第一章<26> 今も昔も
「――うあああああああああああ……!」
叫び声は茂みの中に消えていった。これで三人目。多いと捉えるか少ないと捉えるかは個々人の考えだが、ユキト的には『まだ』三人。だがまだ増えることに違いはない。現地に到着するまでに半分になってましたでは笑えない。
「くそ! またやられた!」
「畜生! どこだ! どこに……!」
「一カ所に固まるな! 散開して周囲の警戒を……ぐあああ!?」
四人目の被害。連中のペースが上がってきた。嘗められてる。
そろそろ手を打たなければまずいだろう。
蘇芳やアイゼンは気にせず歩みを進めている。鎧殻蟲と違って、わざわざ潰しに行くほどでもないということだ。現に、茂みから伸びた手を、アイゼンは欠伸をしながら切り落とした。茂みからの悲鳴に目もくれない。障害ですらないわけだ。
だがこちらはそうはいかない。芽は潰す。そうしなければならない理由もある。ユキトはアルグに目配せをして、茂みに飛び込んだ。
◆◇◆◇◆
《ブザウ大森林》に侵入したのは、《グラッツ渓谷》を抜けてすぐの午後三時だった。ここからは馬でも死んでしまうので、全員が徒歩になる。近付いても大丈夫な場所まで向かい、そこで降りた。最後に一回吐いた。シエルは心配してくれたが、アニエがえんがちょえんがちょとうるさいから傷付いた。
鎧殻蟲の襲撃という予想外の事態があったものの、大幅なロスにはならなかった。ちなみにあの後で被害を確認したところ、四名が死亡に十数名が軽い怪我をしたという結果で終わっていた。鎧殻蟲が放った最初の一発目にやられたらしい間抜けが一名に、子蟲にかじられたのが一名。突撃されて谷底に落ちた馬鹿が一名にそれに巻き添えをくらったのが一名だ。最後はとんだとばっちりだが、まあ間抜けに変わりはない。
とりあえず鎧殻蟲に遭遇した割には大した損害もなく無事に《グラッツ渓谷》を抜けたわけだ。
しかしユキトはそこで衝撃を受けた。
森に入る前に準備をするためにしばらくの休息をとっていた時だ。
「――はあ!? 持ってない!?」
「だって知らなかったもん!」
素っ頓狂なが出たが、無理もなかった。
アニエはそう反論していたが、知らないで済むような事柄ではなかった。
《ブザウ大森林》は砂に毒が含まれている森だ。歩くだけなら問題ないが、戦闘などが度々起こる場所でもあるため、ここでは防塵性の外套と防毒用マスクは必須である。
三人娘はこれを持っていなかった。
「知らないで行ってたらたちまちおだぶつだぞ!?」
「要項にはそんなの載ってなかったんだもん……」
「常識だからだよ……」
ユキトは頭を抱えた。
毒を吸わなければ問題ないわけだが、砂に含まれる毒は軽い。ジャンプして思い切り踏んずけたらそれだけで舞う。徒歩でギリギリなのだ。それに渓谷から流れる風もある。吸わないようにするのは難しいどころか不可能なのだ。
だというのにこの有様だ。
「ど、どうしようユキト君……」
いい機会だからもう帰れ。
眉をハの字に困った顔をするシエルに正直そう言ってしまいたかった。困惑してるところ悪いが困ってるのはこっちだ。
「誰か余ってないかなぁ〜」
リュカは相変わらずの様子でした。大物だわホント。
「んなかさ張るもん誰がいくつも持つかよ……」
「私が予備を持ってきているぞ。よければ貸そう」
「……マジで」
アドレイが急に嘴を容れてきたもんだから、ユキトはがっくりと肩を落とした。なんで持ってんの。
「わーい! おじさんありがと〜」
「おじ……まあいいか」
「ユキト君見つかったよ〜」
「そだね……おめでとう」
こちらの気苦労に気付いてくれていないようで、リュカは満面の笑みをこちらに向けた。チクショー眩しすぎるぜ。涙が出そうだ。
にしても、アドレイは空気読めない奴に違いない。
◆◇◆◇◆
密集した木の間を走り抜ける。人など立ち入らない場所なだけに、木の生え方も乱雑。走りづらいことこの上ないが、凰州にある森林地帯《寿蝉樹》の国賊討伐の時よりマシだ。
背後から複数の気配を察知し、敵が食らい付いたことを確認する。
敵はジバギリ。
森林に巣くう化け物の一種だ。一応悪魔の玩具の類ではないが、見た目は気持ち悪い。有り体に言えば蜘蛛。人並みの大きさの蜘蛛だ。前足が異常に発達していて長く、そして獲物を掴む。二本目は獲物を食べやすく斬るために鋭利な刃物。三本目の足はもはや人の手のようになっており、腹にある口でゆっくり咀嚼する。そういう化け物だ。
猿の骸骨かなにかを顔のように見立てて付けるためそれが頭部に見えるが、頭ではない。頭の一部だ。
要するに全部頭でそこから手足が生えているのだ。
こいつが人を食う姿を見ると肉が食えなくなるということで有名だ。みんなベジタリアンになるらしい。
どーでもええわ。
にしても、騎士団の連中が向かうときによくこいつらに襲われなかったものだ。そういうことを先ほど馬車の中でも話していた。少数で行動していたようだし、見付からない可能性もあるだろうという話だったが、アルグが「結局、運悪く見付からなかったから地獄で全滅しちまったんだなァ」とか珍しく辛辣な言葉を発していた。
とはいえユキトらは森に入って十数分というところで襲われたのだ。ここでは襲撃を受けたようだ。でなければこんなに奴らが活性化しているわけがない。
「面倒事ばかり押し付けてくれる……!」
ユキトは振り返る。
ジバギリの一体が飛び掛かってきた。
居合の構えから一気に刀を抜き放ち、渾身の一撃を見舞う。ジバギリの身体が二つに割れて、そのまま地面に引きずられていった。同時に両横からまたもやジバギリが迫る。
「キモいんだよッ……!」
飛燕流神速剣術《翔華》。体の中心を切り刻む斬撃。中心の点と点とを結び、また刻む。一刹那の間に。これこそが翔ける華だ。
花弁が開くように、ジギバリの身体がめくれあがる。そして粉々になって、地面に散らばった。
これほど醜い花もそうない。
ユキトは散った花びらを見て呟いた。
外套とはいえこいつらの血で汚れるのはいささか気分が悪い。脱ぎ去りたいが、場所的にあまりよくない。というかまだ攻撃は続いているからそれどころでもない。
飛び掛かってきたジバギリを飛び越え、(普通の生物なら)背中(に位置するであろう個所)を蹴り付け、背後に回るついでに身体を回転させつつ斬りつける。
着地するとまた別の固体が腕を伸ばしてきたので、蹴り上げて躱し、そのまま後退する。
今度は上から襲ってきた。
キリがない。
数にして十二匹のジバギリがユキトを攻め立てる。一人にここまで投入するこたねーだろと思ったが、こっちの狙い通りになってくれたのでよしとしよう。これだけ集まってれば、あっちは少なくとも他の奴らでも対処出来る程度で済んでいるはずだ。
オーケー、狩猟解禁だ。
ユキトは唇を濡らして笑った。
「まとめて白夜に染めてやる」
久々の暴力に、喜ぶ自分がここにいる。
何も変わっちゃいない。
結局、どこまでいっても僕は《剣雄》だということだ。
相手が人から化け物に変わっただけで。
そう、何も。何一つ。
◆◇◆◇◆
「――暑ぅい……」
「我慢だ。あと二時間は休憩ないからね」
アニエがぼやくのも無理はないとシエルは思った。防塵マントに防毒マスク。暗視スコープまで付いている。通気性はあまりよくないから暑い。森の湿度の高さにもよるのだろう。
だけどそれにしてもみんな、周囲の人たちより落ち着きすぎだと思う。何よりわたしははユキト君が心配だった。
「嬢ちゃん、どうした? ユキ坊が心配かィ?」
出発前に知り合ったユキト君の友人でお髭がすごいアルゲルドさんが上から覗き込むようにして尋ねてきた。この人たち、なぜか鎧殻蟲に襲われたあたりから気にかけてくれる。Eランクのダンジョンメイカーだからなのかもしれない。ありがたいけれど、少し申し訳ない気がした。
ユキト君はでも戦闘は褒めてくれていた……らしい。直接は言われていないけど、サルファさんというユキト君のもう一人の身体のとても大きい友人サルファが教えてくれた。
ユキト君の知り合いが大勢いて、少し驚いた。男の人の知り合いだったので安心している自分がいた。……なんで安心したんだろう?
とにかく、ユキト君の友人はほとんど落ち着いている。まるでこの襲撃も他人事みたいな様子だ。
これが歴戦のダンジョンメイカーなんだと思った。
アニエもリュカも落ち着いているけれど、それは一重にそんなベテランの人に囲まれているからであって、きっと三人だけなら慌てふためいていたに違いない。
格が違うのだ。それに経験の差も。それでユキト君を心配しても仕方がない。それは解っている。解っているのだけれど……。
「心配……というか不安なんです」
「ユキ坊は強いんだ。それは嬢ちゃんが一番解ってるだろィ?」
「……そう、ですね」
そう。
彼は強い。
その様は美しく、苛烈で、鮮明だった。
だけどどこか儚げでもあった。
戦うごとに、なにか大切なものを傷付けているようですらあった。
もしくはなにかを捨て去っているかのような。
その『何か』は解らない。シエルでは推し量ることは出来ない。あの別れ際に、そのほんの一端を垣間見た。そんな気がしただけだ。
ただ。
近くで見守っていなければならない、そうしなければならないような気持ちにさせられてしまうのだ。ユキトという青年は。
「……大丈夫、だよね……?」
不安は拭い去ることは出来ない。
でも信じて待つしかない。
きっと彼は戻って来る。
そして微笑んでくれるのだと。
◆◇◆◇◆
「――《閃羽》……《朔翼》……《天衝》……!」
斬る。
斬る。
斬って飛ぶ。飛び移ってまた斬る。そして飛ぶ。落ち様に斬る。空ごと裂く斬撃。飛び交う銀の斬閃。切り刻まれた敵の身体。飛び散る肉片。舞う血飛沫。それすらも裂く。
空中を舞うジバギリの一体が大口開けて迫り来る。ユキトは刀をぶん投げる。鍛え抜かれた《白夜》の刀身はそれでもなお衰えることなく貫く。しかし絶命には至らなかったようで、体勢を崩して地面に落ちる。左と右斜め後ろからすかさず別の敵が襲う。
ナイフを抜き、放つ。左の一体が怯む。右斜め後ろのもう一体に蹴りを浴びせ、怯んだ左の一体に裏拳を叩き込む。
別に、ユキトは飛燕流のみに傾倒していたわけではない。
戦いの術を身につけることが第一。
ゆえにその手段など、どうでもいい。
体術はそもそもあらゆる武道の原点だ。足捌きとそれに伴う体捌きはほぼあらゆる武術に通ずる。これ極めずして、飛燕の体得など不可能。
ユキトが剣を選んだのは一番性にあっていたのが剣だったという一点。それだけだ。
刀が落下してくる。倒れていた三体のジバギリが体勢を整え再び強襲してきた。眼前にまで落ちてきた刀の柄を掴んで、横に一閃。低めから斜め上への斬撃はジバギリを両断した。
一体の腕が地面を突く。そこにユキトはもういない。遅すぎる。金狼の半分以下だ。
「雑魚が……ッ!」
腕を切り落とす。再び体勢を崩されたジバギリ。だがもう整える暇は与えない。風を纏った一突き――飛燕流《風穿》がジバギリを内から破壊しバラバラにした。
残る一体を手首を返す力で両断する。右手が動く。一矢報いる気でいるのだろうが、無駄な足掻きだ。腕を落とし、最後に横薙ぎに払う。地面に落ちた肉の塊はもう動くことはなかった。
目標全ての殲滅を確認し、息を吐く。マスクのせいで息が苦しい。取るわけにもいかないから我慢するが。
さっきまでの騒々しさが嘘のように、森にはユキトの息遣いしか聞こえなかった。
紫という毒々しい血色に染まった刀を布を当てて血を落とす。それから鞘に納めた。
相も変わらない暴力。
憂さ晴らし。
どれだけ高尚なことを言ったところでやっていることがこれだ。
「は……笑えるな……ホント」
ここは嫌だ。
血の池のような地面と鬱蒼とした木々。臭い肉の塊に囲まれていてはいい思いはしない。
戻ろう、皆の元へ。
それだけが今の僕の思いだ。
あそこにいれば、きっと笑えるはずだ。
そんな資格は……ないのだけれど。
ない……んだよな。
じゃあ僕は、どこに戻ればいいんだろう。
それとも戻れる場所など、もうないのかもしれない。
それもまた僕の罪への罰なのだ。




