第5章:乖離(22)
大学閉鎖の翌日――――
ミスト研究室の面々は、大学近隣の酒場宿一階に集まり、今後についての話し合いを行った。
新入り二名は、隅の方でチラチラとルインに視線を送っている。
小刻みに震えていた。
とは言え、もう二度と大学へ顔を出さない可能性もあっただけに、出席しただけでも大したもの。
その勇気をアウロスは心中で賞賛した。
一方、ミストは新入りの特異な様子に対し特に言及する事はなく、話を続ける。
その結果――――
「では、各々大学外で活動出来る範囲で仕事に勤しんでくれ」
と言う結論が言い渡された。
アウロスは既にやれる分の実験は終えており、この件で論文自体にマイナスとなる要素は少ない。
しかし、閉鎖中の給料に関しては検討中と言う事で、生活面での不安はあった。
なにしろ、必要経費として下りないラディへの賃金などを自腹で負担している為、蓄えが余りない。
加えて、この大学閉鎖の原因が伝染病である場合、敷地内全ての抜本的な消毒が必要であり、そうなると一月や二月は優に掛かる。
基本的に魔術大学はアルバイトなどの副業は御法度なので、最悪の場合、生活どころか生き延びる事すらままならない――――と言う事態も想定しなくてはならないだろう。
研究者である前に一社会人。
そして一生命体。
命がなければ、研究も何もない。
「そこまで深刻にならなくても」
帰宅後、料理店【ボン・キュ・ボン】の一階で不安げに頭を抱えるアウロスに、クレールは呆れつつ笑みを見せた。
「いや、これは結構マズい。一度こう言う流れになると、坂道を転がり落ちるように堕ちて行く気がしてならない」
「大袈裟ねえ。ま、ウチの家賃なら多少の滞納は構わないから。逃げたら追い込みかけるけどね」
「素直に礼を言えないんだが……」
「ま、お互いやれる事をやりましょう。お休み」
クレールは二階へ向かう。
その姿を眺めつつ、アウロスは頬杖を付いた。
(やれる事、か……)
心中でそう呟き、暫くじっとした後、アウロスも自室に戻った。
直ぐ目に入ったのは、机の上に置いてある、生物兵器に関する資料。
以前リジルから借りた物の写しだ。
アウロスはそれを手に取り、机の前に座って、それを読み耽った。
生物兵器――――その物騒な名称に違わず、人に、とりわけ魔術士に害を与えると言う点では、かなり有効な技術だ。
生物は進化の過程で、自己の生命を外敵から守る為に、様々な防衛能力を身に付けた。
それは単なる回避能力のみならず、外敵を駆除する事で防衛を果たすと言う殺傷力にも及び、殺し合い、奪い合いの構図を複雑化させた。
そして、現在において生物の最終進化系とも言える人間が、それに拍車を掛けない訳がない。
そうやって、自然の護身術に人為的な調整が加わって誕生したのが、生物兵器と言う技術だ。
それは人体に深刻な損壊をもたらす毒であったり、武器や防具として利用出来る硬質な牙や皮膚であったり、人間を襲う習性を与えた擬似生命体であったりと、魔術と比べても遜色がない程に細分化されており、その対策や対処法は余り確立されていない。
(ラディは、毒性の生物兵器によって侵されたと言っていた。それは俺の怪我とは、恐らくは違う)
原因が生物兵器である場合、自己治癒能力では再生出来ない場合がある。
では、一度痛んだ肌をそれ以外で復元する方法が他にあるかと言うと、その保障は何処にもない。
が、全くないとも限らない。
まさに暗中模索だ。
(加えて、色んな効果と言うか症状と言うか……人体を痛めつける方法がこんなにある)
頁を捲る度、思い知らされる現実。
生物兵器を拷問に使用したと言う例もある。
これはもう、立派な人を壊す技術と言える。
アウロスの使用する生物兵器は、そんな性質はない。
しかし、ラディが恐れ、不安になるのも無理はない話だった。
(……ん?)
これまでは自分の研究に関係ないと言う理由で読み飛ばしていた項目の中のある一節に、アウロスの目が留まる。
(身体から毒性の液を分泌する……)
そこには、人体に直接害を与えるのではなく、人体そのものを毒素の発生源として間接的に敵をいたぶると言う、回りくどい嫌がらせ的な性質の生物兵器が載っていた。
所謂『細菌系』の生物兵器で、それを体内に取り込んでしまうと、身体から毒性の強い液体が肌から汗のように分泌される体質になってしまい、その液を別の人間が体内に入れてしまうと、その毒によって辛苦を受ける、と言うものらしい。
本人に自覚症状はなく、毒の排泄者として生き続ける事になる。
この生物兵器の有効な利用法を、アウロスは直ぐに思いついた。
(標的は料理を作る人間か)
料理中、その食材に肌が触れる可能性はほぼ10割。
つまり、出される料理は全て毒になる。
例えば、敵の料理担当の人間をこの生物兵器で侵してしまえば、その周りの人間を苦もなく戦闘不能に出来る。
兵糧を断つ戦術が常識の一つとして浸透している通り、食事と言う人間の基本とする行為に被害を与えれば、多大な損害を与える事が出来るだろう。
(とは言っても、彼女まで生物兵器に……なんてのはさすがに安直か。そんなに出回ってる技術でもないしな)
そんな事を考えつつ、就寝した翌日――――
「良し、侵入成功」
アウロスは閉鎖した筈の大学内にいた。
「でも、勝手に入って良いの? って、良い訳ないのは百も承知だけどさ」
お供にラディを付けていた。
「まー私としては、不法侵入は初めてじゃないし、寧ろこの緊迫感にドキドキ? あー、何か私、ワクワクしてきたぞっ」
一人奇妙な興奮に身を焦がすラディを無視し、アウロスは自分の所属する研究室に向かう。
勝手知ったる道順。
あっと言う間に到着した。
「取り敢えず、リジルが使ってた机を探してみよう。今は新入りが使ってるんだったか」
そんな訳で、詮索開始。
そして終了。
「さすがに何もないね」
「辞めて随分立つしな。新入りが入った以上、前の持ち主の持ち物が残ってないのは当然か」
「……あれ? これって……」
机の奥に、ぐちゃぐちゃに丸められた紙が入っていた。
ラディが取り出しそれを広げると――――そこには、何かに目覚めたらしき告白文が力強い筆跡で書かれていた。
どうやら日記の一ページらしい。
具体的に言うと、『もっとぶって欲しい自分に気付く』的な内容が細かく細かく記されていた。
「……勇気じゃなくて歓喜だったのか」
知りたくもない現実が、そこにはあった。
「真実って何時の時代も犯罪者に残酷よね」
遠い目をしたラディがアウロスに紙を渡し、それをアウロスが燃やす。
全く目も合わせない、完璧な連携作業だった。
「次は地下だ。あいつ、まだいるのかな」
あいつと言うのは、ドラゴンゾンビの事を指している。
ラディの手前、名称は控えた格好だ。
「それより、一つ聞きたいんだけど」
「安心しろ。この件に関しては一切金は出さない」
「ええっ!? いや聞きたいのは全然それじゃないんだけど! ってか寧ろそっちは安心しきってたんだけど!」
「払う余裕がないんだよ。三日前俺を襲った貸しって事で納得しろ。しないなら殺人未遂と脅迫の罪でお前を倒す」
アウロスは静かに戦闘態勢を整える。
「ま、まあ、これくらいはお手伝いって事でいいかな。そ、それより、質問しても良い?」
「どうぞ」
「今回の件、私何にもわかんないんだけど。何でここに忍び込む必要があるの?」
人気のない廊下に出て、一階へ降りる。
誰もいない館内は牢獄に近い雰囲気で、研究と教育の最高機関の割に、神聖な感じは余りしない。
実際、それに相応しい環境かと言うと、疑問の余地は多分にある。
「ちょっと気になる事がな。もしかしたら、ピッツ女史が生物兵器にやられてるんじゃないかなー、と」
「……え?」
廊下を叩く足音が一つ消える。
「えっと、それってつまり……そんな……二人がそんな関係だったなんて」
「言っておくけど、生物兵器の被害者は皆が皆お前と同じ症状じゃないからな」
肌を見せ合った関係だと勘違いしたラディを睨んで黙らせる。
「彼女の料理に悪影響を及ぼしてる原因が、生物兵器かもしれないって話だ」
「え? でも私全然何ともないんだけど。もうかれこれ百食くらい食べてる筈なのに」
「そう言う客もいるらしい。それも含めて、調査する価値はあるかなと」
「……」
アウロスの発言にラディは一瞬目を細め、そしてアウロスに向けてビシッと指を差した。
「私に素直に話したのは、私を試す為と見た」
「単純に一人より二人の方が探し易いからだ。仮に守衛か誰かに見つかったとしても、どうにかしてお前だけの所為に出来るかもしれないし」
「うぉいっ!」
その指に四つの指が合流し、ブンっと横に振られる。
アウロスはそれを視界にすら入れず、先に進んでいた。
「とか言ってる間に、もう地下だよ。暗いよ。怖いよ。早く明るくして」
「お前、情報屋の癖に暗所恐怖症なのか……? 変わってるな」
アウロスが指の上に火を灯すと同時に――――奇怪な音がフロアに響く。
「……何? 今の音。あんたお腹壊した?」
アウロスは遠くを見ていた。
ラディを無視したのではなく、その音と、その近くにある気配を察して、それに伴いどう行動すべきかを考えていた。
そして、結論を出す。
「やっぱお前、帰れ」
「何なのよ一体! 無料で付いて来いっつっといて!」
「良いから早く。後でお詫びに何かやるから」
「ったく……あー神様、私ってなんて都合の良い女なのでしょう。プロポーズされた数日後に早く帰れなんて言われてます」
「悪質な祈りは止めてとっとと帰れ」
ラディがブツクサ言いながら階段を上がって行く姿を最後まで確認した後、アウロスは奥へと進んだ。




