冤罪で追放された天才風魔法使いの復讐はこっそりと、恋はゆっくりと
ソローナ王国で聖魔法の一族として名高いターチン伯爵家に、一人の娘が生まれた。
その娘はサリナと名付けられた。
サリナは生まれてすぐに行われた魔力量調査で赤子としては驚異的な魔力量を記録し、ターチン伯爵家の期待を集めた。
しかし、サリナが成長しても聖魔法が使えるようにはならず、風を自在に操る風魔法の力を発揮するようになった。
「なぜ風魔法などと!」
「それでもターチン伯爵家の娘か!」
聖魔法の一族であるターチン伯爵家では、サリナの風魔法は認められなかった。
サリナの妹であるスミナは魔力量ではサリナに劣るものの、聖魔法の力を発揮するようになった。
そのこともあってターチン伯爵家の人々は異質なサリナの風魔法を忌み嫌い、サリナを虐げるようになっていった。
聖魔法が使えないと知られるようになってから、サリナは食事すら満足に与えられない日々が続いた。
サリナは生きるために風魔法を使って食べ物を集めるようになった。必要だったから身につけたとも言える。
サリナの風魔法は、見えない細い管のように遠くまで空気の壁を生み出すことができた。
屋敷から10キロ以上も離れた山林などから、果物などをその管を通してサリナは入手していたのである。
「りんご、おいしいな」
家族も、使用人も、伯爵家の誰もが相手にしないサリナは、そうやってひたすら風魔法を使い続けたのだった。
生き抜くために使い続けたサリナの風魔法が、大陸内でも圧倒的に優れたものであることをサリナも含めて誰も気づくことは……なかった。
成長したサリナは王都の貴族学園に通うようになった。
ターチン伯爵家と違い、貴族学園の寮では十分な食事が用意された。
だからサリナは風魔法を使って食べ物を集める必要がなく、誰にも風魔法を使うところを見られることがなかった。
これまで他人と関わる機会が少なかったサリナは自分から話しかけることが苦手だった。そのため、あまり友人もできず、一人で学園生活を過ごしていた。
サリナの最上級とも言える風魔法が誰にも知られなかったのは、そういう部分も関係していたのかもしれない。
翌年、妹のスミナが入学すると、聖魔法の使い手としてスミナは学園で注目されるようになっていく。
スミナが月に一度、王都の神殿の求めに応じて瘴気の浄化をしたこともあり、しばらくするとスミナは聖女と呼ばれるようになった。
「姉は聖魔法が使えなくて……その苛立ちを私にぶつけるのです……」
弱々しくそう訴える聖女のスミナによってサリナの立場はますます孤立していく。
最終的には――。
「聖魔法の一族、ターチン伯爵家の一員でありながら聖魔法が使えぬサリナよ! 聖女スミナを虐げるなど言語道断! この聖魔法の一族の面汚しめ! 貴様のような悪辣な女は、わがソローナ王国には不要だ。ただちに国外追放とする!」
――聖女スミナを婚約者とした王太子シーガルによって、サリナは国外追放になってしまったのである。
サリナは冤罪を否定することなく、静かにその場を去った。
サリナは、ターチン伯爵家にも、この国にも、何の未練もなかった。
そして、自分の風魔法があればどこでも生きていけることを……知っていたのだ。
サリナが追放されて辿り着いたところは隣国であるティローナ王国のチンアーツ辺境伯領だった。
チンアーツ辺境伯領は瘴気によって魔物が跋扈し、戦いに明け暮れる危険な領地だった。
魔物から手に入る素材で収入を得られるという側面はあるものの、魔物との戦いで傷つく領民も多い。
普段戦いに臨まない女性や子どもが不意打ちで魔物に襲われることもあり、瘴気の浄化をサリナの祖国であるソローナ王国に強く求めていた。
サリナは一人の冒険者として、チンアーツ辺境伯領での魔物との戦いに参加した。
チンアーツ辺境伯領では戦える者を優遇していたこともあり、生き抜くために戦うことが必要だとサリナは考えたのだ。
サリナはその強力な風魔法を利用して、森で拾った小石やどんぐりなどの小さな物を飛ばして魔物を倒した。
「……変わった風魔法を使うのだな?」
「そんなに変わってますか?」
身分の高そうな男が戦っていたサリナに話しかけてきた。
あまり人と関わってこなかったサリナだったが、話しかけられることは嫌いではなかった。
サリナは自分から話しかけることが苦手だったため、むしろ、話しかけてくれる相手がいると嬉しかった。
「ああ、普通は……風の刃などを魔法で生み出して戦うものだ」
「それもできますけど……うーん。こっちの方が貫通力は高いし、魔力の消費も少なくて楽なので……」
「そうなのか……」
魔物と戦うサリナに話しかけたのはチンアーツ辺境伯の三男であるセイムだった。
チンアーツ辺境伯家は領民を守るために率先して戦う勇敢な一族である。
セイムは目にも止まらぬ速さで魔物を打ち果たしていくサリナに気づき、思わず話しかけてしまったのだった。
「君のような強さを持つ者は大歓迎だ」
「でも、この魔物たちは瘴気が原因なんですよね?」
「それは……」
「戦い続けても瘴気がある限り、キリがないんじゃないですか?」
「だが……隣国ソローナに聖女の派遣を依頼しても、ろくに返事もない。瘴気を浄化できない限り、戦うしかないんだ」
そう言って暗い顔になるセイム。
それを見たサリナは少し考えてから、自分の風魔法を使えばどうにかできるだろうと思って口を開いた。
「……浄化しなくても、瘴気ならどうにかできると思いますよ?」
「は?」
信じられない一言に、セイムはサリナを見つめたままで固まってしまったのだった。
空気が紫色に濁って見えるような瘴気だまりへとやってきたサリナは、セイムの目の前でその瘴気を上空へと送り出した。風魔法を使った空気の管を用意して。
子どもの頃からずっと窓の外の空を眺めていたサリナは、上空の雲をとてつもない速さで動かす風が存在することに気づいていた。
サリナの風魔法は長いけれど極細の空気の管と、そこへ瘴気を吸い上げるための渦状の風を起こすだけ。
あとは上空で、自然の中の強力な風が瘴気を散らす。サリナにとっては大した魔力量でもない。
セイムの目の前で、紫色の濁りがどんどん薄くなっていく。
「……まさか、こんなことが……」
「全ての瘴気だまりを消し去るのは、魔物の素材で稼げなくなるのでダメだと思いますけど、全体の半分くらいは散らしてしまえばいいと思います」
「ああ、それは……そうだな」
「残すべき瘴気だまりを選んで、魔物と戦いやすい場所を用意すれば怪我人も減るのではないでしょうか?」
「……君は、すごいな」
セイムは感動していた。
チンアーツ辺境伯領を苦しめていた瘴気がみるみるうちに薄くなっていくのだ。
「まるで聖女のようだ……」
「聖女なんかじゃありませんよ」
「いや、謙遜しなくていい」
頬を赤く染めたセイムはまっすぐにサリナを見つめた。
セイムは大きな感謝とともに、それ以上の感情をサリナに抱くようになっていた。
しかし、本当にサリナは謙遜した訳ではなかった。
なぜならサリナは、瘴気を上空へと拡散させているように見せかけて、別のところへと瘴気の一部を送り込んでいたのだから。
上空へと瘴気を吸い上げる空気の管とは別に、サリナは上空で横に長距離の管を伸ばしていた。
その管の先は山脈の向こう側……サリナを追放した祖国ソローナ。
そう。
サリナはソローナ王国に瘴気を押し付けていたのである。
もちろんそれは……冤罪で追放されたことに対する仕返しだ。
サリナは追放される時に無駄な抵抗をしなかっただけで、あの断罪劇に納得していた訳ではなかった。
だから、セイムから向けられる敬意には恥ずかしさを感じてしまうのであった。
サリナがチンアーツ辺境伯領へとやってきて1年。
サリナが風魔法の使い方を指導した魔法使いたちと協力して、チンアーツ辺境伯領の瘴気だまりの半分以上を上空へと拡散させていた。
もちろん、その一部をサリナはこっそりとソローナ王国へ押し付けている。
その結果、ソローナ王国では異変が起こっていた。
それまではごくわずかしか存在しなかった魔物が増加してきたのだ。
そして、ターチン伯爵家を中心とする聖魔法の使い手たちが浄化のために国内を駆けずり回るようになっていた。
聖女と呼ばれるようになったスミナも王命によって各地へと浄化に向かった。
それでも瘴気を浄化し切れず、やがてぽつぽつと小さな瘴気だまりが生まれるようになっていった。
聖魔法での瘴気の浄化とは、瘴気に聖魔法を込めた魔力をぶつけて相殺することだ。
聖魔法の使い手の魔力量を上回る瘴気を消し去ることはできない。薄めるのが限界である。
瘴気を浄化し切れないのは、彼らの魔力量を上回る瘴気が日々送り込まれてくるから。
それでも瘴気によってソローナ王国で発生した魔物の強さと数は、チンアーツ辺境伯領の魔物と比べるとはるかに弱く、少なかった。
しかし、魔物討伐の経験が少ないソローナ王国の騎士や兵士では対処が難しかった。
「なぜ浄化が終わらないのだ!?」
瘴気対策の中心となった王太子シーガルは怒りをあらわにして叫んだ。
「申し訳ございません。これでも全力で魔力の限界まで聖魔法を使っているのですが……」
「浄化だけでなく、治癒にも聖魔法は必要なのでございます」
ターチン伯爵たち、聖魔法の使い手はそう言い訳をする。
「浄化によって瘴気を消し去れば怪我人は出ない! 浄化を優先せよ!」
シーガルは方針をそう定め、怪我人の治療は聖魔法ではなく医師や薬師を派遣して行うようにした。
しかし、聖魔法の使い手が浄化しても、浄化しても、どこかで小さな瘴気だまりが生まれる。まさにいたちごっこだ。
終わることのない浄化の旅。
聖魔法の使い手はどんどん疲弊していく。
そこに……隣国ティローナのチンアーツ辺境伯領で瘴気を拡散させる方法を編み出した風魔法の使い手がいるという噂が届いた。
窮地に立たされた王太子シーガルは、ティローナ王国の王家とチンアーツ辺境伯家に使いを送り、風魔法の使い手の派遣を求めた。
「サリナ。ソローナ王国から瘴気対策のために君を派遣してほしいという訴えが届いている」
「私を名指しで?」
「いや。瘴気を拡散させる方法を編み出した風魔法の使い手、という話だ」
「そうでしょうね。私の派遣を依頼することはありえないですし。そもそも私は……ソローナ王国には行くことができませんから」
「どういうことだ?」
サリナの過去を知らないセイムは理由を尋ねた。
「ソローナの王太子によって国外追放になってますから。呼ばれても戻れません」
「国外追放だと!?」
「あ、冤罪ですよ?」
「冤罪……そうだな。サリナが国外追放にされるような罪を犯すはずがない」
「そんな……あっさり信じていいんですか?」
「私は自分の目でずっと見てきたサリナを知っているからな。信じるに決まっている」
サリナの心臓がドクンと跳ねた。
セイムからの信頼がサリナの心を温かく、優しく包み込む。
「それなら無視してもいいだろう」
「いいんですか!?」
「ソローナはこちらが聖女の派遣を頼んだ時に何もしなかったのだ。それなのになぜソローナの頼みを?」
「それはそうですね。でも、本当にいいんですか? 辺境伯さまのお立場とか?」
「……少しだけ問題があるかもしれない」
考え込むようにしながら、セイムはちらりとサリナを見た。
「やっぱり問題があるんですね」
「ああ。サリナの身分が平民のままだと、断り切れない可能性がある」
「うーん……困りましたね」
「だが……」
ちらり、ちらりとセイムはサリナの表情を確認する。
サリナはほんの少し、首を傾げた。
いつもはっきりと発言するセイムにしては珍しい様子だった。
「……何かあるのでしょうか?」
「サリナが……私と結婚して、辺境伯家の一員になればどのようにも断ることができる」
「えっ!?」
突然の言葉にサリナは驚いた。
「そ、そんな理由でセイム様の結婚を決めるなんて……」
「いや。すまない。順番が逆になってしまったが、私はずっと……サリナのことを好ましく思っていた」
セイムはサリナへと一歩近づき、その前に跪く。
「どうか、私と……結婚してほしい。サリナ。私にはもう、君との未来しか考えられないのだ」
「……は、はい」
サリナは真っ赤になりながら、セイムの手を取った。
サリナも……セイムのことを憎からず思っていたのだ。この手を離したくないとサリナは思った。
その後、チンアーツ辺境伯はソローナ王国からの依頼を無視し、サリナを派遣しなかった。
ティローナ王国の王家からの使者もやってきたが、チンアーツ辺境伯がサリナの事情も含めて説明すると納得して戻っていった。
風魔法使いの派遣を断られた王太子シーガルは叫んだ。
「風魔法使いは我が国を追放された者だと!? いったい誰なんだ!?」
「誰であっても……追放した国のために働かないでしょう……」
「くっ……それは、そうだが……」
シーガルはサリナの風魔法のことは知らなかったし、知っている聖女スミナはそのことをシーガルに伝えなかった。サリナについて詳しく調べられたくなかったから。
やがてソローナの王太子シーガルは瘴気対策の失敗でその地位を弟の第二王子に譲ることになった。
聖女と呼ばれたスミナもその名声を失い、辺境の王領でシーガルとともに周辺の浄化に一生を捧げることになった。
風魔法は目に見えないものが多い。
ソローナ王国で発生した瘴気だまりの原因がサリナの風魔法だと気づく者は、セイムも含めて誰ひとりとしていなかった。
一度瘴気だまりを消し去ったところには、簡単に瘴気がたまることはない。
産業として必要なだけの魔物を倒しつつ、セイムとサリナはチンアーツ辺境伯領で幸せな結婚生活を過ごした。
そして、サリナの死後も瘴気だまりは限定されたまま、安定した状態で受け継がれるようになった。
あくまでもチンアーツ辺境伯領では、である。
ソローナ王国では騎士や兵士の訓練を積み重ねるまでの数年間、瘴気だまりに大きく苦悩したという。
それはサリナの実にささやかな復讐だった。




