第一章<29> 撃鉄
蝉時雨の人生はKMG(懲りない、めげない、学習しない)。
「なんなの、あれ……!?」
誰かが動揺をあらわに叫んだ。
声的にアニエだろう。
「なんだろーなァ!」
とはいえアルゲルドはそう答えるしかない。こちらも手一杯だ。
戟を振るい、なんとか距離を保つ。
「とりあえず解っているのは……ありゃァ化けモンってこったァ……!」
あれが《庭師》。
けったくそ悪い。
めちゃくちゃつえェよ。
◆◇◆◇◆
アルゲルド隊が奴らに遭遇したのは、《死薔薇の園》の探索開始から三時間が経過したところだった。意外に大した敵に遭遇することもなくここまで来れたのは幸いと言うほかないが、ここでこんなもんが出てきたら意味がない。
元々、一時間ほど歩いたところで見えてきた、馬鹿でかい館を目指していた。この高い茂の壁以上に大きいとなると館というか城か。
どういう了見であんな館をこんなところにこしらえているのかは解らないが、とりあえず行けば何かしら手掛かりが掴めるだろうと考えた。
それに他の奴らも見えているだろうし、ここを目指しているだろう。一旦合流するという意味でもあれは目印になる。そうアルゲルドは踏んだのだ。
で、いざ着いてみたらこれだ。
到着したのはアルゲルド隊が最初ではなかった。アイゼンの隊だ。
雄叫びと剣戟の音が響くのを聞き取り駆け付けた次第だが、その惨状は目を覆うものがあった。
立っているのはたったの四人だったのだ。
血の池がいくつも出来上がっていた。いたるとことに人であったはずの肉の塊が転がっていた。
地獄だった。
敵はたったの二体。それでこの有様だ。
ヒトガタ。《壊れた人形》は悪魔が作った魂なき人形。そこに生命の躍動はなく、ただどこまでも虚ろ。
個体差はあるようで、強さや凶暴性なども各々異なるようだが、目の前の敵は明らかに今までのを凌駕していた。
一目で《庭師》だと推察した。
その姿はまるで人だ。
真っ白い、血の気のない肉体は華奢で、まるで子どものようでもあった。双眸は真っ赤で白い部分などなく、鼻と口は見当たらない。いや口はあった。ぱっくり開いた。なんだアレ。不気味だ。とはいえ平均的に言えば十四かそこらの子どもと同じ体格だ。繋ぎのようなだぼついた衣類とベレー帽を纏った、それはまるでストリートに行けば普通にいそうなくらいの佇まいだった。
しかし圧倒的に違う。
その身体が血に塗れているとか以前のことだ。
背中から生えているあれはなんだ。鋏か。鱗に覆われた、蟷螂の腕のようにひょろっと長い、だがその太さはアルゲルドの腕くらいはありそうな、あれはまるで鋏のようだった。
それが背中から生えている。四本も。
よく見れば二本で一本の鋏を作っているようだ。実質四本の刃物ということだろう。
《庭師》は速い。感情がない人形には、生物としての制限が存在しない。そしてスタミナの限界というものもない。永久的に極限の動きが出来る。子どもの姿と侮るなかれ、あのアイゼンの斬撃がいとも容易くかわされたのだ。並大抵ではない。
急いでアルゲルドたちも参戦しようとしたが、悲劇は背後からも迫っていた。
「ぎゃあああああ!?」
という悲鳴で全員が背後を振り向き、驚愕する。
《ライオット》の一人が踏み潰されていた。
そいつはまた《庭師》と同様に今まで見たことがなかった。
犬か猫かのようにも見える。が、デカすぎる。とりあえず四足歩行をする生物に違いはないようだ。とはいえ既存の生物でもないことは確かだ。これならブギーロアみたいな奴のほうがいささか可愛いとさえ思う。
なにせ身体がぐずぐずに腐っているのだ。
溶けた皮膚。筋肉や骨が所々見えている。それすらも腐っている。あらゆるところから腐った血が吹き出る。まるで一度死んだ生物が蘇ったかのような化け物。
こいつはヤバいと思った。
さすが侵入禁止に指定されただけある。
かつての金狼戦を思い出す。あれと同等。それくらいに厳しい。
「だが……やるっきゃねェ!」
ポジティブに考えろ。
久々の全力勝負だ。
戦いは楽しむものだ。
そうでなくては、生き残れない。
◆◇◆◇◆
「総代、敵です!」
「解っている、なんとか立て直せ!」
パニックもいいとこだ。
突然の急襲。敵は二体だったが、異常なまでに速く、そして強靭だった。
応戦することも出来ずに二人が敵の餌食になった。凶悪な腕に轢き潰され、鋭利な腕に引き裂かれた。無様だ。反吐がでそうだ。
一体はヒトガタ。《庭師》でいいだろう。もう一体は番犬とでもいったところか。腐臭が酷い。この世の害悪を形作るならば、ああいう姿をしているのかもしれない。
ヒトガタ――《庭師》はなんとも滑稽な姿をしていた。
餓鬼のような体躯に、さらに服を着せるとは。人形遊びのつもりか。それともこちらの油断を狙っているのか。どちらでもいい。蘇芳には関係がないのだ。敵か、味方か。それが直接殺すか否かに別れる。
あれは敵だ。ゆえに殺す。
棘王の刀剣《翠鏡月》。
自分の身長ほどある刀身は、もとは飛燕を落とすために造られた。《燕返し》だったか。まあ、それすら飛燕の前には意味をなさなかった。
役立たずの印を捺された刀。
自分にはお似合いともいえる。
だから持ち出した。
同情だったのだろう。
刀に同情など笑い話にしかならんが。それでもこいつは俺自身に見えた。要は自分に重ねていたのだ。同情というよりは。
白蓮は昔に言った。
「俺はただ一本の剣だ。白蓮という剣だ。あんたはなんだ?」
俺はあの時答えられなかった。
あの時、俺の剣は折れていた。剣として意味をなさなかった。そんな俺が自らを剣と名乗るなどおこがましいとすら思っていた。
恥じていたのだ。
だが今は違う。
「私は……剣だ。貴様と同じ……剣だ」
だから相容れない。絶対に。
どちらかが折れるまで。
「亞ぁ――吁吁ァ――――」
猛進。
《庭師》は恐るべき瞬発力で蘇芳に向かって来る。
「総代……!」
総代ではない。
私は……俺は、蘇芳だ。
「棘王流……《砕衝》」
踏み込む。斬る。否、壊す。破壊の斬撃。筋肉が引き締まる。震える。奮える。心が躍る。この高揚。高まりこそ、剣たる証。
雄叫び。
それは蘇芳が久々に見せた歓喜の声。
両者が交差する。一瞬の静寂。そして敵は初めて怒りの声を上げた。感情のないはずの人形が怒りに狂った。宙を舞う一本の腕。どしゃりと落ちたそれは脈をうち、のたうちまわる。だが次第にそれも収まる。
蘇芳は怒る敵に不敵な笑みを向けた。
「貴様は剣としては三流以下だ。大人しく庭でも弄っていろ」
◆◇◆◇◆
これでも今までいろいろな化け物と対峙してきたが、ここまでの緊張感を強いられたのはそうそうない。
《庭師》の腕が地面を割る。鞭のような一撃が、鉄槌のごとき威力を誇っているようだ。あんなもの食らったらぐっちゃぐちゃになる。
短く息を吐く。呼吸のペースは一定を保たなくてはならない。呼吸は全ての動作に深く関わる。短い息を心掛ける限り、緊張は解けない。ちなみに解いたら死ぬ。
腐乱生物が背後から迫る。それに反応したのはサルファだった。
「ふ……んらぁッ!」
左の盾で受け流す、身体を反転させて右の盾でその腕を叩き付ける。腐乱生物は体勢を崩した。簡単そうに見えるが、あんなことをやってのけるのは世界でもサルファくらいだろう。
しかし腐乱生物も負けていない。叩かれたのとは逆の腕を使ってサルファを叩き潰そうとする。あれだけ腐ってるのに、あの速さでなんで千切れないのか不思議だ。
サルファはそれを右足を軸に身体を一回転させるようにしてかわした。
巨漢らしく剛力を持つことは当然で、さらに速さまで兼ね備えるのがサルファという男だ。
叩き付けた衝撃で背後に飛びずさる腐乱生物。重量級に見えてかなり機敏らしい。
「熊公! 気をつけろ!」
「亞ァ――傴ぅぅぅ――――」
「ぬ……!」
あわや危機一髪というところでしゃがんだ瞬間に、頭上を高速で《庭師》の腕が過ぎて行った。ギリギリだった。アイゼンの声がなければ首と胴がおさらばしていたところだ。
アイゼンがすぐさま《庭師》に斬り掛かる。
《アムストロ・ベイエル》。アイゼンの扱う剣。紅竜種の牙から鍛えられた刀剣は淡い輝きを纏う。それは熱をも持ち、生命を感じさせるほどであった。
紅龍アムストロはアイゼンに恩義があるらしい。
歳経た竜――すなわち龍は英知の結晶。その知識は人の何倍にもなり、人と言葉をかわすものもいる。紅龍アムストロはそういう存在だという。
アイゼンは多くは語らないが、かつて彼の卵を守ったらしい。竜の卵は希少価値が高いため、一部のコレクターから高値で取引される。ましてや紅龍アムストロという紅竜種の王とも呼ぶべき竜の卵だ、言うまでもなくコレクターはそれを喉から手が出るほど欲していた。
竜は元来争いを好まない。銀竜種ですら、縄張りに侵入しない限り攻撃をしてくることなどほとんどないのだ。
紅龍アムストロはそれゆえに油断をしていた。ダンジョンメイカーに卵を盗まれたのだ。同業者の行為を否定するつもりも肯定するつもりもないが、まあ、そいつらはある意味馬鹿なことをした。
当然紅龍アムストロは怒り狂うし、同業者は殺されかかった。
その間にアイゼンが割り入ったらしい。
偶然だったのかどうかは知らないが、アイゼンのおかげで卵は無事彼の元へ返った。あいつは進んで善行をするような人間でもない。ただの気まぐれか何かだったんだろうが。なんにせよ、紅龍アムストロはその感謝の証として、自らの牙を授けた。
紅竜種の牙は竜の中で最も鋭利で強靭といわれている。
それを売却するでもなく、自分の刀剣にしてしまうあたりはアイゼンらしい。まあ、そんな凄い牙から鍛えた剣なのだから、その威力は当然普通の剣とは大違いだ。
並の生き物は容易く両断されるはずだ。
果たして、《庭師》はただの生き物ではなかった。
「受け止めるかあれを……?」
つまりあの腕先の刀身は、竜の牙並に硬いということだ。
「俺の折れんじゃねェ……?」
竜鉱石は凝固した竜の血といくつかの小さい鉱石が固まって出来たものだ。これから出来たアルゲルドの戟は《アムストロ・ベイエル》ほどではないにせよ、かなりの強度を誇る。
でもその《アムストロ・ベイエル》を受けるってことは、単純にこの戟も止められるってことだよね。
さてどうしたものか。
「――右だアルゲルド! 右に避けろ!」
突然の声によく反応したものだ。
名前を呼ばれた瞬間には右に飛んでいた。その真横を掠めるのは腐乱生物。腐った液体が飛び散った。きたねェ。
崩しかけた体勢を整えて、戟を構える。腐乱生物も《庭師》も追撃はしてこなかった。
「ち……あぶ」
「――うおぉぉぉぉりゃぁあああああッ……!」
悪態を掻き消すような喚声。
空を裂く音と、高速の回転音が一直線にアルゲルドの頭上を駆けていった。
槍だ。投槍の類だが、あの特徴はアトラス大陸中央諸国のうちデボルコスタ自治領の自警団が使用するものと酷似している。
モーターによって先端が高速に回転し、対象を螺旋状に穿つよう設計された投槍。
デボルコスタ自警団の戦い方は勇猛果敢。
独自の投槍を放ち、そして突貫する。
「らあああああああぁぁぁぁッ……!」
《鬼火》の頭でもあるシモンは、まさにその戦い方だった。サーベルを片手に走り抜ける。
投槍は腐乱生物の背中に刺さった。
回転を続け、腐乱生物の肉を削りながら穿つ。
その度に腐った肉と血が飛び散った。
音にしがたい音で掘り進んでいく。
しかし腐乱生物は痛みを感じていないようだった。
だが気には障ったようで、背後を振り返るなり、シモンに向かって猛然とと襲い掛かった。直撃コースだ。
「ヤ――――ハ――――――――ッ!」
測ったように歓喜の雄叫びがさらに響く。
ソレストが巨大な弩砲を構えていた。ベルトのようなものは、束ねられた矢か。ゴツゴツしたフォルムのそれを構えるや否やぶっ放した。
ジュバババババババと恐ろしい速さで矢が打ち出されていく。
自動装填連射式の弩砲か。
そんな技術が出来上がっているとは思わなかった。エンツェリア王国様様だなァとか考える。
放たれた矢は腐乱生物にグサグサと刺さり、そして一本が眼球に命中した。
「――Gahhhhhhhhh……!?」
初めてまともに聞いた腐乱生物の動揺の混じったような悲鳴。化け物が悪魔の玩具である以上、痛覚なんてものはないだろうし、ただ視界が遮られたことへの動揺なのだろうが、それでもシモンには十分だった。
身体を一回転させ、目測を誤った腐乱生物の腕をかわして脳天に突き立てた。速度がしっかりと乗った、いい突貫だった。深く、根本まで突き刺さったサーベルを手放して後ろに転がった。
腐乱生物の巨大な身体が揺らいだ。そのままゴゥンと音を立てて沈む。土煙があがった。
その土煙の間から《庭師》が飛び出てきた。
「シモン……!」
「うげっ!?」
尻餅をついていたシモンは慌てて横に転がる。さっきまでシモンがいた地点を《庭師》が襲う。鋏状の刃が地面に突き立てられ、衝撃で地面が割れた。
シモンはまだ立ち上がれていない。《庭師》は首を曲げて、シモンを見た。ヤバイ。アルゲルドは戟をぶん投げようとした。
しかしそれよりも速く動いた者がいた。《微笑の投刃》の異名をとるキルシュだ。名の通り、そこには焦りが見られない。微笑みながら投刃を放つ。その精度は他の追随を許さない。
空を切り裂き飛来する投刃を《庭師》は弾いたが、そのお陰でシモンは追撃を逃れた。いい連携だ。
アルゲルドは攻めに転じようとして、すぐに止めた。
おかしい。
「――已……亞ァ畏唖亥阨阨阨阨阨阨阨阨阨阨ぃぃぃ――――!」
なんで泣いている。
というか、泣いてる? 泣いてるのかあれは。
《庭師》は号泣していた。
どうやら神経系は生物としてのそれと同じようなものらしく、腐乱生物は絶命していた。シモンのお手柄というわけだ。
《庭師》はそのグズグズに腐った亡骸に縋り付いて、号泣していた。感情など持たないはずの人形が。
とはいえ決め付けるのはおかしい。これまでの《壊れた人形》どもが感情のない殺戮人形だったとしても、あれがそうとは限らない。それを決め付けにかかれるほど、アルゲルドたちは《地獄》や《悪魔》を知っているわけじゃあないのだ。
「泣いている……のか?」
「サルファ……」
「どうもおかしい。なんだかこれでは……――ッ!」
サルファが勢いよく後ろを振り返る。アルゲルドも同じタイミングで振り返った。別の気配を感じ取ったのだ。
「……くッ……」
「《サー・レオパルド》……?」
足を引きずりながら、角から現れたのは《サー・レオパルド》アドレイ・マーグレットだった。傷を負っている。鎧には血が付いていた。
どうなっている。彼の隊も襲われたのか。ということは《庭師》は一体ではないということか?
「おいおい……どうなって……」
とはいえまずは彼の治療が必要だ。幸にして《庭師》は号泣したままだ。一旦ここから離れた場所に移動して、負傷者を手当てしなければ――、
「――逃げろ、みんな……逃げるんだ! ここは……!」
「――オーヤオヤオヤオヤ。ナンコレ? どうなってンの? ヒト様の庭で火遊び? つーか待って待ってなんでうちのペス死んでんの? ドユコト?」
理解が追い付かない。
アドレイの真上に、何かがいた。
いつから。今?
というか浮いてる。どういう原理だ。つーかそんなのはどうでもいい。
人に見えるがあいつは人じゃない。人間じゃない。そして人形でもない。
「まあいいや。お客様は丁重に出迎える……それが貴族の務めでございますからネェ。ま、とりあえず……しんじぁいなさい」
あれは《悪魔》だ。




