるならば断る理由もない。
「ああ。行くよ。必ず」
「おうよ」
アルグのにかっと笑うその笑顔には裏がなく、ユキトにはひどく眩しく見えた。
言葉が出てこなくて、黙ってその太陽のような男を見上げていると、頭をまたわしゃわしゃと掻き回される。これではガキ扱いはしばらく続きそうだとされるがままになっていると、背後から不機嫌そうな声が飛んできた。
「雑談もいいが、そろそろ帰る準備をしろ」
いつも通りの面構えでユキト達を見る蘇芳だが、その身は蒼樹に支えられていて、ユキトが珍しいもんだと見ていたら、やけにしかめっ面になった。単に恥ずかしいだけみたいだ。この男も大概中身は子どもだ。
とはいえ蒼樹の方に関しては満更でもない様子だし、なんていうかお似合いではある。
「なんだ……」
「いいや?」
睨みつけてきたので肩を竦めて見せた。気に食わなかったのか、一層睨みをきつくしてきたけれど、あの体じゃ突っかかることも出来まい。
しかし一瞬しか見ていなかったけれど、あいつは一線を超えた。僕からすれば大したことではない。それが飛燕の剣を習得するための最低条件だ。
棘王はその限りではない。むしろ、あれは広くあるべき剣であり、それ故に修練すればある程度誰でも出来るものだ。ぬるま湯と言っていい。
だが認識を改めないといけないかもしれない。蘇芳は棘王の剣で高みを登ったのだ。
この男はどこまで来るのだろう。少しばかりそんなことを思った。
「何か言いたげだな、白蓮」
「別に、何もないさ」
語るべき言葉はない。己の中のものだ。他人がとやかく言うことではない。
眉を顰めつつも、蘇芳は何も行ってこなかった。言わんとすることを察したのか、面白くなさそうな顔ではあったが。
「さて、んじゃまー戻りましょうや!」
シモンが柏手を打った。日も登っている。確かに、もう睡い。色々あるけれど、とにかく今は戻りたい。芙蓉亭の飯を食べたい。
「ああ、帰ろう」
王都ネイル。
僕の帰る場所だ。
今ならそう思える。




