第5章:乖離(20)
「……ったく。言えよ、そんな大事なことは」
頭を掻き毟りたい衝動を押さえ込みながら、アウロスは静かにそう告げた。
無論、それが不毛である事は理解しているのだが。
「私が嫌だっつったら、使うのを止めたの?」
「それはない」
当然のように断言。
その応えは予測済みだったらしく、ラディは小さく笑う。
「……でしょうね。ロスくん、あの論文に命掛けてるって感じだもん。大体、雇ってる情報屋が嫌がるからって研究のやり方を変える人、大学にはいないでしょ」
「でも、話せば意識が変わるかもしれないだろ」
「何言ってんのよ。あんたの研究が認められて、それが沢山の魔術士に広がったら、生物兵器を研究に使う魔術士は増えるかもしれない。そしたら、私みたいな被害者が絶対増える。私にその手伝いをしろっての?」
普段は適当な発言ばかりしているラディらしからぬ、考察の跡が垣間見える言動。
とは言え、アウロスはラディをバカと罵る事は多い一方で、彼女の知能を低く見た事はない。
よって、驚く事はなかった。
「お前の言う通り、俺は生物兵器を世に広めようとしてる。研究に使う生物兵器は人体に影響を及ぼす類の物じゃないが、それは余り関係ない。結果的に、生物兵器の被害者が増える可能性は高い」
アウロスが研究に使用する【ノクトーン】は、あくまでオートルーリングの技術の中の一つであり、それ自体に殺傷力や凶悪性はない。
しかし、どのような種類であれ、生物兵器が世に広まったと言う事実が出来てしまったら、生物兵器の市場への扉は開く事になる。
一度開けば、そこから水のように止め処なく流れ続ける。
どのような事に対しても言える事だ。
「……」
ラディの顔に険が刺さる。
その様子を確認し、アウロスは続けた。
「そして、同時に対策や治療の方法も増える」
「え?」
「当たり前だろ。生物兵器で被害を受ける人間が増えれば、その対策の需要も増える。当然、多数の人間が研究を始めるだろな」
需要があれば供給が生まれる。
世の常だ。
「そうなれば、助かる人間の数も今より増える」
「それは詭弁よ! そんな保障、何処にもないじゃない!」
「その通り。研究を続ける為、罪悪感を押し殺す為の詭弁だ。でもお前は、今のままで良いって思ってるのか? 普及していない代わりに、対抗する術もない。絶対数は決して多くないが、社会の闇で苦しむお前みたいな人間は確かにいて、その人達は救われないままだ。それで満足なのか?」
アウロスの厳しい心遣いに、ラディは思わず顔を背ける。
「俺は生物兵器を利用して、他人を傷付ける可能性のある技術を作ろうとしてる。それは否定しない。お前の受けた被害とは違ったとしても、俺の所為で死ぬ人間も出てくるだろう」
丁寧に、そして適度に柔らかく。
「でもな、そんなのいちいち気にしてたら、誰も何も出来やしない。人を救う為に作った薬が、何処かの誰かがその処方を間違えた所為で死んだとして、それが開発者の責任になるか? なる訳ないだろよ。使う人間が腐ってたら何だって凶器になる」
それは正論だった。
しかし、正論は必ずしも正しい訳ではない。
アウロスはそれを重々承知しつつ、ラディに突き付けた。
「それでも、お前は俺が許せないか?」
「わかってるってば、そんなの。頭ではわかってんのよ。でもね、現実はそんな簡単じゃないの!」
言葉は幾らでも飾る事ができる。
高尚に、そして美しく。
しかし現実は――――
「簡単に、割り切れない……」
ラディの身体が沈む。
弱い人間の心を具現化して彫刻にでもしたら、このような姿になるのだろう。
それは押せば倒れる程に脆い、極限まで削られた作品。
それ故に、誰も触れない。
近付けない。
「……」
けれど、アウロスはしゃがんだままのラディの正面で腰を屈め、彼女の肩に手を置いた。
その手には、人の温もりがまるで伝わって来ない。
ラディは、凍えていた。
「確かに、最初にこれ見たら吃驚するな。反射的に顔を背けたくなるかもしれない」
「……」
自分自身、おぞましく思うその素肌に触れられたラディは、身を竦ませ唇を噛み、耐えるように全身を強張らせている。
それは羞恥と言う次元を遥かに越えた、精神の蠢動だった。
「でも、もう慣れた。これでもう何とも思わない」
「嘘」
「ってか、俺も似たようなもんだし」
今度はアウロスが服を捲って肌を見せる。
奴隷時代に散々受けた人体実験の為の魔術による痕跡は、腹から背中にかけ、間断なく残っている。
「わ……」
ラディはその姿に、反射的な嫌悪感を抱いた。
「昔、奴隷だった頃があったんだ。散々攻撃魔術でいたぶられた。四肢や顔には負っていないが、他は火傷や痣で一杯だ」
そこまで言った後で、アウロスの顔が綻ぶ。
「お前今、うげっ、って思ったろ?」
「え、いや……うん」
素直に頷く。
「これからもずっとそう思い続けるか?」
「ううん。慣れればどって事ない」
「だろ」
アウロスは、自分のその身体に対し、多少なりとも劣等感を抱いてはいた。
どんなに暑くても人前で肌を晒す事はしなかった。
ルインやウォルトですら、この身体の事は知らない。
それくらい、他人に知られる事を拒んでいた。
それが今、一人の知り合いの少女の心を僅かとは言え、癒した。
その事実は、アウロス自身を救っていた。
「男の身体の傷が、女のそれと同じ重さだなんて言わない。俺がこうだからって、お前の気持ちがわかる訳じゃない。でも、俺だってお前にはない劣等感はある。人のそれを心の中で笑ったり、見下したり、気持ち悪がったりなんて事はしない。そんな余裕ない」
捲くし立てる。
そう言う気分だった。
「だから、お前は俺といろ」
「!?」
ラディは身をビクっと震わせ、物凄い勢いで立ち上がった。
そんなラディの反応に目もくれず、アウロスは続ける。
「生物兵器が怖いなら、俺の研究に使うそれを見て、それに慣れろ。最初は『こいつ何でこんな気持ち悪いの使うんだろバカじゃないの?』って思ってくれても良い。最終的に単なる技術の一つだって思えるようになれれば良い。そして、自分が幸せになれる方法を探せ。俺の近くなら、それが見つかり易いかもしれない」
それなりにまとめたつもりで、視線を送る。
「どうだ?」
「ど、どうだ……って。そんなの簡単に決められる訳ないじゃない」
しかし、ラディの反応は期待したものではなかった。
「まあ、それもそうだ。じゃ、考えろ。一分で」
「一分!?」
「俺なら十秒で判断するし」
「わ。わかった。ちょっと待って」
ラディは律儀に一分考えていた。
その表情には何故か時折、人生観的なものが垣間見えたりした。
そして――――結論。
「あ、あのね。ええと……何て言うか、まだ早いと思うのよ。ホラ、まだ十代だし? いやね、まだ遊びたいとかそう言うんじゃないよ? でも、心の準備と言うか、身体の準備と言うか……このままだと文字通り傷の舐め合いだし? それに、幾ら追い出されたと言っても、家族の問題もあるし。あ、嫌って訳じゃないのよ? でもさ、こう言うのってもうちょっと時間を掛けてと言うか、そりゃシチュとしては文句なしだけどさ。久し振りの再会で――――って、割と良くあるパターンだよね。ま、まあ、そこまで言ってくれるのなら、やぶさかではないって感じなんだけど、まずはええと、しょ、将来を誓い合った仲? そんな感じでどうかなー、なんて……って、ちょっと! 何あさっての方見て耳穿ってんのよ!」
久々の長文に、アウロスはホラの辺りで見切りを付けていた。
「ん? 終わった?」
「聞いといて聞いてすらなかったのかよ!」
一通り儀式を終え、再開。
「で、どうなんだ。要点だけで良いから」
「だからっ! ええと……基本的には、宜しくお願いします」
一礼。
その所作の合間、ラディは終始顔を赤らめていた。
「良し。じゃ再契約って事で」
「……再? 契約はわかるけど。あれって神様との契約とかそんな感じだもんね」
「神様……? まあいいや。兎に角、契約書は明日にでも作るから、夜にウチの料理屋に来てくれ。まだあそこに住んでるから」
「契約書……あ、アレね。わかった。心を込めてサインするから」
ラディは頬を染めたまま、胸に手を当てる。
その周りには、花とか鳥とかそんなんが舞っていた。
「でも良かったよ、後任者決めてなくて。これが一番理想的な展開だったしな」
「理想だなんて、もう、こいつう。ん? 後任者? 後任者……後妻?」
ラディは混乱していた。
「後妻って何だよ。こうにんしゃ。情報屋の後任者」
「じょうほうや」
頭の中が乱れている為、単純な情報すら認識が出来ていない。
ラディは棒読みで鸚鵡返しするのが精一杯だった。
「お前、情報屋辞めたのか?」
「辞めてないけど……あれ? 情報屋? 後任者? ん? んん?」
「どうした。さっきの頭突き二連発が効いて来たのか」
「……」
額にそっと手を置き、暫くの間沈黙する。
そして、ボーっとした面持ちのまま、その手を上に挙げた。
「一つしつもーん」
「どうぞ」
「私、プロポーズされたんだよね?」
「マジでか? 誰だよそんな奇特な男」
半眼で吐き棄てるアウロスに、ラディの汗腺が反応を示す。
つーっと頬を伝う雫は、一度も止まらずに地面に落ちた。
「お前は俺といろ、って、プロポーズの言葉で100位以内には入ってるよね。きっと」
「微妙な所だな。『ずっと』とか『傍に』とか入ってたら可能性大だけど」
「……」
ラディはのろのろと地面に落ちてあったナイフを拾い上げ、その先を邪悪な面持ちでアウロスに向ける。
そこには、先程全然なかった殺気がしっかりと篭っていた。
「……コロス」
「は?」
「全身全霊を賭けて天地神明にかけてあんたを殺す!」
「何なんだ一体! 止めろ、刃物を振りかざすな!」
「私の乙女心に謝れええええっ!!」
五分揉めた。
「ったく……」
それで幾分スッキリしたのか、ラディの顔から影が消えていた。
「でも、どうしてまた雇う気になったの? 私がした事、情報屋として最低だよ?」
「ああ。最低だ。もし俺がお前の師匠なら、逃げた時点で後頭部に氷の塊をぶつけてただろう」
「ま、まあ当然よね。それなら尚更、何で許すの?」
ラディの問いは、許しを請う人間の切なる願いよりも、純粋な好奇心が勝っているようにアウロスには感じられた。
普通の人間なら不快感を受けかねない所だ。
しかし、アウロスはそれに寧ろ満足感を覚えていた。
同類――――そんな言葉が脳裏に彷徨う。
「お前の行動は最低だが、お前個人を責める理由にはならない」
心中で苦笑し、答えを紡ぐ。
「まず、情報漏洩に関しては、ミストの強制的な取引によるものだと判断する。そして、これはお前には拒否出来ない。すればそこで話が終わるからな。つまり、俺との契約にはミストへの情報漏洩が嫌でも付属されるって訳だ。俺はこれを騙されていたとは思わない」
騙されていないのであれば、非難する理由にはならない。
「で、それを黙ったまま逃避したのも、生物兵器に対する拒否反応と――――ちょっとくらいはあると信じて――――俺への罪悪感がそうさせたのなら、俺にも原因はある。差し引きで、せいぜいさっきの頭突きくらいだ」
人の弱さは、時として非難されるべきだ。
しかし人間である以上、強さもあれば弱さもあり、そこには様々な模様がある。
それを逐一非難する訳には行かない。
アウロスの判断結果は更に続く。
「俺を襲ったのも同様。殺す気なしのなんちゃって脅迫なんて、やっぱり頭突き一発程度のもんだ。後は……日頃の行いに関しては給料に反映させてるし、仕事に関しては今の所不満はない。で、結論。全て許せる範囲内の出来事だった」
つらつらと並べ、そう言い切った。
ラディはと言うと――――どうにか表情を変えまいと努力しているようだが、その目からは隠しようのない感情が溢れている。
彼女にとって、自分の不徳をここまで明確な言葉と理由を添えて許して貰うのは、初めての経験だった。
それは親も、師匠も、そして周りの全ての大人が拒否した行為だった。
同情も忌避もない、人と人との普遍的な接点――――ラディの夢の欠片が、そこにはあった。
「ゴメンなさい」
ラディは謝った。
そして、アウロスはそれをゆっくりと受理した。
許される事だと判断しているのだから、それは当然の事だった。
「あのね、一分だけ泣くね」
涙はとうに流れていたが、ラディはその言葉を切欠に嗚咽を漏らした。
吐き出すように、そして訴えるように。
自分はここにいるのだと――――そう訴えるように。
「はい、一分」
「……一分って早いね」
言葉通り、ラディは一分で泣き止んだ。
彼女には意思がある。
強くはないし、真っ直ぐでもない。
けれど、信念を感じずにはいられない。
アウロスは、そこに何よりも大きな魅力を見出していた。
「続き。私が逃げた時、情報を持ち逃げされたとか思わなかった?」
「残念だけど、俺の研究はそこまでの価値はまだない。世に出て普及して、初めて振り向かれる、そんな存在だ」
それはつまり、彼ら自身の事でもあった。
「その辺はミスト教授もわかってるから、特に口封じみたいな行動はなかったろ?」
ラディは無言で首肯する。
回想する必要すらない程、実際思い当たりは全くなかった。
「大体、顧客の情報を持ち逃げするんなら、辞めると言わず出て行くだろう。まあ、実を言うと、『これ』に騙されてた所が大きいんだけど」
そう言って、折り曲げて衣嚢に忍ばせておいた羊皮紙をラディに渡す。
正確には『返した』。
「うわ。これ持ち歩いてたの? 何で?」
「何となく」
勿論、それは嘘だった。
意味を成さない抵当だったが、個人情報を集める手掛かりにはなる。
つまりは、そう言う事。
ただ、それを口に出すのは癪だった。
「はあ……敵わないないなあ、全く」
ラディは嘆息交じりに呟き、その羊皮紙を胸に仕舞う。
嫌な素振りは微塵もなく。
「最後。戻って来た理由、聞かないの?」
「必要ない」
即答に、ラディの顔が再び歪む。
暫くそれに耐え、次は言葉を探し、整理する。
その作業には二分を要した。
「……私は、こう言う生き方しかできない人間だし、それに徹する強さもないみたい。軽蔑されるのも当然だし、辞めさせたいなら何時そうしても良いよ。自虐は嫌いだけど、私は相応しくないと思うから」
それは、卑怯とも取られかねない言い方だった。
仮に、少しでも――――笑みやおどけた所があれば。
しかし、その色は微塵もなかった。
「知恵を使う生き方は嫌いじゃない。せいぜい俺を利用しろ。その分利用させて貰う」
「うん。そうする」
利害関係。
合理主義。
それらは度々、冷たい言葉と言われてしまう。
しかし、結局は結ぶ糸の色や結び方の一つに過ぎない。
繋がる二人がどう在るか――――大事なのはそれだけだ。
「……ロスくん、やっぱちょっと変わったねー。何か優しくなった?」
「下らない事言ってないで、とっとと歩け」
特に遅れ気味でもないラディにそう命令する。
しかし、言われた本人は聞こえなかったのか、歩を止めて地面を見つめ、何やらブツブツ言っていた。
「生き方とか存在とか、肯定されたの初めて」
そして、突然顔を上げる。
「これってやっぱり、プロポーズと受け取っても良いんじゃない!?」
どうよ、と言わんばかりのその発言は、虚空と戯れた。
アウロスの背中は既に遠い。
と言うか見えない。
「だー、もう! 人の話を聞かないトコはちっとも変わってねー!」
表面上は、普段と変わらないその言葉。
しかし表情はと言うと、必ずしもそうではなかった。
と、そんなこんなで――――
アウロスは再び、とっても粘着質な情報網を得た。




