第5章:乖離(2)
この日、【ウェンブリー魔術学院大学】は閑散としていた。
理由の一つに挙げられるのが、礼拝日であると言う事。
当然、学生はいない。
そしてもう一つ、通常の礼拝日であれば出勤している職員達も殆どいない。
その理由は――――
「確か今日だよね。ミスト『教授』の教授就任パーティー」
「ああ」
現在、大学初の20代教授誕生を祝うパーティーが、繁華街【ネブル】の高級ホテルで華やかに行われている。
その為、大学の主要なポストに就く人間は皆、そこに出席していた。
「それなのに、良いの? 君は出席しなくて」
そんな中、ミスト教授の直属の部下であるアウロスは、相棒のウォルトと共に資料室に篭っている。
囲まれているのは、誇り高き礼服ではなく埃ばかり。
膨大な量の資料の中から、自身の研究の参考になる文献を拾い、それをまとめると言う作業は、多大な時間と労力を要する。
研究の大半はこれと実験に時間を割かれるくらいだ。
未だに肩が固定されたままのアウロスには、余計堪える作業。
しかしそれと同時に、最も重要な作業でもある。
先人の知恵は、若輩者の寡少な知識を優しく補ってくれる。
その力を借りない手はない。
「ああ言う雰囲気は、最近一度味わったばかりだからな。当分遠慮したい」
「そう言う問題じゃないと思うけど……今後の心証とか大丈夫なの?」
上司にとって、自身のパーティーに部下が一人いないと言う事はメンツ的にも心情的にも面白くはない。
仮に何の報告もなく欠席したならば、それは謀反だと判断されても文句は言えないだろう。
しかし、アウロスにはそうはならない確信があった。
「祝詞は既に渡してある。問題ない」
「そう。君が良いのなら僕がどうこう言う問題じゃないね」
「……」
実は『アルコールの出る場は嫌い』と言う子供じみた理由があったのだが、アウロスはそれを口にする事は控えた。
「それにしても、改めてこう整理してみると……この研究は難しいね」
資料の一つに目を通しつつ、ウォルトが唸る。
実際、かなりの量を消化したものの、参考になりそうな文献は殆どない。
それはアウロスの方も同じだった。
「未知の部分が多いのもあるが、何より実験が困難を極める。なにせ、現存する魔術全ての整合性を確認しなくちゃならない」
「理論上、同系統で消費魔力の近い魔術であれば、わざわざ実験しなくても整合性は証明出来るんだけど……省略する気はないんだよね?」
当然、と言わんばかりに、アウロスは頷く。
「例外なんてそこら中に転がってる世界だからな」
「……君がクレールさんの研究に肩入れした理由、良くわかるよ」
半分呆れ、半分感心した面持ちでウォルトが苦笑する。
無論、そこにネガティブな色は微塵もない。
「実験の簡略化、時間短縮が主流のこの時代で、愚直なまでの丁寧さはしばしば批判の種になり易い。時代錯誤だ、進化の妨げだ、ってね」
「まして、数多の優秀な研究者がサジを投げた『一攫千金論文』なら尚更な」
アウロスも伝染するように苦笑いを浮かべた。
「そんな研究に参加するのは、嫌か?」
「まさか。こんなやり甲斐のある仕事は他にないよ」
ウォルトの顔から苦味が取れる。
残ったのは、探求者特有のどこか幼げで純粋な表情。
細い目を更に細くしていた。
「例えば、『癒し』や『空中浮遊』と言った古の研究では成し得なかった事項に対して、こう言う高等な研究施設では過剰なくらいの拒絶反応が見られる。でもそれは、憧憬の裏返しでもあると思うんだ」
「憧憬……?」
「誰だって、最初は大きい事、特別な事をやりたいと思う。でも現実は上手く行かなくて、結果的に規定のものに落ち着いてしまう。そんな自分を正当化したくて『誰も出来なかった事をやるなんて馬鹿だ』って主張するんだよ」
ウォルトの手にした資料が揺れる。
「僕にも、少しその気持ちはあったからね……」
アウロスは、初めてウォルトと遭遇した時の事を思い出し、もう一度苦笑した。
理路整然と説明する彼の顔からは想像出来ない、コンプレックスに近い感情があったと言うのなら、それは知らぬ間の共感だったのだろう――――そう思いつつ。
「だから、今はそんな過去の自分を含めて、彼らを驚かせたい」
「驚かせる……か。そうだな。驚かせてやろう」
「うん」
男二人、屈託なく笑う。
「にしても……っと」
言葉を止め、アウロスは自分の頬を軽く叩く。
その掌を見ると、小さな羽虫の死骸が付着していた。
「蚊、か」
「最近多いみたいだね。もうそんな時期になったのかな」
人の泣き声に似た羽音が、資料室の閑散とした空間を舞っている。
まだ何匹かいるようだが、殲滅させる必要性も感じず、二人は作業を続けた。
「ところで、生物兵器に関しての心当たりって言うのは?」
「ああ、それは……」
「グルルルァァアワワヴァ」
獣の鳴き声に似た異音と、水の流れる清涼な音とのハーモニー。
それが非現実的な世界観を演出する【ウェンブリー魔術学院大学】地下水路で、アウロスはその『心当たり』を待っていた。
「教授就任パーティーの御土産話を聞きたいと言うには、少し特殊な待ち合わせ場所ですよね」
アウロスより一つ年上の、それでいてアウロスよりも幼い顔立ちの男。
少年と呼ばれても不思議ではない、その顔の横に灯りの炎を浮かべながら、リジル=クレストロイが歩いて来た。
「それに関しては昨日クレールから散々聞かされたからもう良い」
「何かお二人、前より仲良くなりましたよね。何かありました?」
「別に」
特にそんなつもりもないアウロスは、淀みなく否定する。
その答え自体には特に興味がなかったのか、リジルはすんなりと次の話題を提示した。
「約束、守って頂けてるみたいですね」
「約束……? ああ」
アウロスの脳裏に腐ったドラゴンが浮かぶ。
そして、それこそが『心当たり』の要因でもあった。
「わざわざここに呼び出したと言う事は、その件の見返りに何か頼みたい事でもあるとか?」
「まあ、そんなところだ」
見返りと言う発想は特になかったが、そう取って貰えるならそれに越した事はなく、アウロスは適当な肯定で話を繋いだ。
「生物兵器について、色々と知りたい。お前の知ってる事、手元にある資料、この部門に詳しい人物……何でも良い、教えてくれ」
「生物兵器、ですか」
「あんなのを飼ってるくらいだ。当然知識はあるだろう?」
鳴き声を指差すようにして問う。
その主が何処にいるのかアウロスは知らないが、あの巨体を閉じ込めておくには、相当な広さの牢獄と強力な封術が必要だと言う事は容易に想像出来た。
そして、アウロスの知る限り、この地下水路はその条件が満たされるだけの場所ではある。
しかし、それだけであのようなモノを長期保存出来る筈もない。
相応の知識は必須だ。
「そうですね。多少は」
リジルは控えめにそう答え、掌の上で浮かぶ炎に視線を移した。
「ただ、理由を教えて頂かない事には。かなりナイーブなところなので、悪用されると社会問題に発展しかねませんし」
「研究に使う」
「研究に……?」
アウロスの答えはかなり意外だったらしく、赤色に照らされるその顔に怪訝さが滲み出た。
「随分無茶な事考えますね。生物兵器の歴史について知らない貴方ではないですよね?」
「さあ、どうだろ」
敢えて肯定はしなかった。
とは言え、茶を濁したと言うよりは、本音に近い。
記録上でしか知らないものは、正確であるとは断言出来ないからだ。
そんなアウロスの応えに思うところがあったのか、リジルの顔付きが少し変化した。
いつも何処か弱々しさのあった目が、それを消す。
アウロスが一度だけ見た事のある目だった。
「生物兵器が魔術士を滅ぼす為の存在である事は、周知の事実です。そんな技術を魔術の研究に組み込めば、魔術士側、少数民族側双方からのバッシングは免れません。まず通りませんよ」
「現状ではそうだな」
想定内の苦言に、アウロスはしれっと頷く。
「常識を覆す気ですか? そんな事が可能だとは……まさかミスト教授にやって貰う、とか?」
「やってくれるのなら助かるけど、ま、ないな」
ミストは『一攫千金』の研究に対し、期待していると言ってはいるが、その為に多大なリスクを背負うような博打をする人間ではない。
アウロスにしても、決して長い付き合いではない上司に対し、そんな期待をする程ロマンチストではなかった。
「魔術ってのは、誰のものだと思う?」
「え? それは……」
唐突なアウロスの質問に、リジルは戸惑いを隠せない。
特に答えを待つ必要もないので、アウロスは言葉を続けた。
「魔術士のもの? それとも魔術学会? 教会? 違うだろう。誰のものでもないし、誰のものでもある。現存する技術の一つだ。剣術や算術と同じくな」
子が親の所有物ではないように、最初に生み出した人間ですらも、その技術を独占する事は出来ない。
そんな事をしては、それ以上の発展は望むべくもないのだから。
「生物兵器をそのステージに上げる事が出来れば、誰にも咎められない」
「……それこそ、最高難易度ですよ。そんなの彼らが許す筈がない」
リジルの声には、言葉以上に否定的な響きがあった。
「抑制緩和、虐待阻止、差別擁護、支配撲滅……そんな言葉だけなら誰でも唱えられます。きらびやかな言葉です。でも、虐げられている側の彼らには、そんな事関係ないんですよ。差別や抑制が彼らの敵ではないんです。魔術士そのものが憎悪の対象なんです」
そして、それは徐々に熱を帯びていた。
まるで、我が事のように。
「生物兵器に市民権を与えると言う事は、彼らに『魔術士と仲良くしなさい』と宣告するのと同義です」
「生物兵器にそこまですがってる、って事か」
「全員が全員とは言いません。ですが、多数の人間はそうです。最早、彼らの存在意義そのものと言っても過言ではありません」
魔術士への積年の怨みを晴らす事の出来る最後の希望――――それが生物兵器と言う彼らの生み出した技術であるならば、リジルの発言は決して大袈裟ではない。
何より、それを納得させるだけの迫力がリジルにはあった。
凄みなど微塵もない、その顔と声に。
「成程。良くわかった」
だから、アウロスは本気でそう呟いた。
「わかりましたか」
「ああ。十分にやる価値があるってな」
込み上げてくる笑みを噛み殺しつつ。
「……僕の話、聞いてましたよね」
「勿論」
「えー……? だって……えええっ……?」
自分の熱弁が全く聞こえていなかったかのような扱いをされた事に、リジルは頭を何度も捻っていた。
「まあ聞け。生物兵器が神格化されているのなら、それを利用出来るかもしれないって話だ」
「利用……ですか」
「まあ、その為にはまず知識を得ないとな」
アウロスは視線でリジルに要求を訴えた。
「……」
熟考。
ひたすら待つ。
「やっぱり無理ですよ。きっと」
結論は、先程より朧げだった。
「彼らは魔術士の言葉には耳を貸しません。魔術士と言う肩書きがある限り、どんな誠実さも、狡猾さも、彼らには届かないんです。申し訳ないですけど、諦めて下さい」
「要は魔術士じゃなけりゃ良いんだろう?」
「代理を立ててもダメです。背後に魔術士がいる以上は……」
「いや、俺ってば、実は魔術士じゃないんだよ」
事実をありのままに教える。
「はい?」
当然――――リジルは顔を捻った。
まるで捻挫したかのような表情が、ある意味全てを物語っている。
「だから、俺は魔術士じゃない。資格を持ってないから」
「……えええ? だっ……えええええっ……?」
先程を上回る混乱っぷり。
ヤブ医者と同じように、個人で活動している魔術士の中には資格を持たない人間が割と多く現存するが、わざわざ大学に勤めてまで研究しようと言う人間が魔術士ではないと言う事実は、十分驚愕に値する。
苦悶の顔で悶えるのも無理のない話だった。
「色々と訳アリでここにいるけど、俺は今後も魔術士になるつもりはない。魔術士に義理立てする気もない。肩書きが大事なら、魔術が使えたところで関係ないだろう?」
「それはそうですけど……えええっ?」
「そう言う訳なんで、教えて」
「は、はあ。では少しお待ちください……えええ?」
全く納得出来ていない様子ながら、リジルは一度上に戻って行った。
――――20分後。
「で、では、これを」
未だにすっきりしない顔のリジルが、数冊の本を抱えて来た。
「生物兵器に関して一通りまとめた資料です。差し上げる事は出来ませんけど、貸すくらいなら」
「勿論それで十分だ。ありがたい」
礼を言いつつ、左手で受け取る。
「その代わりと言っては何ですが、一つ質問しても良いですか?」
「ああ。どうぞ」
「アウロスさんは、どうして魔術士にならないんですか? 資格がないからとか、そう言う事ではないんでしょう?」
本の中身を眺めていたアウロスの目の動きが止まる。
そして一瞬瞑目し、直ぐに開いた。
その間は思考時間と等号で繋がる。
「厳密に言うと、アウロス=エルガーデンは魔術士だ。でも俺は魔術士にはなりたくない。だから、なる気はない」
「良くわからないです」
「そっか。ま、質問には答えたからな」
結局、言葉を不足させる事で場を濁した格好となった。
明確にその理由を誰かに教えた事はない。
そうする意思もなかった。
「ただ、少し親近感が湧きました」
そんなアウロスの意図を余所に、リジルの言葉は友好的だった。
尤も、内容程近しい空気はなかったが。
「僕も、魔術士じゃないですから。資格は持ってますけど」
「それは奇遇だな。と言うか、俺以上に難解な立場じゃないか?」
「そうでもないです。僕の場合、魔術士が敵ってだけですから。と言っても……」
リジルの顔が、普段のそれに戻った。
そしてその顔のまま告げる。
「魔術士だけが敵ではないですけど」
ただひたすら、穏やかに。
「さて、それじゃそろそろ行きましょうか。これ以上覗かれるのも余り良い気がしませんしね」
「……誰かいるのか?」
気配を読むのが苦手なアウロスは、リジルの視線の先にある灯りの届かない暗闇に目を向け、注意深く睨んだ。
すると――――僅か一瞬だけだが、何かが動く物音が聞こえた。
「まあ、気に掛けるほどの存在ではありません。出ましょう」
リジルの言葉に逆らう理由もなく、アウロスは頷く代わりに足を進めた。




