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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
94/401

第5章:乖離(20)

「……ったく。言えよ、そんな大事なことは」

 頭を掻き毟りたい衝動を押さえ込みながら、アウロスは静かにそう告げた。

 無論、それが不毛である事は理解しているのだが。

「私が嫌だっつったら、使うのを止めたの?」

「それはない」

 当然のように断言。

 その応えは予測済みだったらしく、ラディは小さく笑う。

「……でしょうね。ロスくん、あの論文に命掛けてるって感じだもん。大体、雇ってる情報屋が嫌がるからって研究のやり方を変える人、大学にはいないでしょ」

「でも、話せば意識が変わるかもしれないだろ」

「何言ってんのよ。あんたの研究が認められて、それが沢山の魔術士に広がったら、生物兵器を研究に使う魔術士は増えるかもしれない。そしたら、私みたいな被害者が絶対増える。私にその手伝いをしろっての?」

 普段は適当な発言ばかりしているラディらしからぬ、考察の跡が垣間見える言動。

 とは言え、アウロスはラディをバカと罵る事は多い一方で、彼女の知能を低く見た事はない。

 よって、驚く事はなかった。

「お前の言う通り、俺は生物兵器を世に広めようとしてる。研究に使う生物兵器は人体に影響を及ぼす類の物じゃないが、それは余り関係ない。結果的に、生物兵器の被害者が増える可能性は高い」

 アウロスが研究に使用する【ノクトーン】は、あくまでオートルーリングの技術の中の一つであり、それ自体に殺傷力や凶悪性はない。

 しかし、どのような種類であれ、生物兵器が世に広まったと言う事実が出来てしまったら、生物兵器の市場への扉は開く事になる。

 一度開けば、そこから水のように止め処なく流れ続ける。

 どのような事に対しても言える事だ。

「……」

 ラディの顔に険が刺さる。

 その様子を確認し、アウロスは続けた。

「そして、同時に対策や治療の方法も増える」

「え?」

「当たり前だろ。生物兵器で被害を受ける人間が増えれば、その対策の需要も増える。当然、多数の人間が研究を始めるだろな」

 需要があれば供給が生まれる。

 世の常だ。

「そうなれば、助かる人間の数も今より増える」

「それは詭弁よ! そんな保障、何処にもないじゃない!」

「その通り。研究を続ける為、罪悪感を押し殺す為の詭弁だ。でもお前は、今のままで良いって思ってるのか? 普及していない代わりに、対抗する術もない。絶対数は決して多くないが、社会の闇で苦しむお前みたいな人間は確かにいて、その人達は救われないままだ。それで満足なのか?」

 アウロスの厳しい心遣いに、ラディは思わず顔を背ける。

「俺は生物兵器を利用して、他人を傷付ける可能性のある技術を作ろうとしてる。それは否定しない。お前の受けた被害とは違ったとしても、俺の所為で死ぬ人間も出てくるだろう」

 丁寧に、そして適度に柔らかく。

「でもな、そんなのいちいち気にしてたら、誰も何も出来やしない。人を救う為に作った薬が、何処かの誰かがその処方を間違えた所為で死んだとして、それが開発者の責任になるか? なる訳ないだろよ。使う人間が腐ってたら何だって凶器になる」

 それは正論だった。

 しかし、正論は必ずしも正しい訳ではない。

 アウロスはそれを重々承知しつつ、ラディに突き付けた。

「それでも、お前は俺が許せないか?」

「わかってるってば、そんなの。頭ではわかってんのよ。でもね、現実はそんな簡単じゃないの!」

 言葉は幾らでも飾る事ができる。

 高尚に、そして美しく。

 しかし現実は――――

「簡単に、割り切れない……」

 ラディの身体が沈む。

 弱い人間の心を具現化して彫刻にでもしたら、このような姿になるのだろう。

 それは押せば倒れる程に脆い、極限まで削られた作品。

 それ故に、誰も触れない。

 近付けない。

「……」

 けれど、アウロスはしゃがんだままのラディの正面で腰を屈め、彼女の肩に手を置いた。

 その手には、人の温もりがまるで伝わって来ない。

 ラディは、凍えていた。

「確かに、最初にこれ見たら吃驚するな。反射的に顔を背けたくなるかもしれない」

「……」

 自分自身、おぞましく思うその素肌に触れられたラディは、身を竦ませ唇を噛み、耐えるように全身を強張らせている。

 それは羞恥と言う次元を遥かに越えた、精神の蠢動だった。

「でも、もう慣れた。これでもう何とも思わない」

「嘘」

「ってか、俺も似たようなもんだし」

 今度はアウロスが服を捲って肌を見せる。

 奴隷時代に散々受けた人体実験の為の魔術による痕跡は、腹から背中にかけ、間断なく残っている。

「わ……」

 ラディはその姿に、反射的な嫌悪感を抱いた。

「昔、奴隷だった頃があったんだ。散々攻撃魔術でいたぶられた。四肢や顔には負っていないが、他は火傷や痣で一杯だ」

 そこまで言った後で、アウロスの顔が綻ぶ。

「お前今、うげっ、って思ったろ?」

「え、いや……うん」

 素直に頷く。

「これからもずっとそう思い続けるか?」

「ううん。慣れればどって事ない」

「だろ」

 アウロスは、自分のその身体に対し、多少なりとも劣等感を抱いてはいた。

 どんなに暑くても人前で肌を晒す事はしなかった。

 ルインやウォルトですら、この身体の事は知らない。

 それくらい、他人に知られる事を拒んでいた。

 それが今、一人の知り合いの少女の心を僅かとは言え、癒した。

 その事実は、アウロス自身を救っていた。

「男の身体の傷が、女のそれと同じ重さだなんて言わない。俺がこうだからって、お前の気持ちがわかる訳じゃない。でも、俺だってお前にはない劣等感はある。人のそれを心の中で笑ったり、見下したり、気持ち悪がったりなんて事はしない。そんな余裕ない」

 捲くし立てる。

 そう言う気分だった。

「だから、お前は俺といろ」

「!?」

 ラディは身をビクっと震わせ、物凄い勢いで立ち上がった。

 そんなラディの反応に目もくれず、アウロスは続ける。

「生物兵器が怖いなら、俺の研究に使うそれを見て、それに慣れろ。最初は『こいつ何でこんな気持ち悪いの使うんだろバカじゃないの?』って思ってくれても良い。最終的に単なる技術の一つだって思えるようになれれば良い。そして、自分が幸せになれる方法を探せ。俺の近くなら、それが見つかり易いかもしれない」

 それなりにまとめたつもりで、視線を送る。

「どうだ?」

「ど、どうだ……って。そんなの簡単に決められる訳ないじゃない」

 しかし、ラディの反応は期待したものではなかった。

「まあ、それもそうだ。じゃ、考えろ。一分で」

「一分!?」

「俺なら十秒で判断するし」

「わ。わかった。ちょっと待って」

 ラディは律儀に一分考えていた。

 その表情には何故か時折、人生観的なものが垣間見えたりした。

 そして――――結論。

「あ、あのね。ええと……何て言うか、まだ早いと思うのよ。ホラ、まだ十代だし? いやね、まだ遊びたいとかそう言うんじゃないよ? でも、心の準備と言うか、身体の準備と言うか……このままだと文字通り傷の舐め合いだし? それに、幾ら追い出されたと言っても、家族の問題もあるし。あ、嫌って訳じゃないのよ? でもさ、こう言うのってもうちょっと時間を掛けてと言うか、そりゃシチュとしては文句なしだけどさ。久し振りの再会で――――って、割と良くあるパターンだよね。ま、まあ、そこまで言ってくれるのなら、やぶさかではないって感じなんだけど、まずはええと、しょ、将来を誓い合った仲? そんな感じでどうかなー、なんて……って、ちょっと! 何あさっての方見て耳穿ってんのよ!」

 久々の長文に、アウロスはホラの辺りで見切りを付けていた。

「ん? 終わった?」

「聞いといて聞いてすらなかったのかよ!」

 一通り儀式を終え、再開。

「で、どうなんだ。要点だけで良いから」

「だからっ! ええと……基本的には、宜しくお願いします」

 一礼。

 その所作の合間、ラディは終始顔を赤らめていた。

「良し。じゃ再契約って事で」

「……再? 契約はわかるけど。あれって神様との契約とかそんな感じだもんね」

「神様……? まあいいや。兎に角、契約書は明日にでも作るから、夜にウチの料理屋に来てくれ。まだあそこに住んでるから」

「契約書……あ、アレね。わかった。心を込めてサインするから」

 ラディは頬を染めたまま、胸に手を当てる。

 その周りには、花とか鳥とかそんなんが舞っていた。

「でも良かったよ、後任者決めてなくて。これが一番理想的な展開だったしな」

「理想だなんて、もう、こいつう。ん? 後任者? 後任者……後妻?」

 ラディは混乱していた。

「後妻って何だよ。こうにんしゃ。情報屋の後任者」

「じょうほうや」

 頭の中が乱れている為、単純な情報すら認識が出来ていない。

 ラディは棒読みで鸚鵡返しするのが精一杯だった。

「お前、情報屋辞めたのか?」

「辞めてないけど……あれ? 情報屋? 後任者? ん? んん?」

「どうした。さっきの頭突き二連発が効いて来たのか」

「……」

 額にそっと手を置き、暫くの間沈黙する。

 そして、ボーっとした面持ちのまま、その手を上に挙げた。

「一つしつもーん」

「どうぞ」

「私、プロポーズされたんだよね?」

「マジでか? 誰だよそんな奇特な男」

 半眼で吐き棄てるアウロスに、ラディの汗腺が反応を示す。

 つーっと頬を伝う雫は、一度も止まらずに地面に落ちた。

「お前は俺といろ、って、プロポーズの言葉で100位以内には入ってるよね。きっと」

「微妙な所だな。『ずっと』とか『傍に』とか入ってたら可能性大だけど」

「……」

 ラディはのろのろと地面に落ちてあったナイフを拾い上げ、その先を邪悪な面持ちでアウロスに向ける。

 そこには、先程全然なかった殺気がしっかりと篭っていた。

「……コロス」

「は?」

「全身全霊を賭けて天地神明にかけてあんたを殺す!」

「何なんだ一体! 止めろ、刃物を振りかざすな!」

「私の乙女心に謝れええええっ!!」

 五分揉めた。

「ったく……」

 それで幾分スッキリしたのか、ラディの顔から影が消えていた。

「でも、どうしてまた雇う気になったの? 私がした事、情報屋として最低だよ?」

「ああ。最低だ。もし俺がお前の師匠なら、逃げた時点で後頭部に氷の塊をぶつけてただろう」

「ま、まあ当然よね。それなら尚更、何で許すの?」

 ラディの問いは、許しを請う人間の切なる願いよりも、純粋な好奇心が勝っているようにアウロスには感じられた。

 普通の人間なら不快感を受けかねない所だ。

 しかし、アウロスはそれに寧ろ満足感を覚えていた。

 同類――――そんな言葉が脳裏に彷徨う。

「お前の行動は最低だが、お前個人を責める理由にはならない」

 心中で苦笑し、答えを紡ぐ。

「まず、情報漏洩に関しては、ミストの強制的な取引によるものだと判断する。そして、これはお前には拒否出来ない。すればそこで話が終わるからな。つまり、俺との契約にはミストへの情報漏洩が嫌でも付属されるって訳だ。俺はこれを騙されていたとは思わない」

 騙されていないのであれば、非難する理由にはならない。

「で、それを黙ったまま逃避したのも、生物兵器に対する拒否反応と――――ちょっとくらいはあると信じて――――俺への罪悪感がそうさせたのなら、俺にも原因はある。差し引きで、せいぜいさっきの頭突きくらいだ」

 人の弱さは、時として非難されるべきだ。

 しかし人間である以上、強さもあれば弱さもあり、そこには様々な模様がある。

 それを逐一非難する訳には行かない。

 アウロスの判断結果は更に続く。

「俺を襲ったのも同様。殺す気なしのなんちゃって脅迫なんて、やっぱり頭突き一発程度のもんだ。後は……日頃の行いに関しては給料に反映させてるし、仕事に関しては今の所不満はない。で、結論。全て許せる範囲内の出来事だった」

 つらつらと並べ、そう言い切った。

 ラディはと言うと――――どうにか表情を変えまいと努力しているようだが、その目からは隠しようのない感情が溢れている。

 彼女にとって、自分の不徳をここまで明確な言葉と理由を添えて許して貰うのは、初めての経験だった。

 それは親も、師匠も、そして周りの全ての大人が拒否した行為だった。

 同情も忌避もない、人と人との普遍的な接点――――ラディの夢の欠片が、そこにはあった。

「ゴメンなさい」

 ラディは謝った。

 そして、アウロスはそれをゆっくりと受理した。

 許される事だと判断しているのだから、それは当然の事だった。

「あのね、一分だけ泣くね」

 涙はとうに流れていたが、ラディはその言葉を切欠に嗚咽を漏らした。

 吐き出すように、そして訴えるように。

 自分はここにいるのだと――――そう訴えるように。

「はい、一分」

「……一分って早いね」

 言葉通り、ラディは一分で泣き止んだ。

 彼女には意思がある。

 強くはないし、真っ直ぐでもない。

 けれど、信念を感じずにはいられない。

 アウロスは、そこに何よりも大きな魅力を見出していた。

「続き。私が逃げた時、情報を持ち逃げされたとか思わなかった?」

「残念だけど、俺の研究はそこまでの価値はまだない。世に出て普及して、初めて振り向かれる、そんな存在だ」

 それはつまり、彼ら自身の事でもあった。

「その辺はミスト教授もわかってるから、特に口封じみたいな行動はなかったろ?」

 ラディは無言で首肯する。

 回想する必要すらない程、実際思い当たりは全くなかった。

「大体、顧客の情報を持ち逃げするんなら、辞めると言わず出て行くだろう。まあ、実を言うと、『これ』に騙されてた所が大きいんだけど」

 そう言って、折り曲げて衣嚢に忍ばせておいた羊皮紙をラディに渡す。

 正確には『返した』。

「うわ。これ持ち歩いてたの? 何で?」

「何となく」

 勿論、それは嘘だった。

 意味を成さない抵当だったが、個人情報を集める手掛かりにはなる。

 つまりは、そう言う事。

 ただ、それを口に出すのは癪だった。

「はあ……敵わないないなあ、全く」

 ラディは嘆息交じりに呟き、その羊皮紙を胸に仕舞う。

 嫌な素振りは微塵もなく。

「最後。戻って来た理由、聞かないの?」

「必要ない」

 即答に、ラディの顔が再び歪む。

 暫くそれに耐え、次は言葉を探し、整理する。

 その作業には二分を要した。

「……私は、こう言う生き方しかできない人間だし、それに徹する強さもないみたい。軽蔑されるのも当然だし、辞めさせたいなら何時そうしても良いよ。自虐は嫌いだけど、私は相応しくないと思うから」

 それは、卑怯とも取られかねない言い方だった。

 仮に、少しでも――――笑みやおどけた所があれば。

 しかし、その色は微塵もなかった。

「知恵を使う生き方は嫌いじゃない。せいぜい俺を利用しろ。その分利用させて貰う」

「うん。そうする」

 利害関係。

 合理主義。

 それらは度々、冷たい言葉と言われてしまう。

 しかし、結局は結ぶ糸の色や結び方の一つに過ぎない。

 繋がる二人がどう在るか――――大事なのはそれだけだ。

「……ロスくん、やっぱちょっと変わったねー。何か優しくなった?」

「下らない事言ってないで、とっとと歩け」

 特に遅れ気味でもないラディにそう命令する。

 しかし、言われた本人は聞こえなかったのか、歩を止めて地面を見つめ、何やらブツブツ言っていた。

「生き方とか存在とか、肯定されたの初めて」

 そして、突然顔を上げる。

「これってやっぱり、プロポーズと受け取っても良いんじゃない!?」

 どうよ、と言わんばかりのその発言は、虚空と戯れた。

 アウロスの背中は既に遠い。

 と言うか見えない。

「だー、もう! 人の話を聞かないトコはちっとも変わってねー!」

 表面上は、普段と変わらないその言葉。

 しかし表情はと言うと、必ずしもそうではなかった。

 と、そんなこんなで――――

 アウロスは再び、とっても粘着質な情報網を得た。


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