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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
73/401

第4章:偉大なる詐術者(26)

 室内に、水を打ったような沈黙が生まれる。

 風はない。

 それは建築物内部だからと言う事ではなく、まだ風向きが決定していない事を意味する。

 どんなに自然と隔離された場所でも、風は存在する。

 ただ、停滞しているだけ。

 そしてそれは、教授であるライコネンの言葉によって解き放たれた。

「さて、もう遠慮する必要はなくなった。腹を割って話そうじゃないか」

「そうですね」

 ライコネンが記録員を遠ざけた理由は、勿論、記録されると困る内容の話し合いを行うと言う事。

 当然ながら、彼等にとって利があると判断したからそうした訳なのだが、アウロス達にとっても決して悪い状況ではない。

 介入者がない交渉は、『証拠のない無罪』を勝ち取る為の道であり、それは双方にとって同じ事。

 問題は、その道にどんな通行料を支払うかだ。

「ミストが君をこの場に送ったと言う事は、君に信頼を寄せていると言う事だろう。片腕はレヴィ=エンロールだとばかり思っていたが……或いはフェイクか。ん?」

 まずライコネンは、相手を持ち上げると言う選択をした。

 それは交渉において基本の行動。

 こうする事で能動性を確保し、意見を発信し易い、つまりは主導権を握り易い環境を作る。

 ライコネンもまた、それに倣った。

 元々、この舞台において飛び抜けた地位を持つ彼にとっては、黙っているだけでイニシアチブは付いてくる。

 よって、この行動の目的は一つ。

 磐石。

 それを置く事だ。

「となれば当然ながら、ミストの企てについてある程度は聞かされているだろう」

「おい親父、何の話を……」

「お前は黙っていろ。全く、余計な事をベラベラ喋りおって……」

 その一方で、流石に堪忍袋も限界に達したのか、息子を目ではなく言葉で邪魔を制した。

 ガルシドの身体が目に見えて小さくなる様子は中々に愉快だったが、今はそれを笑う余裕などアウロスにはない。

 耳を澄ませ、空気の振動を聞く。

「失礼。それで、どうだね。取引と行こうじゃないか」

「取引、ですか」

 それはアウロスにとって、予想通りの言葉だった。

 でなければ、彼がここに来た意味がない。

 内容は当然――――

「私に付き給え。そうすれば、盗作の件は私がどうにかしようじゃないか」

「なっ……」

 驚きはガルシドもクレールも同様だったが、声はガルシドだけが漏らした。

 クレールにとって、現在の流れは自身の想定の外にあるもので、全く介入する事が出来ない。

 自分の事なのに、自分は何も出来ない――――そんな状況にはかなりの歯痒さと辛苦を伴うが、それでもクレールは耐えるように黙していた。

 隣に座る年下の少年に全てを委ねて。

「査問委員会には私の息が掛かった人間が数人いる。彼らを使えば『実は偶然の一致だった』と最終報告書に記載する事も可能だ」

「見返りに、ミスト助教授について今持っている情報をリークしろと」

「話が早いな。さすがミストの片腕だ」

 感心したかのような科白だが、その目は一貫して全く笑っていない。

 敵が大物である事は間違いないようだ。

 しかし――――

(そうでなきゃ、な)

 内心、アウロスは安堵に近い感情を抱いていた。

 予定通りの話の流れを作るにあたって、相手の力量が予想を大きく外れていては困るのだ。

 ライコネン=ヒーピャと言う人物が隣の息子と同水準だったら、逆にアウロスは頭を抱えていただろう。

 あくまでも主導権は向こうにあり、この場を壊す事も向こうだけが持つ権利だ。

 この話し合いに価値を見出せない程度の人間なら、それを行使する事もあるだろう。

 が、目の前の相手は、自分の要求する全てが自分の元に飛び込んで来ると信じて疑わないだけの自信と実績を持っている。

 自分が全ての状況において中心にあると言う絶対の確信を抱いている。

 殆ど水分を失った雑巾をそのまま放置するか、それともあと一絞りするか。

 教授にまで上り詰めた人間は、その選択を状況に応じて使い分ける事が出来る。

 ライコネンはこの舞台で、後者の行動を選択した。

 そして――――そう仕向けたのはアウロスだった。

「ついでに、今後の彼の動きに関しても定期的に知らせて頂きたい。どうかね?」

 人間の欲求は果てしない。

 まだ返事も聞かない内に更なる要求を突き付ける。

 これもまた、この交渉に対する絶対的な自信によるものだ。

「少し考えさせて下さい。時間は取らせません」

 アウロスの言葉にライコネンが頷き、場が沈黙に包まれる。

 クレールが心配そうに見つめる中、アウロスは目を閉じて腕組みした。

(さあ……ここがヤマだ)

 教授クラスが一人しかいないこの場において、ライコネンの発言力は絶対だ。

 彼が黒と言えば白も闇に染まる。

 つまり、彼に白と言わせる事が出来れば、それで事は終わる。

 自己抑制が上手ではなく、直ぐに冷静さを欠くガルシドを利用し、彼と対峙する事が出来た。

 そのライコネンの性格を利用し、彼に『選択の不自由』を突き付ける事にも成功した。

 今、ライコネンは自分で利を求めていると信じて疑わないだろう。

 しかしそれは、彼の中での真実ではあっても、事実ではない。

 アウロスは着実に目標へ駒を進めていた。

 後は、詰めだ。

「決めました」

 アウロスの目が開き、その視界にライコネンの顔とその後ろの壁が映る。

 視点は常に遠くへ――――敵と接する際のアウロスの癖だ。

「交渉を始めましょう。まずはこちらの条件を正式に提示します」

 交渉する際には、まず譲れないカードと譲っても良いカードをそれぞれ区分けする事から始まる。

 それらを分けたら、次はそのカードに優先順位と攻撃性能を付加する。

 これは非常に重要な作業で、上手くやれば自分にとって大したこだわりのないカードでも、相手には屈強な傭兵を雇い護っているように見える。

 その作業を念入りに行ったら、いよいよ交渉だ。

 交渉相手へのアプローチには、大まかに分けると二通りの方法がある。

 一つは攻撃的、もう一つは守備的。

 前者は目的の理想的完遂を最優先とし、そこから少しずつ妥協して行く方法。

 後者は絶対に譲れないカードを死守しつつ、譲っても良いカードを駆使して徐々に落としどころの水準を上げていく方法。

 この二つの選択は、自分や相手の性格、立場、関係、その後への影響を加味して使い分けなくてはならない。

「クレール=レドワンスに対する罰の無効。これがこちらの出す条件です」

 アウロスは後者を選択した。

 つまり、処分の無効を何よりも優先すると言う事だ。

『無実』ではなく『無効』。

 つまり、無罪の証明ではなく、御咎めなしを最優先事項にしたと言う事だ。

 クレールが無実であると証明された場合、本来ならどちらかが盗作していなければおかしな状況なので、当然今度はガルシドの方に盗作の疑惑が浮上する。

 しかし、そこには敢えて触れず、全てを灰色に染めてしまう事で――――その疑惑は闇の中へ消える。

 要は、誰が犯人かを追及せず、この件を時間によって風化させてしまおう、或いは初めからなかった事にしてしまおう――――と言う提案だ。

 一般の感覚ならおかしな話だと思われるが、権力を有した閉鎖空間では度々行われる手法だ。

 無論、目の前の男にとっては、この上なく楽な条件と言える。

 教授と言う立場の人間がそれを施行する上で、障壁となるものは何もない。

 そして、ライコネンにとってクレールの有罪が消えると言うのは、大した問題じゃない。

 ミストを攻める材料が一つ減るだけ。

 怪しむ事も特になく、納得の笑みを自然と浮かべていた。

 選択は――――正しかった。

「宜しい。実に有意義な交渉だ。では、こちらの条件を呑んでくれるのだね?」

 ライコネンの確認に、クレールの目があからさまに泳ぐ。

 クレールにしてみれば、当然ながら納得の行く流れではない。

 幾ら公になっていないとは言え、身に覚えのない疑惑を掛けられ、それが有耶無耶のままでは心に大きな傷を残す。

 罰せられない事は確かに重要。

 疑いの段階で停滞するのと、実際に罪が認定されて罰を受けるのとでは、ミストへの影響は大きく異なるのだから。

 それでも、教授就任に際し大きな汚点となる事には違いない。

 何より、自分の研究が汚されたままと言う、研究者としての汚名を晴らせない。

 しかしガルシドとは違い、声に出して混乱状態を晒しはしなかった。

 自己制御がしっかりしている証拠だ。

 どちらがあの論文に相応しいか――――これだけでも十分わかる。

「その前に、一つ聞きたい事があります」

 そんなクレールの様子を横目で眺めつつ、アウロスが口を開く。

「この取引に応じる場合、我々の立場は極めて不安定なものになります。保護して頂けるのでしょうか?」

「無論だ。正式に間者として働いて貰うのだから、相応の報酬も出そう」

「報酬……」

 敢えて、そこを切り取る。

 古今東西、悪人が連帯意識を持つのは『お金』。

 ここでそれに興味を示せば、自分達の仲間であると確信してくれる。

 そうなれば、話は滞りなく進む。

「ククク……はっはっはっは!」

 案の定、ガルシドは期待通り食い付いてくれた。

「そうか、そう言う事か。てっきり身の潔白を証明したいと青臭い主張を延々と聞かされるかと思えば……初めから俺らにすがる気だったのか」

「そっ……」

 流石に否定の言葉を唱えようとしたクレールを、アウロスは踵で制した。

 足を踏まれた痛みにクレールの顔が歪む。

 しかし意図は通じたのか、クレールは物凄い形相ながら沈黙を守った。

「確かに、今の貴女の立場を考えればなあ、こうするしかないよなあ! ここで生き残るにはなあ! ククク……あーっはっはっは! おいお前、以前の暴言、許してやるよ。俺に覚えて貰えるよう必死だったんだろ? ククク……ふはは!」

 踊る踊る。

 踊らないと損をするとでも言わんばかりに。

「にしても大したもんだよ。親父の事だから全部狙い通りだったんだろな。これで俺らライコネン研究室も安泰だ」

「止めんか。全く……」

 ハイになったガルシドを制する言葉だが、今度はなだめる様な物言い。

 やはり父親と言う事だ。

 息子の褒め言葉に満更でもない様子が窺える。

「これにサインをしなさい」

 そして――――気分を良くしたライコネンが徐に鞄を開け、一枚の紙を取り出した。

「この書類には認諾調書と同等の力がある。つまり、これが査問委員会に受理されれば、その瞬間に君を咎めるものはなくなる。誰もその決定を覆す事は出来ない」

 既に『自称』被害者のガルシド=ヒーピャと学長の捺印は成されている。

 予めこうなる事を予測していなければ用意出来ない書類だ。

 彼にとっても、この交渉は全てが予想通りであり、最高の結果を得られた――――と言ったところか。

「……」

 クレールはもう一度アウロスに視線を向けた。

 これが結果ならば、彼女の望むものではない。

 大敗。

 惨敗だ。

 ミストに迷惑を掛けるくらいなら、冤罪を訴え大学を去る事も厭わない――――そんな思いは今も全く変わらない。

 もしここでサインをしたら、その思いとは真逆の方へと向かう事になるだろう。

 或いは、最悪の結果と言っても良い。

「どうしたのかね? 早くしなさい」

 そんなライコネンの声も、クレールの耳には届いていない。

 クレールの脳裏には、アウロスへの疑念が過ぎっている。

 初めからこの流れで話を進めるつもりで、報酬目当てに自分を利用した――――

「……フフッ」 

 自然と笑みが湧き出る。

 それを言葉にして心で反芻すると、余りに滑稽な響きだったからだ。

 アウロスとこの部屋の前で話した時から、クレールは彼に全てを委ねる覚悟でいた。

 まだ17歳の、余り人と接する事のない少年。

 信じるには余りに心許ない。

 この契約がどう言う結末をもたらすのか、どう言う意図でここに漕ぎ着けたのか、クレールには全く見えていない。

 しかし、アウロスと言う人間の性質を分析すれば、何か隠された意図が存在する筈だと思わずにはいられなかった。

 後は、その人となりを信じるか否か。

 アウロスはクレールの想いを知っている。

 上司に対する感情を、研究に対する意欲を、そして自分自身に対する棄て切れぬ希望を、全て知っている。

 そして――――

『絶対棄てるなよ。これからも、ずっと』

 決め手は直ぐ傍の記憶にあった。

 それが、クレールの手を滑らかに動かした。

「これで良いですか?」

 様々な葛藤の末、書類は完成を見た。

 それを見届けたガルシドが、悪質なまでに下品な笑みで祝福する。

 彼の脳内では、既に彼女の支配権を得たと解釈したのだろう。

「善し。これで君の罰は晴れて無効となった。おめでとう」

 ライコネンはクレールの下にある書類を一瞥し、ガルシドのそれより遥かに高度な微笑みを浮かべ、手を叩いた。

「では、早速だがミストについて教えて貰おう」

 アウロスへ向けられたその言葉は、落ち着きに満ちている。

 高揚しても、あくまで冷静な一端を捨てない。

 決して、楽な相手ではなかった。

「時間は大丈夫なのですか?」

「もう私も歳なのでな。休憩はたっぷり取らなくてはいけない」

 ヒーピャ親子の笑い声が会議室に響く。

 そんな浮ついた会話に終止符を――――アウロスは心中で高らかにそう告げた。

「では、お教えしましょう」

 あくまで平然と。

「ミスト助教授は、貴方の教会との癒着について調査しています」

「やはりか……。しかし、まだ核心には触れていないのだろうな」

 そして、さりげなく。

「ええ。ですから、貴方の部屋が空になるのを心待ちにしていました」

「!」

 提示した情報に、それまで脱力していたガルシドの顔が引きつる。

「ま、まさか……このガキ……」

「落ち着け。私の部屋には常に封術を施してある。他人が侵入する事は出来ないのだ」

「普通ならそうですね」 

 あくまでも、淡々と。

 そんな言葉にライコネンの眉がピクリと動く。

「高レベルの封術は、認証コードを知らなければまず解除は出来ない。逆に言えば、認証コードさえ知っていれば簡単に解除出来る」

「だが、その認証コードは私と極一部の者しか知らない。大学の管理も行き届いている。ミストが知る事は出来ない筈だ」

「ところが」

 アウロスは予め机の下に置いていた書類を拾い、それを掲げて見せた。

「そ、それは……!」

「俺の論文……オリジナル原稿っ!?」

 動揺は広がる。

 隣のクレールも唖然としていた。

「この大学で最高級の機密空間である保管室に厳重に保管されているこれを持ち出せる……この意味、わかりますよね?」

 アウロスがそう問い掛けると、それまでずっと大物の顔だったライコネンが、唯の初老の男へと変貌した。

 歳こそ離れているが、やはり親子。

 仮面を取ったその姿は、どこか似ている。

「く、くそっ! 罠か!」

「親父!」

 混乱する息子に構う余裕すらないライコネン教授は、飛び落りるように席を立ち、その勢いのまま会議室を出て行った。

「クソったれがっ!」

 負け犬の遠吠えを残し、息子も退散。

 敵はものの数拍の間に眼前からいなくなった。

「……ふぅ」

 全てを終え、アウロスは一つ息を吐く。

 その顔は安堵感に満ちていた。

「これが……狙いだった?」

 良くわからないと言った面持ちでクレールが問い掛ける。

 しかし、目の前の敵が消え去った事もあってか、直ぐに冷静さを取り戻した。

「……え、でも何かおかしくない? わざわざ私達がおびき寄せなくても、夜間とか出張中に忍び込めば良いんだし」

「鋭い」

 その指摘にアウロスが満足気に微笑む。

「それに、時間稼ぎが目的ならバラしはしない。世間話やらヨイショやらで拘束時間を伸ばすさ」

「じゃあ、一体……」

「目的は、それ」

 アウロスは人差し指で『それ』を示す。

「あ」

 そこには――――クレールを救う唯一の存在である、薄っぺらい紙があった。

「失礼します」

 クレールがその紙を手に取った刹那、査問委員会の二人が戻って来た。

 その顔には若干の狼狽が見て取れる。

「あの、ライコネン教授が凄まじい剣幕で走って行ったのですが……何か問題が?」

「いえ。実は休憩中にも話が進みまして、会議は滞りなく終了しました。次の予定が差し迫っているとの事で急いだのでしょう」

「そうですか」

 アウロスの淀みない物言いに納得したのか、或いはこれ以上この場所に拘束されるのが嫌なだけなのか、二人はあっさりと納得した。

「これを提出します。今回の件の認諾調書です」

 当然のように、それを渡す。

 勿論、取引の事など何一つ記さず。

 元々この書類には、『罪の有無は問わず、罰を無効とする』等と言う記述はない。

 そんな書類が公式に通る筈もない。

 ライコネンはこの書類を査問委員会に渡さず、自分で所持する事で『証拠』を保存する予定だったのだろう。

 取引に応じた証拠を。

 査問委員会には、後日上に話を通す、とでも言えばそれで良い。

 教授の権力がそれを押し通す事を可能とする。

 査問委員会の立会いの下で話し合いをもった、と言う事実だけがあれば良い。

 体裁さえ整えれば、後はどうとでもなるのだ。

 しかし、書類が査問委員会に提出されたとなれば、そうは行かない。

 その書類の記述がそのまま、事実となる。

 そして書類には、クレールを罰しないと言う記述がなされていた。

 それだけを記した書類。

 それが何を意味するかと言うと――――

「捺印は全て成されていますね。はい、確かに受理しました。クレール=レドワンスに罰則の適用はなし。つまり……無実であると我々は承認します」

 当然、そうなる。

 そして、査問委員会の記録員二名は書類を整え、笑顔で会議室を去って行った。

 室内には、アウロスとクレールの二人だけが残っている。

「……私、これで、助かったの?」

「元々公になってはいない騒動だ。知ってるのは身内だけ。無実が確定した今、ミスト研究室へのネガティブキャンペーンにこのネタは使えない」

「連中が幾ら取り消しを訴えても?」

「当人の口から出た言葉の通り、誰もその決定を覆す事は出来ない。騒いだりすれば、自分達に疑いの目が向く。連中はこの話題が風化するのを待つしかない」

「間者になって、ミスト助教授を騙さなくても良いの?」

「あの書類は、あくまでお前が罰を受けなくて良いってもので、連中の要求に応える事を約束したものじゃない」

「私……ここにいられるの?」

「別件でクビにならなきゃ、な」

 アウロスの冗談に、クレールの顔が崩れる――――

「……っく、あはっ……あははっ……」

 止めどなく流れる涙を気にも留めず、泣きながら笑った。

 その顔は、アウロスが見た彼女の顔の中で最も不細工で、ようやく見せた本当の顔のように思えた。

 それだけで、妙に得した気分なる。

 こんな所でようやく、充実感が生まれた。

「ま、これであんたの呪いとやらも解けたんじゃないか?」

「えぅ……?」

 鼻声で発言の真意を問うクレールに、アウロスは思わず苦笑した。

「多分、近い内にわかる。恩人、想い人に呪いなんて掛かってない。ずっと栄光の道を直走ってるってな。寧ろ、お前がそれを……いや、やっぱ良いや」

 含みを持たせた言葉で締めて、席を立つ。

 何時までもここにいる意味はない。

「じゃ、俺研究室でちょっと寝る。お休み」

 左手で椅子を戻し、アウロスは扉の方へ向かう。

「あ、あのっ」

 右肩を固定した痛々しい後姿に向かって、クレールは心からのお辞儀をした。

「ありがとう……」

 それに言葉で答える事はなかったが――――アウロスは左手の小指でポリポリと頬を掻いていた。

 雲の隙間から僅かに覗く、今日の朝陽のように、控えめに。


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