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Dungeon Maker -revision-  作者: 蝉時雨
《死薔薇の園》編
33/36

第一章<32> 剣士ユキト

気付けば夏休み。どうにもそんな気分になれないのは大人になったからだろうか。

少なくとも、社会の窓全開で仕事してる僕は間違っても「いい大人」ではないんだろうなぁ……。

それでは遅れましたが、最新話です。

 アドレイは思う。私は無力だ。あの場で残るべきは自分だったのではないだろうか。なぜ、またあの時と同じことになっているのか。なぜ、また逃げているのか。

 あの黒い悪魔を見て萎縮した心。足が竦んで動かなかった。根付いた恐怖が、心と体を鎖のように縛っていた。それすら情けないというのに、その恐怖に打ち勝てない己の無力にもはや歎くほかない。

 多少剣の腕が立って、そこそこの生まれで、拝名十三円卓騎士として名を授かった。こんな飾りになんの価値があるのか。いや、きっと彼なら「十分力だろ」と言うのだろう。少なからず、紛れも無い、権力だったのだから。

 なら貴方はなぜこうも容易くそれを捨てられたのか。貴方の忘れ形見に、貴方の息子に答えがあるのか。ずっと考えていた。

 あの青年は強い。それこそ、鮮烈な姿が目に焼き付いて離れない。怒号のごとき剣戟。一閃一閃がすでに私のそれを凌駕していた。青年の師にして父である《金獅子サー・レーヴェ》の実力は騎士団随一だった。ダンジョンメイカーとなってからもその勇名は騎士の間に轟いていた。だが青年の実力はそれ以上だった。

 まるで嵐のようだと。

 そんな感想を抱くと同時に、単純に羨む。

 そして同時に疑問も抱く。

 あれ程の強さをもってしても、彼は懊悩を抱えている。強さが迷いを払拭することはないのだと知らされた。

 力だけが強さではない。それは彼を通して実感を得たものだ。一因は私たちにあるしても、やはり彼にも弱さがある。前方を走るサルファに支えられ、むしろ引きずられているアルゲルドもまた彼の弱さで傷付いたのだ。

 だが、どうにも釈然としない。あれは本当に彼の弱さなのだろうか。

 彼の懊悩を全て覚っているわけではない。心の内まで心得ているわけではない。それは私だけではない。ダンジョンメイカーという強烈な個人主義に守られた彼の過去を窺い知れるほどに彼自身の素性を知っている者が果たしているだろうか。

 ただ彼を見ていると思うのは。

 彼は弱いのではなくて、弱くあろうとしているように思える。

 まるで弱さへ奔走している。

 それゆえに目が離せない。不安に掻き立てられる。

 だから自ずと言葉が漏れる。

「……サルファ殿、彼を残して大丈夫だったのだろうか……今からでも私が……」

「いや、やめておいた方がいい」

 サルファはこちらを見ない。だが明確に拒否した。

 私程度ではおこがましい。それは解っているが、だが不安は拭えない。いや、むしろ罪悪感か。私を動かす動力がそんなものだと思うと嫌気がさす。

「しかし……」

「心配いらない、ユキト君ならな。我々に出来ることはここをさっさと抜けることだ」

「サルファの、言う通りでィ……いっつつ……」

「アルゲルド、あまり喋るな」

「いーって。筋肉で圧迫してあらから血は止めた」

 へへっと笑ってみせるアルゲルドの顔色は決してよくはないが、気丈に振る舞えるだけの余力はあるようにも見えた。

 しかし軽く言うが、そんなこと出来る人間そうはいない。

「……ま、あいつは正直一人の方がいーんだよィ」

「だけど今の彼はまるで……」

「――白蓮は人であることに固執しているだけだ」

 音もなく気付けば並走していたのはスオウ。《邪竜ヨルムンガンド》の長である彼は凰州人だ。ユキトの過去を知る男はもしかしたら彼くらいかもしれない。

 気付いていなかったのは私くらいだったようで、他は特に驚くこともない。アルゲルドが手を挙げて笑んだ。

「おー、スオウ……おつかれさん。はえェな」

「喋る気概はあるか。なら死なんだろう。貴様はしぶとい」

「……お褒めの言葉と取らせてもらァ。ユキ坊は?」

「放ってきた。巻き込まれるのは御免だ。あれを引っ張るのに手間取るからな」

 視線が後ろを指し示していたので、振り返ると彼の部下であろう男女が誰かを引きずっている。

「はーなーせーよー!!」

「大人しくしてください大人気ない」

 駄々っ子のように手足をバタバタと暴れさせているのはアイゼンだった。まさか勇名轟く《刃の血盟クラン・オブ・エッジ》の頭目があれほど子どもじみた仕種をしているとは夢にも思わないというか夢だと思いたい。

「あのヤロ俺の頭蹴ったんだぞ!? 黙ってられっかよチクショー!」

 あの時か。

 見事なまでの踏み台っぷりだったが、あれが原因のようだ。

「刃の。あんなとこで剣を振り回していた貴様が悪い」

 私としては同情するところもあったのだが、スオウはにべもなくそう言ってのけた。それにアイゼンは不服だったようで、引きずられた状態で睨み返した。恰好がつかない。

「なにをぅ! 死神が横槍入れてきたんだろーが!」

「奴の前に立って生きていることに感謝しろ。凰州にいたころの白蓮ならまとめて斬っていた」

 スオウはユキトのことを白蓮と呼ぶ。凰州にいた時代を知る彼だからこそ頑なにそう呼ぶのだろうが、それは先ほどの彼の言葉にも関係するように思えた。だからアドレイは聞いた。

「スオウ殿、ユキト君が人であることに固執しているというのは……」

「そのままの意味だ。齢三つから剣鬼として剣を振るい続けてきたあの化け物が、人のように振る舞ったところでいつかは皮が剥がれる。それを今まで何度も上塗りして偽ってきただけにすぎん」

「それが彼の弱さだと……?」

「強弱の問題ではない。人か、鬼かの問題だ。まあ、どこで気が触れたのか鬼でいることを恐れている今の奴は確かに『弱い』のかもしれんが」

「……人か……鬼か……」

「あースオウの言うこと鵜呑みにすんな……? この人強さイコール力の人だからなァ……」

 苦笑気味にアルゲルドが言う。スオウはそれにむっとした顔になった。

「なら巨人の。あれを貴様はどう思う」

「あン? そりゃァ、ユキ坊はユキ坊だ。人生に苦悩しながら進むイマドキの若者だろィ」

「妙にデリケートで、我が儘で、でも優しい青年だと思うよ、俺は」

 追随するようにサルファが言う。

 果たしてどれが本当の彼なんだろうか。

 弱さに奔走する彼か、人の枠に納まろうとし続ける剣の鬼か、それとも、ただ苦悩しつづける一人の男なのか。クレイドル、貴方ならどういうのだろう。

 そして彼自身はどんな答えを出すのだろう。

 あるいはそれを知ることができれば、私は前に進めるのかもしれない。


◆◇◆◇◆


 怨嗟の咆哮と、破砕の爆音が轟く。

 間隙を縫うように、風ごと裂くような銀の斬撃が燦然と輝く。

 黒い巨躯を俊敏に動かすのは地獄の住人。その醜い黒い悪魔に対峙して思うことは、奴は直情的で特殊な力を用いることよりも、肉体でものを言うタイプだということだ。

 こういう手合いは、やりやすいかやりにくいかではなく、ただ単に面倒臭い。しかし興に乗っている時は、一番相手にしやすいものだ。同じように本能で動けばいいからだ。

「毛も生えてね裸蟲ネイキッド風情があああああぁぁぁぁぁ……」

 子どもの身長くらいありそうな膨張した掌がこちらを向く。淀んだ空気が震え出し、肌が焼けるように痛い。これは恐怖? それとも緊張? いや、どれでもない。おそらくこいつは歓喜だ。

 もちろん状況は芳しくない。不謹慎だとも思う。が、しかしどこまでいっても僕はやはり《剣雄》で、それを切り離すことは出来ない。頑なであればあるほどに《剣雄》は腐敗した泥のようにこびりついてくる。

 ユキトか、《剣雄》白蓮かの二択しかなかったのがそもそもの間違いなのだ。

 僕はもうあの頃とは違う。自分の中でなにかが変わったわけではない。ただ、背中を預けられる奴がいる。あとを任せられる奴がいるのだ。

 だから今僕は思う存分に刃を振るうことが出来る。

 いつ以来なのだろうか。もしかしたら初めてかもしれない。

 そのことに歓喜している。

「潰れなさいッ!」

 空気が軋む。微かに肌が感じる圧力。

 ユキトは構わず踏み込んだ。身体にのしかかり始める圧力。それを突っ切って直進する。骨が軋む。ああ、だからなんだ。今僕はそんなことどうでもいいほどにあいつを斬り刻みたい。

 踏み出す。身体にかかる負荷など一切無視する。脳が悲鳴をあげている。どうでもいい。

 どうせあと一足で抜ける。

「なぁぁにぃぃぃっ!?」

 驚愕か、大きな一つ目が見開かれる。おぞましい。醜悪で邪悪な、地獄の住人だ。

 上から押し潰そうとしていた圧力が消えた。

 身体を急停止させる。それは踏み込みだ。大地に根を下ろさんがごとき踏み込みがそのまま爆発的なエネルギーに変わる。同時に地面に突き立てていた刀が外れ、軽く地面ごと裂きながら真上に向けて振り切れた。

 腕が軋む。それすらも今は快感に近い。

「づ……ぁぁああらああああああッ……!」

 飛燕流《鬼断》。

 《鬼断》に決まった型はない。抜刀以外の方法で打ち込むのは先代飛燕と手合わせをして以来だ。極限まで鞭のようにしなれさせた腕をもって、殺気を纏った神速の剣撃を放つ。《鬼断》は鬼を断つ技だ。型とか気にしていたら奴らは仕留められない。

 悪魔は地面を軽く穿ちながら横っ跳びに回避した。だがユキトの目は捉えていた。

 ぶしゃ、と血が吹きだし、悪魔の左腕が転がり落ちた。

「ぬぅあぁぁにぃぃぃぃっ!?」

「だああぁぁ!」

 追撃をかける。大地を這う斬撃が無数に襲う。

「嘗めるんじゃぁぁぁああありませぇぇぇんよおおおぉぉぉ!」

 右腕が膨れ上がる。まるで岩を削りだして作ったような棍棒のごときかいな。それを思い切り地面にたたき付けた。無数の斬撃とぶつかり合い、粉塵が舞い上がった。

 煙が渦を巻いて割れる。間から黒い悪魔が猛進してきた。一つ目が血走っている。

「びょぉぉぉぉん!」

 間抜けな声で圧殺せんと右腕が伸びる。

 ユキトは柄を半回転させ逆手に持ち刀身を脇に挟み、反対の手の平を突き出した。腰を落とし、目を細め見極める。飛燕流特異八型が一、《穂群ほむら》。先代飛燕が編み出した、従来の飛燕流にはなかった独自の技。棘王から盗んだ《緋鷹の爪》などではなく、先代が自ら編み出した剣技。

 巨腕が右手に触れた瞬間、それを身体に引き寄せる。軸足を反転させつつ腰をさらに落とし、腕の下に潜り込む。

「甘いですねぇぇぇぇぇッ!」

 悦にはいったような声で悪魔が笑う。懐に入っているため顔は見えないが、せいぜい勝ち誇っているのだろう。ユキトの顔面というか上半身を消し飛ばさんと肥大した膝が迫る。

 だが甘いのはお前だ、悪魔。お前が勝ち誇っておるその距離は、お前の射程じゃない。僕の射程だ。

 息を吸い込み、止める。

 眼を開き、歯を食いしばる。

 ズン、と音がして――

 黒い巨体が吹き飛んだ。

「うっそーン……?」

 地面を転がる悪魔。

「飛燕流気功刃式《瀑布》……だったか……?」

 先代飛燕の奥の手。八つの敵性に合わせた構え《特異八型》と、そこから放たれる気功刃式。凰州では「ばれると追われるので、使うときは目撃者を残すな」とまで言われた秘技。あの爺が言うとマジで物騒過ぎる。

 山伏などの僧兵が使う、人間の持つ内在的活力を外向けに発し様々な干渉を可能とする気功術というものが凰州には存在する。その系脈を継ぐ流派の一つに、無手を掟とする魏猿流という流派がある。正式には魏猿妙天流といい、妙天宗の山伏だった魏猿が気功と体術を合わせた技術へと昇華させた。

 もっとも、凰州は妙天宗含むこの手の密教を異端とし排除していたこともあり、彼らはこの気功術を抵抗の手段として用いていた。その例に漏れず魏猿流もまた心身鍛練の武道などという生易しいものではなく、完全に殺生目的の凶悪なものだ。

 あの頃は気にしていなかったが、昔になにがあったのか先代飛燕はなぜかこの魏猿流含む気功術の多くを習得していた。それで思い付いたのが特異八型と気功刃式である。飛燕流の境地だと宣っていたが、考えてもみればこれもまね事ということになるのではないだろうか。あの爺は本当に猿まねが好きだな。それを使っている僕自身も同じ穴の貉だが。

 なんにせよ、使えるものは使うのがユキトの主義だ。規格外の化け物と対峙するときには役立つ技なのだから、使わなければ損だ。使う機会などほとんどなかったし、ぶっつけ本番に近かったが、やれば出来るものなんだな。すまんな爺、弟子が上出来で。

 しかし驚くべきことにあれだけの技を受けておいて、黒い悪魔はすぐに起き上がった。爺の笑い声が聞こえた気がした。

「ん……っつぅぅぅあああああいってぇぇぇちくしょぉぉぉ」

 ボキグチャというあまり気持ちのいいものではない音がして、切り落としたはずの腕を瞬く間に再生させた。トカゲかよ。というか再生能力まであるのかこいつは。

 ダメージだけは残っているようなのが幸いだ。「が――――ぺっ」悪魔は大口を開き、地面に向かって血反吐を吐き出した。血の塊が飛び出て、べちゃっと地面でトマトのように弾けた。

「悪魔の血も赤いのな」

 そう零すように言うと、悪魔は憎々しげにこちらを睨みつける。

「ホォォォント……なぁんなんですかー? 劣等種が……こんなに化け物じみた動きするわけねーだろバァァァァァァカ!」

「化け物に言われたかねーよ」

「吾輩はぁぁぁ! 選ばれし存在なのですよッ! ノー化け物! イエス男爵! ヒトたる中でも女王から栄えある領地を任されたぁぁぁいわば勝ち組! けっっっっして! 裸蟲ネイキッド風情が合間見えるなどあってはならないのですよ普通!!」

「知らねーよ。僕たちは仕事をしてるだけだ。文句はお上に言えよ」

「……言えるわけないでしょーがぁぁぁ!」

 もっともだが、まさかそんな切り返しがくるとは思わなかった。そもそも会話が成立しているようで驚く。いや、会話は出来るのか。

 悪魔とはなんなのか。

 それを調べつづけたダンジョンメイカーはいる。

 探究心なのか。好奇心なのか。それともただの狂人か。

 だがこの際そんなことはどうでもいい。瑣末なことだ。悪魔だろうがなんだろうが生きているなら等しく殺せるし、敵対するならなんであろうと敵だ。

 それが一番シンプルで、人として正しい。少なくとも、《剣雄》白蓮でも剣士ユキトでもそれだけは変わらない。

 ここが地獄で、奴の土地で、僕らが異邦人だ。ぶっちゃけ僕がここにいるのも戦うのも一身上の都合だし、悪魔からすればいい迷惑なんだろうが、この場においては関係がない。勝った方が正しく、強さこそが真理だ。

 この現世において、生有る限り、弱肉強食こそが理なのだ。

「あああああもう! どこもかしこもややこしいこと起きてるって時にッ! とっとと死になさい……!」

「僕はまだ死ねない。悪いが、死ぬのはお前だ」

「生意気ですねー……劣等種の分際でぇぇぇ」

「劣等結構。その劣等種に刻まれることになるお前の墓にはなんと刻めばいいか教えてくれよ」

「死ねオラァァァァアアアアア!!」

 両腕を広げる。

 圧殺スクイズか……? いや、違う。回りに浮いているあれはなんだ。球体? 人の頭ほどある、青色の球体だ。

「庭が焼けるから使わないでおいたってーのにもぉーしらね」

 急に球体が赤く染まった。光っている。

 なにかまずい。直感的にそう思わせる光だ。

「|激烈華麗殲滅超絶熱愛視線(ホットゴージャスカーネイジウルトラアドレーションレェェェェェイ)!!」

 予感は的中して、そいつはまるで蕾が開くかのようにぺろんとめくれ、光る一条と呼ぶには若干太い線を吐き出した。吐き出す、というか矢みたいな速さだが。

 とにかくまずいことは解っていたので、すでに回避行動をとっていた。しかし意外に速く背を掠める。ジュ、と嫌な音がした。

「つ……」

 背中が痛い。

 なにが起きたかを理解するのはあの光線の行く先を見れば大体解った。

 背面、目測で二百メートルは離れているはずの壁に穴が空いていた。もし当たっていたらああなっていたのは僕だったのだろう。いや、ほんの少し掠めただけでこれだ、生身の身体なら消えてなくなるかもしれない。

 さすがにこれは予想をしていなかったので、少しばかり冷や汗を掻いた。

 それもすぐに吹き飛んだ。

「――慰慰慰慰ィィィィィ堕ァァァァァァ慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰……!」

「な……」

 つんざくような声だった。思わず顔をしかめた。

「堊堊堊堊堊鬥ゥゥゥ慰慰慰慰慰慰ィィィィィィィ!」

「あっちゃぁ……せーっかく寝てたのに……あーもううるせーんだよ黙れッ! だぁまりなさぁぁい!」

 悪魔が怒鳴り散らしているのは、阿鼻叫喚する――人面の花。

 声が反響し、至るところから聞こえる。精神がぶっ壊れそうなその声は、やはり花が叫ぶ断末魔だった。

 そりゃあ地獄の植物だ。なにがあったっておかしくはないが。

「さすがに気持ち悪いぞ……」

 灰色の人面花は、いわゆる人面痕のようなものだった。人の面に見えるってだけで精巧な人の顔をしていたわけではないのだから、そういう気持ち悪い花なんだと思っていた。

 おもくそ生きてんじゃねーかよ。

 つーかこんな花ねーよ。さすが地獄な。

 悪魔はひどく面倒臭さそうに後頭部を掻いた。

「ホントだから嫌なのよー。こいつら我が儘ばっか言うしぃ……いっそ燃やしますか。つーか燃えろ。もちろん」

 球体が横一直線に並ぶ。

「劣等種もなぁぁぁぁ!」

 光が波状に放たれる。

 浅はかすぎる。

「ちっ……」

 ユキトは小さく舌打ちを漏らし、そのまま前に踏み出す。出来るだけ宙に留まらないように横っ跳びを繰り返しながら、間を縫うようにして進む。

 いくら放とうがもう掠りもしない。早さも、動きも大体解った。

 あと、感情が直情的な奴が策を弄したってバレバレだし、いくら撃っても当たるわけがない。下手は下手だ。

「なぁぁぁんで当たらないのォォォン!?」

「そんなもん……」

 刀を逆手に構える。

 集中。蓄積。活力が身体の末端まで巡り、火を灯す。

 飛燕流特異八型《骸楼》。

「お前が喰われる側だっただけの話だろう」

裸蟲ネイキッドがァァァ……死ねっつてんだろォォォがァァァ!」

 奴の放つ光線もまた有限のものらしい、攻撃が途切れたと同時に圧殺せんと不可視の力が頭上から襲ってきた。

 だがこちらはすでにスピードに乗っている。かわすのは容易かった。

 背後で地面が陥没したが、構わず突っ切る。

「だあああッ! マ・ジ・でェェェ……死ねよッ!」

 悪魔は後方に跳びずさりながら、右腕を膨らませた。不自然なまでにでかい。そのせいか、他の部位が縮んでいるように見えた。すでに鉄槌と言っても過言ではない。当たれば全身の骨が砕け、肉が潰れるだろう。

 悪魔は後退をやめた。向こうもようやくここが死線と定めた。ユキトは立ち止まった。受けて立つために。腰を落として息を大きく吸い込む。

 お互いが持てる力を叩き込む。それだけだ。

 見つめ合っていたのは三十秒にも満たないのだろうが、今のユキトには長く感じられた。ああ、こんな戦いは久しぶりだ。昂揚する心とは裏腹に、頭は次第に冷えてきた。もう一度深呼吸をする。肺が、地獄の空気で一杯になって気分は最悪だった。王都が恋しい。あそこもさして空気は綺麗じゃなかったのに、なぜかそう思う。

「こいつで砕いてやぁぁぁりましょう裸蟲ネイキッドォォォ!」

「やってみろ。お前を、白夜に染めてやる……!」

 悪魔が前進した。蹴り足の反動で、ばごんと地面が爆ぜた。脚力は健在。スピードは今までで一番速い。単純な重量と速度から生まれる力に加わったあの膂力だ。つまりあの右腕は今まで以上。当然のことながら当たれば挽き肉に変わる。

「……けど、勝つのは僕だ」

「しんじぃぃぃぃぁぁぁぁあああああええええぇぇぇ……ッ!!」

 悪魔が烈風のごとく間合いを詰め、距離が零に近付く。右腕は地面を削りながら迫り、眼前を覆い隠すほどに大きくなっていた。

 逆手に構えていた刀を両手で持ち直して、眼前で立てた。

 峰に額を当てる。驚くぐらい、刀身が熱い。

 集中は今だ保たれつづけ、内を駆け巡りながら蓄積しいくものを形にしていく。思い描くのは飛燕と、そして自分自身の原点。空を飛ぶことは叶わなかったけれど、刃はやはり僕の翼なのだ。

 飛べない鳥に翼は必要か? そんなことはない。飛べないからこそ翼がいるのだ。あいつならきっとそう言うだろう。一番この地上でもがいていたのは、紛れも無いあいつだったから。

 シンシア。

 あの時、お前を救えなかったことを悔やむ。

 凰州の狭い鳥籠の中でも飛ぶことが出来たはずの鴫浪から翼を奪い、それなのに僕は飛ぶことを諦めた。師匠……いや、父は飛び立てるように翼をくれたのに、僕はまた諦めた。

 あの時諦めずに無様でももがきつづけていれば、お前を失うことはなかったと思う。

 この罪は背負い続けよう。

 もうお前は戻って来ないけれど。

 お前との約束のために、今一度、みっともなく足掻いてみよう。

「――飛燕流気功刃式……《銀晶宵燕》ッ!!」

 飛燕流には珍しいほどに大きく振りかぶった。

 これは羽ばたきだ。

 だから全力で振り切るのだ。腕が軋むほどに。

 万物を断ち切る一陣の銀の断撃と、灰燼のごとき黒き剛腕とが地面を巻き上げながら、一瞬でぶつかり合って弾けた。

 キラキラと、まるで抜け落ちた羽みたいに光が舞っていた。

 錯覚かもしれないほどの短い間であったのだが、ユキトには永遠にも感じられた。周囲を囲う断末魔さえ聞こえないほどに。

 悪魔がゆっくりと体勢を起こしたと同時に、糸が切れたようにユキトは息を大きく吐き出した。

 もう十分だ。

 そう思った。

 ただ、悪魔の方はそうでもなかったようで、「あー」と嘆息混じりの声を零した。顔を上げると、一つ目がこちらを見ていた。

「一つ聞きたいんだけどさぁ」

「……なんだ」

「ホントお前なんだったわけ?」

「人間だ」

「あそ。まあ、いいけど。せいぜい災厄の芽吹きまで精一杯生きればいいんでない?」

 ヒヒ、とまるで皮肉じみた笑みを漏らす悪魔の身体に無数の亀裂が走った。まるでひび・・のようだった。

 勢いよく吹き出す鮮血。鮮烈な赤は翼を象っているかのようだ。

 次第に死にゆく悪魔の身体がゆっくりと傾く。地面に落ちるとき、きっと硝子細工のように砕け散る。晶晶と、醜い肢体を一時だけ輝かせるのだ。

 ――だが、そうはならなかった。

 割れたのは地面の方だった。正確には、隆起したのだ。そこから這うように出て来たのは、巨大な緑色の触手。不気味なのは、僕の胴ほどもあることでも、妙に毒々しい警戒色のような赤いラインがはいっていることでもない。

 触手から手が、口が、目が生えていた。

 刺のように手が生え、その真下で下卑た笑いを発するいびつな口。ぎょろっと剥き出しの眼球が一斉に見つめているのは、悪魔だった。

 そこからは一瞬だ。

 触手が絡み付き、手が砕けた肉の欠片を拾い集めて貪りはじめた。

 強烈な臭気に、俺は嫌悪感と同時に吐き気を覚えた。

「マジかよ……」

 悪魔はほんの数秒で平らげられた。まるで僕が戦っていたのが幻かなにかのように。証明するはずの血も、うごめく触手に大地を覆われもう見えない。

「慰奇奇奇奇奇奇奇奇奇奇奇奇奇奇奇奇奇……!」「卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑卑……!」「憂腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐……!」

「粤慰堊慰堊慰堊慰堊慰堊慰堊慰堊慰堊慰……!」

 精神をやられそうな奇声。

 こいつは……花の……。まさか根か? あれらすべてが、この死の薔薇の根っこになるのか?

 気持ち悪っ。

 地獄じゃなくても肉食の植物は数種類存在する……が、あれはそういうのじゃない。なんというか、植物というか軟体動物に近い気がする。

 つっても植物でも軟体動物でも変わらないか。

 全く話が通じなさそうだ。

 足元が揺れて、盛り上がった。

「やっば……」

 飛びずさると、一気に触手が地面を割って天高く伸びた。黄ばんだ歯がカチカチと噛み鳴らしている。歯ぁ磨け。

 距離を取ろうと離れると、また大地が揺れた。かなり大きい。重心を落として堪えていると、至るところから緑色の柱が生えてきた。

 ……おいおいマジでか。こいつらもしかしてあれか。至るところに根を張ってんのか。となるとここら一帯はむしろこれの縄張りだったんじゃないのか? 悪魔のあの光線で危機に反応して活性化したか。とんだ置き土産をしてくれやがる。

「堊戲慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰慰――!」

「あぎーじゃないよ全く……」

 テレサが喜びそうなトンデモ化け物だが、さすがにサンプル持ち帰る気にはなれない。

 つーかそろそろ洒落にならなくなってきた。このままだと《巣穴ネスト》に到達出来ないかもしれないぞ。つーかあの幹みたいなのもこいつらの一部だとしたら洒落じゃなくなる。

「さぁて……どうすっかな……」

 口には出してみたものの、答えなんてのは一つしか浮かばなかった。

 三十六計逃げるに如かず。

 時には逃げるも大事だよな。うん。

 だって死にたくないもの。命あっての物種だ。

 ユキトは踵を返して逃げ出した。

 脱兎の如くだ。


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