最終章 『雷帝』、決意す
問題発生から僅か半日足らずで解決まで至らしめた久瀬は、今回の事件解決RTAに対してかなり上機嫌でいることができた。
「いやー、まさか時短ボーナスとして君が姿を現わしてくれたおかげだよ」
「時短、ボーナス……?」
「そうそう。これでしばらくは均衡警備隊の連中も俺が何をしようと黙っているだろうさ」
「そ、そうなんだ……でも、よかったです!」
この先の倫内による無駄な拘束時間も無くなると思えば、久瀬の足取りも自然と軽くなっていく。
そしてそれを後ろから眺め見て、一人笑みを浮かべる少女。
そう、その笑みはまさに――
「――ぜぇんぶコッチの思い通りにいったみたいでさぁ!」
「ん? ……何その杖。学校の練習用じゃなさそうだけど」
振り向いた久瀬の目と鼻の先に突きつけられたのは、思いっきり口角を上げたカーシャが手に持った杖の先端だった。
「まさかあんたが本当のアポカリプスだったりとか……?」
「まさか! 私が所属しているのは――」
カーシャがそうして自身の襟首を引っ張って鎖骨付近の素肌を見せつければ、そこにはRの文字が刻まれている。
「――ラグナロク。……私は以前に潰されたフロント企業の製薬会社の裏の組織の残党ってところかしら?」
「へぇー。それで? 一族の秘伝のタレが外部に漏れ出た上にそれで商売おっ始めようとしていたから潰させたってこと?」
「平たく言えばそういうこと。まっ、貴方ももう用済みだから、このまま何も探りを入れることなくこの場を去るなら何もしないわ」
「……随分とでかい口を叩くじゃないの」
Sランクの自分が、訳も分からぬ組織に利用された――その事実だけで、久瀬の苛立ちが吹き上がるのに十分だった。
「最後の最後まで黙っていれば良かったのに、どうしてこうもネタばらししたがるかな」
「あら? 一応後でバレて屈辱を味わうことが無いようにという親切心のつもりだったんだけど?」
Sランクを敵に回すことのリスクを、カーシャは理解していたつもりだった。下手におだてず、かといって遜りすぎる事も無く。利用するだけして後は適当に縁さえ切れればそれでよし。それが組織としてカーシャに与えられた使命――の筈だった。
「カーシャの名前が無かったのは“裏”の人間だからってこと?」
「ええ。私達の組織は、他の組織とは格が違うのよ」
「なるほどねぇ。だったらその組織――」
――潰しちゃったらどんな顔になるのかな?
「――ッ!?」
事前のリサーチとは違っていた。久瀬は情報クリアランスの高いものには比較的干渉をしてこない存在だと。あくまで自分の暮らしの平穏を脅かされない範囲でしか行動を起こさないと。
「なっ!? まさかお前、“裏”に干渉するつもりじゃ――」
「無いない。そこまで深くは入り込むつもりはないし。だけど、表にまで出てきちゃったら……潰すしかないじゃない?」
久瀬の身体には既に電荷が充電されている。後はほんの一瞬の接触でも許されれば、即座に相手の頭上に雷を降らせるなど容易いことだ。
「さて、早撃ち勝負でもしよっか」
「くっ……!」
その場に新たな火種が生まれようとしたその時――
「――やっと見つけた!!」
声のする方を振り返ると、そこには肩で息をしながら久瀬を指さすレイチェルの姿がそこにある。
「えっ!? 今日は学校じゃなかったの!?」
「今日は午前中だけの授業だ!」
ならばいつものところにいれば良かったものの、と久瀬は今の状況に歯噛みしながら両方を交互に睨みつける。
「今度こそあんたに勝つ! その為に私は、どんな手でも使ってみせる!!」
「分かったから、後でいくらでも相手してあげるから――って、その手に持っているのは何だ!?」
それを目にした途端、久瀬の声色は一気に低いものへと変わっていく。
そしてその普段とは違う神妙な態度にようやく相手をしてくれると喜びを隠せずにいるレイチェルが、高々にあるものを空へと掲げる。
「この能力が使えるようになるカプセルさえあれば、魔法を詠唱しなくても力を振るえる!! あんたにだって勝ってみせる!!」
一体どこで手に入れたというのであろうか、レイチェルはアポカリプス製のカプセルを手にしている。
「……だってさ。一応もう一つだけ親切心を見せるとするなら、あの薬、まだ完成品とはいえない精度だから、魔法使いが使うとコンピュータでいうところの0と1が両立しているような状態になって壊れるわよ」
0と1――超能力と魔法は、どちらか片方だけが使うことができる。どちらも脳の処理を大量に行う上、処理を行う分野が被ってくるためである。
しかしカプセルを使えば、能力使用のために強制的に脳がフル回転させられ、その状況で魔法を使おうものなら脳が処理に追いつけずパンクする、ということである。
「私は遠慮無く逃げさせて貰う。私を追えばあの子は死ぬ。あの子を助けるなら私には逃げられる。さて、どうするー?」
既に話術で時間稼ぎをしている間に、カーシャの足下には空間転移用の魔方陣が敷かれている。
「さあ、選んでみろ!」
「くっ……! レイチェル! そのカプセルは飲むな! 死ぬぞ!!」
いつもは余裕面の久瀬が、必死になって止めさせようとしている。そのこと自体が、未熟なレイチェルにとっては逆に物事を捉える理由となる。
「あんたがそこまで焦るってことは、このカプセルの力は本物ってことね! だったら――」
「ちぃっ!!」
結局のところ、久瀬が阻止したのは――レイチェルの服薬だった。
「馬鹿野郎!!」
「ぐふぅっ!?」
突進から鳩尾に肘をいれ、レイチェルの力が抜けたところでカプセルを無理矢理奪い取る。そして振り返った頃には――
「いなくなったか……!」
カーシャを取り逃がしたことに舌打ちをしながら、久瀬は改めてレイチェルの方へと向き合う。
「お、お腹が……」
腹部への鈍痛に身体をくの字に曲げるレイチェルであったが、久瀬の怒りはそれだけでは収まらなかった。
「どうしてこんなものに頼ろうとしたんだ!!」
「どうして? どうしてって……あんたの、あんたのせいだからよ!!」
「えっ!?」
ここまで明確に自分の責任だと言われたこと経験は、久瀬には存在していなかった。
しかしレイチェルはその後もぽろぽろと悔し涙を流しながら、その場に両膝をついて自らの心中を吐露し始める。
「だって……ひっぐ、強くならないと……あんたは、相手をしてくれないって……!」
「…………」
「いっつも、うざったそうにして……私は、ただ……っ、遊んで欲しくて、構って欲しくて――」
気がつけば、レイチェルの身体は久瀬によって抱きしめられていた。
「全く、何かと思ったらそんなことだったのか」
「そんなことって……! 私が! どれだけ――」
「そんなことしなくても相手ぐらいしてやってるじゃんか。だったら、何で嫌いな奴に毎回ケーキだったり飲み物だったりを奢ってやってるんだって話じゃん」
「えぅ……?」
最初から久瀬は、レイチェルのことを嫌ってはいなかった。ちょっとばかりしつこくて、我が儘な部分もあるのかもしれないが、それもまた可愛いものだと達観して、彼女の相手をしてあげていたに過ぎなかった。
「……まっ、時々イラッてくる時もあるけど」
「ぐすん……」
「ほら、泣かない泣かない」
さりげなくポケットからハンカチを出してレイチェルの顔から涙を拭き取ると、久瀬はそのままレイチェルの手を引いてある場所へと向かおうとする。
「どこ行くの……?」
「どこって、いつもの喫茶店だけど」
いつものところで、いつものように過ごす。レイチェルの心を落ち着かせるためには、それが一番だと久瀬は考えた。
「ほら、鮎原の分も一緒に奢ってやるからVPで連絡を取りなよ」
「うん……」
そうして端末をポチポチと触るレイチェルを確認しながら、久瀬は最後にカーシャが立っていた方をもう一度振り返った。
「……ラグナロク、か」
久瀬は決して面倒事には首を突っ込まない。特に力帝都市においてSランクでも触れられない情報が飛び交うような面倒事には。
しかし今回は違う。“表”の領域に、久瀬の領域に彼女らは土足で踏み込んできている。
「いずれ潰す。必ず潰す」
誰に言う訳でも無く、久瀬は一人小さな声で呟く。
それは我が儘な『雷帝』が、初めて人のために行動を決意した瞬間でもあった――




