13 狼と亡者の悪巧み
アビゲイルの夢をぶち壊すようでしのびないが、我らが故郷、北の千年王国シュセイルの王子様は、現在九歳の悪ガ……大変活発なお子様たちであらせられる。
赤髪に空色の瞳をした第一王子と、銀髪に空色の瞳で褐色の肌の第二王子という、どちらもアビゲイルの理想の王子様像とかけ離れたお姿だし、父親である国王陛下に至っては筋骨隆々で顎髭を生やした雪男かゴリラと見紛う……否、大変逞しい騎士の鑑のような尊き御方だ。
では、アビゲイルが夢見る金髪碧眼の優男的王子様のイメージはどこから来たのかといえば、やはりシュセイル王国の南に位置するローズデイル大公国の大公一族からだろう。
ふわふわした金の巻き毛に、一度見たら忘れられない宝石のような複雑な光を宿す深い青の瞳。神々の中で最も美しいとされる太陽神に例えられる端正な美貌という、まさにといった見目。シュセイルの王家と血筋が違うのに大公の地位に在るのは、かつて東の果てにあった古代王国王家の末裔だからと云われている。麗しい見目もその貴き血筋も申し分のない俺の従兄弟みたいな男を真に〝王子様〟と呼ぶのだろう。
――そう、ちょうど今俺の目の前ですんすん鼻を鳴らして泣いている弟と、その弟に過保護な兄みたいな……。
「アーサー! クリスティアルを泣かすなと何度言えばわかるんだ!」
「誤解だジェイド。俺は今回は何もやっていない」
ローズデイル大公国第一公子、ジェイド・サーシス・クレンネルは俺と同い年だ。黄金を愛し黄金に愛される男で、今までジェイドが手を出した事業や株は数年待たずに大化けしてきた。若くして世界有数の大富豪となったため敵が多いことと、弟に甘いことを除けば、俺が知る中で最も有能な男である。
その弟クリスティアルはうちの末っ子と同い年なのだが、その美貌は歴代大公家の肖像画を遡っても異常と言えるほどの魔性を持ち、美少女と勘違いした第二王子殿下を籠絡してしまったほどだと言う。――誤解が解けて今は良き友人関係のようだが。
今のところ、クリスティアルにはその魔性の美貌以外に目立った美点は見出せない。兄のような投資家になるには善良過ぎるし、伯父上のような特別な才も無い。騎士になろうにも闘争心が皆無で、人に嫌われること傷つけることを極端に避ける。いつもいじめっ子たちから庇ってくれる第二王子殿下や兄の後ろに隠れて泣いている綺麗なだけの臆病者……大人気ないとは思うが、俺はこいつを見ているとイライラする。
俺が魔性の美貌を持っていたら、もっと上手く立ち回って王子殿下だけでなく妃殿下や他の貴婦人たちを籠絡してやるのに。変なところで優しさを発揮して、相手を利用できない。せめて、うちの末っ子の我儘さの欠片でもあれば生き易いのにと思ってしまう。だから当たりが強くなってしまうのは、兄心ってやつだ。決して愉しんではいない。泣かすのならアビゲイルがいいに決まっている。
めそめそしくしく……外はからっとした秋晴れだというのに。このままでは、俺の自慢の毛並みにカビが生えてしまう。泣いたままいつまで経っても自分から話そうとはしないクリスティアルに『そういところだぞ』と呆れながら、俺は半ば無理やりに話を向けることにした。
「クリスティアルが、君に訊きたいことがあると言うから、自分で訊けと言ったところだ」
「私に? 言ってごらん」
ジェイドに促されて、クリスティアルが顔を上げる。弟の潤んだ大きな青い眼から大粒の涙が溢れて、狼狽えたジェイドはハンカチやらクッキーやら目薬を差し出そうとして挙動不審になっている。政敵からは金の亡者と悪名高い男が弟相手にこんな有様だなんて、誰に言っても信じてもらえないだろうな。今のところ、誰にも言うつもりは無いが。
「うっ……く……だって……だって、アーサーが……」
「待て待て待て。話を最後まで聞け」
俺の名前が出た瞬間、執務室の壁に飾られた猟銃を手に取るジェイドに、俺は両手を挙げて無罪を主張した。伯父上と違って、ジェイドは冗談が通じない。特に弟に関する発言には重々気をつけて欲しいのだが。
とっとと先を言え! とクリスティアルを横目で窺えば、泣き腫らした目で俺を睨みながらジェイドの背後に隠れようとしていた。お前……まさか、わざとじゃないだろうな?
「アーサーがどうしたんだ? また悪さをしたのか?」
またってなんだ。泣き虫を虐めても愉しくないだろ。と抗議したいが、余計なことは言わずに黙った。しばしの沈黙の後、兄の狼狽を見て落ち着いたのか、クリスティアルは辿々しく口を開く。
「アーサーが……ぼ、僕が大人になったら、領地を貰って家族と離れて暮らすようになるって……言ってました」
次期大公の座がジェイドのものだということは疑いの余地も無い。大公位を継がない次男が成人したら、領地を貰って独立するのが世の常だろう。ちょうど今、ジェイドの手元には持て余している領地があることだし、シュセイルに留学中で第二王子殿下の覚えめでたいクリスティアルが領主になればシュセイル人の反発も起きにくいかもしれない。騎士になりたくないのなら、今からしっかり領地経営を学んだ方が良いんじゃないか? ――という話だったのだが、クリスティアルはそれを悪い方に曲解したのだ。
「ぼ、僕、僕は、うぅっ……僕はここに、居ちゃダメなの? 兄さんは、僕が邪魔、なの?」
潤んだ青い瞳は妖しい光を灯し、涙に濡れて紅潮した頬は痛々しい。背中に花か星でも背負っているのか、眩いほどの濃厚な魅了を無自覚に振り撒いてクリスティアルは訴える。魔性の美貌持ちに泣き付かれて『否』と言える人間はそう多くないだろう。ご多分に漏れず……いや、可愛がっている弟が小さな手でいじらしく袖を引きながら甘えるのだ。ジェイドには抗えなかった。
――側で見ている俺は、本気を出せばできるじゃないか。と末恐ろしくなったが。
「邪魔なんかじゃない! いつまでだって居て良いに決まってるだろう!?」
「ほ、本当?」
「ああ! 本当だとも!」
ところで……俺は一体何を見せられてるんだ?
「兄さんっ……!」
「クリスティアル……!」
ひしっと抱き合う美しい兄弟愛の茶番もとい、和解の感動シーンを見届けたので、ぱらぱらと適当に拍手を送っておく。
「話は終わったか? それなら、速やかに仕事に戻ってくれ。修正が必要な書類が三枚、見直しが必要な契約が一件。伯母上の事業の特許関連で記載漏れが一件。大公殿下の承認が必要な案件が一件。それから……土地の売買契約が一件。遊んでいる暇は無さそうだぞ公子殿下?」
目の前に監査済みの書類を積み上げてやれば、ジェイドは弟の頭を撫で回すのをやめて沈痛な面持ちでため息を吐く。
「助かるよアーサー。……大学卒業したら、うちで働かないか?」
たまにこうしてジェイドの法務関連の仕事を手伝っているので、ことある毎に誘われるのだが、今までは全て断ってきた。セシル家の裏家業をヴェイグに引き継ぐまでは俺がこなさなくてはならないし、ヴェイグに引き継いだ後は父の後を継いで表の伯爵業が待っている。とてもじゃないが手が回らない。しかし、セシル家を出た今なら――。
「領地と爵位をくれるなら考えてもいい」
俺が差し出した土地の売買契約書に目を通した後で、ジェイドが銀縁眼鏡のブリッジを押し上げる。ほんの数分前まで弟に向けられていた甘い視線とは真逆の怜悧な青が俺を射抜いた。
「クリスティアルは君と離れたくないみたいだし? ならばその土地、俺に譲ってくれないか?」
「……それが目的でロシュフォールの話を出したのか」
冷ややかな兄の声に、クリスティアルは叱られた仔犬のように小さく肩を窄めた。俺たちがなんの話をしているのか理解してはいないだろうが、自分の言動が兄を不利な立場に追いやったことは分かったのだろう。項垂れるクリスティアルの肩を抱いて、ジェイドは唇に薄い笑みを浮かべた。どうやら本当に怒った時は笑うタイプのようだ。猟銃を手にした時とは比べ物にならない王者の威圧が重くのしかかってくる。それでも対話をしてくれるだけ父上よりはマシか?
「君はセシル伯爵家の後継者だ。シュセイル東部の広大な領地を継承するというのに、何故ロシュフォールと大公国の爵位を欲しがる?」
「父と口論になって森を出たんだ。俺はセシル家を継げないかもしれない」
「……は?」
兄弟揃って特徴的な青い眼をまん丸に見開き、開いた口が塞がらないといった様子。素晴らしく整った王子様顔が間抜けに見える日が来るとは気分がいい。俺は上着の内ポケットから二枚の写真を取り出して、テーブルに並べた。一枚は部下が隠し撮りしたガードナー子爵の写真。もう一枚はオーヴェル男爵夫人がばら撒いている美しく着飾ったアビゲイルの写真だ。
「計画はこうだ」
セシル家とクレンネル家の仇敵ガードナーが尻尾を出したこと。ガードナーが俺のアビゲイルに眼をつけ、アビゲイルやセシル家の周囲を探っていること。上手く状況を利用すれば、ガードナーを捕らえ、アビゲイルを手に入れられる。そのためには、ガードナーが食いつきそうな身分が必要。例えば、昔踏み潰したフルーリア伯爵家の傍系の生き残りが良いカモになって現れたら?
普通なら復讐を恐れて近づいてこないだろうが、大公国からロシュフォールを買い戻すほどの資産家で、アーサー・セシルの元婚約者であるアビゲイルを狙っているとなれば興味を持つだろう。
掻い摘んで話したが、ガードナーの名を出した時点でジェイドの関心を得たのを感じた。なかなか開発の進まないロシュフォールと、仇敵が一気に片付くのならジェイドや大公家にとっても悪い話じゃないはずだ。『死ぬまでに一度で良いから生まれ故郷が見たい』と言っていた母上と伯母上もお喜びになるだろう。
「全ては愛のためだ。ひとつは俺の。もうひとつは、父上と伯父上のな」
「君の口から愛なんて言葉が飛び出すとは……森を出ても、君はやはりセシルということか」
「そういうことだ。手を貸してくれるだろう?」
「……分かったよ」
不満げではあるが、了承してくれた従兄弟と固い握手を交わす。背もたれに背を預け、眼鏡を外して眉間を揉むジェイドの隣で、クリスティアルがアビゲイルの写真をまじまじと見つめていた。俺の視線に気づくと、「きれいなひとだね」なんて囁いてくるので「お前は見る目があるな」と返してやった。
「アーサーの奥さんだったら僕の従姉妹? お姉様になるの?」
お姉様? 今、お姉様って言ったか?
嬉しそうにふにゃっと笑うクリスティアルに、ジェイドが苦笑しながら頷く。
いやいやいや。待ってくれ。アビゲイル好みの王子様顔の弟なんてできてみろ。謎のお姉ちゃん力を発揮してクリスティアルを構い倒すに決まってる。俺はそんなの絶対に許さん。そう思ったら脳から直に拒否の言葉が飛び出ていた。
「お前には絶対会わせないけどな」
「えっ……」
和みかけた空気が再び凍った気がするがどうでもいい。
「な、なんで……? 僕、何かした?」
「お前の顔が気に食わないからだ」
「僕の顔がきれいなのはどうしようもないでしょ!?」
「知らん。気に食わないものは気に食わない。お? 泣くか? 泣き虫ぃ」
「泣かないもん!!」
クリスティアルは涙目で執務室の扉まで駆けて行く。外に出る寸前、こちらを振り返ると……。
「アーサーの馬鹿ーーー!! ハゲろーーーーーー!!!」
叫んで脱兎の如く逃げて行った。
「……あの……クソガキ……」
顔に樹液を塗って両足を縛って木に逆さ吊りにしてやろうか。呪いのような美貌が虫相手にも通用するのか、是非とも試してみたい。
「アーサー……」
ぽんと肩を叩かれ振り返ると、笑いを堪えて頬をひくひくさせたジェイドが変な気を回し始める。
「良い魔法医を紹介しようか?」
「余計なお世話だ! うちの家系はどこもかしこももっふもふだ!!」
俺は一体何を言わされてるんだろうか?




