ベケスド=ヤコブ、逮捕される
いつもありがとうございます!
「ベイカー卿、お話があります」
そう端的に告げたウェンディの声色の中に焦りや憤りが滲み出ているのを感じ取りながら、デニスが答える。
「俺もキミに話があるんだ、ウェンディ」
ファーストネームで呼んだ事から、それが仕事の内容でない事が窺える。
望むところだ。
こっちだって聞きたい事が山ほどある。
この場に至った昨日の出来事がウェンディの脳裏に蘇った。
いつも通り娘のシュシュを抱っこしながらアパートに帰り着くと、今月はまだ来ないはずの男の姿があった。
「……オルダンさん……取り立てにはまだ早いんじゃないですか?」
ウェンディが警戒しながらそう言うと、ベケスド=ヤコブの秘書であるこの男は神妙な面持ちで言った。
「おそらく……今日でここに来るのは最後になります。お渡ししたい物もありますし、お話がありますので少しだけお時間を頂いてもよろしいですか?」
「今日で最後……?」
話が全く見えないウェンディは仕方ない、とオルダンを部屋へと迎え入れ、お茶を差し出した。
シュシュは今朝作っておいたパンの耳を揚げて砂糖をまぶしたオヤツをミルクと共に食べている。
その様子をじっと見つめながらオルダンは語り出した。
「ベケスド=ヤコブ様が逮捕されました」
「えっ?」
思いがけない発言に思わず声を上げてしまう。
「あの男のこれまでの悪行の手口が、追憶魔術により全て詳らかに暴かれ、白日の元に晒されたのですよ」
「追憶魔術とは?」
「対象者の持ち物から起きた出来事を過去に遡り可視化させる事が出来る魔術ですよ。尤もその現場にあった物や対象者が身に着けていた物でないと記憶?記録…?まぁ詳しい事は私には解りませんが、とにかく調べられないのだそうです」
「はぁ……」
今の説明で理解出来たような出来なかったような。
まぁザックリ理解出来た事にしておこう。
そんなウェンディを他所にオルダンはそのまま話を続けた。
「その中でヤコブ様…いや私はもう奴の秘書を辞めたので呼び捨てでいいですね、ヤコブの奴が貴女を手に入れる為に予め破壊しておいた美術品を娘さんの所為にした事が明らかになりました」
「えっ!?」
「あの男はですね、上手く話せない幼児を利用して貴女に賠償という責めを負わせて雁字搦めにした。その上で条件を出して貴女を手に入れようと企んだのです。まぁ貴女が機転を利かせてすぐに役所に訴えたのでヤコブの目論みは外れましたが……」
「ゆ、許せないっ……」
ウェンディは膝の上に置いた自身の手を握りしめる。
あの賠償金の所為でどれだけ生活が苦しめられてきたか……。
娘に洋服もオモチャも満足に買ってやれず、遊びにも連れて行ってあげられなかった。
そんな苦しい生活を余儀なくされてきたのだ。
それが全て性欲処理の妾欲しさに陥らされていたのかと思うと、抑えきれない怒りが込み上げてくる。
オルダンは言った。
ヤコブ家には先代からの恩義があり長年仕えて来たが、代替わりした後の姑息で汚い手口のやり方に辟易としていたのだと。
そこである人物から取り引きを持ちかけられ、主の失脚により路頭に迷うであろう従業員の新たな働き口を条件に証拠品の数々と情報を提供した。
その品に王宮魔術師団の上級魔術師が追憶魔術を掛け、ヤコブの罪の全ての記憶を調べ上げた……そうだ。
そしてベケスド=ヤコブは数々の罪により捕縛され、現在王立拘置所に収容されているらしい。
これから様々な裁判を受け、いずれ刑が確定した後に厳しく罰せられるとの事だ。
「……そう、……ですか……」
ウェンディは遣る瀬無い怒りを含んだ呼気を吐き出し、気持ちを落ち着かせようと努めた。
法の下により正しく罰せられるのであればそれでいい、ウェンディはそう思った。
「それでですね」
オルダンはテーブルに茶封筒を置き、ウェンディの前に差し出した。
「これはこれまで貴女が騙し取られていた賠償金です。それを全てお返し致します。お確かめ下さい」
「えっ!?」
ウェンディから今日一番の「え」が飛び出した。
そして封筒に手を伸ばし中身を確かめる。
「ホントにお金だ…………」
「正真正銘、貴女がヤコブに払わされていたお金です。お返しする事が出来て良かった」
「オ、オルダンさんて……本当はいい人だったんですね……ごめんなさい。私、今まで嫌な態度を」
ウェンディがそう言うとオルダンは自嘲し、首を振った。
「いやいや。あの男の悪事を知りながら何も出来ずに過ごしてきたんです、私だって悪人ですよ。でもまさかこんな日が来るなんて……なんだかまだ現実味がないんです」
「そういえば、なぜ急にこんな事に?しかも王宮の上級魔術師が動くなんて……国がヤコブに目を付けて調べたのですか?」
「確かに私に最初に話を持ち掛けて来たのは王宮の高位文官という貴族の方ですが、国として動いているのではないと仰ってましたよ?」
「え?高位文官?貴族?」
「はい。貴女の古い知り合いだとか……。どうやら彼は貴女の現状を見かねて動いたのではないでしょうかね?あのような貴族の知り合いがいたのなら、最初から助けて貰えばよかったんじゃないですか?」
「ちょっ、ちょっと待ってください、その貴族である高位文官が私の古い知り合いだと言ったんですかっ?」
ヤコブ逮捕に至った原因が自分であると聞かされ、ウェンディは慌ててオルダンに確認した。
「ええ。確かに。大切な古い馴染みだと」
「………その方の名前はご存知ですか?当然お聞きしているのですよね?」
胸騒ぎがする。
嫌な汗が額に滲むのを感じた。
そしてオルダンはこう言った。
「もちろんお伺いしてますよ。デニス=ベイカー子爵、彼はそう名乗りました。王宮魔術師もそう彼の事を呼んでいたので間違いないでしょう」
「デニス=ベイカー………」
なぜ彼が?
なぜウェンディが賠償を負わされた事を知っているのか。
色々と調べた……?
でもどうして………?
ーーちょっと待って、調べたというのならどこまで調べたのっ?
まさかシュシュの存在を知られたっ!?
いやそんなまさかっ……!
確かめなくては。
白黒ハッキリつけさせねば、夜もおちおち眠れない!
と、いうわけでウェンディはデニスをとっ捕まえて話を聞き出す事にしたのだが………。
デニスとウェンディ。
そのままにしてしまってきた問題と向き合う時が来たようだ。
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補足です。
追憶魔術は二名以上の認定魔術師(要国家資格)の立ち会いの下で調査。
可視化された記憶は国の定める術により管理されます。
そこまでして漸く証拠品として認められるそうですよ。
追憶魔術、恐るべし!
異世界で悪い事は出来ませんな☆
ヤコブはもんの凄く悪どい事をしてきたようです。
人身売買、殺人教唆も多々あり、極刑は免れないとか……。




