第60話 子竜覚醒(前編)
「息巻くのは勝手だが、こちらに人質がいるのをよもや忘れたわけではあるまい?」
反撃の狼煙を上げようという時、ルギアは俺とアリエラに冷ややかな言葉をかける。
薄く笑みを浮かべながら、魔法で縛ったミィミに力を入れる。痛みで目を覚ましたミィミは、半ば朦朧としながら現状を理解する。すると、悲しそうな目を俺に向けた。
「あるじ、ごめん」
「ミィミ、大丈夫だ。いや、頼む……。この場面でいうのもなんだが、ミィミの力を借りたい」
「あるじ…………。わかった」
ミィミの瞳に再び力が宿る。
俺とミィミのやりとりを見て、インノシマは目を細めた。
「何を勝手に盛り上がってるんだよ。クロノ、あんたもう詰んでる。諦めろよ。あんたみたいな真っ当な人間はこの世界にふさわしくないんだ。お前みたいな偽善者は、死んだ方が幸せなんだよ!」
「勘違いしているぞ、インノシマ。……俺だってもうとっくにまともじゃないのかもしれない。何せ今からやる作戦はうまくいくかどうかもわからないものだ。それに人を巻き込もうとしている」
「やらせると思ってんのか? 諦めろよ!!」
「そんな俺でも律儀に信じてくれる奴がいる。――――ミィミ、頼む」
『アオオオオオオオオオオオ!!』
ギフト〈へんしん〉!!
ミィミが吠える。直後、耳と尻尾、そして髪の毛が逆立つ。小さな手足は膨れ上がり、爪がナイフのように伸びていく。唇が大きく開いていくと、獰猛な牙が光る。
真っ赤に燃え上がった目は殺意の塊となって、眼前の敵を睨み付けた。
緋色の大狼がミスリルに囲まれた精霊の神殿に現れた。
「なんだ、これは……!」
ルギアも、そしてインノシマもミィミの姿を見て、動揺が収まらない。2人とも異界から来た現代人だ。緋狼族という、大狼に変身できる希有な一族のことを知らなくて当然だろう。といっても、まさ緋狼族として幼いミィミがああやって変身できているのは、間違いなくギフトのおかげなのだが……。
ミィミはこれまでのお返しだとばかりにルギアに襲いかかる。前足を振り下ろすと、岩盤を砕いた。回避したルギアだったが、その飛礫に巻き込まれることになった。
「馬鹿な! わかっているのかね。あんな狼をこんな場所で放てば、生き埋めになるぞ」
忠告どうも。
そんなことはわかっているんだ、こっちも。
だからなるべく早めに終わらせる。
ミィミがルギアを引きつけている間に、俺はパダジアの方へと走っていく。未だに苦悶する風の精霊は近づいてきた俺を見るなり、風の剣を放ってきた。
ギィン!!
風の剣が目の前で弾かれる。
いつの間にか俺の前を走っていたのは、アリエラだ。
「アリエラ、助かった」
「うん。でも私ができるのは、ここまで」
俺とアリエラの周りが暗くなる。頭上を見ると、アリエラと同じ緑系の瞳のエルフが剣先をこちらに向けて落下してくるところだった。メイシーだ。硬質な金属音を響かせながら着地する。深く腰を下ろした体勢から撥条のように身体を伸ばし、俺の喉元を狙う。
ギィン!!
剣戟の音が耳の近くで聞こえた。
メイシーの突きをアリエラが払ったのだ。
「行って! クロノ!!」
「アリエラ! 今度こそ勝てよ。お姉ちゃんに」
アリエラは返答しなかった。
ただ小さく頷くのを見る。
俺はそれを見て、前を向いた。
「待ってろ、風の精霊。あんたにかけられた呪縛を解き放つ!!」
◆◇◆◇◆ アリエラ ◆◇◆◇◆
クロノは気安く「勝て」というが、実はアリエラの身体はすでにボロボロだ。体力はとうにつきており、見えないところではかなり出血していた。幾合も切り結んだ結果、手は痺れ、指先の感覚が怪しい。
それでもアリエラは構えた。
超えるべき壁を前にして……。
いや、目の前の壁はとっくに超えているべきだった。
「お姉ちゃん、ごめん。私、嘘を吐いていた。ずっとずっと嘘を突き続けていた」
自分は姉にかなわない。
そうずっと嘘を突き続けていた。
初めてそんな嘘を吐いたのは、10歳の時だ。エルフの妊娠適齢期は長い分、身体が子を成す準備が極端に長い。母体によっては100年かかることもある。アリエラとメイシーの差は50歳……。この時姉はすでに次の『剣神』になるべく鍛錬を続けていた。そんな姉の鍛錬を、アリエラはずっと見続けていた。
ある時アリエラも剣に興味を持った。武人の家であったシエストン家では珍しくもないことだ。アリエラの相手はいつもメイシーだった。
年の差50歳。人間でいえば、祖母と孫の関係である。
武に費やした時間を鑑みれば、妹が姉に勝つことはない。
しかし、アリエラは1度だけ姉に勝ったことがあった。
それを見ていた者たちは、メイシーの油断したのだろうと思った。次代の『剣神』候補と呼ばれ、努力と才能に溢れたメイシーが、10歳の少女に負けるはずがないと。
「でも、私はわかっていた。わかってしまった。私はどうしようもなく――――」
お姉ちゃんより強いってこと……。
それからアリエラは嘘を吐き続けた。何故ならアリエラには『剣神』になるという動機がなかったが、メイシーには動機があったからだ。
もし自分が姉より強いことがバレれば、『剣神』を目指すメイシーの夢を断ち切らせることになる。そう子どもながらに考えた。
アリエラはメイシーを讃え続けた。メイシーを自分よりも強くしようと、積極的に剣技の練習にも参加した。しかし、その溝はドンドンと広がるだけだった。次第にメイシーに勝つことがおそろしくなっていく。子どもながら剣を持つことに躊躇せず、活発だった少女はいつしか口を閉ざし、寡黙になっていった。
「正直に言うとね。もう本当は一生勝ちたくないんだ。だって、お姉ちゃんは私の憧れだから……。強くて、格好良いお姉ちゃんが大好きだから。――でも、一瞬。この瞬間だけ、私は私でいることを通す。だから――――」
勝つよ、私……!






