第一章<24> 道の半ば
次は360゜マテリアル読んでます。
略して3マテらしい。六十度はどこへいったんだろう。
丸井ー!お前はカッコイイぞー!でもモテる奴は嫌いだーッ!
《死薔薇の園》までの道のりは、王都ネイルから南々西に約三十キロというところだ。そこにある《グラッツ渓谷》を越えるとすぐに『汚れた深紅の森』とも称される《ブザウ大森林》という森林地帯が広がる。《死薔薇の園》はその中に存在する《巣穴》から侵入する。
《ブザウ大森林》は世にも不思議な赤色の森だ。砂の中にアプチデロンという成分が含まれている。これは《地獄》にしか存在しないはずの物質だ。人には有害で、一酸化炭素と同じような性質を持つらしく、吸い込めばたちまちおだぶつとなる。
大型の荷馬車を三台に分けて走り出したのが十数分前。まだ王都の姿は目の前にそびえている。先は長い……が、すでに軽く酔っているようで、ユキトは口元を抑えた。
「吐くなよ……?」
アルグは眉をひそめて言った。
「解ってるよ……つーか到着後の話だ。現地に侵入後、僕はまず出口を探す。離脱のための《巣穴》は場所がはっきりしていない。出てくる場所は解っているがな。なんにしても、出口の確保は重要だ」
「そりゃァそうだ。その間俺たちは生存者の捜索というわけだ。まァ、仮に死んでいるとしても遺留品は探さんといけねェからな。それこそ行き損になっちまう」
「そこは任せる。僕は出口までのルートを確認したらあんたらのもとに向かう。ビーコンはオンにしておいてくれるとありがたい。気配だけを辿るには人が多すぎる」
「それで追えんのがスゲェよ」
「まあ、慣れてるからな。あとは悪魔だ。どの程度いるのかは解らないが……過去のデータがどこまであてになるか、だな」
「機会を伺ってあの拝命十二円卓騎士サマに聞いた方が早いと思うぜィ?」
「教えてくれるか?」
「向こうも命懸かってんだ。妥協はするだろうよ」
「協力じゃなくて妥協、ね」
そりゃなんとも。
苦笑が零れたが、吐き気でちゃんと笑っているようには見えなかっただろう。苦しみ九割で笑いが一割だ。ほとんど苦しい。吐きそう。
「しっかし、皆呑気だねェ。これから《地獄》行くってのに」
「そりゃ、進んで《地獄》探索をやってる奴なんて今時そういないからな。それに『騎士団の捜索』っていう目的がさらに難度の認識を下げてるんだ」
「《地獄》は地下世界かなにかだと思い込んでる連中ばかりってことかィ……滅入るねェ。まともに《地獄》行ったことある奴何人いるよォ?」
「さあ、危険指定されてない《地獄》なら解らんが……僕は《死を撒く街》と《ディーゼット・レイル》、《黒鬼迷宮》に《堕天摩天楼》と……」
「あーもういい。どんだけ行ってんだ。お前さんはマニアかィ?」
「いや、高収入の依頼を請けていた時期があったから」
「真似できねェわ」
「その経験則から言えば、奴らの玩具が揃ってると思う」
「玩具……ね」
「そう、玩具だ。胸糞悪い、な」
悪魔の作った玩具。それは決して可愛らしいものではない。生物兵器のようなものだ。以前ユフィのギルドのメンバーが狩りに行っていたオルトロスも同じく奴らの玩具である。
何がいるかまで知るよしもないが、どの《地獄》にもいたんだし、例に漏れずいるだろう。
「――向こうにいるのはヒトガタだ」
ユキトのでもアルグのでもない声に挟まれ、振り返ると甲冑に身を包んだ男が近寄って来ていた。近寄って来る気配には気付いていたが、シモンか誰かだと思っていた。
十三拝命円卓騎士の《サー・レオパルド》アドレイ・マーグレット。アルグは「おォ、ナイスタイミング」などと言っていたが、その横でユキトはどういうつもりなのかと警戒した。そのせいで眉間にしわを寄せたようで、さすがに気付いたのか、アドレイは苦笑とも覚束ない表情でこちらを見つめ返してきた。
「……久しぶりだね、ユキト君」
「そうですね」
本当に久しぶりだ。一度会ったきりだが、忘れもしない。
忘れられるわけがない。
「フィオナさんは元気、かな?」
「元気そうでしたよ。もっとも、無理をしているのかもしれませんが」
「……そうだね。君たちには……」
「それ以上言葉を重ねても意味はないんですよ、アドレイさん。貴方もそんなことを言うために近付いたんじゃないでしょう?」
「……ああ。君の言うとおりだ。私から言えることなど、何もない。ただ、死に損ないの言葉が少しでも君たちの力になればと思ってね……」
「それで、助言を?」
「ああ、そうだ。あの時いたのはヒトガタ……《庭師》と呼ばれていた。間違いなく彼らの作った《壊れた人形》だよ」
「《庭師》……か」
「なるほどだから《死薔薇の園》か。しかし厄介だな。あれはえれェ丈夫だかンなァ……一体倒すのにも骨が折れる」
アルグが苦々しい表情をあらわにした。気持ちはよく解る。悪魔も当然厄介な存在に間違いはないが、どちらかというと奴らの作った玩具のほうが厄介な存在だ。
「……ま、なんにせよ障害である以上等しく排するだけだ」
「頼もしいねェ」
「あんたもやるんだろうが、アルグ」
「そうだがな。まァ、予定外の預かりもんが出来たかンな……」
「……悪い。やっぱり、今からでも……」
「そこまでだ、ユキ坊。言ったろうが。俺はお前さんの味方だ。だろ?」
「……ああ」
アルグがユキトの頭をポンポン叩く。子ども扱いもいいとこだ。まあ、アルグからすればまだまだガキなのかもしれない。というかそうなんだろう。
「ええと……話が見えないんだが……」
「こっちの話です」
「ユキ坊のコレを代わりにしばらく預かるって話だァ」
アルグが小指を立てながらヒヒヒと下卑た声をあげた。
「ぶっ飛ばすぞ」
「いてェ。蹴るなよ」
「ユキト君の恋人かい?」
「あんたも信じなくていいよ!」
結局、なんだかんだでからかわれた。腹立つ。
気付けば、吐き気はマシになっていた。
◆◇◆◇◆
昼になり、一旦休憩が挟まれた。本来なら止まることなく進むところだったが、《グラッツ渓谷》が姿を現しはじめたあたりの丘の中腹でオークの集団に襲われた。
襲われたといっても物見のいい丘だ。接近される前に気付いたし、迎撃も容易かった。
オークの集団は血の気の荒い連中が寄ってたかって袋叩きにしてしまった。ユキトは広くなった荷台に転がって居眠りをしていた。シモンに叩き起こされたが、すねを蹴り飛ばしてやった。しばらくうずくまってやがったからざまあみろだ。
怪我人は数人いるようだったが、支障をきたすほどでもなかった。しかし突然の襲撃ということもあるので、大事を取って小休止としたらしい。悠長と思うが、ユキトとしてはありがたい。
荷台を降りてから新鮮な空気を吸おうと深呼吸をしたが失敗だった。オークの血生臭い悪臭が鼻を直接攻撃してきた。全然休憩じゃない。なんの嫌がらせだ。
マシになっていたといはいえ酔いが覚めやらぬこの時にこの悪臭だ。ひどい胸やけがするものだから、眉間を親指と人差し指で抑えながら格闘を始める。とりあえず馬車の中ならまだマシかと踵を返すと目の前に見知った顔が現れた。
向こうも驚いた顔だったのでただの偶然なんだろう。
「あ……ユキト君……」
「ん……ああ、シエル……とアニエにリュカか」
シエルの後ろに追随する形で立っていた二人にも気付いて付け加えたが、アニエは何が不満かむっと不満顔になった。
「その取って付けた様な言い方腹立つわ」
「まあまあアニエちゃん落ち着いて〜。どうどう」
「あたしは馬じゃないわよ!」
リュカがなんともふわついたいつもの態度でアニエを制止するものの、止め方に問題があったようで、アニエが喚いた。やかましいことこの上ない。
「なんだ、お前たちは僕にコントでも見せに来たのか?」
「コントじゃないわよ! いちいちムカつくわねホント!」
「お前はいちいちうるさいな」
「なんですって!」
「お前は、いちいち、うるさいな」
「聞こえてるわよ! 嘗めてんの!?」
「嘗めてないよ別に。食ってかかって来てるのはアニエの方だ」
「ユキト君、愛情表現だよ。愛情表現」
リュカが耳打ちしてきた。
「いや、僕ムカつくとか言われてんだけど。これ愛情からは程遠い単語だよな?」
「照れ隠しだってば〜」
「リュカ! あんたは……!」
「あはは〜アニエちゃんが怒ったぁ〜」
そのまま二人で追いかけっこを始めてしまった。わけが解らん。というか人の周囲を走り回らないでほしい。非常に目障りである。
まあ、しばらくしたら止めるだろうと、ぼうっと走り回る二人を眺めていたら、シエルがそばに寄ってきた。
「あの、ユキト君……」
「ん?」
「その……ごめんなさい。なんだか、困らせてしまって……」
俯きがちなシエルに、ユキトは少し表情が強張るのを感じた。声が心なしか無機質なものになる。
「ああ、そのことか。もういいよ別に」
「怒ってる……?」
「まあ、少しは」
「ごめんなさい……」
「あー……いや……」
どうにも物言いがきつくなっていたことに気付き、ばつが悪く頬を掻きながら完全に俯いてしまったシエルを見下ろす。その肩が小さく震えていたので、余計気まずかった。
自分の中のわだかまったものを吐き出して切り替えようと息を大きく吸って吐き出す。肩を竦めて、シエルの頭に手を置いた。
「別にシエルに怒ってるわけじゃない。選択したのはシエルで、僕がどやかく言う筋合いはないんだ。それが解っているのに納得しきっていない自分に腹がたってる……それだけだ」
「でも……」
ゆっくりと顔を上げて、恐る恐るユキトを見つめるシエルに、ユキトは出来る限りの笑みを作って応えてみせた。
「いいんだって。言ったろう? もういいって」
「……うん」
ややあって頷くシエルに、ほっと胸を撫で下ろす。
なんたって少女の機嫌に一喜一憂しているのか。
馬鹿みたいで笑えた。
自分を蔑む笑みの方が上手く出来るなど本当に馬鹿馬鹿しくて笑えた。
◆◇◆◇◆
――夜になった。
休憩を終えて《グラッツ渓谷》に入る直前に、一日目を終了すると告げられた。夕方、まだ日も落ちきっていなかったが、明日の早朝に出発し、一気に《グラッツ渓谷》を抜けたいのだろう。早めの休息に反対をする者はいなかった。
夕食は支給された食糧だった。味気ない携帯食糧だった。我慢しきれず自炊している者もいた。ユキトも、ティエリッタが用意してくれていた握り飯を食べた。もう二度と彼女に頭は上がらない。
腹もふくれ、あとは眠るだけだが、他の者たちは多くが集団で集まって他愛のない話をしたりして華を咲かせていた。寝ている奴は蘇芳やあと数名だ。奴と同じなのは癪なので、することもないのに起きていたのだが、虚しすぎるのでとっとと寝ることにした。
目をつむって外套に包まっていると、肩のあたりを叩かれて目を開けた。
「おう、ユキ坊」
「なんだよアルグ」
「いやさ一杯やらねェかと思ってな」
「寝てるんだけど」
「あっちいるからお前さんも来いよ」
「聞けよ」
アルグはそのまま去って行った。少し酒臭かったので、もうすでに飲み始めていたのかもしれない。はた迷惑な奴だ。
放っておいて寝ようかと思ったが、また来られては迷惑なので、諦めて起き上がる。のそのそと馬車を降りて、人の間を潜ってそれらしき姿を探した。
「《鬼火》のシモン! 一発芸やりまーす!」
「よっいいぞっ」
「ダハハハキモいキモい!」
「ちょっとやめてよもー」
……まあ目立つからすぐ解った。
なにやってんだあいつら。
「おーユキ坊やっと来たかァ!」
アルグが目ざとく気付いた。
「おいおせーぞユキト! 俺らもう飲んじまってるぜ!」
飲まれてるだろお前は。
笑うシモンを蹴飛ばしてそう言ってやりたかったが、酔ってるこの馬鹿が聞く耳を持つとも思えないので諦めた。
座れ座れと急かすアルグだが、どこに座りゃいいんだと逡巡していると、気を効かせてくれた奴が一人いたようで、横にずれてくれた。その空いたスペースに腰をおろす。
「悪いね」
「いや、構わんよ」
そいつはアルグよりも巨体だった。座っていてもその大きさがよく解る。巨人、という言葉はこの男のためにあるのだろう。
「あんた……サルファか。久しぶりだな」
「ああ、そうだな。久方ぶりだ、ユキト少年」
「もう少年って歳じゃないぞ」
「それは失敬。初めて会った頃から随分と経つのだな」
「四年だ」
「時が経つのは早いものだな……だがまあ、こうやって君と杯を交わす時が来たことを喜ぼう。飲みたまえ」
「いただくよ」
渡された徳利に酒がなみなみ注がれる。
ユキトは一口に飲んだ。
微かに辛みが喉を通る。
「いけるクチか。アルグが毎回嘆いていたのも頷ける。いい飲みっぷりだ」
「はは……」
人好きのする笑みを浮かべるサルファに、苦笑で返す。
「あーユッキーこっち来なよぉ。おねーさんとイイコトしよーよぉー」
「あんたは黙ってろ。そして寝ろ」
向かいの赤らんだ顔で酒を飲むユフィンリーは呂律がすでに回っていない。
「ね・か・し・て♪」
「一人で寝ろ色情魔」
酔っ払いをあしらっていると、別の方向から野次が飛んできた。こちらも赤らんだ顔でいる。シモンだった。
「ユキトこのバカヤロー! ユフィさん! 俺が代わるっス!」
「チェンジで」
「……ですよねー」
完全にユフィが素に戻っていたように見えたが、突っ込むと怖いのでやめた。
「ユキ坊モテモテだなァ」
「はあ?」なに言ってんのこの馬鹿。
「なに言ってんのこの馬鹿みてェな顔やめろ。傷付くぜィ……」
「いや、馬鹿かと思ってな」
「なんだァ。お前さん色恋沙汰は無しかィ? 俺がお前さんくらいン時ァそりゃァもうこう……」
「リーゼさんを追っかけまわしてたな、お前は」
「そうそう……ぜーんぜん見向きもしてくれねェからあの手この手で……ってサルファ。やめィ。お前さんモテるからってそりゃねェぞ」
「実際そうだったろう?」
「……そうだけどよゥ」
サルファ横槍に縮こまるアルグ。端から見ていると滑稽で笑えた。
アルグがむっとして睨んでくる。いまいち凄みに欠けるから怖くもなんともないが。
「ユキ坊も笑うなィ。それよかお前さんだよ。なんかないのかィ?」
「ねーよ。ほっとけ」
「つまんねェなー」
「つまんなくて結構。ほっとけっつってんだろ
「ンだよ。まだあの嬢ちゃんのことを……」
「――アルグ」
少し、語感が強くなった。アルグははっとした顔になった。
「……ほっといてくれ」
「……スマン。いや……スマン」
「よしてくれ。……もう先に休むよ。おやすみ」
「ユキト君……」
「悪いサルファ。また今度ゆっくり飲もう。皆もおやすみ」
ユキトはそう言って、踵を返した。後ろから「あれユッキーもう寝ちゃうのぉ?」という頭の悪そうな声が聞こえたが、振り返ったりはしなかった。早く眠りたかった。眠れば、少しはマシになる。忘れることなど出来ないけど、この腐った気持ちを切り換えるくらいは出来る。
悪いな、アルグ。
むしろ謝らないといけないのは僕の方だ。
だけどそれを口にすることも出来ない。
臆病者、だから。
◆◇◆◇◆
少年……いや、もう青年だ。一人の去り行く青年の背を見つめ、後悔に見舞われる。
酔いのせい、と言い訳は出来てもする気はない。
「やっちまった……」
ただ、後悔だけが残る。
「アルゲルド……」
「最近のユキ坊は少しあの頃に戻ったみたいだったからなァ……」
はやとちりだった。
少し考えれば解っていたのに、俺は馬鹿か。
「吹っ切れる訳……ねェわな。そりゃ……」
「過ぎたことを悔やむな、アルゲルド」
「解ってるよ、サルファ。でもよォ……」
「それに、彼も解っているはずだ」
「……だといいが」
思慮深いユキトのことだ。きっと解っているのだろう。そしてユキトは自らを責める。悪いのは自分だと。口にはしない。ただ、心で心を責め続ける。傷付ける。ユキトはそういう男だ。
誰が悪いという話ではないはずなのに。
いや、今回は俺が悪いんだが。
元を辿れば、あれは仕方のないことだった。それでも悔やまずにはいられないのだろう。
気持ちは解る……と口だけならなんとでも言える。実際、辛いということは解る。でもユキトの懊悩全てを悟ることは出来ない。自らを責め続ける所以はどこにあるのか。まだ二十歳かそこらの若者が、一体どこにそんな過去をしまい込んでいるのか。
「俺もまだまだだ……」
酒を呷る。もう酔える気はしないが、飲まずにはいられない。
「――彼は」
ポツリと零れ出たような声に目だけ横に向ける。
サルファは誰に向けたでもないように空を仰いでいた。
「彼は幸福を恐れる人間なのだな」
「ん……」
肯定とも否定とも取れない生返事が漏れた。
「孤独を恐れ、されど孤高であろうとする……。救いを求め、幸福を遠ざける……。彼は……とても歪だ」
「歪……か。そうかもな」
だから、放っておけない。
きっと皆もそうなのだ。
放っておけば粉々に壊れてしまいそうなほどに脆いあの青年から目を離せない。離せば本当に壊れてしまいそうだから。
「願わくば、あいつの心が救われる日が来ればいいな……」
「そうだな」
そのために出来ることはしてやりたい。
俺は、あいつの友人なのだから。




